猶太と世界戰爭(新仮名)24

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第二章 猶太と世界戦争
六、日猶抗争としての日支事変(昭和13年8月5日)続き

その一つは、昨昭和十二年十二月二十六日から二十八日にかけて満州國ハルピンに於て開催された極東猶太人協会の第一回会議である。この会議に関しては種々の解釈が下されているようであるが、その議長がカウフマン[1]であり、副議長がペルコヴィッチであり、顧問としてザイグレーフが挙げられている所から見て、この会議の決議もまたあらゆる他の猶太人会議のものと同じく、その正体が「宣言」でなく「宣伝」であることは、我々の確信する所である。殊に猶太の幾千年の歴史を知り、また猶太が東洋に於て英・仏・露等の名の下に久しきに亘って何を策謀して来たかを考える時、その『正義日満支持』の宣言は、窮地に陥った場合に禍を転じて福となさんがために、猶太が非猶太の正直さと正義心とを利用してなす常套的詐欺手段以外の何ものでもないことは直ちに判明する。殊に議長カウフマンが、この会議の前後に於て天津及び香港に赴いて、或いは講演に或いは会談に於て、アメリカ猶太資本の北支流入を策動したことを知る者には、かの会議そのものの内容が日支事変によって動揺した猶太の東洋に於ける地位を再確立せんとするものであり、そのまことしやかな決議宣言はそのための宣伝であることが理解されるのである。即ち皇軍に依る北支及び中支の占拠のために受けた在支猶太財閥の痛手、排日侮日抗日の暴挙に駆り立てた蒋政権の余りにも無力さによって明らかにされた猶太の違算、猶太勢力の表面的形態としてのソ連・英・米・仏等のわが國に於ける威信の失墜等、直接間接の猶太地盤の動揺のみならず、昨年末の迷彩日本共産党の検挙の結果として赤化宣伝の無力化による銃後撹乱策の失敗を見ては、海千年山千年の曲者たる猶太たるものがここに手を拱(こまね)いて坐視し得ざるは当然であって、これがかの極東猶太人会議となり、その宣伝的宣言となったのである。殊にその宣伝文中注目すべきは、「欧州数ヶ國及びソ連によって猶太人の一切の人権が蹂躙され、ユダヤ教が悉く絶滅され」と書かれている点であるが、これは英・米・仏・チェコ等の猶太独裁國は勿論のこと、ソ連乃至赤色スペインに於ても事実はその正反対であり、むしろ一切の人権を蹂躙されているのはこれらの諸國の多数民族であり、絶滅されようとしているのは特にソ連乃至スペインに於けるキリスト教徒である。それ故にこの部分の真意は、独逸・イタリア・防共スペインに対する毒矢にすぎないのであって、一言にして言えば防共諸國間の離間がその隠れたる目的であるのである。その際に猶太専制下にあるソ連を加えたのは、日本とソ連との緊張した関係を利用して、あわよくば日ソを相戦わしめ、それによって猶太民族の最近の目標たる第二次世界戦争を勃発せしめようとしているのである。以上に続いてその宣伝文は、彼等の紋切型の口上である「少数民族の迫害」を持ち出し、それに依って彼ら自身の少数民族に依る世界多数民族の搾取の事実を隠蔽し、更に猶太民族の「道徳的長所」と「一般人類の文化に対する寄与」とを力説することさえもしているが、その「長所と文化に対する寄与」とが表面的形態はともあれ、結局本小論第一節の如き内容を持つものであることを知る者には、その余りにも猶太的なる厚顔無恥さに文字通り開いた口が塞がらぬのである。然も更に「日満両國は猶太民族に取っては唯一の平和郷である」と嘯(うそぶ)き、コミンテルンを「世界的罪悪の根源」であると白ばくれ、「大家族主義的國家主義」を日満両國の使命であると扇動するに至っては、その言辞の尤もさに反比例する内容の猶太的悪逆さを痛感せしめられるので、如何に人の好い我々日本人と雖も、これをその儘信ずる程に甘くある事は出来ないのである。爆撃せんとし又は利用せんとする相手に対してはその相手の長所を扇動する事によってその目的を果たそうとするのは、これ実に猶太の常套手段であって、非猶太人の心理を以て猶太人を推しはかる限りに於ては、過去現在の人類の歴史に証明している通りに、必ず猶太人をしてその野望を達成せしめる外はないのである。

