世界の猶太人網(ヘンリーフォード著・包荒子解説)08

独立戦争におけるハイム・ソロモン

ジョージ・ワシントンの時代にはアメリカに約四千人の猶太人が居ったが、その大部は皆工面の良い貿易者であった。北アメリカ植民地が英國に対して独立戦争を開始したとき猶太人の大部分はアメリカに加担した。ハイム・サロモン(Haym Salomon)の如きは戦時財政破綻の危機に際して、自己の全財産を投げ出して公債に応じ植民地に応援した。併しながら猶太人は決して同化せず又その特性を放棄しなかった、即ち彼等は決して事務的職業にも農業にも従事せず又製造工業の労働にも従わなかった、唯々終始一貫既製商品の商売に全力を傾注したのである。

物価の上下と猶太支配力

猶太人が生産に従事するようになったのは極く最近のことで、目下彼等が生産に関連して居る大部分は皆彼等の商業的活動の一支脈に外ならない。併し彼等は商品の販売から許りでなく此の製造業の方でも勿論利益を取るのであるから、消費者にとっては決して安価にはならない、反って支出増加となるのである。猶太人の商法の特徴は経済なるものは商売の爲であって、公衆の爲ではない、ということである。或る商品が実に馬鹿げた高値を表したり、又何等の理由なく突然物価が大暴落を来したりすることがあるが、その原因を調査して見ると、大抵は広大なる支配力を持って居る猶太人の所為である、即ち猶太人は唯自己に都合よい様に勝手に物価を上下するのである。

猶太人の営業心理

猶太人の考えでは営業とは即ち金である、彼等が金儲けに取り掛かって居る間は理想もへちまもない、唯儲ければよいのである。故に金儲けの邪魔になるような理想家の囈語[1](たわごと)等には耳を籍(か)さないのである。猶太人以外の人々は自発的に労働者の待遇改善等に努力するが、猶太人は斯様な自発的改革の爲に一厘たりとも取られるようなことは決してしない。

右は猶太人の心の冷酷なことを意味するものではなく、彼等の商業上の見解の冷酷を意味するものである、商業は夫れ自身商品と金銭の問題であって人の問題ではない、というのが猶太人の見解なのだ。若し茲に人があって非常に窮迫して苦しんで居るとすると、此の人に対しては猶太人とても気の毒であるという同情を持つ、併し此の時困窮に陥った人の家屋が一緒に問題となったとする、勿論人間と家屋とは全然分離した二個の実在である、その時猶太人は自己の商業上の見地に依って、此の家を人間化して考えることはどうしても出来ない、従って彼等は此の人に対しては、他の人々から見て残酷と思われる様な取扱いをするのである。之に対して人が残酷だと非難しても、猶太人は平然として「いや私は商売をして居るのだ」と答えるに過ぎない。

汗の工場

ニューヨークに居った人々は知って居る通り、ニューヨークには所謂「汗の工場」なるものがある。此の工場はあまりに職工を酷使するのでこの称(名)があるのだ。之を見た外國人は誰しも此の工場内に働く憐れむべき猶太人職工達に同情を寄せ、又自由のアメリカに斯くの如きものあるかと驚くのであるが、安(いずく)んぞ知らん、汗の工場の制度の発案者も監督者も同じく猶太人であるとは。(どうして知って居るだろう)然しながら事実に於て汗を絞る貧乏猶太人も、之を酷使する猶太人も、共に非人道的だとか、冷酷だとか言うことを少しも感じない、すなわち彼等独特の営業心理に基づいて唯「商売である」と観念しているだけである。それで此の酷使されて居る猶太人達は何等の希望なく唯錄々として生活して居るだけかと言うに決してそうではない、何時かは自分も多数の職工を使役する。工場主になろうとの希望を抱いて労働して居るのである。彼等無限の生の愛着及び彼等の決して減退することなき野心、即ち大いに立身出世して後には監督者になろう、工場主となろうという不断の向上心が、彼等をして酷使に些(いささか)の不満を抱かしめることもなく、又不法に対して何等の反抗心を起こさせることもなく一意働かしめるのである。彼等は斯かる酷使も不法も結局貧なるが故に味わわねばならない当然の苦痛と思って居る。猶太人は働くことを決して不幸とは考えない、又彼等は此の従屈的地位を永久に自己に定められた運命とは思って居ない。故に猶太人は、目下の況遇よりする苦痛を悲しみ徒に勢力を費やすよりは、むしろ自ら自己を改善し向上して之を脱出しようと努力して居るのである。

以上のような訳で米國では有力な猶太人は慈善事業に寄付するが、社會上の諸改革等には一向協力しないと言われている。即ち猶太人は社會人道の為工業方法を改善して自己の利益を減少するようなことはしないのである。是は猶太人が不人情であるからと見てはいけない、曩(さき)に述べた通り、彼等が先天的に持って居る「営業」という観念から来るものとみるのが至当である。

猶太人と同化について

アメリカの猶太人は同化しないというが此れは彼等に対するアメリカ人の非難ではなく実際である。彼らにその意志さえあれば、アメリカ人と同化することが出来るであろうが彼等にはその意思がない。故に若し猶太人の非常なる成功と莫大な富力を離して、若しアメリカに猶太人に対する何等かの偏見が存在して居るとすれば、それは猶太人が独り他と分離したことに起因するものである。猶太人は人物と言う点に於て、宗教という点に於て將(はた)又人種という点に於て豪末非難すべきものでないと、アメリカ人は考えて居るのであるがやはり猶太人は同化しない。是は猶太人がその排他的孤独性によって、我は従属するものに非ず、という観念を拵え挙げて居るからであって、此のことは猶太人の優れた見識であると共に猶太民族そのものから考えれば寧ろ当然のことであろう。それならば何も猶太人は其の孤独状態について、「非猶太人」全体に不平を言う訳がないのであるが、実際彼等は非猶太人が猶太人を排斥して孤独ならしめたと常に不平を言っているはおかしなことである。或る青年猶太人は「アメリカ猶太人と猶太系アメリカ人との間には非常な差異がある。猶太系アメリカ人は永久にアメリカの寄生虫たるの運命を持つものだ」と言って居る。蓋しこれは猶太人が同化猶太人を貶したもので、猶太人本来の心持を能く表して居るものである。

此れは日本のことであるが、アメリカで排日移民法案の通過したとき、所謂日本の名士の中には、日本人がアメリカに同化しないから排斥されると言って、大いに憤慨した向きもあったようだが、これらの日本人は猶太人の熱烈な民族愛と比較して実に宵壌(霄壤)の差がある。而も排日法案の発頭人はボーラー及びジョンソンの猶太人なるに至って愈々皮肉である。

ゲットー猶太人街の成立

欧州に於て猶太人街を称してゲットー(Ghetto)と言って居るが米國に於ても所謂ゲットーなるものがある、然し米國のゲットーは決してアメリカ人が造ったものではない、猶太人自身の輸入に由るものであって、彼ら自ら他と全く分離して一つの団体的組織を為して居る。此のことについて「猶太百科字典」には「アメリカに於ける猶太人の社會組織は、大体に於て他の諸國に於けるものと似て居るが、その成立に於て稍々(やや)趣を異にして居る、猶太人は米國人の中にあって別に何等の強制をも受けないのに拘らず、彼等は彼等同志相集まり互に隣接して生活することを欲した。斯の特性は今日に於ても依然として存在して居る」と述べて居る。

猶太人の独立事業

合衆國の猶太人が独占的勢力を振るって居る各事業の種類を一表にしてみると、國内に於ける重要なる事業の大部分を網羅することになるが、此の各種事業中には、真に生活に必要なる事業と、文明の習慣が生活に必要らしくしたものとの二つがある。劇界は誰でも知って居る通り、勿論猶太人の独占する所であって、劇の製作、書籍の出版、劇場の經營、俳優団より入場券の売り捌きに至る迄演劇事業の関するものは一切猶太人の掌中にある。従って今日殆ど総ての脚本の内容には宣伝の目的が蔵され、時としては公然と商業上の広告に資して居る脚本も上演されるという有様である。今猶太人の支配する主な事業を列挙すれば次の如くである。

  1. 活動写真工業(映画産業)
  2. 製糖事業
  3. 煙草工業
  4. 遠洋漁業(肉缶詰業)の五割以上
  5. 製靴工業の六割以上
  6. 男女の出来合衣服業(既製服のこと?)
  7. 楽器製作販売の大部
  8. 宝石商
  9. 穀類取引
  10. 綿花取引
  11. コロラド(Colorado)精煉(精錬)工業(特に銅の精錬業)
  12. 運送業
  13. 新聞通信とその分配
  14. 酒精飲料商
  15. 金貸公債債券業

以上は唯國家的又は國際的に重要な事業を上げたに過ぎないが、これらは皆合衆國の猶太人が単独若しくは海外の猶太人と相連繋して支配する所である。

海外における米國実業家の正体

若し人々が、海外に於てアメリカの商業の特権を握るアメリカ実業家の内幕を覗いたならば、驚嘆しないものは無いであろう思う、何となれば此のアメリカの実業家、実は大部分猶太人だからである。外国の港には「アメリカ輸入會社」とか、「アメリカ商事會社」とか、或いはこれに似よりの(似た)如何にもアメリカ人のものらしい名前を付けて居る会社が沢山ある、それで海外に出た米國人が、同國人に會おうとしてこれらの會社の事務室を訪ねたとき其処にはアメリカ人ならぬ猶太人が居るのに驚くのである。而もこれらの猶太人の多くはアメリカには極く僅かの間しか滞在したことのない者なるに至って、真の米國人の唖然たるのも無理がない。是は猶太人がアメリカ人と言う名前の価値あることを知って斯様なことをするのであって、右の事実は世界の一部に於てアメリカ人の商業方法として考えられて居るものの消息を如実に物語る一例である。此のことについてアメリカ人は大いに憤慨して三十も四十もの各人種が、自分はアメリカ人だと称して商売を為しそしてアメリカ人として如何にも適当な行動をして居るのなら、真のアメリカ人の商業方式は斯様なものだと外國に認められても止むを得ないが、併し実際はこれと大いに趣を異にして居るのであって短時日アメリカに居った猶太人が、アメリカ人の名を僭称して商売をして居る、その猶太商法を目して、外國新聞はアメリカ流と称して居るのであるから、甚だ迷惑千万である、と言って居る。独逸人も亦米國人と同じ様に「外國の人は独逸語を話す猶太人の旅商人を吾人独逸人と思うので困る」と言って慨嘆して居るのである。

