世界の猶太人網(ヘンリーフォード著・包荒子解説)05

2. 猶太人に対する独逸の反動

独逸國民の疾患

古き昔に於ては病気になるとこれを隠匿し、羞恥と秘密の幕で病気を掩(おお)わねばならないと信じられて居った。併し今や人々は公然と病気の治療をして敢て恥ずかしいとか、隠すとかいう様なことは少しもない様に進歩した。人体の病気についてはそうであるが、政治上の疾患に対する医術と言うものは、まだまだ其処までは進んでいない。抑々独逸国民の疾患の主原因は猶太人の影響に帰すべきものである。此のことについては鋭敏な頭脳の持ち主は、既に数十年前から洞察して居った所であるが、今ではどんなに頭の悪い人たちでも明らかに承知する様に成った。独逸の政治的全生命は、実に猶太人と言う悪疾から根本的に転覆された。此の事実は最早これ以上長く押し隠すことの出来ないことである。各階級の独逸民は今大戦終息後の瓦解及び革命は、これ皆猶太人の奸計、猶太人の計画による仕事であると今日では信ずるようになった。以上のことは独逸に於て確信を以て主張せられ、又此の主張を証明する為に幾多の事実が提供され、尚歴史は必ずや将来充分な証拠を示すことと確信されている。

猶太人と独逸人の反対性と憎悪

独逸國の猶太人は、唯独逸國民の客分と見做されて居るに過ぎない、然るに猶太人は自ら独逸國の主人たらんと努力したのである。凡そ世の中に純日耳曼(純ゲルマン)人種と純セム人種程大きな反対性を持って居るものはない、従って両人種間に豪末の一致点もなければ、また少しの融和の可能性も存在して居ない。独逸人は猶太人を客と見做して居るのに、猶太人の方は独逸人の有する総ての権利と全然同一の権利を承認されて居ないことを憤慨し、主人たる独逸國民に対して非常な反感を抱いて居った。他の諸國では猶太人は容易に其の國人と融合し、又猶太人の権力伸長に一向支障なかったが、独逸では全くこれと趣を異にした。斯ういう訳で猶太人は頗る独逸國民を憎んだ。此の結果猶太人が最大の勢力を振って居る國々も亦大戦間、独逸に対して最も甚だしい憎悪を表示し、猶太人が言論界を殆ど独占的に掌握して居る所からして、彼等は其の新聞に依って独逸國民に対する所謂世界の「輿論」なるものを作ったのである

大戦唯一の勝利者と独逸の管理人

世界大戦に於ける唯一の勝利者それは実は猶太人であったのである。併し斯う主張しただけでは不十分である、此の主張が正しいということを証明するの必要がある。吾人は今事実を穿鑿して見よう。ドイツが旧政府から新政府へ移った其の時既にどうであったろう?即ち独逸國政府に代わったものは、六人制内閣で、此の内閣の代表人物は実に猶太人のハーゼ(Haase)とランヅベルヒ(Landsberg)であった。ハーゼは外務を統轄し、この補佐役となったものは、猶太人のカウツキー(Kautsky)である。カウツキーはチェック人(チェコ人)で1918年には未だ独逸國民たるの権利を持って居なかった者である。その他コーン(Kohn)もヘルツフェルド(Herzfeld)も共に猶太人だ、猶太人シッフェル(Schiffer)は蔵相であって、猶太人ベルンスタイン(Bernstein)に依って補佐された。内相になったのは猶太人プロイス(Preuss)だ。其女房役はフロインド(Freind)と言いう猶太人の博士だ、コペンハーゲンのフランクフルト、ツィツング「Frankfurter Zeiting」紙の通信員たる猶太人フリッツ、マックス、コーエン(Frity Mex Cohen)は逓信(郵便)事務の長官となった。

独逸國中央政府の状態既に右の如くである、況やプロイセン王國に於てをやだ。プロイセン内閣を統率したのは猶太人ヒルシュ(Hirsch)及びローゼンフェルド(Rosenfeld)でローゼンフェルドは司法省をヒルシュは内務省を主宰した。猶太人シモン(Simon)は大蔵大臣となり、プロイセンの大蔵省は完全に猶太人が占領する所となった。教育機関の総長はロシアのユダヤ人フトラン(Rutran)で次長は猶太人アルント(Arndt)である。植民局長になったのは猶太人マイエル、ゲルハルド(Meyer Geruhard)である、猶太人カステンベルヒ(Kastenberg)は美術課の長官となり、陸軍給養局は猶太人ヴルム(Wurm)の掌中に移った。経済省には猶太人ドクトル、ヒルシュ(Dr. Hirsch)及び枢密顧問官ドクトル、スタットハーゲン(Dr. Stadthagen)が居った。労兵委員會を統率したのは猶太人コーエン(Cohen)である。猶太人ステルン(Stern)、ヘルツ(Herz)、リョーヴェンベルヒ(Lovenberg)、フレンケル(Frankel)、ラエロウィッツ(Ysraelowitz)、イスラウベンハイム(Laubenhim)、ゼーリヒゾン(Selrgsohn)、カッシェンスタイン(Katzenstein)、ラウッフェンベルヒ(Lauffengerg)、ハイマン(Heimann)、シュレシンゲル(Schlesinger)、メルツ(Merz)及びヴェイル(Weyl)は右委員會内にて諸種の職を持って居った。

