眞實の歴史 「ブラッドベリー」

ドイツ悪玉論の神話104(完)

******** 猶太人は、戦争の紛れもない勝者として挙がって来たが、同時に彼らは、公衆の心に究極の被害者として自分たちを確立する事をうまく成し遂げ、賠償金に何十億ドルもの金額を得る資格を獲得し、一方で、文明の基準に照らして、自分たち自身の侵害する…

ドイツ悪玉論の神話103

******** 独逸はただ単に戦争の敗北者だけではなく、侵略的な戰爭を公に宣言したものとは非常に違った理由により、英米ソヴィエト連邦、國際猶太に、仕掛けられた犠牲者でもある。この本の中でも繰り返し述べている通り猶太人はソヴィエト連邦を支配しただけ…

ドイツ悪玉論の神話102

第二十三章 勝者と敗者 第二次大戦は、第一次大戦の続きであったことに気づかされる。その見方は、明らかに眞實ではあるが、それが全てではない。第一次大戦は、独逸が大陸欧州を支配しない様に戦われ、そしてヴェルサイユ条約が独逸を抑止するために課せら…

ドイツ悪玉論の神話101

猶太人の復讐 独逸が打ち負かされて欧州での戦いが終わった時、猶太人は、復讐を果たし、戦利品の分け前に与かる為、何千人と言う集団で独逸になだれ込んだ。彼らは即座にモーゲンソウ計画と猶太人の独逸経済を破壊する復讐の計画の実行に取り掛かかった。独…

ドイツ悪玉論の神話100

(注意:内容がえぐいので苦手な人・感受性の高い人は読む時間・場所にお気をつけください) 次の証言はロシアが来た時に東プロシャで起こった事について、独逸軍が非戦闘員の人々を保護しようとロシア軍を押し戻したあとの独逸の兵隊によるものだ。 「私は…

ドイツ悪玉論の神話099

(注意:内容がえぐいので苦手な人・感受性の高い人は読む時間・場所にお気をつけください) 次に挙げる恐ろしい話は、「In Their Terror All Were Alike」(1995)と言う題のハンス・コッペ(Hans Koppe)の本に伝えられている話である。この恐怖の話は、独…

ドイツ悪玉論の神話098

******** 強姦と殺人 独逸軍がライヒに向けて撤退し始めると、言葉にできない様な残虐行為がすべての連合國によって犯された。それは、連合國がある種の流血の欲求に憑かれたとしか思われない出来事であった。軍人、民間を問わず独逸人を殺すことに対する全…

ドイツ悪玉論の神話097

ヒトラーが、首相に就任してすぐに独逸の共産党を非合法化して、共産主義者を集めてダッハウに拘束した時、これらの共産主義者の大多数が猶太人であることがわかった。これら共産主義者は革命運動に関与し、独逸の國家を弱体化する企ての中で國際猶太の構成…

ドイツ悪玉論の神話096

第二十二章 犠牲者としての独逸 カイザー(独逸皇帝)が第一次大戦を始めなかった様に、ヒトラーと國家社会主義者は、第二次大戦を始めなかった。更に、ヒトラーは、彼の力が及ぶ限りのあらゆることをして英仏米との戦争を避けようとした。彼はまた、戦争が…

ドイツ悪玉論の神話095

******** ヒトラーは繰り返し、英國と和平合意に至ろうと試みた、最初がポーランドとの戦争の後、そして二回目が、ダンケルクの後、だが、和平提案は拒否されただけだった。彼は、また、ルドルフ・ヘスを英國の戦いの間にドン・キホーテ的使節として和平合意…

ドイツ悪玉論の神話094

******** 猶太人の教授、フレデリック・リンデマン -空からの爆撃で独逸の民間人を大量殺人したリンデマン計画の著者は、また「モーゲンソウ計画」の熱心な支持者でもあった。「モーゲンソウ計画」は、戦後に独逸の産業をバラバラにして独逸を中世の農民社…

ドイツ悪玉論の神話093

独逸への無差別爆撃の写真集 がれきの中、重要交通が復旧した ケルンの街 大聖堂は持ちこたえた 独逸では両親が爆撃で殺された野生児が 食糧を探して彷徨った 独逸の他の街も連合國の焼夷弾で焼け落ちた 爆撃で家を追い出され、どこにも行くところがない ***…

ドイツ悪玉論の神話092

ドレスデン! ドレスデンは、連合國の爆弾で破壊される前は、欧州でも最も美しい街の一つで、洗練された宮殿、教会堂、彫像に満ちた文化の中心であった。それは、曲がった石畳の街路、教会の尖塔、装飾に満ちた家屋がある、おとぎ話の様な町であった。そこに…

ドイツ悪玉論の神話091

******** 米國では1942年にB-24、B-17の集団が英國に向けて飛び立ち、欧州の航空戦に参戦した。米國は當初は民間人の直接攻撃はせず、独逸の工場や軍事施設の精密爆撃を試みた。英國は、全ての空襲を夜間に飛ばしたが、米國は、爆撃の正確さを増すべく、爆撃…

ドイツ悪玉論の神話090

第二十一章 連合軍の最終目的? 独逸の滅亡! 「君たちが理解しなければならないのは、この戦争はヒトラーや國家社会主義に対するものではなく、独逸人民の強さに対するものだという事である。その強さは、この際、一気に叩き壊さねばならない。その強さがヒ…

