国際秘密力26

第26章  GHQと幣原喜重郎<10>

            『支配者が偽りの言葉に耳を貸すなら、仕える人は皆、

           逆らう者となる。<11>

 

1945年9月2日、日曜日の午前9時、白色のテントが張られた戦艦ミズーリ号の甲板上は、降伏のための3人の日本代表団を待つ乗組員たちで埋まっていた。連合国側の大部分の国の代表者たちも同乗していた。ミズーリ号は最新の米国海軍戦艦ではなく、その名前はトルーマン大統領の出身州のものであった。最新艦はアイオアであった。当日は曇天で、迫りつつあった日本の屈辱を太陽から隠して希望を持たせるかのようであった。その太陽は日本の神であり、その為に彼らは太平洋戦争を戦ったのであった。

乗組員たちが待ち侘びていたその見せ物を、日本は最も良い、そして日本を象徴するような形で受け止めた。というのは、大勢の乗艦者たちによって心を挫かされるべき代表団として、足の不自由な重光葵外相を含むたった3人を送るという天才的な人選を行い、また遅れて到着して連合国側のスケジュールを崩したのであった。重光外相は乗艦するのに介添えが必要なほど足が悪く、緑色の布の署名用テーブルまで歩いて行くのがやっとであった。世界にとってそれを見、そして同情すべき戦後の日本を象徴していた。

占領政策は極めて速やかに進められた。マッカーサーによりGHQが設置され、他の連合国は完全に占領組織の外に置かれた。特に怒ったのはソ連であったが、原子爆弾を独占的に所有する米国が相手では、できる事は殆ど無かった。原子爆弾の恐ろしさは、世界中の人々の記憶に鮮やかに刻み込まれていた。

日本の占領に際して邪悪な天才が一人いるとすれば、私はチャールズ・ウイロビー将軍*がその咎に該当すると思う。たまたま符合するのであるが、彼はヘンリー・キッシンジャーが後に入るのと同じドイツの高等学校(ギムナジウム)の卒業生で、キッシンジャーはそこでIJCの手先としての後年の任務のために教育された。ウイロビーは大戦中はマッカーサー配下で一貫して諜報機関の長を勤め、戦後はGHQに所属した。
*チャールズ・アンドリュー・ウィロビー(Charles Andrew Willoughby, 1892~1972)は、アメリカ陸軍の軍人。最終階級は少将。第二次世界大戦下においてはダグラス・マッカーサー大将の情報参謀で、戦後は連合国軍最高司令官総司令部参謀第2部 (G2) 部長として対日謀略や検閲を担当するなど、占領政策遂行のうえで重大な役割を果たした。一方、法の支配を尊重する保守主義者としても知られ、東京裁判に際しては敗戦国の指導者だけを裁くため法の支配を恣意的に歪めるとして不信感を表している。ウィロビーによると、幼少はドイツ人として過ごす。ドイツとフランスで学び、ドイツ語、フランス語、スペイン語を話す[3]。地元ハイデルベルク大学などで学んだあと、1910年にアメリカに渡り[3]、アメリカに帰化、Charles Andrew Willoughbyと母方の家族名に改名したという。もしウィロビーの主張に間違いがあり、Willoughbyが母の家族名でないとすれば、WeidenbachのWeide(やなぎ)をwillowに翻訳して(ドイツ人らしくなく)アメリカ人らしい家族名に改名した可能性がある。(wikiより)

(燈照隅註:扨て、ウィロビーの出生についてはドイツの貴族であるという主張に聊かの矛盾が指摘されている。また、ここに指摘されているように名前を簡単に変える性質を考慮すると、隠れユダヤ人であった可能性も否定できないであろうと思われる。)

この諜報という世界に入った人々は私にこう告げている。『一度入り込むと抜けられない。』 私は今になって思うのだが、彼はコートニー・ホイットニー將軍を操っていた。ホイットニーは民政局長であり、諜報関係者としてダグラス・マッカーサーと一緒に占領政策を実際に実行する立場にいた。しかしホイットニーの役割は、多かれ少なかれ舞台上の小道具に過ぎなかった。

