ドイツ悪玉論の神話083

第二十章 独逸が低地帯からフランスを占領 いかさま戦争の終わり

5月10日、チャーチルが首相となった同じ日、独逸はベルギー、オランダ、ルクセンブルグをフランスへの唯一の作戦可能な通り道として占領した。フランスは独逸の優先的目的地であった。これもまた、先制攻撃として見なければならない。と言うのは、英國は既にこの時までに非常に多数の将兵をフランスに送り込み、英仏合わせて50万人の陸軍が独逸占領の為に組織されていた。独逸への宣戦布告以来、英仏はどちらも独逸への総力戦に備えて、気も狂わんばかりに軍事力の増強を続けていた。独逸は、と言うと、以前に論じた通り、英仏との戦争を避けようと試み、ポーランド戦争が終わった後、両國に対して正式に和平提案すら行っていたが、即座に拒否された。英仏は独逸の和平提案を拒否しただけでなく、更に仕掛け、独逸に対して大西洋の戦いとして知られる、容赦のない海戦を始め、独逸の港の封鎖もしていた。連合國の軍備増強の準備が出来たら、すぐに陸戦による独逸攻撃がこれに続くことは明白であった。

 

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フランスのマジノ線


独逸はどうすべきだったのか、どうする事も出来ずに避けようのない占領を待つべきだったというのか?ヒトラーは、再び、機先を制し、5月10日の低地帯の占領とフランスへの急襲によって彼らの先を越したのだった。フランスの難攻不落のマジノ線は独仏國境からの独逸の占領を阻止したが、マジノ線ルクセンブルグ國境までしか伸びていなかった。フランスとベルギー、フランスとルクセンブルグの國境は、英仏海峡に至るまで強化されていなかった。フランスへの侵攻はマジノ線を除けて行かねばならず、ただ一つの使える経路、それは、オランダ、ベルギー、或いはルクセンブルグ(低地帯)を通してであった。やはり、ヒトラーの先制は、本質的に「反応性」であり、本質的に「攻撃的」の逆で「防御的」であった。全てのヒトラーの軍事先制は、この本質によるものであった。つまりすべて連合國側の挑発か、連合國の脅しの結果であった。チャーチルに率いられた英國は、最後までずっと挑発的であった。

首相に就任してから三日後、つまり、同じく独逸が低地帯を侵攻してから三日後、チャーチルは、英國下院で演説し、彼の「感傷的低俗劇(メロドラマ)」の様な「血と汗と涙」演説を行った。この演説の中で彼は、英國の戦争目的を「勝利、どの様な代償を払っても勝利。全ての恐怖にも拘らず勝利。勝利、どんなに長く険しい道となろうとも、何故なら、勝利なしには生き延びられない。」と宣言した。チャーチルは、アドルフ・ヒトラーが沢山の和平提案を英國にしていた事実、何度も大英帝國への尊敬を表明していたこと、大英帝國が必要であれば、独逸の軍事顧問を提供する用意がある事、それに、何度も英國と友好関係を樹立する試みをしたこと、それらすべてが(英國に)はねつけられたこと、を故意に無視したのだった。独逸は、英國に対して悪だくみなどは全くなく、それどころか、何よりも戦争を避ける事を願っていた。更に思い出してほしいのは、独逸に宣戦布告したのは英仏であって独逸が宣戦布告したのではない。独逸のノルウェー占領、同様に低地帯の侵攻は、実際には本質的に防御的であったが、チャーチルと彼の「開戦派」は、これらを独逸の世界征服計画の究極の証拠であるとして挙げた。彼らはそれを信じさえした可能性がある。チャーチルの人生の夢が遂に叶ったのである。彼は、今や英國の首相で、彼の作り上げた運命を成し遂げ、大英帝國を戦争の勝利に英雄的に導いていた。独逸との和平は、彼の心からは最も遠い事であった。

1940年5月10日、独逸の爆撃機は、フランス、ルクセンブルグ、ベルギー、オランダの空軍基地を爆撃し、連合國の飛行機を多数地上で破壊し、連合國の対空防衛を麻痺させた。独逸空挺部隊の精鋭が前線に沿った連合國の強化拠点に降下し、フランスの防衛戦略の重要拠点を無力化した。

地上では、独逸軍は二手に分かれて進軍した。一つは、オランダとベルギー北部を通過する経路(英仏が見込んだ通りのもの)、そして、もう一つは、大軍を南に、ルクセンブルグとアルデンヌの森を通ってフランスの心臓部に直接至る経路(これは完全に意表を突くもの)であった。アルデンヌの森を通って南から進撃する独逸軍に気づかないまま、英仏は大部分の軍をベルギーに送った。

攻撃の第一日目は、独逸のブリュッセルとハーグに向けた進軍は、オランダ軍による手ごわい抵抗により、思いがけなく遅くなった。5月14日、オランダ軍が降伏を拒否した時、独逸空軍は、ロッテルダムの中心部に大空襲を行うために飛び立った。オランダが急に交渉に応じた時、爆撃機を呼び戻す努力が為されたが、二、三人の独逸の飛行士しか帰還命令の伝言を受信できなかった。残りの爆撃機は作戦を続け、街を空襲し、800人の民間人が犠牲になった。オランダは、同日、降伏した。

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