ドイツ悪玉論の神話074

ルーズベルトの敵対への貢献

ルーズベルト大統領とその取り巻きの独逸に対する姿勢は、英國の指導者の姿勢よりも、更にまだ極端だった。ルーズベルトはその政治経歴の最初から、一般的に独逸人に対する深い反感の傾向があったが恐らくそれは、第一次大戦の反独逸宣伝工作に根差したもので、彼は、個人的にアドルフ・ヒトラーを軽蔑していたことは疑いない。デイビット・ホガン教授(「強要された戰爭」-1961)によると、「ルーズベルトヒトラーに対する憎しみは深く、激しく、熱烈-殆ど個人的であった。これは、少なからず、この二人の大いなる対照、それは、二人の性格ばかりでなく、國家指導者としての記録の対照、が元の絶えざる羨望と嫉妬によるものである。」

ルーズベルトヒトラーは、公的生活では、多くの共通点がある。共に、1933年にそれぞれの國の指導者として始め、そこから並行の道を歩んだ。どちらも、壊滅的な世界大恐慌の間、大量の失業者を抱えて大きな挑戦に直面した。共に、敵味方ではあったが、歴史上もっとも破壊的な戦争の中で大きな軍事同盟を率いる強い指導者であった。共に、現職のまま、たった数週間の違いで1945年に亡くなった。これらの多くの類似点はあるが、しかし、その人生の対照もまた甚だしいものだった。

ルーズベルトは、米國でも最も裕福な家庭にその生を受けた。そして彼の人生は、完全に経済的な心配とは無縁のものだった。彼は、ヒトラーと同様に第一次大戦に従軍したが、全く違う意味でだった。ルーズベルトは、戦争をワシントンの事務所で海軍次官として過ごした。ヒトラーは、田舎の家庭に生まれ、準貧困の中で育った。若くして彼は肉体労働者として働き、その日暮らしの生活を送った。彼は、第一次大戦では最前線の兵士として地獄の西部戦線に従軍し、伍長より上官にはならなかった。彼は、何度か負傷し、勇者として叙勲されている。

そのアイヴィーリーグ教育、その自信、貴族的振舞いと説得力のある弁舌にも拘らず、ルーズベルトは、合衆國に存在した、彼が就任した時に引き継いだ巨大な経済問題を解決できずにいた。彼の大統領の任期を通して、彼は、失業率を減らすことも経済を再駆動する事も出来なかった。彼の一期目の4年の終わりごろ、ずば抜けた繁栄に必要なあらゆる資源に恵まれていた國で、数百万の人々が失業したままで、栄養失調で、住宅事情は劣悪であった。ルーズベルトニューディールは、最初から最後まで、酷いストと労使間の血なまぐさい衝突に、悩まされ続けた。

ヒトラーの下の独逸では、話は、非常に違った様に展開した。ヒトラーが首相になった時、彼はルーズベルトが直面していたすべての問題に輪をかけた、より深刻な問題に直面した。しかしヒトラーは急進的な計画の裏で人々を呼び込み、その計画は、独逸を経済的に荒廃し、内戦の憂き目に遭った國からたった数年で欧州きっての強國に変貌させた。独逸は社会的、文化的、経済的に歴史上類を見ないほど、生まれ変わったのだった。

二人の個性の対照もまた、激しい。ヒトラーは、他の人との関係に於いて真直ぐで、自分の意図を伝達するのに、曖昧ではなかった。彼は、キリスト教の道徳の保守的感覚を持ち、嘘吐きではなかった。ルーズベルトは、「いい男」を装っていたが、その笑顔の裏で邪(よこしま)で計算高かった。更に、彼は人を誤解させて、操った。彼は、他の多くの成功した政治家の様に、社会病質者であった可能性が非常に高く、良心に欠けていた。片や、ヒトラーは、正真正銘人民の人で、心底から独逸の人々をその人民として、國民としての潜在能力を全開することを実現し、「失望の底なし沼」から上に持ち上げる事を願った。ヒトラーとは対照的に、人民について抽象的には気にしたかもしれないルーズベルトは、中身は、非常に冷笑的な政治家であったが、彼は、人々にとって最善の事は彼にしかわからない、人民にはそのような問題について理解する事は不可能だ、という信念があった。彼は、米國を戦争に導く本當の意図について嘘を吐くような、邪悪で詐欺的な方法で、米國民を操った。彼は、自分の邪悪で辻褄の合わない性質について認めてさえいる。彼は、嘗て言った、「私は自分の右手が何をしようとしているかを左手に決して教えない。」と。

