ドイツ悪玉論の神話037

第十一章 猶太人の「ナチス」独逸への宣戦布告

1933年1月のヒトラーの首相としての當選は、世界中の國際猶太に警鐘を鳴らした。何故なら、彼は独逸の問題に関して猶太の支配的影響を終わらせると脅したからだ。

今もそうではあるが、當時は猶太人の離散が世界で最も強力な貿易と政治ブロックを形作っていた。彼らは今もその當時も國際的なメディアを支配しており、従って世論を支配しており、また、銀行・金融を支配しており、従って、産業も支配していた。彼らは政治家が選挙に選ばれるための資金の殆どを提供しているし、政府も支配している。ヒトラーの當選(首相就任)は、國際猶太が支配している世界の商業と政治体制の中断と妨害を意味するのだった。ヒトラーと國家社会主義者が独逸の政権に就いたとき、猶太人はロシアを完全に支配していた。米英仏でも非常に強力であった。そして独逸の殆どあらゆる機関を支配下に置いていた。ヒトラーが計画した、独逸の商業・政治活動からの猶太人の排除は、猶太人が支配した世界体制の団結の破綻を意味したのだ。

 

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首相就任當時のアドルフ・ヒトラー


更に、ヒトラーはその猶太人に組織された共産主義に対する反抗の中で、欧州に吹き荒れる脅威であったボルシェヴィキの大波に対する盾の役割をした。ロシアの支配権力を掌握し、そこを基地とした猶太人共産主義者は、その西側、東欧も含めて英國、フランス、イタリア、スペイン内戦など、そして米國においてさえ、全ての内乱の背後にいた。(共産主義は、20世紀の変わり目に大挙して押し寄せた東欧の猶太人移民によって米國にもたらされた。)独逸だけが反発し、この政権転覆と暴動の津波を食い止めていたのだった。ヒトラーの當選は、國際猶太の力に喫緊の脅威を持ち出し、そして彼らは、急いで國家社会主義の國家を跪かせる意図を以って、独逸に対する経済戦争を組織した。

ヒトラーは政治の世界に入った當初から独逸における猶太人支配に対抗する政治を公言していた。そして、独逸の機関を猶太人の手から解放するという約束に大きく依存して選挙に勝った。彼は、自分がその立場になればすぐに独逸に於ける猶太人の力を制限すると明言してきた。猶太人は彼が猶太人の利害に反する行動を始めるのを待たなかった。國際猶太は、先制攻撃したのだ。

猶太人世界同盟(Jewish World League)の代表(President)、ベルナール・ルカッシュ(Bernard Lecache)は當時、次の様に宣言した。「独逸は我々の社会の敵No.1 だ。独逸に対して無慈悲な戦争を宣言することが我々の目的(大義)である。」

独逸の高名な著述家、ハンス・グリムは、独逸の提督の訪問でオーストラリアの有力な猶太人が言ったことを次の様に引用している。「提督閣下、貴方もお聞き及びでしょうが、ヒンデンブルク大統領はライヒの首相に、前の國会議員選挙を根拠に、國家社会主義党のヒトラーを指名したそうですね。提督閣下、私はここに約束します。後でよく考えてください。我々猶太人はどんなことをしてでも、この世界からこの出来事を消し去るでしょう。」

猶太人はこの成り上がり者ヒトラーを戦わずして許そうとはしなかった。そしてその戦いは、彼らには充分に用意できていたのだ。ペンは剣よりも強しと言われるけれども猶太人はペンの達人であり、書き物の達人であった。猶太人は武装した軍隊で戦争しない、いや少なくとも猶太人の武装軍隊を以って戦争しない。猶太人はニュース、娯楽と情報メディアを銀行や金融と同様に全欧州と米國で支配していた。そして彼らは、宣伝工作と資本の支配を以って戦う。彼らは、標的の國で排斥運動を組織して企業を破壊する。彼らは、標的の國の経済を 金融の操作と経済に不可欠な貸し付けの遮断によって弱体化し、また、彼らは、標的の國に完全に対抗するように世論を変えるため、捏造ニュースと宣伝工作によって國際世論を形作り炎上させる。政治家への支配(影響力)により、彼らは、國同士を互いに対抗させ、その後、他國の軍隊を以って、彼らの戦争をさせる。そして、彼らは、途方もない利益を戦争當事國両方から戦争利得者として刈り取るのだ。(これは、イスラエルとその米國第五列である猶太人ネオコン米國の軍事力を使ってイスラエルの戦争を中東で戦わせている様に今日でも起きていることだ。)

この時、既に猶太人は効果的な反「ナチ」、反ヒトラー宣伝工作を 1921年ヒトラーの25箇条演説以来、推進中であった。この宣伝戦は、1925年の「我が闘争」の発行で一層強まった。ヒトラーが首相に就任した時、攻撃はヒステリック状態にまでなった。

