ドイツ悪玉論の神話095

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ヒトラーは繰り返し、英國と和平合意に至ろうと試みた、最初がポーランドとの戦争の後、そして二回目が、ダンケルクの後、だが、和平提案は拒否されただけだった。彼は、また、ルドルフ・ヘス英國の戦いの間にドン・キホーテ使節として和平合意を取り決めようと送ったが、チャーチルはヘスの言う事を聴こうともしなかった。彼は、ヘスを監獄に送り、戦争中ずっとそこに幽閉した。

英國はただ独逸を破壊することを望み、和平を締結する事には全く興味を示さなかった。ヒトラーは、その一方で、戦争中を通じて、いつでも英米どちらとも和平合意に達する機会があればそれを歓迎していた。「無条件降伏」が、ルーズベルトチャーチルの答えだった。英米は、無条件降伏以外は拒否したのと同時に、独逸の町を次から次へと容赦なく大量の爆撃機による空襲で破壊し続けた。

ニュルンベルク裁判は、戦後に行われ、その中で國家社会主義者の指導者は戦争犯罪で有罪を宣告され、処刑されるか、長期収監の宣告を受けた。しかし、独逸に対する判事として座った者達も同様に有罪だったのである。所謂「ホロコースト」はニュルンベルク裁判で発明されたもので、被告人の全く驚愕したことに、そして被告人は、最後の一人に至るまで、裁判が始まるまでそのような事は一切聞いた事が無かったと主張した。ホロコーストの主張に対して、近年になって少なからぬ疑いが投げかけられるようになったが、喩え、所謂「ホロコースト」がすべての詳細にわたって真実であるとしても、それは、独逸の爆撃の戦争犯罪とは比べ物にならない。「大量殺戮」と言う言葉は、独逸に対して使われているが、しかし、独逸の爆撃こそ、本當の大量殺戮であった。それは同時に文化殺しでもあった。爆撃作戦は独逸を完全に破壊するために遂行され、また、出来得る限り多数の独逸人を殺すために行われた。独逸の非戦闘員は大量に殺された。彼らに何か罪があるからではなく、彼らが独逸人であるがゆえに殺された。それこそが、當に、「大量殺戮」の定義なのである。

13世紀のカトリック神学者、聖トマス・アクィナスと17世紀のオランダのプロテスタントユーゴー・グロティウスが特定の戦争の道徳性を決定するために「正義の戦争理論」を出している。彼らは、戦争が正義であるためには、まず、それが、本質に於いて防御的である事。戦争で捕らえた捕虜は保護しなければならない。戦争は適切に設立された権威により公衆に宣言されなければならない。道徳的、或いは「正義」であるためには、戦争は勝てるものでなければならない -國家は、その人口を以て勝利の可能性のない自殺の使命に充てることは出来ない。「正義」の戦争の条件を満たすためには、戦争はそれが消し去るものよりもより悪の結果をもたらすことは出来ない。戦争が終われば、直接侵略に責任あるものだけを処罰することが出来る。「復讐」は戦争を正當化しないし、また、勝利の後の「復讐」も正當化しない。恨みを晴らすのは、キリスト教の価値観に反する。「正義」の戦争は、非戦闘員に差し向けられてはならない。最後に戦争に至る決定は、最後の手段として、戦争を避けるためのあらゆる努力が尽きた後でなければならない。戦争の原因と、それを執行する上での行動の両方が正義でなければならない。

これらの基準がニュルンベルクで適用されたなら、全ての國が戦争犯罪で有罪になったことであろう。

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