新コロウィルスは存在するのか、しないならワクチンは可能なのか

令和3年4月12日

本日、あるメーリングリストから次のような案内を受け取りました。

これは、日本民族にとって最大の危機であります。

そこで緊急に、標記の件について二言三言述べて見ようと思いました。

 

1. まず、所謂新コロウィルスは、メディアや一部政治家が騒ぐほど、恐ろしい病気なのか

いいえ、死亡率は若者を中心に非常に低く、また、高齢者に於ても他の既往症を持って居ない、免疫力が人並みにある方には全く死亡率はインフルエンザ並みか、それよりも低い。

 

2. 次に新コロウィルスは、本当に特定された、生きたウィルスなのか

いいえ、実は当初のチャイナの論文以外に新コロウィルスを分離特定した或いは、それを追試して確認した論文はありません。

 

3. ウィルスが存在するとして、PCR検査で感染が確認できるのか?

いいえ、PCR検査は、特定のDNAの断片をいくつか選び出し、それを新コロウィルスのものと比較することによって陽性・陰性を決めるもので、直接感染を示唆するものではありません。

更に、PCR検査は、その特定のDNAが検出されれば、それを数百万倍、最大数兆倍に複製することにより、検知をおこないますので、噂されるように、水やコーラ、パパイヤなど、全く新コロウィルスが関係しない検体でも陽性反応が出ます。
つまり、メディアや医療機関が騒ぐような、陽性者=感染者としての確立は約50分の1と言われています。従って、陽性者が百人出ても本当の感染者はそのうち二人程度です。そして、これは人為的に複製の回数を増減することで、制御できます。だから、医療機関はこの複製回数を増減することで故意にパンデミックを見せかけることが出来るのです。

 

4. ウィルスが存在しないなら、抑もワクチンは作れるのか?

いいえ、ワクチンは作れません。今のワクチンは、上記のPCR検査に引っ掛からないようにそこで検出されるDNAの破片を隠してしまうだけのものと想像されます。従って、わざわざ人間のDNAを改変してそのような、免疫反応にも逆らうようなタンパク質合成の阻害をすることで、将来、どのような病気が発生するか、或いはどのような悪影響が子孫にDNAを介して現れるか全く未知です。非常に危険です。

 

5. マスクや三密回避や行動の規制で感染は防げるのか?

いいえ、抑も感染の意味が曖昧ですし、PCR陽性者は上記のように意図的に増やすことも減らすことも出来ます。すべてが、我々の知らない処で我々の知らない責任のない人間によって制御可能なのです。

従って、マスクで感染が防げるというのは、丁度、自動車の排気ガスをマフラーに布を当てて行おうとするのと同じことで、全く関係はないどころか、却って体に(エンジンに)不調を来たします。

 

下記の案内はとてもショックでした。

宮崎正弘さんは、その国際的な知見で、私の尊敬する人だったのですが、新コロに関してこの様な頓珍漢な講演をされるとは、正直、一体何を血迷っておられるのか、一体冷静な分析の能力をお持ちなのか、疑わしく感じると共に、この様な識者ですら、まんまと引っ掛かる世界の情報源の怪しさに目の前が真っ暗になってしまいます。

 

               記

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講演会情報
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【講師】宮崎正弘(みやざきまさひろ)先生 作家・評論家
http://miyazaki.xii.jp
 昭和21年、金沢市生まれ。早稲田大学英文科中退。『日本学生新聞』編集長、雑誌『
浪漫』企画室長を経て、貿易会社を経営。1982年『もうひとつの資源戦争』で論壇へ。
著書は『「火薬庫」が連鎖爆発する断末魔の中国』『米中壊滅』『日本が危ない!一帯一
路の罠 マスコミが報道しない中国の世界戦略』『いよいよトランプが習近平を退治する』
習近平の死角』『米国衰退、中国膨張 かくも長き日本の不在』『西郷隆盛 日本人はな
ぜこの英雄が好きなのか』等250冊(共著含、2021年1月現在)。
最新刊は『バイデン大統領が世界を破滅させる』(12月発売)『こう読み直せ! 日本の歴
史』(12月発売)『「中国解体2021 日本人のための脱チャイナ入門』(10月発売)

【日時】令和3年4月24日(土)14時30分?16時30分(開場:14時)
【会場】としま区民センター7階会議室701?703 豊島区東池袋1-20-10
交通:JR・東京メトロ西武池袋線東武東上線池袋駅」東口32番出口より徒歩4分
【参加費】事前申込:2000円、当日申込:2000円、事前申込の大学生:1000円、高校生以下無料
【申込先】4月23日21時迄にメール又はFAXにて下記で受付(当日受付も可)
      FAX:0866-92-3551  E-mail:morale_meeting@yahoo.co.jp
【主催】千田会 https://sendakai.wixsite.com/home
【後援】新しい歴史教科書をつくる会 岡山県支部
【次回講演会予定】
4月25日(日) 元戦闘機パイロット 戸田眞一郎先生『熱血!“タイガー"のファントム物語』
5月22日(土) ジャーナリスト 高山正之先生独演会『高山正之の変見自在』
5月23日(日) 拓殖大学防災教育研究センター長 濱口和久先生講演『歴史は繰り返す。日本の領土問題の何が問題なのか』
【参加される皆様へお願い事項】必ずマスクを持参し、ご着用して頂きます様お願い申し上げます。
発熱などの症状がある方は来場をご遠慮ください。
予防的な観点を熟慮し、マスクの正しい着用、手指消毒・衛生的手洗いなど十分な対策を各自で行って下さい。
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ワクチン接種を大幅に加速せよ

3月22日の筆者の主張は緊急事態宣言解除は危険すぎるというものだった。やはりこの
ような宣言解除は気の緩みを生じさせ感染爆発を誘発しかねないと思う。特に大阪や兵庫
では感染爆発が始まったのではないか。変異株の増加で全国的な感染爆発が始まる可能性
があり、その場合1日の新規感染者が1万人を大きく超え、助かる命を助けられないとい
う悲惨な状況になり、オリンピックの開催が脅かされる。現状は未曾有の大災害の前夜と
言うべきではないだろうか。

この状況を脱する唯一の方法はワクチン接種を加速することだ。米国や英国はそれに成功
し新規感染者は激減している。ワクチンが足りないと言うが、ファイザー社製ワクチンは
6月までに1億回分、モルデナは6月までに4000万回分、それアストラゼネカ製ワ
クチンも日本国内で生産している。これだけの回数の接種が6月までに進めば、新規感染
者は激減するし、飲食店や旅行業者などの経営も一挙に改善してくる。しかし現実にはワ
クチンがあっても注射できる人が足りなくて接種が進まないという深刻な問題が立ちはだ
かる。米国や英国はワクチン接種を加速させ大成功を収めているのを見倣うべきだ。今は
経験したことがない国家の非常時であり、政治家が本気になれば何千人、あるいは何万人
もの命を助けることができるし経済の急回復も可能だ。

まずモデルナ製ワクチンやアストラゼネカ製ワクチンを直ちに承認すべきだ。
モルデナ製ワクチンは発症予防効果は94%、イギリス型変異株に対しても同程度の効果
があるとの臨床結果が出ている。しかも接種してから半年後も抗体が持続うる可能性があ
ることが明らかになっている。治験は約3万人の参加者の5%(つまり1500人)がア
ジア人だった。政府は承認するかどうか見極めるため今から武田薬品が200人の被験者
を集め独自の治験を行うという。モデルナワクチンはすでに43カ国が承認している。
すべての種類のコロナワクチンの接種状況では接種回数が世界163カ国・地域で累計7
億1100万回を超えている(21年4月9日現在)。海外に住む日本人も多く、多数の
日本人が接種を受けているだろう。ワクチンの効果は完璧と言うしかないし副反応も僅か
だ。このような状況で武田薬品の行う200人の治験がどれだけ意味を持つだろうか。こ
こは200人の治験結果の前に緊急の特例承認を行い接種を始めるべきではないか。もし
承認が下りればモルデナワクチンは6月までに4000万回分、9月までに1000万回
分が供給される。

次にやるべきは、注射ができる機会を飛躍的に増やす事だ。米国や英国の例を見本とすべ
きだ。例えば薬局で打てるようにする。医学生看護学校の生徒、更に一般からアルバイ
トを大規模に雇って注射の訓練をした後ワクチンの注射をさせるとよい。様々な規則に縛
られてこのような大胆な試みは、やりにくいのが日本の実情だ。しかし変異株の猛威で1
日の新規感染者が数万人に達する可能性があり、そうなれば医療が崩壊する。是非検討し
て欲しい、ここで提案する緊急対策をした場合のメリットとディメリットの比較だ。膨大
な数の命を救うし経済回復のメリットは極めて大きい。それに比べディメリットは果たし
てどれだけあるのか。武田薬品の行う200人の治験を待たずに緊急承認する危険は極め
て少ない。注射ができる人の範囲を広げたらどうなるか。未熟な注射技術のお陰で死亡す
る人が本当にいるだろうか。注射はそんなに難しくないように思える。

