眞實の歴史 「ブラッドベリー」

ドイツ悪玉論の神話075

ウィリアム・C・ブリットは、その頃、駐仏米國大使であり、同時に他の欧州諸國全体への大使でもあった。ルーズベルトと同じくブリットも「金持ちの家に育った」。彼は、フィラデルフィアの裕福な銀行家の家庭に生まれ、独逸の猶太人で米國に移民したジョナザ…

ドイツ悪玉論の神話074

ルーズベルトの敵対への貢献 ルーズベルト大統領とその取り巻きの独逸に対する姿勢は、英國の指導者の姿勢よりも、更にまだ極端だった。ルーズベルトはその政治経歴の最初から、一般的に独逸人に対する深い反感の傾向があったが恐らくそれは、第一次大戦の反…

ドイツ悪玉論の神話073

猶太人影響下の英米の政治家 英米共に政治指導者もまた、猶太人の支配的影響の下にあった。ルーズベルトとチャーチルはどちらも自分たちの取り巻きを他の人間を排除するかのように猶太人顧問で固め、自分たちの職を維持するための支援を猶太人のお金に頼って…

ドイツ悪玉論の神話072

猶太人がルーズベルトとチャーチル両人に影響力を行使 ポーランド問題がくすぶっている間、劇場や映画産業にかかわっている猶太人が國家社会主義者によって規制を受けた結果、大量に独逸を去り、ハリウッドに来て、同じ映画産業を経営していた猶太人に即座に…

ドイツ悪玉論の神話071

独波の対話の継続 1939年1月5日、ポーランドの外務大臣、ユゼフ・ベックがベルヒテスガーデンでヒトラーと会談した。ヒトラーは、ベックに対して、独逸がポーランド回廊の返還要求をしない、と言う明白で確実な保証を繰り返し、鉄道と國道の通過を望んでいる…

ドイツ悪玉論の神話070

ポーランド問題 ヴェルサイユ条約は、新しい主権國家ポーランドを創るために独逸の領土の大きな帯状の塊をその住民と共に取り上げた。これは独逸を横切ってポーランドにバルト海に至る道を与える、ポーランド回廊と呼ばれる細長い陸地を含んでいた。回廊の主…

ドイツ悪玉論の神話069

第十八章 ポーランドとの戦争 ミュンヘン合意の結果、チェンバレン首相とヒトラー総統の間で交わされた平和協定への國際的な喜びは、長続きしなかった。独逸國外の輿論は再び沈静化し、反ヒトラー・國家社会主義者に替わり始めた。それは、絶え間ない反ヒト…

ドイツ悪玉論の神話068

同じ日、3月15日、独逸の陸軍は無抵抗の中、進駐した。翌3月16日、ヒトラーはプラハに行き、フラッチャニ宮殿から正式にボヘミアとモラヴィアが独逸の保護國になったことを宣言した。ボヘミアとモラヴィアは、ライヒの保護管コンスタンティン・フォン・ノイ…

ドイツ悪玉論の神話067

ウィンストン・チャーチルは、予期した通り、正反対の見方をした。彼は、英國下院で演説を行い、その中で、ミュンヘン協定を承諾することにより、英國政府は、「完全且つ紛れもない敗北を喫した」とし、そして、「第一級の災難が大英帝國とフランスに降りか…

ドイツ悪玉論の神話066

チェンバレン首相は、割って入り、平和的解決を目指す仲介を申し出た。彼は、独逸とチェコスロヴァキアの間で戦争が起こらない様にランシマン子爵を送った。ランシマンは、両國を歩み寄らせて何らかの合意を得ることが出来なかった。そこで彼は英國に帰った…

ドイツ悪玉論の神話065

繁栄していた独逸人の農場 ズデーテンの独逸人は、オーストリアから分離したいとは更々思っていなかったし、この新しく造られた國に帰属したいとも決して思っていなかった。彼らが実質的に外國で少数民族として抑圧されるに従い、今や彼らが最も恐れていたこ…

ドイツ悪玉論の神話064

第十七章 独逸のズデーテンラント併合 チェコスロヴァキアは、第一次大戦に続く平和条約で造られたものだ。當時、既に消滅していたオーストリア=ハンガリー帝國の残存地域をまとめた新しい國家である。この新國家の人口は、745万人のチェコ人、230万人のスロ…

ドイツ悪玉論の神話063

3月18日までに當局は、ウィーンの猶太人共同体やシオニスト組織を閉鎖し、ダッハウに移動させた。独墺統合の後の数週間で猶太人は劇場、公民館、図書館、大学等の仕事から解雇された。オーストリアの國中で猶太人は逮捕され、投獄された。 猶太人はウィーン…

ドイツ悪玉論の神話062

オーストリアの経済復興 独墺統合より前は、オーストリアの経済は、人口の三分の一が失業中と言う壊滅的な状況であった。國境の向こう、独逸では、失業者は消滅し、生活水準と労働環境は、大いに改善していた。そして経済、社会、文化活動・生活を再び謳歌し…

ドイツ悪玉論の神話061

ヒトラーのオーストリア入りに同行したヘルマン・ゲーリングは、その夜、独逸の党幹部に電話して伝えている。「オーストリアでは信じられないくらいのお祝いだ。我々自身、これほど共感が強いとは夢にも思わなかった。」 ヒトラーは、その後、オーストリア中…

