猶太と世界戰爭(新仮名)22

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第二章 猶太と世界戦争
五、日本と猶太(昭和13年11月23日)続き

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次は英國が問題となるのであるが、嘗(かつ)ては猶太資本主義の中枢であり、また歴史的にはフリイ・メイスン秘密結社の本地であったこの國も、(第一次)世界大戦後前者は米國に、後者はフランスにその地位を奪われた結果、今は老大國として次第にその世界帝國の影は薄くなりつつあるのである。しかし、過去幾世紀の間アングロサクソン民族の帝國主義的世界侵略の背後にあって常に策動し、その結実を殆ど独占的に横取りしていた猶太勢力の根は、今なお相当に強靭なものであって、我々のしばしば説いた通りに、表面的には日英事変とさえ見える日支事変も、更によく見れば日猶事変であることが判明するのである。その理由は、在支英國財閥は例外なく猶太財閥であるからであり、そして前にも論及した通りに支那の貨幣改革もこの猶太財閥を中心としてなされたのであるし、また最近わが國にも時折半ば秘密裡に来朝して朝野の名士と会見する許りでなく、しばしば待合*にさえ出入するというポール・パッチなる人物が、表面的には駐支英國顧問であるにも拘らず、単なる英國人ではなくて、在支猶太財閥と密接な関係を持つ民族であるに違いないからである。とにかく英國の対支政策は、本國の意志よりも現地猶太の意志の儘に動くことが多いと称せられているが、最近の英國の現実外交が現地即応主義であるという噂を想起する時、これはなかなか興味のある問題である。然もその現地猶太には、支那問題に限り、英國に(を)裏切って日本と協力したいとさえ仄(ほのめ)かしていると言われているのをも考慮する時、我々はこの場合にも猶太の常套的二重政策を感じないでは居られぬのである。一時的には頭を屈すると見せて、相手の虚をつき、それによって実質的利益を手に収めようというのが、自己の方針に誤算を来した場合に猶太の取る常套手段であることは歴史の証する所である。

*待合とは、花柳界待ち合わせや会合のための場所を提供する貸席業で、(東京などで)主に芸妓との遊興や飲食を目的として利用された。 京都でお茶屋と呼ばれる業態に相当する。

かく考えて来る時、ミュンヘン会談以来の英首相チェンバレンの態度が真に非猶太人的平和意志から出ているものであるか否かが疑わしくなるのである。殊に彼にもまた母親の猶太の血が流れているとか、また彼が有名な武器会社の株主であるとかいう説のあることを考える時、その疑惑は一層深まるのである。

我々が以上に多くの疑問符を英首相の行為に対して付したのは、この首相の率いる内閣が、英國内閣たるにふさわしく、多数の猶太人又は人為的猶太人を含んでいるからである。十一月五日頃の海外電報は、ホーア・ベリシャ陸相がウッド空相と共に猶太武器会社の利便のためと言わん許りに軍需省の設置を強硬に主張し、「陸相としての任務を満足に遂行する方法が与えられないならば、辞職する外はない」と威嚇していると伝えているが、このホーア・ベリシャ陸相こそは、将来の英國を背負って立つ猶太の代表者であるとして、猶太側のホープとなっているのである。前にも引用した「アメリカン・ヒブリュー」紙は英のホーア・ベリシャ、米のルーズヴェルトソ連のカガノーヴィッチとリトヴィノフ、フランスのブルムを猶太の将来を保証する立役者であるとしているのである。

理想主義外交家としてその反日独伊政策で有名であった國際連盟主義者イーデンがこの内閣から退き、今はハリファックスが外相となっているとは言え、なお外務省そのものは猶太人次官を始めとして、大部分がイーデン派で固められているので、省内の万事はイーデンに筒抜けであると称せられているが、彼の祖父が猶太人の多いポーランド人であり、その細君がリトヴィノフの細君と姉妹であるというのであるから、その政策が猶太的でないとは何人も主張し得ないであろう。この点はとにかくとしても、彼が高級フリイ・メイスン結社員であることは事実であって、それ故にこそ彼が猶太主義者であり、連盟主義者であることも理解が出来るのである。英内閣のうち、陸軍省と外務省とが最も援蒋的(蒋介石を支持して居て)反日的であると称せられているが、その謎は我々の記述からして自明の事となったであろう。

しかし英の反日派は、有力なるものだけを見てもなお以上では盡きないのであって、所謂國際連盟派と称せられるチャーチル乃至ロイド・ジョージ等のフリイ・メイスン結社派もまた援蒋反日派である。猶太フリイ・メイスン結社員であるチェコ前大統領が英國へ渡ったのも、猶太フリイ・メイスン戦線の再起を計画するために英國が好適であるからに外ならない。

なおフリイ・メイスン結社系の反日主義者として注目に値するのは、かつて日本のキリスト教徒からさえも反省を促がされたカンタベリー僧正の場合であって、彼は単に反日である許りでなく、全く猶太的に反独であり、反伊であり、また従って親ソ的であり、親赤色スペイン的であり、更に親チェコ的であるのである。即ち、彼は排日排独排伊大会等では進んで議長となってアジるのであるが、一方ではソ連当局に向って、英ソの友情の確立のために努力することを約束し、ソ連の印象は「物質的裕福」であり、其処には「真の自由の実現に対するあらゆる前提」があるとさえ言っているのである。然も現実のソ連では、キリスト教会の多くは、焼却されないとしても、舞踏場又は劇場に変更されて、猶太教会堂のみはなおかなりに残されているのであるが、そのソ連英國教の高位の僧によって、かく口を極めて讃嘆されているのを見る時、我々はそれを正気の沙汰とはなし得ないのである。しかしこの事実は、英國に於ける猶太の勢力の絶大であることを証拠立てるものであって、英國教は事実に於て猶太教であると称せられても、カンタベリー僧正には辯明の余地はない筈である。なお僧正がボルシェヴィズムの信奉者であることは、赤色スペイン又は赤色チェコにも表面的に同情を寄せて、赤色スペインのミアヤ将軍からは謝電をさえ受けたことからも明らかであろう。またチェコは、その首府プラーハで行われた一昨年の無宗教者会議にマサリック前々大統領もベネシュ前大統領も出席しているにも拘らず、カンタベリー僧正に取っては、ソ連と同じく、最も宗教的な國であると見えたらしいのである。

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最近までのフランスは、我々がしばしば指摘して来たように、最早真の独立國の資格が見られないのであって、或時はソ連の属國であるかの如き観を呈するかと思えば、或時は英帝國の属領であるかの如き相を示している。この國は、元来過激な大陸フリイ・メイスン結社の本地であるので、其処に根を下ろしている猶太勢力は、遂には猶太人保護法を成立させることにさえ成功するに至っているのである。

それ故にミュンヘン会談におけるフランス側の態度は、非猶太系独伊の真の平和意志へのフランスの積極的参加ではなくて、我々が別の場所で説いた如き猶太側の戦備と宣伝との不足から来たものであるに過ぎない。殊にダラジエ首相の細君が、米國務長官等の場合と同じく、猶太女であることを考慮し、また一九三四年のスタヴィスキー事件**に際して遂に出征フランス在郷軍人をして猶太への最後的屈服をあえなくせしめたのが彼が首相であった時のことであるのを知るとき、一層その真実性を増すのである。

**スタヴィスキー事件は、1933年末にフランスで発生した疑獄事件である。時の政権をも揺るがす一大スキャンダルに発展すると共に、左右両翼の対立が激化する大きな原因となった。

フランスがなおフリイ・メイスン結社の支配下にあり、従って猶太の支配下にあることは、日支事変によっても明らかにされる。即ち、昨年十一月初旬の新聞は、仏領印度支那経由の支那向武器輸入に関して、しばしばそれが本國政府の威令(いれい)の行われない國境方面の不良官吏の仕業であることを伝え、また別の報道は、それが植民大臣猶太人マンデルと支那大使顧維鈞との密謀に応ずるマンデル配下の仏領印度支那総督と宋子文一派との仕事であることを報じている。この二つの報道は、結局同一のものであって、猶太人マンデルもフリイ・メイスン結社員であり、支那大使もそうであるのであるから、其処に武器輸出位の密謀のあるのは当然であろう。然も仏政府がそれに関知せず、又はそれを阻止し得ないというのは、我々日本人としては理解の出来ないことであるが、猶太が独裁的勢力を占めているデモクラシー諸國に於てはかかる事件は極めて自然なのであって、政府としては関知してもそれを阻止し得ないのが実状なのである。

殊に一度猶太フリイ・メイスン結社の寵(ちょう:気に入られ、可愛がられること)を失う時には、フランスでは決して二度と高位の官職に就き得ない許りか、現に保有しているものまでをも奪われるのが常であるから、猶太勢力の大きさは察せられるであろう。実に現内閣には最も兇悪なフリイ・メイスン結社員と称せられるサローが内相として加わっている許りでなく、その外相ボネもまた同結社員であり、ゼ文相の如きは純粋の猶太人なのである。文相に猶太人を頂いて、フランス人の教育を猶太に指導されるフランス人こそは、世界でも最も不幸な國の一つと言い得るであろう。なお前文相デルボスや、國際平和運動連盟会議で反日的決議をした時の議長であったフランス前空相コットも、フリイ・メイスン結社の高級会員である。

然し我々はフランスを論ずる場合には、他の諸國の場合にも増してこの國の猶太億万長者ロスチャイルドのことを考慮しなくてはならない。現在のフランスはロスチャイルド王朝の支配する國であるとさえ言われる位であって、フリイ・メイスン結社員である彼は、その財力によってフランスを実質的に自己の支配下に置いているのである。それ故に米國の愛國主義者達は、世界の戦争はこの王朝と米國にあるワールブルク(ウォーバーグ)猶太王朝との抗争によって生ずるとさえ言っている位である。後者は独逸系の米國猶太人であって、その一家の現在の勢力は極めて大きいものであると伝えられている。

然しフランスにおける金権猶太は、なお他にも代表者を持っているのであって、その一人は純猶太秘密結社ブナイ・ブリスの結社員である億万長者ブルムである。既に彼については幾度か論及したのでここではこれ以上述べることはしないが、彼がフランス人民戦線の総帥であることは、赤色帝國主義と金色帝國主義とが同根であることを証示する最も適切な例となるであろう。彼は元来はブルガリヤに國籍を持っていたフンケルシュタインを本名とする猶太人であるが、例の変名変身術によって、今ではフランスの中心的勢力となりすましているのである。

なお事変下の日本としては、上海のフランス租界が共産党の巣窟をなしていること、及びその原因がフランス本國の猶太にあることを、英國の場合の反日勢力が主として現地猶太とその指令下にある政府機関の一部であることと対照して、銘記すべきであろう。(一三・一一・二三)

 

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猶太と世界戰爭(新仮名)21

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第二章 猶太と世界戦争
五、日本と猶太(昭和13年11月23日)続き

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一般論が長くなったので、ここで筆を転じて、いよいよ具体的に日本と関係を持つ猶太人に関して記述することにしよう。勿論、日本と関係のある猶太人と言っても、上述のことで明らかなように、その限界は決して明瞭ではないので、ここでは主として現存の猶太人を見ることにし、時としてそうでない者にも及びたいと思う。なお國際民族としての猶太は、これまた記述の通りに、現在に於ては独立した猶太國を持っていないのであって、例えばパレスチナ又は満州國の北部に隣接するビロン・ビジャン州(ビロビジャン州)の如きは大局から見て問題とはならないのであり、従って彼等は、常に表面的には英國人・米國人・ソ連人・フランス人等と称しているのである。日本との関係に於ては、彼等は何れもこれらの國人として登場して来るので、特に我々の関心を要するのである。

現在わが國に渡来している外國人は、猶太的ソ連を脱出して来た露人又は東洋人を除く時には、約八割は猶太人(或いは秘密結社員)であって、反猶國独逸の國籍を持っている者の中にも、独逸現政府成立以前又は以後に渡来した猶太人が相当にあるのである。殊に注目さるべきは、学校関係又は音楽関係の猶太人であって、彼等の手を通じてなされる組織的文化ボルシェヴィズムは、わが國将来のために、充分に防禦されなくてはならないであろう。防共日独間に締結された文化協定を生かすためには、先ずこの点の処置が大切であろう。とは言え、事業方面に進出している猶太人や言論機関へと奸策を以て魔手を向けている猶太人もまた決して放置さるべきでないことは言う迄もない。しかし我々は、ここでは主として、わが國を囲んでスクラムを組んでいる猶太支配下の諸國の中枢に地位を占めている強力猶太人のみについて語りたいと思う。

猶太勢力がその國に於て優勢である順序に論ずる時に、第一に挙げるべきはボルシェヴィズム國ソ連である。

最近のスターリンの政策が反猶的であって、かの所謂粛清工作の如き猶太勢力の削減のためであり、元来トロツキーの追放そのものが然りである、という説も行われているが、これは一部のためにする宣伝であって、少なくとも最近まではトロツキーとゲー・ペー・ウー*とは連絡があったのであるし、従ってスターリン派もトロツキー派もその中枢を形成するものが猶太人であることを知るとき、両派の間の闘争は暗黙の了解の下に表面的に繰返されていたかにさえ見えるのである。或いは精々の所、唯物論者にふさわしい私刑の相互賦課であって、権力猶太人の私闘が所謂粛清工作となっているのである。スターリンの義父カガーノヴィッチの閨閥が健在であって、ソ連の重要地位の幾つか占め、ロボットとしてのスターリンを躍らせている限り、ソ連は文字通りに猶太の独裁國であって、これが所謂プロレタリヤ独裁の真相であり、マルクス自身の趣旨にも叶っているのである。

*ソヴィエト国家政治保安部(秘密警察):前身は1917年に設立されたチェーカーで1953年に廃止されたが、多くの残党がKGBに引き継がれた。

然しソ連の猶太性を解するためには、その思想的元祖であるマルクスを顧みなくてはならない。彼が猶太人であることを知らない者は今では世界中に一人もないと言って差支えないであろうが、モルデカイを本名とする彼は、猶太人中でも最も猶太的である猶太法師の子であって、前にも論及した通りに、便宜上改宗したが、実際には熱心なタルムードの信仰者であった。そして彼が如何にタルムード精神に富んでいたかは、一八七一年のパリ共産党騒動に際して、パリの猶太富豪ロスチャイルド家は掠奪せぬようにとマルクス自身が指令を出していることでも判明するのである。このことは、古くはフランス革命、大戦後の独逸に於ける諸赤化系騒擾(そうじょう)、ハンガリー共産革命、そして最も大規模にはソ連ボルシェヴィズム革命、最も新しくはスペイン人民戦線革命などに於て、猶太系富豪が何等の損傷を蒙らず、猶太教会堂が多くは破壊の運命を免れているという事実によっても証明されるのである。なお注目すべきことは、マルクス自身もフリイ・メイスン秘密結社員であって、一八四五年十一月十七日にベルギー國ブリュッセルの「社会主義結社」の会員となったことである。彼の父猶太牧師もまた秘密結社員であったことは言う迄もない。

