ドイツ悪玉論の神話031

第九章 ヒトラーと國家社会主義者の権力への道

第一次大戦後、アドルフ・ヒトラーは、未だ陸軍伍長であったが、ミュンヘンで独逸労働者党(DAP)に入党した。若いし、経験も少なかったが、彼は成熟した時事問題の把握で聴衆を魅了する演説者として頭角を現し、ほどなく、党の議長となった。ヒトラーは、独逸の敗戦による屈辱と、その後に独逸に課せられた、復讐心に満ちた、無慈悲なヴェルサイユ条約に対する憤りと怒りに燃えていた。彼は、世界における独逸の立場を復活させるために命を捧げていた。ヒトラーは、党勢を拡大する為に一生懸命働き、それを政治権力獲得の手段と観ていた。それまでにヒトラーは、猶太人こそが独逸の問題の大部分の一番の原因だと確信するに至っていた。共産主義と猶太人の独逸支配に対する反対が、独逸労働者党の政策綱領の一部となった。

 

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ヒトラー(右端に座っている)と兵隊仲間(第一次大戦中) 犬は、「フックス」と言う名前で、戦争中実際にヒトラーのペットだった。


1919年の2月24日、公開会議に於いてヒトラーは、独逸人民の為の25箇条の独逸の復権を主張した。見てわかる通り、綱領は本質的に國家主義的且つ社会主義的であり、拠って、國家社会主義であり、その最終目的は、独逸を強化し、独逸國民の復権であった。ヒトラーは、「個人の福祉より公共の福祉」という主義を強調した。

 

國家社会主義党の25箇条綱領
  1. 独逸語話者独逸人の一國家への統一
  2. ヴェルサイユ条約の破棄
  3. 独逸人口が自活できる領土と植民地(レーベンスラウム、生存圏)
  4. 独逸人のみに市民権。猶太人は独逸市民になれないこと。
  5. 市民以外の独逸居留者(例えば猶太人)は外國人向け特別法に従わなければならない。
  6. 独逸市民のみが選挙権を有し、公共機関での雇用・運営が出来る。
  7. 市民、つまり独逸民族は、仕事を得て、適正な生活水準を維持する資格がある。これが実現しなければ外國人(市民権無き者)は追放されるべきである。
  8. 非独逸人の移民はこれ以上受け容れない。1914年以降に移民した非独逸人(猶太人も含む)の外國人移民は追放されるべきである。
  9. 全ての市民は平等な権利を有し。平等な義務を負う。
  10. 市民の一番基本的義務は労働である。
  11. 失業者に対する生活保護は全て打ち切るべきである。
  12. 戦時中に不當に利得者が得た全ての利益は徴発されるべきである(猶太人への一撃)。
  13. 法人(巨大企業)の國有化。
  14. 大企業は、雇用者との間で利益配分を実施しなければならない。
  15. 老人年金の増額。
  16. 零細企業への補助、大型百貨店の閉鎖(猶太人へのもう一つの一撃)
  17. 農地改革による小規模農場主への土地譲渡。
  18. 犯罪者・不當利得者などへの全面戦争-該當者は死刑にすべき。
  19. もっと独逸らしく法律を改革する。
  20. 教育を充実し、すべての独逸人が職に就けるようにする。
  21. 健康増進の為、法律を制定して人民がスポーツに参加するようにする。
  22. 職業軍隊の廃止と、それに代わる新しい人民軍の創設。
  23. 独逸の新聞は外國人(猶太人)の影響から解放されるべきである。
  24. 信教の自由。
  25. 無制限の権限による強い中央政府

この中には、ヴェルサイユ条約の廃止と条約によって奪われた独逸領土の返還があった。独逸には、条約に拘束される道徳的義務はない、何故なら、条約は、軍事的、強制的に独逸に課せられたもであるから。常識的な人間なら、暴力や命の脅迫によって誰かが奴隷にされた場合、その奴隷にされた人が道徳的に奴隷で居なければならないことは無い、ということに同意するだろう。奴隷にされた人がそこから逃れるための力と手段を手に入れると同時に道徳的に逃れる権利がある事に、誰もが同意するだろう。この同様の道徳的権利が國家にも適用される。独逸は、ヴェルサイユ条約による奴隷化を維持するような道徳的・法的義務を負わないのである。

ヒトラーは、(ウィルソン大統領の14箇条に依る)すべての独逸人の自己決定権を要求した。つまり、それは独逸の外に住む独逸人に独逸ライヒ編入する権利を意味した。これには、ダンツィヒの返還やオーストリア併合と同時にズデーテンラントの独逸人(すべて独逸帝國に参加したいと願っていた)などが含まれた。また、他の欧州人と平等な独逸人の権利の回復を求めた。ヒトラーはさらに、他の演説や「レーベンスラウム」で書いた様に、独逸の余剰人口の為の領土獲得の権利を要求した。英國は、その余剰人口の問題を植民地への移民、北アメリカ、南洋州、南アフリカへの移民で解決した。独逸も同じ問題に面しており、その密度の高い人口は、是非もなく更なる土地を必要としていた。