ドイツ悪玉論の神話089

チャーチルは英米両方での猶太人の力を理解していた。彼も猶太人の支援集団、フォーカスの支援の結果、首相になれたのである。マイケル・J・コーエン教授は、その著書「チャーチルと猶太人」の中で、次の様に書いている。 「(チャーチルは)シオニスト運動…

ドイツ悪玉論の神話088

1941年6月22日、独逸はバルバロッサ作戦と呼ばれるソヴィエト連邦侵攻を開始した。ヒトラーは、独逸もソヴィエト連邦も遅かれ早かれお互いに戦争は避けられないと理解したと思われるため、それはするかどうかではなく、いつするかの問題であったので、この侵…

ドイツ悪玉論の神話087

英國には、ウィンザー公(前の國王エドワード7世)、アスター女史、ジェフリー・ドーソン(ロンドンタイムズの編集者)、ロージアン侯爵、マンチェスター公、ハミルトン公らも一員の「クリヴェンデン・セット」として知られる親独エリート主義の集団があった…

ドイツ悪玉論の神話086

フランスの陥落 英國軍が居なくなったので独逸はフランスに対する最後の制圧を始めた。6月12日までに独逸の戦車がソンム川沿いの主要前線と強化されたマジノ線を突破し、目的地パリに肉薄していた。この間、英國は如何なる犠牲を払っても抵抗するよう、フラ…

ドイツ悪玉論の神話085

マーティン・アランは、自身の著書「ヒトラー・ヘスの欺瞞(The Hitler Hess Deception)」(Harper Collins 2003年)でヒトラーの法律顧問、ルートヴィヒ・ヴァイサウアーを引用している。ヴァイサウアーによると、独逸はフランス侵攻の間にヴァイサウアー…

ドイツ悪玉論の神話084

英仏のベルギー防衛計画は、アントワープとリエージュの間の要塞の列に留まる事であった。これらの要塞が既に侵攻の第一日目に独逸の空挺部隊によって攻略されていたことに気づかず、英仏の軍隊は、5月13日に自分たちが攻撃されている事に気づいた。同時に、…

ドイツ悪玉論の神話083

第二十章 独逸が低地帯からフランスを占領 いかさま戦争の終わり 5月10日、チャーチルが首相となった同じ日、独逸はベルギー、オランダ、ルクセンブルグをフランスへの唯一の作戦可能な通り道として占領した。フランスは独逸の優先的目的地であった。これも…

ドイツ悪玉論の神話082

ノルウェー・デンマーク作戦 英仏が1939年9月に独逸に宣戦布告した時、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、フィンランドは、即座に中立を発表した。そうする事により、これらスカンディナヴィアの國々は、19世紀半ば以来彼らが採って来た政策を引き継い…

ドイツ悪玉論の神話081

第十九章 いかさま戦争 西洋文明の未来は、独逸と他の欧州諸國、とりわけ独逸のアリアン従姉妹、英國と米國との緊密な協力に依存すると、ヒトラーは確信していた。ヒトラーにとって、実在する西洋文明の大きな脅威は、共産主義ロシアであり、彼はそれを猶太…

ドイツ悪玉論の神話080

1939年のポーランドは独逸陸軍より大きな陸軍を持ち、高度に軍國化していた。更に、上述の様に、ポーランドの新しい指導者は、独逸に対して侵略的な態度を持った軍人であった。英仏の「額面無しの小切手」保証に支援されて、ポーランドは挑発行為さえ始める…

ドイツ悪玉論の神話079

ポーランドが回廊で独逸國民を殺害 ポーランドと独逸の間、そしてポーランド人と独逸人の間の憎しみと敵意は、歴史的な根があり、それは少なくとも中世のポーランドを支配したチュートン(独逸)騎士団まで遡る。チュートン騎士団(独逸人)は、多数の独逸人…

ドイツ悪玉論の神話078

反戦運動が活発化 一方で、米國では反戦運動が強さを増していた。その運動の主な声の一つが共和党のニューヨーク選出の指導的下院議員、ハミルトン・フィッシュだった。フィッシュは一連のラジオ演説でルーズベルトの戦争への道(行進)を暴き、一方、自分は…

ドイツ悪玉論の神話077

独逸がボヘミアとモラヴィアを占領 その間、独逸がズデーテンラントを併合した後のチェコスロヴァキアの残りの部分は、前章で述べた通り、すぐに分解した。チェコスロヴァキアに残ったのは、ボヘミアとモラヴィアの部分であった。そして、1939年3月15日、チ…

ドイツ悪玉論の神話076

ハリファックス閣下が陣太鼓を鳴らす 英國の外務大臣、ハリファックス閣下は、ヒトラーと独逸に対して敵対的姿勢を維持し続け、断固独逸との間で戦争を挑発した。彼は、國内でも國外でもヒトラーの外交政策を最悪の見方で提示する噂を流布した。彼は、ヒトラ…

ドイツ悪玉論の神話075

ウィリアム・C・ブリットは、その頃、駐仏米國大使であり、同時に他の欧州諸國全体への大使でもあった。ルーズベルトと同じくブリットも「金持ちの家に育った」。彼は、フィラデルフィアの裕福な銀行家の家庭に生まれ、独逸の猶太人で米國に移民したジョナザ…