ドイツ悪玉論の神話027

第七章 イスラエル(仮想)國家

猶太人は、ローマ時代以来、在留少数民族として欧州、中東、そして北アフリカで、それぞれの土地固有の多数民族の中で暮らしてきた。自分たち自身の國或いは「國家」を持っていないにもかかわらず、猶太人は、しかしながら、常に自分たちの事を自分たち自身の國益を持った(仮想)単一國民と考えて来た。イスラエル「國家」出現のずっと以前から猶太人は、自分たちの事をイスラエル「國民」と呼んできた。数多くの國々に離散していた(そして今もしている)が、それでも彼らは、猶太人共同体を結びつける高度な組織網を常に維持してきた。例えば、ラビ(猶太教司祭)が行き来するため、そして世界中のシナゴーグの間の通信をするためのシナゴーグの國際組織がある。猶太金融ももう一つの高度な組織網を形作っている。猶太所有の新聞や他の雑誌もまた、同様である。ユナイテッド・プレス・インターナショナル(UPI)とロイター、この二つの、全ての新聞・テレビ・ラジオのニュースにとって國際ニュースの一次的な発信元は、猶太人の所有で、支配下にある。B'nai B'rith(猶太人文化教育促進協会)やADL(名誉毀損防止同盟)、WJC 世界猶太人会議などなど、何百と言う、猶太人同士が緊密に連絡を維持するための撚り合って重なり合った組織網を形作っている。猶太人の指導者は、離散した猶太人の共同体に何が起きているかについて同期的に(後れを取らずに)把握していた。猶太人はどこから来ても誰でも世界中どの國でもいつも適當な立ち寄り所をシナゴーグや猶太人センターに見い出すことが出来、そこで仕事をするための基盤とすることが出来たのである。それが、パウロ(キリストの使徒の一人)があれだけたくさんのキリスト教会を建て、それらとの通信を維持できた理由なのだ。パウロは、この猶太人の組織網を通じて彼が建てた教会にラビとしてそれを行った。パウロ地中海世界キリスト教の教え(當時は猶太教の一派だった)を説教しながら旅するについて、彼は、各地のシナゴーグを根城に行い、同時にそれは、説教の聴衆をも集めてくれるものであった。パウロのこれらの教会に宛てた「手紙」、それは、キリスト教新約聖書の中でも重要な部分を占めるようになり、これもまた猶太人の組織網を通じて流布した。

猶太人は、農業には全く興味を示さず、状況によってしなければならないときだけ、農業に従事した。彼らは常に都市住民であった。町でかたまって屡々猶太人ゲットーに住み、それ故に、その数の少なさの割にはよく目につくようになった。(イタリアのヴェネツィアは、小さな島々でできた群島で、それぞれに固有の名前がついている。「ムラノ」は、そういう島の一つで、そこではヴェネツィアグラスが造られており、それでムラノグラスと言う。「ゲットー」とは、この様な島の一つの名前だ。「ゲットー」と言う言葉は、ヴェネツィアが起源である -ゲットー島- そこには猶太人がたまたま、自らの意志で住んでいた。その後、この言葉は、そのまま、「猶太人居住区」を意味するようになった。)彼らは、(農業よりも)小貿易商、仲買人、商店主、行商、靴屋洋服屋や、その他の手工芸品を売る事で生計を立てるのを好んだ。彼らの大多数は、自営で働いた。これらの小さな企業から、行く行くは、百貨店チェーンの様な大きな事業が育った。彼らは更に「両替商」であった。西洋キリスト教圏は、イスラム圏同様、「高利貸し」は宗教上の罪とされたので、キリスト教徒やイスラム教徒は利息を付けて金銭を貸すことを禁じていた。でも、金銭の貸し付けは、経済成長や発展には重要である。猶太人にはそのような高利貸しに関する良心の呵責は無いので、むしろ喜んでそういうサービスを提供する事に踏み込んだ。この様な地域的な金貸し業が國際金融に発展したのである。そして、それは常に猶太人に支配されてきた。

一般的に言って、猶太人は、その経済の中で「財の生産者」であったことは無く、寧ろ、財の「抜き取り者」であった。彼らは、財を生産する業種、例えば、農業、林業、鉱業や精錬業、漁業、製造業には、希にしか関与しないで、仲買人や金融業を好んだ。今日に至っても、裕福で有力な猶太人金融業者は財を生み出さないで、経済から財を抜き取る、通常は、利息と言う形或いは周旋料、または、仲買人の中間搾取として。それが、彼らが大多数の中でその大多数をホスト(宿主)にして暮らす、寄生的な民族だ、という評判を得た理由である。

