世界の猶太人網(ヘンリーフォード著・包荒子解説)01

1. 猶太人の性格と其の営利生活

猶太人の特性

今國際的大勢力を有する猶太民族の活動を論究するに當って、先ず猶太人の性格を承知して置く必要がある。新國際百科字典には猶太人の精神的及び道義的著名なる特性として次の諸点が列挙されて居る。

骨の折れる肉体的労働を嫌うこと。鞏固なる家族的意識と、熱烈なる同族愛を有すること。宗教的本能の強烈なること。航海者及び軍人としての勇気よりも、預言者及び殉教者としての勇気に富むこと。民族的孤立に堪ゆる偉大なる力と、至難なる境遇を意とせず飽く迄忍堪する非常なる力を有すること。個人たると団体たるとを問わず開拓の天才なること。投機的営利事業就中金銭に関して狡猾抜け目なきこと。権力を尊重し社會的地位の優越を誇示し、東洋的華麗好みなること。一般に智的能力極めて高きこと。

猶太人の向上と猶太問題の出現

扨(さ)て現今猶太人は全世界の注目の的となり、之に関する批評は頗る盛んである。蓋し世界大戦間に猶太人が財界に於て政界に於て、將(は)た上流社交會に於て一躍有力なるものとなったからである。実に猶太人の向上は素晴らしいものであって、其の必然の結果として茲に猶太人の置位、権勢、目的等を批判的に研究するという一般の情勢を誘致する様になり而も此の考察たるや、多くは猶太人にとりて反感を有する嫉視的のものであることも止むを得ぬ所である。排斥と言う手段は猶太人にとっては決して事新しいものではない、併し現今の様に猶太人の性格及び其の超國民的性質に立ち入って、深く穿鑿(せんさく)研究するという様なことは全く始めてのことである。従来猶太人は二千年以上にも亙る長い間、他民族の感情的反猶太主義(Antisemtismus)を経験し来ったものである。併しながら斯様な憎悪も、之を要するに全く感情上の憎悪であって、決して明らかに意識して憎悪したものではない。従って尚理知的に現われ得るの余地を存して居たものであった。けれども今日は既に此の感情的の憎悪を受けると同時に、猶太人は科学的観察と言う顕微鏡下に検討されて居るのだ。即ち斯かる観察によって猶太人の権勢、猶太人の非融合性及び猶太人の悩みの原因が認識され理解されようとするに至って居る。

露國では「ボルシェヴィズム」の発頭人は猶太人であるとして、猶太人に罪を帰して居るが、之は猶太人に責を帰する人々によって色々で、責を帰するのが至當であるともされる様な頗る漠としたものである。併しながらアメリカ人は、彼の社會及び経済組織の転覆を企てて居る青年猶太人達が、熱烈なる雄辯を揮い且つ預言の火を付けて廻ったことを実際に目撃し承知して居る者である。それであるから米國人は右の責は正に何人に帰すべきやということに就ては、極めて正常冷静なる判断を下し得る立場にあるのである。又独逸では独逸滅亡の罪は猶太人にありと猶太人を非難して居る。之に就いては多数の書籍が出版され、各書には無数の例證が載せられて居る。今や独逸人は深く顧みて猶太人の恐るべきことに気を配って居るが、又英國では次の様な意見が行われて居る。

「猶太人は実際上の世界の覇者であって、猶太人全体は諸国民を超越する「超國民」を構成して居る。此の超國民は金の力で世界を支配し、又自らは表面に現れることなく黒幕となって各國民を操縦し、甲乙相戦わしめて居る」

と又アメリカに於て注意されて居るのは次の問題である。

「一体猶太人は - 老猶太人は金儲けから、又若い猶太人は野心から - 幾何の範囲に亙って戦争機関に関係したのか、其れは主として商工業と関係ある戦争機関ではあろうが、一体幾許(いかばかり)の者が従軍したのか」と言う点と

「彼等猶太人が政府の役人として知り得た所を、私利を図るために利用したことはないか、一体此の機密を如何に多く自己の利益の為めに利用したか」と言う此の二点に尤も著目して居るのである。

