ドイツ悪玉論の神話073

猶太人影響下の英米の政治家

英米共に政治指導者もまた、猶太人の支配的影響の下にあった。ルーズベルトチャーチルはどちらも自分たちの取り巻きを他の人間を排除するかのように猶太人顧問で固め、自分たちの職を維持するための支援を猶太人のお金に頼っていた。猶太人は米國の人口の2%に過ぎないが、ルーズベルトの15名の「頭脳集団」のうち、8名が猶太人であった。他に何十人と言う猶太人がルーズベルト政権のいたるところに採用されていた。だから、猶太人は、殆ど英米両方の政治指導者を支配していたことになり、同時に、両國の輿論も支配していた。

FDR を取り囲んでいた猶太人一覧の一部を挙げると:バーナード・バルーク、フェリックス・フランクファーター、デビッド・リリエンソール、デイビッド・ナイルズ、ルイス・ブランダイス、サミュエル・ローゼンマン、ヘンリー・モーゲンソウ・ジュニア、ベンジャミン・V・コーエン、スティーヴン・ワイズ師(ラビ)、フランシズ・パーキンズ、シドニーヒルマン、ハーバート・H・リーマン、ジェシー・I・ストラウス、ハロルド・ラスキ、チャールズ・E・ウィザンスキー・ジュニア、サミュエル・アンターマイアー、エドワード・フィリーン、デイヴィッド・ドゥビンスキー、モーデカイ・エゼキエル、エイブ・フォータス、イサドール・ルービン、ハリー・デクスター・ホワイト(ワイス)、デイビッド・ワイントローブ(David Weintraub)、ネイサン・シルバーマスター、ハロルド・グラッサー、アーヴィング・カプラン、ソロモン・アドラー、ベンジャミン・カードーゾ、アンナ・ローゼンバーグ、そして大勢、その他大勢も、殆ど非猶太人を排除の様相であった。

結果として、ルーズベルトは、猶太人の独逸に対する憎悪と敵意の空気の中に包まれ、やがては彼自身がその一部となってしまうほどになり、いつも悪意に満ちた反ヒトラーで反「ナチ」の論評を公衆の前でする習慣となった。これらのルーズベルトによる無分別な公の論評は、米國と國家社会主義独逸との友好的な外交関係の可能性をはなから排除してしまった。

更に、これらの猶太人は、一人残らず、スターリン共産主義者に同情的であり、米國政府の内部で実質的にソヴィエト連邦代理人として活動した。これら共産党に傾倒した猶太人は、ルーズベルト政権のあらゆる部署で増殖し、日常的にソヴィエトの利益の為に諜報活動した。ルーズベルトは、ヨシフ・スターリンを温かく見つめ、彼の事を「ジョーおじさん(Uncle Joe)」と呼んでいた。

チャーチルも同様に自分自身を猶太人顧問で取り囲んでいた。チャーチルは、お金を殆ど持ち合わせていなかったが、贅沢で快適な暮らしを楽しんでいた。彼はその長い政治経歴の中で、猶太人のカネと交換に猶太人に好ましい政治主張をしたことを一度ならず非難されている。チャーチルは、公僕としての収入をジャーナリストとして、そして本を書くことで補っていたが、これらを合わせた額では自分の贅沢な生活様式を支えるのに充分ではなかった。チャーチルは自身がそう呼ぶ「荒野の時代」、1930年から1939年にかけて政府の外にあった間、勿論その間も議員ではあったが、「フォーカス」として知られる秘密の反独逸圧力団体の賄賂(買収資金)に支えられていた。フォーカスの会員は、複数の化学会社の取締役、ロバート・モンドや、シェル石油執行役員で、チャーチルを非猶太人の傀儡として雇ったロバート・ワリー・コーエンの様な裕福な英國の猶太人で構成されていた。米國の猶太人バーナード・バルークもチャーチルの幸せな暮らしに重要な貢献をした。チャーチルに課せられた仕事は、独逸と戦争する事であった。そして、「ナチス」独逸について、世界に警告を始める事であった。チャーチルは、華麗な演説家で、優秀な文筆家であり、自分に課せられた仕事を素晴らしく成し遂げた。

