ドイツ悪玉論の神話099

(注意:内容がえぐいので苦手な人・感受性の高い人は読む時間・場所にお気をつけください)

 

次に挙げる恐ろしい話は、「In Their Terror All Were Alike」(1995)と言う題のハンス・コッペ(Hans Koppe)の本に伝えられている話である。この恐怖の話は、独逸-ブラジル市民、レオノラ・グリエル、ニー・カヴォア(Leonora Greier, nee Cavoa、ブラジルのサンパウロで1925年10月22日生まれ)から来ている。彼女は戦争前に独逸に移民した。レオノラは、ロシア軍がその地域を蹂躙してきた時、ノイシュテティーン(Neustettin、現ポーランドのシュチェチネク)のVilmsee と言う町で独逸女性労働支援部にタイピストとして勤めていた。彼女は次の様に書いた。

「1945年の2月16日の朝、ロシアの一部隊がノイシュテティーン(Neustettin、現ポーランドのシュチェチネク)のVilmsee(現ヴィエリミエ?)ライヒ労働サービスを占拠した。独逸語をよく話す隊長(Commissar)は、施設は解散し、また、私たちが制服を着た職員だったので、私たちは即刻、集団収容所に送られることになると私に知らせた。

私は、ブラジル人であり、連合國と友好関係にある國に帰属したので、彼は私を信用し、送致の統率者としてノイシュテティーンの製鉄工場の跡地の広場に移動した。私たちは、ライヒ性労働サービス職員の500人ばかりの若い女だった。

隊長は非常に私たちに礼儀正しく、私たちを工場の外國人労働者向けの小屋に割り當てた。しかし、割り當てられた広さは私たち全員には狭すぎたので私は隊長にそのことを話しに行った。

彼は、それは結局、一時的な手配で、私の部屋が過密すぎるならタイピストの事務所を使ってもいいと申し出たので、有り難く受けた。すると彼は、すぐに、他の人たちは、違法な軍隊の隊員なので、他の人たちとこれ以上連絡するのは避けるように、と私に警告した。それは違う、という私の抗議は、そのような事を二度と口にすれば射殺する、と言う言葉に遮られた。

突然、私は、大きな叫び声を聞いた。そして、すぐに二人の赤軍兵士が5人の少女を連れ出した。隊長は彼女らに服を脱ぐように言った。彼女らが慎み深さから拒否すると、隊長は私に彼女らを脱がせるように命令した。そして、全員彼について来る様に命令した。

中庭を横切って以前の厨房に入った。そこは、窓際に2~3のテーブルがある以外は完全に空っぽになっていた、非常に寒く、かわいそうに少女たちは震えていた。タイル張りの大きな部屋にロシア人達が、大きな笑い声を誘ったことから推して、何か非常に卑猥に違いない言葉を浴びせながら、私たちを待っていた。

隊長は、私に、どの様にして支配民族を惨めな泣き叫ぶ女に変えるか、見て学習するように言った。そこに二人のポーランド人が入って来た。ズボンだけ穿いていた。そして、少女たちは、彼らの目の前で泣き叫んだ。彼らはいきなり、最初の少女を掴んで、テーブルの端っこで背中を関節が砕けるまで逆に(逆エビに)曲げた。私は、彼らの一人がナイフを取り出した時、気が遠くなりかけたが、他の少女の目の前で、少女の右胸を削ぎ落した。少し間を置いて、もう一方も切り落とした。

私はその時の少女の様に、死に物狂いで叫ぶ少女を聞いたことがなかった。この行為の後、男はナイフを腹部に何度か差し込んだ。それは、再びロシア人達の歓声を伴った。

次の少女は、泣き叫んで命乞いしたが、無駄だった。身の毛のよだつ行ないはこの少女は特別美人だったので、特にゆっくりに思われさえした。他の三人は腰を抜かしていた。彼女らは、お母さんと泣き叫び、早く殺してくれるように請い求めたが、彼女らにも同様の運命が待ち受けていた。

最後の少女は、未だ殆ど子供で、胸は殆ど膨らんでいなかった。男たちは、文字通り、白い骨が見えるくらいまで、少女のあばらから肉を割いた。

次の五人の少女が連れ込まれた。今回のこの五人は慎重に選ばれた。五人とも、豊饒で奇麗だった。前の五人の死体を見て彼女らは泣き叫び始めた。弱々しく、彼女らは死に物狂いで自分たちを守ろうとしたが、ポーランド人の男は更にもっと残酷になったので、それは何の役にも立たなかった。

男たちは、一人の少女の体を長さの方向に薄く切り、それを機械油の(ドラム)缶の中に注ぎ入れた。そしてそれに火をつけようとした。男たちがもう一人の少女の胸を切り落とす前に、ロシア人の男がその少女の陰部を銃で撃った。

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    ソヴィエトの侵略者によって、殺害・解体・死体損壊されたのは、
   ライヒ性労働サービスで働いていた、この写真のような少女達だった。

誰かが道具箱からのこぎりを出してきた時、(男たちから)大きな諾(うべな)い(承諾)のうなり声が起こった。これは、他の少女の胸を切り落とすのに使われ、それが元で、床は血で洗われた。ロシア人は、血に狂乱していた。

さらに続けて少女たちは連れ込まれてきた。私はこれらのえげつないやり方を赤い靄(もや)の中に居る様に見ていた。何度も何度も、私は、少女たちの胸が拷問される時の恐ろしい叫び声と、陰部が切り取られる時の大きなうめき声を聞いた。

私の膝がガクガクしたとき、私は椅子に座るよう強要された。隊長は、常に私が見ていることを確かめ、私が嘔吐した時は、男たちは拷問を中断さえした。

一人の少女は全裸になっていなかった。その少女は他の少女よりも少し年上だったかもしれないが、17歳前後だったろう。男たちはその少女のブラジャーをオイルでズブズブにして、火をつけた。少女が叫んでいる間に、細い鉄の棒が少女の陰部から、臍(へそ)の辺りに出て来るまで、押し込まれた。

一番美人の少女たちがこの拷問の為に選ばれた後、中庭では少女の集団全部がこん棒で殴られて死んだ。その場は、数百人もの少女たちの断末魔の叫びで一杯だった。しかし、ここで起こったことと比べれば、外で殴り殺されることは、殆ど人道的でさえあったろう。

悲惨な事実は、ここで体を切断された少女たちの中で、気絶した少女が誰もいなかったことだ。全ての少女が自分の身が切断されるのを完全に意識があって苦しんだ。その恐怖の中では懇願する姿はみんなよく似ていた。それは、いつも同じであった。命乞い、胸を切断される時の甲高い叫び、陰部が切断される時のうめき声。

残酷な殺人は、その血を部屋から掃きだすため、死体を取り除くために何度か中断した。その晩、私は、心因性発熱の重傷で熱に浮かされた。私はその後、野戦病院に来た時までの事は何もよく覚えていない。

 独逸軍が一時的にノイシュテティーンの町を奪い返し、そして私たちを解放してくれた。後で聞いたのだが、ロシアが占領した最初の三日間で2,000人程のRAD(國家労働奉仕団)、BDM(ドイツ女子同盟:ヒトラーユーゲントの女子版)、その他の近くのキャンプに居た少女たちが殺されたそうだ。」(署名) レオノラ・ガイエル、ニー・カヴォア夫人

この証言は、同じような趣旨の多数の証言のうちの一つだ。イリヤ・エレンブルグのロシア兵への強姦と殺人を奨励する訓戒がこの様な欧州が見たこともないような戦慄の結果となったのだ。独逸の非戦闘員、特に女性と少女は、屠殺場の豚のように扱われた。