之を要するに猶太問題は、今や各國を通じて表面に現われて来た。然るに怪しからぬことには、此の問題を公に発表することは不得策であるとして、黙殺しようと努力して居る状態である。併し従来の正しき経験が教える様に、此の問題は縦令抑圧して居っても何時かは爆発する日が来るのであって、其の時こそは却って望ましくない有害な形をとって現われて来るであろうと思う。

猶太民族の状態と其の経済的主権

猶太人は世界の謎である。猶太人の数は少ない、然るに猶太人は世界の金融及び資本制度を支配して居る。猶太人には國なく政府なく、彼等は諸國に散在して生活して居りながら、而も彼等の民族的統一、民族的靭強性は実に確乎不抜なもので、此の点は何れの國民と雖も到底及ばない所である。猶太人は殆ど何れの國に於ても法律上の制限を受けて居るが、併し或る國々に於ては、事実上隠然たる支配者となって居るのだ。古い預言には次の様なことが告げられて居る。

「猶太人は猶太人自身の國土に帰り、此の國土を中心として世界を支配するに至らんされど此のことは諸國民全部の聨合攻撃に堪えたる後始めて実現するところである」

と、猶太人の従事率が他の何れの民族の従事率よりも高比率を示して居る特別の営利手段は即ち商業である。縦令其の仕事が繿縷(らんる、ぼろきれ)の売買であろうとも - 兎に角商業である。古著(ふるぎ)の売却から國際的の商業及び財政の切り盛りに至る迄、実に猶太人には最高の能力がある。猶太人は肉体を使う仕事を嫌うことは、他の何れの民族よりも甚だしい。夫れだけ又商業に対しては絶対的に勤勉である。猶太人に非ざる若者は、工業界又は技術方面に其の職を求めるが、猶太人の若者は苟も其の職務が営利生活の商業的方面と関係を有する以上は、行商人、手代、小使となることを毫も辞せないばかりでなく、否寧ゐ自ら進んで其の職に就くという風である。「プロイセン」の以前の調査に依ると、其の全人口二十六万九千四百人中猶太人は一万六千百六十人で其の中一万二千人が商人で四千人が職人であったという、然るに「プロイセン」の住民の方はどうかと言うと人口二十五万三千二百人中、商業に従事して居るもの僅に一万七千人に過ぎなかったとのことである。

若し最近の調査をしたならば、証人と相並行して教授及び文学者の数が著しく増加して居ることを見るであろう。併しながら此が爲め商業に従事する者の比率は決して減少せざるべく、又賃金労働者は極く僅少の増加を示すか又は全然増加を示して居ないだろうと思う。アメリカのみに就いて言えば殆ど凡ての大商業全部、トラスト、銀行、鉱石類、主要なる農産物就中煙草・木綿及び砂糖は猶太人の財政家又は其の代理者の勢力下にある。殊に猶太人の記者はアメリカで非常に有力な一大団体をなして居る。又「商館の極めて多数は猶太人の會社の所有する所である」ということは、猶太人の百科辞書にも出て居るが而も表面は猶太人の名前となって居ないで、実は猶太人の所有である商店も中々に多いのである。又都會の土地所有は猶太人が多く而も大地主である。猶太人は又劇場にも大勢力を持って居る。加之(しかのみならず)アメリカ全國の通信制度は絶対に彼等の支配する所だ、彼等はアメリカに住んで居る他の何れの民族よりも数に於ては少数であるが、併し毎日非常に広範囲に亙って有利な記事材料が其の手裏に集められる、若し彼等が記事を作り、且つ之を指導するの権力を掌握して居らなかったならば、到底猶太人は有利なる材料を現今の如くには多く集め得ないであろう。ウェルナー・ゾムバルト(Werner Sombart)は其の著「猶太人と経済生活」(Die yuden und Wirtschaftbleben)中に次の様に言って居る。

アメリカで将来も最近三十年間の様に万事が進み、入國者の増加率も依然同一であると仮定する時は、今後五十年又は百年後には合衆國は次の様な國となるであろうと想像される、即ち住民は唯「スラヴ」「ニーグロ」及び「猶太人」だけとなり、其の中で経済的主権を掌握するものは當然猶太人であろう」

