猶太と世界戰爭(新仮名)22

f:id:caritaspes:20200623035150p:plain

 

第二章 猶太と世界戦争
五、日本と猶太(昭和13年11月23日)続き

  ×

次は英國が問題となるのであるが、嘗(かつ)ては猶太資本主義の中枢であり、また歴史的にはフリイ・メイスン秘密結社の本地であったこの國も、(第一次)世界大戦後前者は米國に、後者はフランスにその地位を奪われた結果、今は老大國として次第にその世界帝國の影は薄くなりつつあるのである。しかし、過去幾世紀の間アングロサクソン民族の帝國主義的世界侵略の背後にあって常に策動し、その結実を殆ど独占的に横取りしていた猶太勢力の根は、今なお相当に強靭なものであって、我々のしばしば説いた通りに、表面的には日英事変とさえ見える日支事変も、更によく見れば日猶事変であることが判明するのである。その理由は、在支英國財閥は例外なく猶太財閥であるからであり、そして前にも論及した通りに支那の貨幣改革もこの猶太財閥を中心としてなされたのであるし、また最近わが國にも時折半ば秘密裡に来朝して朝野の名士と会見する許りでなく、しばしば待合*にさえ出入するというポール・パッチなる人物が、表面的には駐支英國顧問であるにも拘らず、単なる英國人ではなくて、在支猶太財閥と密接な関係を持つ民族であるに違いないからである。とにかく英國の対支政策は、本國の意志よりも現地猶太の意志の儘に動くことが多いと称せられているが、最近の英國の現実外交が現地即応主義であるという噂を想起する時、これはなかなか興味のある問題である。然もその現地猶太には、支那問題に限り、英國に(を)裏切って日本と協力したいとさえ仄(ほのめ)かしていると言われているのをも考慮する時、我々はこの場合にも猶太の常套的二重政策を感じないでは居られぬのである。一時的には頭を屈すると見せて、相手の虚をつき、それによって実質的利益を手に収めようというのが、自己の方針に誤算を来した場合に猶太の取る常套手段であることは歴史の証する所である。

*待合とは、花柳界待ち合わせや会合のための場所を提供する貸席業で、(東京などで)主に芸妓との遊興や飲食を目的として利用された。 京都でお茶屋と呼ばれる業態に相当する。

かく考えて来る時、ミュンヘン会談以来の英首相チェンバレンの態度が真に非猶太人的平和意志から出ているものであるか否かが疑わしくなるのである。殊に彼にもまた母親の猶太の血が流れているとか、また彼が有名な武器会社の株主であるとかいう説のあることを考える時、その疑惑は一層深まるのである。

我々が以上に多くの疑問符を英首相の行為に対して付したのは、この首相の率いる内閣が、英國内閣たるにふさわしく、多数の猶太人又は人為的猶太人を含んでいるからである。十一月五日頃の海外電報は、ホーア・ベリシャ陸相がウッド空相と共に猶太武器会社の利便のためと言わん許りに軍需省の設置を強硬に主張し、「陸相としての任務を満足に遂行する方法が与えられないならば、辞職する外はない」と威嚇していると伝えているが、このホーア・ベリシャ陸相こそは、将来の英國を背負って立つ猶太の代表者であるとして、猶太側のホープとなっているのである。前にも引用した「アメリカン・ヒブリュー」紙は英のホーア・ベリシャ、米のルーズヴェルトソ連のカガノーヴィッチとリトヴィノフ、フランスのブルムを猶太の将来を保証する立役者であるとしているのである。

理想主義外交家としてその反日独伊政策で有名であった國際連盟主義者イーデンがこの内閣から退き、今はハリファックスが外相となっているとは言え、なお外務省そのものは猶太人次官を始めとして、大部分がイーデン派で固められているので、省内の万事はイーデンに筒抜けであると称せられているが、彼の祖父が猶太人の多いポーランド人であり、その細君がリトヴィノフの細君と姉妹であるというのであるから、その政策が猶太的でないとは何人も主張し得ないであろう。この点はとにかくとしても、彼が高級フリイ・メイスン結社員であることは事実であって、それ故にこそ彼が猶太主義者であり、連盟主義者であることも理解が出来るのである。英内閣のうち、陸軍省と外務省とが最も援蒋的(蒋介石を支持して居て)反日的であると称せられているが、その謎は我々の記述からして自明の事となったであろう。

しかし英の反日派は、有力なるものだけを見てもなお以上では盡きないのであって、所謂國際連盟派と称せられるチャーチル乃至ロイド・ジョージ等のフリイ・メイスン結社派もまた援蒋反日派である。猶太フリイ・メイスン結社員であるチェコ前大統領が英國へ渡ったのも、猶太フリイ・メイスン戦線の再起を計画するために英國が好適であるからに外ならない。