[1] アブラハム・カウフマン(Dr. Abraham Josevich Kaufman:1885~1971)はウクライナ生まれの猶太人でシオニストで、その曽祖父は正統派ユダヤ教ハシディズムのラビでチャバドの創始者ネール・ザルマンである。1919年から1945年までハルビンの猶太教団会長を務めた医師である。日本の敗戦の結果、第二次支那事変と第二次大戦中に日本当局と連絡した廉で誘拐・逮捕され、1945年~1956年、ソ連の強制労働収容所に収容された。イスラエル当局の働きかけでイスラエルに移住し、そこで医師として復権した。

 

ここに我々は、この東洋猶太人協会の第一回会議の決議文と並んで、同じく昨年の十月二十八日付パレスチナ発行の猶太新聞ハボケル紙上の次の宣言文に世人の注意を喚起したい。

チェコは、他國に対する憎悪と圧制及び反猶太主義の旺盛な諸國によって取囲まれているにも拘らず、それは岩の如く毅然として立ち、真の自由なる國として模範たることを世界に示している。」

チェコの内情を知る者は、この自由が猶太人の自由を意味することを直ちに知るであろう。大統領始めとして猶太人が枢要な地位を独占し得ているチェコこそは、他國に対する憎悪と他民族に対する圧制との模範たる國であって、これはチェコが極悪非道のソ連と軍事条約を締結しているという一事のみからも、論断され得ることであるが、そのチェコを真の自由の國と称する猶太民族が、東洋に於てのみコミンテルンを「世界の罪悪の根源」と主張することが何処に真実性を持ち得るであろうか。世界大戦の久しき以前に猶太フリイ・メイスン秘密結社は、独・墺・露の三帝國を壊滅させ、その中間地帯に一國を作って欧州擾乱の策源地とすることを決議していたことは文献的にも明らかであるが、その策源地として人為的に生産されたのがチェコであることを思えば、そのチェコが猶太の楽天地であるのは当然であるが、東洋にもまたチェコを建設しようとする猶太の策動に対しては、我々はその宣伝の儘にそれを受入れることは出来ないのである。

次に考慮したいのは、上述の極東猶太人会議が日満攻略の搦手(からめて)戦法であるのに対して、同じ日満攻略の遠距離間接射撃とも言うべき國際平和運動連盟主催の無防備都市空爆反対國際大会(本年七月二十四日パリにて開催)のことである。現在に於てあらゆる國際会議が世界唯一の國際民族である猶太の指導下にあることは否定され得ない事実であるが、それと同時に注目さるべきことは、現代に於けるあらゆる平和団体が、実質に於ては猶太の当面の目標としての第二次世界大戦惹起の手段化していることであって、巧妙なる猶太の策動は、かかる団体を用いて自己の作り出す世界大戦の責を他へ転嫁することを期しているのである。それは例えば、日支事変を勃発せしめたのも結局猶太であるが、しかしその責は専ら日本にあるかの如くに世界の無批判なる大衆に信ぜしめているのと、全く同一筆法である。猶太の息のかかったもののなす事であれば、ソ連に於ての如く幾百万幾千万の人間を殺戮することも正義であり、英・米・仏に於ける如くに少数國際資本が大多数の民族を搾取しても正義であり、また支那に於ける如く堤防を破壊することによって幾十万の自國の民を苦しめても正義であって、それらに対しては何処よりも一片の抗議も発せられないのであるが、猶太の世界支配の道を阻止するものは、自國を滅亡の淵から救うことも悪逆非道の暴挙であり、防備都市を爆撃することも人道を無視する行為と称せられるのである。パリに於けるこの國際会議の議決を見ても、この意味は余りにも明白に露呈されている。殊にこの会議もまた猶太の策動であることは、同大会にメッセージを寄せた者が猶太フリイ・メイスン結社員蒋介石であり、スペイン人民政府ネグリン首相であり、チェコの猶太フリイ・メイスン結社員ベネシュ大統領であることによって明瞭である許りか、その会議からメッセージの送られたのがアメリカ猶太フリイ・メイスン結社員米國大統領であることを思えば、思い半ばに過ぎるものがあるであろう。この会議に英仏のメッセージのないのは、フリイ・メイスン結社員である仏前空相が司会しているためであり、英國猶太人がこの平和連盟の中枢をなしているがためであろう。

独伊を除く世界の言論通信機関の大部分を掌握する猶太の動きは、その東の決議を常にその西の決議と連絡せしめ、その赤色系の策謀を常にその資本閥の意図と連結せしめるのであって、このことを知る者には、以上の表裏をなす二会議の決議に現われたる所のみを見ても、猶太の動向を知るには充分である。この意味に於て、日支事変を誘因として行われたこの二つの会議は、日支事変そのものが日猶の抗争であることを充分に証するのである。

