国際秘密力27(完)

第27章  国際連合

      『・・・わたしはその人たちをあなたたちの長としよう。<13>

 

読者はこれまで忠実に頁を追ってこられて、特定の言葉や問題が除かれているのを不思議に思われたに違いない。これまでは意図的に、国際連盟は簡単に概要を述べただけで済ませ、また国際連合に関しては全く触れてこなかった。これらは、世界をIJCに確実に届けるための輸送機関であり、またすべての事の頂点に位置するものなのである。従って、最終章のここでお話しするのが妥当と思う。すべてはこれらの隠れ蓑の下にある。

ウッドロー・ウィルソン大統領は1919年、パリに国際連合の種を運んだ。その時、彼はパリ講和会議に行き、国際連盟結成のための彼の考えをベルサイユ条約に盛り込ませたのであった。IJCはウィルソンを介して、世界という水の上に国際連盟を浮かべたのであって、それは十分な浮力を有しかけていた。

唯、米国上院の外交委員長ヘンリ・ロッジと小数の先見性のある堅実な上院議員たちだけが、1920年に世界が征服されることを防いだ。この行為は結局時間を稼いだだけに終わってしまったが、今日でも政治的な対応が速やかに行われるならば、日本におけるIJCの侵入を止められるかもしれないと考える上では、極めて大きな業績であったと言えよう。

米国上院と同様に日本の最高指導者たちは、国際連盟の目標が何かということを早くから気づいており、自国を防衛するためにできるだけの手を打った。例えば、第一次世界大戦におけるドイツの太平洋統治地域を掌握した。また、1920年代初めのロンドンとワシントンでの軍縮会議において日本に対して策略が弄されたにも拘らず、できる限りの艦船を建造した。

蒋介石配下の軍隊が動くまでは、その様な日本の活動は表面には出なかった。蒋介石はIJCの生産物、手下、道具であって、IJCに錠をかけられ、財産を所有され、手綱を握られていた。

この辺の事情に関しては、本棚一杯の本の中で完璧に証明されている。例えば、パール・バック女史の小説『すばらしき大地(The Good Earth)』 、中国でのスティルウェル将軍<14> に関するバーバラ・タッチマン*女史の歴史的記述などがある。

*Tachman:タックマン

張学良将軍へのIJCの工作によって追い出されようとした日本関東軍は彼を排除する軍事行動を発動し、これは全支那における軍事行動に拡大した。この日本の応戦は、20世紀初期の満州に進出しようとしたハリマン鉄道を含め、何十年にも亘って積み重ねられてきた中国側からの圧力に対抗するものであった。

この交戦に関して米国大衆には、『中国に対する日本の侵略』という、噛んで含めるような虚偽の情報が与えられている。しかし本当の理由は、メンバーとして米国が抜けてはいたが国際連盟の力を世界に見せ付け、そしてその影響力を及ぼして世界を支配するためであったと、私は常に信じている。

日本は1933年、スイスのジュネーブで開かれた会議で国際連盟を脱退することによって、正しい道を歩んだのである。それは日本に開かれた唯一の道であった。この事件は国際連盟の権力を崩壊させるのに効果的であった。

ここで私たちは、1940年、アルゼンチア湾でのチャーチルルーズベルトの会談に目を転じることにしよう。幾つかの点でこの会談は興味深い。

その一つは大西洋憲章である。これはこの会談で表明されたものであるが、その言し回しは、後の国際連合の『世界人権宣言』に繋がっている。もう一つは、同盟国(Allied Powers)という用語が、この会談と、特に米国参戦の時に広く使われ出して一般的用語になったということである。そしてその少し後、当時のプロパガンダの中で、同盟国(Allied Nations) という用語が連合国(United Nations)<15> という用語に置き換えられ、第二次世界大戦の中ごろから何の疑問もなく使用され始めたのである。

『United Nations(連合国、国際連合)』と『League Of Nations(国際連盟)』とは頭の字が単に置き換わっただけである。この言葉は今や正式な語彙となり、一般の人々の心に特別に焼き付けられてしまった。これを永久的な組織として正式化するために為れたことは、さらっとした告知だけであった。1945年6月26日、カリフォルニア州サンフランシスコにおいて、枢軸国と戦った側の国々が憲章に署名して、国際連合(United Nations)が存在することになった。

