フリーメーソンと世界革命17(原文)(完)

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28.フリーメーソン、シオン主義(シオニズム
共産主義スパルタクス主義、「ボリシェヴィズム」

 

佛・伊・英・セルビア諸國のフリーメーソンが、世界大戦を煽動したことは、今日では獨逸のフリーメーソンも之を認めて居るが、猶太人より成るフリーメーソンが、猶太人の敵たる露西亜帝王主義の味方となりて、中欧同盟に對する戦爭を助けたことに就ては、誰しも矛盾を感ずる所である。併しながら米國フリーメーソン派の新聞に依ると、同國のフリーメーソンは、全く露國を眼中に置いて居なかつた。従つて米國の参戦を要求するに方つても、露國に就ては何等云ふ所なく、單に英國及佛國を支援すべき事を説いたのであつた。

協商側のフリーメーソンの中にも、各種各様の意見が行はれたのは事實である。露國のフリーメーソンは、中欧同盟諸國を撃滅し、コンスタンチノープルを占領し、且つ大スラブ國家建設の理想を實現せんとしたのである。然るに同じ露國に於て、猶太人のフリーメーソンは、第二十世紀の始め以來、秘密裡に大なる發達を遂げ、何よりもツァーリの統治の没落を望んで居たのである。而して一たび其目的を達するや、尋(つい)で中央諸國の帝王を倒すことを謀つた。而して彼等は獨逸の王侯は、獨逸人自身をして之を放逐せしめ、最後に「獨逸」の革命に代ふるに、「猶太」の革命を以てせんとしたのである。

猶太の革命は、國民に盲従を強ひる爲めに、恐怖政治を行はんとするのである。威力、買収、欺瞞等は其手段なのである。かくて猶太の革命の結果は、無政府、混亂の状態に陥り、結局國民は、彼等=即ち猶太人に、自ら進で世界統治權を捧呈するの餘儀なきに至らしめんとするのである。上記の如き事は、一見極めて荒唐無稽なる、又冒険的の計畫であるかの如く思ふ人があるかも知れないが、1897年バーゼルに開かれた第一回「シオン」會議の議事録を読んだ人に取つては、何ら不思議は無いのである。此議事録は二十四回の集會の議事を記述したもので、厳に秘密とせられて居たのであるが、或る内通者から、露國政府の手に入つた。其原文は、佛語で書かれたもので、其写は信用ある人々に交附されたが、其内の一人たる學者ニルス[1]は、1901年之を露語に翻訳した。かくて『「シオン」の賢者の議事録』の第一版は、1902年に發行された(ニルスは現在約七十歳の正直な學者にして、ウクライナに住んで居る)が、其後多くの發行者の手に同一のものが發行された。ニルス自身も、1917年に莫斯科(モスクワ)近傍のセルギウス僧院から第三版を發行させ、之を書籍商に送附せんとして鐡道に積込を終つた時に、武装せる一隊が現はれて、此書籍全部を押収し、街上に於て焼棄してしまつた。之と同時に、當時政權を握つた計りの猶太人「ケレンスキー」(フリーメーソン結社員たり)は、莫斯科、ペトログラード、其他の書籍商全部を調べて、『「シオンの」賢者の議事録』全部を押収した。併し其二、三冊は獨逸に入り、獨逸語に翻訳され、(「シオン」の賢者の秘密)なる標題を以て、1919年に發行された。此翻訳者發行者たる獨逸人ゴットフリート[2]の言に依ると、此議事録の眞正なものだと云ふことは、猶太人もフリーメーソン結社員も、之を疑はないが、「ニルス」及び「ブツトミ」兄弟の翻訳に係り、曩(さき)に出版された分は、大部分猶太人の手に買占められ、且つ破棄せられたとのことである。

