世界の猶太人網(ヘンリーフォード著・包荒子解説)08

独立戦争におけるハイム・ソロモン

ジョージ・ワシントンの時代にはアメリカに約四千人の猶太人が居ったが、その大部は皆工面の良い貿易者であった。北アメリカ植民地が英國に対して独立戦争を開始したとき猶太人の大部分はアメリカに加担した。ハイム・サロモン(Haym Salomon)の如きは戦時財政破綻の危機に際して、自己の全財産を投げ出して公債に応じ植民地に応援した。併しながら猶太人は決して同化せず又その特性を放棄しなかった、即ち彼等は決して事務的職業にも農業にも従事せず又製造工業の労働にも従わなかった、唯々終始一貫既製商品の商売に全力を傾注したのである。

物価の上下と猶太支配力

猶太人が生産に従事するようになったのは極く最近のことで、目下彼等が生産に関連して居る大部分は皆彼等の商業的活動の一支脈に外ならない。併し彼等は商品の販売から許りでなく此の製造業の方でも勿論利益を取るのであるから、消費者にとっては決して安価にはならない、反って支出増加となるのである。猶太人の商法の特徴は経済なるものは商売の爲であって、公衆の爲ではない、ということである。或る商品が実に馬鹿げた高値を表したり、又何等の理由なく突然物価が大暴落を来したりすることがあるが、その原因を調査して見ると、大抵は広大なる支配力を持って居る猶太人の所為である、即ち猶太人は唯自己に都合よい様に勝手に物価を上下するのである。

猶太人の営業心理

猶太人の考えでは営業とは即ち金である、彼等が金儲けに取り掛かって居る間は理想もへちまもない、唯儲ければよいのである。故に金儲けの邪魔になるような理想家の囈語[1](たわごと)等には耳を籍(か)さないのである。猶太人以外の人々は自発的に労働者の待遇改善等に努力するが、猶太人は斯様な自発的改革の爲に一厘たりとも取られるようなことは決してしない。

右は猶太人の心の冷酷なことを意味するものではなく、彼等の商業上の見解の冷酷を意味するものである、商業は夫れ自身商品と金銭の問題であって人の問題ではない、というのが猶太人の見解なのだ。若し茲に人があって非常に窮迫して苦しんで居るとすると、此の人に対しては猶太人とても気の毒であるという同情を持つ、併し此の時困窮に陥った人の家屋が一緒に問題となったとする、勿論人間と家屋とは全然分離した二個の実在である、その時猶太人は自己の商業上の見地に依って、此の家を人間化して考えることはどうしても出来ない、従って彼等は此の人に対しては、他の人々から見て残酷と思われる様な取扱いをするのである。之に対して人が残酷だと非難しても、猶太人は平然として「いや私は商売をして居るのだ」と答えるに過ぎない。

汗の工場

ニューヨークに居った人々は知って居る通り、ニューヨークには所謂「汗の工場」なるものがある。此の工場はあまりに職工を酷使するのでこの称(名)があるのだ。之を見た外國人は誰しも此の工場内に働く憐れむべき猶太人職工達に同情を寄せ、又自由のアメリカに斯くの如きものあるかと驚くのであるが、安(いずく)んぞ知らん、汗の工場の制度の発案者も監督者も同じく猶太人であるとは。(どうして知って居るだろう)然しながら事実に於て汗を絞る貧乏猶太人も、之を酷使する猶太人も、共に非人道的だとか、冷酷だとか言うことを少しも感じない、すなわち彼等独特の営業心理に基づいて唯「商売である」と観念しているだけである。それで此の酷使されて居る猶太人達は何等の希望なく唯錄々として生活して居るだけかと言うに決してそうではない、何時かは自分も多数の職工を使役する。工場主になろうとの希望を抱いて労働して居るのである。彼等無限の生の愛着及び彼等の決して減退することなき野心、即ち大いに立身出世して後には監督者になろう、工場主となろうという不断の向上心が、彼等をして酷使に些(いささか)の不満を抱かしめることもなく、又不法に対して何等の反抗心を起こさせることもなく一意働かしめるのである。彼等は斯かる酷使も不法も結局貧なるが故に味わわねばならない当然の苦痛と思って居る。猶太人は働くことを決して不幸とは考えない、又彼等は此の従屈的地位を永久に自己に定められた運命とは思って居ない。故に猶太人は、目下の況遇よりする苦痛を悲しみ徒に勢力を費やすよりは、むしろ自ら自己を改善し向上して之を脱出しようと努力して居るのである。

