世界の猶太人網(ヘンリーフォード著・包荒子解説)03

世界商業の中心の移動と猶太人

今茲に猶太人の放逐及び猶太人のヨーロッパ漂浪と関連して居る特異の減少を述べる必要がある。それは猶太人が移動するに伴って商業の中心も亦常に移動するという現象である。猶太人がスペインで圧迫を受けず自由な生活をして居った時代には、スペインは世界金融界の中心地であったが、スペインが猶太人を放逐するに及び、同國は財政上の覇権を失い、遂にこれを回復することが出来なかった。欧州の経済史を研究する者が常に説明に苦しむ問題は商業の中心点が、何故にスペインよりポルトガル、イタリアと変転し、更にオランダ、英國、ドイツと北方の國々に移ったかということである。この理由が未だ嘗て明快に説明されたことはない、然し此の商業中心の移転は、猶太人が南方より追われて北方へ逃げた時と、時代に於て符節を合するが如きものあること及び今日迄継続している北方諸国の繁栄は、猶太人が北方諸国に到来すると共に始まったものであるということ、この二つの事実を知ればもはや右の問題の説明は決して難しくはない。即ち事実に於て猶太人が他に移りいかねばならなくなった時には、金融上の世界中心点も亦猶太人と共に移動したのである。

國際民族とその連繋

既に述べた如く、猶太人は欧州は愚か世界中に拡がったが、到る所其の血族的関係、信仰及び迫害に依って互に兄弟的関係を維持して居ったからして、彼等は既にある程度まで國際的民族となり得た。常時に於ては何れの民族又何れの商人団と雖も、猶太人の如く國際的と成り得たものはない。それで猶太人の分散生活の特徴とする所は、到る所に居て而も相互密接に触接を維持して居ることである。彼等は世界に於て未だ自覚ある國際的通商組織の存在しなかった以前、既に脈絡ある組織を作り、ユダヤ協同生活の神経系統によって連絡して居った。中世紀時代の多くの学者達は、猶太人が欧州の出来事を、各國の政府よりも余計に知って居ったことについて脅威の目を瞠って(みはって)居る。併し猶太人は啻に之を余計に知って居るばかりではない、将来の事についても一層詳細に察知して居るのだ、実に政治上の諸条件及び諸関係については、職業的政治家と雖も彼等に及ばないのである、それで其の通信連絡は如何にして行われるかというと、彼等は書面を以て相互に通知し、団体から団体へ、一國から他國へと通信しあって居たのである。斯くて彼等は不知不識の中に、何時か財政通信の基礎を作るに至った、此の通信が彼等にとって投機的思惑を為すのに非情な価値があり、殊に通信が貧弱、干満、不信用の時代に於て人よりも速やかに知るということが、如何に大いなる利益を齎した(もたらした)かということは言うまでもないことである。猶太人の斯かる状態は彼等をして自ら諸國の國債の仲介者たらしむると共に、いよいよ金融界に精励せしむるに至った。

華客は國家なり

抑々猶太人の華客は國家であって、國債の募集は猶太財政家が諸國に存在して居る為め非常に容易にされた。斯くて諸國にある猶太財政家は國際執政官の如き境遇となり、王と王とを争わしめ又政府と政府との間を操縦し、國民間の偏見と恐怖とを巧みに利用して少なからざる利得を収めたのである。

現今猶太人財政家に対し頻繁に繰り返される非難の一つは、彼等が特に國家を相手として選び、その広大なる財界を支配して其の恩恵を受けることである。実際に於て実業家としての猶太人に関する総ての批評の中、個人を顧客として居る単独の実業家に対する非難は比較的僅少であって、多数の猶太人小実業家は其の取引に於て十分に尊敬され、多数の猶太人家庭も亦同様に我等の隣人として尊敬されて居る。随って傑出した猶太財政家に対する批評は、概して言えば人種的見地から出て居るものではない訳である。併し遺憾ながら人種上の一分子即ち人種的偏見が、やはり此の問題にも混入して居ることは否めない。

猶太人網

人種的偏見はとかく誤解に陥り勝ちのものであるが、然らば人種的偏見がどうしてこの問題に捕入されて居るかと言うに、実に次の説き[1]単純な事実に因るのである。即ち世界中に網の目の様に張り渡されて居る國際的財政と言う連鎖の各関節には、必ず猶太人の位置資本家猶太財政家の一族又は猶太人支配の銀行組織が存在して居るという事実である。多くの人々は此の状態を指して是れ猶太人が非猶太人を支配線が爲めに作った計画的組織であると見做し、又他のものは此の状態を指して、猶太人の同族愛の現れであって、彼等は自己の事業を子々孫々に継承せしめ、且つ更に之により他に岐路を増加しようとするものであると言って居る。旧約全書に依れば、猶太人は丁度葡萄の木の様なものである。葡萄の木は次から次へと新しい枝を増して行く、そして古い根は益々深く地中に這入り込むが、しかも総ての根は悉く又新しい葡萄の木を生やすと。

