ドイツ悪玉論の神話030

逸文化を衰退させた猶太人

ヴァイマル独逸の猶太人は、その劇場、映画、新聞における支配的地位により、伝統的独逸文化と独逸の理想を笑いものにした。キリスト教もまた物笑いの種にされた。(この同じ過程が米國で現在進行している。)これは、ベルリンが、例えばブロードウェイミュージカルや後の映画「キャバレー」で描かれた、頽廃・堕落・ポルノで國際的に名を馳せた時代であった。ヴァイマル共和國時代の独逸は、敗戦とそれに続く不正な平和条約を乗り越えた結果の幻影と言う意味で、殆ど前例のない社会文化的大激変に見舞われた。独逸人は人生の意味について疑問を持ち始めていた。ヴァイマルの初期には独逸は伝統的文化のよりどころから解き放たれて漂流する社会であった。

 

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映画「キャバレー」はヴァイマル独逸の頽廃生活の典型であった

古い基準や古い社会規範はもはや通用しないように思われた。戦争により、類似の結果が英國米國でも醸成され、ある種の社会不安を起こし、所謂「失われた世代」として顕在化したが、それは遥かに小規模であった。猶太人はこの独逸人の間の文化的な不測と自信喪失の状況を利用して、伝統的独逸文化の残りの部分を衰退させ、破壊しようとした。

 

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ヴァイマル時代、同性愛やレスビアンは、公然と見せびらかされた

 

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ヴァイマル時代の放蕩

更に悪いことに、独逸は1923年に「暴走する」インフレに見舞われ、独逸経済はほとんど破壊されてしまった。このインフレの中、パン一斤が40億マルクもした。中産階級が一掃され、彼らの貯蓄は消えてしまった。人々は飢えた。性犯罪の殺人「快楽殺人」を含む殺人や暴力が猛威を振るい、ヴァイマルタブロイド紙を沸かせた。嘗ての良家の女性やその娘、息子ですら生き残るためにベルリンの通りで売春しているのが見られた。世界の目にはヴァイマルのベルリンは頽廃の権化に映った。女性が男のような服装をして、レスビアンの恋人を見せびらかしていた。裸体写真はどこにでも見られた。ヴァイマルと言う言葉自体が、キャバレーや異性装、公然の同性愛や売春のイメージを呼び起こすに至った。他の独逸の都市もそれに引けを取らない状態であったが、特にベルリンは、醜聞・道徳崩壊・裸体(ポルノ)のメッカとなった。猶太人による新聞、情報、娯楽産業の支配がこれら公衆道徳の崩壊の分かり切った原因であった。ヴァイマル時代には白人奴隷貿易と同様に売春やポルノも猶太人が支配している事は、立証済みであった。現代の言葉で言うならナチスは「社会的に保守」いや、寧ろ清教徒的な見解を持ち、自分たちを伝統的、保守的、キリスト教的、そして人々の独逸的価値の守護者と見たのだった。彼らは、独逸に根差した淫行を非難し、それらを猶太人の影響に帰したのだった。ヴァイマルの放蕩は、次に起こったナチスの弾圧の主な原因であった。

アドルフ・ヒトラーはこれについて、「我が闘争」に次の様に記述している。
「猶太人問題について、永久不変の断固とした主張を得るには、忌まわしい映画作品や劇作品のポスターを見て、その、大いに褒め称えられた作者の名前を知ればそれで充分だ。ここに悪疫が、公衆の間で伝染している道徳の悪疫がある。それは、遥か昔の黒死病(ペスト)よりもずっと悪いものだ。そして、この毒が如何に莫大な量で製造され、配布されているかを。當然のこととして、その芸術作品の作者の道徳と知的レベルが低いほど、その多産は、尽きる事が無いのだ。それは、時に度を越え、こいつらのうちの一人が汚水ポンプの役となり、他の人類の顔面にその汚水を吹きかける事もある... 猶太人は、より多数がもとよりこの様な恥知らずな役をするように特別に生まれついたように思われる... それは恐ろしい考えだが、しかしそう考えるより他に考えようはないのだ。これら淫らな文学、駄作芸術、そして陳腐な劇、の十分の九が、國民の1%に満たない構成部分の人間によっているという事実-その事実を否定する事は出来ないのである。その通りだ。受け入れるしかないのだ。」

これらすべての独逸に於ける市民の不和への猶太人の影響は、誰の目にも明らかであった。猶太人の大多数が共産主義者であり、平均的独逸人には致命的な脅威をもたらしていた。独逸の人々は、ロシアでボルシェヴィキ猶太人の手によって何が起こったか全て知っていた。付け加えて、凶暴なインフレにより、パン一斤を買うのに現実に手押し車一杯の札束が必要な状況で、財産や製品を購入することが出来たのは、外國からお金を取得出来る人間だけであり、それは、たいていの場合、猶太人なのだった。1914年に米ドルの25セントであった独逸マルクは、1923年には、米ドル25セントが何と4百万マルクであった。この時期、多くの独逸人家庭は生き残るためにあらゆる所有物を売却することを余儀なくされた。上流階級の猶太人は、外國の金融との繋がりを以って、独逸の物理的財産の多くを信じられないくらい安い価格で買い占めることが出来た。所謂猶太人「渡り者」が、あらゆる場所で、まるで死体を貪る寄生虫の様に國家を食い尽くしていた。独逸では、ヴァイマル時代、独逸人の経済状態が急激に下落した中で、あらゆる階級の猶太人が成り上がったのだった。

独逸はかろうじてロシアで起こったような形によるボルシェヴィキの支配を回避し、フライコープやその頃に戦線から復員してきた将兵で構成された民兵により、その運命から救われたかに見えた。しかしながら、ヴァイマル共和國の始まりから、共産党を一端、國家社会主義者を含む右翼政党をもう一端とする極端な政治権力の格差が存在していた。独逸が、その経済的混乱、つまり、インフレとそれに続く恐慌でよろめくに従って、猶太人共産主義者は、容赦なく、協同作業により政治的支配を握ろうとした。(同じ龍の二つの頭である)共産主義の旗の下、そして、金融支配により、猶太人は國家の完全な支配をするために脅迫したのだった。

1933年7月10日付の「ロンドンデイリーメール(The Daily Mail of London)」の社説には、次のような記述がある。
「独逸の國家は、急速にその外人要素による支配に落ちつつあった。ヒトラー政権以前の政権の時代には、第一次大戦前に居たよりも20倍もの猶太人政府職員が居た。イスラエルの國際集団は、独逸の行政機構の要職に猶太人を徐々に入り込ませていたのだ。」

アドルフ・ヒトラーは、次の様に述べている。
「もし、未だに、何故國家社会主義が斯様に狂信的に独逸の猶太的要素と闘うのか、と言う質問があれば、それに対する答えはただ一つ、國家社会主義は、真の人民による共同体を創立する事を望むためだ。我々は國家社会主義者であるが故に、我が働く人民に対し、異民族が自らを指導者として押し付けるようなことは許さないのである。」

(次回から三回にわたり「ヒトラーと國家社会主義者の権力への道」です)

 

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