其後世上に現はれた所を見ると、(1)世界戦爭。(2)露、墺匈、獨逸に於ける帝政の潰滅。(3)共産主義フリーメーソン社員が醸生したる混亂状態(此混亂状態の結果、彼等が二百年來計畫して居る所のフリーメーソン社員たる猶太人の指導に依る人道同盟を作ることを、彼等は豫期して居る)等は、今日既に實現したのであるから、此議事録に就て詳細なる観察を試みるのは、決して無益ではあるまい。依つて今、其記事の要點を説明する。

猶太人が世界統治の爲めに戦つて居ることは、今や盲目でない限りは、誰の目にも明らかな事であつて、「シオン」の議事録に、次の如く極めて率直に言明して居ることは、之を裏書きするものである。

吾人(猶太人)は、強き名譽心、燃ゆるが如き所有欲、激烈なる復讐心、及憎悪を懐いて居る、と。

猶太人の世界統治の爲の原則は、非猶太人に取りては注意に値する。即ち左の通りである。

統治者は、奸智、悪意、欺瞞を用ひざるべからず。國政を執るに方り、公明正大なるものは、一層有効なる手段を用ふる敵の爲めに、其地位を奪はるゝに至るであらう、と。

猶太人の唱ふる自由、平等、親睦(博愛)等は、猶太人の専制を受くべき基督教國民を瞞着する(だます)爲めの標語に過ぎないことは、猶太人仲間では、一も二も無く認められて居ることである。即ち彼等は赤裸々に次の如く云ふて居る。

吾人(猶太人)は、國家に「自由」なる毒薬を注射した今日、(1897年)、既に各國は危篤に瀕して居る。間も無く、最後の時が來るであらう云々と。

猶太人に依つて世界が統一された暁には、非猶太人には「自由」も、「權利」もなくなることは無論のことである。之に就ては、次の様に云つて居る。

吾人(猶太人)は、非猶太人中より傑出せる人物の出ることを妨げることが出來るが、萬一そう云ふ人物が出ても、吾人は群衆を指導して此種の人物を葬り去るであらうと。

猶太人の世界統治には、恐怖政治を用ふべきことは、彼等自ら次の如く云ふて居る所を見れば明かである。

平和的占領に依つて創設せらるべき我國家は、戦爭の恐怖に代うるに、餘り目立たないで而かもそれ丈け有効なる刑罰を以てするであらう。即ち絶對的盲従を強ひる爲め、恐怖政治を敷かねばならぬ云々と。

経済戦爭が、猶太人の世界統一の基礎を成すべきことは、次の文句に依つて知るべきである。

吾人は労働者をして、労銀の増加を要求せしめるが、労働者はそれに依つて決して利益を得ない。何となれば吾人は同時に生活必需品、及び日用品の價格を騰貴せしめるからである、云々。

吾人は農工業生産の基礎を動揺せしめる爲め、労働者をして不規律、飲酒の悪癖に陥らしめるであらう。云々。

吾人は非猶太人を誘惑して、奢侈浪費(贅沢や無駄遣い)の悪習に陥らしめるであらう。

此議事録の中で、フリーメーソンに就て、次の如く云ふて居るのは意味の深いことである。

フリーメーソンの仕事を指導すべき者は、吾人(猶太人)以外に無い事は無論である。蓋し吾人のみが結社の目的を承知して居るのであつて、非猶太人は全く之を知らないからである。