 

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ウィンストン・チャーチルを描いた独逸の漫画 猶太人のカネで買われた傀儡として描かれている 実際、「フォーカス」と言う猶太人集団に買われていた


「フォーカス」を通じてチャーチルの贅沢な暮らしに支払われた猶太人のカネによりチャーチルは閣僚になり、最後には首相になった。國会議員としての立場から、そして、続いて閣僚の一人として、「フォーカス」の命令を実行していたチャーチルは、声高に、そして好戦的に國家社会主義独逸を詰問し、スタンレー・ボードウィンやネヴィル・チェンバレンが独逸による英國への脅威に目と瞑ったと主張して厳しく批判したのだった。彼は戦争を熱烈に主張し始めた。ルーズベルトチャーチルもどちらも國際猶太の独逸への戦争の、非猶太人傀儡となり果てたのだった。

チャーチルは、1938年10月5日の英國下院での演説で、「...しかし、英國の民主体制とナチの権力、その権力は、キリスト教倫理をはねつけ、その野蛮な異教により自身を喝采し、侵略と征服の精神を望み、迫害による倒錯した強さと喜びを導き、そして、我々が見て来た様に、殺人的な力の脅しを無慈悲な残忍性で行使する、そのような権力との間での友好関係は不可能なのです。」と述べた。彼は勿論、國際猶太の反独逸宣伝工作の、加熱したヒステリックな誇張と見え透いた嘘を繰り返していただけである。

チャーチルの警告とは裏腹に、独逸は英國に対する謀略や下心など何も持っていなかった。ヒトラーは積極的に英國との同盟を求めたが、英國はそれを拒否した。ヒトラーは、英國の防衛に必要なら、独逸の軍事顧問を提供するとまで言った。ヒトラーは、大英帝國とそれに、カトリック教会は、世界平和と安定の為に、絶対に本質的な國際的機関であると信じ、また屡々そう述べていた。ヒトラーは、英國に受け容れられることを切望している公然の英國贔屓で、英國と独逸の間の同盟関係を作るためには出来る事は全てした。彼は、屡々、英國人が言うのと同じように、英國人と独逸人は同じ人種であると言った。実際同じ人々で、言語で分けられているだけだ、と。ヒトラーは、英國とただ、平和と友好関係を望んだだけだった。

ヒトラーは、これらの戦争屋が独逸に向けた罵詈雑言と憎悪の宣伝工作の着実な流れにうろたえた。1938年10月9日にザールブリュッケンで行った演説の中で、次の様に述べた。「...英國の政権が、チェンバレンでなく、ダッフ氏、エデン氏、または、チャーチル氏に替わるだけで済む。そして我々は、これらの人間が即座に新たな世界大戦を始めることをよく知っている。彼らは、自分たちの意図を隠す事さえしない。彼らは公然と言っている...」

第二次大戦後の世界ではチャーチルは戦争についての一般の神話の中で、殆ど「神の様な」存在であるが、一般の神話は、余りにも眞實から乖離していて、熱心なチャーチル支持者であるゴードン・クレイグでさえ、次の様に書く責任を感じた。

「今日ではかなりよく知られているが、チャーチルは、屡々、間違った情報に頼ったため、彼が主張した独逸の強さが大げさに誇張されており、彼の対応策も実行不可能なものであり、彼が強調した空軍力も間違いだった。」

ラルフ・レイコ博士は、その著書「チャーチル再考(Rethinking Churchill)」(1998)の中で次の様に書いている。「30年代に『妥協派』に反対し、最後にはチェンバレン政権にできるだけ早く再武装する政策を迫るチャーチルの『先見の明』についてのあらゆる『はったり』にも拘らず、独逸との和平を試みる事の方がチャーチルの政策よりもより現実的であった。」

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