と、併し斯ういう「ゾムバルト[1]」は、猶太人に好感を有する学者であることを茲に付記して置く。

猶太人は如何にして勢力を得たか

偖(さ)て茲に一つの問題が起って来る「若し猶太人が勢力を有して居るとするならば - 一体如何にしてその勢力を得るに至ったか?」という疑問である。アメリカは自由の國である、猶太人は僅に全人民の約百分の三に過ぎない、即ち合衆國では三百万の猶太人が九千七百万の「非猶太人」に対立しているのである。若し猶太人が勢力を持って居るとするならば - 是れ猶太人の能力が卓越している結果であるのか、それとも又非猶太人が無能で無頓着である結果か、此の問題に対しては単純に次の様に答えるのも一案であろう、「猶太人はアメリカにやって来て、他の民族同様色々な艱難を経て、遂に競争に勝ったのである」と。併しながら斯の様な答解はあらゆる事実を考慮して与えられたものとは言えない。さらにより良き答を与えようとすれば、必ずや先ず答の前に二つの点を明らかにしておくことが必要である。その一つの点は、すべての猶太人悉くが富を所有しては居らない、猶太人は皆小ながら自己の財産は持って居るが、中には貧乏の猶太人も中々多い、従って猶太人がアメリカの最も主要なる財政上の支配者であるということは眞實ではあろうが、各猶太人が皆悉くが財政上の支配者の一人であるということは眞實ではない。其所で富める猶太人が勢力を得るには如何にするか、又貧しき猶太人は如何なる方法によりて勢力を得るかということを考察して見るならば、此の両階級が截然(さいぜん、判然と)区別して存在することも明瞭となる訳である。第二には猶太人は連帯責任即ち仕事を相共同して行って居るものであるから、猶太人の成功と非猶太人の成功とを同一の標準で測定するが如きは妥当ではないということである。若し猶太人が大洋の彼岸より豊富なる資本の援助を受け、そしてアメリカで莫大なる財産を集蓄し得たのならば、換言すればアメリカに移り住んだ猶太人が、財政上の拠点を欧州に有して居るのならば、其の勃興隆盛を測定するのに、自己の努力と力以外には何等の支店をも有して居ない独逸人とか又は波蘭人とかの成功を測るに用いたと全然同一の標準を用いることは公平でない。無論確かに多くの猶太人は、アメリカに来るときは個々に何等の援助なくやって来た者に違いないが、さりとて現今猶太人の富は各種のことに圧倒的勢力を得るに至った所以を、「是れ彼等の個人的事業力の賜物なり」と断定する訳にも行かないと思う。然り此の勢力こそ方に海の彼岸の猶太人の有する財政支配権の拡張に外ならぬ。猶太人の勢力を説明するには如何しても此の点に着眼してかからねばならぬのである。元来今問題となって居る此の猶太人と言う民族は、未だ國亡びざる以前即ち彼らが國民時代に於ては農夫であったのである。されば彼等の最初の資性は物質主義者というよりも、寧ろ宗教的精神的分子を多分に持って居った、商業國民に非ずして寧ろ牧人國民であったのだ。併しながら彼らが故國を失い自己の政府を有せざるに至って以来又常に到る所で何等かの排斥を受けてから、茲に彼等は幾変遷を経て、今や此の地球上の隠然たる実力的支配者として振舞うに至ったのである。然らば如何にして彼等に斯の如き珍奇な性質が生じたのであろうか、又何故に斯の如き性質となるのが常然であると見做されて居るのであろうか、次に之を述べて見よう。

 

[1] ヴェルナー・ゾンバルト(Werner Sombart、1863年1月19日 - 1941年5月18日)は、ドイツの経済学者・社会学者。ドイツ歴史学派最後の経済学者。ドイツ的社会主義を提唱し、またユダヤ人が資本主義を生み出したと論じ、反ユダヤ主義的な論述を行い、ナチスを支持した。ウェルナー・ゾンバルトとも表記される。

 

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