なおフリイ・メイスン結社系の反日主義者として注目に値するのは、かつて日本のキリスト教徒からさえも反省を促がされたカンタベリー僧正の場合であって、彼は単に反日である許りでなく、全く猶太的に反独であり、反伊であり、また従って親ソ的であり、親赤色スペイン的であり、更に親チェコ的であるのである。即ち、彼は排日排独排伊大会等では進んで議長となってアジるのであるが、一方ではソ連当局に向って、英ソの友情の確立のために努力することを約束し、ソ連の印象は「物質的裕福」であり、其処には「真の自由の実現に対するあらゆる前提」があるとさえ言っているのである。然も現実のソ連では、キリスト教会の多くは、焼却されないとしても、舞踏場又は劇場に変更されて、猶太教会堂のみはなおかなりに残されているのであるが、そのソ連英國教の高位の僧によって、かく口を極めて讃嘆されているのを見る時、我々はそれを正気の沙汰とはなし得ないのである。しかしこの事実は、英國に於ける猶太の勢力の絶大であることを証拠立てるものであって、英國教は事実に於て猶太教であると称せられても、カンタベリー僧正には辯明の余地はない筈である。なお僧正がボルシェヴィズムの信奉者であることは、赤色スペイン又は赤色チェコにも表面的に同情を寄せて、赤色スペインのミアヤ将軍からは謝電をさえ受けたことからも明らかであろう。またチェコは、その首府プラーハで行われた一昨年の無宗教者会議にマサリック前々大統領もベネシュ前大統領も出席しているにも拘らず、カンタベリー僧正に取っては、ソ連と同じく、最も宗教的な國であると見えたらしいのである。

  ×

最近までのフランスは、我々がしばしば指摘して来たように、最早真の独立國の資格が見られないのであって、或時はソ連の属國であるかの如き観を呈するかと思えば、或時は英帝國の属領であるかの如き相を示している。この國は、元来過激な大陸フリイ・メイスン結社の本地であるので、其処に根を下ろしている猶太勢力は、遂には猶太人保護法を成立させることにさえ成功するに至っているのである。

それ故にミュンヘン会談におけるフランス側の態度は、非猶太系独伊の真の平和意志へのフランスの積極的参加ではなくて、我々が別の場所で説いた如き猶太側の戦備と宣伝との不足から来たものであるに過ぎない。殊にダラジエ首相の細君が、米國務長官等の場合と同じく、猶太女であることを考慮し、また一九三四年のスタヴィスキー事件**に際して遂に出征フランス在郷軍人をして猶太への最後的屈服をあえなくせしめたのが彼が首相であった時のことであるのを知るとき、一層その真実性を増すのである。

**スタヴィスキー事件は、1933年末にフランスで発生した疑獄事件である。時の政権をも揺るがす一大スキャンダルに発展すると共に、左右両翼の対立が激化する大きな原因となった。

フランスがなおフリイ・メイスン結社の支配下にあり、従って猶太の支配下にあることは、日支事変によっても明らかにされる。即ち、昨年十一月初旬の新聞は、仏領印度支那経由の支那向武器輸入に関して、しばしばそれが本國政府の威令(いれい)の行われない國境方面の不良官吏の仕業であることを伝え、また別の報道は、それが植民大臣猶太人マンデルと支那大使顧維鈞との密謀に応ずるマンデル配下の仏領印度支那総督と宋子文一派との仕事であることを報じている。この二つの報道は、結局同一のものであって、猶太人マンデルもフリイ・メイスン結社員であり、支那大使もそうであるのであるから、其処に武器輸出位の密謀のあるのは当然であろう。然も仏政府がそれに関知せず、又はそれを阻止し得ないというのは、我々日本人としては理解の出来ないことであるが、猶太が独裁的勢力を占めているデモクラシー諸國に於てはかかる事件は極めて自然なのであって、政府としては関知してもそれを阻止し得ないのが実状なのである。

殊に一度猶太フリイ・メイスン結社の寵(ちょう:気に入られ、可愛がられること)を失う時には、フランスでは決して二度と高位の官職に就き得ない許りか、現に保有しているものまでをも奪われるのが常であるから、猶太勢力の大きさは察せられるであろう。実に現内閣には最も兇悪なフリイ・メイスン結社員と称せられるサローが内相として加わっている許りでなく、その外相ボネもまた同結社員であり、ゼ文相の如きは純粋の猶太人なのである。文相に猶太人を頂いて、フランス人の教育を猶太に指導されるフランス人こそは、世界でも最も不幸な國の一つと言い得るであろう。なお前文相デルボスや、國際平和運動連盟会議で反日的決議をした時の議長であったフランス前空相コットも、フリイ・メイスン結社の高級会員である。

然し我々はフランスを論ずる場合には、他の諸國の場合にも増してこの國の猶太億万長者ロスチャイルドのことを考慮しなくてはならない。現在のフランスはロスチャイルド王朝の支配する國であるとさえ言われる位であって、フリイ・メイスン結社員である彼は、その財力によってフランスを実質的に自己の支配下に置いているのである。それ故に米國の愛國主義者達は、世界の戦争はこの王朝と米國にあるワールブルク(ウォーバーグ)猶太王朝との抗争によって生ずるとさえ言っている位である。後者は独逸系の米國猶太人であって、その一家の現在の勢力は極めて大きいものであると伝えられている。

然しフランスにおける金権猶太は、なお他にも代表者を持っているのであって、その一人は純猶太秘密結社ブナイ・ブリスの結社員である億万長者ブルムである。既に彼については幾度か論及したのでここではこれ以上述べることはしないが、彼がフランス人民戦線の総帥であることは、赤色帝國主義と金色帝國主義とが同根であることを証示する最も適切な例となるであろう。彼は元来はブルガリヤに國籍を持っていたフンケルシュタインを本名とする猶太人であるが、例の変名変身術によって、今ではフランスの中心的勢力となりすましているのである。

なお事変下の日本としては、上海のフランス租界が共産党の巣窟をなしていること、及びその原因がフランス本國の猶太にあることを、英國の場合の反日勢力が主として現地猶太とその指令下にある政府機関の一部であることと対照して、銘記すべきであろう。(一三・一一・二三)

 

⇒猶太と世界戰爭(新仮名)23 ⇐猶太と世界戰爭(新仮名)21