非猶太人は支配的勢力を獲得するを得ず

合衆國内の猶太人の栄耀栄華(えいようえいが)の有様は既に周知のことであって、今茲に例を挙げて見た所が敢て珍しくはない。然し支配的勢力と、企業心及び勤勉に対する正当なる報酬としての富とは、全く別のものであって、之を混同してはならない。猶太人目下の富力には何人でも到達することが出来る、即ち富を得んがために猶太人と同様な代価を支払いすればよい。併し支配的勢力に於てはそうは行かない、縦令(たとい)非猶太人の境遇が、全然猶太人と同一な時に於ても、非猶太人は現今猶太人が掌握して居る様な支配的勢力を獲得することは到底不可能なことである。一般に非猶太人には相互に扶助提携するの能力、即ち目的を自覚して団結するの能力と、猶太人の如き人種的粘着性即ち高潮したる民族主義による統一の能力とが欠如して居る、そしてこの能力は猶太人の特性であるのである。非猶太人は自己の隣人が同人種であろうがあるまいが何等の関係もないが、併し猶太人には自己の隣人が猶太人であるということは何物にも代え難い価値を有するのである。猶太人の富の一例として、ニューヨークの「エマヌエル猶太寺院(シナゴーグ)」(Emanuel-Synagogue)のことを書いてみよう。「エマヌエルシナゴーグ」は1846年には維持費として僅に1520ドルを挙げ得たに過ぎない、然るに南北戦争後の1868年には、231の座席貸付料として708,755ドルを徴収し得るに至った。又猶太人が衣服業を独占したのも矢張りこの南北戦争の御蔭の一つとして数えるべきものであるが、この衣服専売も亦猶太人の富に國家的及び國際的支配を加えた一例として挙げ得ることである。

失敗した事業

凡そ猶太人が合衆國で企画した事業は、悉く成功したと言うも過言ではない。但し農業だけは例外である。猶太人が此の農業に成功しなかったことについて、彼等の書籍には、次の様に弁明して居る。「普通の農業は余りに単純すぎて、猶太人の智能を十分に働かす余地がない、従って猶太人は農業に成功して見ようなどと言う興味を少しも持たない、然し搾乳とか牧畜とかは、耕作よりは幾分頭脳の働きを要するから斯の方面では成功して居る」と。嘗て米國各地に於て屡々猶太人の農村を設けることが試みられたが、悉く失敗の歴史となった。一部の論者は斯かる失敗の原因を、猶太人が合理的農耕を知らないことに帰し或いは猶太人が手先労働を厭うが為なりとし、又他の論者は農業には投機的分子がないからだと言って居る。兎も角も猶太人は根本的に、生産的な農耕よりも非生産的な事業に於て多く活動し成功して居るのである。此の方面の研究家は「猶太人は元来土地の人ではなく常に貿易者である」と言うて居る。そしてこの主張の證明として、猶太人がパレスチナを自己の祖國として選択したこととが挙げられて居る。蓋し細長きパレスチナ地方は東西両大陸の中央に位置し、而も相互之を連絡する橋であって、往時文明諸國の対外貿易は、此の橋を通じて行われたのである。

 

[1] 囈語 たわごと、又はうわごと

 

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3. 合衆國に於ける猶太人の歴史

猶太人と経済生活

アメリカ合衆國に於ける猶太人の歴史を述べるに当たって先ずその概念を得る為、ウァーナー・ゾムバルト(Werner Sombart)の「猶太人と経済生活」を摘録してその主張を見ようと思う。ゾムバルトは該書の38ページ~43ページに斯う述べて居る。

「最初一見したところ北アメリカの経済組織は、猶太人とは無関係で、全然独立して発達したように見える………併しながら予は、合衆國は津々浦々に至る迄猶太的精神が充ち満ちていることを断乎として主張するものである。(恐らく他の國よりも甚だしからん)これは一人予が主張するばかりではない、各方面の人士、就中(なかんづく)此のことに関し正常な判断を下し得る立場にある人々の等しく認める所である………
苟(いやしく)もこの様な事実がある以上、合衆國の今日あるのは、これ猶太人のお蔭であると主張するが誤っているであろうか?若し誤って居ないとすれば益々猶太人の勢力が、現在の合衆國ヲ造ったと断定し得るのである。又今日アメリカの状態それが真にアメリカ式のものだろうか、若し無遠慮に言うならば、吾人がアメリカ魂と称して居る所のものは、実は浄化された猶太人精神に外ならぬのである」と。

コロンブス

抑々アメリカに於ける猶太人の歴史は、クリストファ・コロンブスから始まる。1492年8月2日三十余万の猶太人がスペインから放逐された、この事件以来スペインの強固たるの地位は、徐々に降下し始めた。翌8月3日コロンブスは数名の猶太人を伴って製法に向かって出帆した。併しこれらの猶太人をば逃走者と見るべきではない、何となれば此の大胆なる航海者コロンブスの計画は、追放の行われるより遙か以前既に有力な猶太人の興味を刺激し、大いに同情を集めて居ったからである。記録に依って見るとコロンブス自身も「予は大いに猶太人に同情し相慰めた」と語って居るが、彼の母は猶太系であった。コロンブスアメリカ発見の次第を詳述したところの最初の手紙、それも実にある猶太人宛に出されたものである。尚事実に於て、赫々(かくかく)たる成功を収め、未知の世界の半(なかば)を世人に紹介し、人類の幸福に至大の貢献を為した此の記念すべき航海は、猶太人の力によりて可能となったものである。

イザベラ女王と「秘密の猶太人」

世間ではコロンブスの航海に要した経費は、イザベラ女王が自分の宝玉を売って整えたと、一つの美譚(美談)として伝えて居るが、少しく研究して見るとそうではないのである。抑々当時スペインの宮廷には、三人のマラノス(Maranos)即ち非常な権勢を有する「秘密の猶太人」があった。その一人はルイ・デ・サンタゲル(Luis de Santagel) と言い、彼はバレンシア(Vralencia)の豪商で又王室の地租管理者であった。又他の一人は彼の親戚たるガブリエル・サンチェス(Gabriel Sanchez)と言う者で、この者は王朝の大蔵大臣であった。今一人はやはりこの二人の友人で、侍従職なるジュアン・カブレロ(Juan Cabrers)と言う者であった。この三人は絶えずイザベラ女王に王室財産の窮乏を説明し、若しコロンブスがインドの謎の宝庫を発見しさえすれば、巨万の富を贏(か)ち得ることが出来ると、盛んに女王に炊きつけたのである。その結果女王は之を信ずるに至り遂に意を決して、自己の宝玉を航海費用調達の抵当として交付することにした、併しながらサンタゲル(Santagel)は彼自身も費用の一部を支出することを切望し、女王の許しを得て自ら一万七千デカット(Dukaten)即ち約二万ドル(Dollar)を支出したのである、今日(1910年当時)の金額に見積もると約十六万ドル相当する。恐らくこの貸付金はコロンブスの探検費を償い得て余りあったろうと思われる。

コロンブスと五人の猶太人の航海

コロンブスと一緒に航海した中に、少なくとも五人の猶太人があった。即ちルイス・デ・トレス(Luis de Torres)は通訳として、マルコ(Marco)は外科医として、ベルナル(Bernal)は内科医として、この外にアロンゾ・デ・ラカーリエ(Alonzo de le Calle)及びガブリエル・サンチェス(Gabriel Sanchez)が一緒に航海して居る。航海者コロンブスの用いた天文機械及び地図はこれ亦猶太人の発明したものであった。

煙草使用の発見者

アメリカに上陸した一番乗りはルイス・デ・トレス(Luis de Torres)で、彼はまた煙草の使用を第一に発見した人である、トレスは後に玖玻(キューバ?)に土着したが、実に彼は現今煙草業を猶太人が支配するに至った元祖と言うべきである

コロンブスの後継者たるルイス・デ・サンタグル(Luis de Santagel) 及びガブリエル・サンチェス(Gabriel Sanchez)の両名は、勿論此の功労者として、夫々幾多の特典を得た、然るにコロンブス自身は、新大陸発見の報酬として船医ベルナル(Bernal)の奸策の犠牲となり、不当なる虐待を受け牢獄に幽閉の苦しみを受けたのみである。

ブラジル人とオランダ(和蘭)人との戰とニューヨーク(紐育)

猶太人は最初からアメリカを有望な土地として見込んで居った、それで彼等は盛んに南米殊にブラジルに向かって移住し始めたが、ブラジル人とオランダ人との間に争いを生じ、干戈を交えるに至ったからして、ブラジルの猶太人等は、ブラジルより去るを賢明なりと考え、当時のオランダ領植民地に移住した、此れが今日ニューヨークのある所である。その時オランダの総督はピーター・スツィヴェザント(Peter Stuyvesant)であった、彼は自國の國民間に猶太人の居住するを欲しなかったからして猶太人に立ち退きを要求したが、そこが猶太人である、決して歓迎されないことは萬々(ばんばん)承知して居ながらも、百方手段を尽くして到頭(とうとう)オランダ植民地に入國するの許可を得てしまった。即ちスツィヴェザント総督は猶太人立退き命令を撤回したのである。之と同時にオランダ商業會社の重役連は、猶太人入國許可の理由として、猶太人が會社に資本を提供したことを公示して居る、是が彼等入國運動の爲に取った手段なのである。けれども総督は、猶太人に公職に就くこと及び小売業に従事することを禁止した、此の結果猶太人は海外貿易に向かって発展するに至り、彼等が欧州と連絡ある為忽ち海外貿易を独占するに至った。