ソ連猶太革命の先駆者ケレンスキーが猶太人であり、且つフリイ・メイスン結社員であったことは割合に知られているが、ボルシェヴィズムの元勲レーニンもまた母系の猶太人でありフリイ・メイスン結社員であることは、なお充分知られていないらしい。然しレーニンの場合に特に注目すべきことは、その細君のクルプスカヤが純猶太女であった事であって、我々がしばしば他の場所でも説いて来たように、猶太女を妻としている非猶太人の場合は、日本に於てさえもその例があると言われる通りに、その行動は純猶太人の場合よりは過激にして無良心なることが多いのである。猶太人が非猶太女を妻として迎えることは猶太法によって厳重に禁止されているのであるが、猶太女は猶太の世界政策に積極的に有効である場合には非猶太人に嫁ぐことを許されているのであって、その最も普通の場合は、有力なる非猶太人の細君を毒殺又は三角関係によって除き、その後釜として据るやり方と、将来有望の非猶太人を捕虜にするやり方とであって、夫を操縦して猶太のために働かせる許りでなく、子供を猶太的に教育するのである。従って猶太人の場合よりも、猶太女を妻とする非猶太人の場合の方が悪質であり得る場合の多い事が理解されるであろう。それ故に、仮に或論者の説のようにレーニンが母系の猶太人でなかったとしても、後のボルシェヴィズムが猶太性のものであることは疑う余地はないのである。後述するスターリンの場合も事情は全く同じであることは、ソ連と猶太の関係を見るのに特に重視されねばならないことであろう。かくてレーニンは、その血にふさわしく或いはその「人為的猶太人」であるにふさわしく、飽迄(あくまで)残忍性を帯び、また拝金的で、淫乱性であって、その死は正真正銘の脳梅毒性半狂乱であったと言われている。

スターリンもまた猶太系であることは、昨年十一月のフランス雑誌「ル・ジュルナール」の明らかにした所であって、その母は猶太行商女であったと言われている。しかしこれが真でないとしても、彼の政策が猶太的であることは、その妻がカガーノヴィッチの娘(妹?)であることで判明する。その後幾度か彼の赤い恋が伝えられたが、何れもこの事情を世界的に誤魔化そうとする作為にすぎない。何れにもせよスターリン自身が猶太の単なるロボットに過ぎないことは、本年六月三日の猶太雑誌「アメリカン・ヒブリュー」紙が彼を「共産主義の鉛の兵隊」と言っているのでも判明するし、また 一アメリカ猶太人が一九三四年に既に、スターリン政権の実権はカガーノヴィッチ閨閥にあることを説き、カガーノヴィッチこそツァー(ロシア皇帝)の國の真の支配者となるであろう、と述べていることからも明らかであろう。それ故に我々は、ソ連の一部にカガノーヴィッチ王朝と言われているカガノーヴィッチ閨閥について一言しておくことにしよう。

前述の如くに、この閨閥は次第にソ連の重要なる地位をその手に収めつつあるのであって、今はそれを一々列挙しないが、恐らく今後は一層そうなって行くであろう。幾度の粛清工作に際してもいまだ嘗て一度も噂にさえ上らなかった猶太高官はこの一家だけとも言うべきであって、実権を次第に掌握しつつありながらも、とかく余り表面に立ち現われない所は、この一家が猶太的なタルムード論理を充分に会得しているためであろう。あらゆる粛清工作は、この閨閥に不都合な者の絶滅がその目的であると言われるのも決して故なきことではないのである。

ソ連と関係のある猶太人と言えば、今は追放の身ではあるが、トロツキーを見落してはならないことは言う迄もない。猶太資本の援助によって遂行した革命の土地を追われたとは言え、なお彼がボルシェヴィズムの信奉者であることは、彼が猶太人であることからのみ見ても当然であって、現在の彼の目標乃至使命は北米の赤化にあるのであるが、その北米とソ連との関係が最近多少の動揺を見せているとは言うものの、久しく極めて親密であったことを知る時には、スターリン及びトロツキー両者自身が如何に考えているかにも拘らず、両者共に相携えて猶太戦線に立っていることだけは間違わないのである。なおトロツキーがフリイ・メイスン結社員であったことは、彼の自伝に、「それは如何にも不思議に響くであろうが、自分をマルクス主義に導いた最後の橋はフリイ・メイスン結社であった」と書いているのでも判明する。なおこのトロツキーの語は、フリイ・メイスン結社も共産主義も國際資本主義も何れも猶太的陣営の一部であることを証明するに役立つであろう。

ボルシェヴィズムの猶太性は、ソ連外交部長のリトヴィノフが猶太人であり、最近まで東洋に権勢を振っていたブリュッヘル将軍[1]もヒェジーンという本名の猶太人であり、最近辣腕を謳われているメヒリスもまた然りであることや、殺人鬼として世界にその悪名高かりしゲー・ペー・ウー長官ヤゴータのみならず、ラデックもまた然りであった事を知る時に、一層明らかとなるであろう。そしてこれ等の猶太人は殆ど例外なく別の本名を持ち、また通名としても他になお幾つかの名をさえ有しているのである。リトヴィノフの如きは、約三十年前のスターリンとの共同の文字通りのギャング時代から今日に至るまで、数個の改名をして来ている。特に著名のものでも、ヴァラッハ又はフィンケルシュタインというのがある。また前に論及した「アメリカン・ヒブリュー」はソ連英米との接近を彼の功績であるとし、「ルーズヴェルトを買収した」のも彼であるとさえ明らかに言っている。なお彼に関しては、彼が純猶太フリイ・メイスン結社であるブナイ・ブリス結社の会員であることも忘れられてはならないであろう。

[1] ヴァシーリー・コンスタンチノヴィチ・ブリュヘル(Vasily Konstantinovich Blyukher, 1889年11月19日~1938年11月9日)は、ソ連赤軍の司令官、ソ連邦元帥。1930年代末におけるスターリン大粛清の著名な犠牲者の一人。

 

ボルシェヴィズムとフリイ・メイスン結社との関係について述べておきたいのは、表面私刑に処せられた猶太人ラデックがフリイ・メイスン結社の有力な会員であったがために事実上助命されたことであり、また一時禁止していたフリイ・メイスン結社をスターリン政権が近年に至って再許可するに至ったという事実である。

なおゲー・ペー・ウー長官としてヤゴータ以上の辣腕と称せられたエジョフ及び総理大臣格のモロトフの二人が、スターリンと同じく猶太女を細君としていることも付記しておく値があるであろう。それ故に相当に実権ある著名な非猶太人としては唯一人思想的には空虚なヴォロシーロフ**があるだけであると称せられるのも故なきことではない。

**クリメント・エフレモヴィチ・ヴォロシーロフは、ソビエト連邦の軍人、政治家、ソ連邦元帥、ソ連防大臣、國家元首に当たる最高会議幹部会議長を歴任した。ソ連邦英雄、社会主義労働英雄。

 

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ソ連が共産系猶太の本山であるとすれば、資本主義猶太の本山は現在では米國である。然し共産主義ソ連が所謂民主政策の採用などという名目の下に次第に資本主義化しつつあるのに対して、米國はジュー・ディールと評されるニュー・ディール政策等によって次第に赤化しつつあることを見る時、両者が最近迄國交上極めて親密であったのは自然の理であろう。三人に一人が猶太人である俗称ジューヨーク本称ニューヨークを有することによって象徴的に示されているように、現在最も多く猶太人の居住しているのは米國であり、また最も富裕且つ有力な猶太人の最も多く集っているのも米國である。最も過激であると称せられる純猶太フリイ・メイスン結社ブナイ・ブリスの所在地が米國であり、また日本で燈台社***として知られている偽装猶太的キリスト教団体の本拠が米國であることを考慮する時、如何に米國が猶太の天國であるかは判明するであろう。

***灯台社(とうだいしゃ)は、アメリカ合衆国に本部を置くものみの塔聖書冊子協会の日本支部としてかつて存在していた団体。

さてこの米國とわが國との現在の関係に筆を進めるのに、今後わが國として最も注目すべき國はこの國であろう。先ず十一月三日の帝國政府の声明に関する米政府の態度を見るのに、それへの暗黙の解答とも言うべきものは、一昨年十一月のブリュッセル会議後のデヴィス代表の報告の発表であって、それによって所謂九ヶ國会議の再開を暗示して威嚇的態度を取っているのである、と伝えられている。また別の報道によれば、現実主義の英國は現地の状況の即応した政策に転じつつあるが、米國は相変らず理想主義を捨てず、九ヶ國条約又はケロッグ不戦条約を正面にふりかざしているとも伝えられている。

ここで想起されるのは、満州事変の頃に於けるスティムソン國務長官の理想主義的恫喝外交であり、イーデン前英國外相の反日独伊理想主義外交であるが、これらの外交が何故に常に反日独伊であるかの謎は、國際連盟始め所謂理想主義外交機関なるものが、猶太人の手により猶太の利益のために現実を無視して頭脳によって構成された抽象的存在であるからに外ならない。國際連盟が、その起源から見ても伝統から見ても、その一貫した人的構成から見ても、殆ど、全く猶太機関であり、またフリイ・メイスン結社系機関であることは、今更一々実例を列記して説明する必要はないであろう。所謂不戦条約もまた猶太人にしてフリイ・メイスン結社員であるケロッグの策謀であり、九ヶ國条約もまた支那の門戸開放等の着目の下に支那に於ける猶太の独占的地位を確立しようとする猶太側の策謀に過ぎないことは、ここに特に力説しておく必要があるのであろう。とにかく、國際連盟及び他の米國主唱の諸國際条約は、現在では例外なく猶太の世界政策機関であることが判明するのである。それ故に、米國が表面上國際連盟に加盟していないことは、むしろ却って猶太政策に取っては有効なのであって、一方に失敗した時は他を以て当ろうとする猶太式の二重政策に過ぎないと考えられる。それ故に帝國政府が最近國際連盟とのあらゆる協力を断絶したのは日本外交としては稀に見る英断であるが、しかしこれによって猶太的國際連盟との関係は希薄になったのではなく、米國経由で猶太連盟の意志は今後もわが國に伝わって来るであろう。

とにかくこのギャングの國は、その対内外の政策に猶太的ギャング性の見られる事が多いので、利益関係の如何によっては、その表面的な中立は何時急変して来るかもはかり知られないのである。この事は、世界大戦時における米國の態度に最もよく表明されている。殊に近来注目すべきことは、単なる通商協定以上の協定が英米カナダ間に締結されたことであって、ミュンヘン会談に於て一敗を喫した英仏の猶太が、英に於ては猶太派のイーデン、チャーチル又は労働党猶太頭首等の口を借りて、仏に於ては植民相マンデル又は猶太党首ブルムの率いる社会党その他の左翼諸党の力を借りて主張して来た所のものが実現されたのであるとも言い得るであろう。

さてここで直ちに個々の代表的猶太人に移ることにするが、その代表的人物の先頭に立つ者がルーズヴェルト大統領であることは言う迄もないことであろう。即ち、彼は、その血統から見て十七世紀頃にスペインから流れ込んで来た猶太人の一家に生を享けたのである。また彼はフリイ・メイスン結社員であって、オッド・フェロウ結社の第三十二階級に属すると称せられている。その息子(何れも秘密結社員である)の一人が昨年頃大武器会社の猶太人社長の娘と結婚し、またその息子がハリウッド入りをしたということも、彼の猶太血統を証明するには充分であろう。英米その他の武器会社の大部分、また米國の映画会社とその俳優の大部分が猶太人であることは、世界の言論通信機関の場合がそうであるのと同じく、今では世界の常識である。

また、ルーズヴェルト大統領のブレン・トラストが殆ど全部猶太人であることも隠れなき事実であり、それ故にそのニュー・ディールは、ジュー・ディールと悪評されることもあるのである。かく猶太人として猶太人の利益を中心として政策を立てることは、彼が常に「ファッショは人類の敵である」と言っていることの意味をも証明するであろう。猶太政策の最も有力なる邪魔物でであるファッショ及びナチスはそれが猶太人によって人類の敵と呼ばれるそのことのみによっても、既にその政策が正しい人道政策であることの証明を受けたとさえ言われ得るのである。かくてルーズヴェルト大統領個人の場合を見ても、國際資本主義が猶太主義であり、従って結局共産主義であることも判明するのである。

國務長官ハル自身は猶太人ではないが、しかしソ連又はデモクラシー諸國の多くの有力者の場合がそうであるように、彼の場合もまた細君は猶太女であり、それもかのボルシェヴィズム革命の資金主であるクーン・アンド・ローブ会社長の親類の娘なのである。それ故に彼の政策がルーズヴェルト大統領のそれと根本的には完全に一致することは疑のないことであって、独墺合併の際及び最近の独逸に於ける猶太人排撃に際してハル長官の溌(発)した米國人道主義の衣を着た猶太保護の宣言は多少この方面の事情に通じた者ならば、それが大統領又は國務長官の背後に立っている富裕な有力猶太人の指令であることを直ちに感得するのである。東西両洋に於て猶太の世界支配がかなりの動揺を来しているのを考慮すれば、この系統の宣言的言説は今後一層激しくなるであろう。いま猶太に取っては、その存立に拘る危険が迫りつつあるのである。

ここで多少本論を外れるが、異邦独逸及びイタリアの最近の対猶太人態度に関して一言しておきたい。イタリアが最近になって、猶太問題に関して独逸と殆ど同一の態度を取るに至ったことは、新興精神に生きる全体主義國家としては、欲すると欲せざるとに拘らず、猶太人を自己の体内より排除せざるを得ないことを証するものである。又ドイツの最近の猶太排撃は、猶太系通信機関を通して来る日本の諸新聞の記事のみからは判明しないが、決して独逸方に非があるのではなくて、デモクラシー諸國に於ける猶太人が組織的に長年月に亘って独逸貨(製品)ボイコットを継続して来ているのに対する一種の報復が、今度の機会に表沙汰となったにすぎないのである。独逸貨は、デモクラシー諸國に於て、日本貨が支那に於て事変前に受けていたのと同じボイコットを受けているのであって、独逸が自己の生存のためにその組織的ボイコットに対して或種の手段を取ることは当然のことであろう。

