世界の猶太人網(ヘンリーフォード著・包荒子解説)09

4. 猶太問題の意義と事実

日本における真面目なる猶太研究

今日までわが日本には、親猶太主義も反猶太主義も勿論猶太問題もなかった。然るに世界大戦は急に猶太勢力を倍加し、これまで内面的に行われた其の國際的活動は自ら暴露され隠然包蔵された其の潜勢力は公然の勢として出現するに至った。即ち革命に因る露・独・墺三大帝國の崩壊に伴う猶太人の活動、英米における猶太資本主義の発展、猶太故國パレスチナの復興運動等実に驚嘆すべきものがある。随って猶太勢力が我が帝國に多大の波動を与えつつあるを観たわが日本の識者達は、猶太民族について或いは宗教及び歴史方面から或いは其の現況について等それぞれ各方面から之を研究して國民に紹介する所あったが、世人多くはこれを対岸の火災視し甚だしきに至ってはその信疑を確かめようともせず、自ら何等研究穿鑿することなく、而も之を帝國主義者の捏造と誣(し)い、中には西洋の反猶太主義を真似て居るとさえ罵倒する所謂大家なるものもあった。然るに近来に至り漸く猶太民族の偉大なる世界的勢力を一般に認識して、我が帝國の存立上恰も吾人が支那を研究し、米國を観察すると同様、愛好憎悪の感情を超越して真面目に猶太問題に注意を払うに至ったのは、我が國の爲にも亦猶太人の爲にも慶賀すべきことであると思う。

欧米の猶太問題と日本の猶太問題との差異

茲で一言御断りして置くが、同じく猶太問題と称しても、欧米における猶太問題と我が國の猶太問題とは、自ら其の意義に於て異なるものがある。即ち欧米方面のものは、猶太民族の寄生生活、言わば非猶太人と猶太人との雑居から来る問題が多分に含まれて居るが我が國で言う所謂猶太問題とは、欧米列強を通じて各種各様の形で現われ来たる左右両端の國際的猶太勢力の浸潤と影響とが其の主なるものである。例えば我が隣接國たる露國が猶太主権下にあり、米國が反猶太國である以上、猶太民族の研究が必要なことは当然なことである。そして欧米に於ける猶太問題を研究することは、言う迄もなく吾人に必要な問題の研究即ち猶太民族とその勢力の研究であると共に欧米そのものの真相を捉える上に於ても亦緊要欠くべからざるものである。

ヘルツルと猶太問題の存在

扨て猶太愛國者テオドル・ヘルツルは猶太問題について、其の著「猶太國」に次の様に述べている。

「猶太問題は今日猶存在して居る、此のことを否定しようとするのは愚かなことである。苟も猶太人が人目に付くほどの数住んで居る所には常に猶太問題が伴って居る、猶太問題のないところへは猶太人が問題を持ってくる。勿論吾人猶太人は排斥のないところへ移住するが吾人が現われると排斥が起って来る。此の不幸な猶太人は目下反猶太主義を英國に持ち込んでいる。既に猶太人は之をアメリカに持ち込んでしまった」

とヘルツルが述べた様に、欧米に於ては至る処猶太問題がある。

欧米人の猶太問題に対する態度

そして猶太人も非猶太人も共に此の問題に対して頗る敏感であって、為に猶太問題を説くことは頗る困難とされて居る。唯「猶太人」という言葉を公然と口にし或いは筆にするだけで既に適当でない様な一種曖昧な感情が今もなお欧米人の間に存在し、甚だしきは猶太人と言う代わりにあまり適切でない所の希伯来(ヘブライ)人又はセム人と言う名称を用いるさえ逡巡している様な有様である。それで欧米人が猶太問題を取り扱う様子を見ると、頗る懼(おそ)れて居って恰度(ちょうど)禁制を犯して物事をして居る様な風である。