世界の叛亂の裏面には、必ず猶太人あることは、シオンの議事録の中にある次の文句に依つて明らかである。

世界に於ける叛亂は、吾人(猶太人)が非猶太人の國家の鞏固なる結束を打ち破る爲めに起させたものである。各種の陰謀の頭首には、必らず我忠實なる下僕が立つて居る云々。

従來行はれた戦爭(今次の世界戦爭をも含む)に關しては、既に1897年に於て次の様に云ふて居る。

非猶太人の國家が吾人に對し反抗を敢てする場合には、吾人は直に其隣國をして、此國に對し戦爭を開始せしめねばならぬ、云々。

若し其隣國も、亦此國と共同して吾人に反抗せんとする場合には、吾人は世界戦爭を勃發せしめねばならぬ、云々。

非猶太人の國家を壓迫する爲めの方策は、之を約言すれば、其一國に對し、恐怖手段を以て吾人の威力を示すにある。

王侯の殺害に就ても多く記述されて居る中に、次の文句がある。

其下手人は、吾人の使用に供せられたる家畜の群中の盲目の羊の如きものであつて、自由に關する二、三の言論に依つて、容易に之を煽動することが出來るのである。

而して此事は單に王侯のみに止らず、苟も猶太人に對して妨害を爲すものは、同様の運命に遭遇して、其死期を早められるのである。シオンの議事録には、之に關して次の如くに書いてある。

フリーメーソン結社の刑罰は、吾人の仲間以外には、其當人さへも自然の死に依つて死ぬるものだと思ふ様に實行するのである。

猶太人が其預言者の示せる猶太人の世界統一を如何に確信して居るかは、次の文章を見るとわかる。

我等猶太人は、昔から豫期されて居る所の、全然新なる國家を建設する爲め、各國民を吾人のものとすべきことを期して居る。これが爲め吾人の指導者としては、比類なき大膽と精神の力とを以て、其目標に向ひ邁進する様な人物を得ることを勉めねばならぬ。(例へば露國のレーニン、匈牙利過激派政府首領ベラ・クン[3]バイエルン過激派政府首領クルト・アイスネル[4]の如き人物の謂ならん)。

國家の崩壊は、各國同時に行はるべきものとして居る。

吾人が一旦統一の目的を達した暁には、吾人(猶太人)に對する陰謀を防遏(ぼうあつ)せねばならぬ。吾人は吾人及び吾人の統治に對し、武器を執りて反抗する者は、仮借する所なく之を殲滅せねばならぬ。新に秘密結社を作ることも、同じく死を以て罰せねばならぬ。今日現存せる秘密結社(フリーメーソン)が、過去及び現在に於て、吾人の爲め大に役に立つて居るが世界統一後は、全然之を解散せしめ、其結社員中、猶太人以外の者は、歐洲より遠く隔たつた土地に放逐するであらう。云々。

共産主義に關し、シオンの賢者は、非猶太人が自然の法則に反する平等(社會階級撤廃)の思想を受け容れたのは、彼等の頭脳の低級を證明するものだと笑つて居る。即ち猶太人は非猶太人を惑はし、一般的の紛亂を生ぜしむる爲めに、此標語(平等)を民衆の中に投じたのである。即ち非猶太人同志を爭はせ、結局猶太人の世界統治を受くるの餘儀なきに至らしめやうとして居るのである。之が果してシオン主義者の意圖であらうか。シオン主義とは、パレスチナの地に創設さるべき純猶太國に、全猶太人を集合せしむることを目的とする運動の謂であるとは、一般に信ぜられて居る所であるが、實際はそうでは無いのである。

猶太シオンは、單に貧しき猶太人、殊に露國の貧しき猶太人を収容し、同時に又世界の主たる猶太人の郷土的國家たるべきものである。之は信用し難い事の様ではあるが、シオンの議事録にはちゃんと記述せられて居るのみならず、事實上吾人は現に世界的紛亂を経験しつゝあるではないか。シオンの賢者の言ふ所に依れば「如何なる國家も、平穏に國力を充實させてはならぬ」のであつて、此趣旨に基いて、階級間の爭闘を煽動し、政治的犯罪を賞賛し、正義の主張を壓迫し、國民を計畫的に堕落せしめ、基督教の信仰を嘲笑するに至らしめたのである。

茲に注意すべきは、宗教に反對する嘲笑は、猶太教の信仰には決して触れて居らぬことである。1897年、バーゼルにおいて議せられた事(シオンの議事録にあること)の内、多くのことは既に實行せられた。無政府主義者のエリーザベト皇后殺害[5](1898年)。セルビアフリーメーソン社員が皇太子フェルディナンド殺害(1914年)。世界戦爭、及び其終局。1918年11月9日の革命等は、即ち之であつて、其後の世界を擾亂に陥れ、適當の時期に猶太の世界統一を成就する爲めに、各種の猶太的騒亂が繰り返されて居るのである。

