アメリカの國民性3 -和辻哲郎1943.12

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2. アメリカへの移住

アングロ・サクソンアメリカ移住は、丁度このベーコンやホッブスの時代のことである。ウォルター・ローリが二艘の移民を率ゐてエリザベス女王の名に負ふヴァーヂニアを開いたのは十六世紀の末のことであつたが、これはアメリ土人の敵對によつて失敗した。やつと橋頭堡をつくるに成功したのは十七世紀の初め二つの移民會社が出來てからである。これらの移民は大半死滅し去るやうな困難に耐へつつ、猛烈に土人と戰ひ風土に抵抗して、内部へ浸透し始めた。やがて一六二〇年には有名なピュリタンの群がマサチューセッツの岸へ辿りつき、土人の團體との間に平和條約や通商條約を結ぶことによつて領土を擴大した。コンネクチカット、ロードアイランド、ニューハンプシア、ヴァーモント、メーンなどは彼らの建造にかかる植民地である。かくて一六四三年にはニューイングランド植民地聯盟を形成するに至つてゐる。更に一六六七年には、ニューヨーク、續いてニュージャーシー、デラウェア等を開くに成功した。このピュリタンの群と並び立つのはウィリアム・ペンのひきゐたクェーカー教徒で、前者よりも大分遅く一六八一年にペンシルヴァニアに植民したのである。南部では一六六三年八人の貴族が特許を得て南カロライナを開いて以來、ニグロ奴隷を使役して貴族的色彩の濃厚な植民地を作つた。ヂョーヂ二世の時には更に南方ヂョーヂアが開拓された。

以上は新教を奉ずるアングロ・サクソンの植民であるが、なほ他に舊教を奉ずるラテン民族の植民も行はれ、十七世紀の末には既に英佛の勢力の衝突が起つた。この爭は長期に亙つて行はれ、十八世紀の中頃に至つて漸くアングロ・サクソンの勝利に終つた。が戰爭は人々を團結せしめる。植民地はこの勝利後間もなく本國議會と衝突し、遂に一七七六年に至つて獨立を宣言した。さうして更に七年の間の苦しい戰爭を續け、この戰爭によつて獨立の國家を形成したのである。

以上の植民の歴史はアメリカ合衆國を作り出す歴史であると共にまたアメリカの國民性を作り出す歴史でもあるのである。然るに我々はこの歴史のうちに前述のホッブス的な性格やベーコン的な性格が顕著に働いてゐるのを見出すことが出來る。

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