ウィロビーは歴史部門を早々に設立した。この部門の目的は、巷に流される太平洋戦争の話はIJCによる物語唯一つになるようにすることであった。ゴードン・プランジを思い出して頂きたい。日本の人々、そしてまた日本国外の世界に提供されるのは、IJCが考えているものだけであることを確認するために、この部門は出版物の厳重な検閲を行ったのである。
(燈照隅註:ウィロビーについてはwikiに書かれている内容を読む限りでは、統治の制度についてはまともな考えを持っていたと思われる。しかし歴史隠蔽・改竄は当に邪悪そのものである。)

フォウビオン・バワーズは、マッカーサーの補佐をするために日本に滞在していた若い米軍士官であった。1977年に私は朝のCBSテレビニュースの中で、バワーズへのインタビューを聞いた。それは完全なものではなかった。私はこれについて幾度も繰り返してCBSとやりとりしたが、その結果、放映の元となったインダビュー資料は東京にあると確信できた。

私の親しい友人で、私の著書『強要された憲法(The Coerced Constitution)』の一部を翻訳して頂いた幣原道太郎教授<12> にお願いしたところ、彼は東京のCBS支局を訪れ、全く奇跡的に、『放映用』に準備されたフォウビオン・バワーズの非公開インタビューの原稿コピーを入手できた。

この原稿は極めて重要であり、また日本人の知らない事実であるため、幣原教授が受け取った生原稿のままの形で巻末に添付し、初公開することにする。読者には、バワーズは自国および長年の上官であったマッカーサーに忠実にせざるを得なかったことに留意しながらこれを読んで頂きたい。慎重な言葉の裏に隠されてはいるが、インタビューの中で彼の意見ははっきりと滲み出ている。その慎重さと理解し得る忠実さに覆い隠されてはいるが。

 

F.バワーズの非公開インタビュー記録(1977年)

これは1977年の4月のCBSニュースで放映するために、1977年1月に東京で行われたCBS東京支局長ブルース・ダニングによるフォウビオン・バワーズ氏Faubion Bowers)との非公開インタビューの記録である。

この文書は1977年の夏に幣原道太郎氏(幣原元首相の令息)がダニング氏に直接会った結果、僥倖にも入手された。バワーズ氏は占領当時マッカーサー最高司令官の通訳担当副官であった。同氏は戦前日本に滞在していた人物であるが、高度の洞察力を持つ人のように見える。

著者は自宅のTVでこの省略された放映を見てその重要性に気づき、幣原氏に記録の入手を依頼したものである。


     ファウビオン・バワーズとのインタビュー。1977年1月。
     於:東京CBSニュース支局


ダニング: あなたは戦前の日本に滞在されていて、また日本占領とともに再来日されました。最初に日本に戻って来られたお一人で、その後何年も滞在しておられますが、この占領が日本に及ぼした影響をどの様にお考えでしょうか?

バワーズ: そうですね。私は物事を暗く見すぎるのではないかと恐れています。この占領中も、私はずいぶんこれに反対してきました。私は暗い面ばかり見ています。占領軍がしようとしていた事は、すべてを連続的に解体していくことでした。

この占領は妙な出来事でした。何故なら、それは成功であり、しかもまた失敗でもあったからです。日本人は従順でしたから、その点で言えば成功でした。日本人が占領を成功させたのです。米兵たちは驚くべき行動を示しました。彼らは日本人との愛に陥ったのです。彼らを見ることは興味をそそられました。彼らが来日した時には日本人への憎しみに満ちていたのですから。

