ドイツ悪玉論の神話035

國家社会主義の知的な根幹は19世紀から20世紀の様々な著述家や思想家の哲学的考え方から育まれた。例えば次のようなものが挙げられる。

フレデリックニーチェの「力への意志」その要素は、達成、野心と人生の可能な限りの高みに至ろうとする努力。ニーチェは、「力への意志」こそ人間の主要な牽引力(生きる力)と考えた。

アルテュール・ド・ゴビノーの「アーリア人支配人種」人種主義理論。ゴビノーは、フランスの貴族、小説家、文人で、その著書「諸人種の不平等に関する試論」(1855)においてアーリア人支配人種説を提唱したことで有名になった。ゴビノーは、白色人種の他人種と比べた優越性を白人の文明化した文化を発展させた業績と秩序正しい政府の維持によって明白となったとして信じていた。彼は、「人種の交雑」は、没落と混乱を招くと信じていた。ゴビノーの見解はその當時は全く突飛なものではなかった。この見解は、広く白人の間では一般的に共有されたものであった。

ヒューストン・ステュアート・チェンバレンは、英國で、政治哲学や自然科学の本を書いた著者。チェンバレンは、一般的にゴビノーのアーリア人種優越の考え方を支持しており、また人種の「純潔」の提唱者となった。彼は、チュートン人が西欧文明に深く影響したが、他の欧州人も同様に貢献したと考えた。彼は独逸人だけでなく、ケルト人、スラブ人、ギリシャ人、ラテン人、それに北アフリカベルベル人でさえ、「アーリア人」に含めた。

リヒャルト・ワーグナーの「信仰の運命」。ニーチェの友人であったワグナーは独逸人民は自分たちの偉大さの運命に対する信仰を持つべきだ、と言う考えを啓発した。ワグナーはまた、猶太人を自分たちの住む地域の多数派住民の寄生者として、そして独逸の天敵であると見ていた。

グレゴール・ヨハン・メンデルの遺伝と遺伝形質学の理論。メンデルはオーストリアの科学者であり、聖アウグスティノ修道会の会員であったが、遺伝科学の創立者である。彼は、エンドウ豆のある特徴の形質遺伝が特徴のある形式に従う事を示した。彼は、「遺伝形質」の法則を植物実験によって発見し、それを人類でも同様であると推論した。

ルフレート・プレッツロスロップ・ストッダードはどちらも社会的ダーウィニズムを信望していた。そしてそれを優性の科学(民族浄化)として発展させた。優生学は20世紀の初頭の数十年に亙って欧米で広く信じられたものであった。1912年の優生学の最初の國際会議は、その会長のレオナルド・ダーウィンチャールズ・ダーウィンの息子、名誉副会長のウィンストン・チャーチル、アレクサンダー・グラハム・ベルなど、多数の著名人に支持されたものだった。これらの人々も含め、他の優生学者全員が、戦争がなかったならば、独逸の民族浄化を目的とした安楽死計画を熱心に承認したはずであった。しかしそうはならずに、戦争が理由で日和見的に採り上げられ、宣伝工作が目的で非難さることになった。

カール・ハウスホーファーは、独逸の将軍、地理学者、地政学者で、独逸の人口過密の解決方法としてレーベンスラウムの提唱した。(例えば英國は、同様の人口過密問題を抱えていたが、彼ら独自の「レーベンスラウム」、つまり英國本土から植民地への大規模な移民により緩和した。)

他に國家社会主義思想に影響したのは、マキアヴェリフィヒテトライチュケシュペングラーなどであった。

國家社会主義(ナチ)思想は、次の基本で成り立つ。國家主義、反共主義、反猶太主義、そして軍國主義である。猶太人は人種的に欧州と相容れない人種で、そして、欧州の問題の一番の大元で、特に共産主義革命の元凶と考えらえた。ヒトラーは猶太人の独逸からの追放、血統独逸人のみに移民を制限、そして、強い軍隊の維持により、独逸人の「血と土」の防衛を呼び掛けた。國家社会主義は、「人民」(独逸の國家民族)概念を強調し、それは個人をして「共同体」への従属、同様に「指導者(フューラー)」への忠誠を優先する事を求めた。ヒトラーは、大陸欧州に於いて独逸は最も面積が広くて強大な國民國家として、経済統合した欧州で指導者となるべきだと考えた。(それは、今日のEU の様なもので、実際、偶然にもそれは独逸が指導している。)國家社会主義は、独逸人民の共同体を強調し、独逸國家の守り手として軍人の仲間意識を賛美した。國家社会主義運動は、ヴァイマル共和國の下での独逸の混乱に幻滅していた人々を引き寄せる磁石となった。

