猶太と世界戰爭(新仮名)20

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第二章 猶太と世界戦争
五、日本と猶太(昭和13年11月23日)続き

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我々の本来の目標は日本と猶太との関係を見ることであるが、既にこの点に関しては、主として日支事変を媒介とする場合ではあるが、以上に於ても多少は論及して来たのである。

しかしこの関係を真に理解するためには、今や日本を十重二十重(とえはたえ)に取巻いて、世界支配の完成のための最後の努力をしている猶太戦線の三つの幹線である國際資本主義、國際共産主義、國際フリイ・メイスン秘密結社に関して、それらが同一の根拠に立ち、同一戦線に属することについて、前の記述を補っておかなくてはならない。前述の通りに、日本知識階級の間には、自覚的又は無自覚的に猶太戦線に躍る者が今なお相当に見受けられるからである。

第一の國際資本主義に関しては、それが猶太資本閥に外ならないことは、日本でも現在では常識であると見做してよいであろう。世界の金の約八割をその手に収めて、米國の某々所にそれを死蔵*しており、そのために金が経済界を支配する現在の唯物的経済機構に於ては、猶太資本閥の意志のままに世界の景気不景気さえ決定されるのが実状であると称せられるが、この点に関しても今は語ることを差控えて、國際共産党とフリイ・メイスン結社との猶太戦線性に関してのみ述べて見たいと思う。

*死蔵:世の中の役に立てず、ただ無駄に仕舞いこんでいること

國際共産主義もまた猶太のものであると言われるとき、資本主義の本山とも言うべき猶太が自己の地盤を覆えそうとする共産主義を援助しまた信奉することはあり得ない、という疑惑乃至反対論が発せられるのが常であるが、これは実にお目出度い議論であって、猶太の宗教と人間観とその歴史とを多少とも知る者には、両者が表面的に対蹠的(たいせきてき:正反対)であるからこそ却ってその猶太戦線性が証明されるのである。とにかく、猶太人をも自己と同一の心理状態の民族であるとする所から来るこの類推作用に基づく反対説乃至疑惑は、猶太がそれを利用して既にその世界支配を将に完成しようとする点まで漕ぎつけて来ている所のものであって、この一点からも猶太の「頭のよさ」と「心の冷たさ」とに対して、非猶太人の「頭の悪さ」と「心の暖かさ」とが対蹠的であることが窺われるのである。猶太としては、共産主義が共産的であるから協力するのではなくて、その國際性が猶太國際民族の世界支配策に有効であるが故に援助するのであって、これは手段を択ばぬ猶太としては当然のやり方なのである。従って共産主義は、単に貧乏猶太人によって支持される許りでなく、猶太財閥そのものによっても支持されるのである。否それは猶太資本主義によって特別に援助し助長されるのであって、これは猶太の世界支配政策が主として資本主義猶太人の計画であることから見ても当然であろう。即ち、資本主義猶太人は、共産主義によって非猶太人の資本を潰滅させ、非猶太人の宗教を廃棄し、非猶太人の政治的権力を顛覆(てんぷく)させ、非猶太人の國家と家庭とを滅亡させようというのである。そしてこれがかの「トーラ」又は「タルムード」以来の猶太の政策であることは、前節の記述で充分に明らかであろう。それ故に共産主義は、猶太に取ってはエホバの命を果す方法の一つなのであって、この点に於て國際資本主義と少しも衝突する所はないのである。

然らば猶太資本主義は如何にして実際に共産主義を援助するかというのに、それはボルシェヴィズム革命が主として米國財閥クーン・アンド・ローブ(Kuhn Loeb & Co.)の援助によって遂行された例の示す通りに、資金関係に於てである。世界的組織を持つ共産党が資金なしに國際的活動をなし得るとは何人も考えないであろうが、この一点から考えても、國際資本主義と國際共産主義とが同一猶太戦線であることは理解される筈である。それ故に、たとえ猶太の幾千年の歴史を知らない人も、世界の通信言論機関を支配している猶太のその日その日の宣伝のみに躍らないだけの批判力のある人は、両者が表面上相矛盾するが故に無関係であるという如き疑問を提出すること、恥かしさを感ずるであろう。

