筈見一郎著 「猶太禍の世界」01

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第一章 序曲篇 世界文明の癌

 

ヒットラーと彼の忌憚なき猶太観

一体、刻下世界の痛切に悩む猶太禍は、それ自身数世紀以来重りに重って来た癌とも称すべきもので、既に化石して動きの取れない旧態制世界から、より以上健全で溌剌新鮮な世界文明を齎すためには、それがどんな過程を経過して根治されて行くべきか? が、恐らく、今世紀の最大の宿題であり、それが逸早く独逸や伊太利に於いて着手され、日本もやがてそれに追随して善処しなければならない現況となった。

日本は猶太禍を対岸の火災視してはならない。否、それ処か、今日まで我国が知らず識らずに蒙った、その意外に甚大で猛烈な火の子を振り払うばかりに満足せず、それに対し飽くまで重大な根本対策を講じなければならない。

日本へも猶太禍は単に支那事変という姿でのみならず、文化や思想や科学哲学神学の色々な形式でやって来ている。この経過の非常に古いコズモポリタンな性質の慢性病は通例の正攻法で解剖を試みようとしては却々その正体を暴露し難く、その叙述も、動もすれば乾燥無味に流れ易い。

以下のページには、それであるから出来る丈、砕けた調子で、物語ともエッセイとも論策とも称されない形式で、これが本質に漸次肉迫して行くように努めたいと思う。

話は、便宜上、七年前の独逸から始めよう。

 

ベルヒテスガーデンの初夏

「次の戰は前の大戦とは全然様相を異にするだろう。歩兵の攻撃や、厖大な密集陣の備えを成すということなんかは時代遅れとなるよ。あのスイス国境からドーヴァの海岸まで蜒々とした大陣地を築き合って所謂膠着した前線を四年間も保ち、どちらも完全に突破出来なかったという苦がい経験は最早繰返されぬだろうよ。あんなこっちゃ、戦争の退歩だよ。我が独逸は断然昔のより以上優れた自在を極めた機動戦に復して見せるよ。」

斯く話し出した主人公はヒットラー其人であった。頃は一九三三年の六月のこと、處はベルヒテスガーデンの山荘のヴェランダで滴るばかりの新緑を見下し、心持のよい山気をウンと胸一杯に吸ってであった。集った客は孰れも彼の腹心の気の利いた人物ばかり数名。

今から七年前のこの時ヒットラーはまだ宰相で翌年物故したヒンデンブルグに代って総統となる一歩手前であり、今日程もその口が重々しくはなく、尠くとも彼の親近のものには宰相が絶えず其心中に如何なることを考え、如何なることを実行に移そうとして居るか、格別よくわかっていた時代であった。皆はその盤石のような絶大な自信や抱負に蹴落され引きづられ説得され、しかも其片言隻句がいつかは悉くうそやいつわりでない厳然たる現実となるので、ヒットラーの一言一行には予言者否な神にもまさるような尊敬を早やひそかに衷心から捧げていたのであった。

世界を懾伏させる運命を担ったこの偉人の驚くべき的確な現実への見識とか、将来への見透しというものは、恐ろしく時流を抜いたものであった。時に天才は狂気にさえ見えるものだ。彼は団栗の背くらべも同然な英・米・佛・その他の名ばかりいかめしい第一流の政治家とか、軍人とか、学者とか、論客とかとは其見解を全く異にしていた。

 

ヒットラーの信条対猶太文化

ヒットラーはその信条とする国家社会主義に基く、生々流転して寸刻も休むことのない活力に充ち満ちた科学のみの必要を主張し、あの最早その当然な機能を発揮することの出来なくなった事実に於いて化石状態に陥り、死んだも同然な猶太人本位の自由主義や民主主義の科学を疾くより排斥して来たのであって、そのような科学には純然たる真理も道徳もあろう筈がないと、時には極言をさえ敢てして来たといわれる。一言にして謂えば、ヒットラーは実行の科学なり哲学なりを主張しているのだ。実行を外にしてはそれらは何等の価値をも生ぜぬというのだ。この点、勿論相当の例外は許されようが、今日まで猶太人が中心になって作り上げた彼等に都合のよい主義や学問が、口ばかり達者で実行には意外に疎いのとは大分趣を異にする訳である。

ヒットラーは世界の現実に堅忍な意志、燃えるような熱情、決然たる行動を以て常にぶつかって来た。そこに彼の彼らしい本領が窺われる。

 

ヒットラーの特異なゲーテ

ヒットラーは、必ずしもゲーテの愛好家ではないが、ゲーテの、「抑もこの世界の初めには実行があった」という不磨の文句には堪らない愛着を感ずるという。この文句があればこそゲーテには他に多くの不満を感ずるが恕(ゆる)してやってもよいと常によく物語っているのである。実行する人々のみが現実の世界を正視出来る。実行をせずして知識を要らぬ方面に誤用するのは怪しからぬと彼はいつもいきまくのである。人がこの世界に生れた以上は、その所信を実行せねばうそだ。実行する人間こそは、この世界の天職を立派に果して行くものだ。彼是、理屈ばかり唱える時代は最早や疾(と)うの昔に過ぎ去った。徒らに思索ばかりに耽けるものは生命の位置を沒却(ぼっきゃく)した死人だ。

たゞ行為及び絶えざる活動のみが生命に意義を与える。彼は偏見から離れた氷のように冷静な広大な何等拘束されない態度を以て、あらゆる事物にぶつかって行く。ヒットラーはこの世界を偏狭な猶太の自由主義や民主主義から解放すべき人類の最大救済者たることを自ら任じていて、そこに天帝の摂意があると信じてやまない。

 

ワグネルを熱愛するヒットラー

ヒットラーの心中には、ワグネルという彼の思想の力強い鼓舞者があるのだ。ヒットラーはワグネルを単なる音楽家や詩人としては片付けない。偉大な独逸民族精神を昂揚した予言者として見ている。

ヒットラーは年少の時から、偶然であったか、それとも天の思召であったか、ワグネルを耽読し、言い知れぬ価値を悟るに至った。そこに書かれているもの表現されているものは奇しくも若きヒットラー自身の胸奥の琴線に触れ鏗然(こうぜん)と魂が高鳴った。彼のそれまで眠っていた潜在意識や自信をもくもくと躍動させるに至った。

一旦廓然(かくぜん)とドイツ民族の偉大な精神に目覚めたヒットラーは、それと共に忽ちこの世界が猶太の文化に掩有されているのに異常な嫌悪を感じるようになった。彼としてはさもあるべきであった。この時から猶太人に対する嫌悪は募って行った。真の独逸を打ち立てるのには、先ず独逸のあらゆる事物を猶太文化から引き離さねばうそだと思い立つに至った。

 

ヒットラーのアンチ・セミチズムと基督教の問題

ヒットラーの反猶太思想というものはかくして根本的なものとなった。彼は啻に猶太教を信ずる猶太人を排斥するばかりか、猶太人のイエスによって始められた基督教そのものは世界の文化をゆがめている。ドイツ民族の精神を表面から抹殺さえしてしまったと憤慨しているのである。このヒットラーの心持は基督教に凝り固っている英米人には一寸理解が出来ないであろうが、皇道を重んずる日本人にはよく判るであろう。

 

日本神道ヒットラーの神の観念

それならヒットラー無神論者かというと、そうでもない。彼の民族精神中に発見される神を信じているのだ。換言すれば彼自身中に髪を発見しているのだ。これは日本人の神への観念に余程近づいている。ただ日本人程に、祖先崇拝は徹底していないようである。この点は物足らない感じがするが、それは國體の相違が、先ず第一に然らしめるのであろう。

日本基督教の行衛はどうなる?

これは余論であるが、こういう意味で、日本でも今後の基督教の取扱いというものは、大分に喧しいものとなって行くのが当然である。仏教でさえ完全に日本化された。今日の基督教は、もっともっと日本化されるべき必要が存するのではないかと、私は思っている。今までの我国の基督教の扱い方は余りに寛大であったように感ぜられる。本年の四月一日に宗教法が発動された。

日本の基督教の各派は従来の外国依存を全く脱してしまった。今後もっと日本精神をウンと高調した基督教とすべき必要に迫られている。この意味で日本で常用されるべき聖書の内容には、もっと多くの検討を加えられるべき急務があると思うが、どうであろう。

今の聖書には千古不磨の名言も夥しくあるかわり、排斥すべき譫言もそれに劣らず随分沢山あるではないか、後者には猶太流の尤もらしい牽強付会な解釋を付して誤魔化しているが。それにあの聖書には要らぬ重複があまりに多い。今や日本の基督教は一つになって、それらをすべて純化簡約すべき義務が負わされている。然らざれば急テンポの世の中に我が日本の基督教は全く置いてけぼりを喰うの外はないであろう。

さて、ナチスの領袖は、すべてヒットラーの以上に述べたような宗教観を肯定し、是認しているのである。さもなければドイツ民族の興隆は望まれぬとしている。

 

山荘の話は酣(たけなわ)

話は本筋に帰って、ベルヒテスガーデンの山荘でのヒットラーを中心とした主客の談話は一層はずんで来る。

ヘスが尋ねた。「宰相、それでは佛蘭西のマヂノ戦はどうして突破するのですか。どうしてあの抵抗力を無くすのですか。新しき電撃戦でもやるのですか、それともバクテリア戦ですが。」
バクテリア戦には自ら限りがあるよ。毒ガス戦も些か古いね。それは敵方に利用されることはされるだろうが。それに対しドイツも対抗上用いなければならぬとすると、その毒ガスたるや必然的に空前の猛烈なものとなるよ。併し、将来の戦線は既に言った通り膠着しないのだから、そいつの利用はあまりないだろう。使おうとしても使う機会を与えないのだから、将来の戦争には前線ばかりか国民と国民との総力戦をも意味することは必定だ。それに思想戦も必ず伴うよ。ただに相手方の肉体力ばかりか精神力を消磨させなければ本当の戦いとは言えなくなる。その点我等は平時にあっても戦時にあってもユダヤの国際秘密力には大いに警戒しそれを撲滅する要を感じているよ。戦争に臨みては戈を交える以前に当りて相手の気力活力を殺いで置く必要があるね。僕は次の戦いにはこの意味で神経戦を亦大いにやろうと思うよ。」ここに至り宰相の意気は天を衝くの慨があった。彼は確信に充ちた言葉で更に話を進めた。
「こうしてこそ始めて英国を参らすことが出来るのだ。」

 

猶太化のアメリカは恐れるに足らぬ

ゲッベルスが問うた。「アメリカは再び欧州の事柄に嘴を入れるでしょうか。」
「そいつは何とかして止めにゃならん。それには吾輩に秘策がある。アメリカというやつは、何も恐れるには足らぬ。現下の合衆国はいつ革命が爆発するかしれない棄権に瀕している。

余に取っては適当な時期にアメリカに不安を醸成させ、場合によれば反乱を起させるのは容易だよ。戦争は前線に戦うものの夫れではなく銃後の善処如何が究極の勝負を決するものだ。その点になると猶太化のアメリカは駄目だね。余は戦うとすれば一九一四年にカイゼルが始めたような馬鹿な戦争を再演しない。断じてそんなことはやらない。勝算歴々でなければ立ち上がらない。

からして前轍をふまぬように自分は最善の努力を払っているわけだ。自分は過去の小さな経験には囚われぬつもりだ。必ず新らしい何人にも、意外な戦法に出るよ。今時の軍人の頭は古くて化石している。誰がそんなものを学ぶものか。マジノ線なんか余の企図を阻止することは到底出来っこないのだ。独逸の空軍は、今に見てい給え、圧倒的に世界最強のものとなるよ。」

列座のものはヒットラーのこの凄まじい意気込みに全く頭から呑み込まれたからだ。

 