上述の猶太の近親遠攻の両戦法を考慮する時、日支事変下の日本に対する所謂世界の輿論の悪化の真因が直ちに判明するであろう。即ち猶太は、その金力の独裁下にある世界各國の言論通信機関を総動員して、非事実を事実とし、事実を歪曲して、元来正義心に富む非猶太人を煽動しているのである。それ故に日本が正しければ正しい程、強ければ強い程、日本に対する世界の輿論の悪化するのは必然であって、これは日支事変が日猶事変であることの真相を掴むことによってのみ理解されるのである。従って正義日本の立場は、一部正直なる日本人の考へる如くに、事変の真相を対外的に宣伝することによって、正当な理解を得るということは、殆ど不可能事に属するのである。否、多くの場合には、日本は宣伝をすればするだけ一層世界の輿論の悪化を期待しなくてはならないであろう。この事情は、独伊の場合と全く事情を同じくするのであって、この間の事情を明瞭に認識していない限り、日本の無批判なる自由主義者が猶太の宣伝を鵜呑みにして真の独伊を解しないのに照応して、ともすれば猶太の宣伝のために自國をも見誤る者が生じないとは言えないのである。そしてこの銃後の動揺こそは、猶太がその言論通信機関を総動員して世界の輿論を捏造している最大目的の一つでもあるのである。勿論かく言っても、我々は決して宣伝の不必要を説く者ではないのであって、真に強力且つ有効なる宣伝は、以上の事実を確認した上でなされない限り、単に無効化に終るのみか、逆効果をさえ生ずることを憂える者であるに過ぎない。第一節に述べた如き神観と人間観とを持つ猶太人の宣伝に躍らされる時には、大量殺人原理のボルシェヴィズムさえ猶太のものであるがために人道的に見え、かかる極端に陥らない場合でも、ボルシェヴィズムとファッショ乃至ナチズムとが同一線上のものとして論ぜられるという如き史上稀に見る不公正事さえ平気で犯されるに至るのである。常に正義を口頭に唱える北米大統領が、ファシズムを人類の敵であると宣伝して止まないのも、彼が猶太人又はその傀儡であることからのみ理解され得るのである。一言にして言えば、猶太の独裁乃至専制に服さないものは、すべて非人道的の汚名を浴せられるのであって、この事情の正当な認識がない限りは、例えば所謂「國民使節」乃至「交換教授」などのうちの自由主義者の場合に屡々見られる通りに、事変下に外國に使しても、却って逆効果を挙げる外に道はないのである。

さて我々は、以上の説が単に我々の想像に止まるものでないことを証明する一つの材料として、在来日本に於ては殆ど問題にされたことのない情報を提出することにしよう。一九二八年(昭和三年)は、蒋政権がいよいよその地歩を確立し、排日侮日抗日の政策を表面的に掲げるに至った年に属するのであるが、この年の年頭に当ってスイス國チューリヒ発行の「猶太中央通信」は、その年頭の辞の中で次の如き注目すべき記事を掲載している。

「ヨーゼフとその兄弟達に関するあの聖書に見られる譬喩(ひゆ)は、巨大に拡大された姿に於て、この大洋のかなたで演ぜられている。大洋の彼方へと追いやられた賦役奴隷が世界一の強力な國家の支配者となり、以前の富裕なる彼の兄弟を苦しい困窮から救う。このアメリカ移民は、猶太民族全体の為め礎石となったのである。アハスヴェールは夢想しつつ、ハドソン湾のほとりに雲表に聳(そび)え立つ無数のバビロン塔の黙示録的な姿に見入っている。彼はまた、蜂のようにこの巨大な蜂房に群がり入りまた其処から群がり出る所の、またたかだか一世代の間に猶太特別区の住民からあらゆる時代の最大の建築者になった所の、彼の同族の子孫なるこの大衆の姿に見入り、そして主エホバの御心を認識するのである。

そして彼には、その賢明な支配術を以て五大洲を自己の意の儘に操っている所の、世界を支配している英帝國の正体が分って来る。彼は外ならぬ其処に、彼の同族の子達が政治上の人気ある大家として登場して来るのを見る。そしてこの現象の最後の意味を悟る。

未来の前にかかっている帳(とばり)が裂ける。アハスヴェールは思いもかけなかった幻影を目撃する。即ち、強力な猶太人団が亜細亜の中央に頑張っていて、支那という巨人 ―それが落す影は全世界に伸びている― の更生を助ける者として讃嘆されているのである。