我々は訓練を施されてきました。あなたもご存知でしょうが。そう・・・4年、いや4年半・・・日本人を憎むように。そして米兵たちは憎しみとともに日本に着いたのです。そして1か月も過ぎると、彼らは単純に日本人の言い成りになっていました。占領軍の大部分の人々はこの日本のようなものに直面したことは初めてでした。・・・私は優れた文明とは言いたくないのですが、しかしそれは高度に磨き上げられた、高度に発達した文明でした。占領が行われたころ、米国の多くの人々は米国より外に出たことは無かったのです。

あなたの質問にもっと直接お答えしなくてはいけませんね。占領軍が実行したすべての事は次第に行われなくなったように、私には思えるのです。私が意味しているのは例えば・・・占領当時、公職追放は大事件でした。しかしすべての首相は元被追放者です。また現外相も元被追放者です。そう、すべて・・・膨大な量の財産没収、膨大な数の悲嘆に眩れた人たち・・・公職から追放された人々、公職を永久に禁止された人々、さらに軍事行動によって刑に服した人々までが、すべて復権したのです。

国土の復活はもう一つの話題です。これは紙面を良く賑わかせています。邪悪な土地所有者の手に巨大な土地を集中させるべきでない、また土地を耕す農夫たちはすべて彼ら自身の土地を所有すべきであると言うのは、理想的に過ぎます。確かに、それは明らかな真実であり、おそらく米国においては適切な事です。しかし日本においては大変適切な事とは言えないのです。私は、日本の農業は土地改革による分断によって大きな被害を被っていると思います。そしてこの事は少しずつ払拭されつつあります。

憲法はまた別の話題です。この憲法は明らかに人工的に注入されたものであるのに、日本がこの憲法を何故こんなに遅くまで廃棄しないでいるのか、私には理解できません。あなたはこの問題がどうなっているのかご存知でしょうか?

ダニング: いえ、知りません。この問題に入りましょうか?

バワーズ: ええ、それは本当に、大変可笑しな事なのです。あなたはマッカーサーが、どちらかと言えば聞き下手だったのをご存知でしょう。それは彼が喋りっ放しであったことの一つの理由でした。そしてそれは不思議に魅力的で、何故なら彼の・・・彼の口からは華麗な古い言い回しの言葉の奔流が休み無く出て来るわけで。それは、彼の注意を引くことが大変難しいほどでした。

しかしある時、占領時代の初めのころ、近衛公爵が、彼は後に自殺しましたが、マッカーサーの所にやって来て、とても流暢な英語で、そう英語で・・・彼は

『戦後の日本はどの様なconstitution(構造、憲法)を持つべきか?』

と尋ねたのです。その問はこの様な意味だったのでしょう・・・戦後の荒廃からどうやって再建していったら良いのか?

マッカーサーは『constitution』という言葉を聞きましたが、彼は、新生日本国家はどの様な枠組みで作っていくべきかという様な意味では理解しませんでした。そして彼はこう言ったのです。

『constitution(憲法)! それはすばらしいアイディアだ。我々は新しいconstitution(憲法)を作ろう』

これが、この新憲法ができた顛末です。私は近衛公爵が自殺した一つの理由はここにあると思います。何故なら、彼はこの占領は単に権力を喪失しただけであると感じていたからです。

あなたがこの占領の基礎となっているポツダム宣言をお読みになればお分かりでしょうが、日本の社会を再構成するなどとはどこにも書いてないのです。最奥の村にまで侵入するような我々の行為や、学校、社会関係等々の構造改革などについてはどこにも書かれていないのです。ポツダム宣言は単純に、日本を末長く、今まで軍国主義者たちに抑圧されていた本来の自由な勢力のための国にしようというものです。そして単に彼らが表面に出て来れるようにしてやり、あとは日本が自ら望む方向に自己形成して行くのに任せるというものなのです。

しかし我々占領軍は次第に権力に完全に酔うようになっていったのです。・・・その権力とは、我々が何を言おうが、それに対して八千万人の人々が必ず『はい』と言うような巨大なものでした。我々はまさにどんどん変革して行くことを望みました。また、さらにさらに深くまで変えようとしました。多くの人々・・・マッカーサーと彼の腹心の部下たちは、占領軍は本当に日本の本質を変えていると感じていました。