その永久的な本拠地がついにニューヨーク市に置かれることになった。この都市は、国際連盟が主催されたスイスや、国際司法裁判所があるハーグの様な真正な中立的雰囲気などは、かって微塵も無かった場所である。

1948年。この年は、次の、そして最後の、記憶しておくべき決定的な年である。この年にIJCは、その一連の最終的行動のための準備を完了させたのである。その建屋こそまだできていなかったが。

エディ・ヤコブソンはカンサス市出身のユダヤ人であり、第一次世界大戦**においてはハリー・トルーマンに張り付いていた。ヤコブソンはトルーマンの商売上のパートナーとなり、後に彼が政界に入った時には腹心の友となった。
**第二次大戦の間違いであろう

この様なユダヤ人の例は多く見られる。例えばセイモア・ワイスは、ヒュー・P・ロングの政治的経歴のごく初期の段階で彼に張り付いていた。ワイスも同様の目的のためであり、ロングの場合は彼を大統領に押し上げるためであったと、私は信じている。

1948年、イスラエル問題は国連が直面した熱い話題であった。米国の立場は明確に示されていた。すなわち、国連による信託統治に賛成、主権国家としてのイスラエルには反対、ネゲブ砂漠が横たわる南部地域の領土化には反対、であった。その南部地域とは、ユダヤ人たちが六千年前に、一日分の水袋も載せないで、現在のサウジアラビアの別の地域に旅立ったという土地であった。

ハイム・ワイツマン<16>シオニストを率いていた元指導者として知られていたが、ワシントンを訪問してトルーマンを説き伏せて、意思を変えさせる役目を要請され、ワシントンに旅立った。ワイツマンの努力に関しては広く世界に宣伝されているが、ヤコブソンの件は余り知られていない。エディ・ヤコブソンは、差し控えるよう何度も指示され、またトルーマンの怒りを招いたにも拘らず、ワイツマンに先立ってワシントンに行き、激しい議論の末トルーマンをワイツマンに会わせたのである。それによってトルーマンは、彼自身、彼の内閣そして彼の国務省の意思を反転させた。

デイビッド・マッカローが、1992年、ニューヨークのサイモン・アンド・シュスター社発行の著書『トルーマン(Truman)』の中で記述している次の文章は、他の何よりも明確に、かつ簡潔にこの事を説明していると思う。

『新しいユダヤ人国家・・・ここ二千年間で初めてのユダヤ人国家・・・は、予定通りエルサレムの深夜、そしてワシントン時間では午後6時に、その誕生を宣言された。その11分後、ホワイトハウスでは、チャーリー・ロスが、イスラエル国(the United State of Israel)<17> の名称で、事実上公式に認める声明を発表した』

1948年5月14日のその日、ワシントンのチャーリー・ロスは大統領の報道官であった。新国家の正式名称は、イスラエル国(The United States of Israel)。 この国家は、誕生するに際して米国から1億ドルを借用した。

米国の国会議事堂は、そしてすべての職員を含む米国国務省は驚愕に包まれた。その中で一人の国連代表だけは、この事を告げられていた。私は、後でお話するもう一人の国連代表もこの事を知っていたに違いないと疑っている。

米国政府のすべてが衝撃状態にある中で、トルーマン大統領だけは正しいカードで勝負をしていた。1948年11月の総選挙では確実な勝者と目されていたデューイを、ユダヤ人たちの投票と惜しみのない貢献によって打ち負かしたのであった。トルーマンは大差で勝利した。世界はIJCの完全なる準備の下に敗北を遂げた。

本題からはやや逸れるが、ここで取り上げておくべきもう一つの問題がある。それはユダヤ人たちに関して存在する国際法上の市民権と特殊性であり、イスラエル国が建国されたことに起因する問題である。

あるユダヤ人が、彼または彼女がユダヤ人であることを示す適当な書類を携えて、世界のどこかのユダヤ人領事館に行ったとする。するとその人に交付されるパスポートは、彼らの宗教と信仰上の理由によりイスラエル国から発行されるだろう。私は彼らの直近の家族に交付されるものも同様と信じている。これは宗教的国家がこの様な方法で市民権を授与できるという単なる例である。

そしてこの様な事態が存在することは、米国および世界の人々には一般に知られていないのである。

(著者註:

市民権についてであるが、例えば日本人が米国市民権を取得しようとすると、まず必要条件にかなった書類を提出しなければならない。それによって初めに永住権が得られ、永住権発行の日から8年以上米国の法的義務(税金等)を遵守すると、市民権申請が可能となる。必要書類を揃えて提出し、許可が下りると集団宣誓式にて承認を得られるようになっている。しかし初めての永住権申請に関しては必ずしも申請が通るとは限らない。
これがユダヤ人の場合には、例えばロシアから移民して来るとして、自分がユダヤ人であることを証明する書類を揃えて提出すれば、それで米国の市民権が得られることになっている。市民権を得れば、当然米国のパスポートが得られる。
さらに、ユダヤ人であることを証明する書類をイスラエル大使館または領事館に提出して認められれば、イスラエルのパスポートが得られる。二つのパスポートを持っているユダヤ人は決して少なくない。米国のみならず、世界中どの国でもそれができるようになっている)

 

国連の前にイスラエルに関する疑問点が提出された時に、反対派が何を知りそれをどう表明しているかの例として、1986年6月16日のダラス・モーニング・ニュース紙の署名入り寄稿欄からの記事を『証拠H』として添付しておく。

        ダラス・モーニング・ニュース紙の読者欄

            (1986年6月16日)

 

世界のテロ行為を、すべてリビアカダフィ<1>のせいにすることはできない。 ―ジョージ・W・オルドリッジ

  (北テキサス州立大学博士課程学生。全米アラブ系アメリカ人協会のフォートワース・ダラス支部の暫定支部長)

5月30日付けの本紙で、ヒューストンに赴任したイスラエルのヨーラム・イータン・エッティンガー総領事はテロ行為の専門家として自惚れているが、これはそれほど驚くには値しない。今日のイスラエルの指導者たちの多くは、建国に際して異常な体験を積んできたのである。

メナシェム・ベギン、イツハク・シャミルたちは、テロ組織であるイルグン<2>、シュテルン<3>、およびハガナ<4> の指導者として、一連のテロ行為を行ってきた。

・1944年、英国の中東担当大臣モイネ卿の暗殺。

・1946年、95人の英国人・アラブ人・ユダヤ人の死者を出した、キング・ディビッド・ホテル爆破事件。

・1948年、スウェーデン人の国連調停官、C.F.ベルナドットの暗殺。

・1940年および1942年、ユダヤ人不法移民団を輸送していた2隻の船の沈没。

・1948年4月9日、デア・ヤシンにおける254人の非武装アラブ住民の無慈悲な虐殺。

これらは、PLO(パレスチナ解放機構)が設立される15年またはそれ以上前に起きた事件であり、歴史的な事実である。イスラエルの初代大統領、ハイム・ワイツマンでさえ、イルグンの戦略を殺人的テロ行為であると非難していた。

エッティンガーは『パレスチナ問題が解決しても、世界のテロ行為は無くならない』と主張しているが、この点だけを取れば彼は正しい。彼は、従属国家分離主義、別名民族国家主義、が今日世界中に広まっている理由には言及せず、イタリアの小さい新ファシストグループから強力なタミール分離主義者<5> たちまでのすべての活動を、古き良きリビアカダフィーに結び付けようとしている。しかしエッティンガーは、リビアの指導者たちが世界的騒乱に関する巨匠(マエストロ)であるとのいかなる証拠も明示してはいない。

パレスチナ解放機構(PLO),

アイルランド共和国軍(IRA)<6>

バスク祖国と自由(ETA)<7>

アフリカ民族会議(ANC)<8>

ケベック解放戦線(FLQ)<9>

そしてクロアチア人(旧ユーゴスラビア)、

クルド人(イラン)、

アルメニア人(旧ソ連)、

コルシカ人(フランス)、

チロル人(オーストリア西部)、

タミール人(インド南部)、

フランダース人(フランス・ベルギー・オランダ)、

ワロン人(ベルギー南東部)他、

のすべての分離主義者たちは、カダフィーの貧弱な暗殺行為が有ろうと無かろうと、戦いを開始していたであろうというのが、真実である。CIAがある厄介な組織(リビアカダフィーを指す)を支援して、1969年の無血クーデターを起こさせる前にも、これらの組織のいくつかは活発に活動していた。