米國に関する部分が長くなったので、以下は極く簡略に述べなくてはならない。外國電報は屡々純猶太フリイ・メイスン有力結社員バルークが大統領と会見することを報じているが、彼こそは米國の「無冠の帝王」と称せられる有力な猶太人であって、彼の動くところ軍拡ありまた戦争ありと称せられ、ルーズヴェルト大統領自身彼を「米國中の最も取るべき人間」と呼んだと伝えられている。

次は墺國生れの猶太人フランクフルター教授であって、「最有力の米國民」と称せられる彼は、バルークと同じく時として大統領以上の権力を有すると言われるが、それは彼がその背後に無数の共産主義系団体及び本質的に赤化していると称せられる米國の大学の勢力を持っているからである。高等法院有力判事ブランダイス及びウィルソン大統領以来の名物男ハウス大佐も猶太人でありフリイ・メイスン結社員であるが、ニューヨーク州知事レーマン及びニューヨーク市長ラガーディアもまたそうであることは誠の脅威に値するであろう。特にラガーディア市長のヒットラー総統侮辱は有名であるが、これは彼が猶太人である許りでなく、ゲー・ペー・ウー長官ヤゴタと共に殺人鬼として世界にその名を轟かしたハンガリヤ赤色革命の張本人ベラ・クーンの親戚であることを考えるならば、それは容易に理解できるであろう。また日本人としては、物理学者として著名なアインシュタインが猶太人でありブナイ・ブリス結社員であって、独逸在住時以来隠れもなき共産主義シムパ(同調者)であることをも知っておくべきであるし、近頃日独いじめで名を売っているビットマン外交委員長は勿論のこと、その反対派である如くに見えるボラー議員、その他ブルム議員等がすべて猶太人であることも忘れてはならない。

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猶太と世界戰爭(新仮名)20

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第二章 猶太と世界戦争
五、日本と猶太(昭和13年11月23日)続き

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我々の本来の目標は日本と猶太との関係を見ることであるが、既にこの点に関しては、主として日支事変を媒介とする場合ではあるが、以上に於ても多少は論及して来たのである。

しかしこの関係を真に理解するためには、今や日本を十重二十重(とえはたえ)に取巻いて、世界支配の完成のための最後の努力をしている猶太戦線の三つの幹線である國際資本主義、國際共産主義、國際フリイ・メイスン秘密結社に関して、それらが同一の根拠に立ち、同一戦線に属することについて、前の記述を補っておかなくてはならない。前述の通りに、日本知識階級の間には、自覚的又は無自覚的に猶太戦線に躍る者が今なお相当に見受けられるからである。

第一の國際資本主義に関しては、それが猶太資本閥に外ならないことは、日本でも現在では常識であると見做してよいであろう。世界の金の約八割をその手に収めて、米國の某々所にそれを死蔵*しており、そのために金が経済界を支配する現在の唯物的経済機構に於ては、猶太資本閥の意志のままに世界の景気不景気さえ決定されるのが実状であると称せられるが、この点に関しても今は語ることを差控えて、國際共産党とフリイ・メイスン結社との猶太戦線性に関してのみ述べて見たいと思う。

*死蔵:世の中の役に立てず、ただ無駄に仕舞いこんでいること

國際共産主義もまた猶太のものであると言われるとき、資本主義の本山とも言うべき猶太が自己の地盤を覆えそうとする共産主義を援助しまた信奉することはあり得ない、という疑惑乃至反対論が発せられるのが常であるが、これは実にお目出度い議論であって、猶太の宗教と人間観とその歴史とを多少とも知る者には、両者が表面的に対蹠的(たいせきてき:正反対)であるからこそ却ってその猶太戦線性が証明されるのである。とにかく、猶太人をも自己と同一の心理状態の民族であるとする所から来るこの類推作用に基づく反対説乃至疑惑は、猶太がそれを利用して既にその世界支配を将に完成しようとする点まで漕ぎつけて来ている所のものであって、この一点からも猶太の「頭のよさ」と「心の冷たさ」とに対して、非猶太人の「頭の悪さ」と「心の暖かさ」とが対蹠的であることが窺われるのである。猶太としては、共産主義が共産的であるから協力するのではなくて、その國際性が猶太國際民族の世界支配策に有効であるが故に援助するのであって、これは手段を択ばぬ猶太としては当然のやり方なのである。従って共産主義は、単に貧乏猶太人によって支持される許りでなく、猶太財閥そのものによっても支持されるのである。否それは猶太資本主義によって特別に援助し助長されるのであって、これは猶太の世界支配政策が主として資本主義猶太人の計画であることから見ても当然であろう。即ち、資本主義猶太人は、共産主義によって非猶太人の資本を潰滅させ、非猶太人の宗教を廃棄し、非猶太人の政治的権力を顛覆(てんぷく)させ、非猶太人の國家と家庭とを滅亡させようというのである。そしてこれがかの「トーラ」又は「タルムード」以来の猶太の政策であることは、前節の記述で充分に明らかであろう。それ故に共産主義は、猶太に取ってはエホバの命を果す方法の一つなのであって、この点に於て國際資本主義と少しも衝突する所はないのである。

然らば猶太資本主義は如何にして実際に共産主義を援助するかというのに、それはボルシェヴィズム革命が主として米國財閥クーン・アンド・ローブ(Kuhn Loeb & Co.)の援助によって遂行された例の示す通りに、資金関係に於てである。世界的組織を持つ共産党が資金なしに國際的活動をなし得るとは何人も考えないであろうが、この一点から考えても、國際資本主義と國際共産主義とが同一猶太戦線であることは理解される筈である。それ故に、たとえ猶太の幾千年の歴史を知らない人も、世界の通信言論機関を支配している猶太のその日その日の宣伝のみに躍らないだけの批判力のある人は、両者が表面上相矛盾するが故に無関係であるという如き疑問を提出すること、恥かしさを感ずるであろう。

実に猶太は、経済学者リカルドー[1]以来、マルクス、ラーテナウ[2]等を経て、現在フランスの赤色社会党首領のブルムに至るまで、上述の二重政策を意識的に実行して来ているのであって、リカルドーは銀行家であり、マルクスは敬虔なる猶太教徒(表面は改宗していたが、これは敬虔な猶太教徒がその世界政策のために意識的にする偽装の代表的な場合である)であり、ラーテナウもブルムも、日本の百万長者とは単位の異った億万長者であるのである。

[1]デヴィッド・リカードは、自由貿易を擁護する理論を唱えたイギリスの経済学者。各国が比較優位に立つ産品を重点的に輸出することで経済厚生は高まる、とする「比較生産費説」を主張した。スミス、マルクスケインズと並ぶ経済学の黎明期の重要人物とされるが、その中でもリカードは特に「近代経済学創始者」として評価されている。

[2]ヴァルター・ラーテナウは、ドイツのユダヤ系実業家、政治家、作家。多国籍企業電機メーカーAEG会長。キリスト教へ改宗しなかった。ヴァイマル共和国初期に外相を務め、ソビエト連邦とラパッロ条約を締結したが、極右テロ組織コンスルのメンバーに暗殺された。

 

そしてこの事情は、最近フランスで発見されたマルクス宛の手紙によっても判明する。即ち、彼の友人バルフ・レーヴィ**は彼に次の如く書いている。

「全体として見れば、猶太民族自体が救世主であるかも知れない。世界に対する猶太民族の支配は、爾余(それ以外)の人種の統合に依り、又小國分立主義の防壁なる國境や専制王國の払拭に依り、そして到る処に於て猶太人に市民権を許容するであろう所の世界共和國の設立に依って実現されるでしょう。人類のこの新しい組織の下では、イスラエルの子等は今後世界に拡がるでしょう… 彼らは到る所で、何等の抵抗も受けることなく、指導的要素となるでしょうが、特にこの事は労働者階級の支配権を自己の手中に確保することによって安全に成就されるのです。この世界共和國に属するあらゆる國家の政府は、プロレタリヤの勝利という仮面を被った猶太人の手に例外なく帰するでしょう。あらゆる私有財産が猶太民族の指導者達の所有となるのは勿論のこと、あらゆる公有財産もまた猶太人の管理下に入るでしょう。かくて、メシアの時代が来るや否や猶太人は世界のあらゆる國民の富をわがものとするであろう、というタルムード中の神の約束は実現されるでしょう。」

**詳細不明:1819年ドイツ各都市で起こったヘップ・ヘップ反猶太暴動をきっかけに設立された「ユダヤ人文化科学協会(Verein für Cultur und Wissenschaft der Juden)」に属したと言われる人物。

この言葉によって、マルクス主義そのものの本質は既に明瞭であろうが、なお念のために我々はラーテナウにも耳を傾けることにしよう。

「相識(互いに知り合い)の三百人が大陸の経済的運命を導いて居り、後継者を自己の周囲より選ぶ。この不可思議な現象は、将来の社会の発展を暗示するものであるが、ここにはそれを記することは控えたいと思う。」

これは彼をして「赤の預言者」の名を得しめた著名の語であるが、それが既に一九〇九年に書かれたものであることは、驚異に値するであろう。そしてこの三百人が猶太資本家乃至猶太的フリイ・メイスン結社員であり、「将来の社会の発展」とは世界大戦をも含む西欧に於ける猶太支配完成の時期を指示していることは、ラーテナウの他の活動及び言説から判明するのである。

「我々猶太人がこの世界に生れ出たのは何のためであるかを、君は知っていますか。あらゆる人類をシナイ山の前へ呼び寄せるためです。君は行くことを欲しないですか。もし私が呼ぶので駄目なら、マルクスが君を呼ぶでしょう。もしマルクスでも駄目なら、スピノザが君を呼ぶでしょう。スピノザでも駄目なら、キリストが君を呼ぶでしょう… 。しかし我々猶太人はまだその使命を満たしていないのですから、この点で君が我々を非難なさるのは尤もなことです。」

ラーテナウに取っては、彼自身もマルクススピノザもキリストも、何れも猶太の世界支配の一指導者であるというのである。資本主義もマルクス主義も「知性」哲学もキリスト教も、何れも猶太の世界支配の手段であるというのである。嘗て我々によって紹介された今春(昭和十三年)のカナダ共産党の宣伝ビラが、「共産主義の資金網を形成する猶太人の財産を保護せよ」と書いているのも、同じ事情を物語るであろう。

なお我々は一九一九年のヴェルサイユ会議の頃に於ける猶太自身の別の言葉を今一つ引用しておこう。それはその年の一月十六日の「猶太世界」誌の文である。

「國際猶太人が今度の戦争を欧州に強制したのは、多額の金を入手するため許りではなくて、これによって猶太のための新しい世界戦争を始めんがためである。」

この引用は一言論機関の語に過ぎないのであるから、それに過大の預言的意義を付することは適切ではないかも知れないが、然し猶太がその純粋の猶太機関に於て内輪に発表するプログラム的言説は、極めてしばしば猶太の世界政策を暗示していることがあるので、それを全然無視することもまた適切ではないのである。例えばかの「シオンの議定書」の如きも、猶太がその偽作であることをあらゆる虚偽の捏造によって否定する許りか、例えば近年スイスベルン市の法廷を煩わしてまでもその横車を押そうとしたにも拘らず、世界の動きと猶太の向背とがその偽作ではないことを証しているのみか、ベルンの法廷に於てさえ、猶太側の裁判官によって猶太側の証人のみの言を用いて判決されなかった第二審に於ては、議定書を猶太政策プログラムとする非猶太人側の勝利に帰したのである。この意味に於ては、この一ユダヤ雑誌の言も注目に値するのであって、世界大戦後の世界の動きは、「猶太のための第二の世界戦争」の準備のために総てが計画的に進められて来たのであり、今もまたそうである。

そしてその第二次世界戦争とは、世界革命を目的として、英米仏ソ等の猶太支配諸國の連合軍をして日独伊全体主義國家と戦わしめることをその現在のプログラムとしているのである。それ故に彼のスペイン問題に於てイタリアが立ち、チェコ問題で独逸が立ち、何れも猶太の計画とは齟齬(そご)して独伊の勝利に帰したのは、猶太としては取返しのつかない誤算であったのである。

しかし猶太の誤算は、東の支那事変に於ても見られるのであって、我々が幾度か説いて来たように、國民政府なるものは、その真の姿に於ては、支那國民そのものとは何等の関係のないものであって、それは東洋に於ける猶太の世界政策の協力者であり、番犬であるが、この蒋政権の究極の目標は、少なくともかの抗日政策の確立した日以来は、日本をも巻き込んでの第二次世界大戦の誘起にあるのであって、これは少なくも蒋介石自身の昭和六年の元旦の宣言以来は確立していたのである。然し現在の事変の経過が示しているように、これは全く猶太及び蒋政権の誤算となりつつあるのである。

かく西に於てはスペインとチェコに於て失敗したのであるから、東に於てもまた日支事変に失敗するとすれば、将に完成せんとしていた猶太の世界支配は根本的に蹉跌(さてつ:事が見込みと食い違って、うまく進まない(失敗の)状態になること)することになるので、ここに蒋政権の長期抗戦と焦土戦術が必然的に生れて来るのである。ここに蒋政権が案外強靭な理由もあるのであって、世界の猶太がその背後にあって支持しているのである。

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然し蒋政権のねばり強さの謎は、國際的フリイ・メイスン秘密結社と蒋閨閥又は蒋政府との関係を知るに至って一層よく判明する。この秘密結社については、その起源・成立史・本質等に関して種々の説があるので、ここではそれ等の点に論及することを差控えたいと思うが、少なくとも猶太解放革命としてのフランス革命以来それが猶太世界政策の一機関と化していることは、猶太人自身もしばしば主張している所である。念のためにここにその二三を紹介しておこう。

「フリイ・メイスン結社は猶太の設立物であって、その歴史・階級・職務・暗号・解釈は徹頭徹尾猶太的である。」

これは一八六六年に於けるアメリカの有力な猶太人アイザーク・エム・ワイズの言であるが、後述する純猶太秘密結社ブナイ・ブリスの会員ゲー・カルペレスは一九〇二年にこの結社の記念論文集に次のように書いている。

「フリイ・メイスン結社の設立者は、猶太の最盛期を到来せしめたソロモンであると称せられるが、それに相応わしくも、フリイ・メイスン結社というイデー(考え)は内面的必然性をもって猶太人の世界から生れたのである。用語や名称は大部分はヘブライ語である。」

