今日の共産主義 45の目標08

✔8. 東西ドイツを別國家として固定すること。1955年のフルシチョフの約束(ドイツ問題を国連の監視下での自由選挙で解決する)を違えても。

合衆国とUSSR の摩擦は、ソ連が東欧の国境を第二次大戦終結時のままにしたかった東欧で次第に大きくなった。その頃、ドイツは二つの国家とバルト海沿岸国家を含めた小さな東欧国家に分割され、それらは(望むと望まざるに拘わらず)恒久的にUSSR の一員となった。1975年に調印されたヘルシンキ合意は、ソ連にその望むものを与えた。USSR の戦争からの獲得領土が正式に認識され、承認され、欧州の小さな国家はソ連が支配する衛星領土として争う余地が無くなった。ドイツは東と西に分割されたまま、そしてソ連は、新しく領土として承認された地域での基本的人権を尊重すると約束した。この約束にも拘らず、1970年代の終わり、ソ連はこれらの小国に進軍し、反対派を抑え込み、その行動を國内の安全問題であり、ヘルシンキ合意に違反しないと主張した。― そして西側は平和の名の下にソ連に対抗し損ねたのだった。

 

【ブログ主の感想】

扨て、これも古い話になってしまいますね。若い人の中にはドイツが分断国家であった実感が湧かない人もおられるでしょうね。この問題の要は、国家の主権を尊重するという口実で、東ドイツの飛び地東プロシャ(ケーニヒスブルク)を恒久的にソ連に組み入れた、と言う事です。ま、改めて地図を見ると解りますが、空以外支援のしようがありませんね。但しソ連ベルリン封鎖した時は、しかし西側は結束して空輸で耐え忍び、ソ連に対抗できたのですが。(この東プロシャの問題はヴェルサイユ条約まで遡る問題ですね。)

視点を変えて、この分断国家の問題と多少共通する問題が、南北朝鮮問題ですけれども、この朝鮮問題を熟考することはとても大切な事です。東ドイツは要するに名実ともにソ連の傀儡であったため、ゴルバチョフが人民の意志に従え、と言うと、ホーネッカーは、開放(崩壊)以外に選択肢がありませんでした。

そして、ドイツは統一しましたが、メルケルのような隠れ共産主義者が統一ドイツに組み入れられたため、ドイツはその後、残念な進路(グローバル化・欧州統合)を辿ったと言えるのではないでしょうか?(禍福は糾える縄の如し、ですね)

では、南北朝鮮はどうでしょうか?

まず、國として健康診断をした場合、北鮮の方が遥かに南鮮より國としてしっかりしています。経済的には南の方が強くみえますが、大企業の70%の株が外国株であるような国の経済は植民地経済ですね。(日本も偉そうに言えない状況にあります。武長がグローバル企業になってしまったのが象徴でしょう。註:武長とは、武田薬品の大阪での俗称です)そして資源はと言うと、北鮮が南鮮を完全に凌駕しています。「国家道徳」とでもいうべき國への忠誠心は、絶対的に北鮮が上ですね。つまり、南北朝鮮について言えることは、東西ドイツとは全く逆で、南が国際金融の植民地傀儡政権、北が共産主義だけれども一応の独立国家、と言う配置になると思います。そうなれば、統一は北鮮が主導権を握ることはほぼ確実です。南鮮の人々には悪いですが、自らの國に誇りを持てない様な國は滅びます。これは、私の日本人としての自戒でもあります。

問題は、統一されれば難民が発生する可能性があることです。日本はこれにどう対応するのか、よく考えておかなければなりません。或いは、政治的に介入することで難民が出ない様な対応も可能だと思いますが、それには軍備と情報機関が必要です。取り敢えず、ドイツの統一では難民は一人も出なかった、と言うのを教訓としてその事例に学ぶことだと思いますが、如何でしょうか?

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