以上のような訳で米國では有力な猶太人は慈善事業に寄付するが、社會上の諸改革等には一向協力しないと言われている。即ち猶太人は社會人道の為工業方法を改善して自己の利益を減少するようなことはしないのである。是は猶太人が不人情であるからと見てはいけない、曩(さき)に述べた通り、彼等が先天的に持って居る「営業」という観念から来るものとみるのが至当である。

猶太人と同化について

アメリカの猶太人は同化しないというが此れは彼等に対するアメリカ人の非難ではなく実際である。彼らにその意志さえあれば、アメリカ人と同化することが出来るであろうが彼等にはその意思がない。故に若し猶太人の非常なる成功と莫大な富力を離して、若しアメリカに猶太人に対する何等かの偏見が存在して居るとすれば、それは猶太人が独り他と分離したことに起因するものである。猶太人は人物と言う点に於て、宗教という点に於て將(はた)又人種という点に於て豪末非難すべきものでないと、アメリカ人は考えて居るのであるがやはり猶太人は同化しない。是は猶太人がその排他的孤独性によって、我は従属するものに非ず、という観念を拵え挙げて居るからであって、此のことは猶太人の優れた見識であると共に猶太民族そのものから考えれば寧ろ当然のことであろう。それならば何も猶太人は其の孤独状態について、「非猶太人」全体に不平を言う訳がないのであるが、実際彼等は非猶太人が猶太人を排斥して孤独ならしめたと常に不平を言っているはおかしなことである。或る青年猶太人は「アメリカ猶太人と猶太系アメリカ人との間には非常な差異がある。猶太系アメリカ人は永久にアメリカの寄生虫たるの運命を持つものだ」と言って居る。蓋しこれは猶太人が同化猶太人を貶したもので、猶太人本来の心持を能く表して居るものである。

此れは日本のことであるが、アメリカで排日移民法案の通過したとき、所謂日本の名士の中には、日本人がアメリカに同化しないから排斥されると言って、大いに憤慨した向きもあったようだが、これらの日本人は猶太人の熱烈な民族愛と比較して実に宵壌(霄壤)の差がある。而も排日法案の発頭人はボーラー及びジョンソンの猶太人なるに至って愈々皮肉である。

ゲットー猶太人街の成立

欧州に於て猶太人街を称してゲットー(Ghetto)と言って居るが米國に於ても所謂ゲットーなるものがある、然し米國のゲットーは決してアメリカ人が造ったものではない、猶太人自身の輸入に由るものであって、彼ら自ら他と全く分離して一つの団体的組織を為して居る。此のことについて「猶太百科字典」には「アメリカに於ける猶太人の社會組織は、大体に於て他の諸國に於けるものと似て居るが、その成立に於て稍々(やや)趣を異にして居る、猶太人は米國人の中にあって別に何等の強制をも受けないのに拘らず、彼等は彼等同志相集まり互に隣接して生活することを欲した。斯の特性は今日に於ても依然として存在して居る」と述べて居る。

猶太人の独立事業

合衆國の猶太人が独占的勢力を振るって居る各事業の種類を一表にしてみると、國内に於ける重要なる事業の大部分を網羅することになるが、此の各種事業中には、真に生活に必要なる事業と、文明の習慣が生活に必要らしくしたものとの二つがある。劇界は誰でも知って居る通り、勿論猶太人の独占する所であって、劇の製作、書籍の出版、劇場の經營、俳優団より入場券の売り捌きに至る迄演劇事業の関するものは一切猶太人の掌中にある。従って今日殆ど総ての脚本の内容には宣伝の目的が蔵され、時としては公然と商業上の広告に資して居る脚本も上演されるという有様である。今猶太人の支配する主な事業を列挙すれば次の如くである。

  1. 活動写真工業(映画産業)
  2. 製糖事業
  3. 煙草工業
  4. 遠洋漁業(肉缶詰業)の五割以上
  5. 製靴工業の六割以上
  6. 男女の出来合衣服業(既製服のこと?)
  7. 楽器製作販売の大部
  8. 宝石商
  9. 穀類取引
  10. 綿花取引
  11. コロラド(Colorado)精煉(精錬)工業(特に銅の精錬業)
  12. 運送業
  13. 新聞通信とその分配
  14. 酒精飲料商
  15. 金貸公債債券業

