ドイツ悪玉論の神話025

猶太人ボルシェヴィキのイタリア乗っ取り計画

第一次大戦後、ボルシェヴィズムはイタリアも脅かした。猶太人の共産主義扇動者は、共産ロシアの支持と財政支援の下、対立を起こし、テロリスト活動を実行してイタリア政府を打倒し、取って代わってボルシェヴィキの政府を打ち立てようとした。ムッソリーニファシスト党を作って共産主義者に対抗し、共産主義者ファシスト党との争いによって数千人のイタリア人が命を落とした。猶太人が指導する共産主義者は、サヴォーナ?[1]、モデナ、ボローニャトリノ[2]?、ディアナ、ミラノの各都市で大量殺人を犯したが、最後にはムッソリーニファシスト軍に敗れた。イタリアでのボルシェヴィキの最終的な敗退は、ムッソリーニの有名なローマ進軍で最大に盛り上がった。

ムッソリーニは、他の「ファシスト」同様、戦争宣伝工作と猶太人支配のメディアで誹謗されたが、彼は、好ましく思われていたし、戦前は、広く尊敬される世界のリーダーの一人であった。猶太人の宣伝工作の中では、彼は、典型的に、大げさで野蛮な道化、として描かれた。

 

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ムッソリーニはイタリアを共産主義から守った


第二次大戦におけるファシズムの最も憎しむべき敵であったウィンストン・チャーチルは、戦争が始まる前は、ファシスト党を称賛し尽くせないほど称賛していた。チャーチルは特にムッソリーニに感動していた。
「イタリアのファシズムについては、イタリアは、一般大衆を動員する反逆勢力に対して戦う方法がある事を示した。それは、文明社会の名誉と安定を守る事に価値を見出し、守る意志を持つよう人々が適切に導かれることである。これでこれからは、全ての偉大な國家は、癌のように手に終えないボルシェヴィズムの増長に対する究極の保護の方法を得られるだろう。」(ウィンストン・チャーチル、1938年11月11日)

ムッソリーニの台頭時にイタリアに在住した英國の市民は、國際猶太が新聞で喧伝した反ムッソリーニと反ファシストの捏造宣伝工作と矛盾する、次のような声明を出している。
「今日ここでは、文明世界における憲法で保証されている、個人の自由に対する暴政や抑圧と言う言葉で正當に表せるものは存在しないことを最も明確に声明したい。ムッソリーニは、これまでになく、そしてまた、未だに戦争からの苦悩を引きずっている現在の他の欧州の大國とは恐らく比較にならないほど満ち足りて秩序正しく繁栄をしているイタリアの人々からの熱狂的な支持と尊敬の念を味わっていることを信ずる。」(英國居留民委員会・フィレンツェ「ファイナンシャル・タイムズ」1926)

 

猶太人ボルシェヴィキスペイン乗っ取り計画 - スペイン内戦

1936年に共産ロシアのコミンテルンは、スペインの共産主義者武装と資金を提供し始め、これが、血なまぐさいスペイン内戦の導火線となった。様々な國の不幸・不運を利用して、彼らは、欧州で一番保守的で、堅固なカトリックの君主國をソ連の支えで、悪夢のような無神論的、共産主義共和國に作り替えたのだ。スペインにおける共産主義者の活動は、先の欧州における共産主義革命同様、猶太人によって組織され指導された。ポーランド、フランス、英國、独逸、カナダ、パレスチナなど、世界中からの志願者が「國際旅団」に参加し、共産主義者側でスペインで戦った。彼らの内には、ことのほか、高い割合の猶太人がいた。猶太人女性は看護婦として志願した。猶太人志願者の為に、Der Freiheitskämpfer(自由の戦士)やBotwin などのイディッシュ語の出版物がスペインで出版された。独逸の志願者は、テールマン旅団、イタリアの志願者は、ガリバルディ、フランスの志願者は、コミューン・ドゥ・パリ、米國志願者は、アブラハム・リンカーン旅団をそれぞれ創立した。これらすべての旅団には非常に不釣り合いな割合の猶太人がいた。アブラハム・リンカーン旅団を率いたのは、猶太人、ミルトン・ウォルフであった。モウ・フィッシュマンは、戦争が終わってから長らく「アブラハム・リンカーン古参兵大隊」のリーダーだった。國際旅団の医療軍人(軍医)の70%以上が猶太人であった。

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ミルトン・ウォルフ


ロシア人司令官も多くが猶太人だった。ヤーコフ・シムシュケビッチ(Yaakov Shmushkevitsh)はスペイン共和國空軍を組織した。彼は猶太人であった。グリゴリー・シュテルンは、スペイン共和國への軍事顧問団長だった。マンフレート・シュテルンは、國際旅団の司令官、レイバ・ラザレヴィチ・フェリドビン(アレクサンドル・オルロフ)は、ソヴィエトの安全・防諜担當主任であった。全員猶太人である。フェリドビン(オルロフ)は、スペインでカトリックの聖職者や修道女の虐殺を指揮した。猶太人のミハイル・コルツォフは、プラウダ(ソヴィエト共産党機関紙)のスペイン特派員であった。モーセス・ローゼンバーグ(Moses Rosenberg)は、ソヴィエトの駐スペイン大使であった。

 

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スペイン内戦中猶太人に率いられた共産主義者は、聖心教会を「処刑」した


スペインにおける「赤色テロル」もロシア、ウクライナハンガリーそしてイタリアと同じ性質のものであった。猶太人に率いられた共産主義者は、大量殺人、強姦、破壊の限りを尽くした。以前の「赤色テロル」でキリスト教を消し去ろうとしたように、ここスペインでもカトリックの教会を復讐心を以って荒らしまわった。スペイン全土で二万か所以上の教会が破壊され、6,832人のスペイン人司祭が殺され、三千人の修道士、三百人の修道女、それに13人の司教が殺された。更に、四千人と言われる信徒も司祭や修道女を匿(かくま)い、助けたことで殺された。これらの殺人も他の「赤色テロル」同様、(彼らにとって通常の)拷問と体の切断を以って実行された。

 

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フランシスコ・フランコ将軍がスペインを共産主義から救った


フランシスコ・フランコ将軍、信頼できる愛國者、そして敬虔なローマカトリック信者が進み出て、スペインが更なる共産主義革命の犠牲になるのを防いだ。フランコ将軍は、ファランヘ党とカルロス主義派(伝統的カトリック君主主義の反乱軍)を統一國家主義グループとして合流し、モスクワに支配されていた、所謂「共和國派」に対抗して内戦を戦った。内戦では、ポルトガルのアントニオ・サラザール、イタリアのベニト-ムッソリーニ、そして独逸のアドルフ・ヒトラーから支援を受けた。彼は、ボルシェヴィキの共和國派を打倒し、スペインを猶太人ボルシェヴィズムから救った。フランコ将軍は、國際猶太報道機関から「ファシスト」と言う烙印を押されたが、それは単に彼がスペインの猶太人による占有と支配に反対したことを意味するに過ぎない。現実問題として、彼はスペインの救世主であった。

 

[1] 原典ではSaraana(恐らく綴り違い 実際の特定できず)

[2] 原典ではTeatro(恐らく綴り違い 実際の特定できず)

(次回はチェコスロヴァキア保護国として共産化から守ったヒトラーと國際共産主義の目的です。)

 

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