日本の土地の上に愛他的な米国人が多数存在し、日本に民主主義の見本を据え付けました。しかしそれについて、日本は自分たちが以前に考えたやり方であれば、もはや考えようとはしません。・・・私が冒頭に申し上げたようにそれは、米国人たちの自惚れの極みだったのです。いや、それは自惚れではなく・・・それは無知でした。

そして、占領軍が日本に施していったと考えていたすべては行われませんでした。そう、財閥はまだ存在しています。軍閥軍国主義者たちは弱体化されましたが、その芽はまだあると、私は思います。

ダニング: しかし、占領軍の影響、または終戦の影響を弱めようという日本の動きは・・・それはそれの頂点にあったのであって、その後は自然に急激な反動が起こったのでは?

バワーズ: そうです。まさにそうです。敗北するというのは、恐ろしい衝撃です。占領軍がいなかったとしても、非常に多くの変化は生じていたのです。単に戦争に敗北しただけで、かなりの変革には十分であったのです。

ダニング: 占領軍が日本に着いた時、占領軍は、そしてその指導者たちは何を認識していたのでしょうか? 彼らが調べ、考えていたことは何だったのでしょうか?

バワーズ: 殆ど何もありませんでした。我々は戦争のために組み込まれた歯車に過ぎませんでした。私が知っている人たちは誰も、日本を占領するなどということをする様になるとは考えてもいませんでした。実際、マッカーサーが非常に早くからそれを考えていたとは思えません。日本に近づいている飛行機の中で、彼が大変幅広い範囲で考え始めたのを私は知っています。彼は言いました。

軍国主義者たち、軍隊、陸軍、海軍、空軍がどれだけの費用を消費していたのか、見つけ出さねばならん。今度はその費用を全て取り上げ、教育に回すのだ。」

彼がその様なことを言うとは、恐ろしく印象的なことでした。しかしあなたも当然知っているように、お金は消えていました。・・・奇妙なことに・・・そして、陸軍、海軍、空軍のための全財源が元々どこから来ていたのか、私は知りません。何故なら、我々がそこに到着した時には、確かにそれは無かったのですから。そして必然的に、教育に財源は回りませんでした。

私は、誰かが非常に早くからある大凡の計画を立てていたとは思っておりません。たとえワシントンの政府でもそうだったと思います。まして、占領軍が実際に行ったようなやり方の計画は確実に有りませんでした。占領軍が行ったことは、私が先程申し上げたように、生活のあらゆる面への干渉でした。

ダニング: 占領軍の人々がここに到着して、司令部組織を発展させていった時、皆さんの認識はどの様に変わっていったのでしょうか?。またその態度はどの様に変わっていったのでしょうか?。それらはすべて新規に考案されたもので、歩きながら計画されていったものなのでしょうか?

バワーズ: そうですね。当時は大変に慌てふためいていましたし、相当に当て推量的にやっていました。私は・・・そのご質問にはどう答えて良いのか、実際良く分かりません。ウーン、私は、我々が非常に明確な計画を持っていたとは思っていません。そのため、我々は大幅に特別委員会(the blue ribbon committees)に依存していました。

占領軍のメンバーは、私を含めて実際にはむしろ下位の人間たちだったのです。為すべき何かを持っていた人たちは直ちに国に帰りました。何故なら為すべき何かを持っていたからです。そのようなものを持っていなかった我々の様な人間は、日本に留まりました。そして、マッカーサーは彼の将軍たちを使わざるを得ませんでした。何故なら彼は・・・結局、彼は長い間戦争を戦ってきて、彼には将軍たちの参謀がいて、それで彼は彼らを様々な部門に配置しました。

