ドイツ悪玉論の神話089

チャーチル英米両方での猶太人の力を理解していた。彼も猶太人の支援集団、フォーカスの支援の結果、首相になれたのである。マイケル・J・コーエン教授は、その著書「チャーチルと猶太人」の中で、次の様に書いている。
「(チャーチルは)シオニスト運動が強力な政治的経済的影響を特に米國で及ぼしていると信じていた。1939年の12月の時点で、彼は閣僚に対して米國の資源を英國の戦争遂行に動員するのにシオニストが演じる重要な役割について講義している。彼は、1917年に英政府がバルフォア宣言を公表したのは軽い理由や感傷的な理由からではなく、米國の支持を取り付ける為であった、と言った。1939年、チャーチルは、歴史は繰り返し、シオニストが大西洋を挟んだ彼らの代理人を介して、勝敗に関わる米國の早い時期の参戦の動きを加速するのに、影響力があるはずだと信じていた。」

米國の人々は、頑強に参戦に反対していたけれども、ルーズベルトは、断固として参戦する道を探っていた。1941年8月に公開されたロンドンの戦時内閣閣議の議事録にはチャーチルの報告が含まれている。チャーチルは、「彼(ルーズベルト)は明らかに彼ら(米國)が参戦すべきだと決心している。」また、議事録にはこのようなチャーチルの論評も含まれている。「大統領は、戦争に参加するが宣戦布告はせず、そして、さらに一層挑発的になる。独逸がそれを嫌えば、米國軍を攻撃することも出来る。(中略)全ては、何らかの事変を起こすためのものだ。」しかし独逸は、挑発に乗ることを拒み、また、非常に慎重に、米國の参戦の口実になるような事件を避けたのであった。

1941年7月5日、ワシントンの英國海軍代理、リトル提督は、第一海軍卿パウンド提督に書き送っている。「米國参戦の最も明るい希望はアイスランドへの護衛手配にあり、独逸が彼らを攻撃するのに躊躇しないことを願おう。」リトルは付け加えて、冗談かもしれないし本気かもしれないが「でなければ、我々自身の潜水艦で、護衛に対して(攻撃するの)が好ましいが、(独逸の)攻撃を策動するのが一番だと思う。」と書いている。それに先立つ数週間前、チャーチルは、米國の参戦の機会を探って、独逸戦艦、プリンツ・オイゲンに関してパウンドに次の様に書いている。「例えば、プリンツ・オイゲンが米國の戦艦に捕捉されるというのはより良いだろう。それでオイゲンがその米艦に砲撃する誘惑に負ければ、それで事件が提供でき、米政府は感謝するだろう。」米國が独逸との戦争に近づいて来るに従って北大西洋に於ける事件は、益々頻発するようになった。

1941年の8月9日から12日にかけて、米國が参戦する前、ルーズベルト大統領はカナダ・ニューファンドランドのアルジェンシャ沖に停泊している英戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」艦上で会談した。彼らは、共に、戦争と平和の目的について提示した大西洋憲章を下書きした。続いている大西洋の戦いに於ける米海軍の関わりについても話し合われた。米海軍は既に大西洋を横切って英國に送られる軍需物資の船団の護衛に関わっており、これは、國際戦時法によると戦争行為であったが、このニューファンドランド沖会談後は、米海軍は積極的に独逸潜水艦に対決姿勢を始めた。これまでに米國は独逸に対し、既に宣戦布告無き、事実上の戦争状態にあった。それは、独逸がもたらした戦争ではなく、望んだ戦争でもなく、独逸が必死で避けようとした戦争であった。