更に新しくは、一九二八年のフランスのフリイ・メイスン結社の一機関誌「象徴主義」に次のように記されている。

「フリイ・メイスン結社の第一の行為は、神的な智慧を不変のままに保持して来た猶太民族を賛美することである。」

次に新しい例を独逸に求めるならば、一九二五年のフリイ・メイスン結社の一機関誌「アウフ・デル・ヴァルテ」には、

「フリイ・メイスン結社員となるためには、狭隘なる独逸的祖國的立場を捨てて、選ばれたる人即ち独逸猶太人とならねばならない。」

と記されている。

これを換言すれば、ルーデンドルフ将軍以来著名の語となっている「人為的猶太人」とならねばならない、というのである。純猶太フリイ・メイスン結社として現在の世界に大きな勢力を持っているブナイ・ブリス結社の会員が猶太人であることは自明であるが、その他のフリイ・メイスン結社の会員もまた、上述の諸引用によって見ても、すべて「人為的猶太人」と称せられて差支えないのである。普通フリイ・メイスン結社は三十三階級に分れているが、その幹部級が現在では大部分猶太人であるか、猶太と何等かの点で利害を一にして結合している者であるのが実状なのであって、ミュンヘン・アカデミーのエッケルは既に一八八四年に、「シュルハン・アルフ」よりの抜萃「猶太鏡」の真偽が法廷で問題となった時、その鑑定家としての研究の結果を述べた書物の中で、「猶太当局者に服従することが、フリイ・メイスン結社の責務であり、現実である、」と言っている。

なおフリイ・メイスン秘密結社の真の目的は、その第三十三階級にまで上ったが遂にこの結社の偽瞞政策に良心の苦痛を感じて脱退した独逸のレーリヒの手記に依れば、祖國を捨て、伝来の宗教を捨て、國民共同体と民族とを否定して、所謂『自由・平等・博愛』に生きることであるというのであるが、これが國際民族としての猶太民族に最も好都合であることは、改めて説明する必要はないであろう。従ってこれが、猶太の世界政策としてのマルクス主義及びボルシェヴィズムに連結され、またその温床としての自由主義と相通ずるものであることはレーリヒ自身も明らかに認めている通りである。

さて蒋政権とフリイ・メイスン結社との関係を明らかにするためには、支那革命の祖である三民主義の主唱者孫逸仙孫文)その者が既にフリイ・メイスン結社員であったことから説かねばならない。この点に関しては既に我々によって論ぜられたことがあるので略述するが、孫の属したフリイ・メイスン結社は、最も兇悪で最も勢力があるとされている純猶太結社ブナイ・ブリスであったのである。この点から見る時、孫逸仙は単なる「人為的猶太人」ではなくて、古き昔の猶太國滅亡の際に支那へ漂泊して来た猶太人の血を享けている所謂「支那猶太人」であるかも知れないのである。また、蒋介石その他國民政府の要人も、殆ど例外なくフリイ・メイスン結社員であることが判明している。従って彼等の信奉する三民主義なるものも、巧みに偽装されたフリイ・メイスン主義であり、従ってそれはそれだけで既に猶太共産主義又はボルシェヴィズムと親近性を持ち、従って、國民政府が直接間接に猶太の支那搾取の代用機関であることが判明するのである。容共抗日策の総ては、殆ど例外なく猶太人顧問の手によって実行されたものであって、貨幣改革の如きも猶太資本家サッスーンと英國政府財政顧問という肩書を持つ猶太人リースロスとの合作に外ならない。國民政府を援助するために送られている猶太人は、ソ連より来たガロンその他であろうと、英米仏の大使の肩書で来ているジョンソン、ヒューゲッセン、ナジャール等であろうと、また國民政府顧問として西安事件に蒋の救出に活躍して名を挙げたドナルドであろうと、何れも猶太人ならぬ者はないのであり、またその多くは同時にまたフリイ・メイスン結社員であるのである。

殊に彼等の大部分が純猶太フリイ・メイスン結社であるブナイ・ブリス結社の会員であることは注目に値するであろう。かの著名の「シオンの議定書」は、今ではブナイ・ブリス結社の世界政策のプログラムであると信ぜられているが、容共抗日支那に行われていることは、その地上的事件であろうと、地底的事件であろうと、すべて猶太的フリイ・メイスン的ならぬものはないと言っても過言ではない。

最後にフリイ・メイスン結社に関する認識が日本朝野に欠けている理由についても一言しておこう。日本朝野のこの結社に対する態度は、一般猶太人問題に対するのと全く同一であって、猶太戦線性の多い者ほどにこの結社について知ることを拒否するのである。それが表看板に慈善的相互扶助団体としているのを盲目的に迷信するのはまだよい方であって、かかる秘密結社の存在を疑う者さえあるに至っては正気の沙汰ではないのである。これは日本人の公明さのためでもあるが、しかし所謂知識階級にこの種の無批判者流の多いことは、日支事変とその後の世界と日本との情勢に思いを致す者に取っては、由々しき大事である。勿論、フリイ・メイスン結社そのものは日本にはない。あってもそれは外國人のみが出入するに過ぎない。日本政府とフリイ・メイスン結社との間の紳士協定によって、日本人は國内に於ては入会し得ず、またその会合に出席し得ないことになっているからである。しかしフリイ・メイスン結社の祖國である英國は、皇室を始め有力者の殆どすべてが結社員であるので、英國に駐在する帝國使臣は、儀礼的又は便宜的にそれに加入することがあり、日英同盟の立役者であった林子爵の如きは、相当の高級結社員にまで昇級していたことは外國のフリイ・メイスン結社に関する書物にはしばしば記されている。我々は、この外交上の習慣乃至伝統が現在どうなっているかは知らないが、フリイ・メイスン結社に於ては、脱会後さえも結社の秘密を守ることを生命をかけて誓約するのであるから、この点に関してはかなりの注意を要するであろう。

殊にこの紳士条約の裏面を潜るためとも見えるロータリー・クラブ、國際ペンクラブ等が、表面的にはフリイ・メイスン的な美名の下に、次第にわが國の上層有産階級を侵蝕しつつあることは、決して忽諸(こっしょ:疎か)に付すべき現象ではないであろう。創立者も宣伝者も猶太人であるこれ等の結社は、現在ではなおその害毒を表面に出してはいないとしても、心ある日本人はその美名に釣られて、猶太の世界政策の手先と成り終(はて)ることのないように反省すべきであろう。

それ故に我々は、以下日本と関係ある猶太人を述べるに際しても、彼等がフリイ・メイスン結社員であるか否かに関しても出来る限り注意して行くことにしよう。

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猶太と世界戰爭(新仮名)19

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第二章 猶太と世界戦争(続き)

五、日本と猶太(昭和13年11月23日)

日支事変が単なる日支事変でないことは世人の常識であって、蒋政権の背後が英米であり、ソ連であり、フランスであるとする考え方は、ほぼ世界の常識となっている。そしてこの事は一応は真実であって、我々もまた決してそれに反対するものではないが、しかし蒋政権の真の背景がこれらの諸國そのものではなくて、これらの諸國に支配的勢力を持っている國際的秘密力であることに思い及ばない時に、日支事変そのものの真相が充分に明らかになり得ないことを我々は主張したいのである。蒋政権を援助しているのは、表面的には英米であり、ソ連であり、フランスであるが、事実に於てそれはこれらの國に國籍を有している猶太民族に外ならないのである。

この猶太は、日支事変に於ては、英・米系財閥として現われ、ソ連共産党として登場し、フランス系フリイ・メイスン秘密結社として姿を見せているのである。そして特に注目すべきことは、これら三種の猶太政策の機関が、日支事変に関する場合にはそれぞれ國別に属しているように見えるにも拘らず、何れも國際的性質のものであることであって、英・米系猶太財閥と言えば既にその中に仏ソ等のそれを含み、フランス系フリイ・メイスン結社と言えば既にその中に英米ソ等のものを含み、ソ連系猶太共産主義と言えば既にその中に仏英米のそれを含んでいるのである。かくて日支事変とは、結局上述の如き内容を有する日猶事変に外ならないのである。

然し或人は、我々のこの説明に疑問を抱き、地底組織としてのフリイ・メイスン結社のことは問題外とするも、國際財団と國際共産主義とが同一秘密力の下に統一されているということは不可能であろうと主張するかも知れない。勿論、これらの三つの國際力は、必ずしもあらゆる時代に、あらゆる場所に於て、あらゆる問題に関して一致して来たものでないことは言う迄もないが、しかし団結心の強い猶太民族は、その世界支配を完成するためには手段の如何を選ばないのが常であって、共同の外敵のない限り内部に於ても文字通りに血で血を洗う闘争をも厭わないが、一度外敵が現れる時には、自己の陣営内のあらゆる相違を捨てて一致するのである。そしてこれは猶太の歴史を多少とも知る者には自明の事であるが、なおこの点に関しては節を改めて記述することにして、ここでは猶太的世界政策機関の國際性の謎を解くものとしてこの民族そのものの國際性に関して、その歴史的根源と模範的実例とを挙げることにしたいと思う。

さて猶太民族の國際性を知るためには、この民族が文字通りの國際的民族であることを知り、更にその原因と目的とが何処にあるかを知らねばならない。そしてこの点の謎を解くものは猶太教聖典としての「トーラ」及び「タルムード」であるが、これに関しては他の場所で論ぜられたことがあるので、ここでは極めて簡単に述べることで満足したいと思う。

「汝寄寓人(きぐう:仮住まい、つまりよそ者)としてこの地にとどまれ。我汝と共にありて汝を恵まん。我これらの國をことごとく汝及び汝の子孫に与えるべし。」

猶太民族の信仰によれば、「寄寓人」として逗留する國はやがてエホバの神の協力によってみずからの所有となる、というのである。この信仰は、幾千年かの猶太の歴史が証する通りに十九世紀までは文字通りに「寄寓人」として実現されてきたのであるが、実質上の猶太解放革命であったフランス革命以来は、表面的には「寄寓人」たることをやめて、寄寓する國の國籍を獲得しその國人となりすましつつ、実行されているのである。また彼等は、

「汝は汝の神エホバの汝に付したまわんところの民をことごとく滅し盡すべし。彼等を憫(あわれ)み見るべからず、また彼等の神に事(つか)えるべからず。」

というエホバの言を信じているので、その國籍を有する國に決して同化することはしないのである。

かくて猶太は、國籍上は英國人であり、ソ連人であり、米國人であり、フランス人であり、支那人であり、日本人であっても、実質的には飽く迄(あくまで)も猶太人としての自覚を有しながら、その世界政策を実行するのである。

以上が猶太民族の國際性の由(よ)って来たる根拠であるが、その目的が何であるかという点に関しては、改めて「トーラ」又は「タルムード」に典拠を求める迄もなく、それが、これらの國を盡(ことごと)く自己の所有とし、その際にその民をことごとく滅し盡(つく)すところにあるのである。

然しこの過激な世界征服の手段は、非猶太人の道徳観によっては到底想像だも能(あた)はない(できない)ことであるが、猶太人に取って手段が問題とならないことは、國際資本主義にせよ、國際共産主義にもせよ、國際フリイ・メイスン結社にもせよ、常に陰謀と裏切りとテロとをその実行手段としてきたことによって証明されるであろう。そして猶太人にこれが可能であるのは、特に「タルムード」に明確に表明されているその人間観のためであって、「神より生れたのはひとり猶太人のみであって、他の民族は悪魔の子である」とか、「猶太人のみが人間と呼ばれるのであって、非猶太人は人間と呼ばれず、動物と呼ばれる」とかいうのがその根本観念である。従ってこの民族に取っては、非猶太人を殺戮することはエホバに忠実なる事であり、あらゆる非猶太人に対しては、人間としての猶太人に対する場合の如き対人責務は何等存在しないというのである。勿論、猶太人の非猶太人に対して道徳的であることはあるが、然しそれは、タルムードに依れば、「非猶太人の感情を害したり、その敵意を惹起しないため」であり、また「それによって損害を蒙らないため」であって、決して良心からではないのである。

以上によって猶太民族の國際性とその根拠は大体に於て明らかになったであろう。それ故に我々は猶太人のかかる國際性が如何なる形態を持ってその生活に示現し得るかを、現代の最も著しい例によって述べて見ることにしよう。

猶太人トレービチュは一八七九年にハンガリーの一小邑(ゆう:村)で信仰の篤い金持の子として生れたが、親譲りで信仰心が厚く、猶太聖典「タルムード」の熱心な研究家であった。猶太人らしい「頭のよさ」と「俳優性」を持っていて、十六歳の時には俳優になることを志望したが、父に許されず、商業上の用件で欧州各地へ送られた。然しなおその志望を捨てず、遂にブダペストで俳優になった。そして猶太人らしく、文筆業にも手を出せば、政治にも関心を持つに至ったが、猶太教がキリスト教徒間に好遇(こうぐう)されないのを知って、独逸のハンブルクに於て新教に改宗し、やがて新教の牧師としてカナダへ布教に出かけた。其処ではその「タルムード」によって錬磨された論理によって牧師として成功したが、月給の問題でその教会を去り、敵方である英國教会へ転じた。この時彼は年漸く二十三歳であった。

その後彼は英國へ渡り、親猶反日独伊のカンタベリー僧正に取入って牧師生活を続けていたが、そのうちに父の遺産を手に入れると、地味な牧師生活を捨て、猶太人得意の改名をしてティモシー・リンカーンと称し、一九一〇年には三十一歳で英國の辯護士となりすましたのであった。しかし彼の猶太的放浪性がこの生活にも満足を見出さしめなかったのか、彼は大陸に帰って、ガリシヤ(スペイン)で採油業に手をつけ、百万長者となった。

やがて世界大戦が勃発するや、彼は英國紳士の資格で再び英國に渡り、独逸語又はハンガリー語の書簡の検閲係となったが、独逸側の間諜と見做されるに至ったので、米國へ逃走した。米國では英國の請求によって投獄されたが、在獄中のままで独逸の暗号電報の解読を引受け、囚人らしからぬ酒と女との生活をしていた。十六年にはいよいよ英國へ引渡されたが、二年の刑の宣告を受けたにも拘らず、病気という理由の下に病院へ移され、刑期を終了すると、直ちに独逸へ移った。この國では旧王党と結び、やがてカップの右翼革命に加わって成功せず、ミュンヘンに逃れてソビエト紙幣の大偽造計画を立てたが失敗したので、フランスの一通信社と関係をつけたり、チェコに渡って偽造文書で政府を欺いて一儲けしたりした。

