ドイツ悪玉論の神話078

反戦運動が活発化

一方で、米國では反戦運動が強さを増していた。その運動の主な声の一つが共和党のニューヨーク選出の指導的下院議員、ハミルトン・フィッシュだった。フィッシュは一連のラジオ演説でルーズベルトの戦争への道(行進)を暴き、一方、自分は平和を望んでいるだけだと主張した。1939年の1月6日、フィッシュは全國向け放送で聴衆に次の様に話した。

「大統領の下院での、そして世界に向けた煽情的で挑発的な演説(二日前に行った)は、不必要に米國の人々に警告し、ニューディールの高官から絶え間なく発散される宣伝工作と相俟って戦争ヒステリーを作り上げ、世界と米國の平和にとって危険です。そのような演説のたった一つの論理的結論は、米國の兵隊による海外での新たな戦争なのです。

ルーズベルト大統領が挙げた全ての全体主義國家(中略)は、我々に対して戦争する意図も、また、ラテンアメリカを占領する意図も微塵もありません。

私は、この様な、我々の人民の生活、自由と仕合わせに影響する問題について、婉曲に提案はしません。米國の血とカネで我々に世界の検疫をさせようとする、戦争による不當利得者や共産主義者やヒステリックな國際主義者(猶太人の事)に支援されたニューディールの戦争屋に今こそ、終わりを宣告するときが来たのです。

彼(ルーズベルト)は、解決していない國内の諸問題から人々の目を逸らす為に、明らかに憎悪の狂乱と戦争精神病を駆り立てることを望んでいます。彼は、自分の想像の中にしか存在しないお化けを見て、また、公衆の心に外國による占領の恐怖心を作り出しているのです。」

また、1939年4月5日のラジオ演説では、フィッシュは次の様に言った。

米國の若者が再び民主制にとって世界を安全にするために、欧州の血の風呂に浸かる用意をされています。

ヒトラーナチス政府がヴェルサイユ条約で独逸から取り上げられた、そして住民の90%が独逸人のメメルやダンツィヒを取り戻すと、何故、脅しや非難を発布し、我が人民を鼓舞して戦争に行かせる必要があるのでしょうか?私は、米兵の一人の命をメメルやダンツィヒの6人の命の為に犠牲にするつもりはありません。我々は、ヴェルサイユ条約を拒否したのです。何故かと言いうと、それが、強欲と憎悪に根差しており、その不平等と不公正が存在する限り、解放のための戦争は避けられないからです。

ヴェルサイユ条約の条項のいくつかは破棄されることは早ければ早いほど世界の平和には良いでしょう。

私はアルザス、ロレーヌとチロルを除いて、人口が紛れもなく独逸人である地域が独逸に復帰する限りにおいて、西欧州に戦争は起きないものと信じています。ナチス共産主義との間で戦争があるかもしれませんが、それがあったとしてもそれは、大英帝國の戦争でもフランスの戦争でも、他の民主制國家の戦争でもありません。

ニューディールの代弁者は、戦争ヒステリーを撹乱して本気の狂乱を起こしています。ニューディールの宣伝工作の機構は、既に戦争の不安で苦しんでいる我が人民の心を戦争に向けて準備するために残業までしています。

ルーズベルト大統領は、米國きっての戦争屋で、株価と米國民に不安を与えている國民に拡がった恐怖心に大きな責任があります。

私は、1,200万人の失業者を出し、企業の信用を破壊したニューディール政策の失敗と破綻を隠す為に戦争の宣伝工作とヒステリーを唆している政権を非難します。

私は、外部からよりも國内に居る敵による方がはるかに恐れるべきものだと信じています。ソヴィエトロシアの利益の為に、全ての共産主義者が連合して独逸と日本に対する戦争に進むよう我々を急き立てています。

英國は、大英帝國とその植民地を維持できたことで、未だに(第一次大戦時の継続で)全ての米國人に彼らの義務を果たすこと(大英帝國の防衛)を期待しています。戦争による不當利得者、軍需産業と國際金融業者(猶太人の事)は、すべて、新たな世界戦争に参加する用意をしています。」

英雄飛行士、チャールズ・A・リンドバーグルーズベルトの戦争大義への主な敵であった。そして國中を回って独逸と戦争する事に反対の声を上げた。1941年5月1日の日記帳の中でリンドバーグは次の様に書いている。

「戦争の圧力は、高く、募っている。人々はそれに反対しているが、政府は「何か歯に挟まった」ように思われ、何としても戦争への道を進もうとしている。殆どの國内の猶太人利害は戦争の背後にあり、彼らが我々の新聞やラジオ放送、それに活動写真(映画)の殆どを牛耳っている。更に、「知識人」、「英國贔屓」、完全に行動の自由が許されている英國代理人、國際金融の利害、そしてほかにも多数が居る。」

ルーズベルトの独逸との戦争を望んだ動機については、長い間、議論の的となっている。独逸によって米國の利益は全く脅されなかったし、戦争による利益もなかったので、ルーズベルトの戦争の決断は、ほとんど意味をなさない... つまり、ルーズベルトの猶太組織との親しい繋がりが無ければ。猶太人の歴史家として、ルーシー・ダヴィドヴィッチは、次の様に書き留めている。「ルーズベルトは自分自身でその身辺に前後のどの大統領よりも猶太人を多く取り込んだ。フェリックス・フランクファーター、バーナード・M・バルーク、そして、ヘンリー・モーゲンソウは、彼の一番身近な顧問であった。ベンジャミン・V・コーエン、サミュエル・ローゼンマン、そしてデービッド・K・ナイルズは、彼の友人で信頼する補佐官であった。」