ドイツ悪玉論の神話060

オーストリアに帰國後、シュシュニックは、ヒトラーの指図に従い、弁護士で國家社会主義党の党員であるアルトゥル・ザイス=インクヴァルトを内務大臣に指名した。彼は更にヒトラーの指図でアルフレート・ジャンザ(Alfred Jansa)将軍をオーストリア陸軍の…

ドイツ悪玉論の神話059

第十六章 アンシュルス-オーストリア併合(独墺の統合) 1919年の25箇条の演説に始まるヒトラーの最優先の目標の一つは、全ての独逸の人々の単一國民國家への統合であった。ヒトラーはオーストリア人であったが、常に自分を独逸人と呼んでおり、オーストリ…

ドイツ悪玉論の神話058

しかし猶太人の記者は、独逸で起こったことに対し、常に最も悪意のある不吉な解釈をした。猶太人ジャーナリストのウィリアム・シャイラーは、例えば、「ベルリン(五輪)は、単に(独逸の)世界への脅威と人種差別主義と軍國主義を隠すためのギラギラの見世…

ドイツ悪玉論の神話057

ジェシー・オーエンスは、ヒトラーを赤面せしめるくらいの人種差別主義の國の市民であった。彼は、ヒトラーの独逸では白人と同じバスや市電に乗ることが出来た。法律の前に、如何なる点に於いても平等に扱われ、彼は映画館で白人の隣に座れたし、公衆トイレ…

ドイツ悪玉論の神話056

第十五章 1936年オリンピック大会 ベルリンは、1936年のオリンピックゲームの開催権を二位のバルセロナを破って手に入れた。オリンピックの開催権はナチスが独逸で政権を執るよりも2年前に手に入れていた。ナチスが政権に就いたとき、米國の猶太人組織は即座…

ドイツ悪玉論の神話055

第十四章 ヒトラーは、独逸領土の返還要求を始める 独逸の首相としてのヒトラーの目標の一つは、独逸をもう一度一つにする事であった。それは、断固としてヴェルサイユ条約で独逸から奪われた領土の支配を取り戻す事であったが、同時に、ライヒの外に住んで…

ドイツ悪玉論の神話054

宣伝工作とは逆に、ヒトラーはカトリックであり、キリスト教信者であった。ここでは、彼はヴィルヘルムスハーフェンにあるマリーネ教会を後にするところが写真に収まっている。 ヒトラーを中傷し、名誉を棄損しようとする意図を持った者たちによって、ヒトラ…

ドイツ悪玉論の神話053

英國のジャーナリストで脚本家、小説家、欧州の戦争と第二次大戦後について多数の本の著述家であるダグラス・リードは、ヒトラー政権下の独逸経済の変転について次のような所見を提供している。「独逸人が独逸で保護されている程度は、英國人が英國で保護さ…

ドイツ悪玉論の神話052

ヒトラーが独逸経済を復活 非常に短い期間で、ヒトラーは歴史上恐らく最も偉大であった、そして今でもそうである経済の方向転換を企てた。人民は飢餓から完全雇用となり、非常に繫栄したので、普通の労働者でも休暇を与えられ、独逸労働戦線、つまり官営労働…

ドイツ悪玉論の神話051

1934年ニュルンベルクに於けるナチスの党大会 國家社会主義党は、1934年9月にプレビサイトから僅か二週間後、ニュルンベルクで年次党大会を開いた。その大会中、総統の「千年帝國」大宣言が朗読された。「独逸の生活様式が次の千年に向けて明確に決定された…

ドイツ悪玉論の神話050

長いナイフの夜 第三帝國(ライヒ)初期のヒトラーの命運の最大の脅威は、突撃隊、國家社会主義党の中でエルンスト・レームが率いる約350万人を擁する巨大で強力な組織によってもたらされた。突撃隊は、ヒトラーを権力の座に就けるのに最も功があったが、権…

ドイツ悪玉論の神話049

ヒトラーは、階級闘争に終止符を打ち、人間の最も大切なことを生産における重要要素として復興したかった。独逸は産業への資金投入を金(ゴールド)なしで出来ると彼は信じていた。いずれにせよ、独逸は破産しており、手持ちの金などなかった。ほかのものが…

ドイツ悪玉論の神話048

独逸の産業は、嘗ては世界の羨望の的だったが、急激な減産に見舞われた。何千もの工場が閉鎖し、その結果、1920年ベースで國内総生産の50%が減った。輸出も驚くべき75%減少した。独逸の中央銀行、ライヒ銀行(ライヒスバンク)は、借金の返済の滞りによる赤…

ドイツ悪玉論の神話047

第十三章 ヒトラー政権下の独逸の暮らし ヒトラーが政権に就いたとき独逸はどん底の破産と深刻な借金の中にあった。ヴェルサイユ条約は、独逸人民にとてつもない賠償、独逸が第一次大戦の連合國の戦費をすべて支払うという要求をする賠償を課した。これは全…

ドイツ悪玉論の神話046

ニュルンベルク法-1935年 一方で同時にヒトラーは、独逸での猶太人支配と影響力を減らし、少数民族として問題にならなくする計画を進めていた。ニュルンベルク法、独逸における猶太人の法的地位を変更する法律、が1935年9月15日に施行され、すぐ後の國家社…