ドイツ悪玉論の神話096

第二十二章 犠牲者としての独逸

カイザー(独逸皇帝)が第一次大戦を始めなかった様に、ヒトラーと國家社会主義者は、第二次大戦を始めなかった。更に、ヒトラーは、彼の力が及ぶ限りのあらゆることをして英仏米との戦争を避けようとした。彼はまた、戦争が進展する中で多数の和平主導をしたが、その全てが拒否または無視された。英仏が、独逸に対して宣戦布告したのであって、独逸がしたのではない。独逸の西側での軍事主導、例えばノルウェー侵攻、フランス侵攻、低地帯の占領等は、全て先制攻撃であり、根は本質において防御的であった。ソヴィエト侵攻も同様に先制攻撃であった。非戦闘員への爆撃も独逸が始めたものではなく、英國が始めたものだ。

もし、一体、ではヒトラーナチスは何をしたためにその恐ろしい世評を得るに至ったのか、と聞かれれば、答えは、明らかに「ホロコースト」である。だが、ホロコーストは(喩え起きたとしても)戦争が始まった後までは起きなかったし、それは戦争の結果として起こったのである。ところが、國家社会主義者(「ナチス」)は、戦争が始まるずっと以前に既に悪の化け物であると特徴づけられていた。しかし、一体何を根拠に?猶太人には戦争が始まるまでの間、ある種の制限を課せられた以外、何も(理不尽なことは)為されなかった。あらゆる残虐な抑圧や皆殺しの予言など、猶太人の新聞に絶え間なく吐き出された全ての冤罪にも拘らず、である。もし何か起きたのであれば、猶太人に最終的に何が起きたか、それは、自己実現的予言の類であり、當にその予言したものによってもたらされたもの(捏造)である。

猶太人に対する独逸人の態度には、合法的な理由があった。ヒトラーと國家社会主義者は、独逸にとってばかりでなく、西洋文明にとって、共産主義を実在する脅威と見ており、そして、猶太人と共産主義を一つと見て同じものと見ていた。更に、共産主義と猶太教を混同するのも、ヒトラーが非合法化する前の独逸の共産党は、78%が猶太人であったという限りにおいて、根拠のない事ではなかった。また、共産主義革命でソヴィエト連邦を支配したのは猶太人で、しかも赤色テロルを実行したのも猶太人であるという事は、独逸人には充分に明らかだった。更にまた、独逸の1918年の革命も含めて、欧州に於けるすべての共産主義革命運動の指導者が猶太人の扇動に、若しくは猶太人に直接率いられたものであったことも明白であった。例えば、ハンガリーのベラ・クーン、独逸のカール・リープクネヒト、ローザ・ルクセンブルク、クルト・アイスナー、オイゲン・レヴィーネ、イタリアのアマデーオ・ボルディーガなどである。1936年から1939年のスペイン内戦は、実際には共産主義者によるスペイン乗っ取りの企てにより起こった。その共産主義者も、他の例に漏れず、また、ソヴィエト連邦に支援された猶太人であった。

それでもまだ充分ではないかのように、1933年にヒトラーと國家社会主義者が権力を握ると、世界の猶太は、独逸に対して「聖戦」を宣言し、彼らの世界中での影響力と力を全て用いて独逸の経済を立ち行かなくする試みをした。これはヒトラーと國家社会主義者が独逸の猶太人に対して何らかの行動を起こすよりもずっと以前の事である。彼らは、その次に容赦ない独逸と國家社会主義者の指導者に対する宣伝工作戦を推し進め、彼らの英米の指導者に対する影響力を行使して独逸に対する戦争を扇動した。猶太人は独逸を滅ぼしたかった。これはただの脅しではなかった。何故なら、猶太人は既にロシアに於いて皇帝の政権を倒すことに成功し、その後、國を完全に支配したからだ。彼らは今や独逸を標的にしていた。彼らは國際共産主義コミンテルン)を組織し、財政支援した。國際共産主義のただ一つの目的は、独逸も含め、欧州に現存する政権を倒して猶太人に率いられたソヴィエト共和國に取って替える事であった。

 