バイエルンの革命[6]の首領たりしクルト・アイスネルは、ワルシャワに於てイスムノフといふ名を以て、波蘭猶太人のフリーメーソン組合の棟梁たりし者で、又ミュンヘンではヴァン・エスラエロウィッツと云ふ名を以て、猶太人の秘密組合の長ともなつて居た。彼は革命成功後の得意時代に、其同僚に對し「此革命は十一名の手で成し遂げた」と語つた。此十一名は、総て猶太人で、ミュンヘンフリーメーソン結社に属して居つた(訳者註、此十一名及び獨逸の名士にして、且つフリーメーソンの有力者たる者の氏名を列記するも之を略す)。要するにバイエルンの過激者革命は、全然猶太のフリーメーソンの仕事であつたことは、同政府の有力者が、何れも猶太人であつたことを見れば明かである。

スパルタクス[7]に就て一言せんに、スパルタクスなる名稱は、古代ローマ奴隷解放スパルタカスの名に因んだと、団員自ら云つて居るが、スパルタクス団の指導者は、十八世紀末アダム・ヴァイスハウプト教授[8]の創設したイルミナティ組合に属して居り、此ヴァイスハウプトの仮名を、スパルタクスと言つたのから、スパルタクスなる名稱が起つたのである。

イルミナティ組合は、フリーメーソン以上の秘密結社であつて、其社員は凡てフリーメーソン社員であるが、フリーメーソン社員は必ずしもイルミナティ組合に属しては居ない。此組合は1785年、バイエルンに於て、國家に害があるものとして禁止せられたが、十九世紀に再びドレスデンに設立せられた。カール・リープクネヒトは此組合に属し、ローザ・ルクセンブルグはよく此団員と交際して居つた。1918年9月に押収されたスパルタクス団の書類によると、彼等は露國の例に倣つて、獨逸國内に一大惨劇を演じやうと計畫して居た。

猶太人の秘密結社は、帝政主義者の疑ある獨逸人の名簿を作り、事を擧ぐると共に之を除かうと計つた。

現時最不良の状態に在るのは露國であるが、同國では457人のボリシェヴィキ(過激派)が、恐怖政治を實行して居るのであつて、其内422人は猶太人である。其餘りは殆ど全部前科者である。レーニン[9](本名ウリヤノフ・ツェーデルンボーム)は、夙に世界戦爭前、瑞西の或るフリーメーソンの秘密組合に属して居た。此組合は世界革命を目的として居たものである。トロツキー(本名ブラウンスタイン)及びラデック(本名ゾベルゾーン)は、同一の陰謀団に属して居た。レーニンの猶太人たることを否定せんと、色々試みて居るが、彼は猶太人である。猶太人が、ボリシェヴィズムを露國に輸入し、且つ拡めたことは、今日では彼等自ら公然之れを承認して居る。例へば猶太人コーハンは、1919年4月12日、露國ハリコフ發行の新聞コミュニストに、次の様に書いて居る[10]

露國の大革命は、猶太人の事業であるといふも決して過言ではない。吾人(猶太人)は、赤軍の最高統帥權が、レオ・トロツキー(本名ブラウンスタイン)の手裡にある限りは、安心して居ることが出來る。

1919年3月、匈牙利に建設された労農共和國の政府は、全然猶太人計りから成り立つて居た(訳者註、氏名略す)[11]。134日間の共産黨の政治は、匈牙利に医(いや)すべからざる損害を與へた。幾千人は罪なくして惨殺せられ、當局者たる猶太人は、30億クローネの金、宝石、装飾品等を奪い去つた。一億9,700萬クローネは、墺國共産黨の資金として同國に送られた。