それで、経済部門の長は経済について何も知らない(語気を強めて)。政府部門の長は・・・元は交通事故専門の弁護士でした。ウーン、彼らはそれらの部門に配置されたばかりでしたから、明らかに彼らは何をすべきか良く知らなかったのです。しかしこの占領のごく初期段階で、我々は日本にさせるべきことを理解しており、それらは旨くいくであろうと思っていました。

そしてマッカーサーに関して言えば、彼が行った事は驚嘆すべき事の一つでした・・・それは彼が天皇を保持したということです。何故なら彼は知っていたからです。もしあなたが天皇を所有するならば、日本人はすべてあなたの為に行動するであろうことを。そして彼は栄誉を得るであろうことを。これはまさしく見付け出された方法だったのです。

しかしこの方法は私が言うほど、簡単でも、またつまらないものでもなかったのです。実際、マッカーサーは非常に多くの反対に会いました。天皇を・・・絞首刑に掛けたがっていた人は大勢いたのです。英国人、ロシア人が、そしてワシントンでは、アーチボルド・マクリーシュ<1> とディーン・アチソン<2> が天皇を・・・絞首刑にしたがっていました。

それらに対して、マッカーサーは頑強に『NO』(語気を強めて)と言ったのです。彼にこの動機を与えた背景には、彼が大変古風な人間であったことが挙げられます。彼は、血統、伝統、王室に対して、大変深い健全な尊敬の念を抱いていました。こうして彼は、彼の強さを貫いて天皇を保持しました。この事が、占領が大変順調に行われたもう一つの理由でした。

我々の認識がどの様に変わっていったか? これらの米兵たちがどうなったかというと、それは異常な出来事でした。その後突然、日本人をまさに敬慕するようになってしまったのです。彼らはその食事を好きになりました。彼らはその婦人を好きになりました。彼らはその従属性を好きになりました。彼らはその慰安を好きになりました。そして当然ながら、今まで使用人を持ったことなど無かった人々が使用人を持つようになったのです。

ダニング: それであなたは、存在していたかも知れない計画よりも、占領軍が実際に行った方法の方がより効果的であったと思われますか?  非常に多くの計画があったと認識しているのですが。

バワーズ: そうですね。もしあったとしたら、私はそれらには気が付かなかった。当時は、確かにその様な計画があるようには思えなかった。それは・・・計画・・・多くの計画は即興的に作られたように見えました。

ある時、マッカーサーキリスト教について演説したいと思った時のことを、私は覚えています。それは『日本人はお説教を山の上で聞いてきた』という有名なマッカーサーの演説です。それが何を意味するのかは私は知りません。それはともかく、その時彼は、戦前および戦後の日本におけるキリスト教徒の数を知りたがったのです。

それで結局、宗教部門に問い合わせが行って、担当者は戦前には30万人、現在は3万人と言いました。ところが、宗教部門の長は、これでは不十分であると言ったのです。マッカーサーはこれでは満足しないだろう。それで宗教部門の担当者は単純にゼロを二つ付け加えたのです。こうして有名な演説『日本人はお説教を山の上で聞いてきた』の中でマッカーサーは確かにこう言ったのです。『戦前には30万人の、そして現在は300万人のキリスト教徒がおります。』そう、これは占領軍がいかに出鱈目であったか、ということの一例です。

ダニング: 大変異なる二つの文化が衝突したわけですから、実に様々な矛盾や珍しい反応が有ったに違いないと思います。これらの日本人側に及ぼした影響はどうだったのでしょうか。あなたはこれらの反応の多くを知り得る立場におられたと思うのですが。

バワーズ: ええ。日本人は長い間大変苦しんでおり、そして堪え忍んでいました。最初のころに有ったことの一つで、劇場での例ですが、演劇部門の何人かの青年たちが欲したのは天皇を啓発することでした。そこで彼らは日本人に『ザ・ミカド』を演じなければならないと告げました。そして多大な費用を掛けて『ザ・ミカド』は上演されました。衣装は超豪華なものにして、また他の日本の物はもっともらしく模倣して。しかし誰も見たがりませんでした。ごく稀に見に行った日本人は困惑していました。彼らはこう言ったのです。『これは一体何だ?』 これは不発に終わった例です。