猶太人の試練と成功

以上述べた所は猶太人の発明的才能は実に幾多の試練を経て益々発揮されて居る、と言う一例を挙げたに過ぎない。常に彼等は一方面に於て禁止されるときは、他の方面に向かって発展し赫々たる成功を収めて居る。彼等は新調の衣服の商売することを禁じられると、直に古着の商売を始めた、これ実に古着商に於ける組織的取引の起源である。又猶太人は商品を商うことを禁じられるや、直に屑物買いを開始した、実に彼等は世界に於ける屑物利用事業の開祖なのだ、又猶太人は難破船救助事業の発案者で、文明の廃棄物の中に能く富を求めた。更に又猶太人は古き繿縷(らんる、ぼろきれ)利用法、古き羽毛の清浄法、沒食子[1](もっしょくし)及び兎皮の使用法を人類に伝授したものである。元来彼等は毛皮商売に特に興味を持って居り、現在に於ても毛皮商売は猶太人の掌握する所である、今日普通の毛皮でありながら種々の誘惑的名称の下に、高価なる毛皮として取引されて居るものが随分あるが、これ皆猶太人の考案に成るものである。今や「再び新しいものにする」と言う思想は、猶太人に依って商売上普通に行われるまでに至って居る。地上の廃物を有価物に変じ貧困から富裕となった初期の猶太人の如く、今日に於ても屑屋商売を為して居る猶太人は欧米に屡々見受ける所である。

米人の朝貢

曩(さき)に述べたオランダ総督ピーター・スツィヴェザントは、まったく意識せずに猶太人を駆ってニューヨークをアメリカ主要の貿易港たらしめたものである。アメリカ独立戦争の際、大部の猶太人はニューヨークからフィラデルフィアに難を避けたが、戦雲収まるや否や直ぐにニューヨークに帰還した、実に猶太人の本能は、ニューヨーク市を猶太人商業上の楽園と感じたのである。事実ニューヨークは猶太の楽園となった、同市は今やアメリカ全輸出入の大貨物に対する課税の門戸であって、アメリカで為された仕事が、挙げてその資本家たる猶太人に朝貢する場所となったのである。ニューヨークの地所は猶太人の所有となって居る。又家屋所有者名簿は殆ど全部猶太人の名前で填(う)ずめられ、非猶太人の姓名は実に寥々(りょうりょう)たるものである。斯くの如き比類なき繁栄と間断なき富力を権力の発展を見て、猶太人の著述家達が感激の余り、「合衆國は預言者達が預言した賛美されたる國である、そしてニューヨークは新エルサレムである」と叫んで居るのも決して怪しむに足らない所であって、中には更に言を進めて、ロッキーの連山頂をシオン山なりと賛美しているものさえある。誠に猶太人の手に鉱山及び炭山があるの事実を思い泛(浮か)べる時は、彼等が斯く賛美するのも蓋し当然と言わねばならぬ。

ニューヨークが今日の様に隆昌となった所以は、幹線諸鉄道がすべてニューヨークを終点として輻輳し、貨物は皆此処から海外に出されるからである。然るに新運河計画によると五代湖畔の各大都市はいずれも事実上大洋の貿易港となるから若し新運河計画が実現する暁には、ニューヨークは一朝にして凋落の悲を見ることとなる訳である。従って新運河計画は激烈な反対に遇い今なお解決されずに居る。この計画は極めて明瞭な経済的改良であるに拘らず、斯の如く反対が激烈であるのは如何なる訳かと言うに、その動機は斯うである、ニューヨークに於ける富の大部分は、ニューヨークが今日のニューヨークとして存在するが為の富であるから、若し万が一ニューヨークが単なる海岸の一都市となって、最早大収税吏たる猶太人が蟠踞する都市でなくなったならば、莫大な猶太人の富は大いに減少する訳である。抑々猶太人のニューヨークに於ける富は、大戦前に於ては一つの謎であったが、今日に於ては統計の示す所に依って以上のことは明瞭である。

合衆國に於ける猶太人口は五十年間に五万から三百三十万余り増加して居る。然るに英國内の猶太人全部の数は僅三十万で、パレスチナは十万に過ぎない。大英國内の猶太人の数が比較的多くないということは、猶太人自身にとって非常に幸福な状態と言うべきである。何となれば英國の猶太人は、目下あらゆる重要な大事業に携わり悉く大勢力を振って居るから、若し貧乏な猶太人が多数移住しても、勢い彼等貧乏人は頗る嫌な目を見なければならないとも限らない。事情に精通して居る某英國人はこう言って居る、即ち英國では反猶太主義が何時でも起こりうる可能性がある、併し此の排猶太運動は政治上及び國際的経済界に勢力を揮って居る金持の猶太人に向かっては起こり得ない、勿論汎猶太主義の一般的真因は、國際的に活動する猶太人に対するものであるが、而も彼等は表面に顕われずに隠れて居るから、反猶太主義の犠牲となるものは何時も無実の貧しき猶太人である、従って貧困猶太が多数英國に居ないということは、猶太人自身にとって確かに幸福な状態と謂わねばならない、と。反猶太主義に関しては次の章で論述しよう。

曩(さき)に述べた英米両國の猶太人口は何を示して居るかと言うと、國際猶太人の大富豪が振るって居る偉大なる勢力は、人口の多い少ないに関係して居るものではない、数に於ては比較的僅少であっても共に全世界に亘る無比の勢力を持って居ることを表している。目下世界に於ける猶太人口は僅々千四百万人余りに過ぎない、それはちょうど朝鮮人とほぼ同数である。斯う比較して見ると、猶太人の勢力が如何に偉大であるかということが自ら判然と想像されるのである。

 

[1]  ブナ科の植物の若芽が変形し瘤になったもの。この瘤はタンニン成分を多く含み、これを抽出し染料やインクとした。

 

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世界の猶太人網(ヘンリーフォード著・包荒子解説)06

政府の頭上に策動する猶太人

右の如く猶太人が一方には多数の國民の脚下に作用して居ったが、又一方には更に高級猶太人は政府の頭上に策動して居ったのである。即ちベートマン(Bethmann)政府の顧問の顔触れは、次の様な猶太人達であった。即ち大海運業者猶太人バリン(Ballin)、汎猶太新聞の同人である所のベリーネル・ターゲブラット(Berliner Tageblatt)のテオドル・ウォルフ(Theodor Wolf)、独逸銀行頭取にして猶太人大銀行家スパイエル(Speyer)と姻戚関係にあったフォン・ゲヴィンネル(Von Gevinner)それから猶太人の工業及び財政上の諸企業団体の統率者であるラーテナウ(Rathenau)などであって、これら猶太巨頭が政府要路を擁して政府勢力を振って居ったことは、恰ど(ちょうど)他の猶太人が國民に対して居ったと同様であった。

富裕銀行と貧乏猶太人

富裕なる独逸猶太人は其の擁する財的勢力によって、自己の欲する儘に経済生活の各方面に亘り、社會的の地位を獲得することが出来た、是れ経済生活の各方面には、独逸の支配階級が直接関係して居ったからである。然らば貧困なる猶太人は、如何にして自己の欲求を貫徹したろうか、そもそも全猶太人にはこれを一貫する一つの衝動ともいうべきものがある。此の衝動は実に彼等猶太人の血液中に存在するものであって、即ちそれは支配権を掌握しようとする希望である。此の希望は貧富の別なく悉くの猶太人を鼓舞激励する所の共通要素であるのだ。猶太人の富裕階級が独逸上流を侵蝕したのは其の金力に依ったのであるが、貧困なる猶太人の民衆侵蝕は、金力に依ることが出来ないから、唯彼等が擾乱に乗じて掴み取ったものを用いるほか途がない、而も彼等が独逸國民の大部を征服したことについては探求するの必要がある。

右傾猶太人と左傾猶太人

抑々猶太人は決して無政府主義者ではない、又決して破壊主義者でもない。併しながら猶太人は世界的過激派であって、独逸に於ては卓越した革命家である。猶太人の無政府主義は決して純真のものではなく、彼等に取ってはある一定の目的を貫徹するための一手段に過ぎない。又富裕猶太人は、決して無政府主義者たることはない、何となれば彼らは金力と言う頗る巧妙な手段によって目的を達成し得るからである。けれども貧乏な猶太人に至っては、何等の資材をも持って居ないのであるから無政府主義を方便として使用するのだ。茲に於て吾人は左右両極端の猶太人同志の間に抗争が起りはすまいか、と思うが決してそうではない。富裕猶太人と貧困猶太人は、長く相共同提携して進み、互いに同民族であるという感情の絆は、決して両者の間を引き裂くことはない。何故かなれば、若し無政府主義が成功すれば貧困猶太人は、富裕猶太人と相並んで地位を得るべく、又若し無政府主義が失敗すれば、貧困猶太人は現状を維持するだけであるが、其の代わり富裕猶太人には少なくとも活動し得る新舞台が展開される見込みがあるからである。