マスク会食やアクリル板の設置など様々な対策だけで変異株の猛威は止められない。ここ
はワクチンの接種を超特急で行うことで対応すべきだろう

文明のアイルランド起源 HPより スピンオフ

猟奇殺人「切り裂きジャック」の真実

"Jack the Ripper" was Winston Churchill's Father - henrymakow.com

切り裂きジャック」はウィンストン・チャーチルの父だった

ジョン・ハマーJohn Hamerによると、四人の売春婦のメーソン儀式殺人はウィンストン・チャーチルの父、ランドルフ・スペンサー・チャーチル卿(1849~1895)により実行された。売春婦は王家を恐喝していた。

 

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Lord Randolph Spencer Churchill
ランドルフ・スペンサー・チャーチル卿 

 

チャーチルは、この工作全体の裏の「司令塔」であっただけではなく、個人的にメーソンの記章と記号を被害者の体に刻んだことにも責任があり、一方でウィリアム・ガルの外科医の手が内蔵の切除を実行した。」

 

「当然のことながら、エディー(エドワード王子)はその大きな王制の危機を招く脅威となった「不法な」結婚により、支配層を激怒させたのであった。」

         ジョン・ハマーによる2011年7月21日(の記事:henrymakow.com)より

 

 

話の発端は、1888年の夏の終わり頃、ヴィクトリア女王の治世の最盛期、ガス灯が燈されたロンドンの街、東ロンドンのホワイトチャペル地域はタウドリーの貧民街で、女性の無惨に切り裂かれた遺体が発見されたことに始まる…

1888年8月31日の夜、公娼メアリー・アン・ニコルスMary Ann Nichollsの遺体が発見された。この女性は残忍に切り裂かれて死んでいた。その喉は切り開かれ、胴体は内臓がむき出しになっていた。この女性が今では伝説の殺し屋「切り裂きジャック」の五人の被害者の最初であった。

所謂「切り裂き」殺人はロンドン首都警察隊の管轄となり、フレデリック・ジョージ・アバーライン捜査官が担当となった。

このフレデリック・アバーラインの日記がこの未解決殺人事件発生後約70年もの間日の目を見なかったことに注目することは重要である。日記帳は、「エディ王子」と言う名前で知られていたクラレンス伯アルバート・ヴィクター王子の美術の先生、ウォルター・シッカートの手に渡っていた。

エディはアルバートエドワード皇太子(後のエドワード七世)とアレキサンドラ王女(後のアレキサンドラ皇后)の間の長子で、つまり時の女王ヴィクトリアの孫で、将来の英国王ジョージ五世の兄にあたった。であるので、彼は王位継承権第一位の筈であった。

不幸にも、何世紀にも亙る王族の血族結婚により、エディは耳が不自由で、その知性も平均をずっと下回るものであった。彼は従って多くの冷たい王族から避けられて居た。

時の君主ヴィクトリア女王は、その時代の男性王族すべて(今でもそうであるが)と同じようにフリーメーソンの大きな支持者であり(金銭的)後援者であった。実際、ザクス=コーブルク=ゴータ家*(当時の王朝)はイルミナティの創設者アダム・ヴァイスハウプトの初めに資金後援した。ヴァイスハウプトは実はバイエルンの町ゴータで生まれ育った。
*1901年から1917年まで英国を統治した王室の名前

英国の王宮にはメーソンのロッジが複数あり、最も重要なものはケンジントン宮にある王立アルファロッジと思われる。1885年にエディ王子は、父の要望で王立アルファロッジに入会した。

 

エディ王子

メーソンの結社員であるのと同様に、エディは、ロンドンのクリーヴランド街にあった同性愛者-小児性愛者用売春宿の常連「客」であり、そこで雇われていた若い男に一連の露骨なラブレターで無分別にけしかけていた。

よく知られた悪魔崇拝者のアレイスター・クロウリーはこれ等の手紙を長年手に入れていたが、結局のところ、失った、と言うよりも恐らく滅却した。

エディはまた若いアイルランド系のカトリック「平民」のアニー・エリザベス・クルックと言う女性を身ごもらせた。

エディは、愚かにもこの女性と秘密の教会儀式で結婚し、これが、実際のところ、彼を国王にすることを禁じることになった。何故なら、英国の王族はカトリック教徒と結婚することは許されて居なかったうえ、そうでなくても平民との間に違法な子供をつくったのである。

1883年、エディの母親のアレクサンドラ王女は、若い画家のウォルター・シッカートに依頼して、エディにロンドンの美術と文学活動の手ほどきをするようにした。

シッカートのアトリエはクリーブランド街15番地で、北ロンドンのトットナム・コート街近くであった。彼は十代の王子を自分がライセウム劇場の一員だった頃に作った劇場仲間を含めたその地域の多くの「放浪癖の」人種に正式に紹介した。

シッカートはまたエディに自分の(絵の)モデルの一人でアイルランドカトリックの、近くのクリーヴランド街6番地に住んで、昼間はその地域の煙草屋で働いていた若い美人女性、前述したアニー・クルックを紹介した。

二人は互いに恋に落ち、シッカートによると、二つの秘密の結婚の儀式、英国教会とカトリックのものをした。その後すぐにアニーは身重になり、彼女の雇用者は彼女が監禁されている間の代わりの人間が必要となった。

ウォルター・シッカートは、誰か適当な人が居ないか尋ねられ、友人と相談後、メアリー・ジェーン・ケリーと言う、ホワイトチャペル地区にあるプロヴィデンス・ロウ女性夜間保護施設から若い女性を見つけた。

何か月か、メアリーはアニー・クルックと煙草屋で一緒に働き、友人となった。予定通り、1885年4月18日にアニーはエディの娘、アリス・マーガレットをメリルボーン救貧院で出産した。

彼女が家に戻ると、その新たな友達となっていたメアリー・ケリーは赤ん坊の子守役として越して来た。メアリーはまた、その僅かな収入を補うために夜は売春婦として働いた。

当然のことながら、エディは、大きな王制の危機を惹き起こす自身の「不法な」結婚で支配層を完全に激怒させた。そこで、何時ものように、君主制は巨大な隠蔽工作を開始した。

アニーは働いていた店から誘拐され、同時にエディはバッキンガム宮殿に幽閉された。

幸運にも、最悪の事態を考えて、アニーはロンドンのガイズ病院に強制的に連行される直前に、子供のアリスを身の安全のためにウォルター・シッカートに手渡した。

彼女はその病院に五か月間留まり、その間に女王の個人的主治医であるサー・ウィリアム・ガルが彼女に部分的前頭葉切除を行い、つまり実際には彼女を素直で従順にして、この非人間的怪物どもに容易く扱えるようにした。

ガル医師により、正気を失ったと認定されたアニーは残りの人生を施設で生活し、晩年をチェルシーの聖ジョージのユニオン救貧院の精神病者観察病棟で過ごし、1920年の初めに57歳でひっそりと亡くなった。

 

メアリー・ケリーの恐喝

そこで事件は終わるはずであったが、メアリー・ケリーの貪欲は収まらなかった。ホワイトチャペルに戻るとメアリーは、その地域の他の三人の売春婦と友達になり、その三人に自分の「王室との繋がり」のことを自慢していた。1888年の春、この四人は、話を公表すると脅して、ウォルター・シッカートにカネを要求する計画を立てた。

彼女は、実際自分が王族を恐喝しようとしていることも、フリーメーソンの繋がりのために、自分が、文字通り何物にも止められない、地位の高い人々の「保護」を受けながら罪に問われず殺す手段を持って居る精神異常の殺人者の集団に、自分の要求を受け入れさせようとしていることも、充分理解していなかった。

シッカートは、エディに即座に伝言し、エディは父親(英皇太子)に報せた。皇太子はこの脅威について、極秘で王立アルファロッジの信頼できる仲間のメーソンと話し合った。ロッジでは「親王たち」として知られる王族のメーソンによる特別な会合が準備された。彼らは、その大胆さに対する懲罰として、またメーソンの血の犠牲として、文字通り不幸な女性を追い詰めて殺す「追跡(狩猟)班(Hunting Party)」を形成することに同意した。

「追跡班」は王立アルファメーソンロッジから専ら選ばれ、サー・ウィリアム・ガル、エディの前のケンブリッジ大学の教官、J・K・ステファンとロンドン警視庁の長官、サー・チャールズ・ウォレン(殺害には積極的に参加しなかったがその計画遂行を手助けし、隠蔽工作をした)。彼らの愚かしい仕業の運び役として、以前にエディ王子の王室への無思慮を告げ口した御者、ジョン・ネトリーを採用した。(当時は馬車が移動手段)

ウォレンは警察での特権的な地位を利用して、女性たちの所在に関する情報を提供した。サー・ウィリアム・ガルは阿片を注入したブドウを準備し、それは、卑劣な行為が最小限の手間で行えるように犠牲者に提供されるものであった。