ヒトラーは特に、そして所謂「ナチス」指導者は総じて、即刻、容赦ない中傷攻撃の標的となった。「ナチス」は、猶太系新聞で、教養のない、下層階級で、粗野で、粗暴な振舞と洗練のセの字もない成り上がり者と特徴づけられた。どんな類(たぐい)の中傷も彼らを表現するには行き過ぎとされなかった。ヒトラーは、ただの壁紙貼りでしかない、と言われ、彼は叫んだり身振りしたりしているとき以外は、カーペットにしゃぶりつくか、月に向かって吠えるかして殆どの時間を費やしている、と言われた。ヒトラーには睾丸が一つしかなく、密かに性的に異常な思想を隠し持っていると報告された。ゲーリングは、快楽主義者的な薬物中毒者で、女性用の絹のパンツを履いている、と広められた。独逸の外務大臣、ヨアヒム・フォン・リッベントロップは、名前の「フォン」が示す貴族などとは全然違い、法螺吹きの気取り屋で、以前は安物ワインのセールスマンであった、と非難された。ヒムラーは、養鶏場の農夫だ。ヨーゼフ・ゲッベルス博士は、博士号をでっち上げた、と言われた。ナチの職員はいずれも同様に中傷攻撃された。

ヘルマン・ゲーリングは、現実には、裕福な貴族の家庭に生まれ、また、教養も高かった。彼の親類の中には、フォン・ツェッペリン伯爵、空気より軽い飛行船の製作者、やメルク製薬の家族、そしてゲルトルート・フォン・ル・フォート男爵夫人などがいる。彼は第一次大戦の飛行隊の名手で「ブルーマックス」勲章を授与され、最後はレッドバロン(マンフレート・フォン・リヒトホーフェン)の撃墜・死後、「レッドバロン」飛行中隊の司令官となった。彼はまた、美術の収集家でオペラの愛好家でもあった。ゲーリングは、猶太人の宣伝工作で特徴づけられたものとは逆に、知的で容姿が整った魅力的な男性であった。

リッベントロップは、独逸陸軍士官の息子で、やはり教養は高かった。独逸語、フランス語、英語を流暢に話し、第一次大戦で陸軍士官として鉄十字勲章を授与されている。大戦後、彼は裕福なシャンペン製造会社社長の娘と結婚し、後にはその会社の共同経営者となって富を得た。彼は、更に自分自身の「インペグローマ輸入会社」を創業し、更に裕福になった。誰から聞いても彼は、洗練された趣味と垢抜けした風の紳士であった。

ヨーゼフ・ゲッベルス博士は、ハイデルベルク大学で博士号を取得した。彼は、哲学、歴史、美術、文学を研究し、その卓越した頭脳で評判だった。彼は、政治にかかわる前はジャーナリストとして働いた。

ルドルフ・ヘスは、エジプトはアレクサンドリアの成功した独逸人実業家の家庭に生まれ、スイスのヌーシャテル大学でビジネスの教育を受けた。彼は、第一次大戦では空軍中尉でパイロットだった。大戦後、政治学、歴史、経済学、地政学ミュンヘン大学で学んだ。彼は、「我が闘争」の共著者である。

ハインリッヒ・ヒムラーは、農学の学位をミュンヘン大学で取得し、政治の世界に入る前は、養鶏場を経営していた。これは、ジミー・カーターがピーナッツ農場主だったことと同じことだ。

ラインハルト・ハイドリヒは、上流階級の家庭出身で、海軍兵学校で教育を受け、若い頃は海軍士官として従事した。彼は、才能あるヴァイオリニストで、フェンシングと水泳の選手であった。

ヒャルマル・シャハトは、経済学博士で、ヒトラーの政権下で独逸國立銀行の頭取だった。

アルベルト・シュペーアは、建築家で、裕福なブルジョア家庭出身だ。

ヒトラーの最も親しい親友は、ハーバード大学で教育を受けたエルンスト・ハンフシュテングルだった。(1937年米國に亡命)

バルドゥール・フォン・シーラッハは、著述家の貴族で、文芸雑誌の貢献者(投稿者)の常連だった。

ハンス・フランクは、弁護士で、政治家としての経歴は初期の独逸労働者党員として始めたが、ヒトラーの個人的弁護士となった。

ルフレート・ローゼンベルクは、エストニア生まれで、裕福なバルト独逸人商人の息子だった。ローゼンベルクは、リガ工科大学で建築を学び、モスクワの「高等技術学校」で工学を学び、1917年に博士号を取得した。1918年に独逸に移民した。彼もリッベントロップと同じく、数か國語に堪能だった。

國家社会主義政権が下層階級の、チンピラの様な無学の徒で構成されていた、というのは単に真実ではなかった。実際には、彼らの殆どが、教養もあり、文化的で高い能力があった。しかし、猶太人の誹謗の輩にとって彼らの業績・経歴など問題ではなかった。彼らはヒトラーと國家社会主義党の信用を落とすことに専心していた。そして彼らは、その常套手段通りに、即ち、虚偽と半分事実とその歪曲を以ってそれを行った。例えば、國家社会主義の指導者と比べるのなら、大学には全く行かず、政治の世界に入る前は男性用品の販売員として失敗していた、我が國のハリー・トルーマンを比べるとよい。個人的教養に於いて、トルーマンは國家社会主義者の殆どの人間、特に物腰が上品で複数言語が話せて、政治に入る前は裕福なシャンパン商人であったフォン・リッベントロップなどと比べて見劣りするだろう。猶太の新聞は、トルーマンの低俗な出身については全く問題にしなかった。

(次回はメディアによる誹謗中傷です)