猶太人エルンスト(Ernst)はベルリンの警視総監になった、フランクフルト、アム、マイン(Frankufurt Am Main)の警視庁では、猶太人ジンツハイメル(Sinzheimer)が、エッセン(Essen)では猶太人レヴィイ(Levy)が総監であった。猶太人アイスネル(Eisner)はババリアバイエルン)の大統領となり、其の大蔵大臣は猶太人ヤッフェ(Yaffe)で、ババリアの商業、交通、工業は半猶太人ブレタノ(Brentano)の隷下にあった。猶太人タールハイメル(Thalheimer)及びハイマン(Heimann)はヴュルツテムベルヒ(Württemberg)國所管省内に、猶太人フルダ(Fulda)はヘッセン(Hessen)國に活躍して居った。

平和會議の独逸正式代表は二人共に猶太人であって、副代表は猶太人の利益を図るに有名なる人物であった、此の外代表派遣使節の一行中には猶太人の専門家や顧問などが媚集して居った。即ちマックス・ウォーバーグ(Max Warburg)、 ドクトル・フォン・ストラウス(Dr. Von Strauss)、メルトン(Melton)、オスカル(Oskar)、オッペンハイマー(Oppenheimer)、ドクトル・ヤッフェ・ドイッチュ(Dr. Yaffe Deutsch)、ブレンタン(Brentano)、ベルンスタイン(Bernstein)、ラーテナウ(Rathenau)、ワッサーマン(Wassermann)、メンデルスゾーン(Mendelssohn)、バルトールド(Bartholdy)等の類である。

此の外平和會議に他の諸國の猶太人も参列して居ったことについては、公平なる立場にある非猶太人通信員の記事を読んだ人々は、何人も確実に知り得た所である。非猶太人通信員の目には、斯の如く多くの猶太人が平和會議に参列して居るという事実が奇異に感じられたらしい、そこで之れを掲載したのだろう。併し猶太人の記者は、斯様なことは黙って居る方が賢いやり方だと考えたせいか、一言もこのことには言及しなかった。

独逸に於ける猶太人の活動は、大戦間特に熾烈となり、遂に表面に現われるに至った。そして其の活動は隼の如く敏速にして而も綿密確実、人をして万事は既に以前より計画準備されて居たのではないかと疑わせた程である。独逸の猶太人は大戦間決して独逸に忠実なる愛國者ではなかった、此のことは独逸に敵意を有する諸國民の目から見れば、何等非難に値することでもなく、寧ろ当然のことと見えるだろう、併しこれを深く考えてみれば、猶太人は決して自己の住んで居る國に対して、忠節の念を有するものでないということを、明らかに証明するものと見なければならない。尚独逸の思慮ある人々は、これを仔細に観察し、次の理由よりして、猶太人が愛國者たることは不可能なことと考えて居る。

独逸革命と猶太人

即ち各方面で主張されて居るのは、曩(さき)に列挙した猶太人等は、革命がなかったならば、あの様に重要なる職を占めることは確かに出来なかったろうし、又猶太人が革命を起こしさえしなければ、革命等は決して起こらなかったろう、と言うのである。独逸の諸状態は確かに満足なものではなかった。併し此の不満足な状態は、何にも猶太人の手をかりなくとも独逸國民自身の手で始末し得るものであり、又独逸國民は確かに始末した筈である。けれども既に独逸國民は、猶太人の勢力によって公徳は破壊され志気は阻喪して居って、またこれを改善することは不可能な状態になって居ったのである。

独逸の國家的秩序を破壊した原因と見るべき猶太人の最も主要なる影響は、概ね之を次の三つに区分することが出来る。(1)社会民主主義と言う仮面を被って居ったボリシェヴィズム。(2)猶太人が言論機関を掌握して居り且つ新聞界に絶対的勢力を持って居ったこと。(3)猶太人が食糧品供給及び工業界を管理して居ったこと。尚このほか「物価釣り上げ」と言う最も重要な一つの影響があるが、併し右の三つは國民に対し直接有効なる作用をなしたものである。