この25箇条は、同時に独逸の公機関を猶太人から取り戻し、猶太人が独逸で権力と支配の力として参加できなくすることも最終目的としていた。猶太人は人口比率では僅かに1%未満の存在であったが、大概の独逸の公機関を支配していた。独逸人民の為の独逸國家を創造する最終目標に向けて、ヒトラーは、独逸の血統でない全ての人々の市民権を取り消すことを求めた。つまり、特に猶太人、実際には第一次大戦以来流入した全ての東欧系猶太人を追放する事を意味した。猶太人の市民権を取り消すことは猶太人の権利を著しく制限し、結果として猶太人の権力を制限する効果があった。1914年11月以降に独逸に入國した東欧の猶太人は、とりわけ非独逸の外國人であり、彼らの殆どすべてが共産革命分子であり、独逸で一番の問題を起こす者であった。にも拘らず、彼らは、独逸に居た他の猶太人の援助により、独逸全土で影響力の大きな職に急激に入り込んだのであった。ヒトラーはまた、独逸の「利息の軛」の破壊を求めた。それは、独逸の銀行・金融を支配していた更なる猶太人への一撃であった。彼は、独逸の為に、猶太人の支配を受けない新しい金融システムを創設しようと欲した。これは、後に、独逸の首相となったときに當に、彼が実行したことであった。彼は、猶太人支配の中央銀行を避けて、政府が発行する、新しい紙幣を作ったのだった。

この歴史的な演説で、ヒトラーはまた、國家社会主義党(DAP)を「國家社会主義独逸労働者党(NSDAP)」に改名する事を発表した。しかし、呼び名としては、「國家社会主義党」を使い続けた。(「ナチ」という言葉は、國家社会主義党が自らを称するのには使われなかった。「ナチ」と言う言葉は、猶太人支配の國際情報メディアで、國家社会主義者を嘲笑し、品格を貶め、中傷するために軽蔑的な用語として使われた言葉であった。それは猶太人に対する「カイク(kike)」と同様のものだった。それは、元々、バイエルン地方やオーストリアで農民の子供に対して一般に付けられた「イグナッツ(Ignatz)」と言う名前から来たものだ。「Ig-natz」を縮めて「Nazi」、それは、田舎者やのろま(薄のろ)を意味し、米國での「Billy Bob」や「Bubba」の様なものであった。「こいつら國家社会主義者は、単に田舎の農奴の集まりだ」そして、後に「こいつら國家社会主義者は、単にナチの集まりだ」となった。それは、良く世間一般で信じられているような「國家社会主義(Nationalsozialisten)」の略称ではなかった。「ナチ(Nazi)」と言う言葉は、猶太人ジャーナリストのコンラッド・ハイデンにより1920年代に國家社会主義者をあざ笑うために使われ、それが後に國際猶太ジャーナリストや宣伝工作員により広められた言葉だった。)

「25箇条」の演説後、猶太人の批判は、ヒトラーの演説の通常の特徴となった。彼は、インフレ、失業者、政治的不安定、敗戦を猶太人のせいにした。しかし、それよりももっと意味深長だったのは、彼が独逸の猶太人の忠誠心が一番に國際猶太に向けられている事を非難し、彼らと「國際主義者」を結びつけたことだった。

このころまでに猶太人はロシアを完全に掌握しており、ロシアを活動の基地として使っていた。彼らは、欧州全域に拡がった共産党の組織網である「國際共産主義」(コミンテルン)を立ち上げた。コミンテルンの目的は、欧州に現存する政権を弱体化し崩壊させ、ロシアをモデルとしたソヴィエト社会主義共和國に変えるために革命を扇動する事にあった。コミンテルンはモスクワから指示され、ロシア政府と、また、間接的に國際猶太金融から資金調達された。この欧州全域の共産党組織網は、仲間の大多数が猶太人であり、指導者は全員が猶太人であった。

欧州で最も大きな共産党は、独逸にあり、その党員の78%が猶太人であった。独逸は欧州で猶太人に屈してボルシェヴィキの支配に陥る最も大きな脅威の下にあった。実際にコミンテルンによって特に次のドミノ倒しのターゲットとされていた。それが現実となれば、既にロシアで起きていたのと同様の血塗られた「赤色テロル」が確実に起こったであろう。ヒトラーと國家社会主義者が独逸の公職から猶太人を締め出す計画を実行に移したのには、この様な背景があったのである。

猶太人はロシアを完全に掌握していただけでなく、英國、フランス、それに米國でも独逸同様、非常に強力であった。彼らは、國際金融財政を支配し、新聞や情報メディアも支配していたし、それに英米同様に、欧州、特に独逸の映画製作も支配していた。猶太人は、成り上がり者のヒトラーと生まれたての國家社会主義党を彼らの独逸における力と支配への増大する脅威と見た。ヒトラーが25箇条を発表した演説の後、猶太人は、ヒトラーと國家社会主義党に対する敵意に満ちた國際宣伝工作戦争を始めた。この宣伝工作戦は、情け容赦なく続けられ、國家社会主義党の政権下で益々辛辣になった。更に、これは所謂「ナチス」が無くなって長期間が過ぎた現在までも続いているのである。

(次回はミュンヘン一揆失敗と「我が闘争」そして首相への道です)

 

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