世界の猶太人網(ヘンリーフォード著・包荒子解説)07

3. 合衆國に於ける猶太人の歴史

猶太人と経済生活

アメリカ合衆國に於ける猶太人の歴史を述べるに当たって先ずその概念を得る為、ウァーナー・ゾムバルト(Werner Sombart)の「猶太人と経済生活」を摘録してその主張を見ようと思う。ゾムバルトは該書の38ページ~43ページに斯う述べて居る。

「最初一見したところ北アメリカの経済組織は、猶太人とは無関係で、全然独立して発達したように見える………併しながら予は、合衆國は津々浦々に至る迄猶太的精神が充ち満ちていることを断乎として主張するものである。(恐らく他の國よりも甚だしからん)これは一人予が主張するばかりではない、各方面の人士、就中(なかんづく)此のことに関し正常な判断を下し得る立場にある人々の等しく認める所である………
苟(いやしく)もこの様な事実がある以上、合衆國の今日あるのは、これ猶太人のお蔭であると主張するが誤っているであろうか?若し誤って居ないとすれば益々猶太人の勢力が、現在の合衆國ヲ造ったと断定し得るのである。又今日アメリカの状態それが真にアメリカ式のものだろうか、若し無遠慮に言うならば、吾人がアメリカ魂と称して居る所のものは、実は浄化された猶太人精神に外ならぬのである」と。

コロンブス

抑々アメリカに於ける猶太人の歴史は、クリストファ・コロンブスから始まる。1492年8月2日三十余万の猶太人がスペインから放逐された、この事件以来スペインの強固たるの地位は、徐々に降下し始めた。翌8月3日コロンブスは数名の猶太人を伴って製法に向かって出帆した。併しこれらの猶太人をば逃走者と見るべきではない、何となれば此の大胆なる航海者コロンブスの計画は、追放の行われるより遙か以前既に有力な猶太人の興味を刺激し、大いに同情を集めて居ったからである。記録に依って見るとコロンブス自身も「予は大いに猶太人に同情し相慰めた」と語って居るが、彼の母は猶太系であった。コロンブスアメリカ発見の次第を詳述したところの最初の手紙、それも実にある猶太人宛に出されたものである。尚事実に於て、赫々(かくかく)たる成功を収め、未知の世界の半(なかば)を世人に紹介し、人類の幸福に至大の貢献を為した此の記念すべき航海は、猶太人の力によりて可能となったものである。

イザベラ女王と「秘密の猶太人」

世間ではコロンブスの航海に要した経費は、イザベラ女王が自分の宝玉を売って整えたと、一つの美譚(美談)として伝えて居るが、少しく研究して見るとそうではないのである。抑々当時スペインの宮廷には、三人のマラノス(Maranos)即ち非常な権勢を有する「秘密の猶太人」があった。その一人はルイ・デ・サンタゲル(Luis de Santagel) と言い、彼はバレンシア(Vralencia)の豪商で又王室の地租管理者であった。又他の一人は彼の親戚たるガブリエル・サンチェス(Gabriel Sanchez)と言う者で、この者は王朝の大蔵大臣であった。今一人はやはりこの二人の友人で、侍従職なるジュアン・カブレロ(Juan Cabrers)と言う者であった。この三人は絶えずイザベラ女王に王室財産の窮乏を説明し、若しコロンブスがインドの謎の宝庫を発見しさえすれば、巨万の富を贏(か)ち得ることが出来ると、盛んに女王に炊きつけたのである。その結果女王は之を信ずるに至り遂に意を決して、自己の宝玉を航海費用調達の抵当として交付することにした、併しながらサンタゲル(Santagel)は彼自身も費用の一部を支出することを切望し、女王の許しを得て自ら一万七千デカット(Dukaten)即ち約二万ドル(Dollar)を支出したのである、今日(1910年当時)の金額に見積もると約十六万ドル相当する。恐らくこの貸付金はコロンブスの探検費を償い得て余りあったろうと思われる。