独逸の貧困猶太人達は、独逸人という柵でとりまかれ、その柵内に閉じ込められて居ったから、柵外に出る為には、これを破壊するより外に致し方がなかった。ロシアに於ても同様である。社會秩序が厳存する限り、猶太人は或る位置内に閉じ込められて居って、自由の境涯にはなれなかった。是は従来の経験上斯うしておくのが一番國の爲に無難で、猶太人から禍害を受けることが一番軽くて済んだからであった。其れはちょうど人体内に外界から一異物が侵入して来た時、人体の作用は自然に此の異物を包囲してしまうと同じような関係に、猶太人と諸國みんとはなって居ったのである。然るに近世に至って猶太人は此の國民の柵を破壊し、國民と言う一つの大きな建物を瓦解させ、斯くて発生した暗黒と混乱に乗じて従来燃望し来った地位を獲得するの手段方法を案出するに至ったのである。露國が崩壊した時、其時先ず現われた人物は何人であろうか、猶太人ケレンスキーである。けれど猶太人ケレンスキーの諸計画は過激政府ではなかった。従って彼は失脚し次いでトロツキーが権を握った、彼も矢張り猶太人である。トロツキーアメリカの社會組織が頗る堅固で、到底破壊し得ないものであると認めたから、先ず最も薄弱なる露國を突破して之を自家薬籠中のものと為し、是より漸次全世界を席捲しようという意思を有して居たのである。露國の各委員は殆ど皆猶太人である。露國の革命当時の状態を叙述した人々は、露國は混乱状態にあったと述べて居るのが通常である、或いはそうかも知れない。併し露國の猶太人政府に対する評としては決して当たって居ない、露國猶太人は、其の猶太政府を根拠として少しも紊(みだ)れず、正々堂々の陣容を整えて進み、其の狀は宛然(えんぜん、そっくりそのまま)予定の方針に基づき人為的に造った擾乱に乗じて、着々転覆作業を進捗せしめたと見るべきものである。独逸に於ても全然露國と其軌を一にした。貧困猶太人達は自己の野心を満たさんが為、独逸人の鉄柵を破壊しようと努力したのである。一度破口が造られるや、彼等は破竹の勢いを以て之に突入し、斯くて國民を支配する主要なる位置は悉く彼等の占有する所となったのである。

此のことは猶太人が、何故に下肺運動に其の力を注ぐのか、ということを説明するものである。合衆國に於て青年猶太人等が一つの思想宣伝に努力して居ることは周知の事実なるが、この思想の具体化は即ち合衆國の滅亡を意味するものなのである。彼等の攻撃の目標は勿論「資本主義」なる語で表されて居るが、併し此の資本主義は猶太人以外のものを意味し、其の真の目的とする所は、現今の「非猶太人」による世界支配の転覆にあるのである。抑々実際の資本主義者、即ち資本を擁して居る資本家と言うのは猶太人である、故に猶太人が資本主義の殲滅を欲するとは、どうしても首肯し得ぬ所であって、実に彼等は資本の独裁的支配を為さんことを欲し、既に遠き昔より其の希望に向かい着々として功を奏しつつあるのである。

プロレタリアの独裁

独逸竝(ならび)に露國に於て知りうるが如く、吾人は富裕猶太人と貧困猶太人との間には、方法に自ら差異あることを認めねばならない、すなわち一つは政府に向かい他の一つは國民の気分に向かっているものである、併しながら両者共其の手段は同一の目的に向かって集中されているのである。猶太人の下層階級が使用する手段は、唯圧迫を排除しようという目的に向かって努力して居るのみでない、更に支配権をも奪取しようと企てて居るものである。即ち彼ら下層階級の方法の本体は、権勢を得ようとの意思達成にあるのである。即ち独逸人が深くこの点を洞察するときは「革命は権勢を得ようとする猶太人の意志の表現なり」と断ずるを得よう。社會主義者、民主主義者、自由主義者の如き各派の人々も、実は此の猶太人の意志表現の道具たるに過ぎないのだ、所謂「プロレタリアの独裁」は事実上猶太人の独裁でなくして何であろう。

第二線に退却

扨而(さて、)独逸人はスラブ民族の様な茫然たる民族ではない、眼前に猶太勢力の横暴を見るや、茲に俄然として覚醒し、熾烈なる敵愾心を以て猶太人の画策に対し、疾風迅雷的に反抗運動を開始するに至った。其の結果猶太人間には「第二線に退却」という標語が発せられるに至り、國民と直接触接する職務に居った猶太人は悉く袂を連ねて其の職を辞するに至った。併しながら此れに依って猶太人が、権勢を得ようとの意思を抛棄(放棄)したものと見るべきではない、独逸の将来は如何になり行くかということは到底逆睹(ぎゃくと、予測)すべからざるものがある。併しながら独逸人が其の将来に対し善処しつつあることは疑いなき所である。既に露國は猶太人の予定の如く既に全く転覆されて、その震動は全地球を震駭[1](しんがい)しつつあるのである。

今生粋の独逸人及び露國人の猶太問題に関する意見を総括して、之を約言すれば次の如くである。

汎猶太國

猶太人は世界中で最も緊密なる組織を有する一勢力であって、彼等は一國家を形成し、その猶太勢力の厳粛なる組織は、到底英國の所謂世界的國家等の及ぶ所ではない。彼等國民は其の居住地の何處なるを問わず、又貧富の如何を問わず悉く猶太國に対し不変の忠実を以て服従して居ると。

この世界各國に跨る猶太國家を独逸では「汎猶太國」と称して居る。そして汎猶太國の國是遂行の手段は「資本主義」と「新聞主義」即ち金と宣伝である。

世界各國の中「汎猶太國」のみが世界政府を有する唯一の國家であって、他の総ての諸國は単に自國民に対して支配権を行使し得、且つ行使しようと欲するものばかりである。

汎猶太國の主なる事業は「ジャーナリズム」である、近世猶太人の技術的、科学的及び文学的事業の悉くは、徹頭徹尾ジャーナリズムの性質を持って居るものである。是は猶太人が多人種の思想を受け容れる驚くべき天才に起因して居るのであるが、資本及びジャーナリズムは相結合して新聞となって現われ、今や新聞は彼等が支配権獲得の方法手段となって居るのである。

それで此の汎猶太國の管理行政は、実に驚くほど組織だったもので、パリは嘗て其の第一の國都であったが、今では第三番目の位置に下がってしまった。大戦前にはロンドンが汎猶太國の第一の首府で、紐育(ニューヨーク)は第二の都であった。併し大勢が米國に向かって居るから将来はニューヨークがロンドンに代わって第一の首府となるだろう。

汎猶太國は國民はあるが固有の國土がない、従って陸海軍の常備軍を維持する訳には行かないから、他の國家をして汎猶太國の爲に陸海軍を維持せしめて居る。即ち汎猶太國の海軍とは英海軍のことである。事苟も会場の通商上に関しては、英國海軍は猶太の世界支配権を他の侵略に対して保護し、其の代わりに汎猶太國は英國に対して、その政策及び領土上の支配権が阻止されない様に保証して居る。彼のパレスチナを汎猶太國が英國の統治下に委ねたのも自然のことである。又汎猶太國の陸軍が存在して居った所(如何なる國の軍服を纏って居たにしろ汎猶太國のの陸軍と見做すべきものがある)に於ては、此の陸軍は通常英國海軍と提携して活動して居ったのである。

汎猶太國は世界各地の行政権を喜んで其の國々の政府に委ねて居るが、その要求する所は単に之等諸政府の上に及ぼす管理調節権だけである。猶太人は非猶太人の世界が、各國民に永久に分割されて居ても、そんなことは毫も意に介して居ない。寧ろ喜んで居る。又猶太人自身は他の國民の中に吸収され、之と同化してしまう様なことは決してない、猶太人はそれ自身一國民である、過去に於ても常にそうであったが、将来に於ても亦常にそうであろう。

汎猶太國が、他の國民と争うのは、他國民が一國の工業的及び財政的利益を自己の勢力下に置こうとして、之を猶太人の手から奪おうとする時のみであって、この時こそは猶太人は敢然起ってその國と争うのである。汎猶太國は戦争を惹き起こすことも出来れば、又平和を作ることも出来る。又頗る頑強な場合にはAnarchy 無政府主義を勃発させることも出来れば、秩序を恢復することも出来るのである。実に猶太人は人類の神経と腱とを意の儘に操縦して、汎猶太國の國策遂行を促進せしむる如くするものである。

汎猶太國は世界の通信の本源を制して居る。従って汎猶太國は世界輿論を自己が次に行おうとする計画に有利なる如く準備し得るのである。汎猶太の此の通信の作為法と人心を誘導して自己の一定目的に対して都合の良いものにする方法は、吾人の大いに注意研究すべき点である。併し若し有力な猶太人の行為を探り、其の手を摘発暴露するものあれば、直に「迫害」の叫び大となり、世界の全新聞は一斉にこれを攻撃するのが常である。而も其の迫害の真原因(例えば猶太人の非猶太人に対する財的圧迫)は決して世界公衆に徹底することはない。

汎猶太國は其の副政府をロンドン及びニューヨークに置いて居る。彼は既に独逸に復讐した、今は他の諸國民の征服の為に歩を進めつつある。英國は既に其の魔手に苦しむ事久しい。露國は最早、問題ではない、合衆國は全人種に対して善良なる寛容性を有して居る國であるが、併し今や汎猶太國にとって有望な戦場となって居る。活動の舞台は転々と移り変わって居るが、猶太人は数百年を通じ依然たる猶太人である。

 

[1] 驚き、震え上がること。

 

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世界の猶太人網(ヘンリーフォード著・包荒子解説)05

2. 猶太人に対する独逸の反動

独逸國民の疾患

古き昔に於ては病気になるとこれを隠匿し、羞恥と秘密の幕で病気を掩(おお)わねばならないと信じられて居った。併し今や人々は公然と病気の治療をして敢て恥ずかしいとか、隠すとかいう様なことは少しもない様に進歩した。人体の病気についてはそうであるが、政治上の疾患に対する医術と言うものは、まだまだ其処までは進んでいない。抑々独逸国民の疾患の主原因は猶太人の影響に帰すべきものである。此のことについては鋭敏な頭脳の持ち主は、既に数十年前から洞察して居った所であるが、今ではどんなに頭の悪い人たちでも明らかに承知する様に成った。独逸の政治的全生命は、実に猶太人と言う悪疾から根本的に転覆された。此の事実は最早これ以上長く押し隠すことの出来ないことである。各階級の独逸民は今大戦終息後の瓦解及び革命は、これ皆猶太人の奸計、猶太人の計画による仕事であると今日では信ずるようになった。以上のことは独逸に於て確信を以て主張せられ、又此の主張を証明する為に幾多の事実が提供され、尚歴史は必ずや将来充分な証拠を示すことと確信されている。

