ドイツ悪玉論の神話039

ヒトラーは間もなく、矢継ぎ早に、選挙期間に公約した独逸における猶太人の権力を制限する法案に着手した。4月7日、「文官の復活法」が施行され、公務員職を独逸民族に限定した。猶太人は独逸人口の1%未満だったにも拘らず、彼らはヴァイマル政府を支配し、ヒトラー政権以前の独逸の公務員の法外な割合を占めていた。新しい國家社会主義政権の下では、これらの職にあった猶太人は、免職か、強制的に定年退職となった。前章で詳述の様にこの少数の猶太人は、また、独逸の専門職をも支配していた。4月22日、猶太人は特許の弁護士をすることを禁じられた。また、國家管掌の健康保険の医者として働くことを禁じられた。医療に従事する事は引き続き認められたが、政府支援は受けられなくなった。

4月25日、高等教育の教育機関に入学を許可される猶太人子女の人数を制限する法律が施行された。この法律は、猶太人の入学者数をその人口比率に制限した。

1933年の5月10日には、独逸人の大学生がベルリンや他の都市で集まり、反逆的な、卑猥な、或いは非独逸的主題の含まれた本、特に猶太人作家の本を焚書した。ヨーゼフ・ゲッベルス宣伝相は宣言した。「独逸人民の魂は再び、自分自身を表現出来るようになった。この炎は、古い時代の終末を照らしだすだけでなく、新しい時代を灯すものでもある。」

6月2日、猶太人の歯科医と歯科技師が、國家管掌の健康保険から外された。彼らは、個人的な診療は許されたが、保険適用されなくなった。

國際猶太による独逸への宣戦布告の結果として、独逸では國中で猶太人に対する敵対心が増長した。多くの店やレストランで猶太人は拒否された。「猶太人入店禁止」や「猶太人は(身の安全は)自分の責任で入店する事」という看板が独逸の國中で見られるようになった。地域によっては、猶太人は公園やプール、それに公共交通機関からも締め出された。

 

f:id:caritaspes:20190415080301p:plain

暴力助長・猥褻・非ドイツ的な書物の焚書

    ナチスが独逸の浄化の一つとして実行したことは、反逆的な(暴力誘発の)本や猥褻な本、
      それに非独逸的主題の本の焚書があった。ここ、ベルリンの歌劇場前広場でも
     1933年5月10日、独逸の図書館から汚穢の鬱積をナチの敬礼と國歌の中、浄化した。

 

猶太人の排斥運動を前に、ライヒは、まだ始まる前に殆ど猶太に跪くところまで来ていた。猶太人は世界の海運の大部分を支配しており、つまり彼らは独逸の輸出入を遮断する手段を持ち合わせていた。更に、この時期は独逸にとって排斥運動されるには最悪の時であった。何故なら、独逸は恐慌に深く巻き込まれて、就業人口の四分の一が失業状態にあった。

ヒトラーは、正當化される理由が全くない、と言い、排斥運動の終息を要求した。彼は英米の猶太人指導者に排斥運動の非難を訴え、また、多数の責任ある猶太人指導者もそうした。英下院議員の著名な猶太人、レディング侯爵や同じく猶太人のハーバート・サミュエル子爵は、次のような共同宣言を出した。「我々は、独逸での出来事の誇張された報告や独逸製品の排斥運動の如何なる試みも非難する。」これに続けて、英國外相のサー・ジョン・サイモンもこの宣言を支持する手紙を独逸大使に手渡している。しかしながら、國際猶太の独逸に対する戦争は、独逸に対する非難と告発と共に、減じる事無く続けられ、益々如何わしく、煽情的になった。

1933年7月、オランダのアムステルダムで國際猶太排斥運動会議がサミュエル・アンターマイヤーの指導で組織され開催された。アンターマイヤーは、アメリカの弁護士で、「ヒトラーの猶太人抑圧と闘う國際猶太聯盟」の会長に選ばれた。彼はまた、「世界猶太経済聯盟」の会長にも選ばれた。この好戦的な組織は、独逸の猶太人権力と支配の制限をするライヒの計画に対抗するために設立されたものだった。

この会議は、國際猶太に、一方で独逸の猶太人の利益を守りつつ、宣伝工作、金融操作、排斥運動の強化など、あらゆる、好き勝手な手段で、対独逸全面戦争を遂行することを呼び掛けるものであった。

米國に帰國後、アンターマイヤーは、ニューヨークのWABCを通じてラジオ演説をし、その中で宣戦布告を発表した。この演説の原稿は、その後、1933年8月7日版のニューヨークタイムスに公開されたが、次節にその全体をご紹介する。

アンターマイヤーの敵意を掻き立てる演説は、独逸で起こっている事の見え透いた嘘陳述であった。彼の「ナチ」による猶太人に対する残虐行為の主張は、単に事実ではなかった。アンターマイヤーは、大げさな態度で「ナチズム」を「文化的國民から残酷で野蛮な獣の地獄に変えられた、暗愚な独逸にふりかかった呪い」として描いた。比較して、彼は、猶太人を「世界の貴族」として描いた。

アンターマイヤーは、独逸が猶太民族を「殲滅」しようとしていると宣言した。これは未だ1933年であった。独逸では誰一人その様な脅威を口にしては居なかった。アンターマイヤーは、独逸の存在そのものを破壊するための独逸に対する「聖戦」を公布した。独逸製品を買わないよう、独逸人商人をお得意にしない様、独逸と仕事している企業と取引しない、また、買わないよう、そして独逸の船で製品を輸送しないよう、世界中の猶太人が命令された。猶太人の銀行家は、独逸人にお金を貸さない様に告げられた。アンターマイヤーは、世界中の全ての猶太人への公式の演説で言った。「我々が提言して、また既に実行に向けてかなりしてきたこと(中略)は、ヒトラー政権を弱体化し、独逸人がその存在を負っているところの輸出を破壊することによって、独逸人民を正気付かせることである。」このように復讐の「聖戦」が始まり、またそれは既に1933年の8月7日、アンターマイヤーの演説の日までに既に進行していたのであった。

アンターマイヤーの演説は、それが最初の「ナチス」独逸の猶太人「殲滅」の意図を非難したものであるという意味に於いて歴史的な演説であった。然るに、独逸國内では誰一人そのような脅しをした事が無かった。彼は、「ナチス」が、独逸國内で言葉にできない様な残酷な事や残虐な事を猶太人に対して行なっていることを非難した。しかし、現実には、彼が演説した時までに猶太人には全く何も起きていなかった。この様な、煽情的な、しかし、根拠のない独逸の猶太人に対する残虐行為に対する告発が1930年代の國家社会主義時代を通して、更に戦争を通して続けられ、そして、戦後のニュルンベルク裁判に向けて強められたのだ。1933年3月24日の猶太人による独逸への宣戦布告と、それに続く1933年7月の國際猶太の排斥運動会議こそ、真の第二次大戦の始まり、とも言えるのである。

独逸政府はこの演説に抗議したが、米英では誰も聞く耳を持たなかった。それは、両國では既に、1921年以来、猶太人の新聞により吐き出された執拗な反独逸宣伝工作戦により、独逸について極悪な事を信じる条件が整っていたからだ。

アンターマイヤーの完全な演説を次にご紹介するので、読者は、その煽情的な本質を読者自身で判断できるであろう。

 

f:id:caritaspes:20190415080615p:plain

猶太人指導者:サミュエル・アンターマイヤー

(次回はアンターマイヤーの演説・二回に分けて掲載します)

 

次回 ドイツ悪玉論の神話040   前回 ドイツ悪玉論の神話038