ドイツ悪玉論の神話040

  アムステルダムから戻ったアンターマイヤーのニューヨークでの演説全文

友よ、再びアメリカの地を踏むことが出来て、何という、喜び、安堵、そして安心なことでしょう!欧州において私が過ごした二週間を通して、聞き及んだ胸が張り裂けるような言語に絶する難民犠牲者の話、恐怖の悪夢でありました。

私は今日、私の帰國に際しての皆様の熱狂的な挨拶(歓迎)に深く感じ入るものであります。それは、勿論、私個人に対してではなく、我々が引き込まれた、人道の名において成される聖戦に対しての呼びかけであったことを理解しています。猶太人も非猶太人も、我々は、同じように懸念する如く、何世紀にも亙る功績が無に帰するべきではなく、文明が死ぬことを許してはならない、という事です。

これは、嘗ての独逸と言う國、そして今では中世のヒトラー國に降臨した、偏狭な考え、民族憎悪や狂信の暗雲が、散ってしまうまで、緩めることなく続けなければならない戦争です。我々が、最後の一人まで協力して、目的を断固貫けば、文明の輝ける太陽は再び独逸の上に輝くでありましょう。そして、世界は、暮らすのにより安全となるでしょう。

我々の乗る船が、今日、誇り高き自由の女神像(フランス大東社-イルミナティ-フランス支部-からの贈り物)の前を航海した際、私は、この公正な自由の國が不幸な独逸に降臨した呪い-それは、その地と文化國民を残忍で野蛮な獣の真の地獄に変えてしまった呪い-を避けたことに深い感謝の祈りを呟きました。

 

世界の懸念

これは、迫害されている我々の同胞のおかげだけではなく、全ての世界が自衛の中でこの信じられない非道の反復から人類を開放するであろうところの今の一撃のおかげであります。今回は、猶太人が犠牲者ですが、次はカトリックまたはプロテスタントかも知れません。我々が、一度でも、独逸政府によって厚かましくも主張されているようなこのような一民族に対する、或いは一思想に対する極悪非道な迫害を國内問題だから、世界が感知する事でないとして許すならば、一体我々の誰が、次の犠牲者となるか、分かったものではありません。

今こそ、地球上の全國民が、野蛮に逆行した國による、その潔白で自衛手段のない市民のわけも理由も容赦もない恐ろしい虐殺・餓死・殲滅が、世界の他の國々が何もしないでおり、保護の手を差し伸べない國内問題であるという化け物の様な主張に対して共通の動機を掲げなければなりません。

私は、多くのこれらの幸いにして國境を越えて逃げられた、しかし財産を残してくることを強いられた、恐怖に脅えた難民を目にし、語り合いました。私は皆さんに言いたい。独逸の猶太人の状況を隠し、或いは誤って伝える、堅い報道管制と虚偽の宣伝工作の中で皆さんに知られていませんが、彼らが暮らしている死よりも酷い恐怖の、日々男性、女性、そして子供たちに対して行われている極悪非道な拷問、残虐行為、それに迫害の驚くべき話の一部が語られつつあるのです。

この話が語られるとき、それは、いつか、無能な國際聯盟がそのリップ・ヴァン・ウィンクルの微睡(まどろ)みから充分覚醒し、自身の力と義務を以って事実の調査を請求する義務を認識するときが来れば、戦争の地獄やベルギーでの残虐行為も色あせてしまうほどの、既に一部が実施されている誇り高い、優しい、忠実な遵法的な人々-祖國を愛し、祖國の為に血を流した、そして、独逸がその繁栄と、偉大な科学者、教育者、法学者、物理学者、詩人、音楽家、外交官、そして哲学者たちに対して借りがある、独逸のこれまでの文化活動の主力であった人々、それらの人々の殲滅作戦について、その野蛮と残虐に、世界は直面するでありましょう。

 

