今日の共産主義 45の目標10

✔10. 全てのソ連傘下の衛星国のそれぞれの国連代表を認める。

USSR の崩壊により、殆どのソ連支配下の衛星国は国連での承認を受けた。これらの十いくつかの国家は国連に於いて過激な左翼に更に強さをもたらした。その結果、西欧とアメリカは、ほぼ建設的な方便としては国連を棄てた。

 

【ブログ主の感想】

今の国連は、これ以外に、特亜三国による買収工作、日本の反日NPO などが加わって、サヨクのたまり場と化しています。

抑々、國際機関の多くは、ユダヤ人或いは共産主義者によって創られたものが多いので殆ど全てが反日の温床となっています。何故、ユダヤ人や共産主義者が作ると反日になるのか、それはこれからこの45の目標をじっくり読んでいけば解りますが、端的に申しまして、それは、これらの人種なり集団が、反文化・反文明・反伝統と言う共通要素を持っており、太古の昔からの信仰と伝統を維持している日本とは決して折り合わないからです。

因みに、今我々が日本の伝統と思っているものの中には既にこれらの勢力により微妙に変えられたものも存在します。例えば、日本は人権を守る國ではありません。日本は人の道、を実践する國であり、決して西洋由来の人権を守る國ではありません。しかし我々の子供は人権を守ることを良しと教えられています。私も小学校の頃、人権宣言を習って感激しました。しかし、その人権がどういうものであるか、と言う事については全く深く学びません。(これは、以下のリンクで渡部昇一先生と中川八洋先生の対談,、特に後半を聴いていただければお分かりいただけます)
https://www.youtube.com/watch?v=ZzQaXBXhvfQ

この「人権」は、ほんの一例ですが、我々は注意して我々の祖先が過去19世紀まで2500年に亙って伝えて来たことをもう一度、正確に見直す必要があります。19世紀以降の様々な論は実は日本固有のものではない、寧ろ日本の伝統を壊す可能性のあるものすらあります。そのことに充分留意していく必要があります。

話を元に戻しますと、国連などは決して信頼してはなりません。あれは、國際主義実践機関であり、独立国による国際的互助機関ではありませんから。

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今日の共産主義 45の目標09

✔9. 原子爆弾実験禁止会議を長引かせること。(合衆国が交渉の進展中は実験を中断すると合意したため)

これは紛れもなくソ連に有利な状況に働き、米國が止めてから長期に亙って実験をつづけた。交渉は1963年に米国とUSSR が制限付き禁止に合意するまで8年も少しずつしか動かなかった。合衆国の立案者は米ソの核同盟が中共に圧力をかけ、その核兵器開発を妨げることを望んだ。この同盟は充分に速く進展できず、中共は1964年に独自の核兵器を実験した。フランスは1960年代半ば、續いて印度、パキスタン北朝鮮、そしてイランがまもなくこれに続くだろう。

 

【ブログ主の感想】

外交に於いて、交渉を長引かせる、と言うのはその状況によって有利にも不利にも働きます。例えば、幕末の英国との交渉(下関砲台事件、生麦事件など)は何れも長引かせることで日本に有利に働いたように学びましたが、(事実かどうかはよく分かりません)こと、共産主義者との交渉に関しては長引かせる方がどんどん不利になります。

何故か、それは、共産主義者は多かれ少なかれ、相手國に入り込んで、その國を内部崩壊させるための画策を先んじてしているからです。一方、共産主義国の国内では、厳しい統制をしてそのような勢力の活動を規制しています。これでは勝ち目がありません。

例えば、尖閣列島問題。最初に来た時に支那の船を沈めて置けば、それで完全かつ永久に解決したものを長引かせたために、日本国内で支那のスパイとその仲間(第五列と言います)が沖縄独立運動まで始める始末です。おまけにチャイヌやザイヌまで持ち出して北海道まで狙っています。

日本は日本人が暢気に構えているよりはずっと崩壊の危機がひたひたと近づいていることにもっと真剣に対応しなければなりません。教育の改革などは喫緊の課題ですが、全くしませんね。教育は今改革を初めて、実りを見るのは20年後なのです。今始めなければ、その分どんどん遅れ、どんどん崩壊が早くなります。

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ドイツ悪玉論の神話036

猶太人のマルクス主義理想郷の計画

ヒトラーナチスが、西欧キリスト教文明の基盤と考えた独逸を その独逸人の國民的神話で復活しようと勤しんでいた頃、ロシアでは猶太人が伝統的ロシアのキリスト教文化を破壊することに勤しんでいた。更に、猶太人に率いられた共産主義者が國(例えばロシア・ハンガリー・スペイン)を乗っ取ったときに真っ先に先導した計画は、キリスト教会の根絶の試みであった。彼らは、(猶太教シナゴーグは見逃した一方で、)司祭、修道女、修道士を何千人規模で集めて射殺し、その後教会や聖堂を焼き払った。ヒトラーと國家社会主義者は猶太人共産主義者を西欧キリスト教文明の破壊者と考え、そして、共産主義を最終的に破壊することに身を捧げた。