猶太民族は、その散逸にも拘らず、一体となったのである。エルさレムが確かに人類の精神的枢軸となったのである。精神上の、物質上の、また道徳上の諸力の強力な源泉は、合流してもとの故郷の方へ流れて行く。アハスヴェールは驚愕しつつも偉大なる事件の連関を納得する。そして新たなる勇気を以て五六九八年の一里塚を通り過ぎる。彼は以前よりも一層未来の希望に勇んで祝福の祈りを捧げる。」

無國籍漂泊猶太人の象徴であるアハスヴェールの幻想としてここに描かれているものは、猶太の世界支配の過去及び未来の姿である。即ち既に英米の二國は完全なる猶太の支配下にあるが、今や巨大なる支那もまた猶太の指導に入りつつあるというのである。勿論この点に於ては、英米と等しく或いはより完全に猶太の支配の下にあるソ連乃至フランスのことが問題とされていないが、これは猶太政策を知る者には自明のことであって、ソ連とその半属國としてのフランスが猶太の世界支配のための片腕であることは、猶太としては出来るだけ表面に出したくないのである。しかし現在の我々に特に興味あるのは、この文が引用した部分の第三節に於て支那を問題としていることであって、この象徴的なアハスヴェールの幻想のうちに我々は、その自誇と確信とのために不用意にも早期に洩らされた猶太の支那支配の計画を見ることができるのである。

次に我々は、猶太側のこの言説に照応する支那側の材料を一つあげることにしよう。それは、アハスヴェールのこの幻想が描かれた年より三年を経た昭和六年の一月元旦に猶太フリイ・メイスン結社員蒋介石がなした所の年頭演説である。その要旨は、「第二次世界大戦の時期が迫って来て、これには欧米諸列強も参加するし、日本も無論参加するのである。そしてこれがために一番多くの犠牲を払うものはわが中華民國である。併しこの大犠牲を忍ばなければ、わが國威の回復は到底見込みのないことであるから、我々は今よりその準備に取掛らなくてはならない、」というのである。さていまこの猶太フリイ・メイスン結社員蒋の年頭演説を考察するのに、最も注目すべき点は確信を以て表明されている第二次世界大戦の予言である。然もこれは、既に我々が幾度か暗示しておいた通りに、猶太の現在の世界政策の第一の目標であるのであるから、この言辞に見られる蒋の確信は、彼が猶太フリイ・メイスン結社員として猶太の世界政策に呼応して居るがために外ならない。そして第二次世界大戦の舞台の中心の一つを支那に於いていることも、猶太の世界政策と完全に一致しているのである。ただこの引用の後の部分は、蒋の意図が中國の國威の回復にあるかの如くに見えさせるために、正確なる批判力のない者は、我々が既に第二節の冒頭に於て論及した如き錯覚を起こされる事があり得るかも知れない。そしてこれは、これまた既に第二節で論及された如くに、過去にも現在にも蒋政権及びその黒幕としての猶太が目標としている所であって、この巧みな迷彩によって猶太フリイ・メイスン結社はその世界支配を完成せんとしているのである。ここに見られる蒋の老獪さは全く猶太一流のそれであって、蒋の意図は、印度に於ける國民会議派が國民の名に於て印度をより完全なる猶太の印度としようと努力しているのと全く一致しているのである。実に蒋政権は、表面的には國民政府と自称して、國民の眼を欺くために「新生活運動」の如く表面的には支那民衆の利益を計る如くに見せかけながらも、実際に於ては自己の閨閥の利益と猶太の利益とを目標にして政治をなして来たのである。國民政府がその名にも拘らず、一朝事ある時には、ソ連の猶太共産主義とさえも握手し得るのも、その根柢が同一の猶太戦線上のものであるからに過ぎない。

しかし、英・仏・米・ソ連の猶太戦線の対支援助の理由は、なお単に以上では尽きないのであって、日支事変が日猶事変であることは、なお一層深刻な意味があるのである。即ち蒋政権と猶太との関係は、今迄我々によって論ぜられまた世上に於ても論ぜられ来って居る所の利益関係に基く結合関係の外に、今迄極めて稀にしか問題にされなかった蒋政権の猶太フリイ・メイスン性による連絡があり、なお一層重要であると共に今迄殆ど全く見逃されていたものに、孫逸仙(及び蒋閨閥)が支那猶太人であることに基く民族的血による連絡が存在しているのである。蒋政権が軍事的には見当外れの敗戦に敗戦を重ねているにも拘わらず、なお経済的その他に於ては案外のねばり強さを示している真の理由も、実にこの最後の二点を明らかに認識することによって、その真の姿が掴(つか)み得られるのである。

 

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