来るべき戰は猶太財閥の望む如く長期戦か

「空襲は空前を極めた惨状を呈するだろう。敵国はドイツの空襲に全くまともに抵抗する手段も発見出来ぬだろう。勢い可哀そうな話だが、敵の民衆もその側杖を喰うに極っている。それは何とも致し方がない。だが、これは却って彼ら全体にとっては福音となる。何故なら、かくして戦争が早く終結を告げるからだ。次の戦はこの前のようにそう長くは掛からない。遥かに、この意味だけでも、短く片付くよ。正直のところ、當てごとと何とやらは、外れやすいとの下世話の通り、これは戦争製造を商売にする猶太財閥の大痛たごとになるだろう。この点、僕の仕事は、ビスマルク又はその後の如何なる名将以上に困難を極めるのだ。余の大体の目論見はマイン・カンプ即ち『我が闘争』に出てもいるが、次の戦争は、要するに、単純な軍事的に勝利を博するを以て満足してはならないのだ。否、単にヴェルサイユ旧体制の破壊のみを以てしては不十分なのである。欧州に新秩序を形成し、民主主義や自由主義の痕跡もなくして仕舞いたいと思っている。彼のマルクス一派の空想する階級なき社会なんかはもとより狂気の沙汰だ。それかと言って、階級をば金の袋の重さ次第で決めている民主主義の考えも等しく気狂いと称してよい。真正の意味の階級があってこそ初めて世界の新秩序が保たれるのだ。純粋の意味の少数の指導者が国家の中枢にガッチリ坐っていてこそ、国家の活力は存分に培養されるのだ。こうした適正な指導階級があってこそ国民に怨嗟なく真実の服従も生ずる。余には毛頭人間の不平等を廃止しようという考えはない。それ処か、人間の当然生ぜねばならぬ懸隔を必要に応じて深めてさえ行きたい。この見解に於いて昔に偉大な文明が生まれていたではないか。そこに全体としての国家の能率がウンと向上するわけだ。すべての人に同じ実行力がない以上平等な権利などがあるべきものではない。否、これを大にしては、国家の間にも平等はない筈だ。それぞれの国家には優劣が自ら生じ大小強弱が自ら生ずるのは勢いの赴くところやむを得ない自然の鉄則である。」ヒットラーの持ち前の淀みのない雄弁は江河の滔々と流れるが如く底止するところを知らない。

「ではブルジョアジーはどうなるのですか」一座の或る者が尋ねた。

筈見一郎著 「猶太禍の世界」00

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 はしがき

「世界の公敵猶太を敗れ」

「葬れ国際秘密力を」

「世界を猶太禍から解放せよ」

こうしたスローガンが、今や、極東は日本のあらゆる人々の耳朶*(じだ)を痛烈に打たねばならぬ時代が正に到来したようである。時局はこの間にも驚くべき急テンポを以て驀(ばく)進し、総べての旧体制をぶち毀わして仕舞わねばやまぬ状勢である。

*耳朶を打つ:鋭い音が聞こえる、耳打ちする

しかも日・獨・伊三國同盟はその敢然引受けた世界新秩序、それぞれの分野に於ける共栄圏を形成すべき重大使命を果たすために、有史以来嘗つてなき素晴らしくでっかい道標となつて、欧亜二大洲に帰ってがっちりと基脚を据え、太平・大西の両洋をぐっと睨(にら)んで空高く見上げるように聳(そび)え立つている。

彼の猶太思想のでっち上げようとして完成の前に敢えなくも崩壊したと謂われるバベルの塔も、これには到底威力が及ばないことが、やがて実証されるのではあるまいか。そこへ、頃者(けいしゃ)、ソ連はその建国以来の外交に百八十度の展開をなして、いきなり時代の要求を隼のように俊敏に掴(つか)んで、日本と中立条約を結ぶに至った。

抑も此処に如何なる意味が内包されているだろうか?どういう因果関係があるか?

謎のソ連の本質に変化を来したのであろうか?最近の猶太とコミンテルンとの関係如何?顧みよ、如何にレーニンの跡を襲う(継ぐ)べき筈のトロツキーは失脚して再起が出来なかったか?なぜスターリンソ連を牛耳るに至ったか?

どうしてトハチェフスキー事件*が起ったのだろう?
*トハチェフスキー事件:
ソ連侵略をもくろんでいたヒトラーは、ナチス情報機関に命じて、赤軍の至宝トハチェフスキー元帥、ヤキール大将らが、実はドイツ参謀本部のスパイであるという偽の証拠を捏造させ、それを故意にチェコのベネシュ大統領に洩らした。ベネシュは恐らく善意から、でっちあげとも知らずこれをスターリンに手渡し、キールトハチェフスキーらは逮捕され、銃殺され、これに端を発して三万人に及ぶソ連将校が粛清され、その結果、独ソ戦初期のソ連軍大敗北の原因となった、といわれる事件。
スターリンナチスの偽造文書に騙されるどころか、自分の秘密警察(NKVD)に命じて、ナチスの情報機関(SD)ゲシュタポと協力させ、進んで陰謀でっちあげに一役買ったと言われる。

それよりも、清朝はなぜ倒れたか?

支那事変と猶太禍とは、どんなつながりがあるか?

今や、ドイツは何故未曽有な深刻極まる大規模の徹底的なポグラム(猶太人狩り)を飽くまで遮二無二遂行しようとしつつあるか?

なぜ自由主義や民主主義がそんなに可(い)けないのか

第一次世界大戦は誰が製造したか?誰の陰謀で起きたのか?

今次の戦いの真の原因と目的は

本書は以上やその他を説かんとするものである。

何故に枢軸の全体主義イデオロギーに於いて反枢軸の民主主義と、枘鑿(ぜいさく:四角いほぞと丸い穴)相容れないのか?

それには特にヒットラーのマイン・カンプ(我が闘争)以後の新しい思想発展をも検討する必要がある。

本書は私の最近数年間の苦心の結晶で、そうしたアムビシアス(野望的)な企てにも突入を試みた。果たして何處まで読者を満足させるであろうか。私の力の足らぬところは前もっておゆるしを只管願って置く。

昭和十六年五月

筈見一郎 謹識

         現代ナチスのスローガン

        「猶太人は我等の禍である」
         Juden Sind unser Unglück.

ホロコーストをめぐって M・L・ルーングナ・キティヤアカラのイスラエルの駐タイ大使への返答

駐タイ・イスラエル大使 H・E・サイモン・ロデッド閣下

2015年6月4日

私は、自身の文書の中で声を上げた意見に対して貴殿が不快を示されたことを認識して居ります。然しながら、私にも歴史の本が隠蔽し歪曲した事実や証拠から結論付けた自分の個人的意見を表わす権利は御座います。それでもなお、何故私がそのような貴殿を不快にするような、そして私自身やその國にかかわらないと思われるような事柄について敢えて書くのか、疑問に思われるかも知れません。私は此処に、自分が書いたことは、貴殿を不快にする爲ではないこと、そしてそれが私自身とわが国とどのような関わりがあるかについて、説明させていただきます。

まず最初に、私の「シオニスト銀行家」への言及は、ある集団の人々に対するものであり、猶太民族全体に対する暗示ではありません。それは、トーラを信奉する正統派ユダヤ人や真の猶太人の中ですら多くがその世界中で抗議を示しているように、シオニズムユダヤ教として拒絶していることにも暗示されております。私は、貴殿も、真の品位ある猶太人の中にイスラエルで投獄された者も存在する爲、この事をご承知であると確信して居ります。

シオニスト銀行家、ということで私が言及している集団は、世界でも最も強力な銀行家であり、多くの国々の政府の支配権を握って居り、超大国アメリカ合衆国、そこの紙幣を(発行)印刷し、利息を以てそれを政府に貸し付ける連邦準備銀行アメリカの人民ではなく、彼等により個人的に所有されています。彼等は大量の持ち株を所有して居り、世界の殆どの巨大企業を支配して居り、アメリカのメディアの90%を支配する六つの企業もその中にあります。彼等は殆どの石油や天然ガス資源を支配しています。彼等は遺伝子組み換え作物を通じて世界の食糧供給を支配しようと目論んでいます。国連や世界銀行国際通貨基金などのその関連組織ですら、彼等の創作物であり、彼等により支配されています。

世界で最も著名で強力なシオニスト銀行家の家系は明らかに「ロスチャイルド」と「ロックフェラー」家であります。貴殿もよく御存じであると確信して居りますが、ロスチャイルドの名前は貴国の首都テル・アヴィヴの独立館に貴国の非常に重要な展示、「バルフォア宣言」の名で展示されて居り、それは英国政府がパレスチナ地方に猶太人の祖国の創立を支援すると宣言したものです。従って、エドモンド・(アブラハム・ベンジャミン)ロスチャイルド男爵は「定住の父」、或いはイスラエルの父とも言える地位にあります。

アメリカの石油支配戦略の背後にある世界の四大石油巨大企業「石油の四大騎手」のうち、BPアモコとロイヤルダッチシェルは大量の持ち株によりロスチャイルドに支配されています。他の二社、エクソンモービルシェブロンはジョン・D・ロックフェラーのスタンダード石油の後世代です。これらはその仲間内で、そしてシティグループバンクオブアメリカウェルズファーゴ、N・M・ロスチャイルド・アンド・サンズのようなロスチャイルド、ロックフェラー、JPモーガンチェイスに支配される巨大銀行と互いに連繋する取締役を有しているのです。これらの持ち株は、アメリカ合衆国や世界中の殆どの巨大企業の核心であるブラックロック、ステイトストリート、ヴァンガードフィデルティのような巨大企業に編み込まれています。

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M・L・ルーングナ・キティアカラ(M.L.Roonguna Kitiyakara)

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サイモン・ロデッド駐タイランドイスラエル大使(Ambassador Simon Roded)


シオニスト銀行家達は(各国)政府を支配する爲に、元大統領、ヘンリーキッシンジャーのようなカギとなる人物、政治家、軍人、それに欧州やアメリカの政府諜報員の指導者から成るビルダーバーグ(集団)、外交問題評議会(CFR)、三極委員会(TC)などの民間組織を創り上げたのです。三極委員会は彼等の個人的な利益獲得を目的として、彼等の世界制覇の目標を共有する構成員や支援者となる重要なアジアの人物のために1974年に創設されました。彼等の権力は合衆国も含めて多くの政府に拡がり及んでいます。

彼等の貪欲を通して、軍事力、買収工作、或いは脅迫、借金、内政干渉による新しい植民地主義を求め、シオニスト銀行家は天然資源、石油、天然ガス、カギとなる資産、それに金融機関を占有し掌握し、世界中の国々で掠奪と人民の奴隷化をしているのです。次に挙げるのはシオニスト銀行家が彼等の所謂「タイ國」の協力者の協力の下、タイ王国にして来たことです。(1)彼らはタイ国の人民から石油と天然ガスを掠奪し詐取しました。(2)彼らは主だった資産とタイの広範な経済を掌握後に、意図的に債務を作りました。(3)彼らは「分割して統治」戦略をタイに適用して更なる征服を目的に、引き続くカラーシャツ争議に関して、タイ人民自身の間の分割を操作し、政治家の裏で糸を引いて来ており、今でも引いているのです。詳細を次に述べます。

(1)タイ国人民から石油と天然ガスを掠奪・詐取

タイ王国主権国家でありその主権はタイの人民に帰属します。つまり、すべての天然資源はタイ国人民の財産であります。然しながら、タイ國における石油と天然ガスの採掘を管理する法律はタイ国の人民が書いたものでもタイ国の人民の利益のために書いたものでも全然ありません。それを書いたのは、合衆国の石油経済学者の長老ウォルター・ジェームス・レヴィであり、彼は外交問題評議会と三極委員会の構成員であり、後にニューヨークのスタンダード石油(Soconyソコニー:Standard Oil Company Of New York:現エクソン)の役員となった人物です。

その内容は明らかにシオニスト銀行家の利益のためのもので、植民地用に書かれた認可状のような不当な性質であり、石油と天然ガスの唯一の所有は権益を得た会社に帰属し、それは透明性のある競売で為されたものですらなく、真の所有者であるタイ国には非常に低い使用権料しか入らないし、タイ国は彼等の資源の生産量を、到底透明性のあるとされるような方法とは考え難いと思われる手段によってすら確認する権利を留保できなくなっています。