今や、ロシアを支配していたこれらの猶太人マルクス主義者の「共産主義」が夢見ていたこと、そしてロシアに -出来得ることなら全世界に- 押しつけたかったことは、厳密に理論的空論の(つまり全く実証されていない)カール・マルクスが想像した体制 -それは、全ての社会、全ての経済、そして全ての政治が結合した、一つの完全な、階級のない、文化のない、政府すらない体制、完全な社会的経済的平等を以って生産の経済手段全てを共有財産とする(つまり、現実には國有化する)ことを基盤とした体制、それは、究極的には、政府を必要としないで(自律的に)運営される体制であった。カール・マルクスフリードリヒ・エンゲルス(どちらも猶太人)は、このユートピア(理想郷)の夢を実現するために世界中で暴力革命を鼓舞する事を目的に「共産党宣言」を著した。マルクス主義の理論は、革命による政権転覆とブルジョアの破壊、続けて準備段階として「プロレタリアートの独裁」と呼ばれる社会主義を求めた。マルクス主義者の最終目標である純粋な共産主義がそれに続くであろう、そしてそれは理論的な統治無き階級無き社会が完全な秩序の下で出来る「國家無き状態」になるという。

この思想について今日的視点から、或いはいつの時点でも、注目すべきことは、それが明白に明瞭に余りにも馬鹿げているので、知識があり教育を受けた人々がこれを信じて疑わないのは、単に想像を絶する驚きであるという事だ。しかし、共産主義への信仰は、これらの所謂「知識人」に限られていなかった。マルクス主義共産主義は猶太人の世俗的宗教となったのだ。共産主義は、猶太人の創作であり、それは猶太文化の集団主義から生まれ出たものであり、世界中の殆ど全ての猶太人にある程度一般的に受け容れられていた。明らかに共産主義には非猶太人の後援者もいたが、共産主義は猶太の運動であり、猶太人の創作であり、猶太人に指導され、猶太人によって流布したものである。全ての猶太人が信仰の仕組みとして共産主義を受け容れていた、と主張するのは正確ではないが、大多数は受け容れていた。

共産主義思想の明らかな欠点は、人間の天性を平然と無視する事にある。更に、常識をも無視する。人類は、単純に共産主義がうまくいくようにそれが要求する様には振舞わないのである。にもかかわらず、レーニントロツキー、そして他の猶太人、マルクス主義革命思想家と指導者はそれが使えると確信していた。それをするための鍵は、ブルジョワ階級を皆殺しする事だ、と彼らは言った。(ブルジョワジーは、彼らの目的にとっては、農民とプロレタリアート(労働者)以外の全てを意味する階級であった。)実際に共産主義を適用するにあたって、彼らは「社会主義」段階或いは、猶太人エリートの独裁よりも先に進むことは無かった。「プロレタリアート独裁」は、実現したことは無かったのである。

猶太人は自分たちの事を神に選ばれし人々で、先天的に周りに住む非猶太人よりも優れていると考えていたが、それでいて、何世紀もの長きに亙って自分たちが抑圧され、或いは非猶太人によって追放されてきた。この理由により、就中、彼らは極度の焼けつくような不正義と敵意の感覚を非猶太人のあらゆる階級、特に自分たちに威張り散らしたブルジョワジーに対して抱くに至った。彼らはまた、無知で迷信深い、ただ一心に宗教的なロシアの農民を見下していた。そして農民もまた、お返しに猶太人を軽蔑し、猶太人に対してポグロムを繰り返し行っていた。しかし今や國家の支配者となった猶太人は、ロシア民族を 征服した人々として、復讐する対象として扱った。恨みを晴らす、或いは復讐を求める(強く欲する)のは、猶太文化の基本的要請であった。「許し合う事」や「反対側の頬を差し出す」のはキリスト教の原義であり、猶太のものではない。

彼らの最終目的は、ロシアを改造して彼らが長年夢見た、マルクス主義の理想郷にする事であった。これら思想的にボルシェヴィキの猶太人は、ロシアの農民と労働者の大半を従順で文化のない、「新ソヴィエト人」として型にはめられる大衆と観ていた。それを通して、伝統的なロシア文化が根付いた人々 -つまり、君主、貴族、知識人、富裕層(まとめてブルジョワジー)同様にキリスト教オーソドックス教会- を排除することが出来れば、共産主義者の「地上の天國」をもたらすことが出来ると考えた。猶太人はロシア人ではなく、外人であり、彼らは、殺す意図の対象であるロシア人に対して親近感も思いやりもなかった。彼らは憎悪しか感じなかったのである。

これらボルシェヴィキの猶太人は、歴史上、最大の虐殺を爆発させた。モンゴルが行ったいかなることにも況して、そして、悪名高き「ナチス」がしたいかなることよりも千倍も悪質なことを。これらボルシェヴィキ猶太人の血塗られた狂気を描いたものとして、グリゴリー・ジノヴィエフ(本名:ヒルシュ・アプフェルバウム)が國際共産主義コミンテルン)の長として1918年9月1日のモスクワ「ドラスナヤ・ガゼタ(Drasnaya Gazeta)」の記事で次のように記している。
「我々は自身の心を残酷に、強硬に、不動にするであろう。慈悲が入らない様に、そして、彼ら(兵士)が敵の血の海を見ても震えることがない様に。我々は、その(血の)海の防潮門を緩くするだろう。慈悲も無く、寛容も無く、我々は、数千の規模で敵を殺すであろう。数万でもよい、敵を敵自身の血の中で溺れさせよう!レーニンの血(1918年暗殺未遂)、ウリツキーの血(1918年暗殺)、ジノヴィエフの血(1919年暗殺未遂)と、ヴォロダルスキー(1918年暗殺)の血の為に、ブルジョアジーの血の洪水を起こそう -もっと血を 可能な限りの血を!」