馬車の御者で特に卑劣な人物であるジョン・ネトリーが「逃走馬車の御者」になるように手配された。「見張り」はヴァージニア・ウルフの従兄弟で、王室と繋がりのあるもう一人のメーソンであるJ・K・ステファンであった。殺害は、詮索好きの目を避けて、ガルの馬車の中で行われる計画であった。

注目すべきことは、殺人が、キツネ狩りと似通った、メーソンの儀式によって、複数の人間で計画され、実行されたと言う犯行の手口が、アバーラインの日記で確認されていることである。これらは決して明るみに出ることが許されなかった事実である。

 

首謀者

そこで、この殺人ギャングの首謀者は誰であったか?著名なフリーメーソン、印度国務長官、下院指導者で大蔵大臣、ランドルフ・スペンサー・チャーチル卿、後の首相ウィンストンチャーチルの父親を措いて他には居ない。

チャーチルは工作全体の背後の「頭脳」であったのみならず、ウィリアム・ガルの巧みな外科医の腕が内蔵の切除をしている間に、メーソンの記章と記号を犠牲者の遺体に刻んだことにも個人的に責任があった。

暗殺者は脅迫者の居場所をウォレンからの「内部情報の」手助けで発見するのを手始めに、そこから組織的に処刑を計画した。儀式的殺人の騒ぎは1888年8月31日にメアリー・アン・ニコルスを最初の犠牲者として始まり、9月8日のアニー・チャップマンの殺害まで続いたのであった。

女性はそれぞれ順に馬車の中に誘い込まれ、そこでヒラム・アビフの殺人者である三人の「ジュウェスJuwes」即ち、ジュベラJubela、ジュベロJubelo、ジュベラムJubelumが古代メーソンの伝説の中で処刑された儀式的手法で殺害された。女性たちの喉は「切り裂かれ」、胴体は引き裂かれ、その内臓は「左肩」に「投げ掛け」られたのであった。

9月30日には更に二件の殺害があったがその夜は事は順調に運ばなかった。その夜の最初の犠牲者であるリズィ・ストライドLizzie Strideを犯人がバーナー街で投棄しつつあるときに邪魔が入り、儀式切断を完了する前にその遺体を放棄しなければならなかった。

さらに驚くべきことに、その夜の二人目の犠牲者、キャサリンエドウズCatherine Eddowesは、シッカートによると、人違いで殺された。気の毒に、キャサリンジョン・ケリーと言う男と生活していたことがあり、その苗字をよく使っていて、その為に恐喝者の筆頭であるメアリー・ケリーと人違いされたのであった。

その間違いは、殆ど犯行集団の破滅に繋がるものであった。これが工作の最高潮の時であると信じて集団はキャサリンの遺体をそれまでの犠牲者の誰よりも完全に切断し、マイター広場のメーソンの寺院の反対側でホワイトチャペル街の近くに、既に置いていたのであった。

彼らはメーソンの標語をチョークで近くの壁に書き、それを残忍な出来事全体の後書きとした積もりであった。警察官がその帳面に書き写していたその内容は次に示す通りであった:

「ジュウェスたちは、何も落ち度なく咎められた人間ではない。」

現場に到着したサー・チャールズ・ウォレンは、部下が大変驚いたことに、目撃者には殺人者の手で書かれたと推定できるはずの、そのチョークで書かれた碑文を、即刻洗い流して消すように命令した。その理由として彼は反ユダヤ感情の炎上を望まなかったためとしているが、シッカートは本当の理由は、その伝言が「猶太人Jew」ではなくメーソンの伝説の「ジュウェスJuwes」を指すことを余りにも多くの内情を知る人間が認識し、従って殺し屋をフリーメーソンと識別するためであると示唆している。

この失態の後、一月以上もの中断があり、それは最も長い殺害の間隔で、その間、犯行集団は本物のメアリー・ケリーを探す努力を倍加した。一方で、殺し屋のフリーメーソン、そして王室との関係の噂が高まり続けた。メアリー・ケリーが遂に見つかったのは11月9日になってからであった。もう一度馬車を使うのは今は危険すぎると見做されたため、彼女はドーセット街の自身の宿泊場所で殺され、仲間の恐喝共犯者の誰よりも血生臭く切断され、喉は切り裂かれ、体は残酷に切り刻まれ、腸は、儀式に従って部屋の周りに配された。

メアリーがまだ生きている時に最後に一緒に居た人物を警察が描いた絵が存在し、これには、ランドルフ・スペンサー・チャーチル卿自身に外ならない、不思議な類似性がある。勿論、この手がかりに限っては、メーソン支配下で運営されるロンドン警視庁では決して追跡捜査をされることはなかった。

更にアバーラインの日記によると、J・K・ステファンは警察に行き、全てを自白して罪滅ぼしに警察に身柄を委ねたが、勿論、逮捕はされず、ステファンは起訴されることなく釈放された。アバーラインは、警察の不作為と隠蔽に嫌気がさした直接の結果として、警察での職を辞し、程なく引退した。確かにロンドン警視庁には、真実が明かされることを防ぐために永久に封印された書類が未だ存在するのである。

 

結論

エディ王子は、妻が脳葉切除されたことを知って精神崩壊を来たし、それ以後二度と立ち直れなかった。

シッカートはアニー・クルックの誘拐の報道を聞いて国を逃れ、赤ん坊のアリスを保護するために、フランスのディエップに住み始めた。アリスが成人すると、ウォルター・シッカートと恋人になり、次いでジョセフ・シッカートと言う名前の子供をもうけた。そのジョセフ・シッカートがアバーライン捜査官の日記を父親から受け継いだ後、50年もの間、公開されることなく持って居た。

これが、本人から直接聞いた、切り裂きジャックの本当の話である。この事実は現在の支配階級に知られるべきであるが、いつも乍ら、彼らは真実が知られるのを防ぐために一致団結するのである。殺人者の身元に関する多数の理論、それに、果てしない「真実」の追求を描く多くの映画やドキュメンタリーやテレビ番組も、エリートのいつもの手口がそうであるように、犯人を守るためにエリートによって引き起こされた意図的な混乱から生みだされたものである。これは、これらの気狂いが我々すべてに過去の出来事と今存在する現実両方に関して完全に歪んだものの見方を提示するのが如何に簡単かを示す極ちっぽけな一例なのである。

この残念な事件の更なる(負の)遺産は、スペンサー家に対する見返りが、ランドルフ卿の息子(ウィンストン・チャーチル)の首相としての二期であり、二世代後のダイアナ・スペンサー令嬢は将来の国王チャールズ三世の妻となり、そして将来の国王ウィリアム五世とその弟ハリーの母親となったが、彼女がその「後継ぎとその予備」を出産すると、万人が知るようにただ棄てられただけであった。1997年、彼女は残酷に、そして儀式的にパリで自身を殺害したのであった。

                2011年頃 ジョン・ハマー

文明のアイルランド起源 HPより24「メーソンと猶太キリスト教に於けるドルイド教の記号」(完)

結論

ドルイドの体制において実際に中心で、そこから世界中の領域の公民に聖職とその知識が拡散された、それは政治家、立法者、聖職者、医者、弁護士、教師、詩人であった。すべての人類と神の知識の蓄積、その教会と議会、その裁判所、その医学と外科の学寮、その執行官、聖職者、司教であった。」
―R・W・モーガン著「ブリテンの聖パウロ

 

文明の様々な要素が西方から東方に拡がったと宣言する人は社会ののけ者と考えられる。これが過去ずっとそうであり、今日に到るもそのままである。そうのような者が勇気を出してその説の根拠を出すにも拘らず、その者は無視される。

公式に捏造された「歴史の話」はあまりにも深くそれに向き合うものの心に埋め込まれるのである。真実が知られたなら既得権益のある者や多くを失う者は、寧ろ、猶太教と基督教の慣習や記号の思想は一番最初から、ユピテルの額からミネルバが出てきたように、それらの原典からだけ突然現れ、他の起源はないと言うことを我々が受け容れることを良しとする。所謂「ベテルの石」は東方から西方にもたらされることが出来、誰もそれに疑問を持たない。しかしこの石が、その後に戻る前に、アイルランドに数千年もの間固定されていたと言うことは、学界の異端と同じことなのである。

首長が沙漠で石柱を立てるならば、首長が梯子で天国に昇る夢を見るためにその頭を石の上に載せるならば、或いは首長が神聖な饗宴に於いてその兄弟たちに盃を渡すならば、我々はそれを初めて為されることとして承認することになっている。我々はその思想が、特殊な儀式が何処から来たか、或いは、それが本当は何を意味するか、に疑問を持たないことになっている。たとえその首長が後に架空の人物であると証明されてもそれはその伝承とその預言者に特有で(あり、全体の話に関係はない)。事実は神話拡散者の山の下に埋もれてしまう。明らかに歴史の授業をして居る者達は歴史の教訓からは殆ど何も学ばないように心に決めているのである。

 