このタイ国の主権の無視は権力者への脅迫と買収(賄賂)によって可能であり、権力者はその國と魂を喜んで彼等に売るのであります。それが、譲歩に次ぐ譲歩を経て、更に認可状に修正を加えて、益々タイ国に薄く、会社に厚く利益配分されることを許したのです。どの集団、どちら側が権力に就いても、民主的であろうとなかろうと、どのような方法で入り込んだにせよ、手数料の為に國を売ることに協力したのは明らかです。特に様々な政治集団が政権が交代すると次々とそれを足掛かりにタイのカンボジア国境のタイ領を失い、それは最終的に2万7千平方キロのタイ湾での失地に繋がったが、それは疑いなく、タイの領土全体で最も石油と天然ガスの豊富な地域であり、タイとカンボジアの間の領有権争いになるに至りました。

誰の領土であろうと、シェブロンはタイとカンボジア双方でその権益を確固たるものにしています。これが意味するところは、両側で譲歩が完了したらその領土の支配権は最終的にシオニスト銀行家の下にあるアメリカによって、その銀行家にとって好ましい、最も望む合意が得られる相手に決められることになる、ということです。

 

現在、タイ国の人民に帰属する石油と天然ガスについてのタイの主権は現ジュンタ政権がシオニスト銀行家の三極委員会の30年来の構成員であるナロンチャイ・アクラセネーをエネルギー大臣として指名したことから、以前になかったような恐ろしいありさまで露骨に、究極の危機に瀕しています。就任すると彼は時を置かず、カンボジアとの領土問題に関する解決策についてタイ人民に何ら報知することなく、抗議活動にも拘らず、その地域の石油と天然ガス権益の所謂「競売」を発表しました。

先に述べましたように、シオニスト銀行家による石油と天然ガスの掠奪と詐取は今やタイ人民から領土を盗む状況に進みつつあります。

(2)主だった資産とタイの広範な経済を掌握後の意図的な債務生成

裕福な悪人が米作農家の所有する美しい土地を望むなら、その金持ちの悪人がその農家に多額を貸付け、その返済の方法が見つからない様にすることでしょう。返済が滞れば、農家の資産を凍結し、その土地を実勢価格の十分の一で売り出すよう農家を強要し、そしてそれを購入することでしょう。

シオニスト銀行家の手段はこれと同じです。上層部1%に対する貸付を加速し、外債が大幅に増加するようにしたCFRの幹部ジョージ・ソロス率いるシオニスト銀行家はタイバーツ通貨を攻撃したのです。バーツは1ドルが25バーツの水準から56バーツに急落し、経済の大部分が崩壊し、タイ経済は深刻な危機に瀕しました。

あとはIMF世界銀行の型通りの計画に従って行ったのでした。世界銀行米大統領ビル・クリントン)の経済顧問会議の前議長、世界銀行の前主席経済学者で、世界銀行の秘密書類が漏洩した後にオブザーバー誌やニューズウィーク誌に暴かれたジョセフ・スティグリッツのようなシオニスト銀行家の支配するアメリカの財務省に51%が保有されています。一名四段階没落として知られる四段階計画とは、財政支援を受けるためには、國は(a)民営化(水、電気、石油や天然ガスのような主な資産を売却することに同意すること)、(b)資本市場の自由化(大方流出になると言われる、投資資本の流入出を自由に許容すること)、(c)市場による価格設定に従うこと(食料品、水、都市ガスの値段を上げることの飾り用語)(d)自由貿易WTO世界銀行の規則に従うこと)に同意しなければならない契約なのです。

スティグリッツは記者会見の中で、(a)世界銀行IMFはその協力を受けなければ金融を排除する命令をする事が出来る、(b)どの国の政治家も水、電気、石油や都市ガスを喜んで売却し、「政治家は目を大きく見開いて売り上げの数十億からの手数料入手の可能性に注目する」(そして、政治家はそれを世界銀行に強いられた、と主張するのである)ため、殆どの政治家はこの合意の署名を躊躇わない、と明確に述べました。

その後に続いたのは、11の法律の制定、タイ国を売り出しする競売人を容認して保護し、そこでタイの資産は「競売にかけられて」しかも、寧ろ決まりきった形で実際価値の五分の一で、そしてタイ国の石油と天然ガスの会社が民営化されるのです。よく見えるのは、領土を放棄して明け渡すにしても民営化にしてもそれは、複数の政府を通して実行されると言うことで、ある政府がお膳立てをし、それを別の政府が実施し、劇場的協力の共働作業を目指し、そこでは誰も単独ですべての責任を取る必要がない様になっていることです。國を売り出しに出す法律を議会で通す場合だと、法律を通す部分の人間は、それが前政権によって主導されたと主張するでしょうけど、明かに見えるのは、それ自身の内部の人間に付与されるWTOの総裁の椅子のような、厚遇(利益供与)が見返りに与えられることです。

この様にして、負債を作り、通貨を攻撃し、自国を売国することに協力する全ての権力閥への脅迫と賄賂により、シオニスト銀行家、つまりJPモルガンチェイスブラックロック、ステートストリート、ヴァンガード、フィデリティのような巨大銀行はタイの石油と天然ガスの会社、銀行、金融企業をタイ人民から乗っ取るために来て、ニュースでも取り上げられているように、その手順はジュンタの下、恐ろしい勢いで進展しつつあるのです。

(3)「分割して統治」戦略をタイに適用して更なる征服を目的に、引き続くカラーシャツ争議に関して、タイ人民自身の間の分割を操作し、政治家の裏で糸を引いて来ており、今でも引いている件

どこの政治閥であっても、どんな手段で入り込んだかにかかわらず、権力を握ったものは全員シオニスト銀行家と協力して、手数料を手にし、シオニスト銀行家がどの政治閥に対しても支配して糸を引ける状況で、タイ国の資源や民営化に於いてタイ国の売国を行ったのです。

シオニスト銀行家が自分らの獲物同士を巧みに操って、お互い戦わせ、時には双方に武装させ、民族国家の統合に依る免疫を破壊し、それに依って分割が出来た暁にはその亀裂に容易く滑り込み、更なる征服を進める「分割して統治」戦略の適用は、世界中で見られます。

タイの分割、カラーシャツ争議は、シオニスト銀行家により政治閥の両側から、創られ、資金を与えられ、支援されています。既に立証されたように全ての政治派閥は売国に於ける手数料の為に売国に協力し、その裏では、またもや、シオニスト銀行家がどちらの側でも糸を引いて居り、それに依って実際何が起きているか気づかなかったタイの人民は巧みに操られてお互いに憎しみ、戦いを始めていたのです。

明確な証拠が示しているのは、(a)CFR構成員でアメリ外交政策でのヘンリー・キッシンジャーの仲間、バーバー・グリフィス・アンド・ロジャース(BGRグループ:ロビー活動会社でCFRの構成員)出身のロバート・ブラックヴィル、(b)CFR構成員で前国連米大使、ベーカー・アンド・ボッツ(CFR構成員の国際法律事務所)出身のケネス・アデルマン、(c)アムステルダム・アンド・ぺロフ(チャタムハウスに属する国際法律事務所)出身のロバート・アムステルダム、の三人はすべてドバイに亡命したタイの政治家にロビー活動を行い、赤シャツ運動の裏に居り、そしてNED (全米民主主義基金)は赤シャツのウェブサイトに大きな資金提供をしていたのです。そして眞實は、ドバイに亡命した政治家は、シオニスト銀行家が操る単なる傀儡に過ぎず、その支援がなければ、そのようなことは出来なかったであろうと言うことです。

タイの重要な組織制度の守護者と宣伝し主張し、反腐敗運動を旗振りしていた他の政治権力に関しては、その関与がどのような手段であれ、実際の所同様に腐敗し、詐欺的で、石油と天然ガスに於ける手数料、民営化の手数料を望み、シオニスト銀行家の操り人形の一部分でしかなかったのです。米国、シオニスト銀行家の右腕は、ある政治派閥の裏に、その左腕は見るからにその対立派閥を支援する活動をして居ました。

そこで、私はここに宣言します。私はアメリカ人であろうと、ユダヤ人であろうと、他のどの民族であろうと、その民族の人々に反することは何もないことを。私が反対するものは、シオニスト銀行家が世界中でやっている立場の悪用、虐め、資源の掠奪、土地の盗み、他の民族の破壊行為であります。従って、私は明らかに人種差別主義者ではなく、私はあなた方が私のことを人種差別主義者と言及することに何ら懸念はありません。しかし、私が理解しているように、この世界でガザと呼ばれる場所と同じくらい残酷で陰惨な監獄収容所を知らず、貴国が未だにパレスチナ人の殺戮に手を染めている限りにおいて、貴方が誰かを人種差別主義者とよく呼べるものだと呆れています。他の人々をああだこうだと呼ぶ前にご自分自身をご覧なさい。人が防御のために、誰かの行為の餌食、犠牲者だと大声で叫ぶ振舞いが、実際の所、その人こそが攻撃者である時、貴方はその振舞いが救いようがなく惨めだとは思いませんか?

どの民族のどの人民も、平和と幸せを望み、自らの主権を望み、自らの将来を決定することを望み、自らの資産と資源は、自らがその権利で当然得られるような利益を受けるような管理に委ねることを望み、自らの領土を取り上げられるようなことは望まない。しかし、タイ国に於いては、國を喜んで売る権力者を全ての側面からそれぞれ、賄賂を贈ることにより、メディアを支配することにより、人民を操ることにより、見えない所から糸を引き、それらの後ろにはシオニスト銀行家が控え、タイの人民は平和に互いを愛しながら暮らすのではなく、自らの資源と資産で利益を享受するのではなく、質の高い健康保険や教育を受けるのではなく、当然享受すべき質の高い生活水準ではなく、彼らはお互いに憎しみ、戦っていおり、シオニスト銀行家の奴隷として暮らしており、自らの自由を達成するために調和せず、分割され、自らの内部で争う奴隷なのです。何故なら、彼らは、無意識のうちに貪欲で権力に飢えた人間による様々な異なる策謀により、誤った方向に導かれて来たからなのです。そしてその権力に飢えた人間は全て本質的に、同じ主人であるシオニスト銀行家の支配の下に、自分たち自身の利益のために行動しています。

であるから、私は真実を、真実の全体像を、絶対的な真実を見せる必要があります。そうすれば、タイ国の人民が眞實に目覚めた時、お互いに争い合う奴隷の立場から解放され、調和の中でお互いを思いやることができるようになります。このために、人民の覚醒こそがこのタイ民族を救う唯一無二のものなのです。

 

                    敬具

                    M・L・ルーングナ・キティヤカラ

タイ語版の書簡:https://www.facebook.com/roongunaml/posts/1593020420955268:0

タイ王室のホロコースト否定に関するイスラエルの「失望」:

http://www.bangkokpost.com/news/general/561539/israel-disappointed-over-thai-royal-holocaust-denial

駐タイイスラエル大使館:

http://embassies.gov.il/bangkok-en/AboutTheEmbassy/Pages/The-ambassador.aspx

最初の投稿:2015年5月28日 10:34 投稿者:パイサノ

猶太と世界戰爭(新仮名)26(本文は完)

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第二章 猶太と世界戦争(続き)

七、前世界大戦に於ける猶太の策謀と独逸の敗戦(昭和15年8月7日)

 一

限られた紙面に於て課題を詳細に論じ得ないことは自明であるから、この小論では在来の歴史書に於ても見られるような表面的な事実の記述を略することにしたい。かくて我々は第一次世界大戦に於ける軍事的状況が大戦の終末に近い頃に於て如何であったかを見ることから始めよう。さて当時英國の戦時内閣の一員で後にカナダ首相となったロバート・ボーデンに依れば、「一九一八年の春には英國参謀本部は独逸に降伏する意図を持っていた。連合國側には、独逸が早急に崩潰(崩壊)する見込は全く立たなかったのである。英國は独逸の戦線の背後で何が起っていたかをまだ知らなかった。独逸に於て社会民主主義者達がフランスの間諜と共謀して、戦線を背後から撹乱しようとしていたこと、またこの祖國への叛逆行為がフランスから資金の供給を受けていたことを、英國はまだ知らなかった。フランス首相クレマンソーがその間諜の手から、独逸は秋には革命が起こるという確かな情報を得るに至って、パリとロンドンとは再び勇気を回復した。英國参謀本部はこの時になって降伏の意図を放棄するに至った」というのである。