匈牙利に、過激派政府が設立された時『イスラエルの國民』なる聲が起り、猶太人は其預言者の命令に基づき、匈牙利全國を領有すべきものだと主張し、又掲揚された旗には、革命の赤旗と共にシオンの旗たる藍と白の旗もあつたことは、大に注目に値することである。シオンの賢人達が、既に1897年に豫期して居つた「大なる擾亂」は、今や現實となつた。今や猶太人の世界統治は始まつたのである。

フリーメーソン、シオン主義、スパルタクス主義、共産主義、及びボリシェヴィズムの關係を疑ふ者の眼を開く爲めに一言せん。國際連盟は、猶太國の旗たる藍と白との旗を掲げるであらう。

 

(此旗)は、猶太人に屈服せる凡ての國民が自ら誇りとする旗となるであらう。

 

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國際聯盟旗

 

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原文にある旗のイラスト

 

[1] Sergei Aleksandrovich Nilus(Серге́й Алекса́ндрович Ни́лус)セルゲイ・アレクサンドロヴィチ・ニルス(1862~1929)は、ロシア帝国ソビエト連邦の学者で神秘思想家。

[2] Gottfried zur Beek,(Ludwig Müller von Hausen)本名:Louis Eduard Julius Müllerはドイツの反ユダヤ的ジャーナリスト(1851~1926)。ゴットフリートは、「シオン賢者の秘密」でのペンネーム。

[3] Kun Bela(1886~1939)はハンガリーにソヴィエト共和国成立を宣言しボリシェヴィキスタイルの恐怖政治でハンガリー人を多く虐殺した。

[4] Kurt Eisner(1867~1919)は第一次大戦中に反戦運動から労働者デモを煽動し、叛逆罪に問われたが、終戦間近に釈放後、ドイツの混乱に乗じてミュンヘン革命を起こしバイエルンの王家を追放し、バイエルン自由州の首相になったが、選挙で惨敗後、右翼将校に暗殺された。

[5]  オーストリア=ハンガリー帝國皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の皇后。1898年9月、旅行中のジュネーヴレマン湖のほとりで、イタリア人の無政府主義者ルイジ・ルケーニに鋭く研ぎ澄まされた短剣のようなヤスリで心臓を刺されて殺害され、その生涯を閉じた。

[6] 第一次世界大戦後の1919年に、バイエルン社会主義者たちが革命を起こして一時的に作った社会主義政権。成立後すぐさま前線から帰還して来た軍の討伐を受けて消滅している。

[7] 1915年から1918年まで存在したドイツの急進的マルクス主義者らによる政治団体ドイツ社会民主党の分派として誕生し、ドイツ共産党の前身となった。1919年1月5日から1月12日にベルリンで武装蜂起するが、第一次大戦から帰還した将兵義勇軍(フライコープ)に鎮圧され、首謀者のカール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルクが処刑された。

[8] Johann Adam Weishaupt(1748~1830)は秘密結社イルミナティの1776年の創始者ともいわれるが異論もある。この秘密結社はフリーメーソンを乗っ取ってフランス革命を起こしたともいわれている。また、アメリカ独立戦争にも関係した。フリーメーソン中の秘密組織で現在も存在すると言われている。

[9] 原典:Uljanow=Zedernboom、英語式綴りは、Ul'yanov= Zedernbaum(ウリヤノフ=ゼーデルンバウム)一般にレーニンの本名はウリヤノフと言われているが、出身地ウリヤノフスクからの偽名である可能性が高い。そうなると、ゼーデルンバウムこそ、本名ではないかと思われる。(燈照隅コメント)

[10] 原典:M.Kohan、Zeitung „Der Kommunist“(Charkow, Rußland)英語式綴りでは、Newspaper “The Communist”(Kharkiv, Russia)