ラーマーヤナの数世紀後に書かれたマハーバーラタの中に、スヴェタ・ドゥワイパ、「白い島」のことが言及されている…メル山の北西の方角に中央アジアの神々と半神半人の住処がある…学者はこの謎の白い島に頭を悩ませてきた…ブリテンの島々はウェールズの人々からイ・ウェン・イニスY Wen Ynys、つまり「白い島」と呼ばれている。ケルトの作家によると聖なるグラアル、つまりSanct Grealは白い島に…イングランドのどこかにもたらされた、と言われる。」
―ドロシア・チャプレイン著「物、神話、霊、或いはケルトとヒンドゥの繋がり」

 

「コロンバによってコロンバ自身の社会のためにドルイドの社会が追放されるまでイオナには確実にドルイド教の学寮があり、高地地方の者は未だそれをドルイドの島として認識している。古い統計的作品は「キリスト教が導入されるまで、ドルイドは疑いなくイオナを持って居た。」と言う。カルディー人[1]ドルイド[そしてエッセネ?]が着ていたように白い着物を纏い、しかも彼らにはドルイド教の世評があった。彼らは今では聖アンドリューの十字架と呼ばれる、アジア的十字架を使った。注目すべきことにアイルランド語版の聖マタイの福音書には「東方から三人の賢者が来た」と言う文が「ドルイドが東から来た」になっている。同じように旧約聖書出エジプト記7-2の「エジプトの魔法使い」が「エジプトのドルイド」になっている。」
[1]英語から翻訳-カルディー人は、中世のアイルランドスコットランドウェールズイングランドの禁欲的なキリスト教修道院と人間社会のメンバーでした。

―ジェームス・ボンウィック著「アイルランドドルイドと古代アイルランドの宗教」

 

「モクテスマ2世(Montezuma)は言った。『長い間我々は祖先の書いたもので知らされて来たのだが、私自身もこの国に住んでいる者の誰もが土着ではなく、異国の一部からここに来たったよそ者であった。同様に我々はわが民族が(我々が臣民であったところの)ある首長に導かれ、その後、首長は故郷に戻り、そこであまりにも長く居残り、戻って来るのが遅れたため、ここにきて彼に置いてきぼりとなった者がこの土地の女性と結婚し、その間に多くの子供が出来ていて彼等自身の街を建てて住んでいたので、決して自分たちの故郷に帰ろうとしなかったし、また首長をそれと認識することも出来なかった。そこで首長は彼らから去った…そして我々は彼の子孫の間でこの国と我々を当然の臣民としてきっと服させることになるだろうといつも信じていた。さて、貴方がそこから来たというその地域、それはそこから太陽の昇るところで、貴方をここに遣わしたこの偉大な王様で支配者の我々に伝える知らせを理解すると、我々は彼が我々の当然の首長であると信じ、確証する。特に貴方は彼が我々のことを長く知識として持って居たと言うので』」
―コンスタンス・アーウィン著「公明正大な神々と石の顔Fair Gods and Stone Faces」

 

惜しいことに、幾世代にもわたり、記号と文化思想の東方から西方への民族移動の虚偽の話が学界と知識人の大半によって事実として受け容れられて来たのである。

それはまた、ラビや聖職者や牧師によって伝えられたことを全てホイホイ受け容れるように訓練された大衆により「丸ごと鵜呑みに」受け容れられた。彼らは、イスラエルの十部族、エレミヤ、預言者使徒、それにその他の人物の東から西への移動について彼ら用に捏造された話を信じるのである。この「ブリティッシュ古代イスラエル人」によって提起された理論はある点で真実である。それは、ドルイドが東方への旅をした後で、彼らの高尚な霊的認識が世界の広範囲にわたる文化に吹き込まれた後の比較的歴史上遅い時期に起きた移動を指す。世界の犯罪家系は彼らの下の階層に、西洋世界の旗、襟飾り、建築、政治や宗教の記章に見いだされる多くの記号が猶太人預言者とその従者の西方への移動の結果であると信じさせたいのである。

 

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気狂いで極端な自己中心主義者であったウィンストン・チャーチルは1908年の8月15日にブレナム宮殿で古代ドルイド結社のアルビオン支部に入会させられた。チャーチルは貴族のスペンサー家の一員であった。彼の祖先はマールボロ公爵であった。チャーチルの父親、高位フリーメーソンランドルフチャーチル卿は、あの悪名高き「切り裂きジャック」連続殺人犯の裏の原動力*であった。その政治経歴と二度の英国首相の任期を通してウィンストン・チャーチルは、父親のフリーメーソンの「アルファ・ロッジ」の彼の上役(棟梁)が命令する通りを従順に正確に実行したのである。(詳しくはこちら:http://www.femaleilluminati.com/article-4.html

*当時の皇太子エドワード(後のエドワード7世)とヴィクトリア女王の孫アレクサンドラ王女との間の長子・エドワード王子の醜聞を隠蔽するために、フリーメーソンの大棟梁の命令で警察も巻き込んで行われた犯罪であったことが、エドワード王子の醜聞の全てを知っていたウォルター・シッカート(Sickert)の息子・ジョセフ・シッカートが父親から相続して持って居た当時のアバーライン(Abberline)捜査官の日記から明らかになった、と言う情報が1990年代から出回っている。―燈照隅(これについては、上記のリンク以外にヘンリー・マコウHenry Makowの記事を近日ご紹介します。)

 

然しながら、一度「猶太」と言う言葉によって意味するものを知ると、我々は神話拡散者を黙認することに終止符を打つのである。我々は彼らの巧みに考案した物語が貧困に打ちひしがれた奴隷についてではなく、超裕福なファラオと「古代イスラエル人」、「ヘブライ」、「猶太人」の称号を持った同盟についてであることを認識するのである。

何れにしても有史以前に西方から東方への民族移動があったこと、そしてそれは世界に文明の要素を送り届けた西方の旅人であったことを疑わないようにしよう。古代の伝統の中には西方の國に巨石文化の先人とその子孫により、或いは真実の僕(古代のドルイドのこと)の破壊を画策したその他の者により、西方に戻されたものもあるが、その真実の僕の存在と重要性は殆ど完全に忘れ去られたのである。

 

世界に対抗する真実

 

※今回で「メーソンと猶太キリスト教に於けるドルイド教の記号」のホームページのご紹介は完結です。引き続き、「女イルミナティ」に関する記事をご紹介したいと思いますが、未だ訳が出来ておりません。(とても筆が遅い質で、もうしばらくかかります。申し訳ありません。)

また、出来次第、公開したいと思います。宜しくお願い致します。 ―燈照隅

 

 

文明のアイルランド起源 HPより23

獅子と鷲

秘教主義の結社と特にアテン信仰者に最も悪用された記号の一つは獅子の記号である。この記号は、それが猶太キリスト教の王家の背後で動いている支配者アテン信仰者を表すので、今日では普く国家の記号である。

 

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猶太の部族の獅子―アテンのカルトの主要な寵児。ユダJudah(Yahudから)と言う言葉は、「後継者Heirs」を意味する。獅子はヘブライ語では示唆的にアリAri(アリアン)である。

 

 

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アクエンアテンとアテンのカルトの子孫に使われた、普遍的「国家」の印

 

 

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聖マルコの獅子―バチカンヴェニスの街で象徴に選ばれた。

 

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(獅子がモチーフの他の例)

    

      

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左:ニューヨークの国際関係(CFR)の本部の玄関は、太陽光線と獅子の頭があしらわれている。細かいことであるが重要なことは、この明らかにアテン信仰者の記号がダウニング街10番地の英国政府の本部のドアにも使われていると言うことである。

 

 

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CFR本部(ハロルド・プラット・ハウス 燈照隅追加画像)

  

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ダウニング街10番地(燈照隅追加画像)

この得体のしれない、印象的な記号に関する真実は語源学的証拠により明かされる。エジプト語で獅子はアルAr或いはアリAriである。この言葉とアリアArya或いはアリアンAryan(我々が示すように、人種でなく階級 ―霊的階級― を指す)は殆ど違いがない。それは単純に知的な、神秘主義的な社会的地位を表す。古代に於いて最高の階級は世界中に存在した偉大なドルイドの学寮を卒業した者であった。可能性として獅子の像は、牡鹿(エジプト語でAyirである)や鷲同様、そのような学寮の建築物を飾っていた。我々には確証は持てない。何れにしても獅子の記号は純粋で高貴なものを表した。付け加えて、エジプト語で英雄は獅子に似ている。それは、aaraarであり、その発音は「アリア」や「アリアン」に似ている。古代アナトリア(トルコ)のヒッタイトはアリアンであったが、「鷲の街」として知られる首都があり、その主な特色は巨大な「獅子の門」であった。

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ヒッタイト帝国首都の獅子の門(燈照隅追加画像)

 

 

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女神バラタナBaratana(ブリタニアブリテン)とアリアの獅子。「スウェーデンSweden」はSveaから来た語で、それはバラタナのようによく王座の傍らにアリアの獅子と共に座像が描かれる守護の女神の名前である。

 

 