この記述は驚くべき事実を暴露しているが、これを独逸に於ける当時の文献に依って見ると、「社会民主党は大きなストライキのみでは革命が招致されぬのを知って、別の方途を選ぶことにしたが、これが成功したのである。我々は戦線へ出ている同志に脱走を勧め、この脱走兵達を組織化して、偽物の身分証明書と資金と宣伝ビラとを持たせて各方面へ送り、特に戦線へと潜入させ、それに依って戦線を撹乱し、士気を沮喪( 気力がくじけて、勢いがなくなること)させたのである」と猶太人アルベルト・ファーテルは述べている。また前者と同じく十八年秋の革命の中心人物であるアイスネルが、翌年二月四日にベルン市に開催された社会民主主義者の國際会議で演説した所に依れば、「独逸に於ける革命は戦線の崩壊の結果起ったのではなく、不撓不屈(ふとうふくつ)の裏面的暗躍の結果であって、独逸が戦争に優勢になったその瞬間から準備されていたのである」というのである。また社民党の機関誌「前進」に依れば、「我々の堅き決心は、独逸がその軍旗を勝利を得て持ち帰ることを阻止し、その軍旗を永遠に抹殺し去ることである」というのである。この最後のシュタムフェルの文に関して注目すべきことは、前二者が革命後のものであるのに対して、これが革命の約半月前即ち十八年の十月二十日のものであることである。

以上に依って独逸敗戦の直接の責任者が赤色社会民主党にあることは明瞭であろう。勿論、如何に彼等主義者連の策謀があろうとも、独逸人一般が四年に亘る長期戦にも拘らず精神的に毅然としていたとすれば、決して敗戦の憂目は見なかったであろうことはいう迄もないことであるが、然し上述の如く真実の強敵が内部に巣喰っていて、銃後より戦線を撹乱するに至ったのであるから、独逸の敗戦が独逸人自身にとって如何に不本意のものであったかが、容易に理解されるであろう。実に当時の独逸にとって致命的であったのは、その銃後が単なる「独逸人」から成り立つていなかったことであって、宮廷には既にバリーン及びラーテナウの如き有力な猶太人が君側の奸(悪者)として勢を振っており、新聞界、金融界の主勢力はいうに及ばず、参謀本部の中に於てすら猶太人が主要なポストを占めていたのである。軍需品乃至戦時食糧品の供給もまた猶太人の一手引受であったことは周知である。また上述の社民党が全く猶太の支配下にあったことも勿論であって、前述のファーテルもアイスネルも猶太人であることは、自明の理に属する。

ここで想起しておきたいのは、第一次世界大戦の数年前である一九一〇年九月一日にコペンハーゲンで開催された第八回第二インターナショナル会議である。その顔ぶれのうち注目すべきものを拾うならば、シャイデマン、エーベルト、ダーヴィッド(猶太人)、カウツキー(猶太人)、フランク(猶太人)、シュタットハーゲン(猶太人)、ローザ・ルクセムブルク(猶太人)、クララ・ツェトキン(猶太人)、カルル・リープクネヒト(猶太人)等独逸人及独逸系の猶太人の外に、英國からは後の首相ラムゼー・マクドナルド、ベルギーからは同じく後の首相ヴァンデンヴェルデ、そしてロシア系としてはボルシェヴィズムの大立物(おおたてもの:最も重んじられている人)である両猶太人即ちレーニントロツキーがある。後のフランス大統領又は首相のブリアンは事故のため欠席したが、会議へ宛てて鄭重(ていちょう)な祝電を寄せている。次に我々は眼を転じて、十八年十一月の独逸の赤色社民系革命の主役者の顔ぶれを見るに、ハーゼ、コーン、アイスネル、ヘルツ、ヒルファーディングを除けば、リープクネヒト、カウツキー、ローザ・ルクセムブルク、シュタットハーゲン等は前記の会議と共通の名である。この著名の九人はすべて猶太人であるが、彼等猶太人を首謀者として成就された革命によって生まれた独逸共和國には、初代大統領としてエーベルトが選ばれ、首相はシャイデマンであった。レーニントロツキーに関しては今は言葉を費やす必要はないであろう。

かくて独逸の崩壊が主として何者の手によって遂行されたかは明瞭となったであろうし、またそれが少なくとも大戦数年前から計画されていたことも、かのコペンハーゲン会議の内容を見るまでもなく明白であろう。

前述のコペンハーゲン会議が社会民主主義の猶太的性格を暗示していることは改めて説明するまでもないであろうが、なおそれが我々の重大関心の的とならざるを得ないのは、その会議の場所がフリイ・メイスン秘密結社の一種であるオッド・フェロー秘密結社の会堂であり、出席者の殆ど全部が、フリイ・メイスン結社員であったことである。換言すれば、社会民主主義は、猶太的であると同時にフリイ・メイスン秘密結社と密接な連絡を持っているのである。これは赤色帝國主義の創始者マルクス以来の伝統であって、既に一八五一年には、「デモクラシーとはフリイ・メイスン秘密結社の子供である」と結社員フィッシェルが主張しているのでも判明する。いま我々はこの秘密結社そのものについて詳言する紙面を持たないが、我々の記述の理解に必要なる程度に於て一言するならば、それは表面的には「自由・平等・博愛」をモットーとする相互扶助結社であるがその本質は、このモットーを掲げてなされたフランス革命がフリイ・メイスン革命と称せられる一事によっても明白なように、「世界共和國の建設」を目ざす政治的陰謀結社であって、「愛」を説くキリスト教の歴史が「戦争」の歴史であるのに類似して、「自由・平等・博愛」の名の下にテロと戦争とを手段として用いるのである。そして少なくともフランス革命 ―猶太解放革命とも称せられる― 以来は、その上級結社員の大部分が猶太人であることによって、テロと詐欺とで猶太世界國を創設しようと旧約聖書の日以来努力し続けている猶太の世界支配政策の一機関となっているのである。それ故に欧州識者の間では、この秘密結社員中の非猶太人は「人為的猶太人」と称せられるのが常である。かくて猶太とこの秘密結社との当面の目標は、世界戦争を繰返すことに依ってその大目標を実現することにあるのであるが、現在の英米に於ての如くに帝王又は大統領の地位までもが猶太の血族によって占領されている場合以外は、かの「人為的猶太人」を利用して各國の政界の上層部、財界の中枢部、言論機関の首脳部を占拠しようと努めるのである。最も危険なのは、この勢力が軍部の上層部を侵略する場合であって、この例もさまで(そうまで)珍らしくはないことを我々は銘記しなくてはならない。

ここで急いで第一次世界大戦当時の独逸に眼を転ずるならば、大戦当初より十七年迄の独逸首相ベートマン・ホルヴェーヒはかの秘密結社員であったばかりか、その体内には猶太の血が流れていたとさえ言われている。特に当時優秀であった独逸海軍の潜水艇を重用することに極力反対した彼の態度は、結社員としての彼の本質より説く以外には説明のつかない事柄の一つであるとされている。当時宮廷に勢力を持っていたバリーン・ラーテナウ等が結社員であったことは勿論であるから、これ等の君側の奸(わるもの)と、かの政治責任者との間の関係を知る時には、戦時下独逸として不思議に見えた種々の現象も容易に理解し得るものとなるであろう。

次に注目すべき出来事は、開戦後間もなくパリを衝こうとしていた独逸陸軍が何等の軍事的理由なしにマルヌ戦線より後退したことであって、これは秘密結社員ルードルフ・シュタイネルの策謀の結果とされている。即ち軍司令官モルトケは、シュタイネル崇拝の夫人と、戦線まで出動して彼を説いたシュタイネル自身との勧告に従ったのである。これがフリイ・メイスン秘密結社に依る軍部侵略の恐るべき一例である。

かような実例を基礎として考える時、当時既に独逸にも劣らず猶太とフリイ・メイスン結社との支配下にあった英米仏等の連合國側が軍事的敗北にも拘らず敗戦の憂目を免れ、軍事的には勝利を得た独逸が崩潰(崩壊)の悲惨に陥(おとしい)れられるに至った理由も容易に明瞭になるであろう。即ちそれは、猶太及びかの秘密結社の目標としての世界共和國建設に最も障害となる強力なる帝政としての独逸帝國の転覆のために外ならない。従って名目上の帝政に過ぎぬ英國の場合は、皇室そのものが伝統的に全面的に結社員となるという事情も手伝って、倒壊の目標となることはなかったのである。記録に依れば、前独逸皇帝は、かの秘密結社に入会しないという理由に依って、一八八八年の即位の年に既にフリイ・メイスン結社によって死の宣告を受けていた。とにかく英米仏の結社員は少なくとも対独関係に於ては、上述の理由から反祖國的となることなしにすむのである。フリイ・メイスン結社の発祥地及び中枢が英國であり、その政治結社化の尖端がパリであることも、以上の事情を説明するに役立つであろう。

なおフリイ・メイスン秘密結社が第一次世界大戦に於て演じた役割に関して、一二の注目すべき事柄を挙げておこう。その一は当時独逸と同盟関係にあったイタリアの背信の問題であるが、これはイタリアのフリイ・メイスンの大棟梁でローマ市長であったナータン、外務大臣ソンニーノ、大蔵大臣ルツァッティの策謀の結果であって、三人ながら秘密結社員であると同時に、猶太人であった。第二は日本の場合であって、時局下の我々に取っては必ずしも愉快な記憶ではないが、当時の為政者が國民的感情を無視してまでも日英同盟の義務を果たしたのはフリイ・メイスン結社の暗躍の結果であったと、この方面の文献には必ず明記されている。日本人は國内に於てこの結社に入会することは禁止されているそうであるが、外國滞在中にそれに入会することは許されているらしく、特に英國滞在の長期に亘る重要なる個人の場合は結社よりの働きかけが成功することが屡々あるらしい。日英同盟の立役者林子爵が英國のフリイ・メイスン秘密結社の高級社員であったことは、世界的に有名な事実である。現在の日本に於ても、國民的感情を無視する根強き新英米派なるものがかかる「人為的猶太人」でないとは何人も断言できないのは誠に遺憾である。

かくて、敗戦独逸に共和制が実施されるや、結社員シャイデマンは、「独逸國民が全面的に勝利を得た」と意味深長な嘘を語り、バーデン國のマクス王子はオランダの新聞通信員に対して、「いま独逸に行われていることは多年の潜行的準備仕事の結果である」と結社員に相応(ふさわ)しい誇示をなし、プロイセン王子レオポルドは、その居城に赤旗を掲揚することさえして、猶太的赤色秘密結社員の本領を暴露したのである。何れの國に於ても無批判なる長袖者流(公卿や僧侶などのたぐい。また、それらの人々の流儀。)こそ最も容易に猶太と秘密結社の餌食となり易いのであって、亡國的なる「上よりの民主政」もまた帝政独逸を崩壊させるのに功があったのである。

敗戦独逸の革命後の対外関係の理解に資するために、連合國側の著名の非猶太人秘密結社員の名を列挙しておこう。英國側ではロイド・ジョージ首相、キッチナー元帥、チャーチル海相(現英首相)、グレイ首相、アスキス首相、フランス側ではクレマンソー首相、ポァンカレ首相、ブリアン大統領、ドゥメルク大統領、ミルラン大統領、米國側ではウィルソン大統領。この中に猶太人の名の見えないのは、表面的な最重要ポストには「人為的猶太人」を立てて世人を欺くのが猶太の常套手段であるがためであって、その代りに著名人には必ず秘書に猶太人を配するのである。クレマンソーに於けるマンデル(最近までフランスの植民相であり、今次大戦中はフランス内相であり、仏印援蒋(蒋介石援護)の指令者であった)、ロイド・ジョージに於けるフィリップ・サスーン、アスキスに於けるモンターギュ、ウィルソンに於けるハウス大佐の如きはその好例である。不思議なことではあるが、某國の今は亡き元老*の場合も或意味では例外ではないようである。