他の人々の國に暮らす在留少数民族として、猶太人はかたまって暮らし、閉鎖的な社会(ゲットー)を形作り、しかも「外」の大多数に対して、心理的に、「我々 対 彼ら」と言う構図を作り、外の大多数を同情のない「他民族」、と言う見方をする傾向がある。彼らは、仕事の組織網と排他的取引連合を彼らの身内の間で排他的に形作り、外の異教徒と競争するにあたって、お互いに協力する。猶太人の銀行は、猶太人の事業に対する貸付に関して、同様の状況でも異教徒に対しては延長できないところ、延長し、また、事業が苦しいときにも猶太の事業に対しては破産を防ぐ為に支援する。離散している猶太人は、國際猶太資本を利用することが出来るので、これは、異教徒の隣人と競争する上で非常に有利である。キリスト教徒が、「個人主義」文化であるのに対して、猶太人は「集団主義」文化なのである。猶太人は非猶太人は排除してでも他の全ての猶太人の利益の為に共に働くのだ。キリスト教徒が、獲物を一人で狩るのに対して、猶太人は、群れで狩るのである。彼らは、徒党を組んで、共同の商業戦略を使って、一人で事業をする競争相手の非猶太人を締め出す。この様に猶太人は、自分たちの切望する分野では、非猶太人を追い出し、独占形態を作る傾向がある。猶太教の聖なる法律書、タルムードでさえ、非猶太人を不公正に出し抜くことを禁じていない。タルムードは、しかし、猶太人同士では公正な扱いを義務付けている。

この様な手段により、猶太人は、彼らが暮らすこととなった伝統的な社会の中で常に支配的な立場を築き上げてきた。そればかりか、彼らは自分たちの特権的な立場を利用して多数派住民から搾取する事に何らの良心の呵責も感じない。彼らに対する常に不変の告発は、猶太人は常に自分たちが暮らす國への忠誠を 猶太人及び國際イスラエル國家への忠誠の次にしか考えない、というものである。ロシア革命時の独逸の猶太人は、彼らの住む独逸よりもロシアの猶太人に対してより忠誠を尽くした、という事で非難された。この行動様式は常に同じである。今日アメリカに住む猶太人も合衆國よりもイスラエルにより忠誠心がある事を非難されているのだ。

第二次大戦中、米國人のソ連スパイは殆ど全員が猶太人だった。有名なアルジャー・ヒスとウィッタカー・チェンバーズは例外として。第二次大戦中、原子爆弾を作った11人のアメリカの科学者の内、10人が猶太人だった。そして、唯一人の非猶太人であるエンリコ・フェルミも猶太人の妻がいた。全員がナチスの支配後に欧州を去って米國に移ったのであり、名前だけの米國人であった。彼らの忠誠心は、自分たちが住む米國ではなく、國際猶太國民に向いていた。その頃の國際猶太の司令部はソヴィエト・ロシアにあった。ロシアの原子爆弾研究者も猶太人であった。ソヴィエトの原子爆弾開発計画の長官は、ソロモン・アブラモヴィッチ・リバッチ(Solomon Abramovich Rebach)、猶太人であった。原子爆弾の開発は、どこに於いても完全に猶太人の手になるものであった。米國原子爆弾の秘密情報は、ロシアの猶太人科学者に渡されることが充分に予測できたことではあるが、當にそれが実際に起こったことであった。米國のマンハッタンプロジェクトに於ける原子爆弾の技術的な発明・工夫の機密情報は、たったの数日、或いは数週間後にはロシアの猶太人科学者の手に渡っていた。情報は、単純に國際猶太人組織網を通じてロシアにいる仲間の猶太人科学者に渡った。原子爆弾のスパイは、例外なくすべて猶太人、それも明白に猶太人の名前、エセルとジュリアス・ローゼンバーグ、ジョルジュ・コワリ、デイヴィッド・グリーングラス、モリス・コーエンなど、であった。

猶太人によるロシアの諜報は、報告されているよりも遥かに広範に及ぶものであった。映画産業に従事する猶太人までが協力した。映画監督のアーヴィング・ラーナーは、1944年にカリフォルニア大学バークレーの「加速器」の写真を撮影したかどで捕まった。彼は、その後、ブラックリストに載った。英國の猶太人科学者も國際的な原子力のスパイ網の一部であった。しかし、猶太人によるロシアのスパイ活動は原子力の秘密に限られていたわけでは断じてない。猶太人スパイは、ルーズベルト政権下、米國政府のあらゆる部署に浸透していた。同様に、英國政府も。そして、あらゆる範疇の秘密情報を猶太人組織の情報網を通じてロシアに戻していたのだ。財務省の次官、猶太人のハリー・デクスター・ホワイト(ワイズ)でさえ、ソヴィエトの秘密情報部員であった。ホワイトの上司、財務長官のヘンリー・モーゲンソウ・ジュニアも猶太人だった。ホワイトは、刑事告発される前に死んだ。さもなければ、彼は確実に刑務所に送られていたであろう。ホワイトは、IMF(國際通貨基金)の初代長官で世界銀行の設立に貢献した。そのどちらも、當初から猶太人により排他的に支配されてきたのである。猶太人は今でも合衆國を諜報して、その秘密情報を猶太人組織網を通じて送り続けている。但し、今は、ソヴィエト連邦ではなく、イスラエルに、である。

この「疑わしい忠誠心」の問題こそが、猶太人の攻撃的な商売と金融による多数派非猶太人の搾取と同様に、何世紀にも亙る反猶太主義の原因の最たるものなのである。

(次回は猶太人追放の歴史です。)

 

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