ドイツ悪玉論の神話102

第二十三章 勝者と敗者

第二次大戦は、第一次大戦の続きであったことに気づかされる。その見方は、明らかに眞實ではあるが、それが全てではない。第一次大戦は、独逸が大陸欧州を支配しない様に戦われ、そしてヴェルサイユ条約が独逸を抑止するために課せられた。独逸が何とかヴェルサイユの足かせを投げ捨てて再び列強となった時、その舊(旧)敵、仏英がもう一度戰爭する事を決断した。しかし、それは、第二次大戦の一つの要素に過ぎない。その間にもう一つの略奪性の力 -共産主義の旗の下の國際猶太- が第一次大戦の残骸から出現し、今や力を失って無防備の欧州を脅し始めた。猶太人は西洋キリスト教文明の競争勢力としていつもそこには居たのだが、彼らは常に阻止されてきた。今や、病み衰えて、免疫組織が弱っている体に押し寄せる細菌の様に、彼ら猶太人は「欧州の死体」に拡がっていた。

第一次大戦の結果として、ロシアも含めて欧州の全てが破産して混乱状態であった。即ち、この新しい侵略者の略奪に対して極端に弱体化していた。1917年のロシア革命の結果はその手に落ちた最初で、そこがその作戦の基地となった。今やそれが支配するロシアの経済と軍事の力を使い、國際猶太は、共産主義の旗印の下、全欧州の支配を握ることに着手するところであった。彼らの手口は、猶太人支配の、モスクワが根城の「國際共産主義」(コミンテルン)の下で組織された共産党の組織網を通じて不満な大衆の間で革命を扇動する事と、支配権を継ぐ為に欧州各國の第五列として機能する猶太人の大衆を調整する事である。(「第五列」とは、密かに非合法に内部から國家を弱体化する集団である)

独逸一國だけがこの欧州への新しい脅威が何であるかを認識し、それに反対するために自分自身を組織したのだった。独逸の舊敵、英仏は、結果的に独逸を抑え込むと言う同じ古い課題を追求して、独逸に対する戦争(第二次大戦)を始めたが、戦争のこの一面は、主な争いの補助的なものになった。主たる争いは、一方で、自ら西洋キリスト教文明の守護者を名乗り出た独逸と、他方、共産主義と見せかけて、全欧州の征服を意図した國際猶太の間であった。独逸のヘルマン・ゲーリングは、この戦争の真の本質を理解していた。「この戦争は二番目の世界戦争ではない。これは、大民族戦争である。最終的な分析では、これは、独逸とアリアン人種が勝つか、或いは猶太人が世界を統治するかについてであり、そしてそれが我々が戦っている目的なのだ。」(ヘルマン・ゲーリング、マイケル・バーリーの本「第三帝國、新しい歴史 2000年」での引用。)

ルーズベルト大統領とルーズベルト政権が、この戦争の本質を理解していた程度や、この二面のどちら側に最も専心したのか、それは判然としない。ルーズベルト政権に居た多くの人が疑いなく、独逸が世界平和に対する脅威で阻止しなければならないと確信していたことは疑いない(もちろん馬鹿げている)。しかし、ルーズベルトは何を信じていたのか? ルーズベルトは彼自身、社会主義に傾倒し、彼自身、ヨシフ・スターリン(ジョーおじさん、と呼んでいた)と共産主義ロシアの崇敬者であったし、また、彼の側近に同じ意見の者を配置した。ルーズベルト政権は、共産主義ロシアを支配する猶太人の忠実な代理人である、共産主義者猶太人に最深部まで浸透されていた。これらの者は、自分たちの権力の全てを使って、米國の力をソヴィエトロシアの大義*(そして、それは國際猶太の大義)の為に利用した。ルーズベルトの猶太人財務次官補、ハリー・デクスター・ホワイトはソヴィエトのスパイであり、そして過半数ルーズベルトの顧問は隠しもしないソヴィエト連邦同調の猶太人であった。ルーズベルトの課題はソヴィエト連邦と行動を共にして独逸を滅ぼし、そして西側世界を米國ソヴィエト連邦との間で分割支配する事だった。それが彼の一貫した目的であったことは、彼が戦争中にしたあらゆる決断が示している。(*原文:cause)

レンド-リース計画を通じて、ルーズベルトは、米國の産業の力全体を投げ打って「ジョーおじさん」とソヴィエト連邦を支援した。航空機20,000機、トラック44万台、それにあらゆる種類の軍需品原材料が大量に米國からソヴィエト連邦に注ぎ込まれた。これらの大量の支援なしにはロシアは独逸を打ち負かすことは出来なかったであろう。

同時にソヴィエト連邦は、独逸と地上で巨大な戦いで交戦し、チャーチルルーズベルトは両方とも、各々異なる課題を持ちながら、一緒に戦って独逸の都市を空襲爆撃を通じて破壊した。英米は、大戦末期、独逸が基本的に敗北してからしか、地上戦には入らなかった。

