ドイツ悪玉論の神話054

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宣伝工作とは逆に、ヒトラーカトリックであり、キリスト教信者であった。ここでは、彼はヴィルヘルムスハーフェンにあるマリーネ教会を後にするところが写真に収まっている。

ヒトラーを中傷し、名誉を棄損しようとする意図を持った者たちによって、ヒトラー無神論者であったとか、オカルトを信じていたとか、彼が占星術を信じていたとか、或いは、異教の儀式を行ったとか、倦むほどに沢山言われている。現在ヒストリーチャンネルでは、これらの取るに足らない戯言を断言する記録映像が流布している。しかし、ヒトラーは自分の信仰を「我が闘争」で次の様に書いている。「最初に、私は全能の神を信じる。(中略)そして私は、ここに厳粛に宣言する。全能の神が私をこの仕事の為に選ばれたのである。」更に、彼は続ける。「我々はもう一度我々の文化をキリスト教的価値観で満たすこと-理論だけではなく-を願い、欲する。」と。

ヒトラーキリスト教を独逸にとって本質的な文化機構だと観ていた。「独逸政府は、キリスト教を揺るぎない独逸國民の道徳生活の基礎と見做すが、独逸政府は、聖座(ローマ法王)との友好関係の発展・維持に最大の関心を払う。國民の政府は、二つのキリスト教の告白(プロテスタントカトリック)を我々の道徳的特徴を維持する最も重要な要素と見做す。政府は、正義と客観的姿勢を他の全ての宗教に適用するであろう。」-アドルフ・ヒトラー

アドルフ・ヒトラーによる、そして彼についての夥しい発言に於いて、彼には、上に記述したようなことは殆ど見つけられない。1920年の25箇条の演説の中で、ヒトラーは、「この様に党は、特別にどの教会にも縛られず、明白なキリスト教を提唱する。」

「今現在、私は、主なる神にこれだけをお願いしたい -過去に於いてそうであったように、そして来たるべき年に於いて、神が我々の仕事と活動に、判決と決議に祝福を与えて下さることを、そして、欺瞞の誇りと臆病の奴隷状態からご加護下さることを、神の摂理が独逸人民に運命づけたことにまっしぐらに進む道をお示し下さることを、そして、躓かず、暴力や危険の前に身を委ねず、正しきことを行う勇気を下さることを- お願いしたい。」-アドルフ・ヒトラーの演説より

「私は独逸の境界の内側であろうと外側であろうと聖なる独逸人を信じる。私は、神の恩恵により、独逸人民に自分自身に対する信仰を再び与えるために送られたアドルフ・ヒトラーを信じる。」-独逸信仰運動(German Faith Movement)

アドルフ・ヒトラーは我々に再び信仰を与えたもうた。彼は、宗教の本當の意味を我々に指し示した。彼は我々の為にわが祖先の信仰を復活し我々を新たなより良き存在にするために来たのだ。(中略)丁度、イエス・キリスト十二使徒を信仰厚き一団として殉教者とし、それがローマ帝國を揺さぶった様に、我々は、今、同じ筋書を再び目撃しているのだ。アドルフ・ヒトラーは、真の聖なる霊である。」-ハンス・ケルル独逸問題担當大臣(宗教大臣)

ヒトラー無神論的殺人的怪物に仕立てたのは、國際猶太の宣伝工作であった。彼の國家社会主義政権は独逸人民を迫害などしていないし、彼らの権利を取り上げるようなこともしていない。それとは逆に、當時の世界の指導者の論評や演説で解る通り、ヒトラーは彼の人生と活力を祖國独逸人民の進歩向上に捧げ、独逸の人民はそれに対して、自分たちのフューラー(総統)に対する歴史上希に見る愛と献身を以って応えたのである。彼の政権の警察活動は、独逸人民の敵、それには一般独逸民族ではない共産主義者や左翼組織が含まれる、に差し向けられたのである。ヒトラーも独逸の人々も猶太人がロシアの國に対して何をしたか解っていたし、機会さえあれば同じことを独逸でもしようと企んでいたことも知っていた。ヒトラーはこれらの左翼革命家どもを集めて拘束し、その機会が決して与えられない様にした。そして、これらの人間の大半が猶太人であったことは、ただの偶然の一致であった。彼らが拘束されたのは、共産主義者であり、革命運動家であったからであり、故に独逸にとって恐ろしい脅威であったからだ。彼らがハンガリー、イタリア、スペインでしたことから判断して、ヒトラーにはあらゆる意味でその行動に正當性があったのである。

國際猶太の新聞は、これらの出来事をすべてその重大性に鑑みて吹き飛ばし、國家社会主義政権が独逸の猶太人をただ彼らが猶太人であるという理由だけで「迫害している」と非難した。彼らは1933年のアンターマイヤーのニューヨークでの演説を皮切りに、繰り返し、容赦なく國家社会主義政権を猶太人を殲滅しようとしている、として非難した。殆どの猶太人は第二次大戦場始まるまでは、何も支障なく独逸で暮らしたし、戦時中を通して、非常にたくさんの猶太人が何も支障なく独逸で暮らした。たまたま猶太人であった共産主義者が、非常に厳しく処遇された。実際には、15万人ともいわれる猶太系将兵が戦争中も独逸軍に従軍した。その中には、2人の大将、8人の中将、5人の少将、そして23人の大佐がいた。例えば、猶太人の元帥、エアハルト・ミルヒは、独逸空軍(LuftWaffe)の発展強化を監督した。