*西園寺公望のことであると思われる(でなければ松方正義

最後に我々は、独逸敗戦の責任者の第三として政治的カトリック、就中イエズス会結社を挙げたいと思う。そしてこれもまた事実上猶太と関係が深く、教祖キリストが猶太人であったことや、聖書(特に旧約聖書)がその本質に於て猶太民族の世界征服のプログラムであることを除外しても、法王そのものに幾人かの猶太人があり、殊にイエズス会結社は既にその第二代目の統領が猶太であったのである。この國際的団体は、時としてはフリイ・メイスン結社と激しい闘争をすることもあるが、しかし共同の敵のある時には直ちに共同戦線をしき易く、例えばかの著名な一九二二年のアーヘン会議の如きはその好例である。従ってプロテスタント國帝政独逸がその世界政策の障害であることは自明であり、猶太の頭目ラーテナウとイエズス会結社の頭目エルツベルゲルとの間には独逸分割の協定さえあったと伝えられている。前者のことは前に論及した通りであるが、後者は猶太人であり、またフリイ・メイスン結社員とイエズス会結社員とを兼ねていたのであった。その彼がフランスとの休戦協定の独逸委員としてコンピエーヌの森へ赴いたことは、後の講和条約に際して独逸代表としてヴェルサイユへ赴いた連中が全部猶太人であったのと共に、なかなかに興味深い事柄である。
「我々中央党が独逸の革命を遂行したのである」というのが、革命後の独逸カトリック政党たる中央党の頭首ヴァッケンの語である。

かくてこの中央党と前述の社民党とが協同して独逸の「新体制」は成ったのであるが、その実権が何者の手にあったかは今改めて説く必要はないであろう。やがて登場して来た独逸人民党もまた、その表面的主張にも拘らず、フリイ・メイスン秘密結社員シュトレーゼマンに統率されることによって、真の独逸人民とは関係の薄いものであった。かくて実権は猶太の手に帰し、政治はスポーツ化され、家の子郎党**に至るまで交代に大臣となって、私益のみをはかり、独逸をいよいよ泥沼の底に突き落して行ったのである。そして戦線に於て最後まで勇敢であった軍部も、その統率者達の思想的無能と時代に対する認識不足のために遂に祖國を内敵から救う道を知らず、独逸國民はヒットラーの出現を待つ外に道はなかった。実に当時は、猶太人ドイチェ陸軍大臣となることさえ可能であった。そして共和國独逸に於て如何に猶太人が得意の絶頂にあったかは、このドイチェの次の語で明示されている。
「ドイツ、ハンガリーオーストリアには革命が成就し、共和國が樹立された。我々が思考し得るようになって以来燃える如き心で夢想し憧憬して来たものが、今や実現したのである。今や我々猶太人は全く上位にいる。今や我々が主人公なのである。」

 **ある有力者の配下としてつき従う人々。子分。

 同じことをラーテナウは、「皇帝が白馬に跨ってその股肱(右腕・腹心)と共にブランデンブルクの門を通ることがあるとすれば、世界史はその意義を失うであろう」とその作品「皇帝」の中で述べ、猶太の世界支配の成就の過程としてのみ世界史には意義のあることを公言している。かくて旧約聖書以来の猶太の夢は、戦敗國独逸に於ては実現したのである。否、戦勝國英米仏に於ても事情は同一であって、第一次世界大戦の真の勝利者は猶太のみであったと称せられる所以はここにあるのである。

今や第二次世界大戦は二個に分裂して東と西とに於て戦われている。猶太はそれがアメリカ大陸をも含む文字通りの世界大戦に進展する迄はその裏面工作を続けるであろう。そしてその大戦こそは、猶太の世界支配を完全に実現するか、或いは根本的に挫折せしめるかの何れかに到達する運命を持っていると思われる。かの純猶太秘密結社員であった孫逸仙孫文)以来「人為的猶太人」のみが構成して来た重慶政府と戦いつつある我々は、以上の事情を確認して更に更に大なる決心を固むべきであろう。(一五・八・七)

以上で、本書の本論は終わりです。引き続き、「シュルハン・アルフ」と「著名なるユダヤ教ラビの言葉」が載っています。これらについては改めて公開いたします。

  ―燈照隅

 

⇒シュルハン・アルフ01 ⇐猶太と世界戰爭(新仮名)25

猶太と世界戰爭(新仮名)25

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第二章 猶太と世界戦争
六、日猶抗争としての日支事変(昭和13年8月5日)続き


三民主義の開祖孫逸仙孫文)がフリイ・メイスン秘密結社員であることは、わが國に於ても、苟(いやしく)もフリイ・メイスン結社に関して多少とも知る限りの人に取っては常識である。併し、いま我々に問題であるのは、彼が単にフリイ・メイスン秘密結社員であることではなくて、彼が如何なるフリイ・メイスン秘密結社に属するかということである。恐らくフリイ・メイスン結社に関する研究の諸先輩に取っては既に明白であったと考えられるが、しかし筆者に取って誠に重大な発見であったのは、独逸の猶太問題研究雑誌「世界闘争」がその一九三五年の九月号に於て、孫逸仙が在上海のブナイ・ブリス秘密結社の高級社員であることを暴露していることである。なお孫逸仙が同時に支那の秘密結社「天地会」の有力会員であったことも、旧オーストリア首都ウィーンで発行された國際フリイ・メイスン結社百科全書に明記されている。ここで特に注目に価するのは、かのブナイ・ブリス秘密結社が本来は猶太人のみのフリイ・メイスン結社であることと、かの天地会なる秘密結社が、古来秘密結社の跳梁(ちょうりょう)甚だしきこと世界にその比なしとまで言われる支那に於てさえも最も優勢にして過激なものであり、その儀礼には西欧のフリイ・メイスン結社と深い類似点があることとである。ここで猶太そのものの歴史を回顧するならば、パレスチナに於ける猶太國の滅亡に当って、その十二支族の幾つかは東方に移り、その後杳(よう)としてその行方を消してしまったと伝えられているのであるが、少なくともその支族の一つ乃至幾つかは支那に入っているであろうと言われている。支那開封には、今なお所謂支那猶太人が明らかに存在しており、筆者の手許にその写真がある許りでなく、本年独逸出版の猶太辞典にも、「支那猶太人」なるものの肖像が掲載されてあるからであって、その服装が全く支那式である許りか、その容貌もまた大体に於て支那人と見えるのである。ここに於て我々は、西欧に於けるフリイ・メイスン結社の伝統が大部分猶太伝統のものであることを考慮に入れ、またかの天地会の伝統がフリイ・メイスン結社に類似することを考慮する時、孫逸仙は人種的にも純支那人でなくて、支那猶太人ではないかという結論に到達するのである。そしてこの大胆にして突飛にも見える結論を肯定してのみ、彼がブナイ・ブリス秘密結社の高級社員であった理由も判明するであろう。否、それのみではなく、この点よりのみ、彼の謀叛と革命とに対する猶太的熱情及びその三民主義の親猶抗日性もまた充分に理解され得るのである。かくて三民主義とは、猶太フリイ・メイスン主義の支那化に外ならないことが理解され得るし、その三民主義が結局今次の日支事変を導き出して来た理由も理解され得るのである。

次に現在の日支事変の当面の責任者である蒋介石は如何であるかというに、彼もまたフリイ・メイスン秘密結社員であることは、わが國に於ては孫逸仙の場合ほどには広く知られていないらしい。併し彼もまた三民主義を奉ずる大部分の征略家と同じくフリイ・メイスン秘密結社員であることは、日支事変以来独逸の猶太人問題研究雑誌が屡々(しばしば)暴露している許りでなく、前にも論及した國際フリイ・メイスン結社百科辞典がそれを証している。即ちそれに依れば、蒋は米國系のフリイ・メイスン秘密結社員であって、マサチューセッツ州に本部を有する在北京パゴータ結社に属するのである。しかしこのパゴータ結社が、孫逸仙の属したブナイ・ブリスの如くに純粋の猶太秘密結社であるか否かは、我々には最早重大な問題ではないのであって、現在に於ける世界のフリイ・メイスン秘密結社が例外なく猶太の支配下にあることを考慮する時、蒋もまた孫の如くに、その行動の根本が猶太フリイ・メイスン結社の綱領に従うものであることは疑う余地はないのである。

しかしここに誠に興味深い事実は、以前より屡々蒋が支那人ではないとなされることである。これは蒋介石が普通の支那人に見られぬ力強さを持って事を処して行くことに対する感嘆の念より生れたものであるらしく、時としては彼が日本人に擬せられることさえもあるのである。この世に広く行われて来た噂は、それが何等の明確な根拠のない噂であるとしても、人間の本能、特に多数の人間の一致した本能なるものが、時としてはあらゆる理性の努力にもまさって事物の実相を把握するものであることを知る者には、この噂が単なる噂以上の意味を何処かに蔵しているのではないかという疑問が生れて来る。この連絡に於て筆者が事変以後になって経験した大きな驚きは、孫逸仙が猶太フリイ・メイスン秘密結社員であることと共に、蒋介石の顔貌のみならずその全体の身のこなし方に至るまでが、近来ソ連に於てその粛清工作の犠牲になった猶太ゲー・ベー・ウーの長官であったヤゴータと全く同一であるということである。筆者は念のためにヤゴータの肖像を多数の人に示したのであるが、一二の例外を除いては、皆その像を蒋であると言うのであった。これを換言すれば、蒋の骨相その他は全く典型的な猶太型であるということである。

この連想は、もし猶太ゲー・ベー・ウーの長官ヤゴータと國民政府の実権者蒋介石との間に以上のような偶然的相似が見られる許りであるとすれば、一顧の価値もないであろう。しかし我々には、例えば焦土戦術、雑軍整理、督戦隊、河川決潰(決壊)等に見られる蒋の残忍性のみならずその藍衣社*統率に見られる蒋の陰謀性をも考慮に入れて考察する時、蒋のやり方の根本的特質が全く本小論の第一節に略述された通りの猶太性に外ならないことが判明するので、ここに彼と殺人鬼ヤゴータとの偶然的相似は、その内面的真実性乃至必然性的根拠を得て来るのである。そして蒋と孫との関係も、この点までを把握する時に於てのみ充分な理解を得るであろう。またこの点を補足してのみ、三民主義ソ連の親近性、日支事変下に於ける蒋政権と支那共産党との共同戦線の真意も理解され得るであろう。実に蒋政権は、その権力獲得の手段としての國民党の名やファシズム的政策の部分的採用にも拘らず、その実質は上述の如き幾重かの意味に於ける猶太戦線であるのである。そしてこの点より蒋政権のねばり強さの謎も解け、また蒋政権に対する世界の猶太世論の支持の謎も解けるのである。日支事変は日猶の抗争であるとの我々の主張は、ここに至ってその最も本質的な意味を明らかにしたであろう。


*藍衣社は、蒋介石直属の国民政府の情報・工作機関。正式名称は三民主義力行社、また中華民族復興社。軍統など特務機関を含めた総称して藍衣社と呼ぶ場合もある。

 

蒋政権の究極の目的は、少なくとも彼の昭和六年の年頭演説以来彼自身によっても明らかに意識されている通りに、第二の世界大戦の誘発にあるのであって、これによって殆ど完成されようとしている猶太フリイ・メイスン結社の世界支配をして、その最後の完成を得せしめようというのである。例えば蒋介石の去る六月一日の対外声明の如きも、多少猶太フリイ・メイスン結社問題を知る人には直ちに察せられる通りに、猶太フリイ・メイスン結社員としての蒋が世界の猶太フリイ・メイスン結社に発した救助信号に過ぎないのである。そしてそれに応じて表面的に立ったのが赤色系猶太フリイ・メイスン秘密結社であって、フランスの西沙島占領及びソ連の張鼓峰占拠等は同一の隠れたる指令の下に連絡してなされている対日行動であるに過ぎない。これに対して猶太フリイ・メイスン結社の裏面的対蒋援助工作が今や何処に如何に運ばれており、また運ばれるであろうかは、いま我々の明らかにするを得ない所であるが、しかしそれが不日(時を経ずして)英米仏等の何等かの形式に依る武器供給及び対支借款を以て始まるであろうことは、我々が今日既に予言し得る所である。(一三・八・五)