再び劇場の例ですが、私たちは仇討ちに関するものはすべて禁止していました。何故なら、もし仇討ちの劇が旨くいくようだと、日本人は我々に復讐するであろうと考えたからでした。そのため、日本人は『ハムレット』を上演する時は非常に慎重に脚色していました。これは大変な成功を収めました。

私はこの話をいつも言って来たのですが、これは冗談のようで、本当は冗談ではないのです。日本人は戦争に勝ったと、私は本当に信じています・・・確かに、彼らは文化的には勝利を収めたのです。何故なら、どこの場所に行っても、禅に圧倒されているのは、また陶器や、詩歌や、着物や、歌舞伎や、日本美術や、日本的生活様式に圧倒されているのは米国人だからです。また今日、日本式庭園や日本式風呂を持っている米国人は信じられないほどの数に上ります。コロンビア大学の近くには、アパートの全室に畳を敷いた気持ちの良い家が有ります。

ダニング: 施行された改革に対する日本人側の反応はいかがでしたか?

バワーズ: 彼らは・・・彼らは・・・その改革が機能しないように、人々を説得していました。高い地位にいた多くの人々が・・・こう言っていました。

『どうせ長続きする訳は無いんだから、そんな事は止めておけ。日本の穀物に関しては特にそうだ。我々はあなたがたの言うことにはすべて従うが、それは結局うまくいかないだろう。』

これに対して我々の中の多くは強情で、『これをやれ!』と言ったのです。そして果たして、長期的に見ればそれは失敗していました。憲法のように。彼らは確かに我々のための憲法を採用しました。しかし日本の公式の伝統的視点は、天皇が降伏を承認したのであるから、我々・・・我々日本人は、・・・天皇の御名においてこれら米国人の言う通りにする、というものです。

ですから、彼らはどんなに馬鹿げた法であっても、それに従うことを馬鹿げているとは感じないのです。一部の人は反撃しましたが、大部分の人々はすぐに『OK』と言いました。大勢の人々が『OK』と言って、それで施行されて、そしてまさに彼らが望んでいた通りになったのです。これはもちろん・・・これはもちろん、最も利口なやり方でした。

ダニング: 振り返って見て、この占領は日本に影響を及ぼしたのでしょうか?

バワーズ: 占領としてはNOでしょう。敗戦国を征服した国家としてもNOです。今や少しも関係ありませんから。衝撃・・・約150万人?の米国人の・・・6年半強力な支配者として通り過ぎた中で・・・米国人と顔を突き合わせて接触するようになった日本人の衝撃・・・私はそれ自体が衝撃だったと思います。(語気を強めて)・・・そのことによって確かに、日本人は以前よりも我々を理解できるようになったのです。それは・・彼らが我々を範として模倣するということではないのです・・・全く・・・

しかし、我々との接触により、彼らは我々と親しくする気分になってきました。そして日本人は、占領軍が凶暴でなかったことに大変感謝しています。何故なら、彼らはソ連満州を占拠した時に何が行われたかを知っていたからです。また彼らは、もし英国に占拠されていたら何が起きたであろうかを知っていたからです。それは実に辛い日々になったことでしょう。

それに対して、米国人は優しく、また紳士的です。彼らは・・・彼らは・・・占領時代にここで権力を握っていた米国人は愚鈍な人々でした。しかし平均的な米国人は、平均的な日本人と同様、極めて紳士的です。それで、日本人は極めて感謝しています。そして、強姦や、強奪行為や、虐待は殆ど無かったので、それに対して、今まで敗北したことが無く、以前には敗北するとは夢にも思っていなかった日本人は大変感謝したのです。

