猶太と世界戰爭(新仮名)16

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第二章 猶太と世界戦争
二、大東亜戦勃発後の世界情勢(昭和17年11月5日)続き

緒戦の敗戦が米英ユダヤを狂喜せしめつつあることには既に論及した通りであるが、この際に我々日本人として特に反省すべき一大屈辱事件のあることに論及しておきたい。それが何処まで政府当路者(当事者)によって自覚されているかは筆者に尚不明であるが、日本が道義國であり、武士道國である限りに於ては、次の一屈辱事件は決して闇に葬り去らるべきものではないであろう。皇國の栄誉を傷つけることこれにまさるものは無いと考えられるからである。

その醜悪なる一件とは、大東亜戦勃発の前日に至るまで継続されたところの対米借款交渉である。彼は平常よりユダヤ問題の否定者にして自称日本主義者の一人であるが、或系統の親猶主義を継承しているらしく、殊にその旧式日本主義に共通の自覚せざる唯物主義は常に背後に金権系支持者を有しているために、現代に於てはその愛國主義的看板にも拘らず、実際の行動は売國的結果となり勝ちなのである。(以下約四百字略)殊に彼が今なお一部の偽装唯物論者によってその権勢欲の強烈さのために支持され、またその無責任なるが故に放胆なる文筆の才のために若き無批判の徒の間に愛國者の名声を保持しているのを見る時、皇國の屈辱も正に極まれりの感なきを得ないのである。これ米國がわが國を軽視して、かの理不尽の三大条件をわが國に押しつけんとした原因の一つであり、元来無責任なる捏造事件によってわが國を中傷する米英及びユダヤに最も適切な口実を得せしめたのである。米英が抑留邦人を虐待するのも、はたまた元来個人主義的利己主義者の米國民が相当の頑張りを見せるのも、上述の徒輩の非日本人的行為がその直接原因となっていることを我々は忘れてはならない。ユダヤを識らざる者の行為が如何にユダヤを益し、ユダヤに利用価値あるかは、この一例をもってしても判明するであろう。今にしてこの汚点の拭はれざるに於ては、将来皇國の栄誉は如何なる曇を生ずるであろうか。怪奇なるはむしろ國内の情勢であると我々をして嘆ぜしめた二、三年以前の不快なる経験が、いま大東亜戦下に於てまたも我々の良心を痛ましめるのである。

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註:ここで指摘されている事件とは、恐らく野村證券野村徳七貴族院勅選議員)による工作であると思われる。その事件とは、次のようなものであった。(以下、「男の切れ味(中)著者: 小堺昭三」より引用)

[(野村)徳七の「対米工作」]
前述のように、東條英機が北進戦略から南進戦略に転じはじめると、逆に徳七は「ヨーロッパでソ連と戦っているドイツに呼応して、日本はシベリアへ兵をすすめるべきだ」と北進論を提唱する様になった。
外相松岡洋右ヒトラーと握手してのち、モスクワに途中下車してスターリンと「日ソ中立条約」を締結、意気揚々と帰国してきたときも徳七は、三歳若い彼にそのことを進言している。其処には鐘紡社長の津田信吾、大阪商船社長の堀啓次郎が同席していた。昭和十六年五月のことである。
徳七の気が変わったのではない。北進論はゼスチャーにすぎない。もし東條の号令一下、日本軍が南方諸国への武力侵略を断行すれば、大正初期からつづけてきた野村コンツェルンの南方事業が崩壊してしまう。
「何のために二十年間も心血をそそぎ、何のために巨費を投じてきた南洋事業だったか。三井、三菱、住友などがいかに兵器を量産しようと、ゴムと石油がなければ戦争には勝てないんだぞ」と叱りたいのであり、武力侵攻を阻止するだけでなく、日本軍の銃口をすべて北へ向けさせておきたいのだった。
だが、「日ソ中立条約」まで締結してきた松岡洋右は徳七の魂胆を見ぬいているかのごとく、こう答えた。
「あなたの南洋事業は保証します。わが皇軍が南方の拠点をすみやかに確保し、イギリス軍やオランダ軍に施設を破壊させるようなことは決してやらせません。日本は大東亜圏を支配するのです。むしろ、あなたの南洋事業はますます繁栄することになりましょう。その日は必ずやってきますよ。近い将来に」
海軍によるハワイ真珠湾攻撃と、陸軍によるマレー半島上陸作戦が敢行されたのは、それから半年後であった。
松岡の「あなたの南洋事業はますます繁栄する」を信じていなかった証拠に、徳七はこんな「工作」もやっている。
それは「対米借款に一役買いませんか」と政商Nがもちかけてきたのに始まる。
有力なアメリカ人ジャーナリストと結び、日米貿易公社をロサンゼルスに設立する。日本側は半額の五億ドルを日本に信託預金し、必要物資をこの会社がひきうけて供給する。陸軍省もかげながら支持しており、野村コンツェルンが中心となって設立運動費を出してほしい、とNはいう。
すでにアメリカは日本との通商条約を廃棄し、ABCD経済包囲網を締めあげつつあるときだ。こんなときにアメリカの民間人が、日本が欲しがっている物資を都合できるわけがない。都合できたとしても、日本の港に貨物船をよこすことは不可能だ。
とは思ったものの徳七は「頭から疑っていたのでは何も生まれぬ」のでOKした。
これは一種の民間外交だとも思った。こんなところから日米間の緊張がほぐれないともかぎらない、そうも考えたのだ。
さっそくアメリカへ、野村證券常務の飯田清三ら三名の社員を、調査団として派遣することにした。が、Nが国際ペテン師である事実がバレて、徳七は「対米借款問題の狂言はついに尻尾を出した」と日記に書いている。…