抑々この「猶太」なる言葉は決して侮辱的な性質形容詞ではない、古く且つ名誉ある言葉であって、人類歴史の現在、過去、未来を通じて意義あるものである。元来欧米人は一般に猶太問題を公然と論議することを極端に躊躇する風があって、沈黙と言う幕の中に猶太問題を包み、朦朧たる想像の境地に之を保留して置こうとしている。思うに欧米人をして斯くの如き態度を採らせるようになった実際的の原因は、猶太問題を論議する結果生じて来る幾多の困難を感じて自ら恐怖しているからであろう。仮令公然と猶太問題が話題に上ることがあっても、それは当り障りのない政治的駄弁か或いは愉快気な雑談であって、而もその内容は哲学、医術、文学、音楽、財界等の偉大なる猶太人の話か又は猶太民族の能力精力節倹性等の賛美に過ぎない。従って猶太問題に関する最も困難なる点は何ら解決することなく残っている、又実際こんな表面的なことによって真相に変化を及ぼすものでもない。依然非猶太人は非猶太人たり猶太人は猶太人たりで、結局猶太人は世界の謎として存在するのである。

各国に於ける猶太問題

この問題に対する欧米人の遠慮がちなことは、彼等が沈黙を守ろうとする点に於て尤も明瞭に現われて居る。換言すれば「全体何故に斯の問題について論議せねばならぬのか」と言うのが、欧米人の態度であり感情である。この態度それ自身が既に、「成るべくこれを避けようとする問題の存在」を証拠立てているのである。

革命前の露國には言うまでもなく猶太問題があった、而も最も猛悪な形式で存在して居った。猶太人口の露國の人口に対する百分率は、合衆國に於ける率よりわずかに百分の一だけ大なるに過ぎない。そして露國に居る猶太人の大部は、アメリカの猶太人に比してその素質に於て敢て劣らないが気性が峻烈である。アメリカに於て猶太人は何等の制限を受けてないが、露国では米国に見ることの出来ない束縛を受けて居った。それだのに露國の猶太人は彼等の天分を遺憾なく発揮し、完全に露人魂を閉息させている。ルーマニア、ロシア、オーストリア、ドイツその他苟も猶太問題が重大問題として表面に現われ出ている國を見ると其の問題の主なる原因は、猶太人が支配的勢力を完成する天才なるが為である。

猶太人の能力と権勢獲得

合衆國に於て猶太問題が八釜しくなったのは、一億一千万の住民を擁する米國に於て、猶太人は僅かに百分の三に過ぎないに拘らず、此の少数者が僅々五十年間に権勢を振るい得る地位を占めるに至ったという事実が原因である。若し他の民族であったならば仮令十倍も多い数を以てしても今日猶太人の占めて居る様な支配的地位に達することは不可能である。況や此の猶太人の様に百分の三くらいであったならば到底問題にならない。然るに事実猶太人は凡そ高き地位には必ず其の代表者が居る。例えばヴェルサイユに於ける四國委員の秘密會議の席にも、最高審判廷にも、白亜館内の諸會議席上にも、広大なる世界の財界にも、苟も権勢獲得が達成され且つ行使される所、そこには必ず猶太人が居るのである、即ち猶太人は真に文字通りの到る所で最高の地位を占め権勢を行使して居る。彼等は理解力、事業力、本能的に鋭敏なる判断力の持主であって、これ等の諸能力が殆ど自動的に猶太人を最高の地位に挙げるのである。猶太人が今日他の何れの人種よりも一層顕著なるものとなったのは蓋し当然の結果であると言わねばならぬ。

猶太問題を生ずる根本原因

然らば如何にして猶太人は最高の位置を占めるか、又如何にして其の目的を達するであろうか、又彼等がその地位にあることが世界に何を意味するのであろうか?これが即ち猶太問題を生ずるに至った根本的原因であって、これ等の点は引いて他の諸点の原因となるものである。そして此の猶太問題も批判する人の偏見的尺度の如何に因って、親猶太的ともなり、又反対に排猶太的にもなる、又猶太問題が人情味ある方向に進展するや否やは、一つに猶太問題に関する智識の程度と洞察力の鋭鈍によることである。