暗黒時代への逆行

しかしなぜ、この様な恩知らずと猛獣が形作る、人種的憎悪、偏狭と羨望のむかつく動機が描く、反抗的な破壊略奪の絵がこんなに長く居座るのでしょうか。それは猶太人が世界の貴族だからです。遠い昔から彼らは迫害されてきました。そして抑圧者の消長を見て来ました。彼らだけが生き残りました。そして、歴史はまた繰り返します。だが、それは我々が嘗ての偉大な國民のこの暗黒時代への逆行を そして60万人の人間の魂を地獄の拷問から救い損ねることを許すいかなる理由にもならないのです、我々に行動の意志があり、キリスト教徒の友人の助けがありますので。

世界の全ての地域、全ての宗教指導者からの反対運動や訴えが、殉教者大統領の民主主義にとって、そして少数民族を守る安全な世界作りの理想主義の夢に過ぎないのと同様に、無駄で、効果がありません。では、我々が既に仕掛けられているこれらの残虐行為に対して行うべき防衛の戦いは、いかなる方策であるべきでしょうか?我々の計画は正しいのでしょうか?正しいのであれば、事を成就するために、今、どのような手順を遂行すべきなのでしょうか?

我々の戦いは、二つの部分からなる-つまり、防御的そして建設的戦いです。防御的戦いは、独逸製品、海運、サービスに対する経済的排斥運動です。建設的戦いは、國際聯盟への訴えで、ヴェルサイユ条約、それは、少数民族を保護するための交渉によるものであったにも拘わらず、独逸の猶太人市民権剥奪と迫害により理不尽にも破約している、そのヴェルサイユ条約の労働基準の確認と遵守徹底要求する事と、独逸による書面での確約を得る事です。

  

排斥運動が意味するもの

排斥運動について言えば、不思議な事に、非常に少数ではあるが、有力で影響力を持ち、思慮に欠ける、しかし疑う事を知らない善意の猶太人が「不買運動」と言う言葉を持ち出すこと自体に強迫観念と驚きをもつように思われることです。。それは、時に、過去の労働組合と雇用者の争議に特徴づけられるような、権力と不法の印象を彼らに指し示します。これらの臆病な精神の持ち主は、資本家で、雇用者なので、この言葉とそれが暗示する全ての事が彼らの耳には憎悪なのでしょう。

事実を言えば、それは、そんなことを指し示しません。これらの紳士諸君は、自分たちが何を話して考えているか解っていません。漠然とした不安や生焼けの考えに取り囲まれるのではなく、我々の義務は純粋に防御的な経済不買運動が意味する事、そして我々が何を為し、或いは提案しているかについて、彼らを教育することにあります。

広く受け容れられている通り、排斥運動は我々の唯一の効果的な武器であります。これら、自分たちの言い分以外に根拠のない虞の相談をする紳士らは、何もして来なかったし、世界の輿論を喚起する以外何ら対策を持っていません。そして、世界の輿論など、最初から我々の味方に決まっているのです。何故なら、それは、文明に対する、野蛮で意味もなく、いわれなき暴力だからです。

彼らのその方向での、無目的的な不毛の努力は、その良心的意図の認知により威厳を獲得したかもしれませんが、それがこれまでの様に不毛であった、その結果を卑下する必要も過小評価する必要もありません。

彼らの努力が役に立たないと証明され、そして恐怖(Schrecklichkeit)による戦いが世界輿論の目の前でも衰えないばかりか、益々その激しさを増し、政府の宣伝工作と言論・報道の自由の制限で間違った方向に導かれた独逸人民の一般大衆が、自発的に或いは、彼らの横暴な支配者による懲罰を恐れて、その地獄の戦いに於いて政府を支援していることだけで充分なのです。

では、これらの感じの良い紳士らは一体何を成し遂げたのでしょうか、そして、何を成し遂げることを望み、期待するのでしょうか、この文明の大火の始まりの中に、その「羽毛の塵叩き」の様な手段で。火事は、特にこのような火事は、憎悪という風にあおられた、荒れ狂う炎が、全てを破壊するのを見ているだけでは、鎮火できないのです。

我々が提案し、また既にかなり実行に向けて取り組んできたこと、それは、純粋に防御的な経済的排斥運動を実行することにより、ヒトラー政権を揺るがす事、そして彼らがその存亡を賭ける輸出貿易を破壊して独逸人民に感覚を取り戻して貰う事であります。

(次回はアンターマイヤーの演説2/2)

 

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