コロンブスと五人の猶太人の航海

コロンブスと一緒に航海した中に、少なくとも五人の猶太人があった。即ちルイス・デ・トレス(Luis de Torres)は通訳として、マルコ(Marco)は外科医として、ベルナル(Bernal)は内科医として、この外にアロンゾ・デ・ラカーリエ(Alonzo de le Calle)及びガブリエル・サンチェス(Gabriel Sanchez)が一緒に航海して居る。航海者コロンブスの用いた天文機械及び地図はこれ亦猶太人の発明したものであった。

煙草使用の発見者

アメリカに上陸した一番乗りはルイス・デ・トレス(Luis de Torres)で、彼はまた煙草の使用を第一に発見した人である、トレスは後に玖玻(キューバ?)に土着したが、実に彼は現今煙草業を猶太人が支配するに至った元祖と言うべきである

コロンブスの後継者たるルイス・デ・サンタグル(Luis de Santagel) 及びガブリエル・サンチェス(Gabriel Sanchez)の両名は、勿論此の功労者として、夫々幾多の特典を得た、然るにコロンブス自身は、新大陸発見の報酬として船医ベルナル(Bernal)の奸策の犠牲となり、不当なる虐待を受け牢獄に幽閉の苦しみを受けたのみである。

ブラジル人とオランダ(和蘭)人との戰とニューヨーク(紐育)

猶太人は最初からアメリカを有望な土地として見込んで居った、それで彼等は盛んに南米殊にブラジルに向かって移住し始めたが、ブラジル人とオランダ人との間に争いを生じ、干戈を交えるに至ったからして、ブラジルの猶太人等は、ブラジルより去るを賢明なりと考え、当時のオランダ領植民地に移住した、此れが今日ニューヨークのある所である。その時オランダの総督はピーター・スツィヴェザント(Peter Stuyvesant)であった、彼は自國の國民間に猶太人の居住するを欲しなかったからして猶太人に立ち退きを要求したが、そこが猶太人である、決して歓迎されないことは萬々(ばんばん)承知して居ながらも、百方手段を尽くして到頭(とうとう)オランダ植民地に入國するの許可を得てしまった。即ちスツィヴェザント総督は猶太人立退き命令を撤回したのである。之と同時にオランダ商業會社の重役連は、猶太人入國許可の理由として、猶太人が會社に資本を提供したことを公示して居る、是が彼等入國運動の爲に取った手段なのである。けれども総督は、猶太人に公職に就くこと及び小売業に従事することを禁止した、此の結果猶太人は海外貿易に向かって発展するに至り、彼等が欧州と連絡ある為忽ち海外貿易を独占するに至った。

猶太人の試練と成功

以上述べた所は猶太人の発明的才能は実に幾多の試練を経て益々発揮されて居る、と言う一例を挙げたに過ぎない。常に彼等は一方面に於て禁止されるときは、他の方面に向かって発展し赫々たる成功を収めて居る。彼等は新調の衣服の商売することを禁じられると、直に古着の商売を始めた、これ実に古着商に於ける組織的取引の起源である。又猶太人は商品を商うことを禁じられるや、直に屑物買いを開始した、実に彼等は世界に於ける屑物利用事業の開祖なのだ、又猶太人は難破船救助事業の発案者で、文明の廃棄物の中に能く富を求めた。更に又猶太人は古き繿縷(らんる、ぼろきれ)利用法、古き羽毛の清浄法、沒食子[1](もっしょくし)及び兎皮の使用法を人類に伝授したものである。元来彼等は毛皮商売に特に興味を持って居り、現在に於ても毛皮商売は猶太人の掌握する所である、今日普通の毛皮でありながら種々の誘惑的名称の下に、高価なる毛皮として取引されて居るものが随分あるが、これ皆猶太人の考案に成るものである。今や「再び新しいものにする」と言う思想は、猶太人に依って商売上普通に行われるまでに至って居る。地上の廃物を有価物に変じ貧困から富裕となった初期の猶太人の如く、今日に於ても屑屋商売を為して居る猶太人は欧米に屡々見受ける所である。