実に猶太は、経済学者リカルドー[1]以来、マルクス、ラーテナウ[2]等を経て、現在フランスの赤色社会党首領のブルムに至るまで、上述の二重政策を意識的に実行して来ているのであって、リカルドーは銀行家であり、マルクスは敬虔なる猶太教徒(表面は改宗していたが、これは敬虔な猶太教徒がその世界政策のために意識的にする偽装の代表的な場合である)であり、ラーテナウもブルムも、日本の百万長者とは単位の異った億万長者であるのである。

[1]デヴィッド・リカードは、自由貿易を擁護する理論を唱えたイギリスの経済学者。各国が比較優位に立つ産品を重点的に輸出することで経済厚生は高まる、とする「比較生産費説」を主張した。スミス、マルクスケインズと並ぶ経済学の黎明期の重要人物とされるが、その中でもリカードは特に「近代経済学創始者」として評価されている。

[2]ヴァルター・ラーテナウは、ドイツのユダヤ系実業家、政治家、作家。多国籍企業電機メーカーAEG会長。キリスト教へ改宗しなかった。ヴァイマル共和国初期に外相を務め、ソビエト連邦とラパッロ条約を締結したが、極右テロ組織コンスルのメンバーに暗殺された。

 

そしてこの事情は、最近フランスで発見されたマルクス宛の手紙によっても判明する。即ち、彼の友人バルフ・レーヴィ**は彼に次の如く書いている。

「全体として見れば、猶太民族自体が救世主であるかも知れない。世界に対する猶太民族の支配は、爾余(それ以外)の人種の統合に依り、又小國分立主義の防壁なる國境や専制王國の払拭に依り、そして到る処に於て猶太人に市民権を許容するであろう所の世界共和國の設立に依って実現されるでしょう。人類のこの新しい組織の下では、イスラエルの子等は今後世界に拡がるでしょう… 彼らは到る所で、何等の抵抗も受けることなく、指導的要素となるでしょうが、特にこの事は労働者階級の支配権を自己の手中に確保することによって安全に成就されるのです。この世界共和國に属するあらゆる國家の政府は、プロレタリヤの勝利という仮面を被った猶太人の手に例外なく帰するでしょう。あらゆる私有財産が猶太民族の指導者達の所有となるのは勿論のこと、あらゆる公有財産もまた猶太人の管理下に入るでしょう。かくて、メシアの時代が来るや否や猶太人は世界のあらゆる國民の富をわがものとするであろう、というタルムード中の神の約束は実現されるでしょう。」

**詳細不明:1819年ドイツ各都市で起こったヘップ・ヘップ反猶太暴動をきっかけに設立された「ユダヤ人文化科学協会(Verein für Cultur und Wissenschaft der Juden)」に属したと言われる人物。

この言葉によって、マルクス主義そのものの本質は既に明瞭であろうが、なお念のために我々はラーテナウにも耳を傾けることにしよう。

「相識(互いに知り合い)の三百人が大陸の経済的運命を導いて居り、後継者を自己の周囲より選ぶ。この不可思議な現象は、将来の社会の発展を暗示するものであるが、ここにはそれを記することは控えたいと思う。」

これは彼をして「赤の預言者」の名を得しめた著名の語であるが、それが既に一九〇九年に書かれたものであることは、驚異に値するであろう。そしてこの三百人が猶太資本家乃至猶太的フリイ・メイスン結社員であり、「将来の社会の発展」とは世界大戦をも含む西欧に於ける猶太支配完成の時期を指示していることは、ラーテナウの他の活動及び言説から判明するのである。