然し彼の猶太的放浪性は、欧米二大陸を股にかけることでは満足せず、やがて支那へ移ってその将軍の顧問となり、欧州に於て支那のために借款を成立せしめようと、支那大使の資格で二三の支那人を引具(ひきぐ:引き連れ)して先ずイタリアへ乗込んだが、ウィーン市の家具商と称する男に生涯始めての経験として一杯喰わされ、また旅券偽造の科(とが)で捕縛されるに至った。然しやがてまた彼は支那へ帰り、三度目又は四度目の改宗をして仏教徒となり、西蔵チベット)に草庵を設けて照空和尚の名の下に墨染の衣を纏(まと)うに至ったが、なお政治活動をも忘れることはなく、ガロンの名の下に活動していた猶太人と共に支那の赤化工作にも関与したが、最近はまた事変下に種々の策動をしているらしく報じられている。

我々は必要以上にトレービチュ・リンカーン・照空の伝記を述べたようであるが、しかしこれではなお大綱を記しただけであって、彼の半生はまだまだ波瀾に富んでいるのである。勿論彼の生涯に見られるような無責任な國際性は全猶太人にあてはまるものではないであろうが、しかしなおこれが深い象徴的意義を持っていることは疑い得ないであろう。変名乃至偽装転向は実にあらゆる猶太人に常に認められる特質であって、例えば前ソ連外交の元締リトヴィノフの如きは、五つも六つもの名前を持っているのである。

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前節の記述から考える時、國際資本主義、國際共産主義、國際フリイ・メイスン秘密結社等の國際機関が、何故にすべて猶太の支配下に入るかが容易に明らかとなるであろう。即ち、他のあらゆる民族は「血」の外に「土」に結び付いているので、「土」を離れた國際性を取り入れることは殆ど不可能であるので、國際機関の運用に当っては、到底猶太と競争する力はないのである。それ故に、國際機関の中には、本来は善良なる意図の下に非猶太人によって設立されたものもないではないが、然しそれらは、暫時のうちに猶太の侵入を受けて、その世界政策の機関に利用されてしまうのである。否、それ位ではなくて、現在に於ては、殆どあらゆる國際的機関は猶太そのものの発起になっているのであって、そうでない場合には、たとえ、他民族に属する者が正しい國際協調の精神から創設することがあっても、到底國際的に普及する見込はないのである。また仮にかかる期間で國際的に普及しているものがありとすれば、それは猶太によってその利用価値が認められて、その援助を受けている場合に限るのである。事実如何に現代の國際的機関が、或いは猶太そのものの設立になり、或いは猶太の世界政策の機関となっているかは、我々の既に論及した重大なる三組織の外に、國際連盟を始めとして、ロータリー・クラブ、國際ペンクラブ、エスペラント運動、キリスト教関係の諸國際組織、殆どあらゆる國際平和団体青年団体、婦人団体等が然りであることから理解できるであろう。かの著名のドレフュス事件を契機として生れたフランスに本部を持つ人権擁護同盟の如きも、実質は「ユダヤ人権擁護同盟」に過ぎないことは、その内容を多少とも知る者には、フランスに於てさえも常識である。

日支事変以来、「國際平和運動連盟」なるものが、不公正なる宣伝乃至決議を事としている理由も、その猶太性を知るとき極めて明らかになるのである。我々が他の場所でも説いたように、國際連盟その他の平和主義団体は、真の平和団体ではないのであって、平和の名の下に戦争を誘致し、その責を猶太政策の妨げになる國に負わせようとするものにすぎない。然るに日本の朝野には、今なおその明治イデオロギー的西欧崇拝のために、かかる國際機関に対する迷信を捨て得ない人々が多数存在している。自由主義者乃至民政主義者の大部分より赤化主義者の殆ど全部に至るまでがそうであって、所謂、インテリ階級と称せられる者の相当数もその中に入るのである。然し今や日支事件を機会として日猶の間の全面的抗争が展開されつつあるのであるから、真に祖國を思う者は、徒(いたず)らに猶太の宣伝に躍(おど)って、その世界政策に協力する事をもって進歩的等と迷信することを止めるべきであろう。殊に当代に流行する偽装転向派の跋扈に深憂を抱かざるを得ない者には、第一次世界大戦期の独墺その他連合國に於ける内部破壊を目標とする猶太勢力の運動が他所事(よそごと)ならず思われて来るのである。勿論我々は國内猶太戦線が如何に猖獗(しょうけつ:悪い事がはびこること)を極めようとも、それによって皇國の運命に狂いが生ずるとは考えないが、しかしなお、陛下の赤子をして徒らなる猶太の犠牲たらしむることは、忠良なる一臣民として到底忍び得ないのである。世界大戦に於て結局独逸が戦敗國となったのは、内部に巣喰った猶太とその手先の策動のためであり、その結果戦後の独逸は全くの猶太國と化したのであるが、一方戦勝連合國側も決して真の戦勝を得たのではないのであって、世界大戦の真の勝利者が猶太であったことは、多少この方面の事情を事実に即して見る人には自明の事実である。とにかく、今や猶太問題は我々焦眉(しょうび:喫緊)の問題であって、決して独逸やフランスからの輸入品ではないのである。今度の聖戦の意義がこの問題を正当に理解しない限り充分に明らかとなり得ないことは我々の幾度か説いた通りであるし、事変の結果もまたこの問題を正当に処置しない限り充分の成果を収めることは不可能であろう。

以上の如く説く時、それはすべてを猶太問題とすることであるが、世界の現象は猶太問題のみからは説き得ないのである、との説をなす人があるかも知れない。この説の一応正しい事は我々も認めるに吝(やぶさ)かではないが、然しこの主張はあらゆる人間の言説が前提を持ち又必ず一面性を持つことを忘れた人によってなされる事が多いので、多くの場合にそれは故意に猶太問題を否定しようとする意志の偽装であるに過ぎない。精神史的に言えば、かかる抗議的主張の多くは所謂民政主義的自由主義者又は赤化主義者によってなされるのである。また或る一種の人は、その日本人的善良さから抗議を提出することもあるが、自己の正しさのために相手もまた正しいと見ることは、世界のあらゆる民族に対しては正しいかも知れないが、猶太人の場合のみにはそれは当てはまらないのである。猶太の歴史を説き、猶太の本質を説くことは、正義日本人なればこそそれを行うべきであって、日本人以外には正しい猶太問題の解決は不可能であるとさえ考えられるのである。勿論我々は、猶太人が非猶太人を動物であると称するのに倣って猶太人を動物であると考える者ではないが、しかし我々は猶太人によって抹殺されたる全世界の非猶太人の人権を回復し、猶太人によって汚されたる人間の実相をその本来の姿に回復しなくてはならないのである。とにかく、現代世界の万悪の根源である猶太が、その幾千年の詐欺と裏切りとテロとの歴史を拭(ぬぐ)い得るためには、その「トーラ」と「タルムード」を焼き、その教会堂を破毀(はき)しても、なお数千年の時日を要するであろう。

それ故に我々としては、猶太の手先となって容共抗日の暴挙を犯した蒋閨閥とその軍隊とを討つ以上は、その正規の剣をもって同時に猶太を討たねばならないのである。勿論、その剣は日本の剣であって、単なる殺人剣ではないのであるから、幾千年の間人類が猶太によって欺かれ、裏切られ、殺戮されたとは言うものの、必ずしもその復讐として剣を取るのではなくて、我々の活人剣は、むしろ積極的に猶太をして人間の実相を回復せしめ、然して正しき平和をこの世界に持ち来さしめるものでなくてはならない。

ここに我々は、現代日本の防猶又は反猶の歴史的意義に関して一言しておこう。所謂排猶運動は、これを歴史的に見る時、大体四つの段階を辿って来たようである。その第一は欧州・エジプト・波斯(ペルシャ)等の古代のそれであって、この時代には猶太人は猶太國民としてその劣悪さのために排撃せられていたのであるが、次のキリスト教時代には、旧教によっても新教によっても、猶太は猶太教として排撃され、特にキリストを殺戮せる者として指弾されたのであった。次に猶太は、近世に於ては別個の思想と道徳の所有者として、その詐欺性と陰謀性とのために排斥されたのであったが、最新の排猶運動は、独逸に始まり、イタリアに伝わり、今や欧米諸國に次第に伝播しつつある民族としての猶太の排撃である。勿論、この四つの段階ながらに、相互に共通の点を持っているのであるが、その根源的な特質よりして命名すれば、大体上述の通りとなるのである。そして以上は主として欧州の現象であるが、これは猶太の在来の活動の舞台が欧州であった事からして当然であろう。

然し今や猶太の國際性が猶太の活動の舞台を全世界とすると共に、神國日本の活動がまた世界的となって来て、ここに例えば日支事変の如き日猶の全面的衝突となり、所謂排猶の第五の段階に入ったのである。そしてこの日本の排猶が単なる排猶でなく、防猶であると同時に正しき平和の確立をその使命とすることは前述の通りであるが、この意味に於ては、日本の手に依る猶太問題の解決こそ、内容的には上述の四段階をその中に含有すると共に、在来よりも崇高なる八紘為宇の世界的原理に立っているので、世界史的に見て最後的のものとならねばならないものなのである。勿論それには前述の如く今後なお幾百千年の時日を要するかもしれないのであるが、然し神國日本を除いては、真に猶太を討ち、人類を救い得るものはないのである。

それ故に、少数民族の虐待などという猶太の得意の宣伝に躍らされることなく、また猶太的「文化」、「科学」、「ヒューマニズム」等の宣伝的モットーに眩惑させられることなしに、討つべきものは徹底的にこれを討つべきであろう。流行の反英気分に浮かされて、その英國の中枢を支配するものが現在に於ては猶太であることを忘れ、英そのものを憎むために親猶を宣言するに至っては、支那問題に限り英を裏切って日本と協力しても可いことを申出ている猶太の手先であると疑われても辯明の余地はないであろう。殊にこの種の議論が愛國主義の仮面の下に於て行われる時最もその害毒は大きいのであって、偽装転向流行時代の一産物としては珍らしからぬ現象であるとは言うものの、心ある人は充分に今後の成行に注目すべきである。自己の利益のために英國を裏切ることを約束する猶太は、同じく自己の利益のために将来また日本を裏切るであろうことは自然の理であるからである。我々は眼前の利益に目が眩んで、皇國本来の使命を忘れてはならない。

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猶太と世界戰爭(新仮名)18

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第二章 猶太と世界戦争(続き)

四、世界大戦へと駆り立てるもの(昭和16年2月8日)

日支事変の当初以来少数の憂國の士が声を嗄(か)らして、日支事変とは本質的に見て日猶事変であることを強調し、以て朝野の正当な認識を要求して来たにも拘らず、永年の猶太の宣伝と猶太的強要に災(わざわい)せられた朝野の自由主義者達は殆どその警告に耳を貸そうとしない許りか、却ってそれをナチス独逸の模倣であるかの如くにさえ見做して、自己の猶太性を反省することを肯(がえ)んじない(聞き入れない)のである。これは我が國における猶太戦術の成功の証左であって、英米を除く欧州が既に次第に猶太支配を脱しつつあるにも拘らず、猶太独裁下にある英米の宣伝下にあるわが國の自由主義インテリ層は、今なお独伊が第一次世界大戦の前後にあったのと同じ状態に彷徨して(さまよって)いる。そして猶太問題の認識に関する日本朝野のこの落伍は、猶太に取っては尤も好都合の状況であって、第二次世界大戦の危機の原因も正にこの点にあると言っても、さまで(そこまで)言い過ぎではないのである。それ故に我々は先ずこの一小論の冒頭に当って、多くの場合に故意的であるかに見える日本朝野の猶太問題に関する認識不足の最近の一例を拾って考えて見ることにしよう。

それは、最近のわが國の読書界を賑(にぎ)わしているフランス系猶太人モーロアの「フランス敗れたり」の場合である。出版社も訳者も金儲けの仕事であろうから深く咎めないとしても、その著の推薦者が、その猶太的教養のために猶太の宣伝にのみ敏感なインテリ階級の者である許りでなく、最近その性格を諸方面より疑われている所謂新体制派の重要なるポストにある者等であるに至っては、日本的日本人は決して黙視していることは出来ないのである。幾千年来裏切・嘘・搾取・殺戮をエホバの神命として実行し来った猶太は、このモーロアの場合にもフランスの真の敗因を隠蔽して、浮薄(ふはく:浅はかで軽薄)にしてセンチメンタルな自由主義インテリ層の理解の適する如き事情のみを拾い上げ、その点のみを強調して自己の罪業を抹殺し去ろうとしている。それ故にその所説は、事実の点では嘘でない要素を含んでいるにもせよ、最も根幹的な事実を抹殺している点から言えば、全体としてはこれより大きな嘘はないのである。然らばこの場合に何が隠蔽され抹殺されているかと言うに、フランスの敗因の最大なるものが猶太の専横に対するフランス人の反感であり、猶太の指令下にあるフリイ・メイスン秘密結社の社会的独裁に依るフランス人心の委縮であったという事実である。その他混血に依る民族的資質の低下等の原因も加わっていたであろうが、何と言っても最大の敗因は上述の二つなのであって、猶太の専横の事実は、財界におけるロスチャイルド一家を始めとする猶太独裁のことは論外とするにしても、なお人民戦線政府首相ブルム、永年の植民相マンデル、前文相ジャン・ゼーの悪業のみを数えても充分明瞭であろう。ブルムの如きは、百万長者でありながらも社会党を率いることによって純フランス人を搾取することを企てて来た許りでなく、フランス人を性的に腐敗させるためにはわが國に於ても発禁となった「幸福論」をさえ書いたのであるし、マンデルは、その植民相時代にフランスの植民地を事実上の猶太植民地とし、日支事変下の我々として未だ記憶に新たな仏印経由の重慶援助を敢行した許りか、敗北フランスの最後のレイノー内閣にあっては内相の地位に据(すわ)って、愛國フランス人を無数に投獄又は虐殺することによってフランスが猶太独裁を逃れて独伊に呼応しようとするのを防ごうとしたのである。ジャン・ゼーは教育の猶太化に依ってフランスを永久に骨抜きにして猶太独裁の基礎を固めようとしたのであるが、そのフランス國旗を嘲罵(ちょうば:あざけりののしること)し呪詛した詩に依ってフランス愛國陣営の憤激を買っていたのである。なお敗因の第二の原因として数えられた秘密結社に関しては、その歴史乃至性格に関しては今は叙述する紙面を持たないが、それが猶太の世界政策の機関であることは現在では世界の常識であるから、ここにはそのフランスに於ける代表者の名を多少挙げることで満足しよう。即ち多少過去に遡るならば、ポアンカレ、ブリアン等の大統領又は首相があり、近来ではショータン、サロー、ダラジエ、レイノー等何れもそうでないものはないのである。大臣級に至っては、猶太人に非ずんば秘密結社員であったというのであるから、今更名を挙げる暇はない。かくて欧亜黒色混血の異民族猶太の独裁下にあったフランス人は、欧州民族である独逸軍を敵とは見ず、寧ろ解放者として迎えたい衝動に駆られたのであって、この心理的の動きを知る事なしには、如何に装備の点では劣弱であったとは言え、幾十万の軍隊がかくも容易に独逸の軍門に降るということは不可能でなくてはならぬ。殊にこの後ペタン政府が國内改革の第一として先ず猶太人を公的地位から退け、フリイ・メイスン秘密結社を断乎として解散し、昨年十一月以来その暴露的展覧会をパリに開いて喝采を博しているのみか、前述のブルム、マンデル、レイノー、ダラジエのみならず、精神分析猶太人フロイド、独逸系逃亡猶太人ステファン・ツヴァイク、エミル・ルードヴィヒ、十九世紀に遡ってはハイネに到る迄を発禁にしている事情も、上述のフランス人の心理を実証しているのである。そしてこれを独逸の強要であると言うのは、猶太崇拝が不治の病となった盲目者流のみの場合である。