前章でも述べた通り、これら猶太人ボルシェヴィキは、有に4千万人の民族的・キリスト教徒のロシア人を殺害した。正確な数字が知られることは無いであろう。これは、余りにも悍ましいことで、他の欧州の伝統的支配階級を身震いさせた。何故なら、彼らは、同じことが自分たち自身の國で起こる可能性を見たからであった。このことは、敗戦後の未だ不安定で、しかも、欧州でロシアを除けば最大の共産党があった独逸で特に顕著であった。独逸共産党は、前述のとおり、78%が猶太人であった。ヒトラーと國家社会主義者が猶太人と共産党を独逸と西欧キリスト教文明にとって致命的な敵と観たことに一体何の不思議があろうか?

不思議なことは、英國米國は、そう感じなかったことだ。英米が、キリスト教徒の独逸を破壊するために、猶太人に指導された反キリスト教的、無神論的、共産主義ソヴィエト連邦と同盟したことにより、英米は、第二次大戦後の西欧文明の衰退を来たした重すぎる責任を負わなければならないであろう。

(次回はいよいよ國際ユダヤのドイツへの宣戦布告です。
 第二次大戦の欧州戦線の始まりはドイツのポーランド侵攻ポーランドの総動員)ではありません。
 それは大東亜戦争の始まりが真珠湾奇襲でないことと同じことです。)

 

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ドイツ悪玉論の神話035

國家社会主義の知的な根幹は19世紀から20世紀の様々な著述家や思想家の哲学的考え方から育まれた。例えば次のようなものが挙げられる。

フレデリックニーチェの「力への意志」その要素は、達成、野心と人生の可能な限りの高みに至ろうとする努力。ニーチェは、「力への意志」こそ人間の主要な牽引力(生きる力)と考えた。

アルテュール・ド・ゴビノーの「アーリア人支配人種」人種主義理論。ゴビノーは、フランスの貴族、小説家、文人で、その著書「諸人種の不平等に関する試論」(1855)においてアーリア人支配人種説を提唱したことで有名になった。ゴビノーは、白色人種の他人種と比べた優越性を白人の文明化した文化を発展させた業績と秩序正しい政府の維持によって明白となったとして信じていた。彼は、「人種の交雑」は、没落と混乱を招くと信じていた。ゴビノーの見解はその當時は全く突飛なものではなかった。この見解は、広く白人の間では一般的に共有されたものであった。

ヒューストン・ステュアート・チェンバレンは、英國で、政治哲学や自然科学の本を書いた著者。チェンバレンは、一般的にゴビノーのアーリア人種優越の考え方を支持しており、また人種の「純潔」の提唱者となった。彼は、チュートン人が西欧文明に深く影響したが、他の欧州人も同様に貢献したと考えた。彼は独逸人だけでなく、ケルト人、スラブ人、ギリシャ人、ラテン人、それに北アフリカベルベル人でさえ、「アーリア人」に含めた。

リヒャルト・ワーグナーの「信仰の運命」。ニーチェの友人であったワグナーは独逸人民は自分たちの偉大さの運命に対する信仰を持つべきだ、と言う考えを啓発した。ワグナーはまた、猶太人を自分たちの住む地域の多数派住民の寄生者として、そして独逸の天敵であると見ていた。

グレゴール・ヨハン・メンデルの遺伝と遺伝形質学の理論。メンデルはオーストリアの科学者であり、聖アウグスティノ修道会の会員であったが、遺伝科学の創立者である。彼は、エンドウ豆のある特徴の形質遺伝が特徴のある形式に従う事を示した。彼は、「遺伝形質」の法則を植物実験によって発見し、それを人類でも同様であると推論した。

ルフレート・プレッツロスロップ・ストッダードはどちらも社会的ダーウィニズムを信望していた。そしてそれを優性の科学(民族浄化)として発展させた。優生学は20世紀の初頭の数十年に亙って欧米で広く信じられたものであった。1912年の優生学の最初の國際会議は、その会長のレオナルド・ダーウィンチャールズ・ダーウィンの息子、名誉副会長のウィンストン・チャーチル、アレクサンダー・グラハム・ベルなど、多数の著名人に支持されたものだった。これらの人々も含め、他の優生学者全員が、戦争がなかったならば、独逸の民族浄化を目的とした安楽死計画を熱心に承認したはずであった。しかしそうはならずに、戦争が理由で日和見的に採り上げられ、宣伝工作が目的で非難さることになった。

カール・ハウスホーファーは、独逸の将軍、地理学者、地政学者で、独逸の人口過密の解決方法としてレーベンスラウムの提唱した。(例えば英國は、同様の人口過密問題を抱えていたが、彼ら独自の「レーベンスラウム」、つまり英國本土から植民地への大規模な移民により緩和した。)