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アイルランドの神話では若い太陽王ルグLugh(獅子)が馬で駆けだして自分の人々を守ろうとフォモリアンFomorianの巨人である悪の目のベーラーBalorに立ち向かった。ルグは戦うために馬で駆け出しその光の放射のために集結した軍隊は太陽が西から昇ったと思った。ヌアダNuadaの助言者で、力持ちのルグの称号は「すべての技術の親方」と言う意味のSami-Ildanachであった。ベイラーに向かって馬を進め、ルグは相手の巨大な敵を投石器(ぱちんこ)で撃った石で殺害した。このルグの話はユダヤ教の起こりより遡り、完全に後の神話拡散者が、ブリテンとローマでいと高き王座に居るセト-アテン信仰者の命令で物語に取り組んだ剽窃の偏向を描き出す。彼らが書き直した改作はダビデゴリアテの話としてサミュエル記に伝えられ、現れる。真実はそれでも、我々がゴリアテの名前がGathやGothの崩れたものと気付き、所謂ペリシテ人が丁度それ ―つまりその地域に千年も住んでいたゴート族の-アリアンであると気付けば、一瞬見えるのである。(詳しくはこちら:http://www.irishoriginsofcivilization.com/l-a-waddell.html

 

 

ルグはアイルランドの偉大な獅子であり、偉大な英雄であった。ロンドンの聖パウロの聖堂はルグの一番の神殿の上に建てられた。ロンドンの名前はLLud’s Dun、つまりルグの町から来ている。ロンドンのラッゲートLudgateは今でも太陽王の名前を崩れた形で残している。ウェールズでは彼はLlewで、Lugos、Lugal、Llud、Lew、Lewis、Lui、Louisなどとして世界中でも知られている。彼は明確にアーサー王伝説のサー・ランセロットSir Lancelotの背後の霊感であった。霊的に彼は神聖な言葉で神の意志であり、真直ぐな槍か剣のように前に進む、Logosを表している。ルグは悪の力に立ち向かって勝利するすべての大胆で若い英雄の原型であった。(ルグの伝説はこちら:http://www.sacred-texts.com/neu/celt/cml/cml11.htm

ルグはギリシャヘラクレスとヒンドゥの英雄サヴィター・プルトゥパニSavitar Prthupani(大きな手の神)とユディシュティラ(ヒンドゥの左利きの射手)に類似している。そして、旧約聖書のサウルもまた大まかにルグを土台としていると信じられる。サウルはもう一人の槍投げであった。エジプトのファラオもまた獅子の狩人で槍投げであったと言う着想はアイルランドのルグの神話が土台であると思われる。ファラオは、戦争、熟練、狩り、太陽に密接に繋がるこの神に関して自分達を様式化したように思われた。

 

「地上には、パンドゥ*の息子、至高の武器の達人、左利きの射手のような戦士はいない。ガンディヴァの天の戦車では弓弾きは神々に護られる。誰も彼を倒すことは出来ない。汝の心を戦争に向けてはいけない!」
*インドの叙事詩マハーバーラタ』に登場するクル王の名。
―「ヴェーダ

 

ルグの聖職者の構成員は良く集まり、恐らく中東、バビロニアから遠からずのところに住んでいた。彼らは古代カルデア人Chaldeansやアモリ人Amoritesと関連していたかも知れなかった。何れにしても彼らの存在は旨く隠された。彼らがレウィアンLewians或いはルヴィアンLuvians―元々のレヴィ族Levitesであった。後のユダヤ教が引き出した思想の全て、でなくても殆どがその外観や脚色に関係なく、彼らの伝統からであった。(彼らは旧約聖書に所謂シロナイトShiloniteの聖職者として登場する)

 

アメリカと世界に於けるドルイド教の記号

「デイヴィース大尉とフリントシャーのハウコードンのロバーツ中尉を拠りどころとして、ウィリアム・ペンの日誌の中のMS.の書き込み?から、有名なオーウェン・ピュー博士Dr. Owen Pugheに集められた証拠から、イリノイ、マドカウテ、パドウカス、マッドインディアン[1]の部族はウェールズ語を話したこと*がわかっている。」
―W・ウィンウッド・リーデ著「イシスの仮面」
[1] Mud Indian:泥のインディアンはミスリー川が氾濫したときだけカヌーで現れたことからこの名がある、現在のフィラデルフィアの北西1300キロに住んでいたと言われる部族で一般的にAsguaws又はAsguaw民族と呼ばれた。
*アメリカ原住民がウェールズ語を話したことと呼応する「マドックの冒険」なる伝説がウェールズにある。その伝説によると、12世紀後半父王の死後混乱したウェールズを去って海の向こうに平和の國を夢見たマドック(Madoc/Madog)が長い航海の末にアメリカに渡り、移民となる人々と共に働き、町を作り、住み心地良い環境を作った。しかし、マドックはこの土地のことを故郷の人に報せるべきだと思い、幾人かの仲間とウェールズに帰り、今度は十艘の船に多くの男女と家畜・種などを積み込んで出港した。しかし、その後、マドックが帰ることはなく、歴史の中に消えてしまい、その後どうなったかは誰も知らない… これは、1838年発行のカナダの歴史と説明(History and Description of Canadas)と言う報告書にある長い脚註に載っている話を燈照隅が纏めたものです。

 

アイルランド人のアメリカに渡ったことや、コロンブスの時代を数世紀も遡る米大陸との常習的な通信があったことに関する伝説や伝統は数多くある。我々は心して、アイルランドフェニキア人に植民地化されたことを思うべきだ…8世紀に生きたアイルランドの聖人ヴィジャイルVigileが反対側の土地の問題について異端を唱えたことで教皇ザカリーに非難された。最初のうち彼は手紙でその告発に対して教皇に返事していたが後にはローマに自分で出向いて自身を正当化し、教皇アイルランド人が大西洋を隔てた世界と連絡することが習慣になっていたことを証明した。」
―イグナティウス・ドネリー

 

数多くのキリスト教徒と猶太人がアメリカが「新しいイスラエル」であると信じている。メーソン結社は特にこの神学的考えを広めることを好み、今日では教会の説教壇から、勿体ぶって話す福音伝道者とその知識の及ぶ範囲で詳しく説明されるのである。著者が示すように、「イスラエル」は単なる暗号である。それは元々はエジプト、アイルランドパレスチナ、そして世界の賢者の星の神秘の高い秘伝を受けた人物を指した。その後その言葉は、その子孫が聖書を書くことを(聖書を実際に書いた部族に)委ね、古代の歴史を書き換えて自分たちの起源を隠し、同様に古代の様々な国家民族や部族や宗派も隠してしまうために(聖書を実際に書いた部族に)資金提供した所のアテン信仰者の宗派(カルト)に取り入れられた。

 

 

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楯と旗の13の条(縞模様)は最初、ラッセル財団と悪名高きスカル・アンド・ボーンズ秘密結社の援助の下に合衆国で運営された英東インド会社により使用された。(これについて詳しくは、アンソニー・サットン、ジョン・コールマン博士、ユースタス・マリンズ、G・エドワード・グリフィンの作品をお読みあれ。)

 

 

  

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左:合衆国国旗。右:英東インド会社の旗。赤・白・青の色は「王様の色」として知られる。つまり、合衆国は実際は英王家の領地なのであろうか?

 

 

アメリカ合衆国は矢とオリーブの枝をその鉤爪に持った鷲で象徴化される。セム系部族の民族移動の公式な話を買いかぶる学者にとってはこの記号はマナセの猶太部族がその由来である。一ドル札の鷲の頭の上にはダビデの六点星がある。「キャンプ・デービッド」と言う言葉は古代イスラエル人又はアテン信仰者の記号の正典から来ている。

英国の王や女王がその上で戴冠式を行う戴冠式の石は、(預言者)エレミヤJeremiah自身と共に英国に来た、と考えられており、それは、梯子を上って天国に行く夢を見たヤコブが寝ていた、と言うべテルの石以外の何物でもない。英国の王と女王はダビデ王の家の管理者として統治すると言われ、「ダビデの種」と言われる。英国女王の矛に現れ、ビザのクレジットカードの飾りに現れる鳩もまた、鳩が記号であるダビデの家(Doved)を指すものである。

ローマの枢機卿たち、それに教皇自身がヤムルカ(猶太のフチなし帽)を冠っている。昔日の修道士は髪の毛を剃って剃髪するか、輪状にして彼らの秘密の神セト(土星)を表した。現代の聖職者たちも今でも黒い着物に首の周りに白い襟を着けてセトの輪を象徴している。(猶太人の土曜日つまりSaturn’s Dayを拝む。)

キリスト教美術に於いて我々は「光輪」が太陽を表しているのを見るが、それはまた土星の輪をも表わす。教会の鐘は参拝の合図に鳴らされる。然しながら鐘(Bell)の言葉はバールBa’al或いはBel、古代世界を通じて崇拝された古いフェニキア又はアイルランドの神から来た。

 

 