勿論かく言っても、我々は敗戦の罪の全部を猶太と秘密結社とに帰する者ではないのであって、フランス朝野が久しく猶太のかかる専制を許し続けていた無気力さに大きな不満を感ずるのであるが、しかし幾千年に亘って裏切・嘘・搾取・殺戮を神命として来た猶太の巧妙なる侵略戦術を思う時、深き同情を感じないでは居られぬのである。殊にモーロアの著作の如きがわが國の朝野に無批判に読まれていることを顧みる時、敗北フランスの思想界が我々に取っても単に外國のそれであるとは感じられないのである。猶太人に取っては、その在籍國そのものが自己に利をもたらし、従ってまた自己の世界支配の完成に役立つ場合には、それを愛する如く装うのであるが、その見込の失なわれる場合には、昨日までの表面上の祖國をも今日は敵國として少しも良心に痛みを感じないのが常であって、敗戦を待つ迄もなく「祖國」フランスを捨てて米國に逃避した「フランス軍人」モーロアの行動も、決して例外ではないのである。これは最近に於て英國系上海猶太人の多くが、英本國の敗色を見て逸早く米國に國籍を移しつつあるのと揆(き)を同じくしている。それ故にもしわが國の朝野にして真に欧州新秩序を目指す独伊との同盟に忠実であろうと欲するのであるならば、モーロアの如き者の著作に対しては必ず十分の批判を以て臨まなくてはならない。然るに残念ながら日本に於ける猶太認識は、敗戦フランスに於けるインテリ層のそれと同一程度であり、前世界大戦に於ける敗戦独逸のインテリ層のそれとも同一傾向であって、事変下(開戦後)数年の今になってもなお日本の対支出兵の全部を××主義とする東亜連盟論乃至國境抹殺の悪平等主義の東亜共同体論の如き秘密結社的敗戦主義乃至猶太的超國家主義が横行する余地のある事さえ、丁度敗戦仏独の当時と同一の様相を示しているのである。

時局便乗の赤色乃至桃色主義者が偽装して皇道主義又は國體(国体)科学等の名の下に横行しているわが國の現状が、上述の猶太認識の劣弱さに大いに起因することは、赤色乃至桃色主義の総本山が猶太であることから推察されるであろうが、なおこの猶太認識の不足に由来する驚くべき他の錯覚の例が、これまた現在のわが國の重要識者層にある人に於て見られるに至っては、緊迫した現下の世界情勢の真只中に東亜乃至世界新秩序に邁進しつつあるわが國としては誠に心細い限りであると言われねばならない。即ち、最近の米國の対日侵略攻勢を衝いてアングロ・サクソン民族のみの野望であるとする如き主張がそれである。これは現在の米國の真の支配者が何者であるかに対する認識不足から来るのであって、討英の場合ならば或いは表面的にかく主張することも適切であろうが、本来欧州各國人の寄合世帯であり、また多くの黒人のみならず、五百万の猶太人をも含有する米國に対しては、たとえアングロ・サクソンが数に於て優勢であるとしても、かの野望をアングロ・サクソンのみに帰することは適切ではないであろう。殊に今では世界の常識である通りに、デモクラシー國の真の主人は猶太人であり、米國もまた例外でないことを知る場合には、かかる言説は由々しき不公正でもあるのである。そしてもし万一にもこの場合のかかる言説が単なる認識不足に基くものではなくて、米國に於ける猶太人の支配的地位を認識した上での故意的猶太迎合であるとすれば、これこそ石油と鐡とのために猶太に節操と信義とを売るものであって、皇國の民としてはこれに過ぎる恥辱はないのである。然もこの後の場合もまた猶太の本質に対する無智から来るのであって、この民族幾千年の罪業史が明示している通りに、猶太は相手が劣弱であることを見れば、それに依って必ず軽蔑と虐待とを増して来るのである。民族神エホバの数十五を形成する一九一四年(1914=15)に第一次世界大戦を惹起(じゃっき)せしめて味を占めた猶太が、同じ数を形成する一九四一年(1941=15)に何を目論んでいるかを洞察する精神力なしに外交をすることは、子供の火弄(いじ)り(火遊び)以上に危険である。防共協定が防猶協定であることを知らなかったが為にそれを空文化した過去の苦い経験を忘れて、日独伊同盟もまたその真の意味に於ては防猶同盟である事を知らぬならば、それもまた或いは空念仏に終るかも知れないのである。

然らば最近の日米間の危機の真因は何であるかというのに、これまた猶太の世界支配計画の一翼をなすところの猶太の東洋攻略策の結果であるに過ぎない。即ち猶太に取っては、自己の独裁下にある英米を足場として、未だ完全に自己の支配下に入っていない東洋を攻略し、既にその支配下に置いたと確信した欧州が独伊の台頭に依って自己の支配を脱しようとするかに見える状勢を有利に転回させるか、或いは少なくとも欧州を喪失する代償として東洋を自己の勢力下に置きたいのである。それ故にこの為には、フランスに於けると同じく猶太的フリイ・メイスン結社の勢力を用いて、米國人を戦場へ駆り立てようとし、或いはかの秘密結社員のみで形成されている重慶政府を援助して、猶太とこの結社との年来の予定である第二次世界戦争を勃発させ、以て猶太の世界支配を完成しようとしているのである。

かくて現在の米國が如何なる程度に猶太独裁の下にあるかを述べるべき順序となったが、紙面の都合で極めて簡単に記述しなくてはならないのは残念である。先ずウォール・ストリートが完全に猶太支配下にあり、軍事工業もまた然りであることは、英仏等と同様である許りか、新聞・ラジオ・映画等もまた然りであるが、特に我々の注目に値するのは、秘密結社の高級会員ルーズヴェルトを取巻く者が猶太女を細君とするハル外相を除いては大部分猶太人であることである。これは既にウィルソン大統領時代から然りであって、ジュー・ディールと称せられるニュー・ディールも発案実行共に猶太の手でなされたのである。ジョンソン将軍に依ってアメリカの最有力と称せられる高等法院判事フランクフルター、実力上の大統領と称せられるバルーク、ウォール街猶太人の多くと姻戚関係にあるモーゲンソー財務長官、女労働大臣として各種労働組合の指導者であるパーキンス等の名は、それだけで既に米國の猶太支配の実状を語るに足るのである。ルーズヴェルト大統領の親戚の者で、彼の政府に反抗する者は必ず不慮の死を招くこと多くの実例を以て証明している者さえあるのである。ニューヨーク州知事もニューヨーク市長も猶太人であることは言うまでもないし、また世界的に強力な権限を有する猶太法師ワイズも米國に居住している。

以上の米國の実状を知る時、かの猶太の世界戦争への計画がどうして実現の可能性がないと言い得ようか。

ここに於て我々は急ぎ筆を転じて、今回の欧州戦争の裏面の意義を明らかにし、それもまた日支事件が日猶事件であるのに照応して、単なる独英・伊英戦争ではなく、結局は独猶、伊猶戦争であることを述べて見たいと思う。

勿論かく言っても、今回の欧州戦争の意味が独伊対猶太の戦争であることで全部盡されるというのではないが、しかし英國の真の主人が、國際猶太人であり、またクロムウェル以来の猶太との密接な関係からして血液的にも猶太化している英國貴族階級であり、更にまたかの英國を中枢とする処のフリイ・メイスン秘密結社であることを知るならば、今回の戦争の意味はこれ以上の説明を俟たないでも明瞭であろう。然しこれは、ヒットラー総統が口を開く毎に指摘している事実であるが、猶太問題に関する認識のない日本通信員の手にかかる時には、英國の國情のみならずヒットラー総統が特に強調している事までもが、多くの場合に不明になってしまっている。とにかく今回の欧州戦では、独伊の勢力の及ぶ所からは猶太勢力は容赦なく退却させられているのであるが、それが独伊の占領区域に於ては、その國人の熱心な支援を受けているので、単に前述の如きフランスの場合のみならず、例えばベルギー或いはルーマニアの場合もまた然りである。かくて既にニーチェが予言した通りに、二十世紀の欧州は、全く猶太の支配に屈するか或いは猶太の全部的撤退となるかの大変革期に到達していることが実証されつつあるのである。それ故に近来の米國の抗独狂躁と救英狂態とは、反日狂気とは意味を異にしているのであって、対日の場合には猶太の攻勢であるものが、対独伊の場合は猶太の守勢となっているのである。然してこれを経済的方面から言うならば、独逸の金本位制経済組織脱却に対する猶太の反撃に外ならない。即ち独逸の実行している如き新経済制度が次第に世界に拡大して行く時には、世界の金の七、八割とかを独占している猶太に取っては、神命に依る世界支配の資金として世界から搔き集めたこれらの金もその偉力を失ってしまうことになるので、ここにも猶太が死力を盡しても独逸と争うべき理由があるのである。ここに於て自己の軍隊を有せず、また自ら剣を取って前線に立つことを喜ばぬ猶太は、前大戦の時の英猶協定の先例を踏襲して今回もまた英猶秘密協定を結び、英國人を先ず戦線へと駆り立てたのであるが、然もその英國の形勢日に非なるのを見ては、デモクラシー擁護の名の下に今や米國人をも戦線へ駆り立てようと画策しているのである。然し前の世界大戦の苦い経験を持つ米國には、二百数十の反猶団体があると称せられる如くに、真の米國人は参戦を欲しないので、ここに猶太の代辯者であるルーズヴェルト政府の最近の狂態が生じて来ているのである。

かくて我々はここに於ても英國に於ける猶太勢力の実情に関して一言するならば、その財界・言論界・軍事工業界に於ける猶太支配が勿論である外に、政治的方面に於ても事情は米國と全く同一であることが判明する。即ち、久しい以前から好戦的煽動政治家として著名であったチャーチル内閣には、ダフ・クーパー、アメリー、ハンキー、アトリー、シンクレヤ等の猶太大臣が居る許りでなく、ウッドの如く猶太秘書を有する者、アレキサンダーの如く猶太女を妻とする者、イーデン、グリーンウット、マクドナルドの如くフリイ・メイスン秘密結社の幹部もあり、首相始め何等かの経路で猶太と婚姻関係のない者のないことは、既に前に論及した如くに英國貴族の血液の猶太化の結果としては当然であろう。そして猶太が有するブナイ・ブリス秘密結社等の如き無数の國際機関を通じて、この英國はかの米國と連絡しているのである。

ここに於て我々はなお筆を進めて、いま論及した猶太系諸國際機関の全機構を明らかにし、世界の全猶太が幾千年来の世界支配の夢の実現のためにエホバの年である一九四一年を期して世界戦争へと世界を駆り立てている実情にも論及すべきであるが、既に与えられた紙数も超過しているので、それの記述は他日を俟ちたいと思う。しかし以上の記述によっても、世界戦争へと駆り立てるものが結局に於て猶太であることは判明したであろう。

かくて東西相応じての世界新秩序の建設が、その根幹に於て如何なる方面に向ってなさるべきであるかも判明したであろうが、この際に於ける我々の覚悟と準備とは、既に充分であろうか。現在の独伊は、既に前世界大戦の前後に於て猶太禍を身を以て体験しているので、猶太と秘密結社に関する工作は徹底しているから、意識的には勿論無意識的にも内部から猶太の世界支配に協力する者はないのであるが、わが日本は果してこの点に於て安心すべき状態にあるであろうか。マルクス主義を始めとする猶太系思想に対する対策を怠った結果は、事変後幾年にして未だ國内は思想的に混乱を極めているかに見える。そしてこの際になお我々をして絶望せしめないのは、わが國體(国体)の偉力が最悪の場合にも我々を破滅から救うであろうという希望があるからである。切に有識者の反省と覚悟とを要請する。(一六・二・八)

 

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猶太と世界戰爭(新仮名)17

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第二章 猶太と世界戦争(続き)

三、今次世界戦争の性格(昭和16年8月10日)

それがこの形に於てこの時期に来ることを阻止せんとして少数の憂國の士が声を嗄(か)らして叫び続けて来たにも拘らず、遂に来るべきものが来たのである。或る世界的なる秘密力の計画通りに、それが久しく予定していた年に予定の世界大戦が予定の方向に向って進行しつつある。しかしそれは、恐らくは少なくとも二度は防止し得たと考えられるし、またそれが結局世界史的必然であるとしても、少なくともその時期の点ではかの秘密力の予定通りに運ぶことを阻止され得たと考えられる。しかし我々は、いまここにそれを詳述している暇はない。また徒(いたず)らに死屍(しし)に鞭つにも忍びないにも拘らず、なお多少意のある所を述べてみたいと思うのは、なお来るべき日にも、現在の情勢の儘にて進むならば、同じ過誤を繰返し、また同じ無意義の戸惑い*を繰返すことを恐れざるを得ないからに外ならない。

*当時、独ソ不可侵条約は、日本に以下の深刻な事態を生んだ。ここで言う「戸惑い」とはそれを指す。
(ウィキより)かつて日独防共協定を結び、さらにドイツと同盟交渉中であった日本の政界が受けた衝撃は甚大であった。当時日本はソ連およびモンゴル人民共和国との国境紛争・ノモンハン事件(1939年5月11日~9月15日)の最中であった。8月25日に、平沼内閣は日独同盟の締結交渉中止を閣議決定した。8月28日には平沼騏一郎首相が「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた」ために同盟交渉を打ち切ると声明し、責任をとって総辞職した。

 