「我々猶太人がこの世界に生れ出たのは何のためであるかを、君は知っていますか。あらゆる人類をシナイ山の前へ呼び寄せるためです。君は行くことを欲しないですか。もし私が呼ぶので駄目なら、マルクスが君を呼ぶでしょう。もしマルクスでも駄目なら、スピノザが君を呼ぶでしょう。スピノザでも駄目なら、キリストが君を呼ぶでしょう… 。しかし我々猶太人はまだその使命を満たしていないのですから、この点で君が我々を非難なさるのは尤もなことです。」

ラーテナウに取っては、彼自身もマルクススピノザもキリストも、何れも猶太の世界支配の一指導者であるというのである。資本主義もマルクス主義も「知性」哲学もキリスト教も、何れも猶太の世界支配の手段であるというのである。嘗て我々によって紹介された今春(昭和十三年)のカナダ共産党の宣伝ビラが、「共産主義の資金網を形成する猶太人の財産を保護せよ」と書いているのも、同じ事情を物語るであろう。

なお我々は一九一九年のヴェルサイユ会議の頃に於ける猶太自身の別の言葉を今一つ引用しておこう。それはその年の一月十六日の「猶太世界」誌の文である。

「國際猶太人が今度の戦争を欧州に強制したのは、多額の金を入手するため許りではなくて、これによって猶太のための新しい世界戦争を始めんがためである。」

この引用は一言論機関の語に過ぎないのであるから、それに過大の預言的意義を付することは適切ではないかも知れないが、然し猶太がその純粋の猶太機関に於て内輪に発表するプログラム的言説は、極めてしばしば猶太の世界政策を暗示していることがあるので、それを全然無視することもまた適切ではないのである。例えばかの「シオンの議定書」の如きも、猶太がその偽作であることをあらゆる虚偽の捏造によって否定する許りか、例えば近年スイスベルン市の法廷を煩わしてまでもその横車を押そうとしたにも拘らず、世界の動きと猶太の向背とがその偽作ではないことを証しているのみか、ベルンの法廷に於てさえ、猶太側の裁判官によって猶太側の証人のみの言を用いて判決されなかった第二審に於ては、議定書を猶太政策プログラムとする非猶太人側の勝利に帰したのである。この意味に於ては、この一ユダヤ雑誌の言も注目に値するのであって、世界大戦後の世界の動きは、「猶太のための第二の世界戦争」の準備のために総てが計画的に進められて来たのであり、今もまたそうである。

そしてその第二次世界戦争とは、世界革命を目的として、英米仏ソ等の猶太支配諸國の連合軍をして日独伊全体主義國家と戦わしめることをその現在のプログラムとしているのである。それ故に彼のスペイン問題に於てイタリアが立ち、チェコ問題で独逸が立ち、何れも猶太の計画とは齟齬(そご)して独伊の勝利に帰したのは、猶太としては取返しのつかない誤算であったのである。

しかし猶太の誤算は、東の支那事変に於ても見られるのであって、我々が幾度か説いて来たように、國民政府なるものは、その真の姿に於ては、支那國民そのものとは何等の関係のないものであって、それは東洋に於ける猶太の世界政策の協力者であり、番犬であるが、この蒋政権の究極の目標は、少なくともかの抗日政策の確立した日以来は、日本をも巻き込んでの第二次世界大戦の誘起にあるのであって、これは少なくも蒋介石自身の昭和六年の元旦の宣言以来は確立していたのである。然し現在の事変の経過が示しているように、これは全く猶太及び蒋政権の誤算となりつつあるのである。

かく西に於てはスペインとチェコに於て失敗したのであるから、東に於てもまた日支事変に失敗するとすれば、将に完成せんとしていた猶太の世界支配は根本的に蹉跌(さてつ:事が見込みと食い違って、うまく進まない(失敗の)状態になること)することになるので、ここに蒋政権の長期抗戦と焦土戦術が必然的に生れて来るのである。ここに蒋政権が案外強靭な理由もあるのであって、世界の猶太がその背後にあって支持しているのである。

