ドイツ悪玉論の神話085

マーティン・アランは、自身の著書「ヒトラー・ヘスの欺瞞(The Hitler Hess Deception)」(Harper Collins 2003年)でヒトラーの法律顧問、ルートヴィヒ・ヴァイサウアーを引用している。ヴァイサウアーによると、独逸はフランス侵攻の間にヴァイサウアーの知り合いだったスウェーデン最高裁判事、エーケベリを通じてスウェーデン英國大使ヴィクター・マレットに接触した。エーケベリは英國大使に「ヒトラーは、白色人種の将来に責任を感じている。彼は、心から英國との友好を望んでいる。彼は、平和が維持されることを望んでいる...」と伝えた。

ヒトラーが申し出た和平の条件:

  1. 大英帝國はその全ての植民地と委任地を維持する。
  2. 独逸の大陸に於ける優位性(支配権)には、反論しない。
  3. 地中海とフランス、ベルギー、オランダの植民地に関する問題は交渉する。
  4. ポーランドポーランド國家は存在すべきである。
  5. チェコスロヴァキアは、独逸に帰属する。

エーケベリは、この和平提案で暗示されているのは、独逸に占領された全ての欧州の國家はその主権を回復すると理解した。これら國家の独逸による占領は、本質的に防御的であり、そして独逸に対する軍事的脅しの結果であった。

 

チャーチル:戦争を愛する者

ラルフ・レイコ博士は、1997年の「チャーチル再考」と言う論文で書いている。
「しかし、ウィンストンには、原理と言うものがなかった一方で、彼の人生における不変があった、それは戦争への愛。それは、早くから始まった。子供の頃、彼は、1500体にも上るおもちゃの兵隊の巨大な集積を持っていて、大抵の少年がおもちゃを別のものに変える時期になってもそれで長年遊び続けた。彼らは「全員英國兵だ」と言い、「彼は弟のジャックとそれで戦闘を戦った。ジャックは、色付きの兵隊しか持つ事を許されず、また、色付きの兵隊は、大砲を持つことを許されなかった。」彼は、大学ではなくサンドハーストに入学した、そこは陸軍士官学校で、「その時からチャーチルがサンドハーストを去る迄、(中略)彼は、どこで戦争が起きていても戦いに入る為に全力を尽くした。彼は人生の全てにおいて最もわくわくした(中略)、戦争のみに興奮したのだった。近代の人間は殆ど愛さなかったけれども彼は戦争を愛した。彼は、自分がそう呼ぶ「バンバンと言う音を愛しさえした。」そして彼は、砲火を受けている時でも非常に勇敢だった。チャーチルにとって、戦争のない年月は彼に「平和で平凡な穏やかな空」以外、何も供しなかった。」

1911年、チャーチル海軍大臣となり、適所を得た。彼は手早く政府内の戦争好きを捜し出し、第一次大戦の準備(宣伝)期間には、常に戦争を煽り続けた。チャーチルは、内閣で最初からずっと戦争を支持したただ一人の閣僚で、しかも本當に熱心にしたのだった。アスキス首相は、彼について書いている。「ウィンストンは、非常に好戦的で即刻の動員を要求していた(中略)出陣の用意が出来ているウィンストンは、朝の早いうちから海戦とゲーベン(独逸戦艦)の沈没を心待ちにしていた。この全てが私を悲しみでいっぱいにするのだった。」

第一次大戦中、独逸の周りに飢餓の封鎖を確立したのは、チャーチルであった。そのような事は國際法の違反であったにも拘らず、それは、戦争が終わってからも7か月近く維持され、結果として100万人近くの独逸の民間人が飢え死にした。しかし、人類が戦争による恐怖状態を限定しようとした國際法や協定など、チャーチルはその経歴を通じて全く意に介さなかった。彼は、異様にも、罪なき人々の大量死にも動じず、古代の文化の中心が破壊されることにも動じなかった。それは彼の気まぐれのなせる業だった。チャーチルは、躁鬱病患者で、鬱が発病している間は、「黒い犬」と呼ばれていた。彼は激しい戦争で活躍したが、普通の人の事は殆ど気にしなかった。これは、精神病質者(気違い)の古典的定義である。

フェビアン協会の共同設立者であるベアトリス・ウェッブ男爵夫人は、晩餐会でチャーチルの隣に座った。彼女は、「第一印象:落ち着きがない、殆ど我慢できないほどに。(中略)利己主義、傲慢、軽薄で反動的、しかし、ある種の人を惹きつける力(中略)英國の貴族と言うよりは寧ろ米國人投資家。専ら自分自身の事と選挙運動の計画だけを話す...」と書いている。

チャーチルがルシタニア号の沈没を策動したことは、ほぼ確実である。それは米國第一次大戦に参戦する引き金となった。

今は権力の座に返り咲き、首相としての第一日目、1940年5月10日、チャーチルは無防備な大学の町、フライベルクの空襲を命令し、独逸の民間人を多数殺した。フライベルクの空襲には軍事的目的は何もなかった。フランスが陥落した後、チャーチルは航空機製造大臣のビーヴァーブルック卿に「ちょっと見回して、我々が如何にして戦争に勝てるか、考えてみると、たった一つ確実な方法は、(中略)この國からナチの祖國への重爆撃機による完全に破壊的な殲滅攻撃だ。」と書いている。(強調付加)

ヒトラーにより、ダンケルクの贈り物を与えられながら、チャーチルはそれを認定する事すら拒否し、それどころか、ダンケルクの海岸から英國へ帰還した英軍撤退を英海軍が英雄的奇跡をやってのけた様に塗り替えたのだった。彼は、戦争を続けて行く決断の中で、これまでになく好戦的になったのである。

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