 既に我々によって幾度か指摘されたように、エホバの数十五を形成する今年一九四一年こそは、かの秘密力に取ってはその世界制覇の年である。もしこの年を逸するならば、一九五〇年迄は機会がないのである。勿論一九四一年に失敗すれば一九五〇年を待つであろうが、然しこの年を無為に終ることは、秘密力としては、旧約聖書申命記二十八章にエホバによって示されて居る通りに、秘密力そのものがエホバによって亡ぼされる事になるかも知れないのである。有史以来エホバのこの命に恐れ戦き続けて来たかの秘密力は、最近事毎に自己のものの如く、今年を期して今や懸命に自己をエホバの罰より救わんとしつつあるのである。

かく言うとき、かかる迷信深い秘密力がいまだに地上に存在することを恐らく人は疑わざるを得ないであろうが、これは旧約聖書とタルムードを活眼を以て読む者には一点の疑をさしはさむ余地の無い事実である。

然らば我々はこの秘密力の努力をいま何と命名すべきであろうか。これに対して最も明瞭なる表現を用いるとすれば、猶太の人類他民族殲滅戦と言うべきであろう。これを我々は在来猶太の世界制覇運動とか、世界征略戦とか言って来ているのであるが、最近の緊迫した情勢に於ては、今次の猶太の計画した世界大戦はその人類殲滅戦の名をもって呼ぶとき最もその正当な称呼となるのである。

従って今なお近視眼者流の言う如き欧州戦争と独立した独ソ戦争はないし、また欧州戦争又は独ソ戦争と独立した日支事変もないのであって、これ等はその勃発の当時より、既に我々の指摘して来た通りに、一個の世界戦争の部分的事件であり、今一度別の表現を用いるならば、かの一九四一年を目指す猶太の世界殲滅戦中の一幕又は一場なのである。

かくて現在の世界には、多少とも世界の真の情勢と世界史の必然的運行とに理解を有する者に取っては、かの「複雑怪奇」などという漢語の成句に相応する現象はないのである。また世界史的な事件の起こる毎に戸惑い*して、敵も味方も見分け難くなり、世界情勢の変転極まりなきことのみを強調するのは、誠に無定見、無節操、無道義の井蛙(せいあ:井の中のかわず)の見の持主であるに過ぎない。田に耕す匹夫(ひっぷ:身分の低い人間)と雖も、日本人なる限りは、現在では今少しく世界情勢に通じ、所謂腹も出来ているのである。実に現在の世界には、或いは複雑さはあっても、「怪奇」なるものはないのである。怪奇ならぬものを怪奇とすることこそ怪奇であって、ここにこそ現代日本の行詰りの総原因がある。

 

然しこれらの点については、我々の在来の主張に理解のある読者にはこれ以上の説明なくして明らかであると考えられるので、ここに本節の冒頭に論及した回顧に移ろうと思う。

かつて我々は、日支事件が日猶事件たることを既に事変後一年にして明らかにしたのであるが、その中で既に防共協定が防猶協定であることを自覚しない限り、それが空念仏に終るべきことに論及しておいたのである。次には同じ観点より既に十三年秋に日独伊の軍事同盟を要請したのであったが、近世日本史上の最大〇〇の歴史の一つとしての××××××より約半年先行するのである。

今にして思えば、かの時かの×××軍事同盟の件が内外の不可思議なる力の活躍によって流産しなかったとすれば、換言すれば防共協定が防猶であることを責任ある地位の者が自覚したならば、従って防共協定が単に対コミンテルン又は対ソのものでないことを自覚するだけの明識を持っていたとすれば、所謂欧州戦争はかの時期には起こることはなかったであろうし、また独ソ不可侵条約も勿論あり得なかったのである。

しかし一度独ソ不可侵条約となり、欧州戦となった以上は、もし防共協定で防猶協定であることに徹していたとすれば、その場合に取るべき策は寸刻も不明となる筈はなかったのである。不可思議なる力の策謀にひきずられた事こそ「怪奇」なのである。この点を暗示しようとして、我々はかつて「複雑怪奇と不介入」なる短文を草し、その中に於て、当時に於てかの秘密力の正体が認識されたとすれば、そしてまた日独共同しての真剣の努力が重ねられたとしたならば、恐らくは戦わずしてソ連を改造し、ソ連をしてロシヤ人のロシヤたらしめ、其処に政権を独占する猶太をして不戦敗に終らし得たかもしれないことに論及したのであった。しかしこの点の日独了解は成立せず、猶太秘密力の英米を使嗾(しそう:指図して仕向けること)しての画策は、遂にソ連内部に於ても一時揺ぎを示した猶太勢力をして勢力を回復せしめ、ここに独ソ戦争となったのである。換言すれば、独ソ不可侵条約全体主義独逸の共産主義ロシヤに対する思想戦の不戦勝であり、日本の援助によって確立さるべき運命のものであったのである。

かく論じて来る時、現在の世界に於てわが國の一挙手一投足が如何に重大な意義を持つかが明瞭であろう。しかしながら、惜しむらくは、その我國に現在の世界を動している猶太秘密力(その機関としてフリイ・メイスン秘密結社等を含むことは言う迄もない)に対する認識が欠けているために、枢軸側に依る世界新秩序の建設は、その途上の大事件毎に最後の瞬間に於て猶太秘密力のために側道へ外れさせられてしまうのである。既に猶太としてはかつて我々が「世界大戦へと駆り立てるもの」に於て触れた通り、今次世界大戦は幾多の点に於て失敗に帰している。そしてそれが特に独伊に於ける猶太認識の結果であることは言う迄もないことである。この理由によって、我々は「前世界大戦に於ける敗戦独逸の場合」なる短文を物して、我々の時代に処する参考としたのである。

前述の通り、今はただ回顧のみに耽るべき時ではない。今は将来を見るべき時である。然しながら我々は、永遠の平和とか世界最終戦論などという如き偽装唯物論を弄している程に呑気ではないし、またかかる空言を弄(ろう)することによってかの秘密力に意識的にも無意識的にも協力するほどに猶太化してもいない。我々はいま我々の足下に迫っている世界の現在の情勢について、我々が今まで見続けて来た観点よりの展望を展開しなくてはならないのである。未来を説くことが総て空想であると称せられるならば、我々は空想の名も甘んじて受けるであろう。しかし生ける生は未来を含まぬものはないのである。政治も軍略も、生ける人間の世界のことはすべて然りである。

いま世界の視聴を集めているのは、何と言っても所謂独ソ戦争であるが、これはかの猶太秘密力の人類殲滅戦に於て如何なる位置を占めるものであろうか。ここに我々は歴史の論理を示すために仮に戯曲の構造を借りて説明するならば、独ソ戦争は今次世界戦争の第二幕を占めるものと言われるべきであろう。第一幕は勿論東の日支事変、西の欧州戦争であって、スペイン内乱チェコ事変等は勿論第一幕以前の序曲であるに過ぎない。

然らばその第三幕は何であるかと言うに、これは猶太秘密力の予定では、日米戦ではないかと考えられる。然してそれに続く第四幕は枢軸対英米ソ支等の文字通りの世界戦であり、第五幕はその決戦であって、猶太の人類殲滅戦はここにその頂点に到達する。そしてこれらの諸幕の何処までがエホバの年一九四一年たる今年中に来るべきであるかは、今は正確に予言することは避けたいと考えるが、猶太の信念に当って、然も天界に異状のある筈の今秋初めが最も注意すべき時期ではないかと考えられる。

有史以来エホバの命に依って他民族の殲滅を宗教的信仰として来た猶太人は、最近事毎に志のたがう(異なる)のを見て、今度の世界戦争にては一挙にしてその頽勢(たいせい:劣勢)を回復したいと考えているのであるから、その殲滅戦の激烈さは恐らく有史以来のものであり、人の想像を超えるものでないかと考えられる。殊に欧州方面に於ては前に我々が屡々論及した通りに、ニーチェの預言が実現して、猶太が欧州を去るべき日が来つつあるのを自覚したかにも見える猶太は、それだけその活路を東洋に求めようとしているかに見える。ここに最近の東洋情勢の真の原因があるのであって、猶太に取っては、英國そのものが大切に非ず、ソ連そのものが可愛いいのではなくて、自己の世界征略の手段になるものは何にても利用するに過ぎないのである。例えば本國を失ったオランダが蘭印に於て我國に反抗しているのは、オランダ本國よりは蘭印の方が猶太に取って重要であることを証しているのである。最近にも独英の妥協がまことしやかに流布されているが、これは英に於ける猶太陣営の揺らいだ場合か或いは揺らぐ見込のある場合以外には絶対にあり得ないことである。この点の事情を知らぬならば、或いはまたかの独ソ不可侵条約当時の如き戸惑いが来るかもしれない。しかし現在のチャーチル、イーデン、ダフ・クーパー等の猶太支配内閣の存続する限り、独英の妥協はあり得ないのである。また猶太としては、たとえ英本國を失うとも、その自治領又は植民地が従来の如く猶太支配下にある時は、決して独英の妥協はあり得ないであろう。そしてもしそれがあり得るとすれば、それは東洋乃至日本攻略のための猶太側より命ずる英ソの屈辱的な屈服の場合であるが、これを防止するためには何時までも我々に於て功利主義に立つことなく、真の道義と武士道との精神によって「志を同じくするもの」と協力し、裏面に於て常に秘密力と内応した ―たとえ多くの場合に無意識であろうとも― 過去の汚辱を再び犯さざる決心を要するのである。

現在の猶太秘密力に依る日本包囲を指して、秘密力の代辯者であるハル長官は、それは日本のせいである、と言っている。然り、正にその通りであって、日本の存在は、秘密力に取っては目の上の瘤(こぶ)である。その世界征服の完成の一歩手前に於てそれを妨げるものが東洋に於ては常に日本であるからである。それ故に猶太は、この日本討滅のために米國人をして戦場の露と消える覚悟をなさしめるために、あらゆる宣伝に憂身(うきみ)をやつしているが、現在の太平洋の彼岸に於ける狂躁曲の真相である。この度の英米二カ國の政治責任者の行方をくらましてのランデヴーもまたその曲の一節であるに過ぎない**。それ故に、西に於て独猶の決死の争闘が必然である如く、東に於ては日猶のそれが必然である。そしてそれは、米國人が猶太のために身を犠牲にする決心をするだけに宣伝に躍り、また軍備が量的に日本の幾倍かになる時を待っているに過ぎない。そしてその時が何時であるかは、我々素人には明らかではないが、そう遠いことでないことは我々の在来の記述で明らかであろう。

**恐らく、大西洋憲章調印の爲に1941年8月9日から12日に行われた大西洋会談を指すと思われる

 

かくて残る所は、この不可避の運命に如何に処するかである。或いは場合によっては、不戦勝ということも双方の側に於てあり得ることであろう。然しながらそれは、より適切なる時の猶太秘密力の日本攻撃を予想したものであることを忘れてはならない。幾千年間人類全体に対して常時戦争状態にある猶太は、文字通りの世界制覇の日迄は、戦略的休戦以外には、エホバより他民族との和平を許されていないからである。

ここまで論じ来って、この筆は最早先へ動くことを肯(がえ)んじない(許さない)のである。坐視していることそのことが大苦痛であり、大罪悪である如き感のすることさえあるが、しかし今は忍ぶ外に道はないのである。ただ我々は祖國日本の悠久の生命を確信しつつ、しかも来るべき幾年間の大苦難に当って天佑神助のあらんことを祈念して、この短い展望を終わりたいと思う。(一六・八・一〇)

 

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猶太と世界戰爭(新仮名)16

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第二章 猶太と世界戦争
二、大東亜戦勃発後の世界情勢(昭和17年11月5日)続き

緒戦の敗戦が米英ユダヤを狂喜せしめつつあることには既に論及した通りであるが、この際に我々日本人として特に反省すべき一大屈辱事件のあることに論及しておきたい。それが何処まで政府当路者(当事者)によって自覚されているかは筆者に尚不明であるが、日本が道義國であり、武士道國である限りに於ては、次の一屈辱事件は決して闇に葬り去らるべきものではないであろう。皇國の栄誉を傷つけることこれにまさるものは無いと考えられるからである。

その醜悪なる一件とは、大東亜戦勃発の前日に至るまで継続されたところの対米借款交渉である。彼は平常よりユダヤ問題の否定者にして自称日本主義者の一人であるが、或系統の親猶主義を継承しているらしく、殊にその旧式日本主義に共通の自覚せざる唯物主義は常に背後に金権系支持者を有しているために、現代に於てはその愛國主義的看板にも拘らず、実際の行動は売國的結果となり勝ちなのである。(以下約四百字略)殊に彼が今なお一部の偽装唯物論者によってその権勢欲の強烈さのために支持され、またその無責任なるが故に放胆なる文筆の才のために若き無批判の徒の間に愛國者の名声を保持しているのを見る時、皇國の屈辱も正に極まれりの感なきを得ないのである。これ米國がわが國を軽視して、かの理不尽の三大条件をわが國に押しつけんとした原因の一つであり、元来無責任なる捏造事件によってわが國を中傷する米英及びユダヤに最も適切な口実を得せしめたのである。米英が抑留邦人を虐待するのも、はたまた元来個人主義的利己主義者の米國民が相当の頑張りを見せるのも、上述の徒輩の非日本人的行為がその直接原因となっていることを我々は忘れてはならない。ユダヤを識らざる者の行為が如何にユダヤを益し、ユダヤに利用価値あるかは、この一例をもってしても判明するであろう。今にしてこの汚点の拭はれざるに於ては、将来皇國の栄誉は如何なる曇を生ずるであろうか。怪奇なるはむしろ國内の情勢であると我々をして嘆ぜしめた二、三年以前の不快なる経験が、いま大東亜戦下に於てまたも我々の良心を痛ましめるのである。

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註:ここで指摘されている事件とは、恐らく野村證券野村徳七貴族院勅選議員)による工作であると思われる。その事件とは、次のようなものであった。(以下、「男の切れ味(中)著者: 小堺昭三」より引用)