以上は唯國家的又は國際的に重要な事業を上げたに過ぎないが、これらは皆合衆國の猶太人が単独若しくは海外の猶太人と相連繋して支配する所である。

海外における米國実業家の正体

若し人々が、海外に於てアメリカの商業の特権を握るアメリカ実業家の内幕を覗いたならば、驚嘆しないものは無いであろう思う、何となれば此のアメリカの実業家、実は大部分猶太人だからである。外国の港には「アメリカ輸入會社」とか、「アメリカ商事會社」とか、或いはこれに似よりの(似た)如何にもアメリカ人のものらしい名前を付けて居る会社が沢山ある、それで海外に出た米國人が、同國人に會おうとしてこれらの會社の事務室を訪ねたとき其処にはアメリカ人ならぬ猶太人が居るのに驚くのである。而もこれらの猶太人の多くはアメリカには極く僅かの間しか滞在したことのない者なるに至って、真の米國人の唖然たるのも無理がない。是は猶太人がアメリカ人と言う名前の価値あることを知って斯様なことをするのであって、右の事実は世界の一部に於てアメリカ人の商業方法として考えられて居るものの消息を如実に物語る一例である。此のことについてアメリカ人は大いに憤慨して三十も四十もの各人種が、自分はアメリカ人だと称して商売を為しそしてアメリカ人として如何にも適当な行動をして居るのなら、真のアメリカ人の商業方式は斯様なものだと外國に認められても止むを得ないが、併し実際はこれと大いに趣を異にして居るのであって短時日アメリカに居った猶太人が、アメリカ人の名を僭称して商売をして居る、その猶太商法を目して、外國新聞はアメリカ流と称して居るのであるから、甚だ迷惑千万である、と言って居る。独逸人も亦米國人と同じ様に「外國の人は独逸語を話す猶太人の旅商人を吾人独逸人と思うので困る」と言って慨嘆して居るのである。

非猶太人は支配的勢力を獲得するを得ず

合衆國内の猶太人の栄耀栄華(えいようえいが)の有様は既に周知のことであって、今茲に例を挙げて見た所が敢て珍しくはない。然し支配的勢力と、企業心及び勤勉に対する正当なる報酬としての富とは、全く別のものであって、之を混同してはならない。猶太人目下の富力には何人でも到達することが出来る、即ち富を得んがために猶太人と同様な代価を支払いすればよい。併し支配的勢力に於てはそうは行かない、縦令(たとい)非猶太人の境遇が、全然猶太人と同一な時に於ても、非猶太人は現今猶太人が掌握して居る様な支配的勢力を獲得することは到底不可能なことである。一般に非猶太人には相互に扶助提携するの能力、即ち目的を自覚して団結するの能力と、猶太人の如き人種的粘着性即ち高潮したる民族主義による統一の能力とが欠如して居る、そしてこの能力は猶太人の特性であるのである。非猶太人は自己の隣人が同人種であろうがあるまいが何等の関係もないが、併し猶太人には自己の隣人が猶太人であるということは何物にも代え難い価値を有するのである。猶太人の富の一例として、ニューヨークの「エマヌエル猶太寺院(シナゴーグ)」(Emanuel-Synagogue)のことを書いてみよう。「エマヌエルシナゴーグ」は1846年には維持費として僅に1520ドルを挙げ得たに過ぎない、然るに南北戦争後の1868年には、231の座席貸付料として708,755ドルを徴収し得るに至った。又猶太人が衣服業を独占したのも矢張りこの南北戦争の御蔭の一つとして数えるべきものであるが、この衣服専売も亦猶太人の富に國家的及び國際的支配を加えた一例として挙げ得ることである。

失敗した事業

凡そ猶太人が合衆國で企画した事業は、悉く成功したと言うも過言ではない。但し農業だけは例外である。猶太人が此の農業に成功しなかったことについて、彼等の書籍には、次の様に弁明して居る。「普通の農業は余りに単純すぎて、猶太人の智能を十分に働かす余地がない、従って猶太人は農業に成功して見ようなどと言う興味を少しも持たない、然し搾乳とか牧畜とかは、耕作よりは幾分頭脳の働きを要するから斯の方面では成功して居る」と。嘗て米國各地に於て屡々猶太人の農村を設けることが試みられたが、悉く失敗の歴史となった。一部の論者は斯かる失敗の原因を、猶太人が合理的農耕を知らないことに帰し或いは猶太人が手先労働を厭うが為なりとし、又他の論者は農業には投機的分子がないからだと言って居る。兎も角も猶太人は根本的に、生産的な農耕よりも非生産的な事業に於て多く活動し成功して居るのである。此の方面の研究家は「猶太人は元来土地の人ではなく常に貿易者である」と言うて居る。そしてこの主張の證明として、猶太人がパレスチナを自己の祖國として選択したこととが挙げられて居る。蓋し細長きパレスチナ地方は東西両大陸の中央に位置し、而も相互之を連絡する橋であって、往時文明諸國の対外貿易は、此の橋を通じて行われたのである。

 

[1] 囈語 たわごと、又はうわごと

 

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