他に國家社会主義思想に影響したのは、マキアヴェリフィヒテトライチュケシュペングラーなどであった。

國家社会主義(ナチ)思想は、次の基本で成り立つ。國家主義、反共主義、反猶太主義、そして軍國主義である。猶太人は人種的に欧州と相容れない人種で、そして、欧州の問題の一番の大元で、特に共産主義革命の元凶と考えらえた。ヒトラーは猶太人の独逸からの追放、血統独逸人のみに移民を制限、そして、強い軍隊の維持により、独逸人の「血と土」の防衛を呼び掛けた。國家社会主義は、「人民」(独逸の國家民族)概念を強調し、それは個人をして「共同体」への従属、同様に「指導者(フューラー)」への忠誠を優先する事を求めた。ヒトラーは、大陸欧州に於いて独逸は最も面積が広くて強大な國民國家として、経済統合した欧州で指導者となるべきだと考えた。(それは、今日のEU の様なもので、実際、偶然にもそれは独逸が指導している。)國家社会主義は、独逸人民の共同体を強調し、独逸國家の守り手として軍人の仲間意識を賛美した。國家社会主義運動は、ヴァイマル共和國の下での独逸の混乱に幻滅していた人々を引き寄せる磁石となった。

ヒトラーは、「20世紀最も悪名高き人種差別主義者」として限りなく非難されているが、ヒトラーの人種に対する見方は19世紀から20世紀前半にかけての欧州における(一般的)考え方と完全に一致していたものだ。常軌を逸した、とか、奇怪な、というところからはかけ離れて、彼の人種に対する考え方は、第二次大戦以前の何十年間の西洋の著名な人々、例えばウッドロウ・ウィルソンウィンストン・チャーチルとも一貫したものであった。

一般に信じられている事とは逆に、ヒトラーは均質金髪の「超アーリア」人種の繁殖計画など、支持したことは無い。これは、ただの宣伝工作に他ならない。彼は、独逸の人口がいくつかの別個の人種集団で構成されている、という現実を完全に受け容れており、独逸人民の國家と社会の統合を強調していた。ある程度の人種の多様性は寧ろ好ましいと考えており、また、過度の交雑や均質は害があると考えていた。何故なら、それは均質化を招き、優秀な遺伝形質も劣等な遺伝形質と同様に消滅させてしまうからだ。

 

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ルフレート・ローゼンベルク博士


最も影響力のある國家社会主義の案内書(ヒトラーの「我が闘争」に次いで)は、アルフレート・ローゼンベルクの「20世紀の神話(1935)」であった。ローゼンベルク氏は建築工学の博士号を持っていたが、國家社会主義党の主な信奉者の一人で、党機関紙「フェルキッシャー・ベオバハター」の編集者でもあった。ローゼンベルク博士は、全ての人民、文化、國家は、一組の信仰、或いは「神話」を持っており、その神話が死ねば、その國家も死ぬ、と考えた。(ヴァイマル共和國の終末期と現在の米國との間に多くの比較が為され得る。米國の神話、キリスト教信仰とアングロサクソンの父祖の建國の理想は、現在、容赦ない攻撃にさらされており、日々、堕落の憂き目に遭っている。)独逸の國家の神話は、ローゼンベルク博士によると、死の危険に晒されており、彼は、それを蘇らせることを使命と考えていた。

ローゼンベルクは、「國民」と「國家」を区別する。國民とは、人民(Volk)で、國家とは、政府の機関である。彼は次の様に書いている。

「『國家』は最近ではもはやあらゆるものがその前にひれ伏す、独立した偶像ではない。國家は、その目的でもなく、ただ単に『人民』を保護するための手段に過ぎない。國家の形態は変化する、そして國家の法律は死に行く、しかし、人民は残るのだ。この事実のみでも國民(Volk)こそが始まりであり、終わりであると解る、つまり、あらゆることは、それ(國民の共同体)に従属しなければならないという事だ。」

「欧州では独逸人も含めてどの人民も純血ではない。最新の研究によると、我々は5つの顕著に違う種類の人種を認識している。その中でノルマン人種は疑いなく、欧州における主な最初の真の文化的成果を生んだ。偉大な英雄、芸術家、國家の創設者はこの種族から来たものだ... ノルマン人の血が他の全ての上に独逸人の生活を創造した。今日、純粋なノルマン人が少数の地域でさえも、ノルマン人からの血を引いている。ノルマン人は独逸人であり、地中海(Westisch)、ディナール、アルプス-バルト(ostisch-Baltisch)などの文化と人種を形作る役割を果たした。また、ディナール人種が支配的な人種も内部は屡々ノルマン人のやり方で形作られた。このノルマン人の強調は、独逸で「人種的嫌悪」を植え付ける、という意味ではなく、逆に、意識的に我々の國民性のある種の人種的混然を認めるものであったのだ。」(太字加筆)

「...ノルマン人の血が完全に絶えてしまう日、独逸は、破滅に陥るだろう、そして特徴のない混乱へと衰退するであろう。この様な多様な力が、これに向かって意識的に働いている、という事を詳しく論じた。」