[(野村)徳七の「対米工作」]
前述のように、東條英機が北進戦略から南進戦略に転じはじめると、逆に徳七は「ヨーロッパでソ連と戦っているドイツに呼応して、日本はシベリアへ兵をすすめるべきだ」と北進論を提唱する様になった。
外相松岡洋右ヒトラーと握手してのち、モスクワに途中下車してスターリンと「日ソ中立条約」を締結、意気揚々と帰国してきたときも徳七は、三歳若い彼にそのことを進言している。其処には鐘紡社長の津田信吾、大阪商船社長の堀啓次郎が同席していた。昭和十六年五月のことである。
徳七の気が変わったのではない。北進論はゼスチャーにすぎない。もし東條の号令一下、日本軍が南方諸国への武力侵略を断行すれば、大正初期からつづけてきた野村コンツェルンの南方事業が崩壊してしまう。
「何のために二十年間も心血をそそぎ、何のために巨費を投じてきた南洋事業だったか。三井、三菱、住友などがいかに兵器を量産しようと、ゴムと石油がなければ戦争には勝てないんだぞ」と叱りたいのであり、武力侵攻を阻止するだけでなく、日本軍の銃口をすべて北へ向けさせておきたいのだった。
だが、「日ソ中立条約」まで締結してきた松岡洋右は徳七の魂胆を見ぬいているかのごとく、こう答えた。
「あなたの南洋事業は保証します。わが皇軍が南方の拠点をすみやかに確保し、イギリス軍やオランダ軍に施設を破壊させるようなことは決してやらせません。日本は大東亜圏を支配するのです。むしろ、あなたの南洋事業はますます繁栄することになりましょう。その日は必ずやってきますよ。近い将来に」
海軍によるハワイ真珠湾攻撃と、陸軍によるマレー半島上陸作戦が敢行されたのは、それから半年後であった。
松岡の「あなたの南洋事業はますます繁栄する」を信じていなかった証拠に、徳七はこんな「工作」もやっている。
それは「対米借款に一役買いませんか」と政商Nがもちかけてきたのに始まる。
有力なアメリカ人ジャーナリストと結び、日米貿易公社をロサンゼルスに設立する。日本側は半額の五億ドルを日本に信託預金し、必要物資をこの会社がひきうけて供給する。陸軍省もかげながら支持しており、野村コンツェルンが中心となって設立運動費を出してほしい、とNはいう。
すでにアメリカは日本との通商条約を廃棄し、ABCD経済包囲網を締めあげつつあるときだ。こんなときにアメリカの民間人が、日本が欲しがっている物資を都合できるわけがない。都合できたとしても、日本の港に貨物船をよこすことは不可能だ。
とは思ったものの徳七は「頭から疑っていたのでは何も生まれぬ」のでOKした。
これは一種の民間外交だとも思った。こんなところから日米間の緊張がほぐれないともかぎらない、そうも考えたのだ。
さっそくアメリカへ、野村證券常務の飯田清三ら三名の社員を、調査団として派遣することにした。が、Nが国際ペテン師である事実がバレて、徳七は「対米借款問題の狂言はついに尻尾を出した」と日記に書いている。…

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かくて米(英)ユダヤは、最近伝えられる放送局の接収等に見られる如くに、いよいよその独裁体制を整頓しつつあり、そして現在にては最早何等の掣肘(せいちゅう)を受くることはないのである。勿論世人を欺くため、また日独伊陣営を撹乱するためには、種々の策謀が國の内外の事件に関連して行われるであろう。例えば今度の選挙に於てニューヨーク州知事ユダヤレーマンが退いてデューイ―が出た如きも然りであって、この他民族第一線主義への転換はユダヤ地盤の確立の結果とも見られ得るのである。今や米(英)に於けるユダヤの地盤は、ソ連のそれの如く、全く確固不抜のものとなったと言っても過言ではないであろう。たとえ今後敗戦が持続しようとも、又いよいよ長期戦となろうとも、この事情は容易には転換することはないであろう。これを思えば、枢軸側としても徒(いたず)らなる掛声に止まる所なく、真の総力戦体制を確立して、先ずユダヤ的謀略の正体を究(きわ)め、その上にて各般の施策を決定すべきであろう。

以上の記述で、米(及び英)の國内情勢の現在に於ける大勢は察せられるであろう。従って既に昨年十一月二十六日に汎米ユダヤ会議があり、その席上で「全世界に米國民法の採用を要請す」という決議がなされたのも、決して不思議ではなかったことが判明する。後述する如くに世界の赤化により世界支配を実現せんことを期しながらも、戦略上それを表面の旗印とすることの今では不利なるを自覚したユダヤは、先ず民主主義を以て世界を征服せんとしているのである。否、ユダヤの両建戦術は、赤化主義と黄金帝國主義との二つを併用しつつ進んで来ているのである。

この連絡に於て英國の場合にも論及するならば、ユダヤとしては既に英國そのものには見限りをつけているのではないかと考えられる。勿論利用価値のある間は今後も英國の名を利用しつづけるであろう。然しこの場合にもフランスの場合と同様であって、利用価値の消失と共に英國ユダヤによって捨て去られるであろう。そしてその伏線は、近来新聞紙上に散見する次の言説である。即ち、米國英國の遺産の継承をねらっている、というのがそれである。ユダヤがかかる言説を直接間接に世界に普及させつつあるのは、これによって世界をそれに慣らせ、将来それが実現の段階に入っても世人をして異様の感を抱かしめないためであろう。勿論英の遺産をねらう者が米のみでないことは、ユダヤ問題に多少の考慮を払う者には自明であって、ソ連もまた米と並んで英の遺産をねらいつつあるのである。しかしこれはユダヤの現在の戦術上隠されていると見るべく、印度問題が喧伝されるにも拘らずソ連の動向がこれに関して少しも新聞報道に上らないことは、却ってこの事情の伏在することを確証するものと言えるであろう。英の遺産の問題に関しては、新聞紙上に散見する問題をこの見地より見ることによって充分な解答が得られることを信ずるので、ここではわが國とも直接の連環を持つ英の遺産のうち、印度問題のみにつきなお多少の補説をしておきたい。

わが國に於ては現今の印度の騒擾を余りにも表面的に解し過ぎ、従ってまた余りにも重大に見做しすぎているようである。我々より見れば、ガンヂーは別とするも、その他の指導者の如きは英國及びユダヤの走狗たるに過ぎないのであって、大言壮語好きの結社系言説に見られる如き「東亜解放者」ではないのである。彼等は必ず英國系フリイ・メイスン結社の高級会員たるべく、この点は蒋介石等國民政府の要人と同一であって、その故にこそ印度の指導者連は國民会議派と自称して来たのである。時代を操るためには、時代に通用する名を採るのはユダヤの方策である。従って彼等の反英運動は、愚昧なる民衆を欺き、また一部の覚醒せる者の殺戮に機会を与えるためになされる英國ユダヤとの八百長であるに過ぎない。従ってこの反英抗争は、印度民族の殲滅を目標とするユダヤの運動であるに過ぎない。なお此度の反英抗争の持つ一つの重大なる意義は、この抗争によってビルマまで進攻せる日本軍の印度進攻を防止することである。今次反英抗争のこの性格は、印度指導者達 ―例えばアザット― がルーズヴェルト蒋介石スターリン等に仲介を求める態度を取っていることによっても裏付けされる。真の反英抗争は、現在に於ては枢軸との合作以外に道はないのである。如何に地理的制約があるとは言え、これは歴史の論理なのである。反英抗争のかくの如き自明の性格に無智なるらしく見える日本朝野の認識不足に対して、吾々は多大の不満と不安とを感ずるものであるが、これまたユダヤ問題に関する認識不足の必然的結果である。印度の将来に取って残る問題は、印度の民衆が如何なる程度の抗争力を持っているかによって決定するのであって、これさえ強力であれば指導者達の対英八百長も或いは将来その仮面を剥がれるに至るかも知れないが、しかしこれは至難中の至難事であることを我々は忘れてはならない。ここに我々の印度に対する態度も定まって来るのである。この適当なる対策なき時、英の遺産としての印度はスターリンの手に帰するであろう。嘗つてのチャーチルスターリン訪問はこの点に関する談合をその重要なる課題としたのではないかとも考えられる。世界のユダヤ通信網がこの点に触れなかったことこそそれを証すると言えるであろう。

 

かくて問題はソ連であるが、ハルピンのユダヤ雑誌「ユダヤ生活」が誇らかに述べている如くに、「ユダヤ教ソ連の國教である」のであるから、このソ連米國と並んでユダヤの二大牙城たることは言う迄もないことである。否、ソ連こそは、独ソ不可侵条約の頃に於て多少の変調はあったといえ、昔も今も全くのユダヤ國であって、ユダヤの地位に確立せる点では、現在の米と雖もなおソ連に及ばないと言い得るであろう。勿論かく言っても、米の反猶団体が大東亜戦以前に於ける如くその二百数十のものがそのまま健在であるというのではなく、またソ連に於て反猶主義が皆無であるというのではないが、しかし独裁者専制者としてのユダヤ人の有する権力の強度に於ては、ソ連が米にまさることはなお相当のものがあるのである。それ故に米に於ては汎米ユダヤ会議であった所のものが、ソ連に於ては世界ユダヤ人代表会議となり、然もそれが昨年八月二十四日と本年五月二十四日との両回に公然と行われているのである。ここに於てか我々は最早この会議の内容の詳細を検討するの要を認めないものであって、ただ「赤軍ユダヤの盾である」ということが明白に主張された一点を指示することで今は充分であると考える。古い話ではあるが、純ロシヤ人であったトハチェフスキー将軍等がその功績にも拘らず大根の如くに切り捨てられた謎もこの点より明白になるのである。マルクス主義乃至ボルシェヴィズムは、その実行はユダヤ人にのみ許されるのであって、その対象は非ユダヤ人であり、ただその実行の段階に至る迄は非ユダヤ人の協力を利用するに過ぎないのである。これは資本主義の場合も同一である。

然し前述した如くに、ソ連に於ても反猶主義は根絶された訳ではなく、ユダヤ権力の強烈であるに連れて或意味に於てはその反猶主義もまた強烈であるとも言い得るであろう。そしてこれが今次「独ソ戦」に於ける敗北によって時としてその発露口を見出そうとするかも知れないのは察知せられる。ここに本年十月初旬世界に宣伝せられた赤軍における政治委員制の廃止の如き件が生ずるのであって、この再度目(二度目)と思われる「廃止」は、対内的にはそれの形式的廃止と実質的強化を意味し、対外的には中立國及び日本等に対する宣伝に外ならない。元来スローモーのスラヴ人は、この宣伝によっても相当に乗ぜられるのである。赤化思想の処置に正当なる見識を示し得なかった日本がその宣伝の対象となされていることは名誉なことではないが、然し事実であることは如何ともし難いのである。少なくとも日本の新聞はそれをその儘掲載し、日本のインテリの一部がそれに感傷の涙を禁じ得ないことは、ユダヤの打算の通りである。

なお日ソの関係は、現在としては日ソ条約によって規定されているが、これとてもソ連及びユダヤにそれが好都合なるために維持されて居ると見るべきであって、連合國の軍備拡張が予定の段階に達する時には、今次大戦の第四幕、第五幕としての××衝突の来るのは必至であると考えられる。それを避け得るのは、日本がユダヤ問題にも早く徹して枢軸國との協調をこの点に於ても実行するに至るか、枢軸國による完勝が早く実現されるかの二つの場合である。しかしなおその時にも世界からユダヤ問題が消滅したと見るのは尚早であることは言うを俟たないことである。

ソ連赤軍と言えば直ち督戦隊が想像せられるが、同一のことは秘密結社藍衣社(らんいしゃ) ―これはかのフリイ・メイスン秘密結社の支那化であろう― の支配する重慶支那についても言われ得るのである。そしてなお他に両者に共通する重大なる要素に民族主義のあることは見のがし得ないのであるが、然しこれは前述せる如く印度が時代の風潮に即応して國民の名を利用するのと同一の方策に依るものであって、裏面に於ては秘密結社の力によって生命を威嚇して指導的地位にある者の自由を奪い、他方表面的には民族主義を利用して愚昧なる民衆を欺くのである。これは共に所謂「文明國」に於ては不可能であって、ソ連又は支那に於ける如き國に於てのみ実現され得る方策である。

ソ連重慶に関しては、以上の二点の認識に於て欠ける所がないならば、他の諸点はおのずから明瞭になって来るであろう。それ故に我々はここに筆を改めて、現在に於けるユダヤ対策に関して一言して、この小論を終ることにしたいと思う。

 

我々は既に國内の親猶主義者について多少記述して、それが主としてユダヤ問題に対する認識不足に由来することにも論及し、ひいてその唯物論的志向が必然にかくならしめることをも暗示したのであった。現時局下として最も警戒すべき今一つの傾向は、同じく一面に於ては日本主義を標榜し、國體(国体)論を口にしながらも、結局唯物論の魅力圏内に彷徨する狂信日蓮宗の一群である。この外にも財界その他に親猶主義が存在しており、特に表面的には解消したロータリー・インターナショナルの如き有力なるものもあるが、然しここでは或意味に於て現代の指導層に属するか、或いは責任ある指導層に直接の影響力を持ち、従って重大なる根本國策にも関係すべき憂のある場合のみを挙げるのである。(以下約百字略)

彼等に依れば、ユダヤ問題はユダヤに國家を形成せしめる事によって解決するのであり、独伊のユダヤ排撃は道義に悖(もと)るものであるから、道義國日本は独伊に忠告して、その排撃を中止せしめ、八紘為宇の精神によってユダヤをも救えというのである。彼等の言説が枢軸離間を目標とするものでなければ幸であるし、また××事変を誹謗せんとする下心を有するものでないことを我々は道義日本のために祈らざるを得ないのである。そして何故に猶太のみがかく慈愛の対象となるかについては或種の妖気の揺曳(ようえい)を感ずるのであるが、今はそれを語るべき時機ではないであろう。兎に角その代表者の某紙上その他に於けるあくどい論説は、その表現は、彼得意の美文調であるが内容に至って親猶主義の公式であって、所謂シオニズムとはかかる短見者流の無批判性を算盤に入れて形成されたユダヤの謀略である。従って内容的には問題とするには足りないが、これが責任ある要路者(重要な地位の者)に与えられたる一連の論説の一つであることを思う時、問題は過小視されてはならないのである。この盟邦を侮辱する親猶主義が万一にも責任ある為政者によって考慮されることがあるならば、その結果は前に論及した某の場合にも比すべき悪影響を持つに至るやも計り難いのであって、かかる言説の責任の大なることは、かの場合と同一である。この点に於ても道義日本としては事を曖昧に葬ることなきよう明断を望まざるを得ないのである。そして二つの場合ともに、それらの思想又は行為の地盤となった陰の勢力にもまた適当なる処置の要請されることは自明である。空想的観念的なる旧式日本主義が如何なる秘密力の策謀下にあるかは不明であるが、それが現下最大の危険なる存在と化していることは屡々(しばしば)あるのである。赤色主義に対する批判がなく、ユダヤに対する認識のないために、それは赤に利用され、ユダヤに駆使されるのである。(一七・一一・五)

 

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