世界の猶太人網(ヘンリーフォード著・包荒子解説)04

同類事業の合同

現代的商業手段たる同類事業の合同も亦猶太財閥の創案した所である、例えば猶太人が最初一発電所を手に入れると、次に彼らは電力を使用する電車をも同じく手に入れるのである。この目的の一つは全部に亘る利益即ち発電から電車の運行に至る迄の総てから生ずる利益を一切合切かき集めようとするのにあるのかも知れないが、主なる目的は斯うである。発電所を所有する所から先ず電車会社に対し供給した電力の価格を上げる、又其の影讐(えいしゅう、悪い結果)によって乗客に対し乗車賃を上げる、斯くて出資者は全般に亘って「より多くの利益」を得るのである。而も此の際最後の使用者たる乗客に接する電車會社は、雑費が騰貴したから止むを得ないと辯明(弁明)するが、その実は前に述べた通り出資者たる事業所有者が勝手に値上げしたもので、経済界の不況に依って余儀なく値上げしたのではない。

世界中心財閥の存在

現在世界には明らかに中心財閥が存在して居る、此の中心財閥は、全世界を賭博用の卓とし「世界支配」を賭金にして、厳粛なる組織の下に大規模な而も精細に仕組まれた勝負をして居る。現代の文明諸国民は最早、世界状態の総ての変化は「経済状態」に左右されるものである、という主張を信用するものは一人もいない。是れ「経済上の法則」という仮面の下に毫も此の法則に由来しない頗る多くの現象、即ち広範囲に亘って、諸國民を自己に隷属させようとするところの意志と力を持って居る少数の利己心から生ずる幾多の現象をも、包括するからである。

元来財政組織は國民固有のものであるかも知れないが、併し今日に於て財政組織が國家的のものであるとは何人も信じない所であって、実に財政は今日國際的性質のものである。従って此の国際的財政に競争があるとは是れ亦何人も考えない所である。それで現実世界には二~三の全く独立した銀行はあるが、確乎たる独立の銀行は殆どなく、全活動計画を明らかに洞察して居る大銀行家即ち少数の猶太人が、無数の銀行及びトラストを其の麾下に擁して居るのだ。そして彼等は甲乙各々其の任務を分担し、其の間毫も齟齬なく完全に協調が保たれ、又世界的大事業の色々の部分に於ても少しの競争もない。而も各國の主要なる銀行間には各々其の業務発展上整然と統一した政策があって、其の有様は恰度(ちょうど)遞信(逓信)事務と全く同様に各支局は相互に連繋があり同一の一中心から統制せられつつ、同一の目的に向かって活動して居るのである。

米國綿花の買収

世界大戦直前に於て独逸は、莫大なるアメリカ綿花を買収して、此れを積み出す準備がちゃんと整って居った。そこで愈々大戦が勃発すると、驚く勿れ此の山の如き綿花の所有権は唯一夜のうちに、ハンブルクの猶太人の名前からロンドンの猶太人の名義に変わったのである。新聞に此の事が掲載されている間に綿花は、英国でアメリカの相場より遙かに安く売られ之が爲めアメリカの相場も下落するに至った。斯くて価格が十分に下がり切ると、這般(しゃはん、これら一連)の消息に通じて居る人たちは、市場綿花の買い占めを為し、茲に綿花は再び暴騰するに至った。この一見説明に苦しむ様な騰貴と下落とを木綿市場で行った所の人達は一方又独逸を世界的の死屍(しし、しかばね)とみなすべく魔手を独逸に伸ばしたのである。即ち此の綿花を支配する某一団は之を紡績する爲め独逸に送り、独逸の労力の代償として製品の一部をお情けに与えたのみで、他は悉く隠匿してしまった。斯くて彼等は「綿花払底(ふってい、品切れ)」という虚言を流布して全世界を欺き、莫大な巨利を博したのである。此の人道に背き極度に非道義的なる手段を其の源にまで溯って穿鑿(せんさく)するとき、その関係者の正体は悉く共通の一性格を持って居ることが判明する。之に依って見ても大洋の彼方から「猶太人に対しアメリカ自身が覚醒する迄待て」と警告して来るのに何の不思議があろう。

労資争議の根本的解決方法

最早今日労資の状態は確かに経済上の原因から説明することが出来ないし、又無論「資本家の横暴」ということからも説明の出来ないものである。今日程資本家側が労働者側の要求を適える様に骨折って居る時代は過去には決してなかった、又労働者側としても新たに資本家側に承認させることがもう殆どないほど最大限の所まで行って居るのである。然し労資両社は此の労資争議により如何なる利益を得たか、従来労働者側は、資本家は自分たちの上を覆っている暗雲であると、考えて居ったものだがこの暗雲は今日では最早除けられてしまって居る。然るに見よ労働者側の上には先の暗雲よりももう一つ高き雲が尚あるではないか、此の雲は資本家側も亦労働者側も、昔の労資争議の時には一度も見たことのないもので、しかもこの雲は今日に至るも消失せずに依然として存在して居るのである。

アメリカで「資本」と称されて居るものは、通常生産の目的に使用される金のことである。然るに吾人は誤って、工場主、事業管理人、器材及び労力の供給者を、「資本家」と総称して居るが、之は大きな間違いである、此の人達は真の意味に於ての資本家では決してない。此の人達も亦自己の計画を具体化し、経済を実行して行くのにはどうしても真の資本家のもとに行かねばならないのである。即ち真の資本家とは、此の人達の上にある或る力でこの人達が嘗(かつ)て労働者を取り扱ったよりも、もっと過酷で無慈悲な取扱いを、此の人達に向かってするのである、労資が相争っているのは実に現代の悲劇中の一つである、労資双方がそれに対して反抗して居る状態、労資共に其の下で悩んでいる状態、此の状態を改良することは今日尚労資双方の力で為し得ない所であって、これを解決するためには、國際的財閥から成る真の資本家団の世界支配力を奪う方法を発見せねば駄目である。何となれば実に此の資本団こそ右の様な状態を造り且つ利益を悉く占有してしまうからである。

今此の世界には「金即ち幸福なり」との謬見者(びゅうけんしゃ、間違った考え方を持つ者)のみを抱いて居る「超資本主義」がある。又何れの國の政府とも連盟せず、何れの國の政府にも従属せず、而も各國の政府を圧迫する「上級政府」が存在して居る。いつの時代に於ても又どこに行っても決して好愛されたことがないという一民族即ち人類の一部が存在して居る。併し此の民族は最も強大なる民族すら嘗て要求したことのないほどの勢力、ローマが其の権力最も強盛だった時代にすら要求し得なかった権力を持って居るのである。今や世界の人々は「先ず超資本主義的國際的支配と言う問題の始末を付けてしまえば、其時こそ労働問題、労銀(賃金)問題、土地問題などは自ら解決される」と言う確信を次第に持つようになった。

「獲物は勝者のものなり」と言う古き言葉がある。久しき間侮蔑されて居った少数の猶太民族が、今や勝利者となって居るのであるから、或る意味に於て猶太人は、非猶太人が到底抵抗し得ない程の超人間であらねばならぬ。若しそうでなければ爾余(それ以外)の民族が猶太人をして不当にして不安なる権勢を得しめたのであるから凡くら(ぼんくら、怠け者)にすぎない訳である。即ち猶太人が超人間でないとするならば、「非猶太人」は今日の如き結果を将来(招来)した常の責任者であるから、自分自身を非難しなければならない。宜しく非猶太人たる者は此の新しき着眼を以て事情を能く観察し、尚他の諸國の経験を光明の下に照らして研究しなければならない。

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