猶太人と独逸人の反対性と憎悪

独逸國の猶太人は、唯独逸國民の客分と見做されて居るに過ぎない、然るに猶太人は自ら独逸國の主人たらんと努力したのである。凡そ世の中に純日耳曼(純ゲルマン)人種と純セム人種程大きな反対性を持って居るものはない、従って両人種間に豪末の一致点もなければ、また少しの融和の可能性も存在して居ない。独逸人は猶太人を客と見做して居るのに、猶太人の方は独逸人の有する総ての権利と全然同一の権利を承認されて居ないことを憤慨し、主人たる独逸國民に対して非常な反感を抱いて居った。他の諸國では猶太人は容易に其の國人と融合し、又猶太人の権力伸長に一向支障なかったが、独逸では全くこれと趣を異にした。斯ういう訳で猶太人は頗る独逸國民を憎んだ。此の結果猶太人が最大の勢力を振って居る國々も亦大戦間、独逸に対して最も甚だしい憎悪を表示し、猶太人が言論界を殆ど独占的に掌握して居る所からして、彼等は其の新聞に依って独逸國民に対する所謂世界の「輿論」なるものを作ったのである

大戦唯一の勝利者と独逸の管理人

世界大戦に於ける唯一の勝利者それは実は猶太人であったのである。併し斯う主張しただけでは不十分である、此の主張が正しいということを証明するの必要がある。吾人は今事実を穿鑿して見よう。ドイツが旧政府から新政府へ移った其の時既にどうであったろう?即ち独逸國政府に代わったものは、六人制内閣で、此の内閣の代表人物は実に猶太人のハーゼ(Haase)とランヅベルヒ(Landsberg)であった。ハーゼは外務を統轄し、この補佐役となったものは、猶太人のカウツキー(Kautsky)である。カウツキーはチェック人(チェコ人)で1918年には未だ独逸國民たるの権利を持って居なかった者である。その他コーン(Kohn)もヘルツフェルド(Herzfeld)も共に猶太人だ、猶太人シッフェル(Schiffer)は蔵相であって、猶太人ベルンスタイン(Bernstein)に依って補佐された。内相になったのは猶太人プロイス(Preuss)だ。其女房役はフロインド(Freind)と言いう猶太人の博士だ、コペンハーゲンのフランクフルト、ツィツング「Frankfurter Zeiting」紙の通信員たる猶太人フリッツ、マックス、コーエン(Frity Mex Cohen)は逓信(郵便)事務の長官となった。

独逸國中央政府の状態既に右の如くである、況やプロイセン王國に於てをやだ。プロイセン内閣を統率したのは猶太人ヒルシュ(Hirsch)及びローゼンフェルド(Rosenfeld)でローゼンフェルドは司法省をヒルシュは内務省を主宰した。猶太人シモン(Simon)は大蔵大臣となり、プロイセンの大蔵省は完全に猶太人が占領する所となった。教育機関の総長はロシアのユダヤ人フトラン(Rutran)で次長は猶太人アルント(Arndt)である。植民局長になったのは猶太人マイエル、ゲルハルド(Meyer Geruhard)である、猶太人カステンベルヒ(Kastenberg)は美術課の長官となり、陸軍給養局は猶太人ヴルム(Wurm)の掌中に移った。経済省には猶太人ドクトル、ヒルシュ(Dr. Hirsch)及び枢密顧問官ドクトル、スタットハーゲン(Dr. Stadthagen)が居った。労兵委員會を統率したのは猶太人コーエン(Cohen)である。猶太人ステルン(Stern)、ヘルツ(Herz)、リョーヴェンベルヒ(Lovenberg)、フレンケル(Frankel)、ラエロウィッツ(Ysraelowitz)、イスラウベンハイム(Laubenhim)、ゼーリヒゾン(Selrgsohn)、カッシェンスタイン(Katzenstein)、ラウッフェンベルヒ(Lauffengerg)、ハイマン(Heimann)、シュレシンゲル(Schlesinger)、メルツ(Merz)及びヴェイル(Weyl)は右委員會内にて諸種の職を持って居った。

猶太人エルンスト(Ernst)はベルリンの警視総監になった、フランクフルト、アム、マイン(Frankufurt Am Main)の警視庁では、猶太人ジンツハイメル(Sinzheimer)が、エッセン(Essen)では猶太人レヴィイ(Levy)が総監であった。猶太人アイスネル(Eisner)はババリアバイエルン)の大統領となり、其の大蔵大臣は猶太人ヤッフェ(Yaffe)で、ババリアの商業、交通、工業は半猶太人ブレタノ(Brentano)の隷下にあった。猶太人タールハイメル(Thalheimer)及びハイマン(Heimann)はヴュルツテムベルヒ(Württemberg)國所管省内に、猶太人フルダ(Fulda)はヘッセン(Hessen)國に活躍して居った。

平和會議の独逸正式代表は二人共に猶太人であって、副代表は猶太人の利益を図るに有名なる人物であった、此の外代表派遣使節の一行中には猶太人の専門家や顧問などが媚集して居った。即ちマックス・ウォーバーグ(Max Warburg)、 ドクトル・フォン・ストラウス(Dr. Von Strauss)、メルトン(Melton)、オスカル(Oskar)、オッペンハイマー(Oppenheimer)、ドクトル・ヤッフェ・ドイッチュ(Dr. Yaffe Deutsch)、ブレンタン(Brentano)、ベルンスタイン(Bernstein)、ラーテナウ(Rathenau)、ワッサーマン(Wassermann)、メンデルスゾーン(Mendelssohn)、バルトールド(Bartholdy)等の類である。

此の外平和會議に他の諸國の猶太人も参列して居ったことについては、公平なる立場にある非猶太人通信員の記事を読んだ人々は、何人も確実に知り得た所である。非猶太人通信員の目には、斯の如く多くの猶太人が平和會議に参列して居るという事実が奇異に感じられたらしい、そこで之れを掲載したのだろう。併し猶太人の記者は、斯様なことは黙って居る方が賢いやり方だと考えたせいか、一言もこのことには言及しなかった。

独逸に於ける猶太人の活動は、大戦間特に熾烈となり、遂に表面に現われるに至った。そして其の活動は隼の如く敏速にして而も綿密確実、人をして万事は既に以前より計画準備されて居たのではないかと疑わせた程である。独逸の猶太人は大戦間決して独逸に忠実なる愛國者ではなかった、此のことは独逸に敵意を有する諸國民の目から見れば、何等非難に値することでもなく、寧ろ当然のことと見えるだろう、併しこれを深く考えてみれば、猶太人は決して自己の住んで居る國に対して、忠節の念を有するものでないということを、明らかに証明するものと見なければならない。尚独逸の思慮ある人々は、これを仔細に観察し、次の理由よりして、猶太人が愛國者たることは不可能なことと考えて居る。

独逸革命と猶太人

即ち各方面で主張されて居るのは、曩(さき)に列挙した猶太人等は、革命がなかったならば、あの様に重要なる職を占めることは確かに出来なかったろうし、又猶太人が革命を起こしさえしなければ、革命等は決して起こらなかったろう、と言うのである。独逸の諸状態は確かに満足なものではなかった。併し此の不満足な状態は、何にも猶太人の手をかりなくとも独逸國民自身の手で始末し得るものであり、又独逸國民は確かに始末した筈である。けれども既に独逸國民は、猶太人の勢力によって公徳は破壊され志気は阻喪して居って、またこれを改善することは不可能な状態になって居ったのである。

独逸の國家的秩序を破壊した原因と見るべき猶太人の最も主要なる影響は、概ね之を次の三つに区分することが出来る。(1)社会民主主義と言う仮面を被って居ったボリシェヴィズム。(2)猶太人が言論機関を掌握して居り且つ新聞界に絶対的勢力を持って居ったこと。(3)猶太人が食糧品供給及び工業界を管理して居ったこと。尚このほか「物価釣り上げ」と言う最も重要な一つの影響があるが、併し右の三つは國民に対し直接有効なる作用をなしたものである。

独逸に於ては猶太人が跋扈して居る、従って右の三影響について論ぜられたところの独逸人の意見は、猶太人の勢力下で作られたものだというので、ひょっとすると一般から疑問を以て迎えられるかも知れない、それであるから此処には、ロンドンのグローブ(Globe)の記者ジョージ・ピッター・ウィルソン(George Pitter Wilson)の言を引用することとする。この人は1919年4月、既に次の様な記事を書いて居る、即ち「ボルシェヴィズムとは全世界のキリスト教諸國民から、残らず財力を奪い取り、そして猶太人全部が団結して世界の覇権を其の掌中に収め、勝手気儘に之を統治しようという主義のことである」と。又独逸の猶太人は既に大戦第二年に次の様なことを宣言して居った、「独逸國の敗北は無産階級の向上の為に是非共必要である」と、又ストリョーベル(Strobel)は「私は公然と告白するが、独逸が充分なる戦勝を得れば決して社会民主党の爲にはならない」と述べて居る。加之(しかのみならず)到る所で「独逸が勝てば無産階級の台頭は不可能である」と宣伝されて居った。茲に挙げた例は単に少数の実例に過ぎない。斯くの如き例はまだ幾何でもある。以上の諸例の引用は、何にも大戦問題を茲に展開しようとするのではない、所謂独逸の猶太人が、如何に彼等の住んで居る独逸國に対して忠誠を忘却して居ったかということと、如何に彼等が爾余の國の猶太人と連合して独逸國の滅亡の為に活動したか、ということを示したいからである。それならば何故に彼等が独逸の滅亡を策したかと言うに、独逸國を軍國主義から解放せんがためにしたのでは決してない、此のことならば凡そ思慮ある独逸人は皆希望したところであるが、併し彼らの目的とする所は、独逸國の秩序を破壊し混乱せしめんが為めであったのである。蓋し彼等は混乱に乗じて支配権を奪取し得るからである