「インターナショナル猶太人」の意義

抑々今世界に「インターナショナルの猶太人」という言葉が使われて居るが、この言葉には元来二様の意味が含まれて居る。其の一つは猶太人は何處に行っても依然として猶太人であると言う意味と、今一つは国際的支配権を行使する猶太人と言う意味である。そして今日全世界を刺激して居るのは此の後者の種類に属するものである。

扨てこの後者の意味に於ける所謂、インターナショナルの猶太人型(タイプ)、即ち世界支配権を獲得しようと努力する者、否既に之を把握して居り之を行使して居る猶太人は尋常の猶太人に取っては誠に不幸なる因縁を有するものと言わねばならぬ。そして此処に最も目立って珍奇なことは、此のタイプと言うものが、独り猶太民族のみに限られて居って、他の何れの民族にも見ることが出来ないということである。即ち財的國際的世界支配者の中に幾らかの猶太人が存在すると言うのではなくって、世界支配者は専ら猶太人に限られて居ることである。斯様な特異な現象があるがために却って、尋常の猶太人達は苦境に立つのである。即ち斯様な世界支配者階級に属して居らず、又将来に於ても属する見込み無く、単に猶太人種と言う以外に何等他と異なる所のない猶太人の逆境と言うものは、実に此の世界支配階級の存在に因る所少なくはない。又若し世界支配なるものが猶太人も非猶太人も混同して行われて居るものならば、縦令(たとい)幾らかの猶太人が大財閥の中に伍して居たとて、決して問題を惹起する様なことは無いであろうと思う。従って此の問題は、人種や系統に関係なく、唯世界支配権を行使する少数の人々だけに関する問題ということに制限されるのである。併しながら事実に於ては、世界支配権なるものがユダヤ人の渇仰(かつごう)努力の目標であり、且つ現に此の目的を達成して居るのであり而も此の目的達成の手段たるや、所謂他の世界攻略者の使用した様な尋常の手段と趣を異にした独特の猶太式のものであるから、此の問題はどうしても直接に右に述べた様な特殊の猶太人に関するものとならねばならぬ。

問題は富力に有らずして支配なり

この問題で一寸(ちょっと)面倒なのは世界支配者階級の一団を「猶太人」と言う名前の下に包括してしまうときは、之を純然と一般の猶太人から区別することが困難となることであるが、併し賢明なる読者は自ら充分区別し得るであろう。又猶太の富について論ずるならば非猶太人にも大富豪があるではないかということになるが、それは問題ではない。問題は富ではなく、世界支配であって、富と支配とは全く別種のものである。勿論世界を支配する猶太人は富を所有して居る、併し彼等はその上に富よりさらに力強き或るものを持って居る、それが欧米人をして問題たらしむる所であって、即ち彼等が他の何れの民族にも到底認めることの出来ない熱烈な自己民族への忠実及び自己民族の連帯観念上に立脚して居り、尚且つ彼等が猶太民族特有の商略的精神と支配的天才とを、極めて多分に極めて判然と所有して居るから世界を操縦し得るのである。従って今試みに今日此のインターナショナルの猶太人の世界支配権を、最高の商業的才能ある非猶太人の一団に譲渡したとしたならば、その結果はどうであろうか、世界支配の全機関は忽ちにして崩壊没落するであろう。即ち非猶太人は如何に商才優秀なものであっても、到底今日のインターナショナルの猶太人程の世界支配権を持続することは不可能である。蓋し非猶太人は、其の人間的であると神聖であるとを問わず、又先天的なると後天的なるとを問わず、兎に角猶太人の持って居る所の性格を欠いて居るからである。