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然し蒋政権のねばり強さの謎は、國際的フリイ・メイスン秘密結社と蒋閨閥又は蒋政府との関係を知るに至って一層よく判明する。この秘密結社については、その起源・成立史・本質等に関して種々の説があるので、ここではそれ等の点に論及することを差控えたいと思うが、少なくとも猶太解放革命としてのフランス革命以来それが猶太世界政策の一機関と化していることは、猶太人自身もしばしば主張している所である。念のためにここにその二三を紹介しておこう。

「フリイ・メイスン結社は猶太の設立物であって、その歴史・階級・職務・暗号・解釈は徹頭徹尾猶太的である。」

これは一八六六年に於けるアメリカの有力な猶太人アイザーク・エム・ワイズの言であるが、後述する純猶太秘密結社ブナイ・ブリスの会員ゲー・カルペレスは一九〇二年にこの結社の記念論文集に次のように書いている。

「フリイ・メイスン結社の設立者は、猶太の最盛期を到来せしめたソロモンであると称せられるが、それに相応わしくも、フリイ・メイスン結社というイデー(考え)は内面的必然性をもって猶太人の世界から生れたのである。用語や名称は大部分はヘブライ語である。」

更に新しくは、一九二八年のフランスのフリイ・メイスン結社の一機関誌「象徴主義」に次のように記されている。

「フリイ・メイスン結社の第一の行為は、神的な智慧を不変のままに保持して来た猶太民族を賛美することである。」

次に新しい例を独逸に求めるならば、一九二五年のフリイ・メイスン結社の一機関誌「アウフ・デル・ヴァルテ」には、

「フリイ・メイスン結社員となるためには、狭隘なる独逸的祖國的立場を捨てて、選ばれたる人即ち独逸猶太人とならねばならない。」

と記されている。

これを換言すれば、ルーデンドルフ将軍以来著名の語となっている「人為的猶太人」とならねばならない、というのである。純猶太フリイ・メイスン結社として現在の世界に大きな勢力を持っているブナイ・ブリス結社の会員が猶太人であることは自明であるが、その他のフリイ・メイスン結社の会員もまた、上述の諸引用によって見ても、すべて「人為的猶太人」と称せられて差支えないのである。普通フリイ・メイスン結社は三十三階級に分れているが、その幹部級が現在では大部分猶太人であるか、猶太と何等かの点で利害を一にして結合している者であるのが実状なのであって、ミュンヘン・アカデミーのエッケルは既に一八八四年に、「シュルハン・アルフ」よりの抜萃「猶太鏡」の真偽が法廷で問題となった時、その鑑定家としての研究の結果を述べた書物の中で、「猶太当局者に服従することが、フリイ・メイスン結社の責務であり、現実である、」と言っている。

なおフリイ・メイスン秘密結社の真の目的は、その第三十三階級にまで上ったが遂にこの結社の偽瞞政策に良心の苦痛を感じて脱退した独逸のレーリヒの手記に依れば、祖國を捨て、伝来の宗教を捨て、國民共同体と民族とを否定して、所謂『自由・平等・博愛』に生きることであるというのであるが、これが國際民族としての猶太民族に最も好都合であることは、改めて説明する必要はないであろう。従ってこれが、猶太の世界政策としてのマルクス主義及びボルシェヴィズムに連結され、またその温床としての自由主義と相通ずるものであることはレーリヒ自身も明らかに認めている通りである。

