ドイツ悪玉論の神話033

この選挙は、猶太人支配のヴァイマル共和國に終止符を打って、第三帝國(ライヒ)の始まりを記した。また同時にこの選挙は、猶太人の独逸に対する、そして所謂「ナチス」の指導体制、就中、アドルフ・ヒトラーに対する辛辣な宣伝工作戦争の始まりをも記した。この容赦なき中傷工作の結果、歴史上ヒトラーほど誤解による特徴づけをされた人はいないであろう。彼の見事な業績にも拘らず、今日に至ってなお彼は、當に悪の権化、気が触れた人、気違い、悪魔的世界征服を意図した、などの様に固定化されて考えられているのである。そして、何十年も経てこの特徴づけは、中世の「悪魔」の近代的後継者として仕えた、とする者達により、神話の領域になり果てた。

しかしこのヒトラー像は、その頃の國際政治家、記者や他の著名な人々によって記述されたものとは、少なくとも第二次大戦に至るまでは、相容れないものだ。ヒトラーは、独逸の民衆の間で非常に人気があっただけではなく、世界中の政治指導者から広く尊敬されていた。ヒトラーは、彼が独逸の為に達成し得た業績について、四方八方から高く評価されていたのである。1933年に彼が首相に選ばれたとき、彼は、飢餓に苦しむ、敗戦でやる気の失せた人々の指導者になった -第一次大戦の敗戦の結果- そして殆ど奇跡的に彼らを再起させ、繁栄した、栄養充分な、やる気に満ち溢れた、勤勉な、そして高度に成功した國民へと導いたのである。更に、彼は、これを僅か5年と言う短期間で成し遂げた。フランクリン・D・ルーズベルトは、1933年にヒトラーが首相になったのと同じ時期に米國の大統領になった。FDR が解決しなければならなかった米國の経済問題は、独逸の問題と比べると、未だ穏やかなものであった。しかし、1938年までに独逸がヒトラーの下、活況を呈していたのに、米國の恐慌は失業率19%のままで、変化なく続いた。米國の恐慌は、戦争が始まった頃にようやく収まったのだった。

独逸の民衆はヒトラーを崇拝し、救い主と見た。彼の先例のない業績には、世界がまた驚嘆した。ヒトラーは、長く続いた社会病理の後、独逸の國家國民に真の指導者魂を提供し、あらゆる挑戦分野で先例のない業績の高みに、独逸の人民を動機づけた。独逸の工業生産は驚異的に成長した。彼の指導の下、独逸は、もはや、彼が引き継いだ、敗戦の屈辱と傷ついた大衆ではなく、変貌した國家となった。いわば伝染性の興奮と期待の気持ちが國民の間に浸透し、それがライヒの外に住む独逸人にさえ広がった。オーストリア、ズデーテンラント、ダンツィヒなどの独逸民族は、独逸と統合して第三帝國(ライヒ)の一部になりたがった。

これらの驚くべき変化については、著名な独逸への訪問者が見逃していたわけではない。1936年に独逸中を旅行した後、英國の前首相デーヴィッド・ロイド・ジョージは、「ロンドンデイリーエクスプレス」紙に次のような記事を寄せて、次の様に語っている。「私は今迄独逸人より幸せな人々に出会ったことがないし、また、ヒトラーは偉大な人物の一人だ。老人は彼を信じ、若者は彼を崇拝(偶像化)している。これは、國を救った國家的英雄への崇拝だ。」

もう一人の英國の指導者、ロザミア子爵は「忠告と予言(Warnings and Predictions)」(1939年3月)でヒトラーについて次の様に書いている。「彼は、最高の知性の持ち主だ。私は、今までにこの様な範疇に入れられる人間を二人しか知らない -ノースクリフ卿(アルフレッド・ハームズワース)とロイド・ジョージだ。質問を受けると、ヒトラーは、即座に、見事に明快な答えを出す。今存命の人間で、重要な問題に対する約束について、彼よりも容易に信頼できる者はいない。彼は、独逸が神の声を以って、独逸人は、共産主義革命の攻撃から欧州を救う運命を背負っていると信じている。彼は家族生活の価値を高く重んじ、共産主義はそれに対する最悪の敵だと言う。彼は、徹底的に独逸の道徳的倫理的生活を浄化し、卑猥な本の発行、如何わしい劇や映画の上演上映を禁じた。

彼の礼儀正しさは言葉に表せない。彼はその柔和で快い笑顔を以って、女性も男性も気持ちを和らげ、いつもどちらからも信頼を勝ち取ることが出来るのだ。彼は、稀有な文化人だ。彼の音楽、美術、建築に関する知識は非常に深い。」