猶太新聞の思想製造

最初独逸の新聞界の猶太記者は、斯の如き企図を秘して表面には現さなかったが、後には大胆にも公然とこの論旨を明瞭にするに至った。ベルリネル・ターゲブラット(Berliner Tageblatt)及びミュンヘネル・ノイエステン・ナハリヒテン(Munchner Neuesten Nochrichten)の両紙は、大戦間政府の官報であったが、両紙共猶太人の所有で全然猶太人の支配する所であった、又フランクフルテル・ツァイツング紙(Franckfurter Zeitung)初め小新聞の大多数も亦猶太人と気脈を通じ猶太人に従属して居った。今日独逸人は此の状態を評して、此等の諸新聞は寧ろ協商側の猶太新聞が発行されていると見るべきが至当であって、其目的とする所は同一であると言って居る。今や猶太系新聞は即ち公共の新聞となって居って、日々世界の思想を製造しつつ、全世界に於て互に結合共同して居る事実については真面目に考究するの要がある。是れ彼等の記事が如何なる秘密の目的を以て日々準備されるものであるかということを人類全般に示す必要があるからである。

戦時需要品の独占 志気の不振

大戦勃発するや、食料及び補給品は迅速に猶太人の手に移り、不正行為は盛んに行われたために、戦場の勇士たちの祖国に対する信頼心は薄らぎ始めた。勿論独逸國民は他の総ての愛國的國民同様、戦争なるものは、即ち之れ犠牲と苦痛を意味するものである、ということをよく知って居ったし、又此の何人も等しく受けなければならない運命に堪えるの覚悟をして居ったのである。然るに独逸國民は猶太人と言う一階級が、彼等の凡てのものを奪い一人巨利を占めて居ることを知るに至った。彼等は凡て國民の必需品を思惑買いを為し又は中間に介在して、利益を占め得るところには必ず活動して居った。即ち諸銀行、戦時用品に関係ある諸會社、醵金(拠金)事業、補給機関等至る処猶太人が活動して居って、豊富なる物質を隠匿し、次いで価格暴騰するや再び品物を吐き出した。戦時必需品に関係する諸會社は全然猶太人の勢力範囲であって、苟も金さえあればどんなものでも切符なしに買うことが出来た。勿論政府としては國民全般の爲を思い、食糧品を均等に分配することに極力努力したが矢張りその効きめがなかった。猶太人は不正手段によりて盛んに品物を手に入れ、これを三倍にも高く売るという有様である、従って金は川の如く猶太人の金庫に流れ込んだ[1]。政府の食糧品見積額等は、猶太人の投機者が買い集め秘密に隠匿貯蔵するため、全然信用の出来ない有様であった。此れが爲國民の志気は沮喪し、不平は起こり訴訟が始まったので政府は遂に暴利を取り締まり処罰するの手段に出たが、如何せん被告も裁判官も悉く猶太人であったからして、暴利取り締まりも有耶無耶となり、一向其の効がなかったのである。但し独逸商人が捕らえられた場合は、喧々轟々と大袈裟に騒ぎ立てられ、厳罰に処せられるのが常であった。若し読者試みに独逸國を普く遍歴して、國民の言う所を聞き國民の気分を研究して見たならば、必ずや猶太人の勢力乱用は、恰も熱鉄の如く独逸人の脳裏に強く焼き付けられて居ることを知るであろう。

 

[1] 原文:「徒って金は川の如く猶太人の金庫は流れ込んだ」

 

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世界の猶太人網(ヘンリーフォード著・包荒子解説)04

同類事業の合同

現代的商業手段たる同類事業の合同も亦猶太財閥の創案した所である、例えば猶太人が最初一発電所を手に入れると、次に彼らは電力を使用する電車をも同じく手に入れるのである。この目的の一つは全部に亘る利益即ち発電から電車の運行に至る迄の総てから生ずる利益を一切合切かき集めようとするのにあるのかも知れないが、主なる目的は斯うである。発電所を所有する所から先ず電車会社に対し供給した電力の価格を上げる、又其の影讐(えいしゅう、悪い結果)によって乗客に対し乗車賃を上げる、斯くて出資者は全般に亘って「より多くの利益」を得るのである。而も此の際最後の使用者たる乗客に接する電車會社は、雑費が騰貴したから止むを得ないと辯明(弁明)するが、その実は前に述べた通り出資者たる事業所有者が勝手に値上げしたもので、経済界の不況に依って余儀なく値上げしたのではない。

世界中心財閥の存在

現在世界には明らかに中心財閥が存在して居る、此の中心財閥は、全世界を賭博用の卓とし「世界支配」を賭金にして、厳粛なる組織の下に大規模な而も精細に仕組まれた勝負をして居る。現代の文明諸国民は最早、世界状態の総ての変化は「経済状態」に左右されるものである、という主張を信用するものは一人もいない。是れ「経済上の法則」という仮面の下に毫も此の法則に由来しない頗る多くの現象、即ち広範囲に亘って、諸國民を自己に隷属させようとするところの意志と力を持って居る少数の利己心から生ずる幾多の現象をも、包括するからである。

元来財政組織は國民固有のものであるかも知れないが、併し今日に於て財政組織が國家的のものであるとは何人も信じない所であって、実に財政は今日國際的性質のものである。従って此の国際的財政に競争があるとは是れ亦何人も考えない所である。それで現実世界には二~三の全く独立した銀行はあるが、確乎たる独立の銀行は殆どなく、全活動計画を明らかに洞察して居る大銀行家即ち少数の猶太人が、無数の銀行及びトラストを其の麾下に擁して居るのだ。そして彼等は甲乙各々其の任務を分担し、其の間毫も齟齬なく完全に協調が保たれ、又世界的大事業の色々の部分に於ても少しの競争もない。而も各國の主要なる銀行間には各々其の業務発展上整然と統一した政策があって、其の有様は恰度(ちょうど)遞信(逓信)事務と全く同様に各支局は相互に連繋があり同一の一中心から統制せられつつ、同一の目的に向かって活動して居るのである。

米國綿花の買収

世界大戦直前に於て独逸は、莫大なるアメリカ綿花を買収して、此れを積み出す準備がちゃんと整って居った。そこで愈々大戦が勃発すると、驚く勿れ此の山の如き綿花の所有権は唯一夜のうちに、ハンブルクの猶太人の名前からロンドンの猶太人の名義に変わったのである。新聞に此の事が掲載されている間に綿花は、英国でアメリカの相場より遙かに安く売られ之が爲めアメリカの相場も下落するに至った。斯くて価格が十分に下がり切ると、這般(しゃはん、これら一連)の消息に通じて居る人たちは、市場綿花の買い占めを為し、茲に綿花は再び暴騰するに至った。この一見説明に苦しむ様な騰貴と下落とを木綿市場で行った所の人達は一方又独逸を世界的の死屍(しし、しかばね)とみなすべく魔手を独逸に伸ばしたのである。即ち此の綿花を支配する某一団は之を紡績する爲め独逸に送り、独逸の労力の代償として製品の一部をお情けに与えたのみで、他は悉く隠匿してしまった。斯くて彼等は「綿花払底(ふってい、品切れ)」という虚言を流布して全世界を欺き、莫大な巨利を博したのである。此の人道に背き極度に非道義的なる手段を其の源にまで溯って穿鑿(せんさく)するとき、その関係者の正体は悉く共通の一性格を持って居ることが判明する。之に依って見ても大洋の彼方から「猶太人に対しアメリカ自身が覚醒する迄待て」と警告して来るのに何の不思議があろう。

労資争議の根本的解決方法

最早今日労資の状態は確かに経済上の原因から説明することが出来ないし、又無論「資本家の横暴」ということからも説明の出来ないものである。今日程資本家側が労働者側の要求を適える様に骨折って居る時代は過去には決してなかった、又労働者側としても新たに資本家側に承認させることがもう殆どないほど最大限の所まで行って居るのである。然し労資両社は此の労資争議により如何なる利益を得たか、従来労働者側は、資本家は自分たちの上を覆っている暗雲であると、考えて居ったものだがこの暗雲は今日では最早除けられてしまって居る。然るに見よ労働者側の上には先の暗雲よりももう一つ高き雲が尚あるではないか、此の雲は資本家側も亦労働者側も、昔の労資争議の時には一度も見たことのないもので、しかもこの雲は今日に至るも消失せずに依然として存在して居るのである。

アメリカで「資本」と称されて居るものは、通常生産の目的に使用される金のことである。然るに吾人は誤って、工場主、事業管理人、器材及び労力の供給者を、「資本家」と総称して居るが、之は大きな間違いである、此の人達は真の意味に於ての資本家では決してない。此の人達も亦自己の計画を具体化し、経済を実行して行くのにはどうしても真の資本家のもとに行かねばならないのである。即ち真の資本家とは、此の人達の上にある或る力でこの人達が嘗(かつ)て労働者を取り扱ったよりも、もっと過酷で無慈悲な取扱いを、此の人達に向かってするのである、労資が相争っているのは実に現代の悲劇中の一つである、労資双方がそれに対して反抗して居る状態、労資共に其の下で悩んでいる状態、此の状態を改良することは今日尚労資双方の力で為し得ない所であって、これを解決するためには、國際的財閥から成る真の資本家団の世界支配力を奪う方法を発見せねば駄目である。何となれば実に此の資本団こそ右の様な状態を造り且つ利益を悉く占有してしまうからである。