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かくて米(英)ユダヤは、最近伝えられる放送局の接収等に見られる如くに、いよいよその独裁体制を整頓しつつあり、そして現在にては最早何等の掣肘(せいちゅう)を受くることはないのである。勿論世人を欺くため、また日独伊陣営を撹乱するためには、種々の策謀が國の内外の事件に関連して行われるであろう。例えば今度の選挙に於てニューヨーク州知事ユダヤレーマンが退いてデューイ―が出た如きも然りであって、この他民族第一線主義への転換はユダヤ地盤の確立の結果とも見られ得るのである。今や米(英)に於けるユダヤの地盤は、ソ連のそれの如く、全く確固不抜のものとなったと言っても過言ではないであろう。たとえ今後敗戦が持続しようとも、又いよいよ長期戦となろうとも、この事情は容易には転換することはないであろう。これを思えば、枢軸側としても徒(いたず)らなる掛声に止まる所なく、真の総力戦体制を確立して、先ずユダヤ的謀略の正体を究(きわ)め、その上にて各般の施策を決定すべきであろう。

以上の記述で、米(及び英)の國内情勢の現在に於ける大勢は察せられるであろう。従って既に昨年十一月二十六日に汎米ユダヤ会議があり、その席上で「全世界に米國民法の採用を要請す」という決議がなされたのも、決して不思議ではなかったことが判明する。後述する如くに世界の赤化により世界支配を実現せんことを期しながらも、戦略上それを表面の旗印とすることの今では不利なるを自覚したユダヤは、先ず民主主義を以て世界を征服せんとしているのである。否、ユダヤの両建戦術は、赤化主義と黄金帝國主義との二つを併用しつつ進んで来ているのである。

この連絡に於て英國の場合にも論及するならば、ユダヤとしては既に英國そのものには見限りをつけているのではないかと考えられる。勿論利用価値のある間は今後も英國の名を利用しつづけるであろう。然しこの場合にもフランスの場合と同様であって、利用価値の消失と共に英國ユダヤによって捨て去られるであろう。そしてその伏線は、近来新聞紙上に散見する次の言説である。即ち、米國英國の遺産の継承をねらっている、というのがそれである。ユダヤがかかる言説を直接間接に世界に普及させつつあるのは、これによって世界をそれに慣らせ、将来それが実現の段階に入っても世人をして異様の感を抱かしめないためであろう。勿論英の遺産をねらう者が米のみでないことは、ユダヤ問題に多少の考慮を払う者には自明であって、ソ連もまた米と並んで英の遺産をねらいつつあるのである。しかしこれはユダヤの現在の戦術上隠されていると見るべく、印度問題が喧伝されるにも拘らずソ連の動向がこれに関して少しも新聞報道に上らないことは、却ってこの事情の伏在することを確証するものと言えるであろう。英の遺産の問題に関しては、新聞紙上に散見する問題をこの見地より見ることによって充分な解答が得られることを信ずるので、ここではわが國とも直接の連環を持つ英の遺産のうち、印度問題のみにつきなお多少の補説をしておきたい。