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数百万人が殺され、殆どの都市が破壊され、独逸は、容易にわかる、第二次大戦の敗戦國だが、真の、長い目で見た戦争の勝利者は少なくとも最初の段階では容易には解らない。英國は、勝利者の一つとして挙げられるが、英國にとってそれは、ピュロス王の勝利(大きすぎる犠牲を払った勝利)であった。独逸に戦争を強要し、独逸の数々の和平提案を頑強に拒否し、チャーチルは、英國に破産をもたらし、大英帝國に幕を下ろした以外、何も成し遂げなかった。

二つの明白な戦争の勝者は米國ソヴィエト連邦であった。それは誰の目にも明らかだ。しかしその他の大きな勝者、それは、少なくとも最初はそんなに明白ではないかもしれないが、國際猶太である。國際猶太こそ、戦争の主要な勝者であるとさえ言えるのである。けれども、そのような断言をすることは、今日、非常に強いタブーを破ることになるのだが。猶太人は當然、勝者などではなく、戦争の究極の被害者として描かれるだけかもしれない。しかし実際の事実は猶太人は全ての戦線で勝ったのだ。

戦争末期にソヴィエトが東欧に入った後、猶太人は、ソヴィエト連邦支配下に下ったあらゆる國で支配するエリートとして就任した。ジョン・ガンサーは、その著書「鉄のカーテンの後ろ」ハーパー(1949)、の中で書いている。「ポーランドハンガリールーマニアチェコスロヴァキアには、すべて猶太人独裁者が居る。」ガンサーによると、ハンガリー政府の最高位の猶太人三人は、ラーコシ・マーチャーシュ(ローゼンクランツ)、ゲレー・エルネー(シンガー)、ゾルタン・ヴァッシュであった。ポーランドでは、猶太人のMinc、Skryeszeqski、モッドゼルースキ(Modzelewski)ベルマン(Berman)、ルーマニアでは猶太人の支配者は、アンナ・パウケル(Anna Pauker)であった。チェコスロヴァキアでは、ルドルフ・スランスキ(Rudolph Slansky)。鉄のカーテンの後ろで唯一の非猶太人独裁者は、ユーゴスラヴィアのチトーだったが、彼の右腕は、猶太人モサ・ピヤーデであり、また、猶太人はチトー政権で殆どの要職に就いていた。ガンサーによると、「彼(ピヤーデ)はチトーの精神的支柱だった...チトーの観念的組み立ては何でも敏腕の老人から得たものだった。」これらの國々の独裁者が猶太人だっただけでなく、彼らの行政機構は完全に猶太人だった。重要な職はソヴィエトが占領した國の全てで猶太人が採用された。これは、偶然でもまぐれでもなかった。猶太人がソヴィエト連邦を支配した、そして猶太人のエリートがソヴィエト占領下の全ての國で支配層に配置された。これらの支配する猶太人エリートは、彼らが統治した國にではなく、ソヴィエト連邦を根城にした國際猶太に、忠誠心があった。だからこそ彼らは配置されたのだった。

猶太人は、また、戦争の結果、長い間求め続けたイスラエル國家を獲得し、そして、戦争の勝者の名誉ある伝統に於いて、イスラエル國際國家は、敗戦國、独逸から賠償として莫大な金額を要求し、受け取った。(独逸はイスラエルに750億ドルをこれまでに補償として支払った。法外なヴェルサイユ条約の要求した賠償は、独逸に350億ドル払う事を要求しただけだった)これらの補償支払いの相當部分は439万人の猶太人個人に(補償金)として支払われた。今日、戦争から70年の後、独逸は未だに終身年金を50万人の所謂「ホロコースト生存者」に支払っている。-つまり、戦争中独逸に占領された領土に住んでいた、若しくは、戦争の結果移民(出國)を強要された猶太人に対してである。勿論、算術は、ホロコーストの主張を支持することと全く合わない。戦時中、独逸支配下に居た猶太人は450万人のみであるが、これらの450万人のうち、「申し立てられた」ガス室で600万人が皆殺しされた上、439万人が「ホロコースト生存者」として独逸の年金を要求して生きていた。

欧州の戦争に終わりが来た時、猶太人は全てを支配していたように思われる。彼らは、ソヴィエト連邦を支配していたし、殆ど英國米國も支配していた。彼らは独逸に於ける連合國の占領行政の中にあまりにもたくさんいたので、彼らが、モーゲンソウ計画を含めて占領の条件をすべて指令した。彼らはニュルンベルク裁判も完全に統制していた。彼らは、占領下の独逸の殆どの新聞に責任者として配置されすらした。彼らは既に連合國のニュース、情報、娯楽メディアを支配、統率していた。それ故に、打ち負かされた「ナチス」について公衆に伝えられることになる話を押し付けたのだった。これが、猶太人が自分たちを究極の被害者として位置づけることができた方法であり、一方で、同時に勝利の報酬を全て刈り取れた方法でもある。

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