世界猶太の独逸に対する態度については、フランスの猶太人、アレクサンダー・クルッシャー教授による次の声明に代表されるものが良く知られている。クルッシャーは1937年に書いている。「独逸は猶太主義の敵であり、致命的な憎しみを以て追及しなければならない。今日猶太教(主義)の目的は、すべての独逸の人々に対する慈悲無き戦いと独逸國家の完全な破壊である。我々は、完全な貿易の封鎖を要求する。つまり、原材料の輸入を止め、女子供、すべての独逸人に対する報復だ。」

1942年12月3日、世界猶太人会議の議長、ハイム・ヴァイツマンは、ニューヨークで次のような声明を出した。「我々は否定しないし、また、告白することを恐れない。この戦いは、我々の戦いであり、つまり、それは猶太の解放の為に遂行される(中略)全ての戦線を合わせた戦線よりも強いのが我々の戦線、猶太の戦線だ。我々はこの戦争に、全ての軍需品の生産を支える財政支援をするだけではない。我々は、この戦争が遂行され続けるための道徳的活力である、我々の最大限の宣伝工作力を提供するだけではない。勝利の保証は、大部分、敵の力を弱体化する事、彼ら自身の國の内部から抵抗の内に滅ぼす事にその基礎がある。そして我々は敵の要塞に居るトロイの木馬である。欧州に住む何千人に上る猶太人が我々の敵を滅ぼす主要な要素を構成している。そこでは、我々の前線は事実であり、勝利に最も価値ある支援である。」(強調付加)

ヴァイツマンは、欧州に住む猶太人、特に独逸に住む猶太人は、「敵(独逸)の要塞に居るトロイの木馬」と言っている。ヒトラーと國家社会主義者が猶太人を當に同様に内部の、独逸の外からの敵にいつでも喜んで協力する用意が出来ている敵、と見ていたとしてもそれは驚くべきことではあるまい。國際猶太は、独逸に対して宣戦し、戦争中だった。独逸に住んでいる猶太人は、「國際猶太」の重要な部分であり、そしてその事実により、自ら宣言した独逸の敵だったのである。

英國に居た猶太人は活発にチャーチルの独逸に対する戦争の求めを支持しており、米國に居た猶太人も活発にルーズベルトの独逸に対する参戦の決断を支援していた。國家社会主義政権は独逸人の國家を守るために独逸に居た猶太人を孤立させる手段を講じる以外に、一体何が予期できただろう?彼らは、大人数の猶太人を強制収容所に入れた。米國は、同様に、日米開戦後、独逸が猶太人を監禁しなければならなかったよりはるかに正當性に欠けるにも拘らず、西海岸の日本人を強制収容所に拘束した。

1944年3月、ヒトラーは、ハンガリーが寝返ってソヴィエト連邦と同盟を組むのを防ぐ為に、ハンガリーに侵攻した。独逸とハンガリーの合同軍はその後、間もなく始まると思われたロシアによる侵攻に対して防衛し始めた。ハンガリーの猶太人達は、公然とソヴィエト連邦の味方をしてハンガリー國内で危険な「第五列」、つまり、ハイム・ヴァイツマンの言う「トロイの木馬」を構成した。戦いが始まると、彼らは、ロシア人を手助けするために可能な限り、独逸とハンガリーの合同軍によるハンガリー防衛の妨害活動をしたことは殆ど疑いない。これは、生きるか死ぬかの時代であった。1944年に猶太人を集めてハンガリーから送り出したのは独逸人とハンガリー人からすれば、自衛以外の何物でもなかった。彼らがどこに送られてその後どうなったのか、が、當に「公式」ホロコーストの支持者とホロコースト修正主義の支持者の論争の主題なのである。前者は、彼らは全てアウシュビッツで皆殺しにされた、と主張し、それに対して後者は東に移住させられたと主張する。(44万人のハンガリーに居た猶太人が1944年のたった二か月の間に、何の痕跡もなしにアウシュビッツガス室で殺され、火葬された、と言うのは馬鹿げている。)何れにしても、来るべきロシア軍との生死を賭けた闘いに彼らが妨害工作すると言う事が解っていながら、彼ら猶太人にハンガリーに残る事を許すことは、独逸人とハンガリー人にとっては気違い沙汰であったであろう。

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