わが國に於ては現今の印度の騒擾を余りにも表面的に解し過ぎ、従ってまた余りにも重大に見做しすぎているようである。我々より見れば、ガンヂーは別とするも、その他の指導者の如きは英國及びユダヤの走狗たるに過ぎないのであって、大言壮語好きの結社系言説に見られる如き「東亜解放者」ではないのである。彼等は必ず英國系フリイ・メイスン結社の高級会員たるべく、この点は蒋介石等國民政府の要人と同一であって、その故にこそ印度の指導者連は國民会議派と自称して来たのである。時代を操るためには、時代に通用する名を採るのはユダヤの方策である。従って彼等の反英運動は、愚昧なる民衆を欺き、また一部の覚醒せる者の殺戮に機会を与えるためになされる英國ユダヤとの八百長であるに過ぎない。従ってこの反英抗争は、印度民族の殲滅を目標とするユダヤの運動であるに過ぎない。なお此度の反英抗争の持つ一つの重大なる意義は、この抗争によってビルマまで進攻せる日本軍の印度進攻を防止することである。今次反英抗争のこの性格は、印度指導者達 ―例えばアザット― がルーズヴェルト蒋介石スターリン等に仲介を求める態度を取っていることによっても裏付けされる。真の反英抗争は、現在に於ては枢軸との合作以外に道はないのである。如何に地理的制約があるとは言え、これは歴史の論理なのである。反英抗争のかくの如き自明の性格に無智なるらしく見える日本朝野の認識不足に対して、吾々は多大の不満と不安とを感ずるものであるが、これまたユダヤ問題に関する認識不足の必然的結果である。印度の将来に取って残る問題は、印度の民衆が如何なる程度の抗争力を持っているかによって決定するのであって、これさえ強力であれば指導者達の対英八百長も或いは将来その仮面を剥がれるに至るかも知れないが、しかしこれは至難中の至難事であることを我々は忘れてはならない。ここに我々の印度に対する態度も定まって来るのである。この適当なる対策なき時、英の遺産としての印度はスターリンの手に帰するであろう。嘗つてのチャーチルスターリン訪問はこの点に関する談合をその重要なる課題としたのではないかとも考えられる。世界のユダヤ通信網がこの点に触れなかったことこそそれを証すると言えるであろう。

 

かくて問題はソ連であるが、ハルピンのユダヤ雑誌「ユダヤ生活」が誇らかに述べている如くに、「ユダヤ教ソ連の國教である」のであるから、このソ連米國と並んでユダヤの二大牙城たることは言う迄もないことである。否、ソ連こそは、独ソ不可侵条約の頃に於て多少の変調はあったといえ、昔も今も全くのユダヤ國であって、ユダヤの地位に確立せる点では、現在の米と雖もなおソ連に及ばないと言い得るであろう。勿論かく言っても、米の反猶団体が大東亜戦以前に於ける如くその二百数十のものがそのまま健在であるというのではなく、またソ連に於て反猶主義が皆無であるというのではないが、しかし独裁者専制者としてのユダヤ人の有する権力の強度に於ては、ソ連が米にまさることはなお相当のものがあるのである。それ故に米に於ては汎米ユダヤ会議であった所のものが、ソ連に於ては世界ユダヤ人代表会議となり、然もそれが昨年八月二十四日と本年五月二十四日との両回に公然と行われているのである。ここに於てか我々は最早この会議の内容の詳細を検討するの要を認めないものであって、ただ「赤軍ユダヤの盾である」ということが明白に主張された一点を指示することで今は充分であると考える。古い話ではあるが、純ロシヤ人であったトハチェフスキー将軍等がその功績にも拘らず大根の如くに切り捨てられた謎もこの点より明白になるのである。マルクス主義乃至ボルシェヴィズムは、その実行はユダヤ人にのみ許されるのであって、その対象は非ユダヤ人であり、ただその実行の段階に至る迄は非ユダヤ人の協力を利用するに過ぎないのである。これは資本主義の場合も同一である。

然し前述した如くに、ソ連に於ても反猶主義は根絶された訳ではなく、ユダヤ権力の強烈であるに連れて或意味に於てはその反猶主義もまた強烈であるとも言い得るであろう。そしてこれが今次「独ソ戦」に於ける敗北によって時としてその発露口を見出そうとするかも知れないのは察知せられる。ここに本年十月初旬世界に宣伝せられた赤軍における政治委員制の廃止の如き件が生ずるのであって、この再度目(二度目)と思われる「廃止」は、対内的にはそれの形式的廃止と実質的強化を意味し、対外的には中立國及び日本等に対する宣伝に外ならない。元来スローモーのスラヴ人は、この宣伝によっても相当に乗ぜられるのである。赤化思想の処置に正当なる見識を示し得なかった日本がその宣伝の対象となされていることは名誉なことではないが、然し事実であることは如何ともし難いのである。少なくとも日本の新聞はそれをその儘掲載し、日本のインテリの一部がそれに感傷の涙を禁じ得ないことは、ユダヤの打算の通りである。