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ドルイド教月桂樹の葉の飾りを持つ国連の旗。オーク(樫)の葉のように、月桂樹はドルイドには神聖であった。オーク(樫)の葉の意匠は合衆国の(大統領執務室の)オヴァル・オフィスのカーペットやあらゆる主要国の軍の記章に見いだされる。合衆国騎兵隊はオークの実と交叉した剣を纏った。ナチスは三つのオークの葉の意匠を使った。仏露の士官はオークの葉の飾りを襟や帽子に現わした。

 

 

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ソビエト連邦の「共産党」の旗。この旗はメーソン(或いはドルイド)の記号を示す。ハンマーはソビエトの造船所のハンマーではなくソビエトの社会実験の担当をするフリーメーソンの領土のものである。それは有名なメーソンの槌である。それと小鎌、それも貧農の小鎌ではなく現代メーソンのそして古代ドルイドの小鎌である。星はメーソンの五芒星。赤の背景もまた示唆的である。

 

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ソビエトの小鎌はまた、「G」の文字の様式化したものである。

 

 

 

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米国マサチューセッツ州の全米メーソン本部の壁画。ハンマーと定規(様式化された「G」)とアテン信仰者の太陽光線に注目しよう。

 

   

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ユニオンジャック」(ヤコブから)―ヤコブは神により「イスラエル」と改名されたことになっており、12部族の父であった。然しながら、ヤコブは、 ―ダビデやソロモンのように― 太陽を表す。幼児の歌に「jack be nimble, jack be quick, jack jump over the candlestick」と言うのがあり、これは太陽が天の極を過ぎることを指す。ジャックとジルが「丘を登って」行くと言うのも同様で、暗号的に太陽(Jack)と月(Jill)が黄道の北側の弧を過ぎて秋と冬に「落ちてFall」行くことを指す占星神学の道具である。英国の「ユニオンジャック」は実際には「ヤコブ」の(連合)、であり、太陽(或いはアテン信仰者)の連合を意味する。この旗の記号は第二巻の第41章「緋色の糸」でもっと網羅的に探究している。
(こちら:http://www.irishoriginsofcivilization.com/chapter-forty-one.html

 

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アルスターの旗(北アイルランド) ―ダビデの星、王冠、赤い手があしらわれている。これらは悉くドルイドの記号であり、猶太のものではない。エジプトの専門家ラルフ・エリスはこの赤い手は、お決まりの赤い手袋を着けるのが好きであったアテン信仰のファラオアイAye(またはAya)が土台である、と主張する。我々はこの考えに同意する。何故なら、アテン信仰者は、アクエンアテンの追放後、所謂「ミレシアン」つまりミルの子供たちの形でアイルランドに到達しなかった。ラルフ・エリスによると、赤い手は、アクエンアテン、スメンクカーラー、ツタンカーメンの王位の裏の智嚢であったファラオ・アイの個人的な記号である。

 

 

 

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新しいEUの旗。12の星が青の地にあしらわれている。明確に黄道の記号である。EUの長が加わり、ウィンザー王家とそのヨーロッパの同類(ゲルフGuelphやザクセンコーブルク・ゴータの家)に支配された國、ベルギーのEU本部の13番目の席から職務を行う。13はアテン信仰者の龍の宮廷の数字である。

 

 

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所謂「ダビデの星」或いはもっと正確にはダビデ達の星、ダビデは複数形。元々、猶太教が起こるまでは六点星はアリアンの聖職者の記号であった。

 

 

多くのすぐれた本が公的・政治的分野に於いてオカルトシンボリズムの魅力的な課題について書かれて来たが悲しいことに多くがその(真実の)暴露に於いて充分な域に達していない。驚くほど危機的に、歪曲のための作品も継続している。今日の宗教界や政界に於いて、ドルイド教古代イスラエルの真実の話が決して普通の猶太人や非猶太人に確実に届かないように策謀している者が多く存在するのである。

 

文明のアイルランド起源 HPより22

 

チュートン騎士団

「地球上には、バチカン全体主義政治国家よりもよく組織された独裁体制が存在せず、そしてそれが何世紀にも亙ってあまりにも長く維持されて来たのである。その組織はキリスト教の名前をどのように使うかを洞察力を以て知って居り、そのようにして何百万人もの人々を混乱せしめ、騙すように、意志を以てキリスト教の価値観を表すのである。」
―ラファエル・ロドリゲス・ギレンRafael Rodríguez Guillén著「ヴァティカンの力」
*Monseñor Dr.Rafael Rodríguez Guillénはカトリックの聖職者で内部告発者。「Power of the Vatican」の著者であること以外、英語での本人に関する情報は極めて少ないようです。(燈照隅)

 

バチカン、新教と旧教、によって使われてきた記号はユダヤ教旧約聖書の所謂「ヘブライ人」に由来すると言うことが巧みに浸透されている。我々はそれがエジプトとアイルランドに由来することを聞かされない。新教の牧師たちは自分たちの宗教から異教の記号を排除しようとしてきたが、その努力はある点までしか出来ない。異教の記号をキリスト教から完全に消し去ることは、究極は、キリスト教を消すことになる。

ローマによって使われる記号の研究は結論として、カトリック教と異教の間には強い結びつきがあることを証明する。それはまた、ローマと様々な強大な秘密結社との邪悪な結びつきをも明かす。更に、それは我々にヒトラーのナチ党の本当の起源に関する洞察を与えてくれる。この様な研究はナチのキリスト教に対する想定されていた反感が、単に党員の大衆を騙すための見せかけであったことの証拠を提供してくれる。記号が明かしてくれるように、ナチ党とバチカンの秘密結社の結びつきは実際のところ非常に強かった。

 

バチカンがそのような投資を奨励し、ヒトラー自身にお金を寄付すらしたことは否定できない。ドイツ人修道女のシスター・パスカリーナ*はその現場に居合わせた。1920年代の初期彼女はバチカン-ナチの繋がりの大司教…当時のミュンヘン教皇大使であったエウゲニオ・パチェッリEugenio Pacelliの家事をしていた。シスター・パスカリーナは、或る夜、アドルフ・ヒトラーを迎え入れて、大司教ヒトラーに教会の大金を手渡す所を見たのを鮮やかに思い出す。」
*マドレ・パスカリーナ・レナート(本名ジョセフィナ・レナート 1894~1983)は、1917年に教皇ピウス12世がローマ法王庁バイエルン大使であった頃から1944年に教皇となり1958年に教皇として死去するまで、教皇ピウス12世の家政婦と書記を務めた。
―ロフタスとアーロンズLoftus and Aarons著「猶太に対する秘密の戦争」

 

 

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教皇の司教冠や他のカトリックの記号をあしらったチュートン騎士団の楯形紋章。楯の真ん中に黒い十字架とアテン信仰者の鷲が見える。楯の後ろには教皇の司教杖が剣と交叉している。武器は明確に戦争と征服がキリスト教の布教と生き残りの部分を成していることを明かしている*。(トカゲ連合Lizard Unionについてはこちらを:http://en.wikipedia.org/wiki/Lizard_Union_%28medieval%29

 

*近代の西洋帝国主義の象徴ですね。常に処女地を征服しないと生き残れない宗教なのかそれとも、チュートン騎士団の心意気を示すだけのものなのか? ―燈照隅

 

 

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チュートン騎士団の主な記号には黒い正方形と黒い十字架が白い背景又はチュニック(上着)の上に含まれている。

 

 

 

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黒い十字架を纏ったカトリックチュートン騎士団の小修道院長。

 

 

 

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アテン信仰者の太陽光線がカトリックチュートン騎士団と全く同じ黒い十字架の上にあしらわれたナチの鍵十字。(詳しくはこちら:http://en.wikipedia.org/wiki/Teutonic_knights

 

 

 

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ナチ党に使用された、黒い(鉄)十字と黒鷲と一緒にあしらわれた黒い十字架と鍵十字。

 

 

 

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ナチスは自身が反基督教で反ユダヤ教であると公言していた。然しながら、その記号は違う話を物語っている。

 

 

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聖なる木と古代ドルイド教を示す二本のメーソンの円柱とピラミッドと太陽光線を上にあしらったマルタ騎士団の本部の記章。ピラミッドの中のアテンの目はアメリカの一ドル紙幣にも見られるものである。

 

 

 

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マルタ騎士団の十字架を(首に掛けた)ヘルマン・ゲーリング。この騎士団の本部はバチカン市にあった。

 

更なる研究でチュートン騎士団ナチスの両方の記号はローマカトリック教だけでなくユダヤ教の由来であることが明らかになった。勿論、著者が指摘したようにキリスト教と猶太教によって使われていた記号はさらに古い起源がある。それがその意図をもって原型を失う以前はそれはドルイド教であった。

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 レヴィ族の法服の色と縞とナチの旗のものを比べて見よう。世界が関係する限りにおいて、ナチスと猶太人の間に宗教や思想的な繋がりはなかった筈である。しかし、ここでも再び著者が既述のように、公式の歴史(正史)は何層もの嘘に過ぎないのである。一度古代イスラエル人とレヴィ族がエジプトのアテン信仰のファラオであり、祖国を求める抑圧された卑しい大衆奴隷でなかったことを知ると宗教と宗教の記号がよって立つところの謎は説明されるのである。