独逸に於ては猶太人が跋扈して居る、従って右の三影響について論ぜられたところの独逸人の意見は、猶太人の勢力下で作られたものだというので、ひょっとすると一般から疑問を以て迎えられるかも知れない、それであるから此処には、ロンドンのグローブ(Globe)の記者ジョージ・ピッター・ウィルソン(George Pitter Wilson)の言を引用することとする。この人は1919年4月、既に次の様な記事を書いて居る、即ち「ボルシェヴィズムとは全世界のキリスト教諸國民から、残らず財力を奪い取り、そして猶太人全部が団結して世界の覇権を其の掌中に収め、勝手気儘に之を統治しようという主義のことである」と。又独逸の猶太人は既に大戦第二年に次の様なことを宣言して居った、「独逸國の敗北は無産階級の向上の為に是非共必要である」と、又ストリョーベル(Strobel)は「私は公然と告白するが、独逸が充分なる戦勝を得れば決して社会民主党の爲にはならない」と述べて居る。加之(しかのみならず)到る所で「独逸が勝てば無産階級の台頭は不可能である」と宣伝されて居った。茲に挙げた例は単に少数の実例に過ぎない。斯くの如き例はまだ幾何でもある。以上の諸例の引用は、何にも大戦問題を茲に展開しようとするのではない、所謂独逸の猶太人が、如何に彼等の住んで居る独逸國に対して忠誠を忘却して居ったかということと、如何に彼等が爾余の國の猶太人と連合して独逸國の滅亡の為に活動したか、ということを示したいからである。それならば何故に彼等が独逸の滅亡を策したかと言うに、独逸國を軍國主義から解放せんがためにしたのでは決してない、此のことならば凡そ思慮ある独逸人は皆希望したところであるが、併し彼らの目的とする所は、独逸國の秩序を破壊し混乱せしめんが為めであったのである。蓋し彼等は混乱に乗じて支配権を奪取し得るからである

猶太新聞の思想製造

最初独逸の新聞界の猶太記者は、斯の如き企図を秘して表面には現さなかったが、後には大胆にも公然とこの論旨を明瞭にするに至った。ベルリネル・ターゲブラット(Berliner Tageblatt)及びミュンヘネル・ノイエステン・ナハリヒテン(Munchner Neuesten Nochrichten)の両紙は、大戦間政府の官報であったが、両紙共猶太人の所有で全然猶太人の支配する所であった、又フランクフルテル・ツァイツング紙(Franckfurter Zeitung)初め小新聞の大多数も亦猶太人と気脈を通じ猶太人に従属して居った。今日独逸人は此の状態を評して、此等の諸新聞は寧ろ協商側の猶太新聞が発行されていると見るべきが至当であって、其目的とする所は同一であると言って居る。今や猶太系新聞は即ち公共の新聞となって居って、日々世界の思想を製造しつつ、全世界に於て互に結合共同して居る事実については真面目に考究するの要がある。是れ彼等の記事が如何なる秘密の目的を以て日々準備されるものであるかということを人類全般に示す必要があるからである。

戦時需要品の独占 志気の不振

大戦勃発するや、食料及び補給品は迅速に猶太人の手に移り、不正行為は盛んに行われたために、戦場の勇士たちの祖国に対する信頼心は薄らぎ始めた。勿論独逸國民は他の総ての愛國的國民同様、戦争なるものは、即ち之れ犠牲と苦痛を意味するものである、ということをよく知って居ったし、又此の何人も等しく受けなければならない運命に堪えるの覚悟をして居ったのである。然るに独逸國民は猶太人と言う一階級が、彼等の凡てのものを奪い一人巨利を占めて居ることを知るに至った。彼等は凡て國民の必需品を思惑買いを為し又は中間に介在して、利益を占め得るところには必ず活動して居った。即ち諸銀行、戦時用品に関係ある諸會社、醵金(拠金)事業、補給機関等至る処猶太人が活動して居って、豊富なる物質を隠匿し、次いで価格暴騰するや再び品物を吐き出した。戦時必需品に関係する諸會社は全然猶太人の勢力範囲であって、苟も金さえあればどんなものでも切符なしに買うことが出来た。勿論政府としては國民全般の爲を思い、食糧品を均等に分配することに極力努力したが矢張りその効きめがなかった。猶太人は不正手段によりて盛んに品物を手に入れ、これを三倍にも高く売るという有様である、従って金は川の如く猶太人の金庫に流れ込んだ[1]。政府の食糧品見積額等は、猶太人の投機者が買い集め秘密に隠匿貯蔵するため、全然信用の出来ない有様であった。此れが爲國民の志気は沮喪し、不平は起こり訴訟が始まったので政府は遂に暴利を取り締まり処罰するの手段に出たが、如何せん被告も裁判官も悉く猶太人であったからして、暴利取り締まりも有耶無耶となり、一向其の効がなかったのである。但し独逸商人が捕らえられた場合は、喧々轟々と大袈裟に騒ぎ立てられ、厳罰に処せられるのが常であった。若し読者試みに独逸國を普く遍歴して、國民の言う所を聞き國民の気分を研究して見たならば、必ずや猶太人の勢力乱用は、恰も熱鉄の如く独逸人の脳裏に強く焼き付けられて居ることを知るであろう。

 

[1] 原文:「徒って金は川の如く猶太人の金庫は流れ込んだ」