ダニング: 米国における一般的な感覚では、戦後日本は非常に西洋化、アメリカナイズされ、西洋的な食品、服装、生活様式に変わったと思われますが。

バワーズ: それはいつも正しいのです。戦前私がここに滞在していた時ですらそうでした。日本はアジア諸国の中で最も西洋化されていました。日本は、植民地であったインドよりも西洋化されていました。インドは150年間、常に真似るべき英国の主人を持っていたのにです。また、350年間オランダを主人としていたインドネシアよりも。

日本の西洋化は・・・あなたもご存知のように・・・明治維新とともに始まりました。日本は理解していたのです・・・もし1860年の事件が続き、開国させられるならば、日本は植民地になるであろうと。そう、植民地にならないために、日本は白人自身の競技において白人を打ち負かさねばならなかったのです。

そこで彼らは海軍の設立を開始し、また多くの西洋的側面を取り入れたのです。彼らはすべての西洋国家に使節を派遣しました。医療のためにドイツへ、音楽のためにフランスへ、技術的ノウハウのためにアメリカに。中国、フィリピン、インドネシア、インドが不意打ちされて辿って来た道に踏み込まないように。

従って、日本では西洋化は常に図られてきたのです。戦争の遥か前から、あなたは日本でベーコンエッグとトーストの朝食を取ることができました。しかし、日本の西洋化・・・私はこの表現を常に避けてきたのですが、何故ならある意味では日本は西洋かも知れないからです。しかし、この国は西洋化が少しも影響しないほどに深く、日本そのものなのです。

私が言っているのは例えばウェイトレスは『ワンホット』で注文できます・・・これは英語で a cup of coffee  のことです・・・また、バスを『ワンマン』と呼ぶでしょう、つまり one man ですが、これは切符を切る乗員がいないという意味です。あなたは乗車する時に料金を支払うわけです。しかし、私たちが英語として『ベランダ』または『キモノ』という言葉を使う時にアジア的感覚に捉われないのと同様、これらの言葉は日本人には何の影響も与えていないのです。

ダニング: それではあなたは、占領は日本においては分岐点ではなかった、それは発展し続ける上での中間駅に過ぎなかったと、おっしゃられているのでしょうか?

バワーズ: 絶対にそうです。それは、日本の1860年から現在までの堅実な発展過程における単なるセミコロン(;)でしかなかったのです。その日本は、さらに大きな経済的発展、さらに偉大な社会、世界における道徳的な力を目指して常に進んできたのです。占領はそれを急がせることも、妨げることもしなかったと、私は思っています。


【訳注】

 <1>  アーチボルド・マクリーシュ(Archibald MacLeish) :(1892~)米国の詩人・詩劇作家。

 <2>  ディーン・アチソン(Dean Acheson):(1893~1971)米国の法律家・政治家・国務長官(1949~1953)。元モルガンの雇い弁護士。

 

  【付録2】 F.バワーズの非公開インタビュー記録(1977年)

           

ウィロビーは、大和魂に忠実な人々を上から下まで一掃しようとした。また彼は、教育界、政界、政府の全階層、そして意思決定がなされるあらゆる分野でしかるべき地位にあった人々、で独房を満杯にすべく取り計らった。

ここにおいて特に問題であったのは、大和魂にまさに反する人々を日本の中枢機構に配置し、まず彼らをIJCに服従させて行動を束縛したことであった。当然ながら彼らの労働の結実として期待できたのは、米国の複写となった50年後の日本の姿だけであった。また完全な複写とまでは行かなくとも、その独特な島国の人々を彼らに率いられて可能な限り米国の複写に近付けられた日本の姿であった。

国会は粛清され、占領法規の下で明治憲法は廃棄され、新たに

『フィリピン用に作られたメイド・イン・アメリカ憲法

が採用された。この辺のすべての事情に関しては、自著『強要された憲法』の中で大量の証拠類を基に極めて詳細に議論しているので、ここで再度繰り返すことは省かせて頂く。ここでは次の事を言うだけに止めたい。1960年代に私がこの問題に気付いてから、私が話しかけた私心のないすべてのアメリカ人は、下は鉛管工や農夫から上は連邦最高裁長官に至るまで、一様に『日本は何故自分たちの憲法を取り戻そうとしないのか』と言っている。自分たちの憲法とは当然ながら明治憲法のことである。私も全く同感である!