ルーズベルトは、完全に猶太人の虜になっており、その政治経歴を猶太人に負っており、そしてそれ故に彼自身を猶太人で取り囲んだ。その程度は、殆ど他を排除するくらいで、本質的に彼自身が猶太人になってしまっていた。猶太人の態度、動機、目的は彼のものとなった。彼ら猶太人は独逸を憎んだ、そして彼もまた独逸を憎んだ。彼ら猶太人は断固として独逸を滅ぼすつもりだった、そして彼もまた、断固として独逸を滅ぼすつもりだった。

1939年の夏、駐ワシントン・ポーランド大使、イェジ・ポトツキ伯爵はワルシャワに休暇で帰國し、戦争精神病に掴まれた西側と比べて、ポーランドの静かな気分に注目した。ポーランド外務省の次官であった、ヤン・ゼンベック伯爵に、西側を掴んでしまった戦争精神病の増大についての会話の中で、ポトツキはゼンベックに次の様に言った。

「西側には、戦争に突き進むあらゆる種類の要素がある。猶太人、超資本主義者、武器商人。今日、彼らは皆、大きな商売の用意が出来ている。何故なら、彼らは、火をつける場所を見つけたからだ。それはダンツィヒだ。そして、戦いの準備ができた國、ポーランドだ。彼らは、我々の後ろで商売をしたいのだ。彼らは、我々の國を破壊する事に無頓着だ。実際、あらゆるものが後で再建築されなければならないので、彼らはそこからも同様に利益を得るのだ。」(Jan Szembekの日記より)

1939年8月24日、チェンバレンの顧問、ホーレス・ウィルソン卿がケネディ大使のところにチェンバレン首相からルーズベルト大統領への緊急の呼びかけを持って駆けつけた。彼は、戦争を回避する為、ルーズベルトに「ポーランドに圧力をかけて」独逸との交渉をするように望んだ。チェンバレンは、既に、英國ポーランドに「保証」したことを悔やんでいた。ケネディは、國務省に電話をかけて、英國が「自分たち(英國)は責任(保証)があるのでその種の事は何もできないが、我々(米國)は、出来るだろう、と感じている」と言った。ルーズベルトチェンバレンの申し立てを即座に拒否した。ケネディがこれをチェンバレンに報告した時、ケネディによると、チェンバレンは言ったそうだ。「その無益さは全て恐ろしい事である。結局、我々はポーランドを救えなかった。我々はただ単に復讐の戦争、それは全ての欧州の破壊であるのだが、に突き進むのか。」

ケネディは、ルーズベルトに電報を送り、平和の為に干渉する事を強力に勧めた。「この状況は、大統領が世界の救世主になるような結果となるかもしれない、と思われた。英國政府は、この様に、ヒトラーとの合意は容認できなくなっていたが、大統領自身が世界平和のための計画を示すことが出来る瞬間かも知れない。この機会は、二度と再び訪れないが、人生で立派に現実的な人間として、私は、大統領が自分自身を世界を救う立場に持って行くことが出来るのはあり得ないことではないと信じた。」

 

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ジョセフ・P・ケネディ・シニア ルーズベルト政権の駐英米大使


ルーズベルトは、ケネディの努力を退け、ケネディの申し立てを「...私が今まで受け取った中で一番ばかばかしい手紙」と呼んだ。ルーズベルトは、ヘンリー・モーゲンソウにケネディは「嫌な奴だ」と言った。「ジョーは、これまでずっと宥和者だ。そしてこれからも常に宥和者だ。もし、独逸とイタリアが明日にでもよき平和提案をすれば、ジョーは、すぐにでも王様と彼の友達の女王様、そこから更に下っ端に、全員が承諾するまで(宥和に)取り組み始めるだろうよ。」と言った。ケネディの欧州での戦争を避けようとする頑強な試みに怒り心頭で、ルーズベルトは、彼に基本的に止めるように指示し、米國の如何なる平和に向けての骨折りも問題外だ、と告げた。ケネディは、圧力に屈してそれから間もなく辞職した。

英國政府とソヴィエトの間には、深い不信が発現していた。英國政府は英國、フランス、ポーランドソヴィエト連邦を含めた反独逸の相互条約を作るために奔走しており、遂に、共同宣言にソヴィエトの合意を取り付けた、しかし、チェンバレンは、ポーランド政府に「額面無しの小切手」を手渡した時、ソヴィエトにそれについての相談をせずにしてしまった。ソヴィエト政府は、英國が自分たちに相談なしで違った計画を進めるつもりか、と當惑し、それを侮辱と取った。ソヴィエトは既に仏英が自分たちに反する策謀していると確信した。ポーランドポーランドで、ロシア人に深い不信感を持っており、英仏のポーランドへの保証は、ソヴィエトが自分の参加する、どの様な同盟に参加する事にもポーランドの抵抗を強めてしまった。英仏の保証は、ロシアを敵に回すと同時に、ヒトラーを抑制する効果もなかった。

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