米人の朝貢

曩(さき)に述べたオランダ総督ピーター・スツィヴェザントは、まったく意識せずに猶太人を駆ってニューヨークをアメリカ主要の貿易港たらしめたものである。アメリカ独立戦争の際、大部の猶太人はニューヨークからフィラデルフィアに難を避けたが、戦雲収まるや否や直ぐにニューヨークに帰還した、実に猶太人の本能は、ニューヨーク市を猶太人商業上の楽園と感じたのである。事実ニューヨークは猶太の楽園となった、同市は今やアメリカ全輸出入の大貨物に対する課税の門戸であって、アメリカで為された仕事が、挙げてその資本家たる猶太人に朝貢する場所となったのである。ニューヨークの地所は猶太人の所有となって居る。又家屋所有者名簿は殆ど全部猶太人の名前で填(う)ずめられ、非猶太人の姓名は実に寥々(りょうりょう)たるものである。斯くの如き比類なき繁栄と間断なき富力を権力の発展を見て、猶太人の著述家達が感激の余り、「合衆國は預言者達が預言した賛美されたる國である、そしてニューヨークは新エルサレムである」と叫んで居るのも決して怪しむに足らない所であって、中には更に言を進めて、ロッキーの連山頂をシオン山なりと賛美しているものさえある。誠に猶太人の手に鉱山及び炭山があるの事実を思い泛(浮か)べる時は、彼等が斯く賛美するのも蓋し当然と言わねばならぬ。

ニューヨークが今日の様に隆昌となった所以は、幹線諸鉄道がすべてニューヨークを終点として輻輳し、貨物は皆此処から海外に出されるからである。然るに新運河計画によると五代湖畔の各大都市はいずれも事実上大洋の貿易港となるから若し新運河計画が実現する暁には、ニューヨークは一朝にして凋落の悲を見ることとなる訳である。従って新運河計画は激烈な反対に遇い今なお解決されずに居る。この計画は極めて明瞭な経済的改良であるに拘らず、斯の如く反対が激烈であるのは如何なる訳かと言うに、その動機は斯うである、ニューヨークに於ける富の大部分は、ニューヨークが今日のニューヨークとして存在するが為の富であるから、若し万が一ニューヨークが単なる海岸の一都市となって、最早大収税吏たる猶太人が蟠踞する都市でなくなったならば、莫大な猶太人の富は大いに減少する訳である。抑々猶太人のニューヨークに於ける富は、大戦前に於ては一つの謎であったが、今日に於ては統計の示す所に依って以上のことは明瞭である。

合衆國に於ける猶太人口は五十年間に五万から三百三十万余り増加して居る。然るに英國内の猶太人全部の数は僅三十万で、パレスチナは十万に過ぎない。大英國内の猶太人の数が比較的多くないということは、猶太人自身にとって非常に幸福な状態と言うべきである。何となれば英國の猶太人は、目下あらゆる重要な大事業に携わり悉く大勢力を振って居るから、若し貧乏な猶太人が多数移住しても、勢い彼等貧乏人は頗る嫌な目を見なければならないとも限らない。事情に精通して居る某英國人はこう言って居る、即ち英國では反猶太主義が何時でも起こりうる可能性がある、併し此の排猶太運動は政治上及び國際的経済界に勢力を揮って居る金持の猶太人に向かっては起こり得ない、勿論汎猶太主義の一般的真因は、國際的に活動する猶太人に対するものであるが、而も彼等は表面に顕われずに隠れて居るから、反猶太主義の犠牲となるものは何時も無実の貧しき猶太人である、従って貧困猶太が多数英國に居ないということは、猶太人自身にとって確かに幸福な状態と謂わねばならない、と。反猶太主義に関しては次の章で論述しよう。

曩(さき)に述べた英米両國の猶太人口は何を示して居るかと言うと、國際猶太人の大富豪が振るって居る偉大なる勢力は、人口の多い少ないに関係して居るものではない、数に於ては比較的僅少であっても共に全世界に亘る無比の勢力を持って居ることを表している。目下世界に於ける猶太人口は僅々千四百万人余りに過ぎない、それはちょうど朝鮮人とほぼ同数である。斯う比較して見ると、猶太人の勢力が如何に偉大であるかということが自ら判然と想像されるのである。

 

[1]  ブナ科の植物の若芽が変形し瘤になったもの。この瘤はタンニン成分を多く含み、これを抽出し染料やインクとした。

 

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