今日の共産主義 45の目標44

✔44. パナマ運河を國際化せよ。

1977年9月7日、アメリカの運河地域の占領を終了する条約がジミー・カーター大統領によって署名された。自由(世界)による支配は、運河が永久に中立を守るというパナマ人の保証に左右されることになった。1999年10月31日、アメリカの撤退は完了した。最後の活動を祝う式典が催され、そこにはジミー・カーターは出席したが、時の大統領、ビル・クリントンは、運河を安全に維持し、交渉の終わりを延期するというパナマ政府の約束に信任を現しながらも、出席はしなかった。国家の緊急事態に際しても運河は國の防衛の必要に応えて開かれたままになるのか、という問題は残った。

 

【ブログ主の感想】

パナマ運河を「國際化」するこの目標は既に20世紀の内に達成されたのですが、それは皮肉にもソヴィエトが崩壊してから実現しました。

パナマ運河は太平洋と大西洋を結ぶ最も重要な物流・軍事拠点なので米國が神経を尖らせるのは無理からぬことです。そして、共産主義者米國軍を何とか当地から撤退させて、工作により運河を自由に使える様にする、と言う事も充分考えられました。

今、中共が、ニカラグアに新たな運河建設を目論んでいるようですが、全く懲りない奴らですな。

ところで、パナマと言う國自体が、元々なかったのをご存知でしょうか?

南米の英雄、ボリバルに指導され、1821年に現在のエクアドルパナマ・コロンビア・ヴェネズエラを版図とするグラン・コロンビアの独立に成功したのがこれらの国々の独立の歴史の始まりです。その後、1831年(恐らくアメリカ・ディープステートによる工作で)この地域は元のスペイン植民地の区画により独立分割され、ヌエバグラナダ共和国が出来、パナマはその版図の一部でした。パナマの悲劇はアメリカのゴールドラッシュと共に始まりました。米大陸横断鉄道(1869年完成)があと20年早かったら、この辺りの歴史は変わっていたかもしれません。以下、wikiより

「1846年にアメリカ合衆国は、パナマにおけるヌエバグラナダ共和国(ほぼ現在のコロンビア共和国に相当)の主権を承認することでパナマ地峡の通行権を獲得した。アメリカ合衆国米墨戦争でメキシコから北半分の領土を手に入れ、1848年にカリフォルニアでゴールド・ラッシュが始まった1840年代以降、アメリカ合衆国東部の人々はオレゴン、カリフォルニア等のアメリカ合衆国西海岸への移住にパナマ地峡を利用し、交通の要衝としてのパナマの重要性は高まった。1848年にはアメリカの会社がパナマ・コロン地峡横断鉄道の敷設権を獲得した。1850年に着工したパナマ・コロン鉄道敷設工事は、1855年に完了した。

1855年パナマはヌエバグラナダから自治権を獲得した。1863年グラナダ連合でリオ・ネグロ憲法が制定され、八州が独自の外交権を持つ分権的な連邦国家コロンビア合衆国が成立すると、パナマも連邦の一州として実質的な独立を達成したが、1866年に再びコロンビアによる直接支配が復活した。パナマではコロンビアに対する反乱が頻発するがいずれも失敗に終わった。

スエズ運河建設に携わったフランス人実業家のレセップスがコロンビアから運河建設権を買い取り、1881年から1889年までパナマ運河建設を進めたが、様々な問題発生により建設は中止された。この過程で運河建設のために各国から労働者が導入された。

1885年の自由党の反乱を鎮圧した保守党のラファエル・ヌニェス(スペイン語版、英語版)によって1886年にリオ・ネグロ憲法の放棄と新憲法が制定され、中央集権色の強いコロンビア共和国が成立した。こうして一時的に不安定なコロンビアにも保守党による支配権が確立したが、1894年にヌニェスが死去すると、1899年に自由党のカウディーリョだったラファエル・ウリベ・ウリベ(スペイン語版、英語版)将軍が蜂起し、千日戦争が勃発した。この内戦は1902年まで続き、およそ10万人の死者を出した。

コロンビアからの第二の独立(詳細は「バナナ戦争」を参照)
アメリカ海軍のアルフレッド・マハンの海軍戦略の影響や、1898年の米西戦争を契機に、アメリカ合衆国に太平洋と大西洋をつなぐ運河が中米に必要であるとの考えが浸透していた。1901年にマハンの教えを受けたセオドア・ルーズベルトアメリカ合衆国大統領に就任すると、アメリカは中米地峡に太平洋と大西洋をつなぐ運河の建設に臨んだ。アメリカ合衆国では、中米における運河建設計画としてニカラグア案とパナマ案が提示され、1902年、レセップスが設立した新パナマ運河会社から運河建設等の権利を買い取るパナマ案が議会で採決された(スプーナー法)。

アメリカ合衆国パナマ運河を建設することを千日戦争で疲弊したコロンビア共和国上院に拒否されたため、パナマの持ち得る経済効果、ならびにラテンアメリカ地域における軍事的重要性から分離・独立を画策した。その結果、1903年11月3日にパナマ地域はコロンビアから独立を果たした。初代大統領にはマヌエル・アマドールが就任したが、新たに制定された憲法ではパナマ運河地帯の幅16kmの主権を永遠にアメリカに認めるとの規定があり、以降パナマアメリカによって事実上支配されることになった。運河地帯の主権を獲得したアメリカによって運河建設は進められ、1914年にパナマ運河が開通した。」

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