「欧州の國家は全てがノルマン人によって創設され、維持されてきた... 欧州を維持・保護するには、欧州のノルマン人のエネルギーをまず最初に復活し、強化しなければならない。つまり、独逸、フィンランドを含むスカンジナビア、それに英國の事だ。」

「...独逸の中央欧州と共にノルマン的欧州が、欧州の未来の運命だ。独逸は、民族・國民國家として、大陸の力の中心として、南と南東を守り、大英帝國が西と海外のノルマン人の利害に必要な地域を守るのだ。」

ローゼンベルク博士の著書から明らかなとおり、独逸は、ヒトラーも含めて、自分たちを「支配民族」などと考えたこともなく、またそのように呼んだこともなかった。その非難も、単なる猶太人による宣伝工作に過ぎない。この問題に関して英國の態度も独逸と全く同じであった。英國も独逸同様に國家主義的であったし、英國も自分たちを優秀な民族の一部であると考えていた。更に、独逸も英國も公然と英独二つの國民が同じ血統の同じ人種であると認めていた。(にもかかわらず、ローゼンベルグ博士は、ニュルンベルク裁判の後、上に述べた彼の考え方の為に絞首刑にされた。)

(次回は国家社会主義と比して「猶太人のマルクス主義理想郷の計画」です)

 

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ドイツ悪玉論の神話034

第十章 國家社会主義共産主義

独逸の國家社会主義は、通常、共産主義が体制の極左を占める一方で、右翼の思想として特徴づけられてきた。これは伝統的な視点である。しかし、今日、ヒトラーの執拗なまでの共産主義への憎悪は偽りであると言う者が沢山いる。何故なら、独逸國家社会主義は、本質に於いて共産主義と変わりないからだ、と。どちらも全体主義社会主義が信条だ。しかし、これは、浅薄で表面的な観察で、「左翼」や「右翼」と言う用語も二つの体制を記述するには不充分である。確かに、國家社会主義にはその名が暗示するように社会主義の面があるが、國家社会主義共産主義の違いは余りにも大きい。最も明白な違いは、共産主義私有財産制を廃止して、中央による計画経済を通じた國家統制経済であったのに対して、國家社会主義は、私有財産制と市場経済を支持したことだ。國家社会主義の下では、生産の手段は、大部分が、國家による指導はあったが、私企業であった。共産主義体制では、私有財産は、農場、工場からいかなる生産手段、それに個人の家に至るまですべてが國家に接収された。この二つの体制のただ一つの類似点は、どちらも元が全体主義であったということだが、國家社会主義は、かなり良性であった、という事だ。國家社会主義の下、個人の公民権は尊重され、保護されたが、共産主義体制では個人の権利は全否定された。

ヒトラーは独逸に於ける「社会主義」の意味について、英國の「ガーディアン・サンデー・エクスプレス」紙で1938年12月28日に載っているように、次の様に言いたかった。「「社会主義者」とは、私は、「社会」と言う言葉から、「社会的平等」を意味すると定義する。社会主義者とは、個人、個性や個性による特性の産物を犠牲にすることなく、公に奉仕するものの事である。我々が適用した「社会主義」と言う用語は、マルクス主義者の社会主義とは何の関係もない。マルクス主義者は、反所有であるが、真の社会主義はそうではない。マルクス主義では個人、個人の努力、効率には何の価値も置かないが、真の社会主義は個人に価値を置き、個人の能率を鼓舞し、同時に個人の利害を共同体(社会)の利害と共鳴するように支持するものだ。全ての偉大な発明、発見、功績は、まずもって個人の脳の結実である。私を私有財産に反対する者として、無神論者として告発する者が居るが、どちらも無実である。」アドルフ・ヒトラー

二つの体制は同時にその目的に於いて異なっていた。ヒトラーの下で國家社会主義は、西欧キリスト教文明を「守る」革命運動であったのに対して、共産主義は、その「破壊」に専心する革命運動であった。英國の當時の國会議員で古典的な自由主義学者であった、ハロルド・コックスは次の様に記述している。
社会主義者共産主義者)が欲しているのは、我々が知っているところの世界の進歩ではなく、彼らが想像している新しい世界の創造の準備としての世界の破壊である。彼らの倫理見解は、世界の全ての偉大な宗教を起こしたものとは、全く逆のものである。(中略)そして、彼らは、故意に妬みの激情や憎悪や悪意に訴えかけるのだ。」

ロシアを支配した猶太人共産主義者は、細大漏らさず、ロシアの伝統的キリスト教文化を破壊し尽くし、4千万人とも言われるロシア上流階級の人々を殺害した。このロシアの「知識階級」、あらゆる成功者と功績ある人々の殺害により、ロシアの平均知能指数は、何ポイントも落ちた、と言われている。彼らは、その「共産主義インターナショナル」(コミンテルン)を通じて欧州全土で同じことをしようとしていた。猶太人國際共産主義者の長期目標は、その基礎をロシアで確立したが、現存する政治体制を欧州全土で破壊し、一つずつ、ロシアがモデルのソヴィエト共和國に取って替える事であった。一度支配すれば彼らは、ロシアでしたのと同様に「有産階級」を抹殺するつもりであった。欧州が共産主義者の権力掌握の予感に対する恐怖に脅えることは、當然の成り行きであった。