[11] 原典より名前だけ抜粋します:Tibor Szamuely、統治評議会議長のAlexander Garbai(=Grünbaum)、軍部のBostanzi(=Bienenstock)、権利のRonai(=Rosenstengel)、財政のBarga(=Weichselbaum)、首都のVince(=Weinstein)、食糧・工業のMoritz Erdelyt(=Einstein)、Bela Vago(=Salzberger)、警察のBela Bico(=Bienenstock 二人目)、全員がユダヤ人である。Oskar Czernyだけはユダヤ人でないことになっているが、その殺人鬼ぶりでソヴィエト政府に属する有能さを遺憾なく発揮した。

 

 

29.結論

 

予はスラブ運動を以て、世界戦爭の七個の主要原因の一に算(かぞ)えた。當時此意見には多くの反對者があつたが、爾後の出來事は、予の言の的中せることを證した。國家危急存亡の秋に方り、因循姑息[12]にして、状況に通暁[13]せず、又計畫なき政府を有する程、不幸なる事はない。

戦爭中宣傳に用ひられた獨逸の野蛮、プロシャのミリタリズム、虐げられたる小民族の解放、人道、文明、文化の爲の戦爭等の語は、結社員マッツィーニが既に70年前に於て、對墺戦爭の際用ひた言葉であつて、今次の大戦にては、世界フリーメーソンの用語となつたのであつた。

本書は世界大戦の諸原因中、新スラブ運動に比し、遙かに重要なる原因を述べたのである。此外、独、墺両國、獨逸主義、獨逸國の勢威、専制君主、非基督的のもの、約言すれば彼等の所謂「チュートン民族の野蛮」に對する医(いや)すべからざる憎悪心は、又た大戦の原因をなすものである。

予がフリーメーソンの研究に着手するや、既知未知の人々より多數の有望なる資料の寄贈を受けた。又予は二十個以上の書店と連絡を取り、新舊の参考書を購入し、其數今や百五十部以上に達して居る。予は此内から約五千に達する事項を抜粋し、本書の豫備作業とした。併し本書は簡單にして、内容を豊富にし、以て直接一般民衆の読物たらしめんが爲、予の資料中より甚だ多くを省略せざるを得なかつた。

予の多く引用した書籍はHermann Grubel、Dr. Peter Gerhard、Dr. Brauweiler、Dr Waltber等の著書である。

本書の著述に方り、予は諸方面よりフリーメーソンの秘密を公表する時は、一身上の危険に遭遇すべき虞れあることを警告された。其例として佛國議員シヴトン[14]の運命、ウィリアムモルガン[15]の暗殺、マルキール・デ・モーレー[16]の不可思議なる最後、ウァレリオ大尉[17]、及び知事ローレンソー[18]の變死、其他十數件の實例を聞かされた。しかし少くも我蹂躙されたる獨逸國民の眼を開かせんと欲する予の決心は變らなかつた。

予は尚フリーメーソン社員は、世間周知の通り非常に怜悧で、且つ用心深いことを考へた。若し彼等が予に對して何か企つることあれば、全世界は彼等を目して其首謀者となすであらう。之は彼等に取り、最も望ましくないことで、其仕事に非常な障碍を來すことになるであらう、又彼等としては、舊約全書の原則通り「眼を以て眼に報い」、「同じことを以て同じことに報い」られるかも知れないことを考へなければならぬ。

今日ではフリーメーソンの元首の姓名も住所も分つて居るし、我國では葡萄牙のやうに暗殺人を傭つて、勝手に王や気に入らぬ大臣を暗殺するといふ様な事は無い。我國にもフリーメーソンの率ゐる社會民主黨の首領に、政治的の暗殺者が居るが、社會民主黨員でも、今日にては政治的暗殺は何等の効果の無い事を悟つたであらう。即ちフリードリッヒ・アドラー[19]は、其告白する所によると、シュテルク伯[20]の暗殺を以て戦爭を速にせること[21]が出來ると考へた。其結果は反對に戦爭を長引かすことゝなり、不幸なる講和に就て、其責任を負はねばならなくなつた。