 

 

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マルタ騎士団の十字架を着けたイタリアのファシストベニト・ムッソリーニ。気狂いでないもので着けていない者はない。

 

 

   

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戦時中とその後のラインハルト・ゲーレン。(戦前戦中は対ソ連諜報を担当する陸軍参謀本部東方外国軍課の課長を務め、戦後はアメリカに接近して協力と引き換えにナチス党政権下での活動追及を免れ西側陣営諜報機関の要員として厚遇された。)最初はナチの将軍でその後はマルタの騎士である。(詳しくはこちら:http://en.wikipedia.org/wiki/Reinhard_Gehlen

 

 

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何という驚き!反全体主義者で大の人道主義者である筈のネルソン・マンデラが同じ騎士団に所属している。これは、彼の聖ヨハネ騎士団への叙任式での写真ある。マルタ騎士団聖ヨハネ騎士団「病院騎士団」、チュートン騎士団、ロードス(ローズ)騎士団など、は強大な政治的経済的権力を持つ秘密結社である。

(詳しくはこちら:http://www.femaleilluminati.com/article-2.html

 

*聖ヨハネ騎士団はセント・ジョンとして英連邦では救急車が殆どこの団体の活動で運営されていますね ―燈照隅

 

 

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聖ヨハネ騎士団の団長を務める、マルタ騎士団の前団長、アンドルー・バーティーは、英国のエリザベス女王から5代遡った従兄弟の孫、或いは六代遡った従兄弟の祖父に当たる。そう、結社の扉の裏では宗教の宗派は何も意味しない。それは経済界の無知な強盗用である。バーティーは78代目の団長であった。彼は2008年に78歳でこの世を去った(詳しくはこちら:http://www.femaleilluminati.com/article-2.html

 

 

  

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大司教ショーン・オマリー。右はオマリーの楯形紋章にはロレーヌの十字架が一番上に示されている。シャルル・ド・ロレーヌ(ロレーヌ家の)は、公式には反カトリックと考えられている結社であるアダム・ヴァイスハウプトのイルミナティの初期の資金提供者であった。紋章には更にギザの三大ピラミッドに似た意匠が表されている。

 

 

   

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左:「教皇の銀のオリーブの枝」賞の授与。この記号は国連の旗、イスラエルの旗、世界のその他の国々の旗に見られる。その起源はキリスト教ではなく異教である。樹木は古代アリアンにとって神聖なものであった。右:オリーブの枝を持つアクエンアテンの手。今では有名な、近代アテン信仰者と彼らの世界支配の記号である。

  

 

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エルサレムの最高聖ヨハネ「病院騎士団」、ロードス、マルタ騎士団(最高マルタ騎士団(SMOM)として知られる、マルタ騎士団(Order of Malta或いはKnights of Malta)はイタリアのローマが土台のカトリックの結社である…。その二つの本部、ヴィア・デイ・コンドッティのパラッツォ・マルタ(ここでは大棟梁が住んでおり政府が会合する)とアヴェンティンのヴィラ・マルタ(ここは、ローマのグランド・プリオリーを主宰し、聖座(教皇)とイタリアへの結社の大使館の役割をする)には治外法権が認められている。
(詳しくはこちら:http://www.spirituallysmart.com/pics.htm
とこちら:http://www.andrewcusack.com/blog/smom/

  

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ローマからのカトリックの聖職者と高官がナチの敬礼をしている。教皇ピウス12世はヒトラーとの間に教皇の合意(政教条約)を結んでヒトラーの行動を大目に見た。
(詳しくはこちら:http://www.youtube.com/watch?v=KD_lBstvptE&feature=related

 

 

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後に教皇ヨハネ・パウロ二世となった、ジョセフ・ラツィンガーJoseph Ratzingerがナチの敬礼をしている。確かに、聖なる人である(念のため)。

 

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ナチスドイツの副首相、フランツ・ヨーゼフ・フォン・パーペンは、マルタの騎士であった。彼は教皇や多くのバチカン高官に近かった。戦争が終わったとき、彼は、ヘルムート・シュラクト、フォン・ティッセン、ラインハルト・ゲーレン、ヴェルナー・フォン・ブラウンらのように、戦争犯罪で告訴されなかった。

「第三ライヒは、教皇制度の原理を認めただけでなく、実行した最初の國であった。」―フランツ・ヨーゼフ・フォン・パーペン

 

文明のアイルランド起源 HPより21

 

示唆的記号(続き)

(聖ヒエロニムスと獅子)

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ヒエロニムス(Jerome)はキリスト教会初期の聖人であった。彼は347年にダルマチア(現クロアチア)の近くで生まれたと称される。歴史家の中には彼がイリュリア人であったと信じる者もいる。彼の歴史的名声は聖書のラテン語訳から来ている。聖ヒエロニムスの聖書はウルガタ聖書として知られるようになった。彼は外にも膨大な量の神学の作品を遺している。ヒエロニムスはバチカン東方正教会(両方)から聖人と考えられている。彼はローマで勉強し、改宗後、非常に信心深くなった。彼はそのキリスト教徒の聴衆に、信仰を無くして宗教的不道徳の人生に戻ると(あとで)待っている地獄の恐ろしさについて多くを語った。実際、ヒエロニムスは明らかに死と地獄に取り憑かれていた。フランスとシリアに住んだのち、最後に彼はより禁欲的になった。彼はシリアのハルキスChalcisの砂漠にある隠修士の集団に加わった。そこにいる間、彼はユダヤ人の改宗者からヘブライ語を習った。その晩年、彼はパレスチナに赴き、洞穴で生活した。彼は後に教会によって翻訳者の守護聖人と考えられた。

後の時代の多くの有名な芸術家がヒエロニムスをその書いた本と書き物に囲まれた一人ぼっちで洞穴に暮らす禁欲隠遁者として描いた。美術作品の中では彼の象徴としてローマ教会の枢機卿の位を示す赤い帽子或いは外套、明確に禁欲主義と生死の謎についての熟考を表す骸骨、十字架、学ぶことを表すフクロウ、獅子が含まれた。

中世にでっち上げられた外典の一つによると傷ついた獅子がヒエロニムスとその兄弟たちが住んでいた修道院に辿り着いた。この風変わりでありそうもない説明は、獅子が占星術の太陽の家である獅子座だけでなく、アクエンアテンと他のエジプトのファラオの高位の神祇官枢機卿)の記号でもあるため、興味をそそられる。エジプトの文脈では獅子はよく知られた王家の記章であった。

十字架と獅子とヒエロニムス

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示唆的記号(続き)

戴冠式の椅子)

國王の戴冠式の椅子の歴史は長くてここでは語れない。少しだけ言及できるとすれば、エドワード王の椅子はアイルランドからスコットランドを経て盗まれたものであった。それは最初のアテン信仰のミレシアンのアイルランド王*がタラでの戴冠式の後に座った椅子であった。伝説によると、その椅子は聖なる「Falの石」つまり「石の石」の上に鎮座しており、偽りの王が権力の手綱を掴もうとすると叫んだと言われる。アテン(太陽)信仰者の記号はこの椅子の意匠に明らかである。それは四頭のアテン信仰の獅子の上に乗っており、その椅子の背はエジプトのピラミッドを表す三角形が一番上に飾られている。
*ミレシアン(ミレー族又はマイリージャ族Milesians):公式にはミレシアンは紀元前600年頃にスペインからアイルランドに渡って来たと信じられている。然しながら著者はこれ等の日付が作為的に偽装されていると思う。このアテン信仰者の占領は恐らくこの公式日付より千年近く前に起こっている。
―燈照隅のブログ:「文明のアイルランド起源 HPより02」サリオンの仮説より

  

 

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上の二つの写真から分かるように、女王の玉座は、エドワード王の椅子に倣って様式化されたものだが、高位フリーメーソンによって使用される椅子と様式が全く同じである。右側の写真ではフリーメーソンの大棟梁が、(ホルスの)目とピラミッドで飾った椅子に座っているのが解る。女王は公式にはフリーメーソンの会員ではないが、聖マイケル、聖ジョージ、ガーターの騎士、聖ジョンの騎士、など、その他の多くの強力な結社の長である。女王の多くの家族が英国の最も強力な秘密結社の幹部会員である。(著者の「エリザベス二世女王の戴冠式」の案内をご覧ください:https://unslaved.com/the-queens-coronation/戴冠式の椅子に組み込まれた記号は君主とメーソンの間の密接な繋がりを明かすのである。

エドワード王の椅子について:http://en.wikipedia.org/wiki/King_Edward%27s_Chair

 

 