 

⇒猶太と世界戰爭(新仮名)26 ⇐猶太と世界戰爭(新仮名)24

猶太と世界戰爭(新仮名)24

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第二章 猶太と世界戦争
六、日猶抗争としての日支事変(昭和13年8月5日)続き

その一つは、昨昭和十二年十二月二十六日から二十八日にかけて満州國ハルピンに於て開催された極東猶太人協会の第一回会議である。この会議に関しては種々の解釈が下されているようであるが、その議長がカウフマン[1]であり、副議長がペルコヴィッチであり、顧問としてザイグレーフが挙げられている所から見て、この会議の決議もまたあらゆる他の猶太人会議のものと同じく、その正体が「宣言」でなく「宣伝」であることは、我々の確信する所である。殊に猶太の幾千年の歴史を知り、また猶太が東洋に於て英・仏・露等の名の下に久しきに亘って何を策謀して来たかを考える時、その『正義日満支持』の宣言は、窮地に陥った場合に禍を転じて福となさんがために、猶太が非猶太の正直さと正義心とを利用してなす常套的詐欺手段以外の何ものでもないことは直ちに判明する。殊に議長カウフマンが、この会議の前後に於て天津及び香港に赴いて、或いは講演に或いは会談に於て、アメリカ猶太資本の北支流入を策動したことを知る者には、かの会議そのものの内容が日支事変によって動揺した猶太の東洋に於ける地位を再確立せんとするものであり、そのまことしやかな決議宣言はそのための宣伝であることが理解されるのである。即ち皇軍に依る北支及び中支の占拠のために受けた在支猶太財閥の痛手、排日侮日抗日の暴挙に駆り立てた蒋政権の余りにも無力さによって明らかにされた猶太の違算、猶太勢力の表面的形態としてのソ連・英・米・仏等のわが國に於ける威信の失墜等、直接間接の猶太地盤の動揺のみならず、昨年末の迷彩日本共産党の検挙の結果として赤化宣伝の無力化による銃後撹乱策の失敗を見ては、海千年山千年の曲者たる猶太たるものがここに手を拱(こまね)いて坐視し得ざるは当然であって、これがかの極東猶太人会議となり、その宣伝的宣言となったのである。殊にその宣伝文中注目すべきは、「欧州数ヶ國及びソ連によって猶太人の一切の人権が蹂躙され、ユダヤ教が悉く絶滅され」と書かれている点であるが、これは英・米・仏・チェコ等の猶太独裁國は勿論のこと、ソ連乃至赤色スペインに於ても事実はその正反対であり、むしろ一切の人権を蹂躙されているのはこれらの諸國の多数民族であり、絶滅されようとしているのは特にソ連乃至スペインに於けるキリスト教徒である。それ故にこの部分の真意は、独逸・イタリア・防共スペインに対する毒矢にすぎないのであって、一言にして言えば防共諸國間の離間がその隠れたる目的であるのである。その際に猶太専制下にあるソ連を加えたのは、日本とソ連との緊張した関係を利用して、あわよくば日ソを相戦わしめ、それによって猶太民族の最近の目標たる第二次世界戦争を勃発せしめようとしているのである。以上に続いてその宣伝文は、彼等の紋切型の口上である「少数民族の迫害」を持ち出し、それに依って彼ら自身の少数民族に依る世界多数民族の搾取の事実を隠蔽し、更に猶太民族の「道徳的長所」と「一般人類の文化に対する寄与」とを力説することさえもしているが、その「長所と文化に対する寄与」とが表面的形態はともあれ、結局本小論第一節の如き内容を持つものであることを知る者には、その余りにも猶太的なる厚顔無恥さに文字通り開いた口が塞がらぬのである。然も更に「日満両國は猶太民族に取っては唯一の平和郷である」と嘯(うそぶ)き、コミンテルンを「世界的罪悪の根源」であると白ばくれ、「大家族主義的國家主義」を日満両國の使命であると扇動するに至っては、その言辞の尤もさに反比例する内容の猶太的悪逆さを痛感せしめられるので、如何に人の好い我々日本人と雖も、これをその儘信ずる程に甘くある事は出来ないのである。爆撃せんとし又は利用せんとする相手に対してはその相手の長所を扇動する事によってその目的を果たそうとするのは、これ実に猶太の常套手段であって、非猶太人の心理を以て猶太人を推しはかる限りに於ては、過去現在の人類の歴史に証明している通りに、必ず猶太人をしてその野望を達成せしめる外はないのである。

[1] アブラハム・カウフマン(Dr. Abraham Josevich Kaufman:1885~1971)はウクライナ生まれの猶太人でシオニストで、その曽祖父は正統派ユダヤ教ハシディズムのラビでチャバドの創始者ネール・ザルマンである。1919年から1945年までハルビンの猶太教団会長を務めた医師である。日本の敗戦の結果、第二次支那事変と第二次大戦中に日本当局と連絡した廉で誘拐・逮捕され、1945年~1956年、ソ連の強制労働収容所に収容された。イスラエル当局の働きかけでイスラエルに移住し、そこで医師として復権した。

 

ここに我々は、この東洋猶太人協会の第一回会議の決議文と並んで、同じく昨年の十月二十八日付パレスチナ発行の猶太新聞ハボケル紙上の次の宣言文に世人の注意を喚起したい。

チェコは、他國に対する憎悪と圧制及び反猶太主義の旺盛な諸國によって取囲まれているにも拘らず、それは岩の如く毅然として立ち、真の自由なる國として模範たることを世界に示している。」

チェコの内情を知る者は、この自由が猶太人の自由を意味することを直ちに知るであろう。大統領始めとして猶太人が枢要な地位を独占し得ているチェコこそは、他國に対する憎悪と他民族に対する圧制との模範たる國であって、これはチェコが極悪非道のソ連と軍事条約を締結しているという一事のみからも、論断され得ることであるが、そのチェコを真の自由の國と称する猶太民族が、東洋に於てのみコミンテルンを「世界の罪悪の根源」と主張することが何処に真実性を持ち得るであろうか。世界大戦の久しき以前に猶太フリイ・メイスン秘密結社は、独・墺・露の三帝國を壊滅させ、その中間地帯に一國を作って欧州擾乱の策源地とすることを決議していたことは文献的にも明らかであるが、その策源地として人為的に生産されたのがチェコであることを思えば、そのチェコが猶太の楽天地であるのは当然であるが、東洋にもまたチェコを建設しようとする猶太の策動に対しては、我々はその宣伝の儘にそれを受入れることは出来ないのである。

次に考慮したいのは、上述の極東猶太人会議が日満攻略の搦手(からめて)戦法であるのに対して、同じ日満攻略の遠距離間接射撃とも言うべき國際平和運動連盟主催の無防備都市空爆反対國際大会(本年七月二十四日パリにて開催)のことである。現在に於てあらゆる國際会議が世界唯一の國際民族である猶太の指導下にあることは否定され得ない事実であるが、それと同時に注目さるべきことは、現代に於けるあらゆる平和団体が、実質に於ては猶太の当面の目標としての第二次世界大戦惹起の手段化していることであって、巧妙なる猶太の策動は、かかる団体を用いて自己の作り出す世界大戦の責を他へ転嫁することを期しているのである。それは例えば、日支事変を勃発せしめたのも結局猶太であるが、しかしその責は専ら日本にあるかの如くに世界の無批判なる大衆に信ぜしめているのと、全く同一筆法である。猶太の息のかかったもののなす事であれば、ソ連に於ての如く幾百万幾千万の人間を殺戮することも正義であり、英・米・仏に於ける如くに少数國際資本が大多数の民族を搾取しても正義であり、また支那に於ける如く堤防を破壊することによって幾十万の自國の民を苦しめても正義であって、それらに対しては何処よりも一片の抗議も発せられないのであるが、猶太の世界支配の道を阻止するものは、自國を滅亡の淵から救うことも悪逆非道の暴挙であり、防備都市を爆撃することも人道を無視する行為と称せられるのである。パリに於けるこの國際会議の議決を見ても、この意味は余りにも明白に露呈されている。殊にこの会議もまた猶太の策動であることは、同大会にメッセージを寄せた者が猶太フリイ・メイスン結社員蒋介石であり、スペイン人民政府ネグリン首相であり、チェコの猶太フリイ・メイスン結社員ベネシュ大統領であることによって明瞭である許りか、その会議からメッセージの送られたのがアメリカ猶太フリイ・メイスン結社員米國大統領であることを思えば、思い半ばに過ぎるものがあるであろう。この会議に英仏のメッセージのないのは、フリイ・メイスン結社員である仏前空相が司会しているためであり、英國猶太人がこの平和連盟の中枢をなしているがためであろう。

独伊を除く世界の言論通信機関の大部分を掌握する猶太の動きは、その東の決議を常にその西の決議と連絡せしめ、その赤色系の策謀を常にその資本閥の意図と連結せしめるのであって、このことを知る者には、以上の表裏をなす二会議の決議に現われたる所のみを見ても、猶太の動向を知るには充分である。この意味に於て、日支事変を誘因として行われたこの二つの会議は、日支事変そのものが日猶の抗争であることを充分に証するのである。

上述の猶太の近親遠攻の両戦法を考慮する時、日支事変下の日本に対する所謂世界の輿論の悪化の真因が直ちに判明するであろう。即ち猶太は、その金力の独裁下にある世界各國の言論通信機関を総動員して、非事実を事実とし、事実を歪曲して、元来正義心に富む非猶太人を煽動しているのである。それ故に日本が正しければ正しい程、強ければ強い程、日本に対する世界の輿論の悪化するのは必然であって、これは日支事変が日猶事変であることの真相を掴むことによってのみ理解されるのである。従って正義日本の立場は、一部正直なる日本人の考へる如くに、事変の真相を対外的に宣伝することによって、正当な理解を得るということは、殆ど不可能事に属するのである。否、多くの場合には、日本は宣伝をすればするだけ一層世界の輿論の悪化を期待しなくてはならないであろう。この事情は、独伊の場合と全く事情を同じくするのであって、この間の事情を明瞭に認識していない限り、日本の無批判なる自由主義者が猶太の宣伝を鵜呑みにして真の独伊を解しないのに照応して、ともすれば猶太の宣伝のために自國をも見誤る者が生じないとは言えないのである。そしてこの銃後の動揺こそは、猶太がその言論通信機関を総動員して世界の輿論を捏造している最大目的の一つでもあるのである。勿論かく言っても、我々は決して宣伝の不必要を説く者ではないのであって、真に強力且つ有効なる宣伝は、以上の事実を確認した上でなされない限り、単に無効化に終るのみか、逆効果をさえ生ずることを憂える者であるに過ぎない。第一節に述べた如き神観と人間観とを持つ猶太人の宣伝に躍らされる時には、大量殺人原理のボルシェヴィズムさえ猶太のものであるがために人道的に見え、かかる極端に陥らない場合でも、ボルシェヴィズムとファッショ乃至ナチズムとが同一線上のものとして論ぜられるという如き史上稀に見る不公正事さえ平気で犯されるに至るのである。常に正義を口頭に唱える北米大統領が、ファシズムを人類の敵であると宣伝して止まないのも、彼が猶太人又はその傀儡であることからのみ理解され得るのである。一言にして言えば、猶太の独裁乃至専制に服さないものは、すべて非人道的の汚名を浴せられるのであって、この事情の正当な認識がない限りは、例えば所謂「國民使節」乃至「交換教授」などのうちの自由主義者の場合に屡々見られる通りに、事変下に外國に使しても、却って逆効果を挙げる外に道はないのである。