これらの組織が罪の無い人々を殺してきたことに関しては、何の議論もされていない。最近のシーク教徒分離主義者、タミール人分離主義者、PLOの過激派集団らによる非戦闘員の非情な虐殺は決して許されないものである。

しかしこれらの革命組織をエッティンガーのように、マルクス主義イスラム教徒評議会の西側民主主義に対する陰謀の産物であると決めつけるのは、あまりにばかげたことである。これは、北アイルランドイスラエル南アフリカスリランカなどの宗教的国家主義による紛争地は幸福な民主主義の模範である、と言うのに等しい。 

ヨーロッパのマルクス主義者たち、および無政府主義者たち

(赤の旅団(Red Brigades)、西独赤軍(Red Army Faction)、アクション・ディレクト(Action Directe)<10> など)。

ラテン・アメリカの左翼革命運動(ペルーのシャイニング・パス、コロンビアのM-19など)。

これらの戯れ事を除けば、今日のテロ行為の大部分は、多年、あるいは何世紀にも亘る、人種的または宗教的人種差別の産物である。

今日の世界における支配的な集団は、歴史的な健忘症を患っているようである。まさにエッティンガーが、シオニスト過激主義者たちの過去の歴史を、また

アイルランド人、

フランス系カナダ人、

南アフリカの黒人、

アルメニア人、

バスク人

アメリカ原住民、

カタロニア人(スペイン)、

その他の先住者たちが、帝国主義的な征服者たちにいかに悲惨な目に合わされてきたかを、都合良く忘れてしまったかのように。

パレスチナ人、

バスク人

コルシカ人、

アイルランド人、

チェロキー族<11>

アルメニア人、

シーク教

たちに、彼らの思いを尋ねた人がいるだろうか? 

自分たちの民族を根絶やしにされ、自分たちの国土を盗まれ、自分たちの神聖なる古来からの土地を汚され、自分たちの言語や文化をあざけられ、さらに多くの場合は違法扱いにまでされたことについて。

テロ行為に対する長年の差別、政治的投獄、処刑に比べれば、今日、虐待に耐えられなくなった絶望的な男女たちによって実行されるテロ行為は僅かなものである。

イスラエルパレスチナと土地の売買をするであろうか? もししないとしたら、それは何故なのか? ここに分離過激主義者への答えが横たわっている。

さらにエッティンガーが、米国を、『シリア、イラクリビアの全体計略に対する主要な防波堤』であるかのように論じているのはばかげたことである。シリアが長期間、レバノンにおける最重要事項であり続け、イスラエルと米国を騒がすことは殆ど不可能である。イラクイスラム教の隣国であるイランとの消耗戦争に巻き込まれた。

また、カダフィーの大ほら話のために為されたことといえば、リビアがつい最近行った、チャド共和国(アフリカ中部)へ押し入ろうというつまらない試みがその全てであった。

彼らのテロ活動は、『中東における米国権力の存在』を危うくするであろう、などと信じるのはお笑い草である。エッティンガーは、中東における大部分のテロ行為を猛烈な反米主義であると決めつけることによって、過激主義者たちに対抗するために認識しておくべき基本的な事実を無視している。

それは、パレスチナの難民たちは、彼ら自身には何の過ちもないのに、ヨーロッパの反セム主義のためにエスケープゴート(贖罪の山羊)にされてきたという事実である。

 

【訳注】

 <1>  ムアマル・カダフィー(Moammar Gadhafi) :リビアの指導者。1969年に民主主義運動の青年将校を率いて無血クーデターを起こし、王政を廃止して共和国を樹立。革命評議会議長となり、イスラムを柱とする社会主義を掲げる。1977年に直接民主制(ジャマヒリア制)を宣言し、国名を社会主義人民リビア・アラブ国と改称。国連の制裁措置に抗して、独自路線を歩んでいる。

 <2>  イルグン(Irgun Zvai Leumi):パレスチナ国民軍事組織。イスラエル解放支援のためパレスチナで結成された右翼系ユダヤ人の地下軍事組織。後のガハール。ベギン(後の首相)が指導者。公然とテロ行為を実行していた。