今此の世界には「金即ち幸福なり」との謬見者(びゅうけんしゃ、間違った考え方を持つ者)のみを抱いて居る「超資本主義」がある。又何れの國の政府とも連盟せず、何れの國の政府にも従属せず、而も各國の政府を圧迫する「上級政府」が存在して居る。いつの時代に於ても又どこに行っても決して好愛されたことがないという一民族即ち人類の一部が存在して居る。併し此の民族は最も強大なる民族すら嘗て要求したことのないほどの勢力、ローマが其の権力最も強盛だった時代にすら要求し得なかった権力を持って居るのである。今や世界の人々は「先ず超資本主義的國際的支配と言う問題の始末を付けてしまえば、其時こそ労働問題、労銀(賃金)問題、土地問題などは自ら解決される」と言う確信を次第に持つようになった。

「獲物は勝者のものなり」と言う古き言葉がある。久しき間侮蔑されて居った少数の猶太民族が、今や勝利者となって居るのであるから、或る意味に於て猶太人は、非猶太人が到底抵抗し得ない程の超人間であらねばならぬ。若しそうでなければ爾余(それ以外)の民族が猶太人をして不当にして不安なる権勢を得しめたのであるから凡くら(ぼんくら、怠け者)にすぎない訳である。即ち猶太人が超人間でないとするならば、「非猶太人」は今日の如き結果を将来(招来)した常の責任者であるから、自分自身を非難しなければならない。宜しく非猶太人たる者は此の新しき着眼を以て事情を能く観察し、尚他の諸國の経験を光明の下に照らして研究しなければならない。

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世界の猶太人網(ヘンリーフォード著・包荒子解説)03

世界商業の中心の移動と猶太人

今茲に猶太人の放逐及び猶太人のヨーロッパ漂浪と関連して居る特異の減少を述べる必要がある。それは猶太人が移動するに伴って商業の中心も亦常に移動するという現象である。猶太人がスペインで圧迫を受けず自由な生活をして居った時代には、スペインは世界金融界の中心地であったが、スペインが猶太人を放逐するに及び、同國は財政上の覇権を失い、遂にこれを回復することが出来なかった。欧州の経済史を研究する者が常に説明に苦しむ問題は商業の中心点が、何故にスペインよりポルトガル、イタリアと変転し、更にオランダ、英國、ドイツと北方の國々に移ったかということである。この理由が未だ嘗て明快に説明されたことはない、然し此の商業中心の移転は、猶太人が南方より追われて北方へ逃げた時と、時代に於て符節を合するが如きものあること及び今日迄継続している北方諸国の繁栄は、猶太人が北方諸国に到来すると共に始まったものであるということ、この二つの事実を知ればもはや右の問題の説明は決して難しくはない。即ち事実に於て猶太人が他に移りいかねばならなくなった時には、金融上の世界中心点も亦猶太人と共に移動したのである。

國際民族とその連繋

既に述べた如く、猶太人は欧州は愚か世界中に拡がったが、到る所其の血族的関係、信仰及び迫害に依って互に兄弟的関係を維持して居ったからして、彼等は既にある程度まで國際的民族となり得た。常時に於ては何れの民族又何れの商人団と雖も、猶太人の如く國際的と成り得たものはない。それで猶太人の分散生活の特徴とする所は、到る所に居て而も相互密接に触接を維持して居ることである。彼等は世界に於て未だ自覚ある國際的通商組織の存在しなかった以前、既に脈絡ある組織を作り、ユダヤ協同生活の神経系統によって連絡して居った。中世紀時代の多くの学者達は、猶太人が欧州の出来事を、各國の政府よりも余計に知って居ったことについて脅威の目を瞠って(みはって)居る。併し猶太人は啻に之を余計に知って居るばかりではない、将来の事についても一層詳細に察知して居るのだ、実に政治上の諸条件及び諸関係については、職業的政治家と雖も彼等に及ばないのである、それで其の通信連絡は如何にして行われるかというと、彼等は書面を以て相互に通知し、団体から団体へ、一國から他國へと通信しあって居たのである。斯くて彼等は不知不識の中に、何時か財政通信の基礎を作るに至った、此の通信が彼等にとって投機的思惑を為すのに非情な価値があり、殊に通信が貧弱、干満、不信用の時代に於て人よりも速やかに知るということが、如何に大いなる利益を齎した(もたらした)かということは言うまでもないことである。猶太人の斯かる状態は彼等をして自ら諸國の國債の仲介者たらしむると共に、いよいよ金融界に精励せしむるに至った。

華客は國家なり

抑々猶太人の華客は國家であって、國債の募集は猶太財政家が諸國に存在して居る為め非常に容易にされた。斯くて諸國にある猶太財政家は國際執政官の如き境遇となり、王と王とを争わしめ又政府と政府との間を操縦し、國民間の偏見と恐怖とを巧みに利用して少なからざる利得を収めたのである。

現今猶太人財政家に対し頻繁に繰り返される非難の一つは、彼等が特に國家を相手として選び、その広大なる財界を支配して其の恩恵を受けることである。実際に於て実業家としての猶太人に関する総ての批評の中、個人を顧客として居る単独の実業家に対する非難は比較的僅少であって、多数の猶太人小実業家は其の取引に於て十分に尊敬され、多数の猶太人家庭も亦同様に我等の隣人として尊敬されて居る。随って傑出した猶太財政家に対する批評は、概して言えば人種的見地から出て居るものではない訳である。併し遺憾ながら人種上の一分子即ち人種的偏見が、やはり此の問題にも混入して居ることは否めない。

猶太人網

人種的偏見はとかく誤解に陥り勝ちのものであるが、然らば人種的偏見がどうしてこの問題に捕入されて居るかと言うに、実に次の説き[1]単純な事実に因るのである。即ち世界中に網の目の様に張り渡されて居る國際的財政と言う連鎖の各関節には、必ず猶太人の位置資本家猶太財政家の一族又は猶太人支配の銀行組織が存在して居るという事実である。多くの人々は此の状態を指して是れ猶太人が非猶太人を支配線が爲めに作った計画的組織であると見做し、又他のものは此の状態を指して、猶太人の同族愛の現れであって、彼等は自己の事業を子々孫々に継承せしめ、且つ更に之により他に岐路を増加しようとするものであると言って居る。旧約全書に依れば、猶太人は丁度葡萄の木の様なものである。葡萄の木は次から次へと新しい枝を増して行く、そして古い根は益々深く地中に這入り込むが、しかも総ての根は悉く又新しい葡萄の木を生やすと。

猶太人と國王及び貴族の関係

諸政府と取引するという猶太人の才能は、上述の諸性質同様、猶太人の追放時代に其の原因を求めることが出来る。この時代に於て猶太人は、商売相手との取引で金の力を知ったのである。彼らが赴く所常に呪いの如く他國民の反感を喚起した、民族としての猶太人は決して人気が良くなかった、此のことは如何に熱烈に猶太人が之を辯明しても、事実は之を否定することは出来ぬであろう。勿論猶太人個人としては尊敬すべき立派な紳士もあり又其の性格中には中々愛好すべき電もある、けれども猶太人全体として即ち民族として彼等が負わねばならない重荷は、此の民族的不人気である。現代文明諸國に於て、迫害ということが全く不可能なる状態に於てすらなおこの不人気は存在して居るのである。かの猶太人全体が自ら非猶太人と友情を結ぼうと努力しない風もある、是れ恐らく以前の失敗に懲りた故意でもあろうが、しかし実際は猶太民族は他民族よりも高等なる人種に属すという先天的優越感の然らしむる所ではなかろうか。その何れが真の原因なるにせよ、兎に角猶太人が全力を注いだことは、國王及び貴族等の信用を博するという点であった。縦令(たとえ)國民が猶太人に対して歯を噛みしめて憤慨することがあっても、國王と廟堂とが猶太人の味方である限り、それが猶太人にとって何等の痛痒を感じないのは当然である。故に猶太人が最も窮迫している時代に於ても尚所謂「宮廷猶太人」というものがあって、金銭の貸借や債務という係蹄によって、國王の御前に入り込んだもので、実に猶太人の戦法は「大本営に這入り込む」ということにあったのである。

各國朝廷を手に入る

例えば露國に於て猶太人は、決して最初から露國民の気分を和らげ之と融和しようなどとは試みなかったが、併し露國朝廷を手に入れることには非常に骨を折ったものである、又独逸國民に対しても同様で、妥協的態度には出ないが、併し独逸の宮廷を手に入れることには成功して居る。英國では國民の反猶太思想が猛烈であったが、之に対して猶太人は侮慢的に肩をぴくつかせて空嘯いただけである、彼等は英國貴族を脚下に従え、其の掌中には英國取引所死活の鍵を掌握して居るのだ。人民の反感彼等に取りて何かあるである。

猶太戦法

此の「本拠を衝く」という猶太人の戦法は、猶太人が諸政府及び諸國民上に有力な勢力を揮い得たことを説明して余りあるものである。更に此の戦法は政府の入用品を何時でも整えるという彼等の老巧さによって、一層其の効力を発揮したのである。某國政府が金を必要とするときには宮廷猶太人は其の調達を斡旋し、他の財界中心地又は他國の首府にある一味猶太人と連絡し直に金を融通した。又甲政府が乙政府に負債を支払おうとするが、併し巨額の黄金を騾馬の脊に托し強盗匪賊の横行する不安な地方を通過させることは好ましくないという様な場合には、猶太人は易々として甲政府の負債支払を引き受け、彼等が一片の證書を送付することに依って、全負債は直に乙首府の銀行で支払われた。又始めて軍隊の給養が請負制度となった時に、この給養を担任したのもやはり猶太人であった。要之猶太人は資本と組織とを以て居った許りでなく尚一國民を自己の負債者とするという点に頗る満足を持って居たのである。