なお日ソの関係は、現在としては日ソ条約によって規定されているが、これとてもソ連及びユダヤにそれが好都合なるために維持されて居ると見るべきであって、連合國の軍備拡張が予定の段階に達する時には、今次大戦の第四幕、第五幕としての××衝突の来るのは必至であると考えられる。それを避け得るのは、日本がユダヤ問題にも早く徹して枢軸國との協調をこの点に於ても実行するに至るか、枢軸國による完勝が早く実現されるかの二つの場合である。しかしなおその時にも世界からユダヤ問題が消滅したと見るのは尚早であることは言うを俟たないことである。

ソ連赤軍と言えば直ち督戦隊が想像せられるが、同一のことは秘密結社藍衣社(らんいしゃ) ―これはかのフリイ・メイスン秘密結社の支那化であろう― の支配する重慶支那についても言われ得るのである。そしてなお他に両者に共通する重大なる要素に民族主義のあることは見のがし得ないのであるが、然しこれは前述せる如く印度が時代の風潮に即応して國民の名を利用するのと同一の方策に依るものであって、裏面に於ては秘密結社の力によって生命を威嚇して指導的地位にある者の自由を奪い、他方表面的には民族主義を利用して愚昧なる民衆を欺くのである。これは共に所謂「文明國」に於ては不可能であって、ソ連又は支那に於ける如き國に於てのみ実現され得る方策である。

ソ連重慶に関しては、以上の二点の認識に於て欠ける所がないならば、他の諸点はおのずから明瞭になって来るであろう。それ故に我々はここに筆を改めて、現在に於けるユダヤ対策に関して一言して、この小論を終ることにしたいと思う。

 

我々は既に國内の親猶主義者について多少記述して、それが主としてユダヤ問題に対する認識不足に由来することにも論及し、ひいてその唯物論的志向が必然にかくならしめることをも暗示したのであった。現時局下として最も警戒すべき今一つの傾向は、同じく一面に於ては日本主義を標榜し、國體(国体)論を口にしながらも、結局唯物論の魅力圏内に彷徨する狂信日蓮宗の一群である。この外にも財界その他に親猶主義が存在しており、特に表面的には解消したロータリー・インターナショナルの如き有力なるものもあるが、然しここでは或意味に於て現代の指導層に属するか、或いは責任ある指導層に直接の影響力を持ち、従って重大なる根本國策にも関係すべき憂のある場合のみを挙げるのである。(以下約百字略)

彼等に依れば、ユダヤ問題はユダヤに國家を形成せしめる事によって解決するのであり、独伊のユダヤ排撃は道義に悖(もと)るものであるから、道義國日本は独伊に忠告して、その排撃を中止せしめ、八紘為宇の精神によってユダヤをも救えというのである。彼等の言説が枢軸離間を目標とするものでなければ幸であるし、また××事変を誹謗せんとする下心を有するものでないことを我々は道義日本のために祈らざるを得ないのである。そして何故に猶太のみがかく慈愛の対象となるかについては或種の妖気の揺曳(ようえい)を感ずるのであるが、今はそれを語るべき時機ではないであろう。兎に角その代表者の某紙上その他に於けるあくどい論説は、その表現は、彼得意の美文調であるが内容に至って親猶主義の公式であって、所謂シオニズムとはかかる短見者流の無批判性を算盤に入れて形成されたユダヤの謀略である。従って内容的には問題とするには足りないが、これが責任ある要路者(重要な地位の者)に与えられたる一連の論説の一つであることを思う時、問題は過小視されてはならないのである。この盟邦を侮辱する親猶主義が万一にも責任ある為政者によって考慮されることがあるならば、その結果は前に論及した某の場合にも比すべき悪影響を持つに至るやも計り難いのであって、かかる言説の責任の大なることは、かの場合と同一である。この点に於ても道義日本としては事を曖昧に葬ることなきよう明断を望まざるを得ないのである。そして二つの場合ともに、それらの思想又は行為の地盤となった陰の勢力にもまた適当なる処置の要請されることは自明である。空想的観念的なる旧式日本主義が如何なる秘密力の策謀下にあるかは不明であるが、それが現下最大の危険なる存在と化していることは屡々(しばしば)あるのである。赤色主義に対する批判がなく、ユダヤに対する認識のないために、それは赤に利用され、ユダヤに駆使されるのである。(一七・一一・五)

 

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