今日の共産主義 45の目標03

✔3.  合衆国による総合的軍縮が道徳的強さの證明になるという幻想を抱かせる

合衆国の軍縮の動きは1950年代より増している。事実、一方的な軍縮はロシアとSALT II (戦略兵器削減)条約(1972~1979)を交渉したポール・ワーケの生涯変わらない哲学であった。

核兵器の漸次自主廃棄は冷戦列強の間の核弾頭の数を減らしたが、パキスタン北朝鮮、イラン、イスラエルなどの新たに出て来た成り上がり者はアメリカの弱体化した立場と平和的野望に複雑さをもたらした。合衆国は、恰も自らを脆弱にすることが強い道徳的な意図を伝えてそれが敵による核兵器の促進を阻止するかのように、自分から進んで切札を取り下げている。ベンジャミン・フランクリンが言った通り、「自分が羊になれば、オオカミに食べられるだけだ。」[1]

その間、合衆国は他の点でも自身を非武装化している。第二次大戦以来、全米50州で325か所以上の軍事基地が閉鎖され、隊員の數を削減し、何千もの艦船・機甲部隊、軍用飛行機の退役をさせた。この中には勿論、倹約による縮小や技術的理由によるものもあるが、多くの削減は効果的に世界におけるアメリカの軍事的立場を弱めたのであった。

 

[1] Benjamin Franklin to Thomas Cushing, January 5, 1773.

 

【ブログ主の感想】

これを見るとぞっとします。この幻想は、現日本國憲法の前文に高らかに謳われています。憲法が日本國にとって害毒以外の何物でもない事の證明でしょう。敗戦と言う辛い経験をしても現憲法さえなければ日本は再軍備してその主権を守るだけの軍を備えていたはずです。また、教育勅語の精神も失わなかったはずです。

一体、これまでの人類の歴史で、道徳的な強さに打たれて侵略を躊躇した國があるでしょうか?當に幻想ですね。ベンジャミン・フランクリンが言うよりも何千年も前から、「正義とは強いことなのだ」(Might is right.)と言う、もう一方の「正常な幻想」が、独立した文明の理想でありました。そして我々の祖先はこれを進んで実行してきました。(少なくとも自衛するために充分な強さは確保すべきなのではないでしょうか?)

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