猶太人の此の戦法こそは困難なる数世紀に亘る長年月の間、猶太民族を援助したものであって、其の効果は頗る偉大なるものである。そして此の戦法は今日に於ても依然踏襲されて居って豪末も変化の兆候がない。実に猶太民族は人口に於ては誠に微々たるものであるが、今日各國政府に対する彼等の権力は大したものである。此の否定することの出来ない事実は、猶太人が真に卓越した民族である所の証拠であると、自ら誇示するのも無理のないことである。

独逸諸會社の平和的侵略

尚爰(ここ)に述べねばならないのは、猶太人は商業上の諸形式に於て常に嶄新(ざんしん)なる発明をする能力を持って居ることであるが、この発明力は今日に於ても少しも衰えず依然として次から次へと新発明をなして居る、しかもその土地の模様、環境の変化に応じて之に順応するという適応的性能を持って居る。即ち彼等は人に先んじて諸外國に支店を開設し、本店から代理者を派遣して其の地の要求を迅速に満たし得る如くして巨利を博した。大戦間には能く「平和的侵略」という言葉が話題に上ったものだが、此の意味はドイツ政府が合衆國に多くの商業上の支店及び独逸諸會社の出張所を建設し、商売に依って合衆国を征服するということである。合衆国に多くの独逸の支店が設立されたことは固より争われない事実である。けれどもこれを仔細に観察する時は、之は決して独逸人の事業ではなく、全く猶太人の企業であったのである。元来独逸人の古い商館は頗る保守的で、到底自ら合衆国に出かけて行ってまで顧客を求めるような進取の気衆を持って居なかったのである。之に反し猶太人の商館は、ドイツ人の商館の様なそんな保守的のものではなく、どんどんアメリカに進入して商品を送ったのである。此の結果遂には独逸の商館も競争上猶太人の商館の真似をせざるを得ざるようになったが、併し最初の着想は猶太人で決して独逸人の独創ではない。

 

[1] 如きの誤植の様に思われる 或いは、説き?説くように、という意味か? 

 

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世界の猶太人網(ヘンリーフォード著・包荒子解説)02

世界教化か支配か

猶太人の古代歴史を見ると、「イスラエル」人は全世界の民族を臣属と為し、自ら之に君臨する民族たらんと努力して居た傾向が認められる。一寸見ると「イスラエル」全部の預言は悉く「イスラエル人が世界を教化する」ということを目的として居る様に見えるが、併しながら決してそうではなかった、彼等の意志は世界を支配するにあったのである。従って預言と意志とは全然相矛盾して居るのであって、少なくとも此のことは旧約全書の語調から見て明らかであるのだ。古き記録に見るも神は「汝等イスラエル人よカナン人を放逐せよ、之れ汝等が彼等の堕落によって穢されざらんが為なり」と命じて居るに拘らず猶太人は此の神託を遵奉しなかった。是れ彼らがカナン人を放逐する時は、其の結果としてどれだけの労働力を失うかということを知って居たからであって、彼等は神命に叛いて「カナン」人を奴隷としたのである。古書には次の様に書いてある「イスラエルが強大となるやカナン人をして朝貢せしめ彼等を放逐せざりき」と。斯の如く「イスラエル」人は神に対する柔順者となり、そして宗教的に世界の指導者となるよりも、寧ろ物質的支配者となりたいという彼等の欲望は、「イスラエル」初紀よりの著しい特徴であって、是れ爾後盡きることなき神の所罰及び艱難の原因とも見るべきものである。

分散生活と預言

抑々猶太人は二千五百年の長い間各國に分散生活して居るが、彼等は之を「神が猶太人を幸福にせんが為め、我等に与えたる運命なり」と観じて居った。近代猶太人の宗教家中には、今日でもなお「神が猶太人を諸國に差し遣わしたのは世界を教化しようとする為めなり」と主張して居るものが無いではないが、然し斯かる主張は之を証明する事実を欠いて居るから人を首肯せしむることが出来ない。実際最近数世紀を通じて、「イスラエル」人が如何なる目を以て「非猶太人」の世界を眺めて居るかと言うに、彼等は如何にすれば非猶太人の力を自己の為めに屈服し得るであろうか、という点にのみ着眼して居るのである。彼等猶太人は胸中には依然として次の様な幸福を夢見て居る、即ち「猶太人は遠く故國を追われて到る所虐待されて居る、併しながら何時かはイスラエル人にとって幸福なる時代が到来し新しきパーレスタイン國を建て茲に追放、亡國の悲しみの終わる時代が来るであろう、そして古の預言者たちが告げた通りに、「エルサレム」が世界の文明の中心となる時代が来るであろう」と。

古代猶太人の発展

惟うに若し猶太人が他民族の爲めの労働者となって居ったならば、恐らく猶太人は斯くも世界中に遠く散在しはしなかったであろう。併し彼等は商人となったので、其の本能に駆られつつ苟も人の住んで居る所には出かけて行ったのである。既に支那には古き昔に於て猶太人が居った又サクソンが英國を支配して居った時代に既に猶太人は英國に居った。南アメリカでは猶太の商人は、巡礼者が始めてプリマウス=ロック(Plymouth Rock)に上陸したときよりも百年も以前に住んで居った.セント・トーマス島(St. Thomas)では猶太人は既に1492年に砂糖工場を開設した。又今日の合衆國海岸に未だ僅に少数の村落が点在したに過ぎなかった時代に、猶太人は既にブラジルで確乎たる地盤を占めて居った。猶太人が如何に遠隔の地迄行ったかということはジョージアGeorgia)で始めて生まれた白人の子がアイザーク・ミニス(Ysaak-Minis)と呼ぶ猶太人であったという事実が物語っている。猶太人が普く全地球上に存在し居ることと同族間の団結頗る鞏固(きょっこ)なることは、多民族間に散在する猶太人をして、よく一國民として維持せしめ、且つ世界到る所に代理人を派遣せる一大會社たらしめたのである。

商業的才幹と各種商法発明

けれども猶太人をして財政上の支配権を獲得するまでに向上せしめたのは、なお他に天賦の才能が与かって力あるのである、即ち次から次へと常に新しき商業上の方法を発明するの才幹である。猶太人が未だ商戦場裏に姿を現さなかった間は、世界各国の貿易は頗る単純なる形式で行われて居った。然るに現今商業を殷盛にし且つ容易ならしめて居る所の商業上の多数の方法について、その起源を調査して其の糸を手繰って見ると、常に其の末端には殆ど皆猶太人の名称を発見しないことはないという有様である。現今必須不可欠となって居る債権の證書、為替の證書類の多くは猶太人から発明考案されたもので、此等のものは啻(ただ)に(単に)猶太人相互の間に使用する爲めのみならず、猶太人と商業取引をして居る非猶太人に使用させ之を抑留する目的で発明されたものである。現今猶存在する最も旧式の為替は、猶太人シモン・ルーベンス(Simon Rubens)が発明したものであって、小為替も等しく猶太人の発明であり、又「持参人に支払うべし」と書く持参人払小切手も亦猶太人の発明である。

公債證書・為替小切手発明と原因

「此の證書持参人に支払うべし」と言う證書に関して昔面白い話がある。嘗て猶太人の敵が猶太人たちの金を最後の一銭まで全部奪い取ったが、不思議なことには猶太人達は忽ちにして恢復し依然金持であった。すっかり略奪されて無一文から、こうも速やかに復活するということは、一体どうした訳であろう実に不思議であると思った。所が猶太人達の財産は匿名の「證書所有者」という名の下に実は隠されてあったので、大部分の財産は略奪を免れたのであった。又昔猶太人宛に送る荷物を略奪するのは海賊として差し支えない彼等当然の権利なりと一般に認められて居た時代があったが、この時代に於て猶太人は如何にして被害を免れたかというと、彼等は其の荷物を保険證書所持者と言う無名のものに対して贈る手段を取ったからである。

実に猶太人は人を相手とせずに品物を相手として商売することに努力した。以前法律上の要求は総て人に対して行われたのであるが、斯の如く猶太人が品物を主とし人物を度外視したということは、猶太人が自己と取引する人物よりも、品物の価値の方が確実であり安全であることを看破したからである。従って猶太人は代価の要求を常に品物に向かってする様に仕向けた。此の方法によれば、安全と言う外に尚猶太人ということを人に気付かせずに商売ができるという、猶太人にとって誠に都合の良い利益があったのである。この方法が商業取引に使用されて以来、人と交易するよりも品物で取引する方を好むという残酷なる一素質が、商業生活に這入り込むこととなり、此の残酷性は今日に於ても依然存在して居る。

株式会社の創始

又猶太人の施設に「無記名會社-株式會社」と言うのがある、此の制度は代々相伝へ且つ猶太人が獲得した勢力を掩蔽(えんぺい)するに都合の良い制度で「所持者に支払うべき證書」と共に創始者は等しく猶太人である。匿名會社即ち株式會社と言う名前を付けて置けば、猶太人の資本で経営して居る事業も猶太人の事業と感付かれずに済む訳である。

國際的資本家

尚猶太人は国際的資本家としての開祖であり、且つ唯一のものである、併し彼等は通常表面に立って公然と活動しない、彼等は寧ろ「非猶太人」の銀行やトラストを手先として使い道具として利用して居る。故に表面上非猶太人同志の資本家の商業戦と見えるものも、実は猶太人の此の修正と関連して居ることが多い。

株式取引所の発明

株式取引所の発明も亦猶太人の財政的才能のお蔭である、ヴェニス(Venediy)及びゼノア(Genna)は大商業、大銀行業が行われたところであるが、之等の都市は古い記録によると公然「猶太人の都市」と記されて居る。又ベルリン、巴里(パリ)、ロンドン、フランクフルト及びハンブルクに於て、最初の株式取引所に絶大なる勢力を揮っていたのも猶太人である。彼の有名なる英蘭銀行は、オランダから移住して来た猶太人の意見と援助とによって設立されたものであるが、アムステルダム及びハンブルクの諸銀行は猶太人の勢力によって建設を見たものである。

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