ルーズベルトは、第一次大戦中、ウィルソン大統領の政権で働き、ウィルソンの無辺大の理想主義と、また、ウィルソンが戦後の和平合意で見せた高潔な道筋で世界中の人々から偶像化されたことに感銘を受けた。ルーズベルトは、ウィルソンの様に、誇張された、救世主的な像、國民の指導者になるために特別に資質を与えられた、そして、世界を変えるために神の摂理によって呼び出されたと信じる、そう言う像をを自分自身に重ねていた。彼は、他の多くの米國の指導者と同様、世界は、合衆國を見習って変革する事によってのみ救われると、確信していた。

ウィルソンやルーズベルト、最近ではジョージ・W・ブッシュの様な大統領は、それぞれが互いに平和に共存するために、その違った集団的独自性を尊重し合わなければならない、異なった國々、民族、文化の多様性として、世界を見ない。彼らは、世界を独善的な使命の観点から、そしてその観点は、世界を二つの集団に分ける-一方に「善の」國ともう一方に「悪の」國(これは、「マニ教的」世界観として知られている)。彼らは同時に米國を神意により恒久的な世界の「善」の力の指導者として任命された、そして「悪」の力を破壊するか、転化するかの使命を与えられたものと見る。(幸運なことにこの世界観は、合衆國の力を利用する勢力の経済的且つ政治的利害と対応するのだ。)「ナチス」独逸は、ルーズベルトの観点では、「悪」の力を代表しており、正常な関係は不可能で、しかも誰も説き伏せる事も出来ない、故に試みる事も拒否する、そう言うものだ。彼は、「ナチス」独逸を徹底した敵対心を以って考えていた。

ルーズベルトは、確信的に、自分自身を悪い人間とは見なかったであろう、が、彼の行動は、當然、彼を悪人とした。彼は、自分が英仏に圧力をかけて「悪」の独逸に対して戰爭することを正しく、気高いことをしていると心から信じていた。彼は、ドラゴン殺しの大天使聖ミカエルで、実在する悪魔の力に対する戦いに世界を導くのだった。彼が自分自身に描いている正義の力の指導者としての姿と、「ナチス」政権下の世界の「悪」の力としての、常に正義の力を脅している独逸、という彼の見方は、彼の周りを取り囲んで、政権を運営している人間の間に戦争ヒステリーと戦争精神病を生み出した。その程度は、どの様な「悪の力」の言動も、つまり、「ナチス」独逸そのものが最悪の解釈をされ、独逸の本當の意図が如何に善良なものであっても彼らにけしかけられた悪の計画とされるくらいであった。彼を取り巻き、補佐する、そして、自分たち自身の大義により、ヒトラーの独逸を嫌う猶太人は、ルーズベルトの自分自身の幻想と、世界での彼の役割を育て、彼のマニ教的世界観を立証したのだった。

戰爭精神病が如何にこの時期の米國の政治指導者に浸透していたか物語ることに、國務次官補F.B.セイアーが1938年9月9日、英國大使ロナルド・リンゼイに「こんな時に、戦争が起こりそうで、独逸が我々の門を打ち叩いているのに、我々が未だ(対独逸の)合意に達して署名していないのは、悲劇に思われる。」と、叫んだことがある。独逸が1938年に米國の「門を打ち叩いている」と言う想像は完全に馬鹿げている。独逸には英國海峡を挟んで、英國の門を打ち叩く手段すら欠いていた。更にヒトラーと國家社会主義者は、1938年には米國を敵國と観る理由も動機もなかった。米國がうろたえて根拠のない好戦性を独逸に向けていただけであろう。あったとすれば、独逸の「門を打ち叩いていた」のが米國だろう。

この様な虚偽の緊急事態の雰囲気に、米國の猶太人財務長官、ヘンリー・モーゲンソウ・ジュニアは、フランスの猶太人首相、レオン・ブルムに電話して、独逸銀行のフランスの口座を凍結することを仄めかしている。フランスが独逸との戦争に突き進むことを期待して。ルーズベルトは彼自身、益々ヒトラーに対して好戦的になり、個人的にヒトラーを侮辱する論評を公に繰り返した。(寧ろ、現在のイランに対する戦争ヒステリーに似ているが、更に極端であった。)

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