ヒトラーは、「20世紀最も悪名高き人種差別主義者」として限りなく非難されているが、ヒトラーの人種に対する見方は19世紀から20世紀前半にかけての欧州における(一般的)考え方と完全に一致していたものだ。常軌を逸した、とか、奇怪な、というところからはかけ離れて、彼の人種に対する考え方は、第二次大戦以前の何十年間の西洋の著名な人々、例えばウッドロウ・ウィルソンウィンストン・チャーチルとも一貫したものであった。

一般に信じられている事とは逆に、ヒトラーは均質金髪の「超アーリア」人種の繁殖計画など、支持したことは無い。これは、ただの宣伝工作に他ならない。彼は、独逸の人口がいくつかの別個の人種集団で構成されている、という現実を完全に受け容れており、独逸人民の國家と社会の統合を強調していた。ある程度の人種の多様性は寧ろ好ましいと考えており、また、過度の交雑や均質は害があると考えていた。何故なら、それは均質化を招き、優秀な遺伝形質も劣等な遺伝形質と同様に消滅させてしまうからだ。

 

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ルフレート・ローゼンベルク博士


最も影響力のある國家社会主義の案内書(ヒトラーの「我が闘争」に次いで)は、アルフレート・ローゼンベルクの「20世紀の神話(1935)」であった。ローゼンベルク氏は建築工学の博士号を持っていたが、國家社会主義党の主な信奉者の一人で、党機関紙「フェルキッシャー・ベオバハター」の編集者でもあった。ローゼンベルク博士は、全ての人民、文化、國家は、一組の信仰、或いは「神話」を持っており、その神話が死ねば、その國家も死ぬ、と考えた。(ヴァイマル共和國の終末期と現在の米國との間に多くの比較が為され得る。米國の神話、キリスト教信仰とアングロサクソンの父祖の建國の理想は、現在、容赦ない攻撃にさらされており、日々、堕落の憂き目に遭っている。)独逸の國家の神話は、ローゼンベルク博士によると、死の危険に晒されており、彼は、それを蘇らせることを使命と考えていた。

ローゼンベルクは、「國民」と「國家」を区別する。國民とは、人民(Volk)で、國家とは、政府の機関である。彼は次の様に書いている。

「『國家』は最近ではもはやあらゆるものがその前にひれ伏す、独立した偶像ではない。國家は、その目的でもなく、ただ単に『人民』を保護するための手段に過ぎない。國家の形態は変化する、そして國家の法律は死に行く、しかし、人民は残るのだ。この事実のみでも國民(Volk)こそが始まりであり、終わりであると解る、つまり、あらゆることは、それ(國民の共同体)に従属しなければならないという事だ。」

「欧州では独逸人も含めてどの人民も純血ではない。最新の研究によると、我々は5つの顕著に違う種類の人種を認識している。その中でノルマン人種は疑いなく、欧州における主な最初の真の文化的成果を生んだ。偉大な英雄、芸術家、國家の創設者はこの種族から来たものだ... ノルマン人の血が他の全ての上に独逸人の生活を創造した。今日、純粋なノルマン人が少数の地域でさえも、ノルマン人からの血を引いている。ノルマン人は独逸人であり、地中海(Westisch)、ディナール、アルプス-バルト(ostisch-Baltisch)などの文化と人種を形作る役割を果たした。また、ディナール人種が支配的な人種も内部は屡々ノルマン人のやり方で形作られた。このノルマン人の強調は、独逸で「人種的嫌悪」を植え付ける、という意味ではなく、逆に、意識的に我々の國民性のある種の人種的混然を認めるものであったのだ。」(太字加筆)

「...ノルマン人の血が完全に絶えてしまう日、独逸は、破滅に陥るだろう、そして特徴のない混乱へと衰退するであろう。この様な多様な力が、これに向かって意識的に働いている、という事を詳しく論じた。」

「欧州の國家は全てがノルマン人によって創設され、維持されてきた... 欧州を維持・保護するには、欧州のノルマン人のエネルギーをまず最初に復活し、強化しなければならない。つまり、独逸、フィンランドを含むスカンジナビア、それに英國の事だ。」

「...独逸の中央欧州と共にノルマン的欧州が、欧州の未来の運命だ。独逸は、民族・國民國家として、大陸の力の中心として、南と南東を守り、大英帝國が西と海外のノルマン人の利害に必要な地域を守るのだ。」

ローゼンベルク博士の著書から明らかなとおり、独逸は、ヒトラーも含めて、自分たちを「支配民族」などと考えたこともなく、またそのように呼んだこともなかった。その非難も、単なる猶太人による宣伝工作に過ぎない。この問題に関して英國の態度も独逸と全く同じであった。英國も独逸同様に國家主義的であったし、英國も自分たちを優秀な民族の一部であると考えていた。更に、独逸も英國も公然と英独二つの國民が同じ血統の同じ人種であると認めていた。(にもかかわらず、ローゼンベルグ博士は、ニュルンベルク裁判の後、上に述べた彼の考え方の為に絞首刑にされた。)

(次回は国家社会主義と比して「猶太人のマルクス主義理想郷の計画」です)

 

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