独逸のリベラル(自由主義的)な政治家で、第二次大戦後に西独逸の大統領を務めたテオドール・ホイスは、1930年代後半に次のように述べている。「彼(ヒトラー)は、人をして魂を動かし、犠牲的意思を そして大いなる献身をする気を起こし、その風貌によって全ての人を虜にして熱狂的に鼓舞するのだった。」

第二次大戦後も未だ、ヒトラーについて客観的に話すことが出来る人は居たのである。終戦直後、後の米國大統領ジョン・F・ケネディは、ハースト新聞グループに雇われて独逸各地の状況を取材して周った。ケネディは、最近になって公開された日記をつけていた。ある日の日記の書き出しに彼は、次のように記述している。「これら二つの地域(ベルヒテスガーデンとオーバーザルツベルクのケールシュタインハウス)を訪問すれば、ヒトラーが如何にして数年で今彼を取り囲む憎悪から立ち上がり、これまで存在した最も重要な人物の一人として出現したか、容易に理解できるだろう。彼は、國の為の無辺大の野望を持ち、それが彼をして世界の平和に対する脅威と為したのであろう。しかし、彼にはその生き方と死に様に謎があり、それは後世に生き続けるであろう。彼は、その伝説が造られる要素を彼自身の内に持っていた。」-ジョン・F・ケネディ 「指導者への前奏 -ジョン・F・ケネディの欧州日記 1945夏」(今日ではどの様な公的人物も(非難を受ける事無く)この様な感傷を表明する事は出来ない。)

親衛隊のレオン・デグレル将軍は、高度に教育を受けたベルギーの政治指導者で、彼が西側キリスト教文明への実在する脅威と見た共産主義から欧州を救うために親衛隊に入隊した。(親衛隊は完全志願奉仕の軍隊で欧州のあらゆる國からの隊員で構成されていた。百万人と言われる外國人が欧州中から志願して親衛隊に入隊したのは、単にヒトラーが成し遂げようとしたことを彼らが心から信じていた為だ。親衛隊はこれまで存在した中で、最初の真の「欧州」軍であり、それは、欧州を共産主義の脅威から守るため、救うために発生したものだった。)デグレルは知性的で、天性の指導者で、敬虔なカトリック教徒で、多産な作家でもあった。そして第二次大戦以前に彼は欧州の全ての國家指導者と知り合いになっていた。欧州は独特の宿命を負っていて、統合しなければならないと彼は信じていた。彼はまた、欧州での戦争を回避する為に出来る事は何でもした。しかし、戦争が始まると、共産主義ソヴィエト連邦と戦うために生死を賭けて戦う一介の兵隊となった。彼は、一兵士として親衛隊に入隊したが、その目を見張る能力により、何階級も昇進し、将官級となった。デグレルは、ヒトラーを単に深く尊敬していた。彼は戦後、亡命先のスペインから次の様に書いた。

 

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デグレル親衛隊将軍


ヒトラーはこれまで欧州が知る中で最も偉大な政治家だ。一時の急激な感情が潰えたときに歴史がそれを証明するだろう。彼は実際、ナポレオンよりももっと開明的だった(器が大きかった)。ナポレオンは、どちらかと言うと真の欧州人と言うよりも、征服して帝國を打ち立てるフランス人だった。

ヒトラーは、時の人として、恒久的な、正義の、高潔な欧州、勝利者指導力により統合された欧州、を夢見た。各民族がその特質と業績によって発展する欧州。この証明は、彼がペタン(フランス・ビシー政権の首相・主席を務めた)を手助けしたことで解る。ちょうど、ビスマルクが如何にしてプロシャを拡張して一つの独逸と為すか心得ていたように、ヒトラーは、独逸人であることから、欧州人であることに変化した。極めて早い時期に彼は帝國主義的野望とは縁を切っていた。」

「彼は難なく、欧州人として思考しはじめ、ビスマルク時代のプロシャの様に、独逸をして統一欧州創造の礎と為す事を指導し始めたのだった。指導者(ヒトラー)の同志の中には未だ汎独逸主義の近視眼的な人もいた。しかし、ヒトラーは、この素晴らしい業績を成し遂げるのに、天才的で、器も大きく、偏見を廃して必要な展望を持っていた。彼は、大陸の歴史で二度と見いだせないであろう、権威を持っていた。彼がもし成功していたら、数世紀にも亙る(恐らく永遠の)欧州の富と文明を確立したであろう。ヒトラーの欧州の計画は、我々すべてにとって、祝福であったであろう。」

(次回は國家社会主義共産主義です)

 

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