さて蒋政権とフリイ・メイスン結社との関係を明らかにするためには、支那革命の祖である三民主義の主唱者孫逸仙孫文)その者が既にフリイ・メイスン結社員であったことから説かねばならない。この点に関しては既に我々によって論ぜられたことがあるので略述するが、孫の属したフリイ・メイスン結社は、最も兇悪で最も勢力があるとされている純猶太結社ブナイ・ブリスであったのである。この点から見る時、孫逸仙は単なる「人為的猶太人」ではなくて、古き昔の猶太國滅亡の際に支那へ漂泊して来た猶太人の血を享けている所謂「支那猶太人」であるかも知れないのである。また、蒋介石その他國民政府の要人も、殆ど例外なくフリイ・メイスン結社員であることが判明している。従って彼等の信奉する三民主義なるものも、巧みに偽装されたフリイ・メイスン主義であり、従ってそれはそれだけで既に猶太共産主義又はボルシェヴィズムと親近性を持ち、従って、國民政府が直接間接に猶太の支那搾取の代用機関であることが判明するのである。容共抗日策の総ては、殆ど例外なく猶太人顧問の手によって実行されたものであって、貨幣改革の如きも猶太資本家サッスーンと英國政府財政顧問という肩書を持つ猶太人リースロスとの合作に外ならない。國民政府を援助するために送られている猶太人は、ソ連より来たガロンその他であろうと、英米仏の大使の肩書で来ているジョンソン、ヒューゲッセン、ナジャール等であろうと、また國民政府顧問として西安事件に蒋の救出に活躍して名を挙げたドナルドであろうと、何れも猶太人ならぬ者はないのであり、またその多くは同時にまたフリイ・メイスン結社員であるのである。

殊に彼等の大部分が純猶太フリイ・メイスン結社であるブナイ・ブリス結社の会員であることは注目に値するであろう。かの著名の「シオンの議定書」は、今ではブナイ・ブリス結社の世界政策のプログラムであると信ぜられているが、容共抗日支那に行われていることは、その地上的事件であろうと、地底的事件であろうと、すべて猶太的フリイ・メイスン的ならぬものはないと言っても過言ではない。

最後にフリイ・メイスン結社に関する認識が日本朝野に欠けている理由についても一言しておこう。日本朝野のこの結社に対する態度は、一般猶太人問題に対するのと全く同一であって、猶太戦線性の多い者ほどにこの結社について知ることを拒否するのである。それが表看板に慈善的相互扶助団体としているのを盲目的に迷信するのはまだよい方であって、かかる秘密結社の存在を疑う者さえあるに至っては正気の沙汰ではないのである。これは日本人の公明さのためでもあるが、しかし所謂知識階級にこの種の無批判者流の多いことは、日支事変とその後の世界と日本との情勢に思いを致す者に取っては、由々しき大事である。勿論、フリイ・メイスン結社そのものは日本にはない。あってもそれは外國人のみが出入するに過ぎない。日本政府とフリイ・メイスン結社との間の紳士協定によって、日本人は國内に於ては入会し得ず、またその会合に出席し得ないことになっているからである。しかしフリイ・メイスン結社の祖國である英國は、皇室を始め有力者の殆どすべてが結社員であるので、英國に駐在する帝國使臣は、儀礼的又は便宜的にそれに加入することがあり、日英同盟の立役者であった林子爵の如きは、相当の高級結社員にまで昇級していたことは外國のフリイ・メイスン結社に関する書物にはしばしば記されている。我々は、この外交上の習慣乃至伝統が現在どうなっているかは知らないが、フリイ・メイスン結社に於ては、脱会後さえも結社の秘密を守ることを生命をかけて誓約するのであるから、この点に関してはかなりの注意を要するであろう。

殊にこの紳士条約の裏面を潜るためとも見えるロータリー・クラブ、國際ペンクラブ等が、表面的にはフリイ・メイスン的な美名の下に、次第にわが國の上層有産階級を侵蝕しつつあることは、決して忽諸(こっしょ:疎か)に付すべき現象ではないであろう。創立者も宣伝者も猶太人であるこれ等の結社は、現在ではなおその害毒を表面に出してはいないとしても、心ある日本人はその美名に釣られて、猶太の世界政策の手先と成り終(はて)ることのないように反省すべきであろう。

それ故に我々は、以下日本と関係ある猶太人を述べるに際しても、彼等がフリイ・メイスン結社員であるか否かに関しても出来る限り注意して行くことにしよう。

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