読者は、本書に依つて、今次大戦の恐るべき流血に對しては、獨逸も、各國の政府も、其責任がなく、世界フリーメーソンなる暗黒にして秘密的なる勢力が、其主因をなしたものであつて、此勢力の背後に隠れて、各國民の運命を操つたものは、世界猶太主義であつた事を悟られたことゝ思ふ。

最後に共和政體に對する予の立場は、次の通りである。獨逸人統治の下に、各人は全般の幸福の爲めに圖るが如き、良好なる独墺共和國は、悪い君主國に比して百倍好ましい。之に反し有爲にして良好なる輔助者を有する獨逸皇帝の下にある好き(よき)君主國は、成り上り者や、犯罪者より成る共和國に比すれば、千倍も好ましい。

 

                              -畢-

 

 

[12] 古い習慣ややり方にとらわれて改めようとせず、その場しのぎに終始するさま。

[13] ある物事についてたいへん詳しく知っていること。精通。

[14] Gabriel Syveton(1864~1904)はフランスの歴史家、政治家。フランス愛国者国家主義的であり、人権同盟に対抗して居た。その後、フリーメーソンが作成したカトリック信者のカードをめぐる醜聞に巻き込まれ、陸軍大臣を議場で殴り、その場で逮捕された。その後、裁判所に出廷予定の前日、部屋のガス暖房器具の不具合で窒息死した。

[15] William Morgans(1774~1826)は米國のレンガ職人。品行が悪い彼を地元のロッジが相手にしなかったことに怒り、メーソンの秘密を暴く本を出版すると公言した。1826年9月、些細なことで逮捕され、その後、数人の男が来て彼を保釈させそのままフォート・ナイアガラに連れて行った。そこから行方が分からなくなり、ボートで湖に出て行ったとも言われた。1848年になってHenry L. Valanceが彼を殺したと主張した。(真相は不明)

[16] Marquis de Morès(1858~1896)は反ユダヤ主義のフランスの政治家。軍人。フランスの勢力を強化しようとチュニスからスーダン方面に移動中、旅案内人を装った暗殺団(Tuaregの一団)に暗殺された。

[17] Hauptmanns Valerio フランスのドレフュス事件で殺された人物の一人。

[18] Präfekten Laurenceau フランスのドレフュス事件で殺された人物の一人。

ドレフュス事件とはスパイ容疑で逮捕されたユダヤ人アルフレド・ドレフュス大尉の冤罪事件。真犯人はハンガリー生まれのフェルディナン・ヴァルザン・エステルアジ少佐であったらしい。ドレフュスの弁護人は総てユダヤフリーメーソンであったという話。真相はどうあれ、これはユダヤ人差別に反対する格好の宣伝材料だった。

[19] Friedrich Adler(1879~1960)はオーストリア社会主義者。フリッツ・アドラーとも。両大戦間期においてオットー・バウアーとならぶオーストリア社会民主党社会民主労働党)左派の指導者であり、またウィーン・インターナショナルおよび社会主義労働者インターナショナルの創設に関わった。

[20] Karl Graf von Stürgkh(1859~1916)フォン・シュテルク伯は、オーストリアオーストリアハンガリー二重帝国)の貴族・伯爵・政治家。第一次世界大戦開戦時の首相を務めた。在任中、1916年10月21日、ウィーンのホテルで社会民主党左派の指導者フリードリヒ・アドラーによって射殺された。F・アドラーは死刑を求刑されたが、公判での彼の弁論は戦争を嫌悪していた国民の支持を受け、結局敗戦による二重帝国の崩壊に伴い恩赦で釈放、その後も政治活動を続けた。

[21] 原文:終了せざること。文意から終了せることの間違いと思われる。

 

(奥附)

大正十二年八月四日印刷納本

大正十二年八月七日初版刊行

大正十三年三月三十日再版刊行

 

訳者兼  内藤順太郎
發行者

印刷者  淡谷貞蔵

 

發行所  東亞社出版部