 <3>  シュテルン(Stern Gang):イスラエル建国当時に結成された極左ユダヤ人の地下軍事組織。イルグンとしばしば協力。公然とテロ行為を実行していた。

 <4>  ハガナ(Haganah) :イスラエル建国の中心的人物であるベン・グリオンが創設した、ユダヤ労働党系の地下軍事組織。村落の守備が主体。イスラエル国防軍ツァハールの母体。英国将校ウィンゲート大佐が機動作戦を指導。

 <5>  タミール人(Tamil) :インド南部およびセイロン島に住むドラヴィダ族。 

 <6>  アイルランド共和国軍(Irish Republican Army) :英国統治下にある北アイルランド西部を、アイルランド共和国に併合することを目的としてゲリラ戦を行っているグループ。

 <7>  バスク祖国と自由(Euzkadi ta Azktasuna):Basque Homeland and Liberty。バスク地方の分離独立を目指し、スペイン政府に対してテロ活動を行っている過激派民族主義グループ。60年代末からテロ活動を始め、中央政府関係者の暗殺・爆破などを続けている。バスク地方とは、スペイン北部、ピレネー山脈西部のバスク人が多く住む地方。

 <8>  アフリカ民族会議(African National Congress) :南アフリカ原住民族会議として発足。25年に現在の名称に改称。60年4月に非合法化され、亡命政府をザンビアの首都ルサカに置いていた。最高指導者はネルソン・マンデラ。非合法の南アフリカ共産党(SACP)と協力関係を維持して、爆弾テロを主要戦術としている。ネルソン・マンデラは1994年5月に南ア初の黒人大統領に選出された。しかしANCは黒人の中では少数派であり、黒人内部闘争を意図されて表舞台に立たされている可能性が高い。またマンデラは世界支配勢力の飼い犬で、南アの黒人を大量虐殺すべく指令を受けているとも言われている。

 <9>  ケベック解放戦線(Front de Liberation Quebec):カナダのケベック州は17世紀初めにフランスの植民地となり、その後1763年にイギリス領となった。フランス語系住民が82%を占め、しばしば紛争を生じてきた。1995年10月にも2回目のケベック州独立の州民投票が行われたが、反対50.6%、賛成49.4%で否決された。

 <10> アクション・ディレクト(Action Directe):フランスの左翼過激派組織。西独赤軍(Red Army Faction)と1985年1月に連合組織『西ヨーロッパ政治軍事組織(Political Military Front in Western Europe)』を結成。

 <11> チェロキー族(Cherokee):イロクォイ族(アメリカインディアン)の有力な部族で、現在は大部分オクラホマ州に住む。

 【証拠H】 ダラス・モーニング・ニュース紙の読者欄(1986年)

 

この記事は、この本の範囲の終了点である1948年を超えているのであるが、イスラエルの指導者たちがテロ行為によって出現したことを示す内容を含んでいる。この記事はまた、IJCのためにトルーマンが生み出したいま一つの機関を示している。それはCIAであった。CIAは米国の情報機関から『南部の人々』を効果的に抹消し、その代わりにIJCの手下たちをしっかりと植え付けたのである。 

この事の最も強力な証拠は、アレン・ダレスのCIA長官任命であった。ダレスは、OSS(Office of Strategic Services) の名で知られ、前に説明したドノバンに率いられていた米国戦略事務局における実力者であった。ヨーロッパ部局の長としてのダレスと彼のグループは、ソ連スターリンを介した日本の再三の降伏の申し入れを審議していた。

この本のクライマックスを飾るために、最後の一人の人物が温存されていた。エレノア・ルーズベルト大統領夫人である。彼女はエリオット・ルーズベルトの娘として生まれ、フランクリン・ルーズベルトの従兄弟に当たっていた。

ユダヤ人たちに踏襲されている女家長制度を思い出して頂きたい。彼女はフランクリン・ルーズベルトの目であり、耳であり、足であった。足の悪かった彼の生涯を通して、彼女は彼の行けない所には行き、全く従順そうに現れた。

しかし実際の彼女は過度に独断的な妻であり、今日のヒラリー・クリントン大統領夫人とどこか似ていた。ただヒラリーの場合は、イメージはそれほど美化されておらず、ヒラリー自身、彼女を報道するメディアに対してそれほど愛想も良くなく、逆に報道側も彼女に対して同様であることは付け加えておこう。

