ドイツ悪玉論の神話042

猶太人迫害の神話

1952年の「共産主義の裏」(Behind Communism)の中で、フランク・L・ブリトンは、猶太人迫害神話の現象について説明している。ブリトンは、迫害神話が「猶太教の接着剤・接合材でそれが無ければ猶太人は(國民として)存在が無くなって久しいだろう」と述べている。また、猶太人はいつも団結しているわけではないけれども、敵の存在下、その敵が実際の物であろうと想像上の物であろうと、猶太人の思想は、全会一致に結晶する、と述べる。25世紀に亙って、猶太の心は「迫害」の声高な畳句(じょうく)によって条件づけられてきた、と彼は述べる。あらゆる悲運の事故を記録にとどめ、拡大解釈され、そして自分たち選民に対する異教徒の残虐行為として、次の世代に受け継いできた。猶太の願望と野望に対するあらゆる抵抗も同様にこれらと同じ迫害と言う言葉に解釈され、そして猶太の願望の追求における、あらゆる猶太による他民族の侵略と搾取については、同様の根拠で容赦されるのである。

念のために言っておくと、猶太の人々は、その歴史上、数多の困難に苦しんで来たが、これは他の民族に於いても同じく真実である。その主な違いは、猶太人は、常に記録する事である。彼らは、決して忘れず、また決して許さない。彼らはその猶太人集団心理に、誇張された独善的感覚と復讐願望の脅迫概念を育んだ。異教徒(猶太人以外)は、自分たちの不幸を過去に置いて、時代を前に進んで行くが、猶太人は自分たちの迫害の記憶を大切に留める伝統を持った。彼らは、あらゆる不平不満を育み、味わい、そして猶太の文化的記憶にそれらを大切に取っておくのである。数千人のキリスト教徒の殺害は、50年後には誰にも記憶されてはいないが、同様の事件で猶太人が殺された場合は、言い伝える中で粉飾され、誇張されて、猶太の歴史に永遠に保存されるのである。彼らは、自分たちの苦悩を列挙し、嘆き悲しむのであるが、それを自分たちだけでなく、世界に対して、大げさな形で抗議する事によって、同情を求めるのである。一種の「永遠の被害者、猶太人」という示導動機(楽劇におけるライトモチーフ)が猶太の物語を通して、まるで猶太の歴史がワグナーの楽劇の奇怪な喜劇版の様に思われるまで、繰り返し流れるのである。猶太の精神のある部分は、非猶太人が猶太人を滅亡させる計画をしているという疑いである。これは、猶太の歴史を貫いて常に繰り返されている。(今日に於いても、彼らは、声高に、そして繰り返し、イランは、「イスラエルを地図上から消し去ろうと意図している」と激しく非難する。)彼らの世界観に最も影響すると思われる、そして、彼らの暮らす異民族ホストとの関係を律する、猶太文化の三大動機要素とは、1)迫害神話、2)殲滅幻想、そして、3)復讐願望、である。

アンターマイヤーの演説は、他の全ての大げさな猶太人の反独逸宣伝工作同様、この見地から理解するべきである。猶太人ホロコーストの訴えについても同様にこの見地から理解すべきである。猶太人は、600万人の猶太人がホロコーストで殺された、と主張する。しかし、この「600万人」と言う数字は、実際の数字よりも猶太人が語り継ぐ歴史の中で繰り返し使われた、ある種の隠喩表現のように思われる。當然、実際の数字はそのほんの一部に過ぎないのである。

1902年 - ブリタニカ百科事典第十版(1902)の482ページに「反猶太主義」項目には、例えば、次のような文言がある。「...ロシアとルーマニアでは、600万人に上る猶太人が組織的に左遷され、」この記事は、第二次大戦中の600万人の記述に約40年遡る。

1906年 - 1906年3月25日のニューヨークタイムズ上「ネイサン博士のロシア虐殺の視点」と言う題の記事は、「600万人のロシアに居る猶太人の安否が...」心配だ。そして、記事は更に「ロシア政府が研究した猶太人問題の「解決策」の政策は、組織的で、殺人的全滅である」と続く。

1911年 - 世界シオニスト機構の設立者の一人、マックス・ノルダウは、スイスのバーゼルで開かれたシオニスト会議で「600万人の絶滅」を警告している。これはヒトラーが政権を執る22年前である。

1919年 - 1919年10月21日付の「American Hebrew Magazine 」に「猶太人の十字架刑を止めなければ!」と言う題のニューヨーク州前知事、マーチン・H・グリンによる記事が見受けられる。この記事は、「海の向こうから、600万人の男女の助けを呼ぶ声が聞こえる...」と始まる。更に記事は、次のような言葉を含んで続く。「600万人の人間が、墓場の渦巻きに巻き込まれる時...」、「600万人の男女が死にかけている...」、「...そして、偏見に凝り固まり、猶太人の血に飢えた...」、「この脅迫されたホロコーストの中で...」などなど。この記事は、第二次大戦の約20年前に発行されている。

1921年 - 1921年の7月20日付のシカゴ・トリビューンは、「アメリカにロシアの600万人の救いを請う」と言う見出しの記事が出た。その記事は、「ロシアの600万人の猶太人は、皆殺しに瀕している」と主張している。

1936年 - 1936年の5月31日付のニューヨークタイムズは、「アメリカ人の猶太人難民の為の訴え」という見出しの記事で、英國に「...パレスチナの門を開いて欧州のホロコーストから逃れようとしている被害に遭って迫害されている猶太人を受け容れろ!」と訴えている。ホロコースト?それは、第二次大戦での出来事だったのではないのか?

1940年 - 1940年6月25日付のパームビーチポスト紙は、世界猶太会議の執行委員議長、ナフム・ゴールドマン博士についての記事で、彼は、ナチスが最後に勝利すれば、600万人の欧州の猶太人全滅される運命にある、と話したと報告している。

1943年 - ポーランドの猶太人、ラファエル・レムキンは、1943年にニューヨークで発行されたその著書「枢軸による占領欧州の統治」の中で、ナチスが既に週百万の猶太人を殺し、「恐らく600万人に上る」と言っている。これは勿論、注目すべき手柄であったろう。何故なら、猶太人自身が主張する殲滅作戦が始まったのは、1942年の事だからだ。

1945年 - 1945年1月8日付のニューヨークタイムズの記事、欧州の戦いが終わる4か月前、そして、何人の猶太人が殺されたか(もし殺されたとして)誰かが知ることが出来るよりも前、600万人の猶太人が死んだと報告していた。

1945年 - 1945年5月13日付のピッツバーグプレス紙は、ある記事に「ナチス600万人の猶太人を抹殺した」と言う見出しを付けた。

明らかに、猶太人の主張する迫害と皆殺しの予言は、真面目に受け取ることは出来ないのである。

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(次回はユダヤ人迫害神話-続きです)