さて我々は、以上の説が単に我々の想像に止まるものでないことを証明する一つの材料として、在来日本に於ては殆ど問題にされたことのない情報を提出することにしよう。一九二八年(昭和三年)は、蒋政権がいよいよその地歩を確立し、排日侮日抗日の政策を表面的に掲げるに至った年に属するのであるが、この年の年頭に当ってスイス國チューリヒ発行の「猶太中央通信」は、その年頭の辞の中で次の如き注目すべき記事を掲載している。

「ヨーゼフとその兄弟達に関するあの聖書に見られる譬喩(ひゆ)は、巨大に拡大された姿に於て、この大洋のかなたで演ぜられている。大洋の彼方へと追いやられた賦役奴隷が世界一の強力な國家の支配者となり、以前の富裕なる彼の兄弟を苦しい困窮から救う。このアメリカ移民は、猶太民族全体の為め礎石となったのである。アハスヴェールは夢想しつつ、ハドソン湾のほとりに雲表に聳(そび)え立つ無数のバビロン塔の黙示録的な姿に見入っている。彼はまた、蜂のようにこの巨大な蜂房に群がり入りまた其処から群がり出る所の、またたかだか一世代の間に猶太特別区の住民からあらゆる時代の最大の建築者になった所の、彼の同族の子孫なるこの大衆の姿に見入り、そして主エホバの御心を認識するのである。

そして彼には、その賢明な支配術を以て五大洲を自己の意の儘に操っている所の、世界を支配している英帝國の正体が分って来る。彼は外ならぬ其処に、彼の同族の子達が政治上の人気ある大家として登場して来るのを見る。そしてこの現象の最後の意味を悟る。

未来の前にかかっている帳(とばり)が裂ける。アハスヴェールは思いもかけなかった幻影を目撃する。即ち、強力な猶太人団が亜細亜の中央に頑張っていて、支那という巨人 ―それが落す影は全世界に伸びている― の更生を助ける者として讃嘆されているのである。

猶太民族は、その散逸にも拘らず、一体となったのである。エルさレムが確かに人類の精神的枢軸となったのである。精神上の、物質上の、また道徳上の諸力の強力な源泉は、合流してもとの故郷の方へ流れて行く。アハスヴェールは驚愕しつつも偉大なる事件の連関を納得する。そして新たなる勇気を以て五六九八年の一里塚を通り過ぎる。彼は以前よりも一層未来の希望に勇んで祝福の祈りを捧げる。」

無國籍漂泊猶太人の象徴であるアハスヴェールの幻想としてここに描かれているものは、猶太の世界支配の過去及び未来の姿である。即ち既に英米の二國は完全なる猶太の支配下にあるが、今や巨大なる支那もまた猶太の指導に入りつつあるというのである。勿論この点に於ては、英米と等しく或いはより完全に猶太の支配の下にあるソ連乃至フランスのことが問題とされていないが、これは猶太政策を知る者には自明のことであって、ソ連とその半属國としてのフランスが猶太の世界支配のための片腕であることは、猶太としては出来るだけ表面に出したくないのである。しかし現在の我々に特に興味あるのは、この文が引用した部分の第三節に於て支那を問題としていることであって、この象徴的なアハスヴェールの幻想のうちに我々は、その自誇と確信とのために不用意にも早期に洩らされた猶太の支那支配の計画を見ることができるのである。

次に我々は、猶太側のこの言説に照応する支那側の材料を一つあげることにしよう。それは、アハスヴェールのこの幻想が描かれた年より三年を経た昭和六年の一月元旦に猶太フリイ・メイスン結社員蒋介石がなした所の年頭演説である。その要旨は、「第二次世界大戦の時期が迫って来て、これには欧米諸列強も参加するし、日本も無論参加するのである。そしてこれがために一番多くの犠牲を払うものはわが中華民國である。併しこの大犠牲を忍ばなければ、わが國威の回復は到底見込みのないことであるから、我々は今よりその準備に取掛らなくてはならない、」というのである。さていまこの猶太フリイ・メイスン結社員蒋の年頭演説を考察するのに、最も注目すべき点は確信を以て表明されている第二次世界大戦の予言である。然もこれは、既に我々が幾度か暗示しておいた通りに、猶太の現在の世界政策の第一の目標であるのであるから、この言辞に見られる蒋の確信は、彼が猶太フリイ・メイスン結社員として猶太の世界政策に呼応して居るがために外ならない。そして第二次世界大戦の舞台の中心の一つを支那に於いていることも、猶太の世界政策と完全に一致しているのである。ただこの引用の後の部分は、蒋の意図が中國の國威の回復にあるかの如くに見えさせるために、正確なる批判力のない者は、我々が既に第二節の冒頭に於て論及した如き錯覚を起こされる事があり得るかも知れない。そしてこれは、これまた既に第二節で論及された如くに、過去にも現在にも蒋政権及びその黒幕としての猶太が目標としている所であって、この巧みな迷彩によって猶太フリイ・メイスン結社はその世界支配を完成せんとしているのである。ここに見られる蒋の老獪さは全く猶太一流のそれであって、蒋の意図は、印度に於ける國民会議派が國民の名に於て印度をより完全なる猶太の印度としようと努力しているのと全く一致しているのである。実に蒋政権は、表面的には國民政府と自称して、國民の眼を欺くために「新生活運動」の如く表面的には支那民衆の利益を計る如くに見せかけながらも、実際に於ては自己の閨閥の利益と猶太の利益とを目標にして政治をなして来たのである。國民政府がその名にも拘らず、一朝事ある時には、ソ連の猶太共産主義とさえも握手し得るのも、その根柢が同一の猶太戦線上のものであるからに過ぎない。

しかし、英・仏・米・ソ連の猶太戦線の対支援助の理由は、なお単に以上では尽きないのであって、日支事変が日猶事変であることは、なお一層深刻な意味があるのである。即ち蒋政権と猶太との関係は、今迄我々によって論ぜられまた世上に於ても論ぜられ来って居る所の利益関係に基く結合関係の外に、今迄極めて稀にしか問題にされなかった蒋政権の猶太フリイ・メイスン性による連絡があり、なお一層重要であると共に今迄殆ど全く見逃されていたものに、孫逸仙(及び蒋閨閥)が支那猶太人であることに基く民族的血による連絡が存在しているのである。蒋政権が軍事的には見当外れの敗戦に敗戦を重ねているにも拘わらず、なお経済的その他に於ては案外のねばり強さを示している真の理由も、実にこの最後の二点を明らかに認識することによって、その真の姿が掴(つか)み得られるのである。

 

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猶太と世界戰爭(新仮名)23

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第二章 猶太と世界戦争(続き)

六、日猶抗争としての日支事変(昭和13年8月5日)

 一

猶太問題を知るために猶太人を知る必要のあることは言う迄もないことであろう。しかし、その猶太人を知るためには何よりも先ず猶太教聖典「タルムード」を知る必要のあることは、猶太問題に多少の興味を持っている人も、なお十分に認識しているとは言い難いようである。現代の如くに宗教心の衰えている時代に於ては、或る民族の宗教聖典は、その民族の特性を知る十分なる材料とはなり得ないかも知れない。しかし皮肉なことには、宗教排撃の急先鋒である猶太人こそは最も宗教的信仰の強烈な民族であって、かの反宗教運動の正体なるものも、その主張の元祖としてのマルクスが熱心な猶太教徒であった ―表面上には政略的改宗をしていたにも拘らず― という象徴的な場合が証明して余りあるように、猶太教以外の宗教の排撃に外ならなかったのである。この事は、現在のロシアに於て、猶太教とその教会堂とが革命前と殆ど同様に保存され助長されている、という驚くべき事実に依ってもまた証明される。それ故に他の民族の場合はとにかくとするにしても、少なくとも猶太民族の場合には、その宗教聖典は猶太魂の最も良き鏡であるのである。或る民族の特性はその宗教乃至宗教聖典に於て最もよく窺われる、という言葉は、猶太民族の場合には文字通りに妥当するのである。

しかし猶太聖典「タルムード」は、所謂「トーラ」の解釈とその再解釈とより成立しているのであるから、猶太民族の真の姿を把握するためには、先ず「トーラ」そのものに就かねばならない。そして「トーラ」とは、旧約聖書の最初の五巻を言うのであって、これが猶太教の真の根本聖典なのである。勿論猶太民族を知るためには、「トーラ」と「タルムード」の外に、旧約聖書の残余の部分及び新約聖書、なお古くはマイモニデス[1] の著作、新しくは「シュルハン・アルフ」(「タルムード」の抜萃並に解釈より成る)、更に新しくは、所謂「シオンの議定書」と称せられる怪文書等をも知ることが絶対的に必要であるが、しかしこれらが総て「トーラ」乃至「タルムード」の解釈、抜萃又は延長であることを考えるならば、「トーラ」と「タルムード」を知ることのみでも大体に於て目的が達せられることがわかるのである。併し我々は、この小論では、この問題のみを論じようとしているのではないから、ここでは「トーラ」及び「タルムード」を中心として、最も根本的であると思われる幾つかの点に関して記述し、以下の考察の序論としたいと思う。

[1]ラビ・モーシェ・ベン=マイモーン(Mayimōn Moses Maimonides:1135.03.30~1204.12.13)は、スペインのユダヤ教ラビで、哲学者。医学・天文学・神学にも精通していた。アリストテレス主義者、新プラトン主義者。ルネサンスヒューマニズムの先駆者と評価される。

 

そもそも宗教乃至宗教聖典に於て最も重要な点は、その神観と人間観とにあることは言う迄もないであろう。宗教とは、その根本を神と人間との関係の問題に持っているものだからである。それ故に我々は、「トーラ」からは猶太人の神観を、「タルムード」からはその人間観を見ることにしよう。さて「トーラ」に依れば、猶太の神エホバは、一言にして言えば猶太の民族神であって、例えば新約聖書に於てキリストの説いている如き普遍唯一の宇宙神ではない。従ってその神は、人間的な過誤を犯し、心変りをし、不公正であり、復讐心が強く、残忍であるが、その神が一個の民族神に過ぎないことは、この神が猶太民族に世界支配を約している点に特に明瞭に見られるのである。

「汝は汝の神エホバの汝に付したまわんところの民をことごとく滅し盡すべし、彼等を憫(あわれ)み見るべからず。また彼等の神に事えるべからず、その事汝の罠となればなり。」(申命記七・一六)

「エホバは彼等(異邦人)の王等を汝の手に付したまわん。汝かれらの名を天が下より除き去るべし。汝には抗することを得る者なくして、汝ついに彼等を滅しつくすに至らん。」(申命記七・二四)

我々はいまはこれ以上に「トーラ」より引用することを避けるであろう。しかし以上のみをもっても言い得ることは、斯くの如き神は一個の民族神としても決して高等なる種類のものでないということである。もし我々をして端的に言わしむるならば、エホバとは即ち一種の妖怪乃至悪魔に過ぎないのである。そしてこの妖怪乃至悪魔は、その残忍性を発揮して、異邦人の神を排撃し、非猶太人の王を廃止し、異民族のすべてを滅亡せしめようとするのである。ここに於て我々が思わずも想起するのは、赤色主義者の宗教排撃と君主制乃至王政転覆の運動であって、この種の運動が古来猶太人によって指導されて来た事実を知る者は、共産主義者乃至革命主義者なるものが猶太的伝統の忠実なる遵守者であることをも容易に知ることができるのである。然も同一の事は、猶太人をその主体とする國際資本主義に関しても言われ得るのであって、猶太資本國の独裁する所謂デモクラシーなるものも全く同一精神のものであることは、今更説明の要はないであろう。そして以上の猶太神観から得られた認識は、猶太人の人間観を知るに至るとき、一層の確証を得るのである。

では猶太民族の人間観は如何なるものであるか。「トーラ」に描かれたる所に依れば、猶太人そのものは既に物質主義であり、虚言と詐欺と窃盗とに長じ、性的には無恥で、奸策と詭計とにすぐれ、従って非社会的であり、また復讐心強く、残忍性に於ては無比である。然も最も注意すべき点は「タルムード」(及びその解釈の書としての「シュルハン・アルフ」等)に見られる次の人間観乃至非猶太人観である。