エレノアが初期のラジオ放送を活用していたことは前に述べたが、彼女は毎日の寄稿欄も執筆していた。その記事は、米国の殆どの主要新聞紙に同時掲載された。それは『私の一日(My Day)』と呼ばれていた。彼女は当時のニュース映画にも頻繁に登場した。また本書の時代記述の中でやっと使用され始めたばかりのテレビにも幾分登場した。一言で言えば、彼女は米国国民に良く知られていて、今は故人となった夫に甲斐甲斐しく尽くしていた謙虚な婦人のように思われて、概して好かれていた。彼女にとって、それまでの仕事はこの様な雰囲気を作る上で最適なものであった。

サンフランシスコで国際連合が正式に発足してからしばらくして、エレノアはハリー・トルーマン大統領により米国の国連代表の一人に任命された。トルーマンは、IJCにより無慈悲に使われて、米国の良識ある機構を破滅させた人物として常に思い出されるであろう。

私が見る限り、IJCが彼女のために国連で用意していた仕事は唯一つで、それは決定的に重要なものであった。それは国連人権委員会の委員長として活動し、世界人権宣言の草案を評決メンバーに答申する仕事であった。そして彼女はこの仕事を実行した。メンバーの国々はこれを圧倒的多数で採用した。私はこの宣言文を『証拠I』として添付する。

【証拠I】 国連の世界人権宣言(1948年)(一部抜粋)

 

投票が行われた後でエレノア・ルーズベルト評議員たちに、今採択された文書は『世界の人々のための大憲章(MAGNA CARTA)』であると告げた。

私は、エレノア・ルーズベルトの伝記をテレビで見ていてこの言葉を聞いた。その時私は、1215年に英国がIJCのために奴隷化されたのと同様に、1948年に同じIJCのために世界を奴隷化する何がこの文書に埋め込まれているのであろうかと、思わざるを得なかった。

そして1995年の今、IJCは警察力を手中に収め、あらゆる主権国家の国内問題に干渉し、世界中から召集した軍隊を送り込んでいると、私は思っている。それらの軍隊には、対象とするその主権国家の宿命的な敵さえ含まれている。そしてさらには、不正に、偽善的に名付けられた日本の『自衛隊』までもが含まれる。この自衛隊の名称は朝鮮戦争のために設けられたものであったが、外国の権力に占領されたと同様の状況の下にさらに下位でこき使われるのである。すべては、IJCの為であり、その目的の為である。

 

これをもって本書を終えることにしよう!

 

 

結 言

つい最近の1995年5月の週末、米国の戦没将兵追悼記念日(メモリアル・デー)の日に、いささか注目すべき事があった。大半の国民が認め意義を持つある地方新聞に、ある記事が掲載されたのである。それは編集者宛の手紙の頁に掲載されていたのだが、その記事は極めて重要な事を記述しており、私が大人になってから米国で初めて見るような攻撃であった。

読者の方には是非自分で読んで頂きたいので『付録』として添付しておく。この本を読み通されて感じた疑問に対して、この記事はその答の始めになるかも知れない。これが米国内での姿勢の変化の前触れとならんことを願う。

     サン・アントニオ・エクスプレス・ニュース紙の読書欄

            (1995年5月28日)

 

     イスラエルの犯罪行為は、彼らに対する支援を危うくする

       サン・アントニオ在住のアラン・パーカー氏より

 

イスラエル人たちは小包爆弾を発明し、それを市民への攻撃に使用した。つい最近のオクラホマ市の惨事で使用された爆弾は、この小包爆弾の改良版であった。

ル-ス・ウェステンハイマー博士は、米国において幅広い賞賛を集めている。しかし彼女は、イスラエルの組織に所属していた時はテロリストであり、英国人子女を殺害するためのダイナマイトを何回も運んだと公言している。英国人殺害の目的は、英国人たちを同情させてテロリスト側に味方させることであった。

ベギン、シャミール、ベン・グリオンら何人かのイスラエル首相もテロリストであったと認めている。彼らの行為はイスラエルの名において正当化されている。

1968年、イスラエルは、片方では米国への愛を唱えながら、米国リバティ号の乗組員34人を殺害した。イスラエルはまた外交官たちも殺害した。イスラエル建国に賛成していたデイビッド・スターリングは、スターン・ギャングまたはツヴァイ・レウミより送られて来た小包爆弾で殺害された。イスラエルの歴史は、最初から終わりまで血生臭い大虐殺で埋めつくされている。