1918年以降、國家社会主義は、ボルシェヴィキ革命への反対運動として、また、それよりは限定的だが、ヴァイマルの堕落した民主主義的議会制度への反対運動として、独逸で発展したものだ。1933年5月11日付の國家社会主義党新聞、「フェルキッシャー・ベオバハター」(民族的観測者)に首相に就任して間もないヒトラーは次の様に書いている。
「かれこれ14~5年、独逸國家に宣誓しているが、私は、マルクス主義を打破する事が子孫に対する私の仕事と考えている。しかも、それは空虚な言葉ではなく、私が生きている限り従うべき、厳粛なる宣誓なのだ。私はこれを信仰告白とした。一人の人間の信仰告白、そして強力な組織(國家社会主義)の信仰告白だ。私は、譬え自分が排除される運命にあろうと、この戦いは最後まで戦わねばならないと知っている。この運動は、その保証である。この戦いは我々にとって妥協によって終結する戦いではない。我々は、マルクス主義に、我々が容赦なく根絶し破壊すべき我が人民の敵を見る。我々はこれら過去17年間に独逸國家の魂に巣食い、数えきれない損害をもたらした、そしてもし征服できなければ、独逸を破壊したであろうその傾向と最後まで戦わなければならない。ビスマルクは、自由主義社会民主主義のペースメーカーであると語った。私はここで社会民主主義共産主義のペースメーカーであるという事を語る必要なないであろう。そして、共産主義は、死、國家の崩壊、絶滅の前兆である。我々は、その戦いに既に参加しており、そして、その死に至るまで、戦い続けるであろう。

 

國家社会主義

國家社会主義は、アドルフ・ヒトラーの頭だけで完成したものではない。勿論、ヒトラーはその形成に多大なる貢献をしたのだが。その中傷者(猶太人宣伝工作員)は、「ナチ」イデオロギー(「ナチ」と言うのは、猶太人による國家社会主義を軽蔑した用語である)を偏狭な気違いによる浅薄な幻想と特徴づけているが、しかし実際には、國家社会主義とは首尾一貫し、根拠がしっかりした、高名な思想家と学者によって編み出された社会哲学である。猶太人の宣伝工作で描かれた人物像とは裏腹に、ヒトラーは彼自身、第一級の思想家であり哲学者であった。正式に教育されたわけではないが、彼は強い知性的好奇心を持った、精力的な読書家であり、研究家であった。

インディアナ州のボール州立大学で歴史学の教授であったローレンス・バーケン博士は、アドルフ・ヒトラーは、歴史上の指導者の中で最も哲学的であったと断言する。「ヒトラーは、自分のメッセージを魅力的で解りやすい形式で人前に提示する天賦の才を持っていた。ヒトラーの主義主張で最も惹きつけられる特徴は、その楽天主義にあった。聴衆に伝わる興奮を誘ったもの、それは、単に彼の雰囲気ではなく、彼のメッセージそのものなのだった。彼は、独逸版の「良き知らせ」を示す世俗的な救世主であった。階級の和解の可能性、國家再生の計画、世界の敵(その排除が次の千年の時代を拓く)の認識など、全てが聴衆を煽ってその深みに導いた。ヒトラーは、もう、華やかな知識階級の洗練された弁舌の中では殆ど存在しなくなっていた(啓蒙)哲学者の言語で語った。」

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今日の共産主義 45の目標07

✔7. 中共の國家承認させる。中共の国連加盟を承認させる。

貿易の相手國同士はお互いの繁栄を涵養しようとする傾向があり、國家承認することは新しい貿易関係を始める最初の段階である。1961年にこの45の共産主義者の目標を最初に出版した時、中共の様に公然の敵国を承認し、国連加盟を認めることは馬鹿げた考えだと言った。その反対意見は1972年にニクソン大統領が中共の国連加盟の手続きを主導した時に放棄され、そしてカーター大統領は1979年に完成した。

中共はその結果繁栄したか? ー 2014年1月、中共は世界で最大の貿易国家として4兆ドルの年間連結輸出入額を上げ、合衆国を越えた。これを支援したのは、輸出全体の17.2%を占める合衆国への輸出(販売)と輸入全体の7.1%を占める中共への輸入(売上)であった。[1]

中共との貿易は世界平和をより増進したか? ー 資本主義は独裁政治を堕落させる素晴らしい方法であり、そうなるだろう。他方で中共米國國債の最大保有国で1兆3千170億ドル(2013年11月現在)保有している。毎日の利息支払いが1億6千400万ドルに上り、これは合衆国がその軍事的なそして核の脅威の他に中共の破壊的な力に直面していることが明らかである。

[1] CIA, The World Factbook, 2014.

 

【ブログ主の感想】

これも見事にしてやられたことの一つです。

ここで、改めて注目すべきことは、國家承認は貿易をする為の行為である、と言う事です。とても新鮮な感じがしませんか? 