文明のアイルランド起源 HPより20

示唆に富む語源

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            アタナシウスとアントニヌス

二人の最も傑出した基督教の神学者はアレキサンドラのアタナシウスと大アントニオスとして知られている。アタナシウス(296~373)はエジプトの偉大な都市アレキサンドリアの司教で、アタナシウス教皇としても知られていた。このアタナシウスと言う名前は「不死」「不死身」を意味する。(Thanatosはギリシャ語の「死」で、先頭の「A」の文字は否定の接頭語である)大アントニオス(251~356)は下エジプトで生まれエジプトのアントニオスとして知られた。東方正教会の名高い聖人で、彼の伝記はアレキサンドリアのアタナシウスによって書かれた。アントニオスの名前は「貴重な」「値踏みできないほど大切な」を意味するアントンAntonから、そして「人類」を意味するanthroposから来た。よく間違って信じられているのが、その由来が「花」を意味するanthosであるという説である。それはローマのエリート家系の名前(マルクス・アントニヌスを見よう*)で、元々はエトルリア語であった。音節athは「聖なる」或いは「尊敬された」と言う意味のakteから来たとされる。Athosと言う称号は、初期の教会によくマケドニアのアトス山とその周辺に集まった、様々なキリスト教の隠修士や禁欲修行者(アトス人アタナシウスのように)を指すと信じる者もいる。著者はこれ等二つの名前が偶然に選ばれたものではないと察する。それらは示唆的にアテンの名前に近く、それは、また、Atn、Athon、Athen、Etonなども指す可能性がある。
*マルクス・アウレリウス・アントニヌス - Wikipedia

アレキサンドリアのアタナシウスについてはこちらhttp://en.wikipedia.org/wiki/Athanasius#Critics_of_Athanasius

大アントニオスについてはhttp://en.wikipedia.org/wiki/Anthony_the_Great

アトス人アタナシウスについてはhttp://en.wikipedia.org/wiki/Athanasius_the_Athonite

 

 

モーゼ、ムサエウスMusaeus、マナセManesseh

モーゼという名前は架空の人物を指すもので特定の個人ではない。それはアテン信仰のファラオであるアクエンアテンを指す架空の名前である。アクエンアテンの失脚後、彼の思想的血統的子孫はエジプトの外の土地で新しい祖国と権力の砦を見出した。著者の信じるところではアクエンアテンの太陽信仰が、ブリテンギリシャ、イタリアを含めたあるエリートの家系により多くの国々で歓迎されたのではないかと言うことである。

ギリシャの歴史ではムサエウスとして知られる半神話的な人物についての言及が見いだされる。この名前は恐らくモーゼの異形でアクエンアテンの子孫、つまり、アテンの首長を指す可能性が最も高い。旧約聖書のモーゼとのこの繋がりは、自身がエジプト人の子孫である二世紀の猶太人歴史家、アレキサンドリアのアルタパヌス*などの何人かの古代の歴史家によって強調された。
*アレクサンドリアのアルタパヌスは、紀元前3世紀または2世紀後半にアレクサンドリアに住んでいたと考えられているユダヤ人出身の歴史家。所在については議論があるがエジプトに住んでいたことは確定的らしい。

 

「アルタパヌスは特にモーゼがギリシャのムサエウス、エジプトのヘルメス-トートの人物の背景に居ると主張した。」
―B・E・コレスColless著「神性教育Divine Education」

 

モーゼのように、ムサエウスが個人の名前ではなく称号であったならば、我々は自信を持ってアクエンアテンの他の異名が神話に於けると同様に歴史の中でも見出され得ると想定できる。これは勿論、ヘブライの名前マナセに当てはまることだが、このマナセManassehはイスラエルの12部族の一つを表す。ここから「n」と「h」を取り除くと、残りはMasseとなり、それはモーゼMosesと言う名に比定できる。

 

「それから、マソラ本文*にはモーゼの名前がマナセに変えられて登場する。」
*(マソラほんもん)とは、ユダヤ教社会に伝承されてきたヘブライ語聖書のテキストをいう。ユダヤ教の成立以後にそれぞれの時代ごとにソーフェリーム、タンナイーム、アモライーム、マソラ学者などと呼ばれる宗教的指導者であり宗教学者でもあるグループがさまざまな編集を加えたものである。ヘブライ語のマソラ とは伝統の伝達のことを示す語である。
―フラヴィオ・バルビエロ著「モーゼの秘密結社」

 

預言者モーゼ(アクエンアテン)とマナセ部族のこの繋がりは、部族の記章がアメリカの一ドル札に見いだされることから、最も重要なことである。それは、有名な矢を持った鷲である。

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ムサエウスについて:http://en.wikipedia.org/wiki/Musaeus
http://www.online-mythology.com/musaeus/

マナセの記号について:http://www.themasonictrowel.com/Articles/Symbolism/general_files/great_seal_us/great_seal_of_the_US.htm
http://www.saveyourheritage.com/heraldry_of_israel.htm

鷲の記号、矢、ダビデの星について詳しくは女性イルミナティテンプル騎士団についての著者の二つの記事をご覧ください:http://www.femaleilluminati.com/article-2.html

 

示唆的記号

コンスタンティヌスの幻影)

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ラファエロ作 十字架の出現(部分)

マケドニア生まれの暴君コンスタンティヌス帝(271~337)は最初のキリスト教徒の皇帝であった。伝承では彼の異教からの改宗は、彼が政敵マクセンティウスを討つために馬で出陣する前の日にローマを出たところで超自然的な十字架と日輪の像を授かったことに起因して起きたことになっている。この伝承の顛末はローマの歴史家ラクタンティウスとエウセビオスの作品に見いだされる。両人ともコンスタンティヌス帝が空に十字架を見たと記述している。

勿論このコンスタンティヌス帝の人生の逸話に関しては学術的にも多くの議論と思索が行われて来た。歴史家の何人かはコンスタンティヌス帝が目撃したのは物理的出来事、何らかの恒星の結合が真上の上空で起きたのを見たのだと結論付けた。著者はその現象が占星術的或いは占星神学的な重要性がある可能性は除外しない。然しながら、著者はこの逸話は実際に起こった物理現象を指していない可能性が最も高いと考える。著者はこの話が、その隠れた意味でアテン信仰を指すものとして改変されていると考える。結局、我々は、歴史に於いて常に太陽の円盤(黄道のこと?)を空に見ていたのは誰なのか、を考え直し、思い出すことだけをすべきなのである。

神話拡散者は単にコンスタンティヌス帝とファラオ・アクエンアテンの神話史的混成を創造したに過ぎないのである。換言すると、コンスタンティヌス帝はアクエンアテンがしたことを(同じく)した。前者の体験を後者の因習的で好ましい娯楽に類似させている。太陽はアテンであり、十字架或いはキー・ローChi Rho は、毎年雄羊座の印のところで太陽が通過する天の赤道黄道の交叉であった。アクエンアテン一神教の歪んだ印が紀元前1400年頃のアテンの牡羊座への遷移のために考えられたのである。従って、キリスト教(新しいアテン信仰)の創造者であるコンスタンティヌス帝は、エジプトの一神教の創設者であるアクエンアテンを呼び戻す裏の意味を持つ幻影を見るのである。

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ファラオ・アクエンアテンとアテンの円盤

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Chi Rho。六つの点を線で結ぶとダビデの星が形成される。「ダビデ」は昔も今もアテンの司令官である

勿論研究者は、キー・ローChi Rhoの記号に何も目新しいことがないことを知っている。キリスト教コンスタンティヌス帝の伝えられる幻影よりずっと以前にソル・インウウィクトゥスとアポロ・カルト、それにミトラの狂信的帰依者によりそれは行われていたのである。そう、その記号にもその思想にも何も新しいものはないのである。

 

 

「キー・ローの神聖な組み合わせ文字は、ギリシャ文字のchi(X)とrho(P)から成るためにそう呼ばれたが、それらはエジプト起源である。エジプト学者のサー・フランダース・ピートリーによると、キー・ローの組み合わせ文字は、キリスト以前数千年もエジプトの神ホルスの記章であった。」
―ジョン・G・ジャクソン著「キリスト伝説の異教起源」

 

「IHSの文字列はもう一つのキリストの神聖な文字列を構成する。これらの文字列もまたギリシャの太陽神バッカス或いはディオニソスの聖なる記号であった。キリスト教徒は他の多くの異教からの記号のように、これ等を取り入れた。」
―同上

  

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興味深いことにキー・ロー或いはPXの記章は、殆どマイクロソフト社に使われたXPの記号と同じである。示唆的に、有名なXPのロゴもまた十字架を添えている。

コンスタンティヌス帝:http://en.wikipedia.org/wiki/Constantine_I

キー・ローの組み合わせ文字:http://en.wikipedia.org/wiki/Chi_Rho_monogram

聖ヒエロニムス:http://en.wikipedia.org/wiki/Jerome

カトリック教徒動物:http://www.fisheaters.com/animals.html

 

 

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アテン信仰者の太陽の円盤は様式化した形でバラク・オバマ大統領のロゴとして再登場する。

 

 

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ナチスの鍵十字がよく見る光線の線をあしらった太陽の中心に置かれている。