国会の粛清は、派閥まで考えると数え切れないほどの多くの政党を生むことになった。これは引き続いて贈収賄と腐敗の横行を招いた。これらIJCの政治的手先たちには、知っていてIJCに仕えている者と、無知な間抜け者とがいるが、いずれにせよIJCが背後から糸を引き、すべて日本の破壊のために使われているのである。その手先たちの一覧表には戦後の日本の首相の殆どすべてが含まれるであろう。

注目すべき一人の例外は、『マッカーサー憲法』のために長年咎を受けている故幣原喜重郎男爵である。私はここに挿絵的に、彼が死ぬ少し前に書いた偈<1>を添付しておく。この偈は、彼がIJCによっていかに使われていたかということについて、彼の思いを表している。

幣原喜重郎偈】*
*原文通り。最後の行は、「延及四海 四海に延(ひ)き及ぶ」に読めるようであるが…?(燈照隅註)

 

この偈は日本の憲法に関したものであるが、私には、長年の外交官活動が実はIJCの使用人としての活動に他ならなかったという、彼の心底を託したものの如くに見える。これはまた、昭和天皇の下での戦前の日本においてIJCの侵入と深い支配が有ったことを証明している。

このことを言明することは特に警戒されている。そう、これは彼らにとって極秘にしておくべき事項なのであって、誰かがこれについてもっと言明したとしたら、彼および彼の子孫を死の危険に曝すことになったであろう。IJCは、彼らの目的と活動に身を委ねた多くの諜報機関および諜報員の中から誰かを選び、暗殺に従事させるのである。

GHQ占領下での企業経営においては、ある程度『米国企業』と提携しなければ、原料や物資を得ることはできなかった。そしてこれら日本の純真な人々は、その米国の企業や企業人たちが何物で、何を代表しているのか、またそれらは殆ど常にユダヤ人たちがIJCのために所有していたなどということは、殆ど想像もできなかった。無邪気な日本人たちは、そのユダヤ人たちを英国系の真の米国人と考えていたのであった。

私たちはすべての形態の日本のメディアについて既に言及してきたが、今日それらはすべてIJCのために占拠されてしまったか、または人類の心を支配しようという彼らの戦いにおいて殆ど何の影響も及ぼさないほど、深く浸透されてしまった。彼らのその戦いは日本においては、大和魂を持つ世代が年老いて死んでいくことによって今日最終段階に入っている。

1995年の現在、若者たちは、何の窮乏も、飢餓も、そして恐れられたB-29による爆撃の恐怖も知らない。彼らは、若者たちの見る気をそそるような描写しかしないテレビのショー番組で、『良き時代』として映し出されるものしか知らないのである。

そして、若者たちは写真雑誌で見たものの鏡像をまた放映しようとするのである。それはIJCが彼らのために用意した計画だったのであり、娯楽産業が米国および世界に供給してきたのと全く同様に、今日の日本で見事に成功している。

幸運にも日本には『古き世代』がまだ少しは残っており、また小数ではあるが良く教育された若い人たちがいる。おそらく、可能性は大きくないかも知れないが、大和魂の炎を再燃させるには十分な人々がいると思われる。

 

【訳注】

 

 <10>  弊原喜重郎偈:偈とは、経・論などの中に、詩の形で、仏徳を賞賛し教理を述べたもの。幣原喜重郎はこの偈において、「有声の声」には日本国憲法など外国勢力に強要された文書類を、そして「無声の声」には明治憲法教育勅語等を含む地湧の精神を託したと考えられる。

 <11>  旧約聖書 箴言29.12より。

 <12>  弊原道太郎氏:弊原喜重郎元首相の子息。元独協大教授。