世界の猶太人網(ヘンリーフォード著・包荒子解説)02

世界教化か支配か

猶太人の古代歴史を見ると、「イスラエル」人は全世界の民族を臣属と為し、自ら之に君臨する民族たらんと努力して居た傾向が認められる。一寸見ると「イスラエル」全部の預言は悉く「イスラエル人が世界を教化する」ということを目的として居る様に見えるが、併しながら決してそうではなかった、彼等の意志は世界を支配するにあったのである。従って預言と意志とは全然相矛盾して居るのであって、少なくとも此のことは旧約全書の語調から見て明らかであるのだ。古き記録に見るも神は「汝等イスラエル人よカナン人を放逐せよ、之れ汝等が彼等の堕落によって穢されざらんが為なり」と命じて居るに拘らず猶太人は此の神託を遵奉しなかった。是れ彼らがカナン人を放逐する時は、其の結果としてどれだけの労働力を失うかということを知って居たからであって、彼等は神命に叛いて「カナン」人を奴隷としたのである。古書には次の様に書いてある「イスラエルが強大となるやカナン人をして朝貢せしめ彼等を放逐せざりき」と。斯の如く「イスラエル」人は神に対する柔順者となり、そして宗教的に世界の指導者となるよりも、寧ろ物質的支配者となりたいという彼等の欲望は、「イスラエル」初紀よりの著しい特徴であって、是れ爾後盡きることなき神の所罰及び艱難の原因とも見るべきものである。

分散生活と預言

抑々猶太人は二千五百年の長い間各國に分散生活して居るが、彼等は之を「神が猶太人を幸福にせんが為め、我等に与えたる運命なり」と観じて居った。近代猶太人の宗教家中には、今日でもなお「神が猶太人を諸國に差し遣わしたのは世界を教化しようとする為めなり」と主張して居るものが無いではないが、然し斯かる主張は之を証明する事実を欠いて居るから人を首肯せしむることが出来ない。実際最近数世紀を通じて、「イスラエル」人が如何なる目を以て「非猶太人」の世界を眺めて居るかと言うに、彼等は如何にすれば非猶太人の力を自己の為めに屈服し得るであろうか、という点にのみ着眼して居るのである。彼等猶太人は胸中には依然として次の様な幸福を夢見て居る、即ち「猶太人は遠く故國を追われて到る所虐待されて居る、併しながら何時かはイスラエル人にとって幸福なる時代が到来し新しきパーレスタイン國を建て茲に追放、亡國の悲しみの終わる時代が来るであろう、そして古の預言者たちが告げた通りに、「エルサレム」が世界の文明の中心となる時代が来るであろう」と。

古代猶太人の発展

惟うに若し猶太人が他民族の爲めの労働者となって居ったならば、恐らく猶太人は斯くも世界中に遠く散在しはしなかったであろう。併し彼等は商人となったので、其の本能に駆られつつ苟も人の住んで居る所には出かけて行ったのである。既に支那には古き昔に於て猶太人が居った又サクソンが英國を支配して居った時代に既に猶太人は英國に居った。南アメリカでは猶太の商人は、巡礼者が始めてプリマウス=ロック(Plymouth Rock)に上陸したときよりも百年も以前に住んで居った.セント・トーマス島(St. Thomas)では猶太人は既に1492年に砂糖工場を開設した。又今日の合衆國海岸に未だ僅に少数の村落が点在したに過ぎなかった時代に、猶太人は既にブラジルで確乎たる地盤を占めて居った。猶太人が如何に遠隔の地迄行ったかということはジョージアGeorgia)で始めて生まれた白人の子がアイザーク・ミニス(Ysaak-Minis)と呼ぶ猶太人であったという事実が物語っている。猶太人が普く全地球上に存在し居ることと同族間の団結頗る鞏固(きょっこ)なることは、多民族間に散在する猶太人をして、よく一國民として維持せしめ、且つ世界到る所に代理人を派遣せる一大會社たらしめたのである。