イスラエルナチスの類似性は顕著である。純血人種国の希求。特定人種を絶滅させる企みとその人々の財産の破壊。『レーベンスラウム(生活圏)』の要求と侵略行為。支配人種(選民)、優性人種としての自己主張。他の集団に対する殺人行為の合法化。反抗者を撲滅するための特別殺人集団の育成。大量殺戮兵器の所有と世界に対する虚言。

イスラエル核兵器を所有しており、誰に了解を得ることもなくそれを使用するであろう。)

米国内でのイスラエルに関する自由な討論を破壊すべく、JDL(ユダヤ防衛連盟)は、ナチス党員同様、呪いをかけている。それは今日、米国においてイスラエルに関する真実の議論が殆どなされないことの一つの理由となっている。

私はドイツ駐在の英国軍に任務したことがあり、ホロコーストがあったことは知っている<1>ヒトラーのその行為は恐ろしく悪いとしても、彼はユダヤ人の残酷な性格をおそらく理解していた。

イスラエルの名において行われたすべての残虐行為が明確になっていくのは、自然の成り行きである。米国はイスラエルに毎年三十憶ドルを与えている。我々は、この様な残虐で大量殺戮を行う神政国家への支援を続けるべきではない。この国の法は、または法の欠如は、我々が信じるべきすべてと真っ向から対立している。

英国人たちはイスラエル建国を支援しようとしていたが、その英国人をイスラエルは殺害した。殺された人々の多くは普通の市民であり、買い物や出勤途中で殺害された。それらのすべては、イスラエルの狂気のテロリストによるものであった。前述のウェスタンハイマー博士もそのテロリストの一人であった。

今まで私はユダヤホロコーストに恐怖していたが、最近ではイスラエルに恐怖するように変わってきた。その恐怖感は今までナチスに感じていたものと全く同じである。イスラエルのテロリスト集団が英国人に行った行為と、パレスチナ人たちがイスラエルに行っている行為の間には、何の違いも見い出せない。

 

【訳注】

  <1>  ドイツ駐在の英国軍に任務したことがあり、ホロコーストがあったことは知っている。強制収容所では極めて多数の人々がチフスにより死亡した。占領後、強制収容所内で累々たる死体を発見した英米軍の兵士たちは、病死とは知らず、ドイツによりホロコーストが行なれたと錯覚した。その後今日まで、病死のことは伏せられ、「ガス室」による600万人のホロコーストがあったと宣伝されている。
パーカー氏が「ホロコーストがあったことは知っている」と言っているのは、チフスで死亡した人々のことではないか?

 【付録3】 サン・アントニオ・エクスプレス・ニュース紙の読者欄(1995年)

 

参考文献

本書の参考文献としては、約400冊の本を参照させて頂いた。キーワードとなる事項に関してはその多くを私の書斎にある本に依った。またテキサス州のダラス、フォート・ワース、サン・アントニオの公立図書館および米国公立図書館間の相互貸借制度も利用させて頂いた。この版ではこれらの本のリストは省略させて頂く。

 

第27章【訳注】

 

 <13>  旧約聖書 申命記1.13より。

 <14>  スティルウェル将軍(Joseph Warren Stillwell):(1883~1946六)米国の陸軍大将。第二次世界大戦開始後、中国地上軍参謀長兼在華米軍指令官(中将)。蒋介石とあわず、1944年更送。翌年第10軍指令官。 

 <15>  United Nations:日本語では戦前と戦後で、「連合国」と「国際連合」とに使い分けがされている。しかし、戦後の組織を「国際連合」と訳したのはプロパガンダの一種であり、極めて悪質であると指摘する人が少なくない。

 <16>  ハイム・ワイツマン:(1874~1952) ロシア生まれのイスラエルの化学者。イスラエルの初代大統領(在位1949~1952)。1917年、英国のシオニストグループの指導者として英国のバルフォア宣言を引き出す。

  <17>  The United States of Israel :直訳すれば「イスラエル合衆国」であるが、外務省での公式呼称は「イスラエル国」となっている。

 

 

 南溟の夜 (横山大観作)