中共の承認はもう既に40年以上も前のお話ですが、貿易をすることは、お互いに繁栄することでもあります。それはしかし、お互いを尊重する取り決めがあって初めて成り立ちます。つまり、自由貿易ではなく、関税による自国産業保護での貿易、為替管理と投資管理による自国通貨保護での投資、労働条件や自国民保護での外国人労働者です。

現今、経済の世界情勢は、中共WTO を蹂躙して自由貿易が機能しなくなった事と、多国籍企業と國際金融により富の収奪と貧富の差の拡大が世界中で顕著である事です。

この事を肝に銘じて、中共と付き合っていかなければなりません。

世界が目指すべきは、お互いの主権を尊重し、問題を話し合いで解決する、そう言う国際秩序の確立ではないでしょうか? つまり、それは新しい大東亜共栄圏を文明国全体に広げることを意味するのだと私は考えて居ります。

連合国(国連)はダメです。國際聯盟もダメでした。それは、それを造ったのが何を隠そう、国際金融だからです。国際金融は、結局のところ、経済グローバリストであり、政治的には共産主義者です。そして、固有文化の破壊者です。要するに世界の富を1%の人間が独占し、残りの人間を賃金奴隷にする活動に他なりません。

考えて見ると、1933年の米政権によるソ連承認と、1972年の中共承認は、どちらも共産主義者による世界謀略の始まりであり、そしてどちらも自由主義陣営の手痛い敗北を意味するものであったという事でしょう。

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ドイツ悪玉論の神話033

この選挙は、猶太人支配のヴァイマル共和國に終止符を打って、第三帝國(ライヒ)の始まりを記した。また同時にこの選挙は、猶太人の独逸に対する、そして所謂「ナチス」の指導体制、就中、アドルフ・ヒトラーに対する辛辣な宣伝工作戦争の始まりをも記した。この容赦なき中傷工作の結果、歴史上ヒトラーほど誤解による特徴づけをされた人はいないであろう。彼の見事な業績にも拘らず、今日に至ってなお彼は、當に悪の権化、気が触れた人、気違い、悪魔的世界征服を意図した、などの様に固定化されて考えられているのである。そして、何十年も経てこの特徴づけは、中世の「悪魔」の近代的後継者として仕えた、とする者達により、神話の領域になり果てた。

しかしこのヒトラー像は、その頃の國際政治家、記者や他の著名な人々によって記述されたものとは、少なくとも第二次大戦に至るまでは、相容れないものだ。ヒトラーは、独逸の民衆の間で非常に人気があっただけではなく、世界中の政治指導者から広く尊敬されていた。ヒトラーは、彼が独逸の為に達成し得た業績について、四方八方から高く評価されていたのである。1933年に彼が首相に選ばれたとき、彼は、飢餓に苦しむ、敗戦でやる気の失せた人々の指導者になった -第一次大戦の敗戦の結果- そして殆ど奇跡的に彼らを再起させ、繁栄した、栄養充分な、やる気に満ち溢れた、勤勉な、そして高度に成功した國民へと導いたのである。更に、彼は、これを僅か5年と言う短期間で成し遂げた。フランクリン・D・ルーズベルトは、1933年にヒトラーが首相になったのと同じ時期に米國の大統領になった。FDR が解決しなければならなかった米國の経済問題は、独逸の問題と比べると、未だ穏やかなものであった。しかし、1938年までに独逸がヒトラーの下、活況を呈していたのに、米國の恐慌は失業率19%のままで、変化なく続いた。米國の恐慌は、戦争が始まった頃にようやく収まったのだった。

独逸の民衆はヒトラーを崇拝し、救い主と見た。彼の先例のない業績には、世界がまた驚嘆した。ヒトラーは、長く続いた社会病理の後、独逸の國家國民に真の指導者魂を提供し、あらゆる挑戦分野で先例のない業績の高みに、独逸の人民を動機づけた。独逸の工業生産は驚異的に成長した。彼の指導の下、独逸は、もはや、彼が引き継いだ、敗戦の屈辱と傷ついた大衆ではなく、変貌した國家となった。いわば伝染性の興奮と期待の気持ちが國民の間に浸透し、それがライヒの外に住む独逸人にさえ広がった。オーストリア、ズデーテンラント、ダンツィヒなどの独逸民族は、独逸と統合して第三帝國(ライヒ)の一部になりたがった。

これらの驚くべき変化については、著名な独逸への訪問者が見逃していたわけではない。1936年に独逸中を旅行した後、英國の前首相デーヴィッド・ロイド・ジョージは、「ロンドンデイリーエクスプレス」紙に次のような記事を寄せて、次の様に語っている。「私は今迄独逸人より幸せな人々に出会ったことがないし、また、ヒトラーは偉大な人物の一人だ。老人は彼を信じ、若者は彼を崇拝(偶像化)している。これは、國を救った國家的英雄への崇拝だ。」

もう一人の英國の指導者、ロザミア子爵は「忠告と予言(Warnings and Predictions)」(1939年3月)でヒトラーについて次の様に書いている。「彼は、最高の知性の持ち主だ。私は、今までにこの様な範疇に入れられる人間を二人しか知らない -ノースクリフ卿(アルフレッド・ハームズワース)とロイド・ジョージだ。質問を受けると、ヒトラーは、即座に、見事に明快な答えを出す。今存命の人間で、重要な問題に対する約束について、彼よりも容易に信頼できる者はいない。彼は、独逸が神の声を以って、独逸人は、共産主義革命の攻撃から欧州を救う運命を背負っていると信じている。彼は家族生活の価値を高く重んじ、共産主義はそれに対する最悪の敵だと言う。彼は、徹底的に独逸の道徳的倫理的生活を浄化し、卑猥な本の発行、如何わしい劇や映画の上演上映を禁じた。