しかし、ルーズベルトは、完全に対独戦を望んでおり、それには下院の宣戦布告が必要であった。しかしながら、これまでは、独逸はその口実を提供する事を何とか避けていた。独逸は、イタリアと日本と三國同盟を結んでおり、その条項の一つが、三國の何れかが戦争に巻き込まれれば、三國すべてがその戦争に加わる、と言うものだった。ルーズベルトは独逸を戦争に挑発する事に失敗してきたので、彼は日本に注目を変えた。日本との戦争を挑発する事により、彼の望む独逸との戦争になるのであった。ジョゼフ・E・パーシコの「ルーズベルトの秘密戰爭(Roosevelt's Secret War)」、ロバート・B・スティネットの「欺瞞の日(Day of Deceit)」が共に疑いの陰という事を完全に超えて、以前の何十もの多年に亙る機密書類の研究を根拠に、ルーズベルトは、故意に日本にハワイで米艦隊を攻撃するように挑発したことと、更に彼は日本軍がいつどのような規模で攻撃に来るか正確に知っていたにもかかわらず、日本軍の攻撃に備えてハワイの司令官に警告する事を拒否したことを証明している。日本の攻撃後、輿論は戦争に強硬に反対、から強く賛成、へ振れた。下院は、時間を置かず、日本に対する公式の宣戦布告をした。三國同盟は、独逸を米國との戦争に巻き込んだ。チャーチルルーズベルトは遂にその目的を果たしたのであった。

ルーズベルトは、自分が本當に望んだ独逸との戦争を始めるために日本を挑発したのであり、彼は、対日よりも、対独戦が一番の優先事項であると発表した。独逸が打ち負かされたとき、その時我々は、日本を打ちのめす方に注意を転じるであろう、しかし、まずは独逸だ、とルーズベルトは言った。1942年2月15日、チャーチル米國の参戦についてこの様に言った。「これが私が夢見たこと、目的としたこと、取組んできたこと、そして今やそれが叶ったのだ。」遡ること30年、チャーチルは、アスキス卿に、自分の人生の野心は「戦いで偉大な勝利の軍隊を指揮する事だ」と語っていたのであった。

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独逸とソヴィエト連邦の間の残虐な戦争は、世界がその終末に欧州文明の未来と同様に世界の残りの大部分の未来を決める、終末論的な戦いとして急展開しながら続いていた。ソヴィエト連邦と独逸は、二つの巨大な対立する力、政治的、社会的、経済的、宗教的、文化組織の争いを含む力、そして、いつかは衝突する力、を代表していた。ヒトラーは自分自身を 欧州を席巻し消滅すると脅す強欲な敵に対する、西洋キリスト教文明の守護者と観ていた。彼は、ソヴィエト連邦に先制的に侵攻する前、英國と西側の國との問題を解決する最善を尽くしたが、英米は協力を拒んだ。ソヴィエト連邦侵攻の決断に於いて、ヒトラーは、独逸にとって時間が無くなりつつあることを計算した。ソヴィエト連邦は日々、より強力になっていた。独逸が攻撃を躊躇していたら手遅れかもしれなかった。

しかし我々(アメリカ)は、ソヴィエトロシアに単なる「同盟」以上の事をした。米下院議員ハミルトン・フィッシュの「悲劇的欺瞞:FDR と米國の第二次大戦の関わり(Tragic Deception: FDR & America’s Involvement in World War II)」によると、レンド=リース法の下でFDR は、ロシアに2万機の航空機、40万台のトラック、数千トンの軍需物資、巨大な量の靴用の皮、制服の布、数百マイルの有刺鉄線と電信線、数千両の機関車と自動車、巨大規模の全ての種類の食糧供給、独逸に破壊された工業設備を補完し、新しい工場を設置するための設備などを送ったのであった。この戦時物資の無限の豊饒がなかったならソヴィエト連邦は、戦争に負けていただろう。

振り返ってみれば、英米が、自分たちの兄弟分であるキリスト教徒の独逸に対抗して、猶太人支配の共産主義ロシアと同盟を組むことを選んだことは、殆ど狂気の沙汰であったと見えて来る。しかし、実際に、ルーズベルトチャーチル両方を取り囲み、支配したのも、新聞や情報媒体を そして、それ故に、輿論、両國民の利益と福祉に真っ向から対立する方向であったにも拘らず両國をその方向に推し進めたものを支配していたのも、猶太人であった。猶太人は非常に利口に操り、彼らの大きな競争相手、西洋キリスト教文明を同士討ちの壊滅的な戦争に巻き込み、そしてそれは、最終的には、國際猶太のみを利する事となったのであった。

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