日本の臣道1 -和辻哲郎1943.04

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臣道について我々の祖先がどういふことを考へどういふことを申してゐたかを省みまして、それを簡單に述べて見たいと存じます。

話の緒と致しまして、近頃軍人精神につき海軍の方が説明されました言葉をここに拝借したいと思ひます。それは昨年の一月八日の平出大佐の放送演説の中にある言葉であります。『大君の御爲には喜んで死なう』といふのは軍人精神を體得する初歩の段階である。やがてその體得が深まつて來ると、『敵を倒すまでは決して死んではならぬ』といふ烈々たる戰闘意識を信念的にもつやうになる。これが海軍の傳統的精神である。といふのであります。この言葉は非常に重要な意義を含んでゐる、と私は考へます。大君の御爲に身命を捧げるといふ覺悟は、それだけでも立派なものでありますが、しかしまだ自分の身命にこだはつてゐる。自分の身命を捨てるといふことをさも大亊件のやうに考へてゐる趣がある。それではまだ十分でないのであります。自分が生きるか死ぬかといふことは、そんな大亊件ではない。自分の擔つてゐる任務の方が自分の命などよりは比べものにならぬほど重い。その重い任務の達成を中心にして考へると自分の死ぬことなどにこだはるのはまだ『私』を殘した立場である。さういふ『私』をも滅し去つて、ただ任務だけになり切らなくてはならない。これが恐らくあの言葉の意義でありませう。さう致しますると、これは、古來『死生を超えた立場』と云ひ慣はしてゐるあの境地なのであります。

このやうに『死の覺悟』と『死生を超えた立場』とを區別して考へますと、我國中世以來の武士の考へ方について理解し易い點が出てまゐると思ひます。中世以來の武士の習は、主君のために身命を惜しまないといふ言葉で云ひ現されました。戰記物などに繰返して描かれて居りまするやうに、坂東武者は實に潔く命を捨てました。これは確に讃嘆すべき美風であります。しかしこの際『主君』と云はれて居りますのは、自分の直接の主人でありまして、高くとも征夷將軍、低い場合は將軍の家臣或は家臣の家臣であります。武士たちはこのやうな主從關係の内部で身命を捨てたのであります。從つて敵をやつつけると申しましても、その戰は内亂に過ぎませんでした。かかる場合、主人に對する恩愛の情が非常に強烈でありますれば、何のために命を捨てるかといふ反省は起りませぬが、一度自分の擔つてゐる任務の意義が反省され始めますと、武士たちはその解決に困つたのであります。そこで一方には主從の道を放擲して主人をのりこえやうとする下剋上の傾向が現れてまゐりますと共に、他方では身命を捨てることの意義を主從の道よりも深いところに求める傾向が生じました。この後者の傾向からして、或は國初以來の尊皇の道に目ざめ、或は佛教の深い理解に到達し、或はまた儒教をわが物とするに至つたのであります。これらはいづれも武士たちに死生を超えた立場を自覺せしめたのでありますが、しかしその意味するところは少しづつ異つて居ります。

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