この章で上に紹介した、政治家、歴史家、ジャーナリストの論評や所見が、独逸が仕合わせで繁栄した人々の國であり、良心的な政府が自國民の福祉に貢献していることを記述しているのと同じ時に、國際猶太は、独逸を抑圧・蛮行・殺人の死体安置所であるように描き、その辛辣な反独逸宣伝工作戦を続けた。1935年3月ニューヨーク市の猶太女性國民協議会は、ヒトラーを「世界の脅威」と公言した。正確に、同じ時に独逸ではシュテュルマー紙(Der Sturmer)の発行者、ユリウス・シュトライヒャーは、ヒトラーイエス・キリストに譬えていた。ハウザー教授[1]のような人は、神が独逸にヒトラーを通してその存在を顕わにした、と宣言する事をニュースにし、そしてラインハルト・クラウゼ教授は、ヒトラー一人が独逸國民への「神の命令」を持っていたと宣言した。國家社会主義者は、ヒトラーへの國際的な敵対は、全て猶太人が吹き込んだものだと主張した。独逸の人々がヒトラーを崇め、独逸の救世主と観たのに対し、独逸以外の多数は、猶太人の反独逸宣伝工作によって馴らされ、彼を人類に対する脅威と見做した。

ヒトラーは、大きく見れば、ヴェルサイユ条約で独逸が召し上げられた領土の返還と、すべての独逸人を含めた独逸単独國家を約束したことで、選挙で選ばれた。英仏露の指導者は、この目的を合法的なものと認めることを拒否し、返ってヒトラーの報復主義的目的を國際的侵略と見做した。1935年4月11日、イタリアのストレーザ村で英仏伊の代表が会議を開き、独逸がオーストリアや、或いはチェコスロヴァキアのズデーテンラントを吸収する事に反対の立場を再確認した。ヒトラーは、自分の目的は合法的であり、独逸は戦争を望まないと宣言して、この再確認を独逸に対する敵対だ、と非難した。彼は、戦争の愚かしさ、過去の「愚行」の事を話した。復讐の戦争は時代遅れだ、と彼は言った。「故意による戦争を作った者は古い時代には愛國者だった。しかし、今日、そのような人間は裏切り者だ。」と言った。そして「我々は、帝國主義者ではない。」独逸の人民が望んでいるのは「すべてに平等な権利」であり、名誉が回復されることだと付け加えた。ヒトラーは、独逸人民が望んでいるのは、独逸が他の國と同じように扱われる事であり、その中には、独逸の領土の返還と言う意味も含まれる、と言った。

この執拗な反独逸宣伝工作にも拘らず、ヒトラーの目的への思索に富む、思慮深い人の支持は残っていた。1935年6月6日、英國の指導的聖職者、カンタベリー大司教は、他國との間に於ける独逸の立場への同情を表し、独逸は「他國と平等の立場を享受できる國家として承認されるべきだ」と宣言した。

しかし、平均的英米人は、独逸が世界の脅威で、制御して監視すべきであると信じる様に強要されていた。彼らは、猶太人の支配する情報媒体により、独逸は悪で、野蛮な國家であり、抑圧的全体主義政府で恐怖により秘密警察や強制収容所を使って人々を厳しく統制している、と信じ込まされていた。真実とはあまりにもかけ離れたものであった。

國際猶太により、独逸に対して宣戦された「聖戦」は、止む事無く続き、故意の虚偽、誹謗中傷や偽りの陳述の宣伝工作戦は、世界を独逸に敵対するよう仕向けることに成功しつつあった。独逸國内の実際の暮らしと、國際猶太系新聞が描いたものとの対照は、余りにも大きかった。

次に示す一連の写真は、國家社会主義時代に撮影された独逸のスッキリとした、堂々とした、知的で文化的な、當時の他の欧州の國と何ら遜色ない人々である(ことを示すものと、同じ時代に猶太人が描いた独逸人のデフォルメした、悪魔化した挿絵やポスターである。)

 

[1] マーク・D・ハウザー(Marc D. Hauser、1959年11月25日-)はアメリカの進化生物学者。元ハーバード大学人文科学部・心理学科教授。人間や類人猿に特有と思われていた認識能力がサルにもあることを発見し、進化生物学、認知神経科学のカリスマ的学者だった。2010年、論文における不正が発覚し、2011年、ハーバード大学を辞職した。

(次回はドイツの再軍備とラインラントの主權復活です) 

 

            これらが、本當の「ナチス」時代の独逸の顔

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独逸人将校と兵隊

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独逸人将校とその犬

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若い兵隊と将校

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ヒトラーユーゲントの少年

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ヒトラーユーゲントの少女

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1930年代の独逸の農場の少女

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1930年代独逸都市部の少年

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1930年代の独逸の街路

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1930年代の独逸の水泳プール

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子供の散歩

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1930年代の洗練された独逸人夫婦

 

             ここから下の写真は、猶太人の宣伝工作の中で描かれた独逸の顔である。

 

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