彼の礼儀正しさは言葉に表せない。彼はその柔和で快い笑顔を以って、女性も男性も気持ちを和らげ、いつもどちらからも信頼を勝ち取ることが出来るのだ。彼は、稀有な文化人だ。彼の音楽、美術、建築に関する知識は非常に深い。」

独逸のリベラル(自由主義的)な政治家で、第二次大戦後に西独逸の大統領を務めたテオドール・ホイスは、1930年代後半に次のように述べている。「彼(ヒトラー)は、人をして魂を動かし、犠牲的意思を そして大いなる献身をする気を起こし、その風貌によって全ての人を虜にして熱狂的に鼓舞するのだった。」

第二次大戦後も未だ、ヒトラーについて客観的に話すことが出来る人は居たのである。終戦直後、後の米國大統領ジョン・F・ケネディは、ハースト新聞グループに雇われて独逸各地の状況を取材して周った。ケネディは、最近になって公開された日記をつけていた。ある日の日記の書き出しに彼は、次のように記述している。「これら二つの地域(ベルヒテスガーデンとオーバーザルツベルクのケールシュタインハウス)を訪問すれば、ヒトラーが如何にして数年で今彼を取り囲む憎悪から立ち上がり、これまで存在した最も重要な人物の一人として出現したか、容易に理解できるだろう。彼は、國の為の無辺大の野望を持ち、それが彼をして世界の平和に対する脅威と為したのであろう。しかし、彼にはその生き方と死に様に謎があり、それは後世に生き続けるであろう。彼は、その伝説が造られる要素を彼自身の内に持っていた。」-ジョン・F・ケネディ 「指導者への前奏 -ジョン・F・ケネディの欧州日記 1945夏」(今日ではどの様な公的人物も(非難を受ける事無く)この様な感傷を表明する事は出来ない。)

親衛隊のレオン・デグレル将軍は、高度に教育を受けたベルギーの政治指導者で、彼が西側キリスト教文明への実在する脅威と見た共産主義から欧州を救うために親衛隊に入隊した。(親衛隊は完全志願奉仕の軍隊で欧州のあらゆる國からの隊員で構成されていた。百万人と言われる外國人が欧州中から志願して親衛隊に入隊したのは、単にヒトラーが成し遂げようとしたことを彼らが心から信じていた為だ。親衛隊はこれまで存在した中で、最初の真の「欧州」軍であり、それは、欧州を共産主義の脅威から守るため、救うために発生したものだった。)デグレルは知性的で、天性の指導者で、敬虔なカトリック教徒で、多産な作家でもあった。そして第二次大戦以前に彼は欧州の全ての國家指導者と知り合いになっていた。欧州は独特の宿命を負っていて、統合しなければならないと彼は信じていた。彼はまた、欧州での戦争を回避する為に出来る事は何でもした。しかし、戦争が始まると、共産主義ソヴィエト連邦と戦うために生死を賭けて戦う一介の兵隊となった。彼は、一兵士として親衛隊に入隊したが、その目を見張る能力により、何階級も昇進し、将官級となった。デグレルは、ヒトラーを単に深く尊敬していた。彼は戦後、亡命先のスペインから次の様に書いた。

 

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デグレル親衛隊将軍


ヒトラーはこれまで欧州が知る中で最も偉大な政治家だ。一時の急激な感情が潰えたときに歴史がそれを証明するだろう。彼は実際、ナポレオンよりももっと開明的だった(器が大きかった)。ナポレオンは、どちらかと言うと真の欧州人と言うよりも、征服して帝國を打ち立てるフランス人だった。

ヒトラーは、時の人として、恒久的な、正義の、高潔な欧州、勝利者指導力により統合された欧州、を夢見た。各民族がその特質と業績によって発展する欧州。この証明は、彼がペタン(フランス・ビシー政権の首相・主席を務めた)を手助けしたことで解る。ちょうど、ビスマルクが如何にしてプロシャを拡張して一つの独逸と為すか心得ていたように、ヒトラーは、独逸人であることから、欧州人であることに変化した。極めて早い時期に彼は帝國主義的野望とは縁を切っていた。」

「彼は難なく、欧州人として思考しはじめ、ビスマルク時代のプロシャの様に、独逸をして統一欧州創造の礎と為す事を指導し始めたのだった。指導者(ヒトラー)の同志の中には未だ汎独逸主義の近視眼的な人もいた。しかし、ヒトラーは、この素晴らしい業績を成し遂げるのに、天才的で、器も大きく、偏見を廃して必要な展望を持っていた。彼は、大陸の歴史で二度と見いだせないであろう、権威を持っていた。彼がもし成功していたら、数世紀にも亙る(恐らく永遠の)欧州の富と文明を確立したであろう。ヒトラーの欧州の計画は、我々すべてにとって、祝福であったであろう。」

(次回は國家社会主義共産主義です)

 

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