「猶太人のみが人間と呼ばれるのであって、非猶太人は人間とは呼ばれず、動物と呼ばれる。」

猶太民族から見れば、猶太人のみが人間であって、非猶太人は豚であり、馬であり、動物であり、時としては動物以下のもの(例えば糞尿)であるとさえ言われるのである。従って猶太人と非猶太人との間には人間と人間との間に成立する総ての関係は成立しない、という結論が生れるのも不思議はないであろう。この人間観から「トーラ」に描かれている前述の如き猶太人の諸特質は生れて来るのであって、非猶太人には所有権はなく、猶太人は非猶太人に対しては誓約を守る義務はないというのである。従って非猶太人の所有物は当然猶太人のものである許りか、非猶太人のものは元来猶太人のものであるから、如何なる手段によってもそれを奪取することは、神慮を行うものであり、なお一層進んでは、溺(おぼ)れつつある非猶太人を救う義務はないのみか、寧ろ彼の溺死を助力することこそ神慮に叶うというのである。非猶太女の貞操を蹂躙する位のことが朝飯前のことであるのは、以上述べた事から容易に察せられるであろう。

以上の略述によっても、猶太民族が元来如何なる特性を持っているかは大体に於て理解が出来るであろう。そしてこれは、モーゼに率いられてエジプトを去った群衆が犯罪者と天刑病者であったという昔の史家の説や、猶太民族が有史以来漂浪して行く処に於ては唯一の例外もなく所謂排猶問題を惹起せざるを得なかったという事実を充分に説明するものではないかと、我々は考える。猶太人が排猶者を排斥する為に常に宣伝する「人種的偏見」乃至「少数民族の虐待」などは、事実に於ては全くその逆であることが歴史の事実の証明する所であって、如何なる民族の如何なる宗教聖典に於ても「トーラ」乃至「タルムード」に見られる程の「人種的偏見」と「少数民族による多数民族の虐待」の例はないのである。排猶とは、人間のイデーを二重の意味に於て救わんがために、キリストの語を借りて言えば、「剣を出す」所の聖業であるのである。即ち一つには、猶太人に依って抹殺された非猶太人の人間たる資格を回復し、今一つには、妖怪乃至悪魔を神として戴くことの迷妄から猶太人そのものを救わんがためである。併しこの聖業に際しては、相手が上述の神観と人間観とを持った特殊民族であることを十分に考慮して、非猶太人の心理で事に当ってはならない。勿論我々と雖も、猶太人もまた結局人間であることを否定するものではないが、然し上述の如き猶太人がその本来の人間に復帰する迄には、恐らく猶太の過去の歴史四千幾百年に相当する年数が今後必要であるのではないかと考える。そしてその条件としては、彼等がすべての猶太教会を破棄し、「トーラ」と「タルムード」とをすべて焼却することが絶対的のものでなくてはならない。要するに、猶太の歴史を構成すると言っても差支えない「虚言・詐欺・謀反・暗殺」が、「トーラ」及び「タルムード」に見られる神観と人間観とにその根柢を持っていることを知ることが、猶太問題研究の最も基本的な要諦である。

併しこの小論の目標は、日猶抗争としての日支事変であって、猶太民族そのものに関する評論ではない。しかしそれにも拘らず我々が上述の論をなしたのは、日支事変の真の意味を明らかにすることは、猶太民族の本質とその根本意欲とを明らかにする所なしには不可能だからである。防共をその最も神聖なる意義の一つとする日支事変は、屡々ラジオ等に於て報ぜられる通りに國民党と支那共産党との抗争が事実であるのみか、深刻でさえあるとすれば、我々としてはその重要目標の幾分かを失うことになるであろう。即ち共産党と抗争する蒋(蒋介石)政権は、たとえ排日侮日抗日の非道を犯したとは言え、この防共の一点では、今や我々と同一の線上に立つことになるので、この蒋政権を「相手とせず」と主張する*のは、少くとも蒋政権の防共的側面を無視することにもなると考えられるからである。無批判になされるラジオ等の斯かる通信放送は、それを是正することなく、その儘許しておいて可であろうか。殊に万一にも今後益々蒋政権と支那共産党との軋轢(あつれき)が甚しくなるか、或いは蒋政権及びモスクワが猶太的に共謀してこの種の有名無実の軋轢を捏造して宣伝放送する時、日猶の抗争としての日支事変の真相を達観しえない者は、その日本人たると外國人たるとを問わず、今度の聖戦の意義に関する確信に動揺を来すことが無いであろうか。この悪質の宣伝放送によって日独伊の防共陣営に揺ぎが来ようとは思われないが、しかし世界の大衆は、國内に於ても國外に於ても、常にかかる確信に生きる者のみであるとは限らないのである。また國外は言うに及ばず國内に於てさえも、猶太の宣伝ならば何事もそれを真と信じ、猶太戦線に躍ることを真理に忠実なる者と考える程のセンチメンタリストがいないとは限らないのである。

*昭和13年(1938年)1月16日の近衛声明『帝國政府ハ爾後國民政府ヲ対手トセズ』を指す

それ故に精神総動員下における再急務の一つは、日支事変の持つ日猶抗争としての意味を一般に徹底せしめる事である。猶太人が日本の雑貨を世界に売捌いて呉れるという如き枝葉末節の唯物主義的言説や、日露役に於ける猶太の資金融通を忘れてはならないという如き無暗と恩を着たがる性癖は、それ自身としては正しい要素を含んでいるかも知れないが、しかしそれらの事柄が事実に於ては我々が乗ぜられ、利用されていることを示すに過ぎないということは、猶太の歴史を多少とも知る者には自明のことであって、非猶太人の心情をもって推察したこの種の甘い言説こそは猶太民族に取っては最も好都合のものであり、従って猶太人は非猶太人のお人好しから出て来るこの種の言説を当てにして、古来その世界政策を遂行して来たのである。ともすれば日本主義雑誌にさえもこの種の新説ならぬ珍説、名論ならぬ迷論が見られるので、聖戦の最後的勝利の確保のためには、この種のお人好しの無批判論説を先ず無くすることを忘れてはならない。殊にかかるセンチメンタリズムの結果として、ナチス独逸の事業をして真に永久的価値を獲得せしめている重要要素としての所謂排猶 ―その意義は前節に於て論及した通りである― を邪念をもって眺め、時としてはそれを過激なる暴政と見做すに至っては、その人が単にマルクス主義の思想的批判の無能力者たることを証する許りでなく、マルクス主義と所謂ファッショとの区別さえも出来ない程度の思想的未熟者であることを証明するので、防共を聖業の一端とする今事変下に於ては、これにまさる痛恨事は少ないのである。万一にもこの種の人々が今なお日本にありとすれば、彼等こそ最も猶太が頼みとする徒党であって、所謂國内における猶太戦線のうち、彼等こそ最も無害らしく見えながらも最も有害なる容共派であるのである。正面より排日侮日抗日の勢を見せる容共派はこれを防ぐことも容易であろうが、容猶排ナチスの形式で押し寄せる容共派は、ともすればその巧みな迷彩のために世人が欺かれるからである。殊にこれは、容猶排ナチス主義の当人が、自己の容共主義に無意識である時には一層大きい害毒を齎(もたら)すのである。

然らば、日支事変の真義が日猶の抗争であることは、如何にして証明され得るであろうか。これに対しては、現在の世界が政治的にも経済的にも思想的にも極めて複雑であるのに照応して、極めて複雑した方面から回答がなされ得るのであるが、この小論に於てはそれをあらゆる角度から論ずることは不可能であるので、我々の視野に入って来る限りに於ける最も重要なる事項を選んで論ずることにしたいと思う。

先ず最も注目すべき最近の事項の一つは、猶太人トロツキーの日支事変に関する予言(?)である。それに依れば、日支事変は、日本のあらゆる戦略上の勝利にも拘らず、結局は日本の敗北を以て終るであろう、というのである。この予言は、共産主義者トロツキーが猶太人であることを知る人には、それが猶太人の見解又は希望であることが直ちに看取され得るので、別に大した意義のないものであることが判明するのであるが、しかし彼の予言は、以上に続けて、英國は印度を失うに至るであろう、と言っているので、ここに一段とその意義を増して来るのである。では猶太共産主義者トロツキーは何故に日支事変と関連させて、或いは日支事変に関連する予言と同時に、英領印度のことに言及したのであろうか。殊に現在に於ては、英國もまた仏・米・チェコと同じく所謂デモクラシーの國として完全なる猶太の独裁下にあることを考慮する時に、日本と共に英國が問題にされるということは、大きな矛盾ではないであろうか。殊にトロツキーは、現在では第四インター頭目であるから、たとえ第三インターが最近に英國に対して攻勢に出ることを決議し、例えば猶太人少佐の率いる労働党等をお先棒として策動しているとしても、トロツキー英國に関する言説は、少なくともこの連絡に於ては不合理ではないであろうか。併しここに想起しなくてはならないのは「トーラ」の神観に関する我々の前説の記述であって、猶太人は、彼が國際資本閥に属しようと、第三インターに属しようと、他民族の神と君主とを排撃してそれを破滅に導くことが問題となる限りに於ては、皆直ちに一致するのである。この観点から見るとき、現在の米國乃至チェコは猶太人を大統領とし、仏も先には生粋の猶太人(ブルム)を首相としたのみならず、今また猶太女を妻とする者(ダラジエ)を首相としており、ソ連もまたこの点では同一(スターリン)であるのに反して、英帝國は、それが事実上猶太独裁下にあるとは言え、形式的にはその元首はなお猶太人とはなっていないのであるが、これが、猶太民族から見て、「トーラ」に示されている神慮に叛くことは言う迄もないであろう。殊に猶太の有力なる代辯者であったフリイ・メイスン秘密結社員イーデン外相を退けた英現内閣に対しては、猶太の不満は各陣営を通じて大なるものがあることは察するに難くないのである。これらの点が、万國に比類なき日本國體(国体)に対する猶太の深く激しい呪詛の表明のついでに英國をも並べて論ぜしめるに至った最大の理由であろう。

ここで我々は当然猶太の血を享ける亡命ソ連大将リュシコフ問題にも触れなくてはならないが、先ず我々は、日本の聡明なる新聞記者連が彼との会見に於て最も重大なる二点を充分に明らかにする労を取らなかったことに対する遺憾の意を表明したいと思う。即ちその第一は、大将がソ連を脱出した今日に於てもなおボルシェヴィズムの信者であるか否か、ということであり、その第二は、大将と第四インターとの関係如何である。「嘘と詐欺と謀叛と暗殺」との國ソ連に関して同じく「嘘と詐欺と謀叛と暗殺」とをその歴史の本質とする猶太民族に属する一人が言うことは、その人が例外的に善良なる個人である場合にも、なお我々としては軽々しく直ちに文字通りには信ずることは出来ない。殊に大将と第四インター乃至トロツキーとの関係が明白にされない限りは、大将のソ連の内情に関して暴露する所も、その儘信じる訳には行かないのは当然であろう。特に我々猶太問題に注目して来た者に取っては、大将がカガノーヴィッチ閨閥の独裁的地位に関して語らなかったことが大きな謎として残るのである。以前に識者の間ではトロツキーとゲー・ペー・ウーとは連絡を持っていると信ぜられていたが、この説が最近の粛清工作の遂行の示す所によって或程度まで真実であることが証明されたように見えるにも拘らず、今や猶太人 ―少なくともパレスチナ共産党― はトロツキーに味方して、スターリンを見捨てたという噂に対しては、いま直ちに全幅の信頼をおく事は出来ないのである。その理由は、ソ連をも含めての「持てる國」としての侵略國の旦那衆は、多少の暇があれば互に「私刑」に陥るのは、その唯物論当然の帰結であるからである。

併し我々は、いま國内に亡命中の大将の件に関しては、上述の諸疑問が明らかにされる迄は論じないことにして、ここでは筆を転じて、近来行われた猶太諸会議のうち、特に注目すべき二つを取りあげて、日支事変が日猶事変であることを明らかにすることに進みたいと思う。

 

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