ドイツ悪玉論の神話072

猶太人がルーズベルトチャーチル両人に影響力を行使

ポーランド問題がくすぶっている間、劇場や映画産業にかかわっている猶太人が國家社会主義者によって規制を受けた結果、大量に独逸を去り、ハリウッドに来て、同じ映画産業を経営していた猶太人に即座に歓迎された。これら、独逸移民の猶太人は、米國人向けの反ナチ映画(通常、親共産主義色)の制作に加わった。片眼鏡を掛け、たばこを手に持ち、偉そうな貴族的振舞いで、完璧に制服を身に着け、直立し、尊大な態度で、邪悪な冷笑か、或いは不吉な微笑みを不遜な顔に浮かべている、と言うのが、これらの映画におけるナチの幹部の固定観念的個性となった。

英米における大衆向け情報・娯楽メディアは、殆ど完全に猶太人の支配下にあり、英米の人々には非常に偏った独逸での出来事の画像・映像が紹介された。ヒトラーと國家社会主義政府の構成員は、実際の事実とは正反対に、最下層の人間、殺人者、精神異常者などとして容赦なく誹謗され、この様にして両國での輿論は國家社会主義独逸に敵対する(反する)ように変えられたのだった。

1940年と1941年には、猶太人制作の、好戦映画、チャーリー・チャップリンヒトラームッソリーニの茶番劇、「独裁者」や独逸からの猶太人移民、フリッツ・ラング監督の「マン・ハント」、「死の嵐」、「英空軍のアメリカ人」、「軍曹ヨーク」、「私が結婚した男」など、多くの同じような映画が制作された。これらの映画は、米國を独逸との戦争に参戦させようとする多種多様な精力的参戦運動の要素の最も重要な部分であった。

米國が独逸との戦争に参戦すると、映画の制作所は、次から次へと反ナチの安もの映画を粗製乱造した。今日の聴衆は、次に挙げるような「古典」作品をくすくす笑ってしまうに違いない。「ヒルビリー電撃戦(Hillbilly Blizkrieg)」「囚われの女(Women in Bondage)」「ヒトラーと悪魔(The Devil with Hitler)」「私はゲシュタポから逃れた(I Escaped from the Gestapo)」「ヒトラーの子供たち(Hitler’s Children)」「田舎者(ナチ)は迷惑だ(That Nazty Nuisance)」「アドルフ・ヒトラーの奇妙な死(Strange Death of Adolf Hitler)」「女性の敵(Enemy of Women)」「ヒトラーの狂人(Hitler's Madman)」「マスターレース・支配民族(The Master Race)」「ヒトラーギャング(The Hitler Gang)」「ホテルベルリン(Hotel Berlin)」「ターザンの勝利(Tarzan Triumph)」

「ターザンの勝利」のあらすじは、これら安もの宣伝映画の印象を例示する。ナチの代理人がターザンの平和な王國に落下傘で降り立ち、石油と錫を略奪する事を見込んで要塞を占領する。ジョニー・ワイスミューラーという、少しだらしないが、野蛮人の司令官が、枢軸に対抗するために、原住民(すべて白人)を集める。「ナッチーを殺せ!」とターザンが原住民に命令する。彼らは、やる気満々で頷く。独逸人は余りにも卑しく、動物さえも彼らに対抗する。ターザンはナチの兵隊の隊長をジャングル奥深くまで追いかけ、そして、恐ろしさに気が触れた独逸の将校が気も狂わんばかりにベルリンに短波の無線信号を送信しようとしたとき、ターザンは彼を殺す。ベルリンでは、無線士が苦痛の信号を認識し、アフリカ作戦の責任の将軍を慌てて呼び出す。ターザンと少年、そしてジャングルの巫女が笑いながら見ている中。チンパンジーチーターが無線機のマイクに向けて喋る。ジャングル奥深くでの致命的戦いを夢にも知らず、将軍はチンパンジーの言う事を無線で聞き、はね上がって足を揃え、(ナチス風の)挨拶をし、部下に向かって無線はアフリカからではなく、総統からである、と大声で叫ぶ。

これら猶太人制作の反独逸映画に於ける加虐趣味の、性的異常性の、弾丸型の丸頭のナチス独逸野郎の役は、ジョージ・シーグマン、エリッヒ・フォン・シュトロハイム、ウォルター・ロング、ホバート・ボズワースなどの様なハリウッドの「太っちょ」により演じられた。俳優のボビー・ワトソンなどは、戦時中、アドルフ・ヒトラー役で、ずっと多忙を極めた。

米國の大衆は、この様な反独逸宣伝工作をわんさと与えられ、独逸と独逸人が嫌いになるように洗脳されてしまった。我々の勇ましく気高い軍隊が何をしようと、それは、彼らが受けるべきもの(懲罰)よりは軽いものだ。独逸の都市を爆撃し、女子供も殺す。そして、可能な限りの手段を以って、悪の独逸を破壊せよ!と。

次回 ドイツ悪玉論の神話073   前回 ドイツ悪玉論の神話071