猶太人と國王及び貴族の関係

諸政府と取引するという猶太人の才能は、上述の諸性質同様、猶太人の追放時代に其の原因を求めることが出来る。この時代に於て猶太人は、商売相手との取引で金の力を知ったのである。彼らが赴く所常に呪いの如く他國民の反感を喚起した、民族としての猶太人は決して人気が良くなかった、此のことは如何に熱烈に猶太人が之を辯明しても、事実は之を否定することは出来ぬであろう。勿論猶太人個人としては尊敬すべき立派な紳士もあり又其の性格中には中々愛好すべき電もある、けれども猶太人全体として即ち民族として彼等が負わねばならない重荷は、此の民族的不人気である。現代文明諸國に於て、迫害ということが全く不可能なる状態に於てすらなおこの不人気は存在して居るのである。かの猶太人全体が自ら非猶太人と友情を結ぼうと努力しない風もある、是れ恐らく以前の失敗に懲りた故意でもあろうが、しかし実際は猶太民族は他民族よりも高等なる人種に属すという先天的優越感の然らしむる所ではなかろうか。その何れが真の原因なるにせよ、兎に角猶太人が全力を注いだことは、國王及び貴族等の信用を博するという点であった。縦令(たとえ)國民が猶太人に対して歯を噛みしめて憤慨することがあっても、國王と廟堂とが猶太人の味方である限り、それが猶太人にとって何等の痛痒を感じないのは当然である。故に猶太人が最も窮迫している時代に於ても尚所謂「宮廷猶太人」というものがあって、金銭の貸借や債務という係蹄によって、國王の御前に入り込んだもので、実に猶太人の戦法は「大本営に這入り込む」ということにあったのである。

各國朝廷を手に入る

例えば露國に於て猶太人は、決して最初から露國民の気分を和らげ之と融和しようなどとは試みなかったが、併し露國朝廷を手に入れることには非常に骨を折ったものである、又独逸國民に対しても同様で、妥協的態度には出ないが、併し独逸の宮廷を手に入れることには成功して居る。英國では國民の反猶太思想が猛烈であったが、之に対して猶太人は侮慢的に肩をぴくつかせて空嘯いただけである、彼等は英國貴族を脚下に従え、其の掌中には英國取引所死活の鍵を掌握して居るのだ。人民の反感彼等に取りて何かあるである。

猶太戦法

此の「本拠を衝く」という猶太人の戦法は、猶太人が諸政府及び諸國民上に有力な勢力を揮い得たことを説明して余りあるものである。更に此の戦法は政府の入用品を何時でも整えるという彼等の老巧さによって、一層其の効力を発揮したのである。某國政府が金を必要とするときには宮廷猶太人は其の調達を斡旋し、他の財界中心地又は他國の首府にある一味猶太人と連絡し直に金を融通した。又甲政府が乙政府に負債を支払おうとするが、併し巨額の黄金を騾馬の脊に托し強盗匪賊の横行する不安な地方を通過させることは好ましくないという様な場合には、猶太人は易々として甲政府の負債支払を引き受け、彼等が一片の證書を送付することに依って、全負債は直に乙首府の銀行で支払われた。又始めて軍隊の給養が請負制度となった時に、この給養を担任したのもやはり猶太人であった。要之猶太人は資本と組織とを以て居った許りでなく尚一國民を自己の負債者とするという点に頗る満足を持って居たのである。

猶太人の此の戦法こそは困難なる数世紀に亘る長年月の間、猶太民族を援助したものであって、其の効果は頗る偉大なるものである。そして此の戦法は今日に於ても依然踏襲されて居って豪末も変化の兆候がない。実に猶太民族は人口に於ては誠に微々たるものであるが、今日各國政府に対する彼等の権力は大したものである。此の否定することの出来ない事実は、猶太人が真に卓越した民族である所の証拠であると、自ら誇示するのも無理のないことである。

独逸諸會社の平和的侵略

尚爰(ここ)に述べねばならないのは、猶太人は商業上の諸形式に於て常に嶄新(ざんしん)なる発明をする能力を持って居ることであるが、この発明力は今日に於ても少しも衰えず依然として次から次へと新発明をなして居る、しかもその土地の模様、環境の変化に応じて之に順応するという適応的性能を持って居る。即ち彼等は人に先んじて諸外國に支店を開設し、本店から代理者を派遣して其の地の要求を迅速に満たし得る如くして巨利を博した。大戦間には能く「平和的侵略」という言葉が話題に上ったものだが、此の意味はドイツ政府が合衆國に多くの商業上の支店及び独逸諸會社の出張所を建設し、商売に依って合衆国を征服するということである。合衆国に多くの独逸の支店が設立されたことは固より争われない事実である。けれどもこれを仔細に観察する時は、之は決して独逸人の事業ではなく、全く猶太人の企業であったのである。元来独逸人の古い商館は頗る保守的で、到底自ら合衆国に出かけて行ってまで顧客を求めるような進取の気衆を持って居なかったのである。之に反し猶太人の商館は、ドイツ人の商館の様なそんな保守的のものではなく、どんどんアメリカに進入して商品を送ったのである。此の結果遂には独逸の商館も競争上猶太人の商館の真似をせざるを得ざるようになったが、併し最初の着想は猶太人で決して独逸人の独創ではない。

 

[1] 如きの誤植の様に思われる 或いは、説き?説くように、という意味か? 

 

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