商業的才幹と各種商法発明

けれども猶太人をして財政上の支配権を獲得するまでに向上せしめたのは、なお他に天賦の才能が与かって力あるのである、即ち次から次へと常に新しき商業上の方法を発明するの才幹である。猶太人が未だ商戦場裏に姿を現さなかった間は、世界各国の貿易は頗る単純なる形式で行われて居った。然るに現今商業を殷盛にし且つ容易ならしめて居る所の商業上の多数の方法について、その起源を調査して其の糸を手繰って見ると、常に其の末端には殆ど皆猶太人の名称を発見しないことはないという有様である。現今必須不可欠となって居る債権の證書、為替の證書類の多くは猶太人から発明考案されたもので、此等のものは啻(ただ)に(単に)猶太人相互の間に使用する爲めのみならず、猶太人と商業取引をして居る非猶太人に使用させ之を抑留する目的で発明されたものである。現今猶存在する最も旧式の為替は、猶太人シモン・ルーベンス(Simon Rubens)が発明したものであって、小為替も等しく猶太人の発明であり、又「持参人に支払うべし」と書く持参人払小切手も亦猶太人の発明である。

公債證書・為替小切手発明と原因

「此の證書持参人に支払うべし」と言う證書に関して昔面白い話がある。嘗て猶太人の敵が猶太人たちの金を最後の一銭まで全部奪い取ったが、不思議なことには猶太人達は忽ちにして恢復し依然金持であった。すっかり略奪されて無一文から、こうも速やかに復活するということは、一体どうした訳であろう実に不思議であると思った。所が猶太人達の財産は匿名の「證書所有者」という名の下に実は隠されてあったので、大部分の財産は略奪を免れたのであった。又昔猶太人宛に送る荷物を略奪するのは海賊として差し支えない彼等当然の権利なりと一般に認められて居た時代があったが、この時代に於て猶太人は如何にして被害を免れたかというと、彼等は其の荷物を保険證書所持者と言う無名のものに対して贈る手段を取ったからである。

実に猶太人は人を相手とせずに品物を相手として商売することに努力した。以前法律上の要求は総て人に対して行われたのであるが、斯の如く猶太人が品物を主とし人物を度外視したということは、猶太人が自己と取引する人物よりも、品物の価値の方が確実であり安全であることを看破したからである。従って猶太人は代価の要求を常に品物に向かってする様に仕向けた。此の方法によれば、安全と言う外に尚猶太人ということを人に気付かせずに商売ができるという、猶太人にとって誠に都合の良い利益があったのである。この方法が商業取引に使用されて以来、人と交易するよりも品物で取引する方を好むという残酷なる一素質が、商業生活に這入り込むこととなり、此の残酷性は今日に於ても依然存在して居る。

株式会社の創始

又猶太人の施設に「無記名會社-株式會社」と言うのがある、此の制度は代々相伝へ且つ猶太人が獲得した勢力を掩蔽(えんぺい)するに都合の良い制度で「所持者に支払うべき證書」と共に創始者は等しく猶太人である。匿名會社即ち株式會社と言う名前を付けて置けば、猶太人の資本で経営して居る事業も猶太人の事業と感付かれずに済む訳である。

國際的資本家

尚猶太人は国際的資本家としての開祖であり、且つ唯一のものである、併し彼等は通常表面に立って公然と活動しない、彼等は寧ろ「非猶太人」の銀行やトラストを手先として使い道具として利用して居る。故に表面上非猶太人同志の資本家の商業戦と見えるものも、実は猶太人の此の修正と関連して居ることが多い。

株式取引所の発明

株式取引所の発明も亦猶太人の財政的才能のお蔭である、ヴェニス(Venediy)及びゼノア(Genna)は大商業、大銀行業が行われたところであるが、之等の都市は古い記録によると公然「猶太人の都市」と記されて居る。又ベルリン、巴里(パリ)、ロンドン、フランクフルト及びハンブルクに於て、最初の株式取引所に絶大なる勢力を揮っていたのも猶太人である。彼の有名なる英蘭銀行は、オランダから移住して来た猶太人の意見と援助とによって設立されたものであるが、アムステルダム及びハンブルクの諸銀行は猶太人の勢力によって建設を見たものである。

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