ドイツ悪玉論の神話028

猶太人追放の歴史

猶太人は、遅かれ早かれ、例外なく、それぞれの國の多数派住民から敵意と憎しみを買い、それがその多数派からの仕返しの原因となった。猶太人はその二千年を超える歴史の中で、欧州や中東の殆どの國から少なくとも一回、場合によっては数回、追放されている。独逸國家からは、5回、最後がナチス独逸であった。イタリアの一部からも5回、フランスからは4回、英國からは3回であった。英國は1290年に猶太人を追放し、300年間、オリバー・クロムウェルが解除するまで許さなかった。オランダの猶太人金融業者、メナセ・ベン・イスラエルモーセス・カルバヤルは、クロムウェルのチャールズ一世に対する戦いを財政支援した。チャールズ一世が斬首処刑され、クロムウェル英國の護國卿となると、クロムウェルは、猶太人に英國の門戸を開放したのだ。彼らは、急速に有力者に成りあがり、1694年には英國政府に資金を貸す目的で、英國銀行を設立した。猶太人は今でも英國銀行を支配している。

住むことを許された國々においても猶太人は厳しい制限を課されていた。例えば、欧州のほぼすべての國で猶太人は土地を所有する事、ギルドに加入する事、大学へ入学する事を禁じられていた。独逸とロシアでは特別な許可なしに旅行する事を許されなかった。何世紀にも亙って、最悪の場合には、彼らは、定期的に攻撃や虐殺の対象となった。これらの彼らに対する追放処置や他の処置は、実際、多数派住民を猶太人の搾取から護るための、防衛的なものであった。これらの制限を解除されたとき、通常は、良心的な統治者が正しいことをしようとして解除するのだが、そのような時は、決まって、猶太人は即刻、それを悪用し、政府が新たに制限を設ける必要を感じるまで、或いは、完全に國から追放されるまで、搾取的な行為を繰り返した。ナチスによる、1934年から始まった独逸からの猶太人追放は、決して歴史的に特殊な出来事ではなかったし、それは、歴史上の他の追放処分と全く同じ理由によるものであった。

一番最近の「追放」は、猶太國家のパレスチナでの建國とそれに続くアラブとイスラエルの紛争の結果、1948年に全ての中東の國から(の追放)であった。一番最近の猶太人の脱出(集団出國)は、1960年から始まり、現在に至るロシアから合衆國とイスラエルに向けての脱出であった。ロシアからの脱出は、スターリン体制下で力を失った結果であり、その後にロシアの人々が彼らの敵に回ったからであった。

こんなにたくさんの違う種類の人々が殆ど世界中、猶太人が住んでいるあらゆる場所で猶太人の敵になるのには、絶対に何か理由があるはずである。これらは、単なる偏狭な考え、外國人嫌い(恐怖症)、或いは愚かな偏見などに帰することが出来るようなものではない。明白に、猶太人自身がそれをもたらしているのだ。

1894年にフランスで出版された有名な猶太人著者、ベルナール・ラザールの「反猶太主義 その歴史とその原因」では、次のような結論に達している。
「この様な敵対心や嫌悪でさえ、もしもそれがある一つの國のある時代にだけ、猶太人に向けられたことを示すだけであるなら、その怒りの限定した原因について解明することはたやすいであろうが、しかしながら、この民族は、逆に、ある人々の中に入って自分たち自身定着しようとすると、その全ての人々から憎しみの対象であり続けた。従って、これはつまり、猶太人の敵は、最も多様に種々の民族の下に属していたからであり、彼らがお互いに非常に遠隔な國に暮らしたからであり、彼らが、非常に異質な法律に支配されたからであり、正反対の原理で統治されたからであり、同じ道徳・慣習を持っていなかったからであり、彼らをして同じように判断することを許さない似ても似つかない性質によって活気づけられるからであり、つまり、一般的な反猶太主義の原因は、常にイスラエル(猶太の人々)にあるのであって、イスラエルに対して戦った人々にあるのではない、という事である。」

ジェシー・ハーマン・ホームズ教授は、猶太人の雑誌「アメリカのヘブライ人」(The American Hebrew)への書き込みの中で、猶太人の追放について次の様に述べている。
「猶太人と非猶太人がかかわった世界の凡そ、あらゆる場所で猶太人に対する敵意が見いだされるのは、とても偶然ではあり得ない。そして、その状況に於いて、猶太人が共通の要素であるので、見かけ上は、原因は、敵意を感じる多種多様な集団の側ではなく、猶太人側にある、という風に思われる。」常識的に考えて、この様にどんな社会においても、歴史上常に、普遍的に嫌われるのは、猶太人自身が何か敵意を抱かせる行動をしているからなのだ。

今や猶太人の世界的な力の二大中心地は、約520万人の猶太人が居る米國と、580万人の猶太人が居るイスラエルである。以前は、ロシアが猶太人の力の中心地であった。そこから、猶太人はロシアの軍事力を使って共産主義思想を世界中に広げていた。今日、彼らは、合衆國の経済力と軍事力を恃んで少し違ったイデオロギー、つまり「民主制」を世界中に広げつつあるのだ。そしてそれこそが合衆國がここ数十年の間、果てしない戦争に巻き込まれている理由である。

國際干渉主義者の外交政策の裏にある、猶太人の米國での新しいイデオロギーは、所謂「ネオコン」運動である。ネオコン(新コンサーバティズム)は、全く保守ではなく、その根は、共産主義の古い猶太人のイデオロギーと同じである。具体的に、ネオコンは、米國共産党トロツキスト派から育まれてきたものである。米國ネオコン運動は、ソヴィエトの軍事力によって、共産主義を西側文明、いや、実際には世界中に広げようと画策した、ロシアの「コミンテルン」の複製である。今日、コミンテルンに相當するネオコンは、違うイデオロギー、今回は「民主制」を米國の軍事力を使って世界中に広げようと画策している。どちらの運動(コミンテルンネオコン)も猶太人の運動であったし、今でもそうである。猶太人は今日、1920年代から1940年代にソヴィエトを支配していたのと同じように米國を支配している。猶太國家イスラエルの建國以来、猶太人はこれまでになく世界中で強力になっている。彼らは今や、國際猶太國民の利益を遂行するための、彼ら自身の國家を持つに至ったのだ。

猶太人は、実際に米國を支配している、と言うほどに米國政府のあらゆる部署に浸透しており、彼らは國際イスラエル國家の為に、米國血税イスラエルにつぎ込むことも含めて、合衆國の力を使っている。我々の一連の9.11の世界貿易センタービルの破壊のすぐ後に始まった中東全域に亙る戦争は、米國の利益に貢献していない。これらの戦争は、イスラエルに代わって実行されているのだ。イスラエルは、中東に於いて、支配的覇権國家になる意図を持っており、彼らの米國での「ネオコン代理人を通じて、彼らは、米國の富と力を使って、その意図を実現するために中東におけるイスラエルの競争相手を全て破壊しようとしている。

(次回からヴァイマル(ワイマール)ドイツのユダヤ人のお話です)

 

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